蛭子家は、関西に居を構えていた古武術の家系だった。
とはいえ、既に道場は閉まっていて弟子もなく、父と母、そして二人の子が広くない庭で練習していた程度である。圧倒的に師事する人間も鍛錬のための場所も不足していた。
そこで白羽の矢が立ったのが、奈良に住んでいた高嶋家だった。
『せんがくひさいのみではありますが、ごしどうのほどよろしくおねがいいたします』
『蛭子さん…貴方の頼みで呼ばれましたが私がこの子に教えられることは…』
『コイツの見てくれに拐かされるな、
『えっ』
『ぶっころす』
『寝言は寝てからだ』
『ええっ!?』
その後、まず修行に入るよりも親子喧嘩と呼ぶにしては規模が大きい殴り合いを仲裁することが高嶋パパの最初の仕事だった。
最終的に、最終兵器こと蛭子ママが喧嘩両成敗という名目で二人を玄関に吊し上げて、干物になるか頭が破裂するのが先かを試す実験動物にされた。母親というのは恐ろしい。ちなみに蛭子家のヒエラルキーは母が最上位だった。こと個人戦においては負け無しの筆頭。
『ねぇ、なんでそんなぼろぼろになってるの?』
『…だれだちびっこ』
『ちびっこじゃないよ! わたしには〝ゆーな〟っていうなまえがあるもん!』
『そうかそうか、アメたべるか?』
『わーい! ありがとう!』
『ちょろい』
底抜けに明るくて元気な子が構い始めた。高嶋家の娘だった。
後に、自分以外の子どもというものを認識した最初の子にカウントされた。
幼馴染みという名の人間関係かは、さておき。
『よ…よん…、これ、なんてよむの』
『〝よひら〟だ〝よひら〟。ウウーンめったになさそうなDQNネーム、おやじどののちゅうにくささが…』
『四葩は花の名前だよ』
『そうなの?』
『しらんかった』
『教えてないなあの人…いいかい、四葩っていうのは…ホラ、丁度この季節だとそこに咲いてるだろう。友奈、あの花の名前は分かるね?』
『うん! あじさい!』
『あじさい…?』
『じゃあ、あーちゃんね!』
『なまえのげんけいがない』
『なら、よーちゃんだ!』
『もうそれでいいよ…』
初めて自分の名前の由来を知った。
『あはは…紫陽花にはね、色によっても複数の花言葉がある。ピンク色なら〝元気な女性〟』
『よーちゃんおんなのこだったんだ…』
『しらんかった』
『あくまでもピンク色の話だよ!? そ、そうだなぁ…青色は〝謙虚〟で、白色は〝寛容〟だったかな』
『けんきょ? かんよう?』
『へいおやじどの、おれ〝けんよう〟で〝かんきょ〟なおとこらしいぜ』
『よーちゃんまざってるまざってる』
『日本語覚え直せ』
『ぶっころす』
『寝言は寝てからだ』
『やめなよよーちゃん、かてないよ』
『…やめとくわ』
『……ほぅ』
実力の違う相手には、何度挑んでも勝てないことを学んだ。
人生初の自発的な戦術的撤退だった。
…実は、女の子の目の前でかっこわるいところを見せたくなかったからだったりする。
『よーちゃん!』
『おはよう友奈、今日も元気三倍段だな』
『さ、三倍段…? じゃなくて! 私を弟子にして!』
『高嶋パパがいるだろ、それに親父殿でもいいじゃんか』
『よーちゃんがいいの!』
『えぇー…』
『まぁいいじゃないか、弟子とまではいかずとも同世代の競争相手がいた方が四葩くんも頑張れるだろう』
『ここのところ伸び悩んでいたからな、学んだことを他の誰かに教えてこそ修行は身に付く。わかる、話す、身につく、だ』
『それって出木杉くんのでは』
『よーちゃん! 前やってたハッケー教えて!』
『発勁ね。うーん…母に続いて強い女性になりそうだ…いつか師弟逆転しそう』
成長速度が自分の比ではなかったから、師弟逆転しないように更に修行へのめり込むようになった。おかげで無駄を極力削り、限られた時間の中で最大の成果を叩き出せるようになり、憎たらしいことに親父殿の目論み通りの成長となった。術中に嵌ってしまったと気付いてからは、せめてあの修行の中で少しでも予想外の成長で驚かせられればと思った。
『友奈、どうした』
『よーちゃん…ちょっとね…』
『……? とりあえず横になるか。今日は修行は中止だ』
『え、それは…』
『いーからいーから。でもどうしたんだ? どこが痛い?』
『えっと…お腹のほう…』
『ん、ここか。ほれ…ちょっとは楽になったか?』
『うん…くすぐったいけど…でも』
『でも?』
『よーちゃんの手、あたたかいね』
『朝イチで親父殿とスパークリングしてたからかな』
『あはは…それ、スパーリング』
『かみまみブシィ』
『えっ』
『
男と、女の、違いを知った。
女は強く、恐ろしいけれど。弱く、脆い一面があるのだと。
周りにいる女性が皆、強い女だったから、改めて女というものを知った気がした。
同時に、目の前の
敵を倒す以外の、強くなる理由ができた。
……でも、なんでバーテックスが襲来するよりも前の、昔のことを思い出しているのだろうか。
―――これ、走馬燈だ。
◇ ◇ ◇
想定外の一撃というものは、中々応える。
だから修行において何よりも重要視されていたのは戦闘時における観察眼だった。
まず生物において最も潰すべき箇所は脚である。二足歩行にしろ四足歩行にしろ、鳥類のように空を飛べる生き物でなければ脚を失えば機動性は大幅に減退される。大人数であれば脚を切り落とした後で、長物の得物で手の届かないところから袋叩きしてやったのにと思わずにはいられない。
と、言いたいのだが。
―――バーテックス、空飛んでるくね?
しかも目の前の
ということでプラン変更。やっぱ生物っつったら頭だよな!
変異個体は、目の前の空間に張り巡らせた鋼糸を人体では再現不可能な動きで避けながら走ってくる。激痛と疲労の中で最大のパフォーマンスを発揮して仕掛けた罠が徒労と化す光景は中々クるものがあるが、同時に何故人間には再現不可能なのか理解できた。
尾を駆使しているのだ。
既存の生物とは異なる法則で象られた生物であれば、間接や骨などはないと考えた方がいい。その上で、尾を使い縦横無尽に張り巡らせてある鋼糸の間を、速度を落とすことなく接近している。
しかしその位置から熱線を吐かないのは何故か。まぁ吐くには背びれの発光という分かり易い目印があるのだから、即座に口元を縫い付けて自爆させるが。
「ってやばいやばいやばい」
暢気に殺害妄想を膨らませている場合ではなかった。
次第に距離が詰められるごとに、躱された鋼糸を形態変化させて背後から串刺しにする
つまるところ、張った糸をそのままにしていればいつかは質量切れで何もできない木偶の坊が出来上がってしまう、これは非常にまずい。
故に、戦場にある糸はすべてが無駄にできない武器。鋼糸の攻撃範囲は上下左右360°。如何なる位置関係であろうとも攻撃可能。指を動かし糸を操り、走ってくる変異個体の無防備な背面へ、数々のバーテックスを串刺しにした槍を放つ。
しかし、
「
背部に糸を突き立てるも/右斜め上からの振り下ろしで変異個体を切断するも、糸は皮膚外装で歪な金属音と引っ掻き傷を生み出す程度に留まる。つまり、変異個体の防御力が桁外れだった。
ならば。
この変異個体は元々八体の体を別々に繋ぎ合わせてるもの。例えば、金型から出されたガンプラのパーツは一つ一つは細かい一個体なのだが、パーツを組み合わせてできたガンプラそのものの各パーツの接合部と間接部はとても脆い。
同様に、仮にバーテックスの肉体に如何に互換性があろうとも、一度切断した部位を繋ぎ合わせて代用しているという過去の事実が真実である限り、丈夫な完全個体とは言えない。そこに付け入る隙がある。
至近距離に変異個体が迫る。既に『網』も『槍』も躱されてしまい、数ヶ月前の自分であれば、完全に
「死ね」
未だ首筋に斜めに走る接合痕に狙いを定め、
―――瞬間、左胸辺りの熱が強くなった。
「ッッヅぁ…!」
右下の視界が、消えていた。眩しくて、見れなかった。
自身の胸を貫く光――変異個体の尻尾の先から迸る熱線だった。
先の襲撃の時に爆弾を引き抜いたのは、誤爆による巻き添えを避けるためだ。
そしてその爆弾の位置を確かめたのは、黒主と文屋の自爆を間近で見ていたからだ。
加えて、その時点で人間は胸[首の下/両腕の間]が弱点である、ということをあの変異個体は理解していた。
「うっそ、ぉ」
尾先から熱線を発射させることができたことは驚きであるが。
首がない状態で動いていたことが、衝撃的だった。
緩慢な動きではあるが、頭部が切断されたことを気にも留めていないかのように、悠々と歩いている。まるでデュラハンのようにも見える光景に、流石の四葩も空笑いするしかなかった。そもそも、心臓を丸ごと焼き潰された四葩に、そこまで動く力は持ち合わせていなかった。ただ、警戒してかそれとも脳が認識を遅延させているのか定かではないが、引き延ばされた思考のなかで、ただ過去の在りし日を回顧していた。
そして――冒頭の走馬燈に至る。
しかしやはり――と言うべきか。ここでも
言われてみれば、脳がある頭部を潰さなくても動くことができる生物はいたわ。ゴキブリやカマキリとか虫の一部は頭の脳神経節とは別に、胴体に食道下神経節があるから活動は可能だ。いくら人間の体を模したとしても、人間基準で戦闘を行うのは失策だった。じゃあなんで人間の体に近いフォルムを取ってるんだ…? バーテックスが、地球で『進化』し『適応』した、一つの帰結であるならばそれは―――。
ああ、ああでも、
…、どうやら、千切れた頭部を、探していたらしい。目が見えないはずなのにどうやって攻撃したのか気になるところではあるが、頭部とは別の部位で周囲の情報を集めているのだろうか。
まぁ、いいか。いやよくないか。
とにかく頭部はなくても動けるし周辺環境を把握することはできるが、だからといって頭部がなくてもいいという訳ではないことは貴重な情報だ。
つまり頭部だけではなく、考えられるとすれば全身に何らかの感覚器官があって、既存の生物とは異なる法則で、周囲を把握し、動き、そして黒主や文屋――彼らの戦闘をデータとして蓄積している。戦闘が長引けば長引くほど手に負えない超生物が出来上がるところまでは、予測できた。多分
でもな、多分
それは勿論、俺もなんだがな?
見たこともなくて、見ることのできない攻撃を、おまえは避けられるか?
◇ ◇ ◇
変異個体が異常に気付いたのは、頭部を元の位置に嵌め込んだときだった。
「uyq@」
「―――獲ったぁ!」
紫電に身を包んだ鈩が、
知覚できなかった/感知できなかった/予知できなかった―――
変異個体には、何が起きたのかまるでわからなかった。目の前のニンゲンを瀕死に追い込み、もう何もできないと思っていた時に、何の時空の歪みもなく突然現れた。
ただ、己という個が、頭頂部から垂直に両断されていた、ということだけはわかった。
「6\t」
「こ、いつ、まだ――!」
焦り、再び斬りかかってくるが一拍遅い。
既に熱線の
「u」
ざしゅ、と。
下から――最も警戒していた、下から、全身を走る無数のナニカが貫いて、
そこで、変異個体の意識/活動は途切れ/停止した。
◇ ◇ ◇
「ぐ、うぅううぅ…あー血だらけ! コレ絶対経血出てますよもう! …四葩、四葩! しっかりしてください!」
遠くで、声が聞こえる。
(あ、間に合ったんだ? フルボッコだったくせに)
目を開けてみれば、全身ボロボロで血だらけの女が倒れていた。鈩だ。
多分、予想通り奥の手を使ったのだろう。
元来、
神樹様のバックアップなしに、凡ゆる精霊の呼び出しは不可能。しかし、事前にそのことがわかっていた六課専は
金髪で見てわかる通り、鈩は日本生まれの母と北欧生まれの父との間に生まれたハーフである。
やんごとなき――とまではいかなくとも、北欧の血が流れているせいか、土着神を筆頭に日本に住まう精霊と適合することはなかった。
そこで、かの雷神の力に目を付けた。二柱の神は雷という性質は同じである上に、日本においても戦闘能力だけであれば一、二位を争う実力だからだ。
降霊には、時間がかかった。実験段階でも数時間は祝詞を唱えなければならなかったが、おそらく今回は巫女であるひなたの助力を得たのだろう。大幅な時間短縮となったらしい。
「……、ぃぃ、タイミングだっ、た」
「なに、勝手にボロボロになってるんですか…! 何勝手に死にそうになってるんですか! この超絶美少女の私が来たんですから最も喜んでくださいよ!」
「キンキン声うっせ…」
「しかも最後のアレなんですか!? なんかメタメタしくなってますし! 危うく巻き添え食らうところでしたよ!」
「……したら、感電死で俺もお陀仏だったわ」
雷は絶縁体である空気に対し、電気の通り道を作る
だが、人体であろうとなかろうと実現不可能な速度に変異個体が対応できたかと問われれば、それは結果が証明した。
これがなければ、全方位を警戒していた変異個体の意表を突いた即死攻撃は成功しなかった。
防御力もさる事ながら、変異個体の特筆すべき点は戦闘経験による予知能力や謎器官による感知能力だった。
これがツギハギだらけの変異個体ではなく完全個体であれば防御を抜くことは不可能だし、初見で殺さなかった場合は蓄積された戦闘経験値に裏付けされた予測/予知でゲームエンドだ。
攻撃方法は言うほど難しくはない、鋼線を地中に潜らせ待機させておき、地中に出る際に構成の段階で槍状形態に変化させながら変異個体を貫くだけだった。
肉体の接合部はあらかじめ観察する機会があったし、避ける隙がないほどの時間と相手が攻撃段階に移行していた時のみ、通じると考えた。
あとは貫通した箇所から
「……いま、コイツ、らに…喰わせてる。サンプル回収、できない、勿体無いが…しゃあねぇ」
―――
らしい、というのも、六課専創設前から発見されていた摩訶不思議物質の解明も同時進行で兵器として転用したという話を隠れながら盗み聞きしていただけだ。発見当時は有害なものなのか無害なものなのか、いつの時代に作られたものなのか、誰が作ったかもわからない未知の金属だったのだが、危険であるということ以外は結局分からず放置されていた。
六課専は日本政府が匙を投げた未知の金属を融通してもらい、『
で、何が危険なのかというと。
例え細切れに解体されようが再生する超生物であったとしても、生物としての原型を細胞レベルで変換・同化されてしまえば再生/蘇生は不可能であると踏んだ。
現に、
「……聞いたこと、あります…有機物だろうと無機物だろうと取り込み、同化作用と自己増殖を繰り返す、自律思考を持つ未知の金属…仮称、
荒く息を吐きながら、金属の彫像となった変異個体を睨みつけた鈩は思い出したように呟いた。
そう、
この金属は、金属でありながら考え、そして命令を与えれば動く。
六課専はナノメタルを対バーテックス殲滅のための第一でも第二でもない、分類されない兵装として運用することを考えた。その使用者として白羽の矢が立ったのが四葩だった。
『糸状になる』『伸ばす』といった単純な命令するだけならば使用者に特に異常はない。だが、『その地点で曲がる』『この軌道で動く』『刺突箇所から分散し体内を攻撃する』など細かい命令系統を与えた被験者は皆、廃人となりナノメタルに吸収された。詰まるところ、より複雑な命令を送ることと引き替えにナノメタルは使用者を文字通り
元々手先が器用だった四葩は、ナノメタルをただ鋼糸を吐き出す
「…は、はぁぁあぁ…また大社から小言言われる……って、四葩、四葩さーん? 起きてください、寝ちゃダメです寝たらもう死にますよ!」
「……悪、い…」
「はぁ? えっ……」
そこで、鈩はようやく気付いた。
四葩の心臓部が、焼き潰されていることに。
「うそ、ちょっ、」
「あー…すまん」
「まって、まだ、」
「
澄み切った青い空を見上げて。
四葩の息が止まった。
(…もうちょい、息子らしいことやれたかなぁ)
最後に考えたのは、なぜか先に逝った父親のことだった。
それが、蛭子四葩の後悔だ。
これにて1年前編完結です
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