エアコン(すずしい)   作:薄いの

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エアコン(すずしい)

 午前九時。やかましく鳴り響く目覚まし時計の音。

 平日より遅めに設定したそれは、確かに役目を果たして、俺は情けない呻き声をひとつあげ、目元をぐしぐしと擦りながら目を覚ました。そして、未だ鳴りやまぬ目覚まし時計に一撃チョップを入れて、黙らせる。ぐっもーにんぐ、俺。

 

 自堕落な休日が始まる。

 季節は夏。しかし……あれだ。

 いささか午前中にしては遅い時間だとしても暑すぎやしないだろうか。

 喉元を汗が伝うのを感じる。

 

 田舎の母親から送られてきたぷりてぃーなクマさんの柄入りのパジャマの袖を捲り上げながらひとつぼやく。ちなみに、最初は嫌がらせかよクソババアと思ったパジャマの柄だが、同封されていた便箋にマイスゥイートシスターな妹ちゃん(8歳)が選びました!って感じの意味合いのことが綴られていたので愛用している。嗚呼!妹ちゃんよっ!キミのにぃにはヒートアイランドな都会で今日も頑張ってるよ!(はぁと)

 

 若人特有のセンチメンタルに満ちた哀愁(多分)っぽいものにしばらく浸り、ふと現実に帰る。

 

「あっち゛ぃ……」

 

 やっぱ都会ってクソだわ。田舎に……いや、妹ちゃんのところに帰りたい。

 

「エアコン、付けますか?」

 

「頼むわ」

 

「はいっ! 承りましたっ! 前回の設定どおり25℃で自動運転しますねっ!」

 

「おう」

 

 にしても今日は暑い。

 シャツの襟をひっつかんで、掌でそこをぱたぱたと煽る。

 

「あっ! ダメですよぅ。そんなことして伸びちゃったら後で後悔しちゃいますっ!」

 

「あぁ、わりぃ。そうだった」

 

 実家に帰った時にだるだるになったクマさんなんてマイスウィートシスターに見せる訳にはいかないのだ。

 危ないところだった。

 下手をすればやけに横幅が伸びて楕円みたいになった悲しいクマさんが生まれてしまっていた。

 

「ありがとうな」

 

「いえいえ、とんでもない」

 

 彼女は涼やかに微笑みを浮かべて、そう答えた。

 銀の、というよりは灰色、鼠色といえばいいのだろうか、珍しい色の髪をしていた。ちょこんと正座をしている彼女のその長い髪はフローリングの床にさらさらと広がっている。真っ白なワンピースがよく似合っている。

 

 翠の瞳、まるでエメラルドを嵌め合わせたかのようなそれが真っすぐに俺を見つめている。

 見たこともないような美人さんに見つめられて、俺は心の中にぽつり、と落ちたインクが広がっていくような感情の高まりを確かに感じていた。心臓が跳ねる。視線を真っすぐに返すことが出来ない。

 

 ぱくぱく、と口元を動かし、一つ唾を飲みこむ。

 そこまでしてようやく声が出た。それはまさに俺の心から濁流のように溢れ出てくる感情だった。

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? 幽霊いやぁぁぁぁぁぁぁッ! 誰!?誰なのっ!?オマエ誰なのっ!? いにゃぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 俺はこの日、人生で一番大きな声で叫び声をあげた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「実は私……エアコンなんです。気づいたらこうなってて……その……」

 

「マジか」

 

「えへへっ! でもよく考えたらあんまり問題ないですよねっ!」

 

「せやな」

 

 自分をエアコンだと思い込んでいる一般人のヤベー女はそうのたまってから照れ臭そうに笑った。可愛い。でもそれ以上に中身がヤバくて萌えられない深刻な不具合。はやくクラシ〇ンに電話しなくちゃ。しかも、さっきからペンギンのように両手をパタパタと動かす奇行を繰り返している。めっちゃ怖い。……ふぇぇ、にぃに、実家に帰りたいよぉ。

 

「あのさ……その……言いにくいんだけど、さっきからその腕パタパタしてるのってなに?」

 

「スイング機能です」

 

「スイング機能」

 

 スイング機能。つまりはまぁ、あれである。エアコンの吹き出し口にある敷居みたいなのが上下するのである。詳しくはないからあんまり知らない。というか知ろうという状況にならない。どう使えばいいのかすら知らない。

 

「えっと、ですね。ほら、パタパターって」

 

 エアコン(仮)は少しだけ困ったような曖昧な笑顔を浮かべて俺にパタパタ(意味深)をしてくる。可愛い。しかし、その瞬間、瞳を濁らせていた俺に猛烈な風が吹き込んできて、前髪が風に攫われる。

 

「わわっ、ちょっとイキんじゃないました! うぅー。ごめんなさぁい」

 

 恥ずかしそうにして、少しだけエメラルドの瞳潤ませて目を逸らすエアコン(仮)。可愛い(思考停止)。

 

 ふと、エアコンの元々設置されていた壁へと視線をやる。

 そこには真っ白な壁紙。エアコンの設置されていた工事跡すらない。さらに言えばエアコンの置いてあった長方形の形だけ壁紙が焼けていなかった。壁紙はともかく工事跡すらないというファンタジー。もしも、もしも、エアコン泥棒が居るとして、俺が寝てる横でエアコンの取り外しをして、工事跡綺麗にしていく泥棒がいるのか。いないだろう。

 

 つまりは、あれだ。

 

 端的に言ってエアコン(仮)はエアコンの精霊っぽいなにかだった。

 ただでさえ低いIQが更に下がりそうだった。

 

「涼しくて可愛いなんて俺のエアコンはすっげーなっ!」

 

「そ、そんなっ、涼しいなんて……照れちゃいますぅ」

 

 半ばヤケクソに叫んだ俺の言葉にエアコン(仮)は両の掌を頬にあて、恥ずかしそうに腰をくねらせた。

 可愛いじゃなくてそっちで照れるのかよ。

 

 俺は考えるのを辞めた。

 

 

 だが、この時の俺はまだ知らなかった。

 所詮は道具であり、家電。

 そう思っていたエアコンに、俺は、人類は勝つことが出来なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あくる日。

 

 その日、俺は朝起きて、そのままパジャマを洗濯かごに投げ込み、シャワーを浴びた。

 どこにだってある、なんてこともない日常の一幕だ。

 しかし、それもここまでは、なのだが。

 

 腰にタオル一枚だけを巻いて、戻ってきた俺を見て、エアコン(仮)は少しだけ気まずげに、僅かに頬を染めていた。オラッ!エロエアコンがっ!発情してんじゃねーぞっ!ふはははははっ!そうだ!こいつは家電なのだ。セクハラなんて罪が適用されようはずもない。そして、問題があろうはずもない。問題があるのは多分俺の頭だ。俺は内心エアコン(仮)を見やり高笑いしていた。

 

 そう、俺は家電の暗黒面に墜ちていた。

 言うならば暗黒エアコン使いだった。設定温度は28℃じゃくて25℃だし、エアコン相手に無情のセクハラまでかます。

 

 世界広しと言えどわざわざエアコン相手に根気強く倫理と貞操を何年も説いてから、そのエアコン(美少女)にセクハラをカマす、暗黒エアコン使いは俺一人だろうことは分かり切ったことだった。

 

「ダ、ダメッ! も、もうこんなこと、やめましょう!」

 

 エアコンの翠の瞳は僅かに涙を湛えており、これから引き起こされる、いや、コイツの中では、これまで引き起こされていた恥辱の記憶が繰り返しリピートされているのだろう。

 

「ふんっ、知ったことか!」

 

「あぁ、そんな……」

 

 俺は縋るようなエアコン(仮)の声を無視し、腰に巻いたタオル一枚で歩き出す。

 

 湯沸かしポッドに水を満タンまで入れて―――電源を入れる。

 

「ダメ……ダメぇ……」

 

 どこか甘えるような、艶のある声音でエアコン(仮)が呻くような声をあげた。

 

「ククク……」

 

 喉の奥で笑い声を噛み殺すように嗤う。

 そして。

 パックごはん(200g)をレンジに入れて―――加熱する。

 

「もう……無理……無理なんです。これ以上は……」

 

 エアコン(仮)は息を荒くして、喘ぐように言う。

 実際、限界が近いのだろう。ぶぉーん、という電子レンジの駆動音がやけに響いて聞こえる。

 

「さぁ、次で最後だ。はははははっ!」

 

「やめてぇっ!」

 

 エアコン(仮)が俺の腰に縋りついてくる。

 こいつ、俺が半裸なのもお構いなしだ。というか、なんでタオル掴んでんの、やめてぇっ!タオル握ってる手の方に力入れるのホントやめてぇっ! 外面だけクールを保ったまま、俺は液体洗剤と柔軟剤をぶち込んで洗濯機のスタートボタンを押し込んだ。

 

「あっ……なんでっ、なんでぇっ!? こんな……」

 

 無慈悲にも、ざばざば、と洗濯槽に水が注がれていく音が響く。

 

 エアコン(仮)が涙を瞳一杯に浮かべ、俺の腰のタオルを引っ掴み肩に縋るようにもたれ掛かりながら甘く囁く。

 

「こんなの……堕ちちゃう……堕ちちゃうぅ……」

 

 賢明な皆様ならご存知だろうが、家電がいつも同じだけの電力を使うわけではない。そしてこの安アパート、電気の契約が安い、つまりは速攻でブレーカーが落ちるのだ。マジ不便。湯沸かし器、電子レンジ、洗濯機、そして――エアコン。現在、この電気バカ食い勢が同時稼動している。―――つまりは、そういうことだ。

 

「ほら、洗濯機の給水が終わって回り出しちゃうぞ」

 

「あああぁぁぁっ! 堕ちるっ! ブレーカー堕ちちゃうぅぅぅぅっ!」

 

 無慈悲にも。

 洗濯機から響く水音が止まる。

 電力消費の少ない「給水」モードから――大量の電気を使う「洗い」モードへと。

 

 瞬間。

 バツン、と弾けるような音。

 

「―――あっ」

 

 部屋を照らしていた照明が消え、部屋中の家電の殆どが沈黙する。

 

 ――そう、縋りついていたエアコン(仮)もだ。

 力を失い、ずり落ちそうになる彼女の身体を横抱きに、お姫様だっこのような形で抱える。両の手足はだらんと垂れ、まるで死人のようだ。

 

 エメラルドのように輝いていた翠の瞳。

 それも今や光を失い、まるで深緑の硝子玉のようだった。

 

 俺はエアコンの身体(本体?)をベッドの上にそっと横たえる。あと、ついでにちょっと服の肩のあたりとかそこはかとなくはだけさせておく。脚とかもちょっと下品にならない感じに開いてみる。瞳のハイライトが消えているのが微妙に闇を感じさせもないような、妖しくて絶妙だ。本当コイツは喋っても喋らなくてもエロい。なんて、けしからんエアコンだ。現場保存のためにスマホで何枚か写真を撮っておく。

 

 

 

 暫くして、満足した俺は、踏み台に乗ってブレーカーをあげて、パックごはん(200g)をもう一度温めなおした。

 

「ひ、ひとの身体で遊ばないでくださいっ!」

 

「でもお前エアコンじゃん」

 

「エアコンの身体でもダメッ!」

 

「えー」

 

「あと、いい加減服着てくださいっ!」

 

 電気とともに復活し、両手をぱたぱたして、ガンガン冷気を吐き出すエアコン(仮)に滅茶苦茶怒られた。ぶっちゃけめっちゃ寒い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人はエアコンには勝てない。

 つまりは、この結末は必然だ。

 

『秋は電源切っておまえのこと押し入れに転がしておいていいかって、あはは、冗談ですよね。あの、冗談……? やだ、やですぅぅぅ! 目が笑ってなぁいいいいっ!』

 

『だ、ダメです。私が、壊れちゃう……あっ、ど……ドレンからお水、お水でちゃいますぅぅぅ! ごめんなさぁいっ!!』

 

『ほ、本当に私なんかがいいんですか? 私、家電なんですよ。それにいろんな人に使われてきた中古エアコンです……。汚れたエアコンです! 室外機だって雨ざらしで汚れてるんですよっ! すいません! エアコンの分際で調子乗って催促しましたからその痛そうな亀の子たわしで室外機掃除しようとするのやめてくださぁいっ!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 幾度も季節が廻り、年が幾つ過ぎただろうか。

 

 いつしか俺が相応に歳を取り、それなりに稼ぎが増えて、この安アパートを巣立つことになった。

 流石に手狭になったというのもあるし、通勤の都合上もっと良いところが見つかったところもある。

 

 長い間お世話になった大家さんに手短に挨拶を済ませ、俺は本題に入る。

 珍しく上下でスーツをきっちりと身に纏った俺は、深々と頭を下げる。

 

「うちの部屋のエアコンさんをどうか俺に身請けさせてくださいっ!」

 

 頭を下げたまま、沈黙していると、大家さんは俺の掌になにかを握らせて「困ったらいつでも頼っていいんだよ」と優しく肩をひとつ叩くと、俺に背中を向けて去っていった。

 

 大家さんの暖かな言葉に涙が出そうになった。

 俺が二つ折りにされて握らされていた掌の紙を開くと近所の心療内科の先生の名刺だった。

 

「ありがとう大家さん」

 

 良かった。大家さんが正常な感覚の善人で。

 溢れ出てくる涙は大家さんの優しさに触れたからだ。そういうことにしておいて欲しい。……やっぱつれぇわ。

 

 俺は最後の月の賃料の振り込みにエアコン代を上乗せすることを密かに誓った。

 




 ◇

暑さで色々見失いました。
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