足柄とコンビニまで来た私はとりあえず缶コーヒーではなく、その場で機械が淹れくれる珈琲を二つ買い、片方を足柄に渡した。
「いいわよ。これぐらい払うわ」
「大丈夫。経費で落とすから」
店員さんが渡そうとしなかったレシートを財布にしまった私は機械にコップをセットしてボタンを押した。
この時期はアイスコーヒーに限る。割高に思えるMサイズではなくてLサイズ。これにミルクを一個、シロップを二個入れるのが私流だ。
私と同じタイミングで機械に入れた足柄は出来上がると蓋もせずに飲み始めた。
「品が無いわね……」
「これが私流なのよ」
なるほど。彼女なりの飲み方というものがあるそうだ。
ミルクとシロップを入れ終え、蓋をつけてストローをさす。
さぁ、一口飲むわよ。というタイミングで私の携帯が鳴った。マナーモードにしている携帯が私のショルダーバッグを揺らす。
足柄が気を利かせて私の珈琲を持ってくれた。
「そんなに嫌な顔しなくても珈琲は逃げないわよ」
「悪いわね……もしもし?」
『叢雲か? グラーフだ。すまない。後ろからぶつけられた。この後合流できそうにない』
グラーフの声には苛つきがある。
「大丈夫なの?」
『私は問題ない。だが、派手にぶつけられてな。車とビスマルクから貰ったお土産がパーになってしまった。デュンケルだ。全て割れてしまった』
「ビールね。それよりも車の方が問題だわ。相手さんはなんて言ってるの?」
『逃げられた。というよりこいつじゃ追えないな。黒いランサーだ』
「らんさー? まぁ、なんでもいいわ。あとのことはお巡りさんに任せなさい。あなたのビール代もきっちり回収させるわ」
私は電話を切って足柄から珈琲を受け取った。
足柄は何かあったのかと言わんばかりに首を傾げている。こういう動作が素でやるから男慣れしてそうとか言われるんじゃないかしらね。
「グラーフの車がぶつけられてね。当て逃げされたのよ」
私は空いている手で足柄の肩を叩いた。
「……そういうのは陸奥の仕事よ」
「私は何でもいいのよ。ぶつけた相手から修理費が貰えればね」
「すっかり経営者になられて……それで、ランサーって言ってたわね」
「そうよ。らんさー? っていうのにぶつけられたらしいわ」
「型と色はわかるかしら?」
「黒って言ってたわ。型ってなによ?」
「あなた。あんなの乗ってるのに詳しくないの?」
「あんなのとは何よ。あの子はあんな小柄なのにターボなのよ!」
「知ってるわよ。エディツィオーネマセラティ。贅沢品意外何物でもないわ」
「あんなの呼ばわりしないで頂戴な」
そう。あの子は私の子だ。
OL時代に頑張った私が私の為に買ったご褒美だ。買ってすぐに艦娘になってしまったけど、あの子がいたから私は上司の小間使いも出来たし、那珂さんの厳しい訓練に耐えられた。あの子がハマショウを歌いながら適当に走るだけで全てがどうでもよくなる。
「悪かったわ。あなたの愛車だもんね」
足柄は珈琲に口をつけながら、私のアバルトを感慨深そうに眺める。
「いいものよ。好きな曲掛けながらゆっくり街中を流すのも。あなたも性能や実用性では無く、あなたが惚れた車を買ってみればいいのよ。いい額貰ってるんでしょ?」
「私には妙高姉さん。那智、それに羽黒もいるわ。みんなで出かけるために大きい車が必要なのよ」
足柄は少し羨ましそうな目で私を見ていた。
そうね。懐かしいわね。私もあの子に無理させて鈴谷と神通、摩耶を乗せて遠出をしたことがあったわね。買った時は後ろの座席に人を乗せることなんて考えてもいなかったわ。
「それに! 私はあなたみたいに古い趣味はないのよ」
「あら? 言ってくれるじゃない。古い趣味とはどういう意味かしら?」
「私はジョン様が好きなの」
「じょんさま? ヨン様的なやつかしら?」
「JBJ。そう言えばわかるかしら」
「私、アレックがいた時の方が好きなのよね」
「私はどっちも好きよ」
足柄。私と世代的にはいい勝負するんじゃないかしら?
ーーーー
日本人女性のことを大和撫子というらしいが、最近はこの大和撫子も絶滅危惧種になってきた。私はそう思う。
鳳翔さんほどじゃないにしろ、私は大和撫子だと思っている。何故なら私には控えめなところがあるからだ。横でハンドルを握り、上機嫌な陸奥とは違う。
ただ座っているだけなのに背中からエンジンの振動が伝わってくる。
「お前に足柄を預けたのは失敗だったのかもしれんな」
「あら? 通勤途中に車を壊した乱暴者が何を言っているのかしら?」
何も言えない。
今朝、寝ぼけていた私は間違って4から1に入れてしまった。
自分でも何故そんなことをしたのか。よくわかってはいない。ただ一つ無駄な動作が入ったことに気がついた時には既に左足を離していた。
「それに聞いたわよ。あなたが無茶苦茶な注文を明石と夕張にしたって」
「無茶苦茶とはなんだ。お前のこれほど無茶苦茶じゃない」
陸奥の無茶苦茶な車。NSX。国産スーパーカーと言えばいいだろう。
それも何故かオープン。私の髪をバタバタと風がなびかせる。
「仕方ないでしょ? 私は今日非番だったの。それなのに、あなたが足がないから来いと言うから仕方なく運転手してあげてるの。それさえなければ、私はお昼までゆっくり寝て、落語番組見ながら美味しい晩御飯と缶ビールで晩酌出来たというのに」
「奇遇だな。私も足柄という面倒な部下がいなければ、上からのお説教も無く、出来る部下にお前らの案件を押し付けて鳳翔さんのところで一献やってたはずなんだがな」
「でもそうも言ってられなくなったんでしょ?」
陸奥のいう通りだ。
元艦娘が武器の密輸に関与していた。あれは嘘だった。
いや、嘘ではない。元艦娘が武器を運んでいたことには変わりない。ドイツ製の銃火器を運んでいたのはビスマルクだということまではわかった。が、それはビスマルク、言い方を変えればドイツ経済界のご令嬢を警護する為の銃火器だ。
しかし、この国に持ち込まれる銃火器や弾丸と出ていく銃火器や弾丸の数字が合わない。
それは当たり前だ。私が正式な手続きをして受け取っているのだから。
しかし、ビスマルクがこの国に置いていく数と、私たちの手元に入る数が違う。
これはどこに流れているのか。その答えを摩耶は見つけだした。
「向こうは今頃大慌てよ。あなた達の弾丸をくすねているのがバレた。そしてあなた達が直接取りに行ったとなれば黙っていないでしょうね」
「偶然に偶然が重なり過ぎたな。そもそも、摩耶の白バイに発砲したのが向こうの落ち度だ」
「摩耶だってそこまでバカじゃないわ。拳銃を隠し持っている輩を見過ごすわけないじゃない」
「速度違反の高級外車をサイレン鳴らしながら煽り続けたのはどう説明するんだ?」
「成績が欲しかったのよ」
「どうだかな……どうせ途中で楽しくなって追いかけ回してたんだろうな」
「けど、そのおかげで大金星を上げることができたわ」
陸奥は軽くブレーキを踏んでハンドルを切る。
「おい! ふざけるな!」
屋根がないこの車には捕まることろがドアしかない。
「急いでるんでしょ?」
「向こうには足柄と野分がいる!」
「あら? 心配ね。任せて。すぐに送り届けて上げるわ!」
ーーーー
足柄さんの車に大量のビスマルクさんからのお土産を積んだ野分は、なれない大きい車、それも先輩である足柄さんの車を運転し横にはよく喋る鈴谷さんを乗せて疲れ果てていました。
足柄さんから送られてきた住所のコンビニに着くと、足柄さんは叢雲さんと呑気に珈琲を飲んでいました。
「すごいね! のわっち運転うまいね! 叢雲の次にうまいよ!」
「ありがとうございます……」
「何か甘いものでも買ってあげるよ! 元気出して!」
車から飛び降りた鈴谷さんは叢雲さんに片手をあげて合図をすると、コンビニの中に入っていきました。
野分は足柄さんに車のキーを渡して報告をしました。
「ビスマルクさんから日向さん宛の荷物。そして野分たちにとお土産をいただきました」
「ご苦労様。日向宛のお土産をって何よ?」
「中身は見ていませんが、なんでも頼まれていたもの、だとか」
「怪しいわね。まぁ、開けたら何言われるかわからないし、そのままにしておきましょうか」
「そうですね……」
足柄さんとそんな話をしていると青葉さんのインプレッサ、摩耶さんのR1000が煩い排気音を響かせながら入ってきました。
「うっるさいわね!」
「叢雲さんの車も人のことは言えないと思います」
「私のはいいのよ」
そんなことを話していると、コンビニでの買い物とは思えない量のビニール袋を持った鈴谷さんが野分にアイスを差し出しました。
「ほい。のわっち」
「ありがとうございます」
鈴谷さんからスイカバーを受け取り、袋から取り出して一口。
この種のチョコチップが美味しいんですよね。
「まだまだいっぱいあるから遠慮しないでね」
鈴谷さんはニッと笑うと、袋の中に入っているアイスを見せてくれました。
「じゃあ私はこれに……」
叢雲さんが袋の中に手を伸ばそうとすると、鈴谷さんはバッと袋を遠ざけました。
「……勝手に鈴谷を置いていった叢雲にはあげない」
「何拗ねてんのよ……」
「ふ〜んだ! のわっち。二人で食べようね!」
正直、痴話喧嘩に野分を巻き込まないで欲しいです。
「そう言えば、グラーフさんは? 野分たちより早く出ていかれましたけど」
「その件で仕事が入ったわ。グラーフの車に当て逃げした黒いランサーを探さないといけないのよ」
「当て逃げ!? グラーフは大丈夫なの!?」
鈴谷さんが驚いた様子で聞くのに対して、叢雲さんは冷静でした。
「グラーフ自身は無事よ。まぁ、あの子が単純な事故で怪我するとは思えないけどね」
「ならよかった……」
「それより鈴谷。その中に入っている抹茶アイスを私に寄越しなさい! 私はいま抹茶の気分なのよ!」
「……あげないもん」
「あなたも野分も抹茶なんて食べないでしょうに」
自信満々に言い放つ叢雲さんに対して何か言いたそうな鈴谷さん。
野分は鈴谷さんの持っていた袋の中から高価そうなやつのチョコレートを取り出しました。
「鈴谷さん。スプーンがありません」
「あっ……のわっち、ごめん。貰ってくるね!」
鈴谷さんが慌てて店内に駆け込んでいきました。
「叢雲さん。謝ったほうが……」
キンキンに冷えているアイスを両手で包み込むように持ちながらそう言うと、叢雲さんはため息をついて答えました。
「謝れば調子に乗るのよ」
何故でしょうか。日向さんに謝られた足柄さんが自慢げにしている映像が頭の中に浮かびました。
「のわっち? 何で私を見ているの?」
「いえ……別に……」
「ごめん! のわっち、お待たせ!」
帰ってきた鈴谷さんはそう言うと、野分にプラスチックのスポーンを手渡してくれました。
「ありがとうございます」
「じゃあアタシはレモン貰うぜ!」
「青葉はミントをいただきますね!」
「じゃあ抹茶をもらうわ」
「仕方ないわね。ソーダを貰うわ」
摩耶さんと青葉さん、それに便乗した叢雲さんと足柄さんにアイスを取られ鈴谷さんはどこか不満そうです。
「まぁ、いいけど」
「……そう言えばあなた。財布の中に二百円しかないって言ってなかった?」
叢雲さんがそう言うと、鈴谷さんはビクッと肩を震わせました。
そんな鈴谷さんの様子を見た、叢雲さんは睨むような目つきになりました。
「あなた。まさか会社のカードを私の了承なしに使ったんじゃないでしょうね……?」
「ちゃんと仕事に使うものも買ったし! ほら!」
鈴谷さんは慌てて袋の中からファッション雑誌を取り出しました。
「……なんで付録付きのものしかないのかしら?」
「そっちのほうがお得かな〜って……」
「オーナーなら自分のブランドの物を持ちなさいよ!」
ーーーー
その後、皆さんと別れて、野分と足柄さんはオフィスに戻ることになりました。
「結局、何も掴めずでしたね」
「そうね。新しい仕事が増えただけ……ね」
ハンドルを握る足柄さんの目が少し険しいものになった気がしました。
「足柄さん?」
「ちょっと飛ばすかも。つか……」
足柄さんが言い終える前に、助手席のドアが野分に襲いかかりました。
「んにゃ!」
足柄さんの慌てた声。そして目の前に迫る中央分離帯。
足柄さんの車はそのまま中央分離帯に乗り上げました。目の前の視界が一回転、二回転。
ガンッ!
何かが金属を叩くような音で野分は目が覚めました。
真っ白な何かが目の前にあります。
「エアバッグ?」
ボンヤリとする意識の中で、野分の頭に血が上っていくのがわかりました。
しばらく……とはいっても時間的には30秒程度でしょうか。助手席側のドアを乱暴に開けられたかと思うと、野分は外に引きずり出されました。
「大丈夫?」
「はい。野分は大丈夫です」
「そう。ならよかったわ」
声の主は足柄さん。いつもより声のトーンが数段低いです。
ボンヤリしていた意識がはっきりとしてくると、足柄さんは頭から血を流し、顔の右半分が赤く染まっていました。
「足柄さん! 大丈夫ですか!」
「割れたガラスで切っただけよ」
足柄さんは野分の頭をポンポンと叩くと、ひっくり返っている車をじっくりと眺めていました。トランクが開けられ、野分が積んだはずの荷物がありません。
「足柄さん! 日向さん宛の荷物がありません!」
「そんなことどうでもいいわ」
怒ってる。握りしめられた拳が震えています。
「足柄さん?」
恐る恐る声をかけると、足柄さんは睨むように野分を見ました。
「のわっちは日向に連絡して頂戴。グラーフの事故とこの事故、無関係じゃないわ。次に狙われるのは叢雲達か青葉、摩耶の誰か。青葉と摩耶はほっといても大丈夫だけど、叢雲達が危ないわ。直ぐに保護してもらうように日向に伝えて」
「了解しました……足柄さんは……」
「私はやることが出来たから」
足柄さんはそう言うと、タクシーを捕まえて、運転手さんを脅すとどこかに走っていきました。つまり、この事故の処理は野分にやれということでしょう。
ーーーー
足柄と別れ、帰る方向が同じだった青葉と一緒に信号待ちをしていると、黒くてうるさい車数台が私たちの二台を囲んだ。
バックミラーを見ると、青葉が興味深そうにその車を眺めている。
「似た者同士……って感じかしら?」
青葉の車と大きさや雰囲気はなんとなく似ている。
けど、うるさい車に囲まれるのはあまり好きじゃない。少しだけアクセルを煽っておく。
私は信号が青になると同時にポンとクラッチを離して繋いでやると、軽くホイルスピンをしながら急発進をする。
けど、それが正解だった。
「嘘でしょ……」
横にいた黒い車が急激な幅寄せをして割り込もうとしたからだ。
青葉はシレッとそれを避けると、急加速をして私の後ろにピタリとつけた。
「叢雲! 安全運転で帰ろうよ!」
何も知らない鈴谷が怒る。けど、それどころじゃない。
後ろからドンっと小突かれた。
目の前には高速の入り口。
「ちょッ……ちょっと!」
「ナニ!?」
「私にもわからないわよッ!」
ブレーキを踏んでも止まらない。というより、後ろの青葉に押されている。
「何考えてるの!?」
バックミラーで青葉を見ると、青葉は真面目な顔で「前を見ろ!」だか「早く行って!」だかわからないジェスチャーをしている。
私は訳の分からぬまま、料金所のバーを突き破り高速に乗った。
幸いにも、高速の交通量は少ない。すんなりと本戦に合流し、文句を言おうと青葉の車に並ぶ。
「うわっ……」
鈴谷が声を漏らす。私は何も言えなかった。
青葉の車の後ろ半分がべっこべこに凹んでいた。恐らくあの黒い集団に当てられたのだろう。青葉は横にいる私たちに早く行けとジェスチャーを送っている。ふとバックミラーを見ると、さっきの黒い車が追いかけてきた。
「鈴谷……しっかり掴まってなさい……」
「他にすることは?」
「110番して。それから出来れば足柄達に連絡をして頂戴」
「足柄達の番号は知らないけど……とりあえず摩耶に連絡する」
「いつもこれぐらいの判断してくれると助かるんだけどねぇ……」
「そんなこと言ってる場合ッ!?」
鈴谷の言う通りね。
私はギアを下げ、タコメーターの針をトルクバンドに放り込んだ。