されど神に祈らない   作:アグナ

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されど神に祈らない

「クソが」

 

 ―――僕の兄は事あるごとにそう言った。

 

 僕とは真反対の優秀な兄だった。言葉達者で知識人。自信も人と接することも苦手な僕とは大違いで憧れで、僕達家族にとって誇りである兄だった。父母を敬い、隣人を尊び、後人に教えを、自らが知る知識を技能を財産を何ら誇ることなく無償で他人に施せる……良き人の代表例みたいな人。不完全からは程遠く、何れは人々を率いる長として人々に愛し、愛されるだろうその人は、しかし口癖のように罵倒する。

 

 それは己に憤るように、或いは誰かを憎悪するように。

 

 その対象はきっと■■■■だ。口にするには畏れ多く、祈り以外を向けるには不敬極まるかの存在。完全に近い、兄が持つ唯一無二の欠点にして余りにも致命的な欠陥。だから僕は一度、尋ねた。

 

 ―――何故貴方はそんなにもあの方を恨むのですか?

 天に座す偉大なる父。全ての救い主たる彼の者へ、

 祈りも捧げず、何故、憎悪するのですか?

 

「ハッ、アレがそんな高尚なものかよ。自らを絶対にするために、偶々(・・)で選ばれた兄弟を弄ぼうとするクソッタレだ。あんなものを、我らが父と、■■■■と呼ぶものかよ。およそ、人より高き視点を持つ者共が俺らのことなど、そもそもをして考慮するはずが無いのだ」

 

 だから祈りは無駄だと。無心の信仰は利用されるだけだと兄は確信しながら言った。

 ―――でも、と僕は思う。

 兄は聡明でとても僕とは違い、その瞳はあらゆる真実を見ているのかもしれない。その言葉は賢者の如き意味を持っているのかもしれない。だが……でも、と僕は反論する。

 

「―――それでも、僕らがこうして居られるのはかの方のお蔭です。例え、かの方視点が空よりも広く、大地の一切を見詰めるが如き広大な眼であって、僕達の姿が遠く見えなくなっているとしても……天地を生み出し、そしてこの出会いとこの人生を授けてくださった」

 

 だから感謝を、この世の全てに。

 

 遍く人々に慈愛を。彼の者の祝福を。

 

 僕は祈りと感謝を捧げる。

 

 兄は、まるで人を射殺せそうな憎悪の瞳で。

 

「クソが」

 

 半ば口癖となりつつ一言を洩らした―――これが一番古い記憶。後に出会う太陽の如き偉大なるファラオと兄弟になるより遥か昔。まだ何も知らぬ無垢であった頃の記憶。幼い頃の兄との一幕であった。

 

 

 

 

 生まれた瞬間、彼は己の運命全てを悟った。

 

 此処ではない何処か、地獄でも天国でも冥府でも無い『』としか表現できない空間で、己が辿る全てを見た。己は代行者、或いは代替品。万が一に起き得る弟の巡礼が失敗した際に代行としてその役目を務めるべく生み出された偉大なる―――クソッタレな―――■■■■に生み出された彼を絶対とするためだけの道具。

 

 ふざけるなと赫怒の声を上げた。傀儡になどなるものかと憎悪を叫んだ。

 

 されどその行為に意味はあらず、これは既に下された決定であり、運命であり、逃れられない宿命である。何故ならこれは分水嶺。或いは此処とは別の何処か、神との離別を唱えた偉大なる王とは異なり、天主を絶対とするための巡礼。一つの歴史の転換点(ターニングポイント)。それから外れることは即ち剪定されることにある。

 

 つまるところは俺は生まれたその時点から天主の傀儡となることを約束された男であったということだ。

 

 絶望したとも。憎悪したとも。

 三千世界、天地万物の悉く、我が怒りで燃やし尽くすと憤怒の声を上げたとも。

 

 しかし意味は無い。意味は無いのだ。どうしようもないぐらいに己の定めは決まっていた。冗談みたいに終わりは決定されていた―――それでも、その諦観の極致にあっても憤怒の焔と憎悪の声を消せない理由が存在した。

 

 ―――聖人の如き、弟が居た。

 

 遍く全て、それこそ天主のみならず人の営み、自然の歩み、この世の全てに感謝すると謳った聖人。見ず知らずの誰かの幸せを当たり前のように祈れる俺の大切な家族、大切な弟。

 

 そうだ。諦められない。諦めたくない。我が宿命は確約され、聖なるものの必然によって弟諸共転落する。しかし、あの聖人の如き弟をたかだか■■■■風情に奪われてなるものか。これが運命の決定であっても、これが天主の裁定であっても、俺は断固として認めない。

 

 被造物として象られ、そもそもを役目を果たすためだけに生み出された俺は良い。だが、アイツだけは連れて行かせない。まして天主の信仰を絶対とするがため後の世にて不当に貶められる定めにあるのだ。散々使った挙句、用済みになれば呆気なく斬り捨て、そして貶める。畜生にも優るクソ(・・)。そんなもの、全てが許しても俺が許さない。そうとも、だから俺は「 」になど祈らない、■■■■に感謝する事柄など、何一つとして存在しない。例え、あの者が居なければ大切な弟と出会うことが無いのだとしてもそれでも、俺は……。

 

「神になど、祈るものか」

 

 これが原初の誓い。後にクソによって分かたれ、太陽の如き王に託され、そして流浪の果てに没するより遥か昔、まだ聖人の如き人格を持った過酷を背負う弟が生まれるより遥か前の出来事だ。

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