不安と緊張で押しつぶされそうになる。
なぜなら今日、朝早くからリヴァイ兵長に呼ばれて、調査兵団に入るための試験をやることになったのだ。これを失敗、あるいは合格の水準まで届かなかったら、調査兵団に入れないから。このチャンスを逃したら、次はいつまた試験ができるかわからないから。そしたらリヴァイ兵長に教わる時間が少なくなる。おねぇさんと遊ぶ時間も…。
改めて……私は不安と緊張で押しつぶされそうになる。
今私が立っている枝の葉っぱや、真上にある大きい木の葉っぱ。それらが風に吹かれて、揺れている音が聴こえてくる。私の心臓の鼓動が、血管が太い首の鼓動が、ドクドクとうるさく音を立て、両手に持っているブレードからはひんやりした感触が伝わってくる。
このブレードで…あの巨人の模型を、うなじを削ぐんだ。深く、素早く、正確に、あのうなじを破壊するんだ。
それだけじゃない。そこに行くまでの百メートル、立体機動でガスの消費を抑えながら、速く、小回りを利かせて、移動するんだ。
いつもやってる時とは訳が違う、何しろおねぇさんと『早く』遊べるかにかかってるのだから。早くリヴァイ兵長に色々教えてもらって、早く巨人を倒せるかにかかっているのだから。
だからいつもみたいに模型を殺すイメージじゃなくて、巨人を殺すイメージで、ぶっ殺すイメージで。
集中…集中…集中…。
バンッ!
私は信煙弾の音がすると同時に、枝を蹴り、トリガーを操作して、アンカーを数メートル先にある木の幹に突き立て、ワイヤーを高速で巻きとる。ガスに注意しながら、一番早く目的地に辿り着けるよう、最善の木を見つけてはアンカーを刺す。
いつもより速く動いているせいか、体の所々が圧力で痛い。でもそんなことを気にしてたら、合格できない。そんなの誰だって我慢してるはずなのだから!
そして、数秒で五メートルほどの大きさの巨人の模型の所に着いた。巨人は右を向いている。この方向なら…。
私はアンカーをうなじに突き立て、遠心力で巨人の背後に回り、ワイヤーを巻いている。
痛い痛い! さっきまでの圧力とは訳が違う! でもこれぐらいの、皮膚が剥がれそうになる痛みは、誰もが経験してるんだ!
私はワイヤーの移動に任せて、タイミング良くブレードでうなじを抉りとり、そこからリヴァイ兵長のいる木に移動した。
……はずだった。
あれ…? おかしいな…。うなじを削いからリヴァイ兵長が立っている木の幹にアンカーを刺したまではいい。その後何故だかワイヤーが巻ききれないぞ…? 私は持っているトリガーのレバーを引いてみる。だがワイヤーは巻かれてない。ガス…が原因とも考えにくい。いつもより細心の注意を払ったし、切れるほどの量ではない。じゃあ何が原因だろうか。
いやそれを考える前に、今やるべきことがあるではないか。視界を見てみろ。景色が変わっていっている。木の枝が見えていたのに、今は幹まで下がっている。
もしかして今…落下してる…?
そう認識できた時、もう私の足は地面に着いていた。正確に言うなら、衝撃で折れた足が、地面の上に座っていた。
痛! めっちゃ痛い! でもあの時の頭の痛みの方が痛かったからなぁ…あれと比べたらそこまでなんだよね。そう考えると痛みが軽減した。
「おい! 大丈夫か!」
あれは確か、リヴァイ兵長と一緒に私を審査しに来たリヴァイ班の一人。あの栗みたいな髪の毛は確か…エルドさん…だっけ? 近くの木にいたエルドさんが、立体機動で私の方へ駆け寄った。
「はい。大丈夫です。エルドさん」
「俺はエルドじゃなくてグンタなんだが…」
「だ、大丈夫です! グンタさん!」
あう…よりにもよって先輩に当たる人の名前を間違えちゃったよ…。オルオさんは覚えてるんだけど、エルドさんとグンタさんの名前をどうにも間違えてしまう…。この二人はどうにも印象が薄くて…。
「おい」
とても低い、しっかりした声でそう呼ばれた。その声の方を向いてみると、案の定リヴァイ兵長だった。リヴァイ兵長も木から降りて、私の方へ近づいてくる。
合格か不合格か言いに来たんだよね…。でも表情だけじゃどっちなのか全然分かんないけど…でも考えてみれば不合格の方が可能性高いよね…。そう思うとなんだかリヴァイ兵長が怖い! 一歩一歩距離が縮まる度に威圧感がある! なんか禍々しいオーラがリヴァイ兵長の後ろに引っ付いてる!
「あ、あのですね! リヴァイ兵長! いつもなら上手くいってたんですよ! というか今日はいつも以上に上手くいってたんです! ただいきなりワイヤーがおかしくなっちゃって! それで――」
「立体機動装置を見せろ」
「あのですから不合格には――ふぇ?」
あまりにも予想外のことを言われたので、理解するのに一苦労した。けれど、やはり何を言っているのか分からない。
「聞こえなかったのか? 立体機動装置を見せろと言ったんだ」
「……は、はぁ…」
リヴァイ兵長の思考が分からないまま、私は立体機動装置を外し、リヴァイ兵長に手渡した。もしかして…この人には何か分かったのかな?
三十秒ほど立体機動装置を見ていると、「なるほどな…」と、言わんばかりの顔で、
「スピードの出しすぎだ」
? どういうこと? 説明が省かれていてよく分からない。
「それって…どういう…」
「ちょっと待ってください! まさかスピードの出しすぎで圧力が立体機動装置にかかり故障したということですか!?」
「「え!?」」
「ふぁ!?」
後ろにエルドさんとオルオさんが居たことにビックリした! グンタさんの説明でガスの音とか聞こえなかったから。
それはさておき、ちょっと速くしすぎたか…。私も聞いたことなかったけど、やりすぎて立体機動装置が壊れちゃうとは…。でもなんでこの三人はこんなに驚いているのだろう。そんなに珍しいことなのかな?
「故障といえば故障だが、厳密にはワイヤーを巻くフィンの部分がやられてるな」
リヴァイ兵長からの付け足し。まぁ正直そんなこと私にとってはどうでもいい。もう後戻りできないのだから。次からは気をつけよう。それしか思うことは無い。知らなかったわけだし、全力でやった結果だし。
「ところでこの試験は――」
「このガキがそんな力を持っていると!?」
「聞いたことないですよ!?」
「速いとは思っていたが…ここまでとは…」
私のセリフは三人のセリフで打ち消された。ムゥ…そんなことどうでもいいのに…。でも先輩だから強く言えない…。
「オルオ、グンタ、エルド、落ち着け。そのことに関しては前もって話しておいたはずだ。何しろ時間が限られている。こいつの試験は終わっちゃいねぇ。わかったらエルドとグンタは馬を準備。オルオは教官に報告しろ」
「「「ハッ!」」」
三人は顔つきが変り、それぞれ目的地へと向かった。私は足が治っていることに気づき、立ち上がる。
「リヴァイ兵長、この試験は…」
「合格だ」
「……よ、よかった…」
すごくホッとした…。立体機動装置を壊しちゃったから、てっきり減点されて不合格になるのかと思った…。緊張の糸が切れそうになる。
でも、まだ気を抜けない。一つ目はクリアしたけど、二つ目の馬術、最後に座学があるんだ。そう意気込んで、リヴァイ兵長におんぶしてもらい、馬小屋を目指して移動する。
とりあえずリヴァイ兵長は何も喋らないし、次の試験について考えよう。
馬術は移動してる最中で見るらしいが、普通にいつも通りにやろう。立体機動の試験をやって分かったけど、頑張りすぎてもあれだし…。今度は馬が怪我しちゃうかも…。
最後の座学では、ハンジ分隊長が作ったテストを解くらしい。これは全力でやろう。全力でやっても大丈夫だし…。対策としては、あとで移動しながらでも復習しておこっかな…。
それにしても…さっきから風を受けたりしてて思うけど、リヴァイ兵長ってすごいなぁ…。私は吸血鬼だから身体能力が高い。だから努力もほとんどしなかった。けれど、リヴァイ兵長は人間の身でありながら、いつもの私と同じぐらいの速さで動いている。相当努力したんだろうな…。
そして、数十秒で馬小屋に着き、私はリヴァイ兵長の背中から降りたら、訓練兵のみんなとお別れをする許可をもらい、五分だけ時間をくれた。
訓練兵はグラウンドで対人格闘をしていた。
「おお! 私の天使よ! 一体どこへ行ってたんだい?」
「ホ、ホナミさん…苦しいでしゅ…」
早速ホナミさんに見つかった私は、力強く抱きしめられた。ホナミさんを始め、訓練兵のみんなが私を取り囲む。
「あ、あの…」
「教官から聞いたよ! 調査兵団に入るかもしれないんでしょ?」
一人の女性訓練兵が答える。
「それってどこで…」
「さっき老け顔の」
あ、オルオさんか。
「調査兵団の兵士が、教官に話してたからね」
「なるほどです」
リヴァイ兵長の立体機動の速さと、私が走った速さを合わせた時間と、オルオさんの立体機動の速さなら、オルオさんの方が早いか。なにしろさっきの場所からグラウンドの方が近いし。
って、今はそんなことどうだっていい! それよりも――
「あ、あの!」
ザワザワ騒いでいる中、私は大声を出して注目を集めた。さ、さすがにこの大人数の注目は耐え難いな…でも、言うんだ!
「みなさんに言いたいことがあります!」
私はそのためにここに来たのだから!
「そ、その…まず最初に、ありがとうございました!! 常識外れな私に、色々教えてくれて、ありがとうございます! たった数日しかいなかったけど、私は数週間のように感じました! 怪我をさせちゃったり、傷が回復したりして、気味が悪かったと思います。でも! そんな私を、みなさんは気にせずに接してくれた! 人に関わることが苦手な私と! 一緒にいてくれた! 凄く嬉しかった! 本当に! すごく! ですからこれだけでは、感謝の言葉が足りません! 全然足りないくらい! 感謝してます! なので改めて、本当にありがとうございました!!」
私は深々と頭を下げる。一気に拍手や歓声が飛び散った。
「天使ちゃん!!」
すぐ近くにいたホナミさんが、再び私に抱きつく。これが、最後のハグって考えると、少し悲しいな…。
「嬉しい! 嬉しいよ! 私こそありがとう! すっごくすっごくありがとう! 調査兵団に入っても頑張ってね! 大好きだよ!!」
ホナミ…さん…。
「ホナミだけじゃないよ。私達も嬉しかったし、ありがとう」
「元気でやれよ! 死ぬんじゃねぇぞ!」
「俺は別に……ッ!……泣いて……ッ!…ねぇからな…」
「みなさん…」
みんな…こんなに私のことを思っててくれたんだ…。人間は…お姉ちゃんみたいに…優しい人…なんだね…。お母さんやお父さんも…きっと前はこんな感じだったんだよね…。
だとしたら…吸血鬼だってことを教えたら…吸血鬼だってことを知ったら…お母さんとお父さんみたいに…壊れちゃうんだね…。お姉ちゃんもきっと、壊れてたよね…。
こんなこと言ったらあれだけど…壊れたお姉ちゃんは見たくなかった…。だから、案外私は、お姉ちゃんを食べてしまったことに、後悔がないのかもしれない。
「……!」
そういえばメガネくんに聞きたいことがあるんだった。メガネくんって何処だろう…。試しに周りを見回してみる。
どこにい――居た!
「ホナミさん、メガネくんに話があるので離してください」
「もうちょっと抱きたかったけど…仕方ない」
ホナミさんは私の首から手を離し、私はメガネくんの所へ走った。
「メガネくん!」
「? ああ君か、どうし――」
「私とメガネくんって会ったことありますか? 例えば五年前とか…」
私が話したかったこと、それは昨日変わったかどうかの質問について、もしかしたら数年前に会っていたのではないかと思ったのだ。
あの恐い感じ…やっぱりあの劇的に私が変われた五年前について、関係してる気がする…。
しばらくメガネくんは腕を組み、悩んでいる素振りを見せ、
「今の君とは、君が訓練兵になった時が初対面だよ」
「? 今って……」
「さぁ…もしかしたら前世、とかね」
……前世? 前世って…あの前世だよね。これはシラを切ったと考えていいのかな…? いやだってそんな前世なんてある訳ないし…。そんな非科学的なことあるわけ…。
「なんてね。冗談だよ」
笑いながらメガネくんはそう言った。
「メガネくん! 私は真剣に聞いて――」
「それより、今は調査兵団に入れるかどうかがかかってるテストはまだ、終わってないんだろ? そっちに集中した方がいいんじゃない? そんなことは、また今度あった時にでも聞けるんだからさ」
! ……そうだ…。そうだよ。私はまだ試験中なんだ。今その質問をしてどうする。もしもそれに気を取られて、試験にでも落ちたら…それこそ冗談じゃない。次の試験はいつできるか分かんないんだよ? この機を逃して、明日できるとは限らないんだよ? そうしたらどんどん、リヴァイ兵長に教えてもらう時間が減る。巨人を殺す技術を学ぶのが先延ばしになる。
次の壁外調査まで、時間はあと二週間しかないって、リヴァイ兵長が言ってた。ならそれまでに、全力を尽くすのみ!
私は気合いを入れ直すため、自分のほっぺを叩いた。
「メガネくんありがとう。お陰で今何をすべきかわかった」
絶対に調査兵団に入ってやる。
そしてリヴァイ兵長に教えてもらって、訓練しまくって、巨人を沢山殺せるようにするんだ。
おねぇさんと早く遊ぶためにも。