――別に怒っている訳ではありません。ただ、ようやく正規パイロットとして認めてやったというのに、肝心の貴方がわたしに対して何も変わらない無愛想な態度のままだというのが、どうしても我慢ならないだけです。別に、構ってもらえなくて寂しいとか、そういう甘ったれた理由では決して無い事をよく念頭に置くように。――今の貴方は、カルデアに所属する人類最後のマスターという身分。そうである以上は、魔術王の野望を阻止すべく、わたし達サーヴァントを使役し、立ちはだかる敵と戦わなければならないのです。何故マスターである貴方があんな鉄鎧を着て、前線へ出ているのは甚だ疑問ですが、あの医務室のバーサーカーが何も言わない以上はわたしもそこに触れるつもりはありません。問題はそこでは無いのです――良いですか。いくら頑丈な鎧を着込み、多少の戦いの心得を備えているといえども、所詮貴方はちっぽけな人間に過ぎない事を最近忘れているのではありませんか? サーヴァントにはサーヴァント。神秘は同じ神秘でしか打倒し得ない――仮に貴方が単独で核クラスの戦力を備えていたとしても、貴方がこの世界に生きる人間である以上――ましてや魔術のまの字も知らないど素人である貴方が、神秘の塊であるわたし達にかすり傷一つ付ける事は億が一にも有り得ません。つまり、貴方がこの戦争を制する為には、わたし達の協力が必要不可欠だという事を充分理解するように。そして、いくら人類史が誇る一騎当千の英雄といえども所詮は人間。そこにはどうしても拭い去る事の出来ない感情があります。かつて過去に行われた聖杯戦争においても、名の知れた魔術師が高名なサーヴァントを召喚したにも関わらず、主従仲が極めて劣悪だった為にあえなく敗北してしまった、というケースはそう珍しい物では無かったようです。つまりですね。人理修復を手際良く進める為にも、サーヴァントとの調和の取れた関係は必要不可欠だという事です。無論、この完全無欠の鋼鉄魔嬢、メイガス・エイジス・エリザベート・チャンネルに、感情などという隙はありません――ありませんが。やはり、機械にもメンテナンスは必須だという事をお忘れなきように。では、わたしに対する正しいメンテナンス方法を貴方に教えてあげましょう。正座をして背筋を伸ばし、一言一句聞き漏らさず有り難く拝聴しなさい。まず一つ、私の勇姿をしっかりと見つめること。次に二つ、私の整備は最優先で行うこと。そして三つ、尻尾のやすり掛けは丁寧に。最後に四つ、スキ……んんっ、いえ、メタルシップは忘れずに。これらを厳守していれば、貴方はいずれ、メカエリチャンのパイロットであるという事実を生涯の誇りと思うようになる――
「という訳です。理解できましたか?」
「おまえがおかしいって事は充分わかった」
並べ立てられた長広舌の半分以上を意図的に聞き漏らし、巧はほとんど適当に答えてみせた。その視線は絶え間なく、泡立てられたオ―トバジンの車体に向いている。照明に照らされた銀色の車体をいやに眩しく感じ、額から垂れ落ちた汗を首にかけたタオルで拭った。右手に持ったホースで泡を洗い流す。後ろから複雑な諸々が入り混じった、強い抗議の視線が突き刺さったが、巧は一切構うことなく、オ―トバジンの洗車を再開した。確実に面倒事が待っていると分かるのに、どうしてわざわざ関わりに行けようか。
――この、男は。
その乾ききった対応に、メカエリチャンは一瞬蓋をしていた極悪な本性を開きかけたが、領主である自分の在り方を思い出し、こほんと咳き込む事で抑え込んだ。そして、ひたすら無心で車体を拭いている巧の背中をじっと見つめた。
ほんの一カ月程度の付き合いとはいえ、仮にもメインパイロットだと認められる程度の関係は築いてきたつもりだった。だからわかっていた。自分のマスター兼パイロット両方を兼ね備えた男が、あまりにも不器用で、あまりにも無愛想な男であるという事は。
鉄である自分より笑顔を刻まぬ表情筋。
極めて粗忽かつ乱暴な立ち振る舞い。
不精でだらしない平素の生活態度。
かと思えば、最古参であるマシュやロマンなどには何処か心を許しているような顔をしているし、押し付けられた洗濯物に渋々といった様子で手をつけて――中々サマになっている――いる所も見るし、分厚い壁を物ともしないサーヴァントにひっつかれて、鬱陶しそうにしつつも邪険にできない光景もよく見る。
要するに、一旦仲間だと判断したものには、隙を見せてしまう男なのだろう。あくまで例えだが、自分をとことん追い詰めた腹黒い誰かの死を、心底から悔やんでしまいそうなほどには。
不貞腐れた横顔から、ある意味的確な解釈をされているとは露とも知らず、巧はただめんどくさそうに手を振るのみだった。
「おまえ、疲れてんのか?」
「機械に疲労という概念はありません。わたしが言いたいのはですね……」
「仮病使ってでも休みたいんだったら、ロマンの奴に言ってこいよ。あいつなら何とかできるだろ。俺にそんな権限無い」
「人の話を聞きなさいっ! エリザ粒子を打ち込まれたいのですか、おまえはっ! ――取り乱しました。いえ、違います。だから、わたしが言いたい事はですね」
はあ。
勢いよく深いため息を吐き、巧は蛇口を捻って水を止めた。
「わかった。なんか、わかった事にするから、な。それでいいだろ」
素っ気ない態度と言葉に、脳髄が炸裂するかと思った。というか、爆発した。高性能AIが満場一致で目の前の男をぶちのめせと指令している。野蛮の兆候だった。これはいけない。あくまでもわたしは完全完璧な統治を行う領主であり、領民に手を上げるなど――それが例えどれほど愚民であろうとも――以ての外である。
メカエリチャンは手を出せない自分に内心歯噛みしながらも、聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように続ける。
「――全く、まるで、これっぽっちも分かっていません。今のおまえには、わたしのパイロットであるという自覚が著しく欠けています」
「別に、パイロットになったつもりはない」
「あれだけわたしを酷使しておいて、その言い草は何ですかっ。――大体ですねっ! 常日頃から、おまえの生活態度には改善すべき点が、多過ぎると思っていたのです。なんですか。せっかくの休日をいつまで経ってもダラダラと……普段からダラけているのですから、休みの日ぐらいはきちんとしたらどうなんですかっ」
「なあ」
巧は手を止めて、睨むような目つきでメカエリチャンを見上げた。
「何がしたいんだ、おまえ?」
見上げる瞳と率直な意見に、ぐっと息が詰まった。すぐさま声を上げようとしたが、喉の奥に石でも詰まってしまったかのように、意味も無く口が開閉するのみ。いったい何をしたいのか。それは自分にも分からなかった。ただ、自分を視界の端にすら掛けずに、感慨深げに白銀の鉄騎を見つめていたその顔が、どうしても気に入らなかったから声を掛けただけ。要は自分の基本構成要素であるオリジナル――エリザベート・バートリ―の衝動的な性格が、ここぞとばかりに顔を出したまでの事だった。いくら秩序・善を装い、鋼鉄らしいクールと思慮深さを纏っていたとしても、所詮彼女の根本はエリザベート・バートリーでしかなかったのだ。
つまりは何も考えていなかった。
それでも、ここまで来て引き返す訳にはいかない。というより、引き返す方法を知らないと言った方が正しい。猪突猛進にも程があるが、支離滅裂に散らばり続ける思考を無理やり纏め上げ、そこはかとなく高圧的に、メカエリチャンは言い切った。
「……とにかくっ。おまえがわたしを使役している以上、おまえにはわたしの専属パイロットという、重大な役割が課されているのです。そのようなバイクにかかずらわっている暇があるのなら、もっとわたしを上手く操作できるよう、血反吐を撒き散らす努力をなさい!」
その言葉を聞いた巧は、訝しそうに歪めていた眼を、じんわりと緩ませた。
やけに意味ありげな微笑に、ようやくこの分からず屋と通じ合えたのかと、少女が顔を明るくする。
その瞬間、すっと顔を真顔に戻して、巧は言った。
「やだね、バカ」
思わず笑ってしまいそうなほど、遠慮のない言葉。
ぴしりと、鉄の身体が鈍い音を立てて固まった。
○
酷い目に遭った。
襤褸切れと化したシャツをゴミ箱に放り捨てた瞬間、不意に不審なにおいが巧の鼻をつっついた。見れば、ズボンの裾がぷすぷすと黒く焦げている。あいつ、俺を殺す気じゃなかっただろうな。脱ぎ捨てるわけにもいかず、やけくそにポケットに手を突っ込んだ。
あの後に起こった事はそう難しくはない。巧のひと言にとうとうキレた鋼鉄魔嬢が、格納庫を丸々焼き尽くさんばかりの兵器を解き放っただけの事――その結果がどういった結末をもたらすのかは、カルデアに所属しているのなら容易に予想できた。馬鹿げた騒ぎに飛び込むのは赤い婦人――医務室のバーサーカーことナイチンゲール。飛び交う怒声。立ち込める粉塵。そして弁解の余地無くぶん殴られ、間抜けなたんこぶをこさえる二人。生身の巧はともかく、鉄塊丸出しのアレを一切躊躇なく殴りつけ、制圧できるあの女は果たして本当に人間なのかと、巧は心の底から疑問に思った。
まあ、いい。
ふんと鼻を鳴らしながら、カルデアの廊下を歩く。途中ですれ違った面々からはひどく好奇心を滾らせた瞳で見られたが、無愛想な面を貫き通す事で無理矢理追い返した。そのままふと目に入ったベンチに早足で向かう。周りに人影が無い事を確認すると、ため息を吐きながら座った。
さすがに疲労の限界だった。今なら、このままここで横になって永遠に眠りこめる気がする。というか、出来るはずだった。目の前の自販機からぼやけた光が漏れているのを見つめながら、湧きだしたまどろみに身を任せて冷え切った壁に凭れかかった瞬間、
「――ようやく、わたしの痛苦を分かってくれたみたいね」
深く濃い陰りに彩られた、女の妖艶な声が聞こえた。
まさか誰かがいるとは欠片も思わず、一瞬硬直した巧のすぐ隣で、床を叩くヒールの甲高い音が響く。じろりと窺うとそこには、彫刻のように隅々まで精巧に整えられている、円熟しきった女の横顔があった。
「お隣。失礼させてもらってもよろしいかしら? マスター?」
「……おまえ」
薄く光る白磁のような髪が、淀みなく垂れ落ちていた。引き結ばれた唇は熟した柘榴のように紅く、見るも鮮やかなその色を、雪花のごとく白くしなやかな肢体が引き立たせている。透き通っている鼻梁から溢れる、人間離れした高貴さ――微かにもたげられている顎には、高圧的な感情が色濃く宿っていた。
つまり、巧の苦手なタイプの女である。
めんどくさそうに歪む巧の顔を見て、座り込んだ女――カーミラの黄金色の瞳が、冷徹な光を帯びて弓なりに曲がった。明らかに巧の様子を面白がっていた。ますます不機嫌になる巧を余所に、女は愉悦を深めていく。
「……」
「あら。わたしを睨んだ所で、問題解決の足しにはならないのは分かっているでしょう? だったら精々みっともなく足掻いてなさいな。あなたにはそれが一番似合ってるわ」
「どうでもいいから、アレをどうにかしろ。おまえも元を辿りゃあいつなんだろ」
「……」
「……なんだよ」
巧のなにげない言葉に、今度はカーミラに拭い切れない陰が差した。顔を勢いよく顰め、長々と伸ばした爪で眉間の皺をとんとんと叩いている。今にも脱力してしまいそうなその様子に、巧は触れてはいけない――厄介極まりない――部分に触れてしまったと、今さら気づいた。
「……確かに、若い頃の自分は見ていて吐き気さえしてくるわ。何も考えてない能天気な笑顔も、聞くに堪えない独りよがりな歌も、叶う筈も無い馬鹿げた夢を持っている所も――全て、何もかも、気に喰わない。ええ。それはあの…………変な衣装を着ていても変わらないわ。けれど、けれど……」
重い暗い吐息が、薄く埃の積もった床に落ちる。
「どうして、機械になってるのよ……!」
それもそうだった。
もし過去の自分と顔を合わせる機会が出来たとして、そいつが見るからに機械的な物に成り果てていたとしたら、どう思うだろうか。とうとう両手で顔を覆い、口から血を吐き散らしそうなほど暗くなったカーミラの肩に手を置きそうになって、やめた。中途半端な同情など、巧が一番嫌いなものだった。
とはいえ、気の利いた言葉を思いつけるわけもなく。そもそもそんなに器用な人間だったのなら、乾巧の人生は、もう少し楽な物になっていただろう。がしがしと頭を掻きながら、巧はベンチから腰を上げた。そのまま近くの自販機に近寄り、取り出した財布から数枚の硬貨を抜く。
背を向けたまま、声を投げかけた。
「おい」
「――なによ」
振り返るとそこには、年頃の少女のように唇を尖らせて上目遣いで見上げてくる、カーミラの姿があった。巧は気にせず、親指で自販機を指した。
「――おまえ、猫舌か?」
重大な機密を握らせる瞬間のように、男の顔は真摯な光で満ちている。
○
プルトップを引き開ける軽快な音が、二度続けて響いた。
「缶コーヒーって……貴方つくづくセンス無いわね」
「うるせーな。嫌なら飲むな」
「別に嫌だとはひと言も言ってないでしょう? 人の話はきちんと最後まで聞きなさいな」
「――やな奴だな」
「お生憎さま、自分でも嫌ってぐらい自覚してるわ」
捻り出した精一杯の巧の抵抗を歯牙にもかけず、すまし顔でカーミラは缶を傾けた。こくこくと上下に動く白い喉をしばらく睨んでいた巧も、やがて諦めたように冷えたコーヒーに口をつけた。酸味の混じった苦さが、通り抜けていく。
「……あっま。何、これ」
「ブラック」
言われなくても分かっているのに、でかでかとBLACKをゴシック文字で表面に印刷してあるそれを、カーミラは忌々しげに睨みつけた。
「……だから苦手なのよ、缶コーヒーは。苦いのか甘いのかハッキリさせなさいよ」
「言ったろ。嫌なら飲むなって」
「うだうだうるさいわね。飲むわよ」
カーミラは、半ばヤケになってさっきよりも大きく顎を上げた。良い気味だ。そう思って、再び缶を傾けた。誰も通りかからない廊下に、空調の音と啜る音だけが響く。巧、どう切り出そうか迷ったが、何も思いつけず真っ向から聞く事に決めた。
「いったい何の用だ」
飲み干した缶を開けっ放しにされてあるゴミ箱に放り投げた。数秒後、スチールが叩きつけられる甲高い音が鳴り渡り、見事ゴールを決めた事に対して密かに巧は満悦した。
「何の事かしら?」
巧と同じようにゴミ箱に投げ捨てながら、カーミラはすっと目を細めた。雪白の幕に覆われた金色の光が、僅かに陰を帯びる。巧はふんと鼻を鳴らすと、手持ち無沙汰にファイズフォンを弄り始めた。
「とぼけんな。――いったい何企んでんだ?」
巧の知る限り、目の前の女が用事も無く自分に話し掛けてきたことなど、過去に一度も無い。そもそも、こいつはそういうガラではない筈だと、巧は根拠も無く思った。確信を深めるように、カーミラは薄い笑みを頬に浮かべた。
「いくらわたしが混沌・悪だからといって、偏見を持ち過ぎじゃないかしら。わたしにもひとり黄昏てる誰かを見たら、隣に座って慰めてあげたくもなる程度の感性はあるつもりだけれど」
「おまえに? 馬鹿馬鹿しい。似合わねえよ」
巧の言葉に、カーミラは図星を突かれたように面食らった後、からころと笑った。
「か弱い女に、ずいぶん酷い事言ってくれるじゃない」
「本当にか弱いんならな。……で、どうなんだ。面倒事なら別のやつに押し付けてくれ」
「――いいえ。とっても簡単な事よ」
どんな、と言葉を吐く暇など、ありはしなかった。
まさしく瞬く間だった。弛んだ意識の僅かな狭間を縫って伸ばされた手によって、巧は軽々と押し飛ばされた。ベンチに背中を叩きつけられ、意識が一瞬空白に染まる。我に返った巧が当たり前のように何すんだ――と怒声を張り上げたが、それらを一切無視したまま、カーミラはゆっくりと巧の身体に覆い被さった。豊満な胸が、筋張った胸板とぶつかり合って押し潰され、軟体動物のように形を変えていく。全身を隅々まで燃やされているかのように、自分の体温が上昇している事を彼女は自覚していた。ひどく、暑くてたまらない。空調は利いているにも関わらず、陶磁器のように滑らかな素肌から、細かい汗がぷつぷつと湧き出して始めていた。男の胸にぽたりと、数個の染みが生まれる。異様なまでの高揚感に身を委ねながら、やがて彼女の白く細長い指――その先にある鋭い爪が、酔ったようにふらついた動きで、筋張った胸板をそろそろと撫で上げて行く。
――強い、臭いがしている。
そして、首筋に辿り着いてようやく、カーミラの指は動きを止めた。
――蜜のように、甘い。
くすぐる様に首をなぞり、ようやく探り当てた頸動脈に爪先を当てて、
――血の、臭い。
躊躇なくひと息で引き裂こうとした瞬間――
「――なにを、しているのですか?」
――強張った、少女の声が響いた。
二人の意識が、同時に声の方向に向いた。そこには茶褐色の袋を横抱きにしたメカエリチャンが、ぼうっと立ち尽くしていた。照明に照らされて鈍く光るのは、見る者全てを感嘆させる鋼鉄の身体。その見た目に違わぬ鉄の如き精神を備えている筈の彼女はしかし、到底信じられない物を目撃したかのように、ひどく無防備に固まっていた。
のろのろと彷徨っていた少女の視線は、マスターに覆い被さっている、未来の自分――語弊あり――に向いた。いつの間にかカーミラの瞳も、少女をじっと捉えていた。二人の視線がかち合う。その間は、恐ろしいまでに冷え切っていた。やがて、女があからさまな侮蔑を示し、呼応するかのように少女がまなじりを吊り上げる。そして巧は、ひたすら置いてけぼりで、
――いわゆる、修羅場というやつであった。