【短編版】速水奏ロールプレイ   作:早見 彼方

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羨望

 月曜日の朝は小振りの雨。それでも僕はいつものように早朝のランニングを欠かさず行い、朝の身支度を終えてから高校の制服に袖を通す。胸元のボタンを開けた白いブラウス。グレーのミニスカートを下に履いて、赤いネクタイをわざと緩めてつける。紺色のブレザーを羽織って、前のボタンは外したままにする。

 そうすれば、着崩した制服スタイルの出来上がり。胸の谷間がわずかに見えてしまっているけど、いつも通り我慢する。もう慣れたつもりでも、まだ気恥ずかしさは残っていた。場数を踏んでいれば、いつかは慣れる日が来るのだろうか。

「……違う。こうでもない」

 鏡の前で速水奏としての表情を作る。常に余裕を感じさせる表情を心掛け、静かな微笑みを形作った。

「よし……」

 表情形成の練習を終え、通学鞄を肩に掛けて部屋を出た。

「行ってらっしゃい。お土産よろしくね」

「学校に行くだけなんだけど……。行ってきます」

 朝から冗談を言う母親に見送られ、僕は外に出た。

 ランニング中にぱらついていた雨は止んでいた。空を薄っすらと覆う雲の下、数人の通行人が歩く住宅街を進む。見知った人に軽く頭を下げて挨拶し、見慣れた通学路を進む。そうしていると、僕と同じ学校の制服を着た女子生徒と男子生徒の背中を前に見つけた。

 仲が良さそうな二人の間にあるのは、愛情か友情か。

 仲が良かった昔の友人たちのことを思い出しながら足を進めた。

 学校に着き、今月から通うようになった二年生の自分の教室へ。顔を合わせた知り合いと軽く挨拶を交わし、妙に集まる男子生徒達の視線を受け流して自分の席に座った。教室の最後方にして窓際という人の干渉が少ない落ち着ける場所。鞄を机の横に掛け、鞄から取り出した本を広げて読み始める。

 読書は僕の心強い味方。一人静かに余暇の時間を潰すのにちょうどいい。

「……なぁ、この前速水に告白した奴、やっぱり振られたって」

「結果はわかりきったことだろ。もう何人も振られてんのに、よくやるわ。ドMかよ」

「速水って、彼氏いんのかな?」

「いるだろ。きっと大学生のイケメンとか、会社員のエリートとかだな」

「大人の関係か」

「あんな彼女がいるとか、死ぬほど羨ましいな……」

「そう思うんなら告白してみれば?」

「無理に決まってんだろ……。目を合わすだけでも緊張すんのに……」

 読書を始めたはいいものの、遠くで話す男子生徒達の声が聞こえて集中できない。本人たちは聞こえないとでも思っているのだろうか。何だか、わざと聞かされている気分になってしまうのは僕の考えすぎだろうか。きっとそうに違いない。

「……今日こそ速水さんをお昼ご飯に誘おう!」

 一度気になると、聞きたいとは思わなくとも声が聞こえてくる。

「先週も失敗したばかりだったよね? そもそも気づいてもらえていなかったし」

「で、誰が誘うの? アンタ?」

「……まず目を合わせられないから無理!」

「じゃあ、私が行こうかな」

「えっ」

「それじゃあ、アタシも一緒に行く」

「えっ、じゃ、じゃあ、私も」

「じゃあ一人で頑張って」

「遠巻きに応援してる」

「な、なんでっ!?」

 僕の話題は男子生徒に留まらず、女子生徒の輪から聞こえてきた。いずれも聞こえてきた感じでは友好的だった。だけど、こうもはっきりと自分の話題であることを自覚させられると、落ち着かない。陰口でないだけマシだと思うべきなのだろうか。

 それにしても、どうして皆は僕を遠巻きに見て僕の話ばかりをするんだ。もう少し視線や話題が僕から逸れれば、少し気を緩められるのに。見られていると思うと少しも油断ができない。

 ため息をつきたい気分になるけど、それも叶わず。もはやまともに文章も頭に入ってこない。せっかく大好きな作家さんの小説なのに、楽しめないのは非常に辛い。だけど今さら本をしまっても他にすることもなく、形だけでも読書をしている振りをした。

 長く感じられる時間でもいずれは終わり、朝のチャイムが鳴り響くと共に朝のホームルームの時間となった。僕は読書を止め、慌ただしく席に座ったクラスメイト達と一緒にやって来た担任教師の声に耳を傾ける。顔は窓の外の校庭に向けたまま。

 あぁ、サッカーしたい。バスケットボールや野球も。とりあえず、誰かと思い切り遊びたい。

 表情には出さずに願望を募らせ、ホームルームの後の授業を受けていく。前世は中学生まで生きた僕は、同世代よりも当然学業に習熟している。これまでの人生で高校の勉強にも事前に手を出していたため、意識を全て授業に割かなくてもいい。

 教壇に立つ女性教師の顔を意味もなく見据え、少しぼうっとする。

 すると、女性教師がほんのりと顔を赤くし、僕と同じようにぼうっとしだした。やめて、こっちを見てぼうっとしないで。授業して。

 同級生達が異変に気がつく前に慌てて視線を逸らし、窓に映る自分を見た。

 やっぱり、僕の顔か目は何かおかしいみたいだ。相変わらず理由はわからないけど。

 時間は刻々と流れ、午前の授業は終わった。僕は鞄からお弁当箱を手に取り、すぐに席を立った。

「あぁっ……! 行っちゃったっ!?」

 女子生徒の一人が出した悲哀の声が聞こえる横を通り過ぎ、教室を出た。

 着いた先は学校の中庭。午前中に天候は改善し、空はすっかり青い。鮮やかな花の咲き誇る花壇の近くに設置されたベンチが濡れていないことを確認してから座り、お弁当箱を膝に置いて昼食を始める。後から何人かカップルと思われる生徒達が来たけど、気にはならない。向こうは僕を気にせずに、イチャイチャしてくれている。

 僕は食事をしつつ、時折空を見上げた。

「はぁ……」

 気を緩められるひと時の癒し空間。こういう場所がもっと欲しい。一人カラオケはストレスを発散させる場所だから、少し違う。図書室は静かすぎるから、学校の中ではこの中庭くらいしか癒される空間はない。

 もっと、素の自分を解放させたい。

「……はっ」

 何だか少し気分が後ろ向きになりすぎている気がする。

 深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。ネガティブな心理状態は良い結果を産まない。もっと積極的にポジティブに頑張らないと。

「前向きに、前向きに……」

 暗示をかけるように小さく呟き、食事を再開しようとしたとき、スカートのポケットにある携帯電話が二回振動して大人しくなった。回数からして、メールのようだ。

 携帯電話を取り出して届いたメールを確認すると、青野さんからのメールだった。

『速水奏さん。こんにちは、青野です。昨日お電話とメールでお伝えしましたが、改めてご連絡いたします。事務所に所属するにあたっての手続き等を行いたいので、本日の学校の授業が終わりましたら、346プロダクションの正門前までお越しください。到着されましたら、ご一報ください。こちらからお迎えに上がります。不都合が生じた場合は、その際にはお電話いただけると幸いです。別の日程で再度調整させていただきます。以上です。よろしくお願いいたします』

 アイドルデビューまでいよいよだと思うと、少し緊張を感じ始めた。主に、これから新しい環境に身を置くことへの不安。だけど、それだけじゃない。今まで接触してこなかった、原作の登場人物たちとの距離が一気に近くなる。その点には少しどころではない期待感があった。

 これまでの人生で、僕が会おうと思えば会えただろう原作の登場人物たち。原作開始前から原作への影響とか個人の関係性を変えたくはなくて意図的に探すことはしてこなかったけど、同じ事務所に所属してからは普通に会っても問題はない。やりすぎない程度なら、仲良くなってもいいのかもしれない。

 想像していると少しだけ楽しくなって、僕は自然と微笑みを浮かべていた。何か久しぶりに自然に笑えた気がして、気持ちが楽になった。やっぱり僕は考えすぎなんだ。少しだけなら、気を抜いてもいい。むしろ、そのくらいがちょうどいいかもしれない。

 青野さんにメールの返事を送った後、僕は昼食を美味しく味わった。

 チャイムが鳴る少し前に教室へ戻り、席に座る。机に座って携帯電話を操作する。インターネット上の天気予報によると、今日はこのまま晴れらしい。傘を使わずに済みそうで幸運だった。

「あ、あのっ……」

 突然だった。正面に誰かが立ったのと同時に声を掛けられた。

 顔を上げてみると、一人の女子生徒がいた。茶色いポニーテールの元気そうな子。高校二年生にしては少し幼い外見をしている。表情には真剣そのもので、どこか緊張した面持ちだ。顔がほんのりと赤く、勇気を出して僕に話しかけているように思えた。

 いったいなんだろうか。僕は疑問に想いながらも携帯電話をポケットにしまい、応対した。

「何かしら? えっと……」

「あ、朝美(あさみ)です」

 名前がわからずに僕が言い淀むと、女子生徒は名前を教えてくれた。

「そう。朝美さん。それで、何の用かしら」

 名前も知らない間柄。もっとも、知らなかったのは僕の方だけだったみたいだけど、仲がいいわけではないのは事実だ。まだ高校二年に昇級してから間もなく、顔と名前が一致していない生徒の方が多い。その一人である女子生徒が僕にいったい何の用事なのか。

 朝美さんは少しもじもじとしていたが、意を決したように口を開いた。

「あのっ。もし良かったら、明日から一緒に昼食を食べませんか?」

 それは、予想外の提案だった。驚きそうになったけど、表情には出さずに内心に留めた。

「……突然ね」

「前から速水さんとお話してみたくて。それで……」

 朝美さんは僕の目をじっと見つめた。

「駄目でしょうか?」

 懇願するような眼差し。小動物に似た何かを感じる。僕は何も悪くないのに、なぜか悪いことをしているような気分になった。ここで断れるほど僕の気は強くない。

「……いいわよ」

 それに、断る理由もなかった。女子生徒の輪に混ざることに強い抵抗感もない。僕の心も少しは成長できたようだ。小学生や中学生の頃はこうはいかなかった。

「え、い、いいんですか?」

「いいわよ、別に。明日からでいいかしら」

「ぜ、ぜひっ、よろしくお願いしますっ!」

「え、ええ……」

 なぜか手を差し出されて頭も下げられ、僕は何となく応じてしまった。何か、告白されたときと似ている。違うのは、僕が相手に承諾したこと。僕が手を握ると、朝美さんは顔を上げて満面の笑みを浮かべた。嬉しそうに僕の両手を包み込んだ、

「そ、それじゃあ 、また明日!」

 まだ今日の授業は半分残っているけど、とは言えなかった。なるべく苦笑を浮かべないように平静を保ちつつ、僕は静かに頷いた。朝美さんは僕の手を離すと、ぱたぱたと走り去っていった。その速度は非常に遅かった。

「ぶ、無事に成功したよっ!」

 友人たちの輪へと向かい、報告をする朝美さん。その姿はまるで、飼い主に駆け寄った犬のようだった。朝美さんのお尻に機嫌よく左右に振られる尻尾が見えるかのようだった。

「アンタ、まるで告白してるみたいだったけど?」

「ええっ!?」

「まぁ、成功してよかったじゃん」

「偉い、偉い」

「こ、子ども扱いしないでっ!」

 朝美さんを囲み、頭を撫でる友人達。

 自然に、感情を発露させる姿。その姿を遠巻きに見て、僕は羨ましいと感じた。あんな感じに自分の心に嘘をつかずに振る舞うことができればどれだけ幸せか。それを受け止めてくれる環境も、何もかもが今の僕にはないものだった。

 自分を押し殺してただひたすら頑張ろうとする自分。そんな自分と楽しそうな目の前の光景を比較すると、少し苦しくなった。だけど、この苦しみは仕方のないことだ。僕はこれからもロールプレイを続ける。誰に強制されているわけでもない。それでもやらないと駄目だと思う。

 僕は、ふと横の窓に映る自分の表情を見た。

 その表情は、僕から見ても冷たさを感じさせるものだった。


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