【短編版】速水奏ロールプレイ   作:早見 彼方

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決意

「ねぇ、君。ちょっといい?」

 四月中旬の土曜日。天候に恵まれた休日の街中で男性の声に呼び止められ、僕は声の発信源へと顔を向けた。

 そこにいたのは、金色に染めた少し長めの髪をワックスで弄った青年。身長162センチの僕から見て頭一つ分高い背丈。無地のシャツに質の良いジャケット、フィットして足のしなやかさを強調するズボン。銀のリングネックレス。今どきの若者が好むような格好と、隠そうとしても表情から滲み出る軽そうな性格。

 外見で判断してはいけないということは認識しているけど、目は口程に物を言う。

 青年の目が、オフショルダーのゆったりとした服を着た僕の豊かな胸や短い丈から露わになった白く健康的な大きさの太股を不躾に見つめた後、僕の顔に視線を移してゴクリと生唾を呑むのがわかった。青年からするとほんの数秒の視線の動きでも、見られている側からは全てが把握できる。

 僕も女性に生まれ変わる前はこうだったのかなぁ、と心の中でため息をついた。

「なにかしら?」

「道を聞きたいんだけど。この店がどこにあるかわかるかな」

 そう言って、青年は一枚の紙を見せてきた。そこには見知ったカフェの名前が書かれていた。この辺りでは有名で、カップルの男女が愛用しているという噂を小耳に挟んだ。通っている高校の男子生徒に誘われたことも何度かあったから覚えている。

「えぇ。このカフェなら知ってるわ」

「本当? 良かった。その、もしよければ案内してもらえないかな? 今、携帯電話の調子が悪くてインターネットで道を検索できなくてね。おまけに俺って方向音痴でさ。迷惑でなければ、お願いしたいんだけど」

「案内だけなら構わないわよ。案内だけなら、ね」

 案内だけ、という個所を少し強調して言うと、青年の瞳が一瞬横に揺れた。身の固そうな雰囲気を僕から感じ取って、頭の中で最適な攻略法を考えたのかもしれない。

 しかし、すぐに僕を向いて「助かるよ。それじゃあ、よろしくね」と言って歩き出した。僕は肩に掛けた鞄を揺らして青年の横を歩く。

 道案内の道中、青年は間を置かずに僕に話し掛けてきた。軽く名前や年齢を自己紹介してきたため、僕も仕方なく名乗った。

速水(はやみ)(かなで)ちゃんか。可愛い名前だね」

 随所に褒め言葉を挟み、青年は当たり障りのない日常会話から、少しプライベートに突っ込んだ話をする。「奏ちゃんって、恋人とかいないの?」という問いが一番の攻め手だったのだろうか。僕が「今はいないわ」と言うと、「へぇ、意外だね。あ、実は俺もいないんだ」と返される。そこで会話は途切れることなく、僕の通う高校の男子生徒などについて話を広げ、高校の男と大学生の男との違いをアピールするような会話へと移行。大学生である自分の価値を高めようという魂胆らしい。

 しかし、青年の思惑を何となく悟った僕は全てを軽く受け流す。

 青年が道案内を依頼した店が近づくに連れ、青年の言葉に少し焦りが生じ始めた。手応えがないと思ったのかもしれない。たまに足を止めて時間を稼ぎ、会話の数をできるだけ増やそうという努力が窺える。

 時間は無情に過ぎた。青年のテンションがほんの少し下がったように感じられた頃、目的地のカフェに着いた。

「着いたわよ」

「あ、うん。ありがとう」

「えぇ。それじゃあね」

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 用事を終えた僕が立ち去ろうとすると、青年の慌てた声が掛かった。

「道案内してくれたお礼がしたいんだけど、良ければ一緒にカフェに入らない?」

 ここが最後の機会といった感じで攻めてくる青年。お礼からカフェへの入店を勧める自然な流れ。カフェという絶好の場での会話時間を見繕おうという考えらしい。

 勿論、それも全て僕はお見通しだ。

「今日は用事があるから、これで失礼させてもらうわ。そのお店には、いつか軟派で掴まる素敵な彼女さんとどうぞ」

「あっ……」

 これ以上の青年の誘いには乗らず、僕は背を向けて歩き出す。名残惜しそうな声が聞こえてきたけど、追ってくることはなかった。中には追って来てまで話しかけてくる人もいるけど、引き際は見極めているらしい。

 青年から離れて道を曲がり、遮蔽物を挟んで姿が見えなくなる。

「……はぁ」

 僕は小さく息を吐き、ほっと胸を撫で下ろす。

 軟派されるのは初めてではないけど、やっぱり毎回緊張する。もしかすると、軟派する側よりも緊張しているかもしれない。上手く断れないのではないか、と不安を抱いて心臓が大きく鼓動してしまう。

 喉が渇き、鞄から水の入ったペットボトルを取り出して少量を飲みくだす。少し、気分が落ち着いた。

「あー、やっぱり難しいなぁ……」

 僕は心中に漂う負の感情を吐き出し、軽く肩を下ろす。

 僕は今、ある習慣を日常に取り入れていた。その習慣によって得られる技術は、今後の僕には必要となってくる技術だ。技術というか、適応力、といったほうが適切かもしれない。

 僕の習慣。その名も、『速水奏ロールプレイ』だ。

 僕にとって、速水奏というのは僕のことを指す名前ではなかった。僕が生きる世界とは別の世界。僕が中学生の年齢まで生きた前の世界。そこで、知る人ぞ知る有名な人物の名前だ。

「でも、速水奏に生まれたんだから、速水奏にならないと……」

 速水奏。それは、『アイドルマスターシンデレラガールズ』というソーシャルゲームに登場するアイドルの一人。このゲームはプレイヤーがプロデューサーとなって様々なアイドルを育成するという内容だ。当然、アイドルである速水奏も育成対象であり、僕は速水奏を推していた。

 つまり、速水奏とは架空の人物だ。それなのに、今こうして速水奏は存在していて、なおかつ僕が速水奏になっている。

 その事情を細かく説明すると長くなるけど、短くまとめようとすると本当に短い。

 部活帰りに車に轢かれた僕が目を覚ますと、速水奏に生まれ変わっていた。

 省略し過ぎかとは思うが、実際に僕の身に起こった出来事を端的にまとめた内容だ。交通事故に遭ったと認識した直後に目を覚ますと、僕のことを奏と呼ぶ両親がいた。僕は高い柵に囲まれたベビーベッドの中にいて、自由に身動きすら取れなかった。

 最初は夢だと思っていた。そう思いたかった。だけど、寝ても覚めても僕は奏だった。

 動きたくとも自由に動けない辛い赤子生活。両親との会話やテレビ、時折母親の手から拝借した本を楽しみに生きた。それ以外は特筆すべきことはないほどに、平和で代わり映えのしない日常だった。他にすることもなく、話す練習をしていたためにかなり早い段階で言葉が話せるようになったことぐらいだ。

 月日は流れていき、幼稚園に上がる頃にはそれなりの自由を手に入れた。他の園児が走り回って遊ぶのに混ざって、僕もたくさん遊んだ。

 小学校低学年に上がる頃には、友達が沢山できた。何も考えずに心の底から笑って遊ぶのが嬉しくて、毎日のように遊んだ。遊ぶ相手はだいたい男子で、女子とはあまり遊ぶ機会は少なかった。たまに遊んでも、どう接していいのかわからないときがあった。

 僕は、まだ前世を引きずっていた。もう男だった過去を忘れて女として生きるべきだと思うけど、やっぱり男としての生活にも惹かれていた。邪魔にならない程度に髪をショートヘアにして、サッカーや野球を楽しんだ。

 そんな僕は、妙に周囲の注目を集めていた。幼いながらも、母親譲りの妖艶さを漂わせる美麗な容貌とスラリとした白皙の肢体。さらさらのショートヘアをなびかせて少年のように遊ぶ僕は、男友達の目から見ても異色の存在に映ったようだ。

 でも、僕は気にしなかった。両親からもう少し女の子と遊んだほうがいい、とは言われていたけど、やっぱり上手く接することができない。同世代より下の子だったら大丈夫だけど、年齢を重ねるごとにませていく女の子にはついていけなかった。

 別に男友達だけでもいいんじゃないだろうか。

 そう思っていた僕に、転機が訪れた。

「お、俺と付き合ってくれ」

 小学生高学年のとき、同級生の男友達から告白された。学校ではなくて、わざわざ近所の公園に呼び出されたから何かと思ったら、意外すぎる展開だった。

 その男友達とは、家に遊びに行くほどの仲だった。一緒にテレビゲームをしたりサッカーをしたり。数多くいる男友達の仲でも古株の友。親友とも呼べる存在だ。その彼が、僕のことを好きだという。

 告白を受けた僕は、しばらく返答に困った。

 まさか、僕が男の子に告白されるとは思わなかった。僕が男友達ばかり作っていたのは心が女性になり切れずにいたからであって、そう言った男女間での浮ついた感情は持ち合わせていなかった。そもそも、まだ小学生だ。恋愛感情など生まれるには、早すぎるのではないだろうか。最近の子は進んでいる。

「……ごめん」

 だから、僕は断った。申し訳なかったけど、仕方なかった。

 別に彼のことが嫌いだったわけではなく、ただ今の僕には男性を異性として認識することができなかった。ただそれだけのことだ。

 それなのに、少し胸が痛くなった。最近やけに胸が痛くなる。

 そのとき既に、僕は女性として成長を始めていたようだった。小学生だけど胸は衣服の上からはっきりとわかるほどになり、同級生の視線が集まるのがわかった。その中の一人に彼がいた。

 告白を断って少し気まずくはなったものの、彼との友人としての関係は続いた。小学校を卒業し、中学に入ってからも彼とは同じクラスで、一緒に登下校した。僕の恰好は紺色のセーラー服へ、彼の恰好は黒い学生服へと変わっても、僕達は昔のままだった。

 これからも、こうして友人として付き合っていけるのだろう。

 その願いは、またしても彼によって歪められると思わなかった。

「やっぱり、俺は奏のことが好きだ……」

 中学2年生になって、改めて彼から告白された。

 僕はそれほど驚かなかった。中学に入ってから、急激に告白されることが多くなったからだ。ラブレターや直接対面しての告白。同級生だけでなく下級生や上級生からも想いを告げられることが多かった。

 ただ、僕にはわからなかった。僕はただ仲良くしたいと思って接しても、男子達は違う感情を抱くらしい。小学校からの友人も同様で、告白をきっかけに縁がなくなってしまった人達が多かった。

 同世代の男の子から見て、僕は魅力的な異性に見えるらしい。確かに胸もだいぶ大きくなり、母の遺伝を色濃く受け継いだこの体は中学生ながら信じがたいほど美しく成長した。自画自賛したいわけではなく、自分の顔でありながらそういった感想を素直に抱いてしまう程度には整った外見になっていた。

 だけど、どうしてこうなったのだろうか。僕はただ男の子と友達として仲良くなりたかっただけなのに、近づけば近づくほどに彼らと僕は別の性別だという真実が突き付けられる。試しに仲良くスキンシップを取ってみると、その男子生徒は顔を真っ赤にして動揺した。それを見ていた女子生徒の視線が、厳しく僕に突き刺さった。

 気がつけば僕は孤立していた。別に虐めを受けていたわけでも、明確に無視されるようになったわけでもないけど、遠巻きに見られることが多くなった。それでも男の子からの告白は止まず、その度に断っては自分の性別を自覚させられる日々が続いた。

 そんな中に受けた、親友からの告白。親友は僕とは違い、クラスの中心人物になっていた。サッカー部に所属していて、来年は主将を任せられるとのことだった。すっかり孤立した僕とは対照的な存在だった。

「なぁ、奏」

「……何?」

「この前の、告白の返事が欲しいんだけど……」

 彼の言葉に、僕は黙して返答を先送りした。

 沢山いたはずの仲の良い友達は皆、友達ではなくなった。友達という関係から一歩先へと歩み寄ってきて、僕が拒絶してしまったためだ。はっきりと友達と呼べるのはもう彼だけ。その彼も、他の友達と同様に僕との関係を親密にしようとしてくる。

 男と女。彼氏と彼女。友人の関係では、もう満足してくれないらしい。

「ごめん……」

 僕はまた、断った。

 僕の生き方は、おかしいのではないだろうか。だから、皆が離れていってしまうのではないだろうか。中学卒業前に親友の告白を断った後、そう思うようになった。最初から速水奏として生きることができていれば、こうはならなかったかもしれない。

 高校生に上がった時には、僕は考えるようになった。

 このまま前世を引きずっていてもよいのだろうか。僕が速水奏に生まれ変わったのには、何か意味があるはずだ。一度そう思うと、それ以外の考えが浮かばなくなった。

 それと同時に、僕という前世の意識が本来あるはずの速水奏という存在を塗り潰してしまったのではないかと思うようになり、怖くなった。

 僕はこのままでいいのか。どうあるべきなのか。

 深く考え、僕が出した結論。

 僕が、速水奏になりきるという案だった。自分という存在の痕跡をなるべくなかったことにして、本当の彼女が辿るだろう筋書きを考え、行動に移す。それが、僕の知る速水奏への贖罪だった。

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