二曲目の英雄 作:不思議稲荷
何処からか判らないが、ここ数年で聞き慣れた騒々しい救急車のサイレンが聞こえる。
先細る老い先を必死に繋いで書き上げたばかりの■■の
「嗚呼、遂に今生に別れを告げる時が来たのか……」
「大丈夫ですか! ■■■■■■■さん!」
願わくば、もう一度■■と呼べるその勇姿を拝したかった。叶うわけもない切なる願いを胸に、救急隊員の呼びかけに応えることもせず『彼』はその瞼を永遠に落とした─────
──はずだった。
目を開けてみればそこは救急隊員の駆けつけている見慣れた自室ではなく、古めかしい木製の本棚に囲まれた書斎。更には慌ただしいストレッチャーではなく、落ち着くリズムで揺れるロッキングチェアに腰掛けていた。
そして何よりも目を引くのが目の前でティーカップを傾ける二足歩行のネコ。
世にも奇妙な光景に現象だが、『彼』にとって初めてでは無かった。
「……確かチェシャと名乗っていたか」
「うん、合ってるよー。憶えててくれてありがとー」
知ってはいるが今ここに居る道理は無いはずだ。何故ここにいる? そしてどうして私はここにいる?
そう言おうとしたのかもしれないが、疑問に圧迫された老人の口が動くよりも先に、ティーカップを置いたネコの口が動いた。
「突然だけどー、君にとって
異常なまでのリアリティと人の遊び心をくすぐるオンリーワンの独自性で一世を風靡したVRゲームの金字塔とも呼ばれる〈Infinite dendrogram〉。紅茶を嗜む洒落たネコの正体はゲームを運営する管理AIの一体だ。かつて老人も一つのアバターを用い、そのゲームをプレイしていた。
「……私自身あまりゲームをプレイしたことは無かったが、少なくとも私にとって素晴らしい物だったと記憶している」
「それは何よりー。運営としても喜ばしい感想だねー。で、これからが本題だけど、君の望みは叶ったー?」
「…………………勿論だとも」
「
疑問の形を取りながらも、どこか確信を持ったその強い問いかけに『彼』は口を噤む。
「“あの子”も確かに君の望みに沿った■■の理想像かもしれないけどー」
美しい毛並みの人間味溢れるネコ、チェシャの真正面から刺すような縦に切れたその瞳。その瞳が、彼に嘘をつく事を許さない。
「君はそれで本当に満足ー?」
どこか刺のある問に応えるために、やがて開かれた口から零れたのは老人に相応しい微かな、掠れるような声。
「…な……ろう」
「んー? 聞こえないなー」
「そんな訳が無かろう!」
既に死に絶えた体の筈なのにも関わらず、口から泡を飛ばしてむしろ生前よりも激情を
「彼は、レイ・スターリングは確かに私の夢描いた『英雄』だ! だから、だからこそ私は彼の背中を垣間見た程度で英雄の全てを理解した等と
「そう言うと思ったよ」
まるで『彼』ならそう答えてくれるに違いないと予想していたのか、猫の顔で器用に笑ったチェシャが何気なく柔らかそうな肉球を振ると、不意に傍らに豪奢な木製の扉が現れる。派手な音も煙のエフェクトもなく、最初からずっとありましたと言わんばかりに重厚な木の扉。けばけばしい装飾こそ一切ないが、それでも隠しきれない高級感を漂わせる。
「今回は特例ー。【
「君にはこの扉をくぐる資格があるはずだよー? オットー・エンゼルバーグ、否【
「新世界とあなただけの
「君の才能を、そのまま散らすのは惜しい」
「何より君は
「“僕ら”は何度だって君を歓迎する」
いつの間にか何体にも増えたチェシャが取り囲み、筋が繋がっているようでその実は混乱させるようにバラバラに好き勝手話す。怒りで一度は忘れていられた死の衝撃に立ち返ってしまった彼に、それでも平静を保てというのは難しい話だろう。
「待ち給え! こんな所業が高々一介のゲームの管理AIに出来る筈がない! 御主達は一体?!」
「うーんとねー、ヒ☆ミ☆ツ。それじゃ、御元気でー」
「話はまだ──」
狼狽える彼に配慮する気などサラサラないチェシャが華麗なウィンクを決めた直後、開け放たれた扉に落下するように否応なく彼の体は断末魔の叫びごと吸い込まれていく。
「期待してるよ。ヒーロー」
ベルドルベルを飲み込んだ扉が閉められ、静寂を生む書斎で一匹、チェシャがぽそりと呟いた。
これは無限の系統樹の最果てに、存在するかもしれない可能性の物語。これより語られるは誰にも、そう、人智を超越した演算器でさえも予測できない枝葉のストーリー。
二曲目の英雄は、今始まった。
この程度しか書けない文才が恨めしい……
読んでて足りないと思うもんなぁ。
だけど他に布教の民がいないんだもの。仕方ない