第9話
「ヒッキーおはよう!」
「ヒッキ〜ここ分かんないよぉ」
「ヒッキーだいじょぶ?また頭痛いの?」
「ヒッキー」
「ヒッキー?」
「ヒッキー!」
「…貴方、由比ヶ浜さんと何かあったの?」
「いや、何も」
「それにしては距離が近くないかしら」
「…」
職場見学以降、由比ヶ浜はクラスでも俺と距離を詰めるようになった。本人は隠そうとしているみたいだが、普通にみんな訝しんでいる。クラスの違う雪ノ下でも気付くのだ、端からみても明らかなのだろう。
「やはり何かあったのね。一緒に帰った日に」
「結局ぐだぐだで終わった…って思ってたんだが」
「彼女からすればまた違ったと」
「多分な」
本から目を逸らさず曖昧に返す。今日はあーしさんと遊びに行くらしく、由比ヶ浜は部室に居なかった。
だからか。俺と雪ノ下の話題は由比ヶ浜のことばかりだった。
「最近昼食の時に貴方の話ばかりするのだもの。こんな本を読んでた、授業中はこんなだった。それを知ってどうしろというのかしら」
「それは俺が今思ってることだ」
あいつそんなこっち見てんの?だから授業分かんなくなんだろ。
「…」
「何だよ」
「べつに、何でもないわ」
「そうか」
「そうよ」
貧乏揺すりに気付かないのか、何処か浮ついている雪ノ下。加え本人は自覚無し。なにか、戸惑っているようにも見える。
「おや、由比ヶ浜はどこへ?」
「クラスメイトと遊びに。あと平塚先生ノックして下さい」
部屋に入るなりよっこらせっと椅子に腰掛ける平塚先生。掛け声といい完全におっさんだ。
「どうかしたんすか」
「いや、なに。経過観察という奴さ。あ、例の勝負の件はちょっとしたバトロワモードに変更だ」
「これから皆さんに殺し合いをしてもらいます、って事ですか?」
「そうそう!話が早いな、比企谷」
伝わるのか。…かくゆう俺は元ネタを見た訳ではなくネットで見たことのある台詞というだけだ。いつか見たいが。
嬉しげな平塚先生とは対照的に、置いてけぼりの雪ノ下はどこか刺々しく口調も固い。
「用が済んだのなら仕事に戻ったらどうですか」
「…ふむ、そうしよう。時に雪ノ下、何かあったのかね?機嫌が悪いように見えるが。由比ヶ浜と仲違いでもしたのか」
「別にそんなことは」
「では、この男に関係することか?」
そう言って俺の頭に手を置く。直後、雪ノ下の体がびくりと震えた。
確信したのか、平塚先生は俺の耳元に口を寄せて囁く。やめてぞわぞわする。
「比企谷ぁ、また何かしたのかぁ?」
「全然心辺り無いんすけど」
「由比ヶ浜とは?」
「…最近妙に懐いてきますね」
「それだろうがっ」
あと犬みたいに言うな、なんて注意される。いいか比企谷、と前置きをされ自然と姿勢を正す。
「雪ノ下の立場になって考えてみろ。最近数少ない、というか唯一といっていい同性友達が、急に異性と距離を詰めだしたんだ。気にならん訳なかろう」
「さり気無く雪ノ下ディスってません?」
「その異性というのも、家族以外で最も顔を合わせている奴ともなれば複雑さは増すというものだ」
自分が仲の良い三人組だと思っていたら、他二人だけでこそこそされるのは確かに嫌かもしれない。だが、こういっては何だが雪ノ下はその程度のことを気にするか?
他者からの干渉を捨て屹立する孤高の存在。それが雪ノ下雪乃ではないか。
「だが、これは良い傾向だ。他人に裏切られてきた彼女が、また人を信じ始めた証拠だからな」
そう言われ、俺はガツンと殴られたような衝撃を受ける。いつからか彼女は
俺の凝り固まった偏見を無意識に溶かした平塚先生は、自らの偉業も知らずに聖母のような笑みを浮かべている。何で結婚出来ないんだこの人、世間の男はバカしかいねぇな。
「…いつまで内緒話をしているつもりかしら」
「おっとっと!いや、すまんすまん。では私はこれで。励めよ、若人!」
パッと離れ、そのまま部屋を出て行く平塚先生。お陰で雪ノ下からのジト目を俺だけで受け止めなければならなくなった。
「一体何の話をしていたの?」
「あー…。まぁ、あれだ、仲良くしなさいって」
「…そう。貴方が言いたくないならそれで良いわ」
納得はしていない様子で、渋々下がった雪ノ下に罪悪感が芽生える。
しかし人付き合いに関してずぶの素人たる俺に、気の利いた言葉なんて言えるはずもなく。…いや、一つある。
「昨日クラスで話してるのを聞いたんだが。6月18日、由比ヶ浜の誕生日だってよ」
「そう」
「誕生日プレゼントでも買いに行かないか?」
雪ノ下の手から本が零れ、床に落ちる。それに気付いたのか慌てて拾い、頭を机にぶつけた。無言で悶える雪ノ下に、思わず声を掛ける。
「大丈夫か」
「え、ええ。心配、ないわ」
頭をさすりながら答える彼女からは、普段の凛とした様は一切感じられず。どこか微笑ましく思えた。
「それで比企谷君。買い物に付き合って欲しい、という事だけれど。…それは、つまりデ、デートに誘われてるって事かしら。
いえっ!別にそれどうこうが目的では無いというのは理解しているし、きちんと由比ヶ浜さんの誕生日プレゼントを選ぶにはやはり一人だけでじゃなく他にも由比ヶ浜を知る人と一緒に行った方がより良い物を選べるからでしょう?けれど、前に言っていた貴方の、男女で出掛ければデート、という通説が今回にも当てはまるならば、世間一般ではそう呼ばれてもおかしくない事でしょう?」
「いや、小町も呼ぶから別にデートじゃないな」
俺の発言で、ピタッとマシンガントークが止まる。弾づまりでも起こしたのか、雪ノ下は真っ赤な顔で俺を睨んでいる。
「私だって怒る時は怒るのよ?」
「…なぜだ」
で、行くのか行かんのか。行くわよっ。
最後の方は雪ノ下には珍しく声を荒げ、その後休日の打ち合わせを済ませると、つかつかと早足で部室の前に行き…。
「…ふん」
俺にひと睨み利かせ、ドアの向こうに消えていった。
後ろから見えたうなじまで紅く火照っていたのを見るに、相当恥ずかしかったのか。
余談だが小町は来れなくなった。つーか行かないって宣言された。
というのも、経緯を説明した瞬間見事な右ストレートを鳩尾に貰い「お兄ちゃん、今晩はずっと正座!朝まで解いちゃダメだからね!」
という有り難いお告げと共に部屋に篭ってしまったのだ。
自他共に認めるシスコンの俺が妹の指示を無下にする訳もなく、俺は足の感覚が無くなってもずっと正座を続けた俺は、翌日寝坊した小町が起き出すまで痛みと未知の感覚に苦しめられたのだった。
◆
休日のショッピングモール。これだけで分かるだろうが、人が多い。
もっと行くとこあんだろ、という文句は言えない。俺もまたその一人であるためだ。
「御免なさい、待たせてしまったかしら」
「いや、今来たとこだ」
振り返って、雪ノ下からの謝罪を拒む。30分前に来ていたが、こう言えと小町に厳命された。他にもいくつかタブーを教えられ、どれか一つでも破ったら今晩も正座アンド飯抜きとのこと。遵守せねば。
「ツインテール、か」
「…ええ。幼くみえるかしら」
「いや、良く似合ってる」
「そう。ありがとう」
新鮮な髪型と、新鮮な私服姿に感嘆するばかり。
小町の教えその二、必ず服装を褒めろ。これもクリア。だが別に義務感で言ったわけではなく、心の底からそう思ったのだ。それが分かったのか、雪ノ下も満足気にしている。前の不機嫌さは皆無だ。
「それで、小町さんは?」
「急用で来れないそうだ。プレゼント自体はちゃんと用意するから心配するなと」
「…えっ」
てっきり三人で回ると思ってたのか、予想外の展開に驚く雪ノ下。
メールを送ろうにもこいつのアドレス知らんし。しょうがないね。
ん?てことは…。
「つまり」
「あぁ、これデートになるのか」
同じ結論に至ったのか、ぷるぷると震える雪ノ下。揺れるツインテールが可愛らしい。
「そんなはっきり言わないでくれるかしらっ。周りに聴こえたらどうするの」
「聞こえるも何も、若い男女が歩いてりゃそう見えるわ」
「…そういうものなのね」
色恋沙汰には滅法縁が無い枯れた二人組。やはり小町を連れて来るべきだったか。いや、どうにかこれを成功させて、機嫌を直してもらおう。
小町の予測で由比ヶ浜の趣味嗜好をトレースしてもらった。そこらへんを回って、見合ったものを買う。大雑把な予定を立てて、俺と雪ノ下はショッピングモールの中に入った。
「これはどうかしら?」
「良いと思うぞ」
「…貴方さっきからそれしか言ってないわね。肯定でも、その理由も一緒に言いなさい。何も出来ないならせめて光合成でもしていないと酸素が勿体無いわ」
「つってもな。女性服の良し悪しなんてお前より詳しいわけ無いだろ。あと誰が植物だ」
皮肉混じりに会話をしながら目当てのものを探す。ちらちらと周りから視線を感じるが、よく観察すると八割は雪ノ下に向かっている。
まぁ、見た目だけはそこらのアイドルなんぞ目ではないだろう。性格はキレすぎて誰も付き合える気がしないが。こいつには慣れたものなのか一切の動揺を感じない。
しかし根っからの庶民たる俺は違う。現に二割は俺に注視しているようだ。恐らく好奇心だろう、あの男はどう言った経緯であんな美少女と一緒にいるのか、まさか付き合っているのか?といった野次馬根性と思われる。
なんて、心中で考えた瞬間思わず自分でも失笑してしまった。ないない有り得ない。こいつと恋人?なんの罰ゲームだ、それは。
そう思う一方で、少し。
この状況を楽しんでいたことを否定しきれない俺がいない事もない。
俺の内心を知ってか知らずか、いつのまにか周りの視線を独占する美姫は、眦を挙げて叱咤する。
「だから貴方にはごく一般的な感想を聞いているの。服そのものへの評価ではなく由比ヶ浜さんにはどんな服が似合うかを考えなさい。これは似合ってる、これはイメージと違うなんて風に」
「それこそ愚問だ。あいつなら何でも似合うさ」
「…本人のいる所で言いなさい、そういうことは」
「はいはい」
軽口を交わしながら、入った服屋でセーターの手触りを確かめる雪ノ下。その所作は丁寧で、横顔も柔らかかった。こいつにとって親しい同性自体が貴重なものなのかもしれない。
俺自身そうだろう。休日返上して他人の為にこんな人混みの中にくるなんざ真っ平ごめんだが、由比ヶ浜なら、彼女がそれで喜ぶなら仕方ないと諦められる。
猜疑心の塊たる俺と過剰なまでに嘘を嫌う雪ノ下の、調停者の役割たる由比ヶ浜。白状すると、奉仕部が成り立っているのは彼女の存在が大きい。
雪ノ下一人では正道過ぎる、俺一人では邪道過ぎる。二つをちょうど良くミックスしてそれとなく良い方向へ向けているのが由比ヶ浜だ。
「だからこそ悩ましいわね。一体なにをあげたら由比ヶ浜さんは喜ぶかしら。衣服は、種類が多すぎてなにを基準に見れば良いのか分からないし」
「ならアプローチを変えてみるか。自分が貰って嬉しいものをあげれば良い」
「なるほど。参考までに貴方は、何か欲しいものとかある?」
「金」
「死ね」
死ねって。雪ノ下にしては随分とストレート且つ短い罵倒だった。新鮮というか、その冷たい目線も合わさって背筋がゾクッとした。
不味い、特殊性癖にでも目覚めそうだ。
冗談は置いといて、俺が欲しいものか。
「本とか」
「それは私も嬉しいけれど。由比ヶ浜さんて、本読むかしら」
「頑張って雑誌くらいだろうな。…あと欲しいのは珈琲だな。缶コーヒーだけじゃ飽きてきたし」
「…なるほど」
何か琴線に触れるものがあったのか、頷いてる。こいつは紅茶派だから、何処ぞの品種の茶葉なんてあげるのかもしれない。
「他の手段としちゃ、料理関連とかどうだ。あいつ最近色々作ってるって言ってたし。前貰ってのはどっちかって言うと木炭だったが」
「それなら、エプロンなんてどうかしら」
近くにあった料理道具店に入ると、直ぐに目に入ったのか一着選んで鏡で自分の体に当てる。大人しめのデザインのエプロンだ。咄嗟に選んだ分、雪ノ下自身の好みが出たのだろうか。
「どう、かしら」
「しっくり来るな。可愛いと思うが」
「…ありがとう。けれど、私にしっくり来ても仕方がないわ。由比ヶ浜さんへのプレゼントなのだし」
「あいつはもっとふりふりポワポワしたヤツのが喜ぶだろ」
「その連続した
これにしましょう。そういって、ピンクのエプロンを選んだ雪ノ下は、最初に選んだ方も一緒に持ってレジに向かう。二つあげるのか、それとも雪ノ下自身の分か。一緒に料理でもするのだろうか。
その時は味見役にされないことを切に願う。
そこで空気を割くような声がした。
「あれ、雪乃ちゃん?」
声だけで美人と分かるそれに、びくりと反応する雪ノ下。ばっと振り返り、ほんの少し後ずさりをする。警戒する野良猫みたいだ。
「…姉さん」
店の入り口には、これまた綺麗な女の人が立っていた。大学生くらいか。雪ノ下と同じ見事な烏羽色の髪に、ほんの少しメッシュの入ったボブヘア。にっこりとした笑顔と、香り立つ仄かな香水。理想の女性を体現した美女だ。
恐らくサークル仲間達に頭を下げて、輪を抜ける雪ノ下の姉。何か話したい事でもあるのか、それとも雪ノ下と一緒に居る俺が気になるのか。後者だろうな、俺だって妹の近くに居る異性を見つけたら殺したくなる。
「雪乃ちゃんの姉の陽乃です。貴方は?」
「同じ学年の比企谷です」
「比企谷?…へぇ。ふーん」
言いながら、ふむふむと全身に眼をやる雪ノ下春乃。一瞬目が鋭くなるが、また直ぐに元に戻る。変わり身早ぇな。
「…うん。宜しくね、比企谷くん!それで、二人はいつから付き合ってるんですかー?」
「只の同級生よ」
「えぇー!只の同級生なら二人っきりでデートなんてする?」
「ま、恋人とかではないですよ」
「もう、君もムキになっちゃってぇー。かーわいい!」
うりうりーと指で頰を突かれる。するりと懐に入られ、気づけば間合いを詰められていた。
やばいなこの人。
内心冷や汗をかくが御構い無しにツムツムと頰を連打される。反応の薄い俺に業を煮やしたのか更に密着しだす雪ノ下さん。その為肩には巨峰がむにむにと押し付けられる。
やばいなこの人。
「姉さん、いい加減にして頂戴」
ピシャリと吐き捨て姉の暴挙を止める妹。個人的は有り難いが、心なしか俺も睨まれてる気がする。堪能してたのバレた?
雪ノ下さんもその怒気にしゅんとしたのか、慌てて手を合わせて謝る。その仕草一つ可愛らしく、かつ手慣れた熟練の技である事を窺わせた。あざとい。
「あ、ごめんね雪乃ちゃん。お姉ちゃんちょっと調子乗りすぎちゃった。…じゃあそろそろ行くね、比企谷くん」
言ってるそばから内緒話をする為か最接近を仕掛けてくる。だがもう同じ手は食わない。
両手を交差させ、大きく一歩後ろに退がる。小学生がよくやるバリアーのポーズを繰り出した。予想外の展開にきょとんとした雪ノ下さんは、こてんと首を傾げた。
「えーと。お姉さん何か悪いことしちゃったかな」
「はい。俺に優しくしました」
「うん、これまた意外な返答だ。もしかして君って俗に言うマゾなのかな?」
「違いますよ」
世間一般でのマゾとは、虐げられる事に性的な悦びを感じる嗜好を持つ人を表す。忌避などする訳もない。人間誰しもサドでありマゾだ。
但しそれらはパートナーが居る前提の話だ。従って俺はマゾではない。
「親父から継承した比企谷家男児家訓の一つ。『優しい美女には気をつけるべし』が発動しただけです。お気になさらず」
「悪しき風習とはこの事ね」
「これが加えられたのは親父の代からだ」
「しかも歴史が浅い…」
「ぷっ」
思わず出てしまった、と言わんばかりの声に俺と雪ノ下が眼をやる。
腹を抱えて笑いを堪える、雪ノ下陽乃の姿があった。
「アハハハハ!何この子面白ーい!」
先までの柔らかな表情は何処へ行ったのか、獲物を見つけたかのような嗜虐的な笑みを零す。恐ろしいが、俺としてはさっきのよりもこっちのがいい。
「雪乃ちゃんが気に入るくらいだからどんなかと思ったら。面白い子見つけたねぇ。けど、その態度はいただけないなぁ」
「えぇ、その方がいいですよ。眼とか腐ってるってよく言われるんで」
「そのいただけないでは無いわ」
呆れた眼で俺を見る雪ノ下だったが、姉に対し得意げに髪を靡かせる。長い黒髪がさらりと宙を舞った。
「これは凡そ一般人が持ち得る感性を母親の胎内に置いてきた男よ。籠絡も屈服も、掌握も一筋縄では行かないわ」
「お前普段そんなこと考えてんの?」
しかしうまいこと言うな。つまり妹の小町は二人分の常識を持っている。だからあんなにも処世術に長けているのか。
「もっとお話ししたいけど今日はこれくらいでね。じゃあね比企谷君!雪乃ちゃんと付き合ったら、お茶でもしようね!」
「俺珈琲派なので遠慮します」
フリフリと上品に手を振って去る。面倒なのと知り合いになってしまった。さて、と空気を入れ替える。
「買い物の続きだ雪ノ下」
「少し待ちなさい」
「あ?」
ずいと、目の前に雪ノ下の顔が接近する。今まで見た女性の中でもぶっちぎりで造形が整っている、非常に可愛い女の子とあと数ミリでキス出来る状況である。
「え、なに。近い近い」
「…私には発動されないのね、その家訓」
「それは、あーほらお前って優しさとは対極に位置するだろ。だから大丈夫だ」
「これほど失礼な『大丈夫』を聞いたことが無いわ」
「踏んでる、靴踏んでる」
「あらごめんなさい」
気が済んだ訳ではなさそうだが、子供っぽいと自覚したのか離れる。
或いは周りの目に気づいたのか、顔を赤らめている。姉に見惚れていた彼氏に嫉妬している、なんて思われているのだろうか。
「…比企谷君。質問いいかしら」
「内容による、お前の姉をどう思ったかとかの質問以外なら受け付けるが」
「まさしくそれが聞きたいのよ。追加で、貴方が姉さんを毛嫌いする理由も」
「
「あれは欺瞞の化け物だ。時に嘘で或いは真実で人を騙す。騙されまいという思いが強ければ強い程どつぼに落ちる。まるで泥沼だな」
「…人の姉を化け物だのどつぼだの泥沼だの、随分な言い草ね」
「お前こそ肉親を見る眼にしては中々に刺々しかったようだが」
「それは…」
言い淀む様子を見て形容し難い欲求が沸々と湧き上がる。聞きたい、聞かせて欲しい。今何を躊躇ったのか、何故顔を歪ませているのか。
雪ノ下雪乃の悩みを俺に教えて欲しい。
だがそんな事はおくびにも出さない。彼女が線引きしている以上、そこを踏み越えるのは俺のポリシーに反する。
「…ま、でも良かったな」
「何の話かしら」
話題を変えようと言葉を吐くと、これ幸いと乗っかる雪ノ下。それではいけないと思うが、それを言う資格は俺には無い。
「いやお前、姉に愛されてるじゃねぇか」
「はっ、アレの何処を見てそんな結論に至ったのかしら?」
「自分のグループを抜けてまで妹が悪い男に誑かされてないか確認する程だぜ」
「揶揄う為でしょう」
「んなの照れ隠しに決まってんだろ」
「あり得ないわ」
ツンとそっぽを向かれ、そうかよと口元を歪ませる。ツインテールの見た目も相まって拗ねた末っ子にしか見えない。
「それにしても驚いたわ。あの姉さん相手にあそこまで平常運転で居られるなんて」
「まぁ、身近に似た感じの人がいるしな」
「それは、随分とお気の毒ね」
「全くだ」
俺の言うあんな感じの人とは、言うまでも無く
他にも
「ボーダーじゃあれくらいの人間ごろごろいる」
「…そう」
ショッピングモール広間にて会話を終わらせ。さて、と立ち上がろうとした時。一匹の犬が吠えながらこちらに向かってきた。おいおい。
「ひ、比企谷くんっ」
迫り来る仔犬がこわいのか、俺を盾にする雪ノ下。頼られるのは男の甲斐性であるとは賛成できる。しかし、常に冷静沈着な雪ノ下雪乃がここまでビビっているのを見ると、嗜虐心がむくむくと湧いてくる。
重ねて言えば先の姉の件とは違って、微笑ましい弱点だからだろう。
よって意地悪したくなった。
飛びついてきたどこぞの飼い犬の首根っこを掴み、抱き抱える。
そして、雪ノ下に渡す。こわいくせに咄嗟に受け取ってしまうあたりが素直でいじらしい。
「えっ、ちょっと!…〜っ!!」
犬はがさごそと彼女の腕の中で暴れまくり、彼女自身はさっさと離したいが、急に落として怪我するのを躊躇ってか更に強く抱き抱える。
そうすると、条件反射で動物は逃げようともっと暴れてしまう。
悪循環にはまってしまってかどうするべきか分からずパニックになる雪ノ下は、少し涙目になっている。
「ひきがや、くん!っどうにかしてちょうだい!」
「今靴紐結ぶのに忙しいんだ」
「あなた、本当に、いい性格してるわね!」
しっかり結ばれているのを態々崩し、もう一度蝶々結びを施しながらそのパニック振りを堪能する。息を荒げた獣(仔犬)の体液(よだれ)に、その美しい
言葉にすると、何やら危ういものを感じる。
いかん、俺捕まるかもしれん。
「ほれっ」
頃合いを見計らって雪ノ下から仔犬を取り上げる。
先までの珍妙な持ち方ではなく両手で前脚の付け根を掴みバランスがとれた為か、仔犬も嘘のように大人しくなった。
「大丈夫か?」
「よくも、ぬけぬけとっ…。絶対に、許さないわっ」
対する雪ノ下は疲労困憊と言った具合で息を弾ませていた。
服ももみくちゃ、顔はよだれ塗れ。しかし殺意は充分なのか、ゴゴゴと背後に炎が見える。やっべ、やり過ぎた。
そこで救いの手が差し伸べられた。
「すいませぇ〜ん。うちのサブレが、ご迷惑をー!」
聞き覚えのある声に、二人してそちらに眼を向ける。
ペットの飼い主と思わしき人物は、やはり由比ヶ浜結衣だった。
「あれ、ヒッキーとゆきのん!?こんなトコでなにしてんの?」
「んな驚くことかよ。俺だって欲しい物とか有れば出掛けたりする」
「服とか靴も全部お母さんとか小町ちゃんにお願いして、用があっても『そんなの無い、無い!』って自分に言い聞かせて来なそうじゃん!」
「お前には、俺が自己暗示してまで家に引き込むような奴だと思ってたのか?」
「ちがうの?」
「…否定は、しない」
『違う』と言おうとしたのに、純粋無垢な瞳に思わず否定に否定形を付けてしまった。そんな俺に対し疑問への追求をしようとして、由比ヶ浜は雪ノ下の惨状に気づいたらしく慌てて彼女の元に駆け寄った。
「ゆ、ゆきのん?もしかしてサブレのせいでこんなに?」
「…いいえ、なんでもないわ。御免なさい由比ヶ浜さん。いきなり会って恐縮なのだけれど、少し席を外すわね」
「あ、うん」
「由比ヶ浜。化粧室まで付いてってやってくれ。この犬は俺が見とくから」
「わかった」
五分後、何事も無かった様に戻って来た雪ノ下と申し訳なさそうに後ろを歩く由比ヶ浜。が、俺を見ると八つ当たり気味に怒りだした。
「ヒ、ヒッキーサブレで遊んじゃだめ!」
「元はと言えばお前が
「うっ…。そ、そう言えば、結局二人で何しに来たの?」
図星を突かれ話題を逸らす為出された疑問に、今度は俺が言葉を窮する。別にサプライズを企画していた訳ではないが、言っても良いのか。チラリと雪ノ下を見ると、彼女もまた打ち明けるかどうか迷ったような顔をしていた。
その様子を見て何か悟ったのか、由比ヶ浜はあ、と問うて来た。
「もしかして…デート?」
「まぁそうなるな」
ふーん、へー、そうなんだぁ。
所謂ジト目というやつで俺を見やる由比ヶ浜。
怖くはないが、謎のプレッシャーがあった。
「ヒッキーのばか」
トドメの一言に降参の意を示す為両手を挙げるが、お許しは得られなかった。ばか、おたんこなす、はちまんと続けられる。
おい八幡罵倒じゃねぇだろ。
「…まぁ、そういうことならあたしはおじゃまか。うん、もう行くね」
「いや、なんなら今から何処か寄るくらいなら」
「ヒッキーは黙ってて」
遂に黙秘すら義務づけられ、口を閉じる。
じゃあね、ゆきのん。そう言って背を向けようとする由比ヶ浜を、雪ノ下が呼び止める。
「その、月曜日に部室で渡したいものがあるの」
「え?あ、わかった。放課後に部室ね。うん、絶対行く!」
スキップ混じりに遠ざかっていく由比ヶ浜を尻目に、俺と雪ノ下の間には沈黙が座していた。疲れた、もう帰りたい。
だがしかし、当初の目的は未だ遂行されていない。
「…さて、サクッと決めてさっさと帰ろうぜ」
「同感ね。少し疲れたわ」
◆
翌日、即ち日曜日。
ボーダー本部ではC級隊員の
それが失敗だったらしい。
「…」
「…どうも」
ばったり、風間隊三人と遭遇した。
生身なのか、大学生の風間蒼也と高一の歌川遼、菊地原士郎共に私服である。会釈だけしてサッサと退散しようとするが、風間さんに「面を貸せ」といわれ休憩用のブースに連行された。
逃げようするが、両脇を歌川と菊地原に捉えられる。
流石風間隊。無駄の無い無駄な連携。
「引き篭もり先輩が珍しいですね、まだ日が出てる時間にうろうろしてるなんて」
「おい!失礼だぞ菊地原。ヴァンパイアみたいに言うなよ」
「…いや、まあ確かにそうだが」
ほら、自分で認めてるしいいじゃん。
口を数字の3にしてぶーぶーと文句を言いながらストローを咥える菊地原。こいつの皮肉っぷりには慣れ、お約束と化している。
問題は席に着いてから何も言わないこの先輩だ。
俺の視線を感じたのか、風間さんは漸く口を開いた。
「
「何の話ですかね」
開口一番菊地原以上の痛烈な皮肉。怖い、怖いよこの人。
俺の精一杯の誤魔化しにぎろりと鋭い視線に晒される。
「…あくまでシラを切るか。ふん、まぁいい。蒸し返しても仕方がない話だ」
「なら俺はこれで」
座って1分で立とうとするが、次の言葉でフリーズする。
「先程、三雲修と模擬戦をした」
意味を理解すると同時に深く座り直り、投げ渡された缶コーヒーの蓋を開ける。
風間さんの話に興味が湧いた為だ。それが彼の術中だとしても、聞かずにはいられなかった。
「…結果は?」
「10戦中、一度引き分けられた」
驚いた。
あのメガネ少年が、
「烏丸は基礎しか教えていないという。お前の入れ知恵か?」
「俺だってトリガーの種類や基本ポジションを教えただけです。風間さんが何か見出したなら、それは三雲自身の才能ですよ」
「えー、あれに才能とか。ないない」
俺が三雲と面識があることを前提に問われる。烏丸から何を聞いたのかは知らないが、完全に俺は玉狛派だと思われてるな。
「確かにこれといって目立つ才能があるわけではない。が、少し興味を持った。持たざる者なりの技巧といった部分は、比企谷。お前と共通するものがある」
「…そうですか」
その台詞に不思議と力が篭っているように思えるのは、彼もまた俺と同類だからだろうか。
ボーダー総合一位にして
端的に言って、太刀川慶は天才だ。在籍する大学では留年も危ういなどと言われ、周りに迷惑もしばしば。
それでも彼が最強であることを疑問視する者は居ない。
その事に風間蒼也は何を想うか。無論ボーダー隊員としての能力や、隊長としての器という事ではまた別の話だが。やはり、そのあり様に嫉妬や煩いの類いを感じないのか。
これ以上の詮索は無粋だろう。俺自身、
何を言ってもつまらない答えになるのは目に見えているから。
「そろそろ、失礼します。珈琲ご馳走様でした」
「あぁ」
今度は引き止められず、脱出に成功する。もう帰ろう。そうして油断したところに、背後から問いを投げかけられる。
「迅は何を企んでいる?」
恐らく一番の本題であろうが、それを聞く相手を間違えている。過大評価だ、あの人からすりゃ俺だって只の駒の一つだ。
「それを聞いてどうするんですか?」
「どうもしない。ただまた邪魔をされるのは面倒なだけだ」
「…玉狛第二の編成が迅さんの大まかな狙いだった。ってくらいですね、分かってるのは。それが達成された以上、暫くは大人しくしてるのでは」
「あの男がか?」
「…」
俺の渋い顔を見て面白げに笑う風間さんに、先程から空気を読んで黙っていた歌川と、歌川に口を抑えられていた菊地原が眼を見開く。
だがそれ以上の爆弾発言に俺も絶句する。
「比企谷、俺の部隊に来る気はないか」
「風間さん!?」
「は?」
「まぁ聞け、お前ら」
歌川の驚きと菊地原のキレ気味な視線もどこ吹く風、淡々と自分の考えを示していく。ていうか菊地原こわいよ、そんなに俺が嫌いか。
「
難点としては強みである連携が崩れる事だが、比企谷ほどの狙撃技術があれば慣れるのに時間はそう掛からないだろう」
話を聞くにつれ納得の表情が浮かぶ歌川に反し、どんどん不機嫌になっていく菊地原。
「どうだ、悪くないだろう」
「嫌です」
「嫌ってお前、何言ってんだ」
「こんなのが僕たちの部隊とか、無理です無理」
生理的に無理、舌を出して宣う菊地原にヘッドロックを掛ける歌川。
生理的とか言うな、トラウマ思い出すわ。しかし、風間さんには従順な菊地原がこうも一点張りなのは何故か。
答えは簡単。
「なんだ菊地原、もしかして妬いてるのか?」
「…は、?」
我らがリーダーが別の人を勧誘しているのを見て、ヤキモチを妬いてるのだ。そう俺は結論づけたが、真偽はいかに。
「いや全然違うんだけど?比企谷先輩頭おかしいんじゃない?」
違うらしい。
「そうかそうか。まぁ、それならそういう事にしておこう。…風間さんの言葉は有り難いですが、辞退されて貰えばと」
「…そうだな。俺としたことが、きちんと気を配っていなかったらしい」
そういって目を細める風間さん。その視線の先では今だに「いや、ないない。頭おかしいって、絶対」とぶつぶつと唱え続ける菊地原が居た。
もうこれで正真正銘話しは終わった。頭を下げて休憩室から出る。
少し歩き、曲がり角からチラリと振り返ると、三人連れ立って去っていく風間隊が遠くに見えた。菊地原が皮肉を交え、歌川が応える。時折風間さんが流して、それに更に二人が返す。そうして同じ道を往く三人。
ボーダー部隊でもチームプレイを重視する彼等は、アイコンタクト一つで複雑な戦術、連携をやってのける。そこに至るまで血の滲む訓練と、様々なドラマが有ったのだろう。
それはきっとかつて俺が最も欲し、そして求める事を辞めたものだ。
探している時はどうあっても見つからないというのに、諦めてから見せつけられるのは、何とも複雑な気分だ。
だからといって、
彼等の苦労も痛みも知らずに甘い汁だけを啜る害虫に成り果てる位ならば、ぐねぐねと地を這い足掻く芋虫で良い。
そう思うもふと、勿体無かったな、なんて後悔している自分がいた。
ご愛嬌と言い張るには些かばかり不躾だろうか。