新人提督の赴任から暫くの時が過ぎた。
その内面に反して、一見は冷たそうな容姿故に近寄りがたい雰囲気は作られてはいたが、
トッコウを使わずともそれなり以上には成果を上げる提督への信任は厚くなっていた。
提督にはその理知的な容姿や、ふわっとした口調からは想像が付かない様な、極めて攻撃的な戦術を多用する傾向が見られた。
敵をデコイで奥深くまで引き寄せてからの、先行させた艦による側面攻撃。
極めて高い反応速度と練度、体力、度胸、そして運が要求される戦い方を好んだ。
サッカーで言うところのカウンターアタックである。
余談ではあるが、最初期のサッカーのゲームでは、サイドカウンターから、鋭角のシュートを打っていれば殆どゴールキーパーは機能していなかったらしい。
勿論、リスクが高い代わりに撤退のハードルが低いなど、安全面は重視されている。
高額のレバレッジをかける短期トレーダーの如く、高い集中力で常に危険に備えている。
つまり、やるだけやったら状況が不利になる前に直ぐに撤退するのだ。
以前の提督が低練度の艦娘であれ戦力にしてしまう才能の持ち主だと言えば、
今の提督は艦娘達に極めて負担をかけていると言えよう。
隠密かつ高速を要求する走り込み、疲労した状態での回避訓練、敵の攻撃を受けながらも被害を局限する訓練…etc。
大和撫子のような女性提督は、その実はバリバリの体力主義者であった。
マッスルなフィジカルが戦場で命を救うという信条である。
その上、見た目だけは細く嫋やかなのだから、何も知らない男なら騙されてしまうかも知れない。
敵を殺すか、訓練で死ぬか。
訓練で費やす1Lの汗は、実戦で1Lの血液を守る。
やる気と信頼関係だけで、楽して無傷で敵に勝利と言うことはあり得ない。
もしそれが出来るなら、今まで余程効率が悪いことをしていたということになる。
しかし、前提督は効率だけはどの提督も追いつけないほどの成果を出していた。
ならば、その効率に追いすがるためには艦娘自体の性能を飛躍的に向上させるしか無い。
前提督が与えた苦痛を繰り返さないために、新たな提督は苦労を与える他の方法は知らなかった。
しかし、それは徒労では無い事を提督も艦娘も信じていた。
「…57,58,59,60!! はい、30秒休憩。
休憩をしたら、次は腕立て伏せを一分セット。いいですね、清霜」
「…はっ、はいっ!!」
提督の指示はほわほわふわふわした口調であるし、その胸もふわふわ揺れてそれを助長しているが、提督と清霜はかなりハードなトレーニングをやっている。
俗にタバタ式と呼ばれる一定時間に全力で運動して、その合間に一定時間の休憩を挟むトレーニングである。
有酸素運動と無酸素運動のハイブリッドだが、その分体力消費も大きい。
…因みに、休憩が終わり、今度は高速で腕立て伏せをやっているが、ふんわりした声の提督がやっているのは腕立て伏せ(逆立ち、指一本)である。
「あらあら、動きが鈍くなってきたわね。お姉さんの見間違えかしら。
それじゃあ戦艦への道は未だ遠いわよ…大丈夫?」
「いえっ、大丈夫ですっ!!」
優しい口調だが、やらせていることはえげつない。
その場跳躍、腹筋、往復階段ダッシュ、逆腕立て伏せ、腹筋ローラー、重量物移動、足上げ腹筋、腕立て伏せを休憩を挟みながら一分ずつ行っている。
その上、現在8周目である。
更に言えば、清霜と提督の身体には重りが付けられており、提督の方が段違いに重い重量を抱えている。
本当に人間かどうか怪しくなる大和撫子である。
「ならもう少しペースを上げてみましょうか」
日常の筋トレで高速修復材を使う鎮守府など、他には存在しない。
そして、フラフラになったところで今度は走りながら、敵との戦闘を意識した訓練が始まる。
厳しい訓練だが、常に救護の環境は整えられており、それは裏を返せば何時でも倒れるまで訓練できると言うことでもあった。
似たような思考を持つ山口多聞提督が聞いたら思わず握手したがるような鬼畜ぶりである。
因みに、万が一の時には赤城を単騎で制圧できるという事を買われて配属された提督なので、赤城を中心とする航空部隊への指導は更に厳しかった。
優しげな口調や気配りをする提督だが、やるときはとことんやる。勿論、この『やる』は『殺る』と書く。
信念や命さえ削っていけば勝てていた嘗てとは違う。常日頃から艦娘達自身が勝ちに行く姿勢が求められることとなった。
ブラックな環境はブラックな支配者だけでは生まれない。
ブラックな手段を使われる事でしか成果を生めない様な、ブラックに相応しい能力しかない被支配者と共同して生み出すのだ。(とは言え、絶対命令権を持つ提督と艦娘の関係は例外とも呼べる)
故にホワイトな環境を作るためには、ホワイトな手段で充分に成果を生み出せる様な、ホワイトに相応しい能力を持つ被支配者たる必要があることを艦娘達も理解し始めた。
一方、休憩・実任務・訓練のメリハリを重視する提督であった故に、休憩の時はとことん自由を与えていた。
不必要な拘束は好む人間では無かったからだ。
現在、戦力の基盤である駆逐艦達を中心に、基礎能力が確実に向上してきている。
…梅の花が似合う美人がこのようなことを平然とやっているとはとても想像しにくいが。
実際に以前ほどでは無いが、戦果も出てきている。
あっ、これ進研○ミでやった問題だっ!! という程では無いが、ここ一番のところで普段からの厳しい訓練が生きてきている。
少なくとも、提督が変わってから大破はあっても轟沈は無いのがその証明であろう。
ゼミと呼ばれる血を吐く様な訓練は無駄では無かった。
弱い人間は自分がそれを出来ないし、嫌われたくないから甘くするが、
強い人間は自分にもそれが出来るし、他者に嫌われても耐えられるから周囲をも強く出来るのだ。
夕雲型最終艦、清霜。彼女は最も提督の影響を受けた一人であると言えよう。
ちゃんとした活躍の場も無く沈むだなんて、耐えられない。
清霜の中にはその様な強い気持ちがあった。
ある時、清霜は編成の中に組み込まれて
同伴は、彼女の他には全て大型艦だった。
任せられたのは速度と小回りを重視した露払いと支援。
戦艦のような大火力では無く、あくまで駆逐艦としての能力を求められた起用である。
積極的な攻撃で敵の出鼻を挫き、味方の砲撃の機会を生み出す事が求められた。
…だが、戦況は苛烈だった。敵の深海棲艦は新型である駆逐ナ級を投入してきた。
新しいコンセプトで生まれた駆逐艦タイプであるその艦は、ベースグレードでありながら高い能力を発揮した。
清霜はかなり善戦したと言えよう。
この状況でありながら果敢に攻めることで敵を守勢に貼り付けることに貢献した。
だが、戦力差が生む余裕が無い故の過剰攻撃のツケは、後一押しという所の弾切れという最悪の形で迎えることとなる。
敵を痛めつけるだけ痛めつけたのだから撤退。
それでも良かった。
寧ろ、それが普段の方針だ。
此方に気が付かずに
それが大きな戦略である以上、何の問題も無い。
そう、沈む寸前の軽巡ツ級が山城に向けてその連装砲を向けてさえいなければ。
山城はそれに気が付いたが、彼女も敵の戦艦とやりあった直後であり、僅かに時間が足りなかった。
この様を生んだのは練度不足か、意識の欠如か。もう少し訓練をしていればこうなりはしなかっただろうかと、IFを思い浮かべて山城は後悔した。
駆逐艦清霜は駆けた。駆逐とは
その名前に恥じぬとおり、夕雲型最終艦は駆けて駆けて――駆けた。
身体の前傾姿勢を更に鋭角にして、鍛えた体幹で姿勢を制御し、爪先に集中して一歩一歩に全身の力を突き出す。
そして、敵のその首を掴みこみ――――
「ぐぬぬぬぬ」
無理矢理に筋力で持ち上げて砲身の先を反らさせる。
砲撃は山城から離れて着弾した。
清霜にとって、相手が自分より重たくても関係ない。アリだって己よりも何倍も重たい物を持ち上げている。
アリに出来て、清霜に出来ないことがあろうか?
否ッ!! 清霜は戦艦を目指す女だ。
栄光のロードはまだ始まったばかり。
その程度、出来て当然、出来ないはずが無いのだ。
そう自己暗示をかけながら持ち上げたツ級を水上に叩き付けるように投げ飛ばした。
その水飛沫に向かって一斉に攻撃する旗艦扶桑を含めた大型艦達。
哀れ、ツ級は海の藻屑と化した。
基本戦術は敵が生き残っていようとヒットアンドアウェイ。
此方から攻めて、深海棲艦の安寧をぶち壊すだけで良いのだ。
毎回、必ず轟沈狙いで無いという事実が、相手が弱った時に命だけは助かるかも知れないという、希望という名前の油断を生ませる効果もある。
また、常に緊張を迫れば、作戦行動に大幅な縛りをかけることが出来る。
何時強襲してくるかも知れない艦娘に対応するために、常時スクランブル体制であれば、休息も出来ないし派手な補給も移動も出来ない。
そうやって疲労を蓄積させて、真綿で首を絞めるように追い詰める。
そうして、いざという時に敵に全力を発揮させない。
訓練・実戦と並んで、日常が如何に重要かと言うことが理解できる。
これは人類が海を奪われて経済と安寧を削られた意趣返しと言えなくも無いのだろう。
これが、新しい提督のやり方である。
フィジカルを鍛えてメンタルを突く。
味方を救うためには、とことんにまで敵に冷酷である必要がある。
任せられるお姉さんの、司令官としての冷たい側面である。
真綿で首を絞めるように敵を攻撃しては逃げると言ったが、殺せる機会でまで見逃したりはしない。
清霜が弾切れとは言え、此方は一隻も沈んでいない万全の体制。
逆に相手はその数を三分の一にまで減らしていた。多勢に無勢である。
真綿であろうが、捻って絞り、一気に絞め上げれば直ぐに殺せる。
寧ろ、真綿を捨てて素手で捻れば更に早いかも知れない。
倒せる相手を見逃すなんて習いは戦場には無い。
あるのは弱肉強食の掟だけだ。
ただ、その弱者にこの場の深海棲艦達は落ち込んだだけである。
先程危機に追い込まれた山城の砲が牙を剥くように敵方へ指向される。
その眼光には恨みも敵意も悔しさも無く、ただ敵を打ち払う冷酷な光が宿っている。
そして旗艦扶桑の号令により、海上に殺意が飽和した――――。
帰還した艦隊の代表として、提督に扶桑が戦果を報告した。
満場一致で今回のMVPは清霜に決まった。
今回の艦隊で唯一大型艦で無い彼女が、大型艦を差し置いてMVPであった事は清霜の誇りとなった。
…一方、
「山城は清霜がいなければ、あと少しで大破、若しくは沈んでいたのですね。
では、今後如何すれば
「…はい。より一層精進します」
優しい声と話し方だが、その言葉には
山城もそれを理解しており、緊張は隠せなかった。
「そうですね。では、明日からメニューを倍にしましょうか。
二回に分ければ休息も問題ありませんね」
一応言っておくと、一回でも割と地獄を見るメニューである。
それを二回行えば、壊れるか死ぬか一皮むけるかしか無い。
それこそ、駆逐艦を戦艦に仕上げるような無理無茶無謀の一歩手前の領域である。
だからこそ、そこまでを想定していなかった山城は、内心でこう言う他は無かった。
(不幸だわ…)