マスターな乾巧がサーヴァントと云々   作:うろまる

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リハビリ中のオルフェノクです。やめて、フォトンブラッド流し込まないで


フロイライン・アビー

 

 

 とうとう眠ることが出来ず、乾巧はゆっくりと目を開けた。用意されていた暖かい毛布と柔らかなベッドに文句はひとかけらも無く、むしろ出来ることなら一生引き籠っていていたいぐらいである。だが、なぜか、眠れない。いつもは待ち構えていたように素早く走り寄ってくるはずの眠気が、今夜に限っては姿を見せない。瞼をいつもより固く閉じ、柄に合わず胎児のように丸まっても、ただ徒らに体力が浪費される無駄な時間だけが流れるだけだった。クソ、と小さく呟いて、カルデア製の充電器に繋がれたファイズフォンを開ける。一瞬の眩光の後、擦り傷が残る液晶に数字列が並ぶ。午前三時。草木も眠る丑三つ時に、携帯片手に不機嫌ヅラをする男。こんなことなら草木に生まれたかったと、巧はこの上なく思う。

「――水」

 不意に喉の渇きを覚えて、巧はベッドを軋ませながら飛び起きた。ファイズフォンをポケットに突っ込み、床に投げ捨てられていたコートを羽織り、無機質なまでに白い扉を開けて、同じ色調が延々と続く廊下に足を踏み出した。

 こつ、こつ、こつ、と。ひとりぼっちの足音が、カルデアの広大な回廊にさびしく響く。点々と等間隔に配置された蛍光灯さえも、眠るようにその灯を消している。そのせいで暗闇がこびりつき、廊下の見通しは普段から比べれば、驚くほど悪い。だが、巧の足取りは迷うこと無く正確に、食堂への道を辿っていた。それは、オルフェノク特有の超感覚を無駄に発揮しているせいもあるが、本来なら存在すら知らなかった施設の構造に慣れてしまうほど、ここで生活して来たということもあると巧は思う。

 常人がおよそ立ち寄るべきではないこの施設――カルデア。あのクリーニング店とは違って、やけに構ってくる喧しい店主も、理髪師という夢を目指していた喧しい同居人もいない。猫舌だと逐一言っているのに、鍋焼きうどんを出されることもない。しなくてもいいお節介を焼いて、クリーニング屋のくせに牛乳配達をする必要もない。面倒くさいとしか思わなかったそれらをなぜか、巧は無性に懐かしく思い出していた。

 足が止まる。ずいぶん長い間物思いにふけっていたらしく、気がつけば、目の前には食堂に通じる扉があった。何も考えず手をかけようとして、止まった。

 誰かが、座っている。

 僅かに開いた隙間から、頼りない光が漏れている。デスクライトか何かを持ちこんできたのだろうか。誰がいるのか。そこまで考えて、やめた。どうせ、考えたところで無駄だ。それにあの危ない三人組の誰かだったら、さっさとずらかればいいだけの話。巧は一切気後れすることなく、一気に扉を開いた。

「誰っ! ……って、マスター」

 そこには、蜂蜜色の髪を背まで伸ばし、無機質な白に映える黒衣を纏った少女が、ちょこんと座っていた。

「おまえ……確か」

「アビゲイルよ。アビゲイル・ウィリアムズ。もしくはフォーリナー。……後者はあんまり、好きじゃないけれど」

「何してたんだ、こんな時間に」

「……眠れなかったから、少しだけお散歩してたの。そうしたら、ここを見つけて」

 少女――アビゲイルは、恥じらうように告げた。

「マスターは?」

「俺もそんなところだ」

「そう! ……いえ、何でもないわ。ふふっ、それにしてもマスターも悪い子だったのね。こんな時間に散歩するだなんて。ふふふ」

 叱られるのを待っているような表情をしていたアビゲイルは、放たれた言葉にぱあっと花が咲いたような笑顔を浮かべた。何がそんなに楽しいのか、巧にはわからない。がしがしと頭を掻き毟り、

「――邪魔したんなら、帰るが」

「いいえ。そんなことは無いわ! むしろ、マスターが来てくれて、わたしとっても嬉しいのよ。本当に。……ねえ、もしよかったら、いっしょにお話でもどうかしら? ……だめ?」

 いじいじと指先をこねくり合わせて、伺うような顔でアビゲイルはそう告げた。めんどくさい、と正直思う。だが、少女の不安げな様子と、何処かに消え去ってしまいそうな雰囲気が、飛び出しそうになった言葉を止めた。

 はあ、と大きく溜め息を吐く。びくり、と身体を震わせ、恐る恐る俯いたアビゲイルに、巧は言い聞かせるように、

「おまえが期待してるほど話せないぞ」

「……っ。ええっ! 構わないわ!」

 屈託の無い笑みを浮かべたアビゲイルに、巧はふたたび溜め息を吐く事しかできなかった。

 

 

 ○

 

 

「はいっ」

 熱々の湯気を放つホットミルクを差し出されて、思わず舌打ちを漏らしそうになった。なんとかそれを抑えて、巧は真正面に座って話し始めたアビゲイルを見る。アビゲイルは巧の様子に気づかず、カルデアに来てからあった出来事を夢中で話していた。子供の話とは大概、順番と時系列がとっちらかっていて、何がなんだか分からない方が多い。しかし中々聡明な頭をお持ちらしく、巧ですら知らなかったカルデア内での出来事を面白げに語り、他人の話をまともに聞くことが滅多にない巧も、珍しく耳を傾けていた。

 そういえば、初めて会話した時も、ずいぶん話が上手いな、と思った記憶がある。

 霧に覆われ、隔離された村――セイレムでの出来事は、長いようでほんの刹那だった。たった七日間とは思えない密度で過ごしたあの村での日々は、苦く辛い記憶がある。ただ――それだけだったと言うわけではない。確かにそこには、輝かしい何かがあったはずなのだ。例えそれが、特異点という泡沫の夢の中だったとしても、救いはあったはずなのだ。

「――ねえ、マスター。マスター?」

 アビゲイルの呼びかけに、巧は意識を引き戻す。見ると少女は話を止めて、心あらずな巧に対して頬を膨らませていた。

「……なんだ」

「わたしの話聞いてた?」

「聞いてた」

「ほんとに?」

「ほんとだ」

「じゃあ、誰の話してた?」

「…………………………」

 返って来た沈黙にはあ、とアビゲイルは巧を真似たような溜め息を吐いた。開き直ってしかめっ面をする巧に対して、聞き分けのない子供に言い聞かせるように、人差し指をぴっと立てる。

「いい? マスター。レディの前でぼーっとするなんて、紳士失格よ?」

「レディ? おまえが?」

 ぶっ、と吹き出す巧。失礼極まりない男の態度と言葉に、アビゲイルの心はかっと燃え上がった。

「そうよ。わたしもう十二歳の立派なレディなのっ」

「まだガキじゃねーかよ」

 巧、半笑い。ますますアビゲイルはむきになっていく。

「年齢は関係ないのっ。大事なのは、心なんだから」

 ふん、と顔を背けるアビゲイルに構わず、巧はミルクに手を伸ばす。熱い。だが、掴めないほどではない温度だった。手の皮を透かして、神経を浸食する熱さを睨みつけ、意を決して、軽く縁に口をつけてみた。

 ――まだだ。

 もうしばらく待たなければならない。

 コップを戻しかけたところで、さっきから大人しいと思っていたアビゲイルが、自分の一挙手一投足を注視しているのがわかった。少女は、恐ろしい秘密を目撃したかのように、低くゆっくりと囁いた。

「――もしかしてマスター。猫舌?」

「……」

 無言のまま、コップを傾ける。

「熱っ!!」

「きゃあっ!?」

 軽くこぼした。くだらない意地を張ってしまった自分が、今さら恨めしくて仕方なかった。くそっ、と口内で吐き捨てて、再び湯気立つミルクを睨み始める。少女はその様子を信じられないとでも言いたげに見ていた。突き刺さる視線に、巧は居心地の悪そうな顔を返す。

「……なんだよ、大の男が猫舌で悪いか?」

「ううん……実は、わたしもなの」

 ちろ、と赤くなった舌先をひかえめに出して、少女は笑った。さっきは我慢して飲んでただけなの――

「そうか!」

 同類を発見した巧の表情が、露骨に明るくなる。得てして猫舌仲間というのは意外に少なく、百を超えるサーヴァントが在籍しているカルデアでさえ、ほんの数人しか、巧と同じ舌を持つ者はいなかった。数少ない同志を見付けた巧の心に、暖かな何かが満ちていった。

「だからね、マスター。あなたのために、わたしがフーフーしてあげるっ」

「お断りだ」

「ふーぅふぅ」

「おいっ」

 いつの間に取り上げていたのか。気配も感じられないまま、巧のコップはアビゲイルの手中へ収められていた。実に楽しげにふうふう吹いてる様に、怒鳴る気力すら無くして、巧は憮然と頬杖を突くことしかできなかった。

 

 

 ○

 

 

「――マスターは、怖くは無いの?」

 すっかり冷めたミルクを飲み干す直前、そんな言葉を投げかけられ、巧は呷る手を止めた。

「怖い? なにが」

「その、色んなひとから聞いたの。マスターは、マスターらしくないマスターなんだって。――本当なら、マスターは前に出て戦わないんでしょう? それなのにマスターは自分から前に出て、色んな怪物と戦って、いっぱい傷だらけになって、それでも戦ってるって……だから、すごく気になったの」

「死ぬのが怖くないかってことか」

「……うん」

「さあな。考えたことも無い」

「……嘘でしょう」

「嘘じゃねえよ」

「嘘よっ」

 素っ気なく答えた男の瞳に、どうしても拭いきれない恐怖の色が奔り抜けた瞬間が、アビゲイルには良く見えていた。途端、目の前の男に対する、義憤にも似た何かが心の底から溢れ出た。感情が激しく乱れている。どうして戦えるのか。どうして立ち上がることが出来るのか。逃げ出したって良い筈だ。自分はここに来てまだそれほど経ってはいないけれど、目の前の男が、自分達とは違って日向を歩いて行けるということだけはよく分かる。彼は戦って、戦って、戦い続けて、もう駄目だと弱音も吐いたかもしれないのに、それでも立ち上がって。アビゲイルは、どうしても理解できなかった。とうに死んでしまった亡霊であるサーヴァントとは違って、彼は生きているのに――なぜ、自ら苦痛に身を投げ入れようとするのか。どうして苦しんで、失い続けて、それでも前を向けるのか。

「――どうして?」

 その時の声が、かつてセイレムの末路に君臨した異星の魔女に酷似していた事を、アビゲイルは覚えていない。

 だが、巧は覚えていた。だから巧は、あの時と全く同じ答えを少女に返した。

「――守るって、約束したからな」

「――なにを」

「人間を。おまえもだ」

 静かながら、雄々しく力強い断言に、強張っていたアビゲイルの表情が、ゆっくりと解れていく。その信じられないものを見るような目つきのせいで、自分が言った台詞が今さら恥ずかしくなった。巧はもぞもぞと身じろぎしながら、照れを隠すように吐き捨てる。

「――大体な。難しいこと考えずに、ガキはガキらしくワガママしてりゃそれでいいんだよ」

「……それって慰めてるつもり?」

「好きに受け取れ。眠いからもう帰るぞ。おまえ、部屋は何処だ」

 言うだけ言って立ち上がり、ともすれば置いて帰りかねない男の裾を、すっとか細い手が握り締めた。視線を向けると、どこか怯えた空気を纏っていた先ほどとは違う、ふっ切れたような少女の表情があった。

「……おい」

「これぐらい、許してくれるでしょ? これでも精一杯ワガママしてるつもりなの」

「あのな……」

 何か言いかけた巧の視線と、少女の瞳がかち合った。しばしぶつけ合う。しかし、少女の眼差しに籠められた純粋無垢な光を跳ねのけられるほど、男の精神は硬くはなかった。というより、早く部屋に帰りたい。はあと何度目かも分からない溜め息をついて、巧はふりほどこうとした腕を止めた。

「勝手にしろ」

「――ええ。わたし、勝手にしちゃうからっ」

 そう宣言するや否や、アビゲイルは立ち上がって、ぐいぐいと巧の腕を引っ張って歩き始めた。風に流される凧のように頼りなく連れられ渋い顔をした巧は、前を向くアビゲイルの表情にきっと気づかなかったに違いないだろう。カルデアに来てから、ついぞ見たことのなかった、万物を魅了する魔女の微笑み。自分が少女にどんな影響を与えたのかを巧は知らず、ただ暢気に欠伸を漏らすばかり。

 それらすべてを、つけっ放しにされたライトだけが、知っている。

 

 

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