スナイプvsアマゾンアルファ ―狩人ノ哀歌―   作:さかきばら けいゆう

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最終話 哀歌

 ―――水槽の底で、溺れる魚の夢を見た。悲鳴ひとつあげられぬままもがき、苦しみ、沈んでいくのが、たまらない恐怖だった。

 この孤独が、恐怖が、凍えるような寒さが死ぬということか、と悠はその時思った。

 

 だが、悠は今もこうして生きている。

 術後、生来の回復力で瞬く間に復調した彼は、今日から駆除班の仲間たちとの共同生活に戻る許可を貰うことができた。

 

「本当にありがとうございました、花家先生」

「報酬に見合う仕事をしたまでだ」

 

 ぶっきらぼうな言葉ではあるが、それゆえに信じられるし、彼なりの人間味を感じることができる。この野座間製薬でここしばらく息の詰まる思いをしていた悠にとって、大我という人物の持つキャラクターはある意味で癒しであった。こういう乱暴な中に気遣いがあるところは、志藤に似ているかもしれない。

 

「いえ……本当に感謝してるんです。<アマゾン>の僕なんかのために……」

 

 だからだろうか。口をついて出て来たのは、なぜ自分などを助けてくれたのかという、とても卑屈な問いかけだった。

 

「……俺の仕事は患者を治すことだ。理由は他に必要か?」

「……いえ、でも」

 

 単純明快な大我の答えに、思わず口ごもる悠。その胸の内には、未だ答えの見えない問いが眠っている。

 

「僕は……分からないんです。命を救われたことを、素直に喜んでいいのか。いつか誰かを食べてしまうかもしれない……そんな自分が、こうして生き延びて良かったのか」

「さあな。後はお前の人生だ」

「……しっかり、線引きされてるんですね」

「冷たいって言いてぇのか?」

「いえ、そういうわけじゃ」

 

 簡易診察室に、気まずい沈黙が流れる。そんな雰囲気に悠は思わず、項垂れながら唇をかみしめた。

 

「―――ま、線引きっていうのは必要だろう。それを自分で決めるのか、いわゆる『正義』って奴にゆだねるのかは別にしてもな」

 

 だが、そんな悠を慰めるように、大我がどこか穏やかな口調で語り掛ける。それは、悠を救うかどうかで葛藤し、己の線引きを再び見つめなおした大我なりの、今回の反省でもあった。

 

「……線引き、ですか」

「別に難しいことじゃない。今の自分が大切で、失いたくないものを守ればそれでいい」

 

 ―――水澤家で飼われていた頃は、あの小さな水槽の中だけが自分の全てだった。美月、そして母親。全てが管理され、整えられてはいたが、あそこには未来も可能性も無かった。生きている実感さえも、無かったように思う。

 けれど、今は違う。明日の我が身すら知れない、不確定な日々ではあるが、今の悠には共に戦うかけがえのない仲間がいる。大切で、失いたくないものがあるとすれば、それは彼らとの絆かもしれない。

 

「……僕は、みんなを……守りたい。……です」

 

 自分の心を確かめるように、悠がつぶやく。大我はそんな彼を横目で見つつ、感情の読めない顔で「そうか」とだけ呟いた。

 

 

 ※※※

 

 

 ―――なーなーはさんっ。

 

 ビル街の中に埋もれたその小さな家の玄関の前で、仁はいつものように家主の名を呼ぼうとした。

 だが、心の中で何度その名を繰り返しても、仁がその名を口にすることはできなかった。……その名を口にする勇気が、湧いてこないのだ。

 

 ……なぜ、自分は彼女の元へ帰って来てしまったのか。自分と共に生きることは彼女にとって不幸でしかないと知りながら、なぜノコノコとここに来た。

 あてもなく街を彷徨いながら<アマゾン>を狩る、そういう生活もできないわけではない。季節の変わり目で、天候もぐずついてはいるが、屋根くらいどこででも見つけられる。食料だって自給自足は可能だ。……なのにどうして、彼女に縋るような真似をする?

 

「……かっこわりぃなあ」

 

 人間を守るため、我が子同然の<アマゾン>たちを一匹残らず殲滅する。そのために人間を捨て去り、己の命もなげうつ覚悟を決めたはずだ。

 だがそれでも、己の弱さが、孤独への恐怖が、未だ心の中に根付いている。心のどこかで、救いを求めている。

 

「……断ち切らなきゃな。いい加減に」

 

 玄関のインターフォンに伸ばしかけた右手をぎゅっと握りしめると、仁は踵を返して歩き始めた。

 これ以上は彼女を巻き込めない。独りで戦い、そして死ぬ。それだけが、鷹山仁に許された運命なのだから。

 

 足取りは重いが、それでも進む。一歩、二歩、三歩……崩れそうになる心を必死に繋ぎ止めながら、なおも歩みを続ける。

 

「―――仁?」

 

 ……そうしてやっと曲がり角までやって来たところで、仁はばったりと七羽と出くわした。

 

「あれ……七羽さん」

 

 ほとんど無意識に、掠れた声で彼女の名を呼ぶ。

 すると七羽は、一瞬の沈黙の後、仁の元へ駆け寄ってその胸に飛び込んだ。

 

「え、と……」

「おかえり」

 

 力いっぱい仁を抱きしめながら、震える声で七羽が囁いた。フォークロアファッションの隙間から覗く白い肌に、ほのかに朱がさしている。

 そんな彼女の温もりを確かに感じ取りながら、仁は反射的に開いた両腕を、しばし持て余した後ゆっくりと七羽の肩に乗せた。

 この道の先に待つのは哀しみだけだと分かっている。だとしても……きっと彼女無しでは、いられないから。

 

「―――ただいま」

 

 

 ※※※

 

 

「それで今日は、こぉんなご馳走ってワケ?」

「報酬をたんまり貰ったからな……たまにはこういうのもいいだろ」

 

 野座間製薬から相当量の治療費を分捕った大我だったが、元々彼は金に執着するタイプの人間ではない。そこで考えたのが、ニコを伴っての高級ステーキハウスでの外食だった。

 二人がじっと見守る中、鉄板の上で血の滴るようなレアステーキがじゅうじゅうと音を立てて焼けている。そのかぐわしい香りに、ニコはたまらず恍惚の表情を浮かべた。

 

「ったく、獰猛なツラだな」

「あったりまえでしょー! こんなお肉、美味しく頂かなくちゃ損でしょ! いっただきまーす」

「あっバカお前、そういうのはちゃんとナイフで……!」

 

 フォークで肉を串刺しにして、まるごとかぶりつこうとするニコを止めようと、大我が思わず身を乗り出す。

 そんな大我の真面目さに、ニコは満面の笑みを浮かべるのだった。

 

 ―――今の自分が大切で、失いたくないもの。

 悠に言った自分の言葉が、跳ね返って来て心の中に反響した。


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