―――神樹。
それは、この四国という狭い世界で人々が生きる為に必要な恵みを齎してくれる神様の総称。大国主命が筆頭として、数多の国津神の集合体とされるモノ。
現代、神世紀296年においては神樹の恵みなしでは人々は生きる事は出来ない。何故ならば、世界は灼熱の炎が舞う地獄のような様相を呈しているからである。
事の起こりは西暦2015年7月30日。
天の神、つまり天照大神側の神が地上に生きる人間に神罰を下し始めたのが始まりだ。それが本当か、はたまた別の理由があるのか。真の理由は定かではないけれど、その日より天の神の遣いである異形の化物、バーテックスと呼ばれる存在が世界各地で大量に出現し始めた事だけは事実だ。
バーテックスの行う事は唯一つ。
人間の抹殺。
神の眷属であるバーテックスに人間の作った兵器は効かず、人類は瞬く間に食い殺され、絶滅しようとしていた。
―――だが、人類は滅びてはいなかった。
天の神と敵対する国津神達が神樹となり、四国という地を結界で守護したからだ。
その上で、神樹は天の神への抵抗を始めようとしていた。
神の遣いを殺せるものはソレに等しい存在だけだ。故に、天の神と敵対する神樹の中の国津神達は無垢な少女を見初め、眷属に等しき存在にした。
戦う力を得た無垢な少女達。人々は彼女達を勇者と呼んだ。
神の声を聴く力と、神の力を高める力を得た無垢な少女達。人々は彼女達を巫女と呼んだ。
しかし、力を与えられたと言っても所詮少女。戦い方を知らぬまま、その声を聴く力と神の力を高める事の意味を知らぬままであれば生きられる可能性はない。
故に勇者達は神の力に守られた四国の中で力を蓄え、巫女達は自身の力の意味を理解し、更に科学的に勇者の力を解析して作られた戦衣を身に纏い、三年の月日が経過した後に天の神の遣いであるバーテックスと戦い始め、
―――一年の奮戦の末に天の神を倒す事叶わず、先兵のバーテックス相手に一人を残して皆死亡するという最期を遂げた。
そうした経緯の末、西暦2019年に神樹の神と人々は敗戦を受け入れた。
そして、地上の四国という狭い土地から出ない事と、人々の解析した勇者システムの破棄を条件に天の神に生き残る許しをこう事に成功し、暦を神世紀と改めた。
敗北の結果、神話における国譲りが再現され、四国以外の地球上の全ての土地を天の神に譲り渡される事になり、地は裂け、燃えてマグマの様に溶け続ける一面が紅の世界。かつて青い星と呼ばれた地球の面影は何処にもなく、人々は神樹によって守られた四国の中で生き延び続けている。
―――だが、人々は敗戦を受け入れたものの敗北を受け入れた訳ではなかった。
多くの命を奪った天の神を許しはしないと。たとえ今は跪き、頭を垂れて屈しようともいつかは報いると牙を研ぐことを選択した。破棄を命ぜられた勇者システムも秘密裏に、極秘裏に強化され続ける事になる。
かつて『大社』と名乗っていた勇者システムの開発、並びに神樹を祀っていた組織は、敗北を期に負けて許しを請うた者達であるという戒めを籠めて『大赦』と名を変える。大赦は天の神への反抗の機会を作る為に徹底的な情報の秘匿と、神樹の存続を求められた。
神ゆえに祀られなければ力を失う神樹を存続させ、勇者システムを自分達以外の眼に触れさせず、記憶させない為に多くの事実を捻じ曲げた教育を四国という狭い土地に広めていく。
―――その昔、外の世界は爆発的な繁殖力と致死性を持つウイルスが蔓延していた。人々に安住の地はほとんどなく、死滅は目前とされていた。
―――その時、神樹様が降臨なされ、この四国をウイルスから守ってくださった。それだけでなく、生活に必要な水や食料、電気などといったものも恵んでくださった。
―――我々は神樹様に感謝を捧げる為に暦を神世紀と変え、今日でも恵みを下さる神樹様に絶やさず感謝を捧げなければならない。
勇者も、バーテックスも、天の神の存在も一切匂わせないこれが現代、即ち神世紀296年を生きる人々の当たり前の歴史であり常識である。
同時に、大赦に属す者たちにとって、勇敢に戦い散っていった勇者の名前を風化させねばならない屈辱の歴史でもあった。
「―――以上が今日に至る迄の大赦の足跡ですが、貴女には既知でしょう」
語りを終えたその人、和服に身を包み、顔を隠す面を付けた女性はそこで言葉を区切る。その言葉に、私は当然だと頷いた。
「そりゃあ、私も大赦の巫女兼技術部の一員ですから」
大赦に関わりのない一般人にとっては寝耳に水の話であるが、逆に言えば大赦の一員である人間であれば誰しもが知っている当たり前の情報だ。ましてや私は今言葉で告げた通り、巫女であり大赦の技術部の所属研究員でもある。
勇者システムのアップデート等も担う人員の一人である以上並みの大赦人員よりはそこ辺りに詳しい自信はある。
「で、態々家まで来て私に既知のことを話した理由は何ですか?」
尋ねる口調で、しかし私はその理由を確信しつつも、嘘であって欲しいと少しだけ願いながら続きを促す。
その女性は、私の意思を理解した上で、背後に置いていた三方を前にそっと差し出して来る。乗っているのは、大赦によって作られた、携帯端末。
「早朝。ご存じでしょうが神樹様より神託が御座いました。二年後に天の神による侵攻が再開すると。つきましては、我ら大赦の内より家格が高い家の者の中で三人、勇者適正を持つ者に勇者になり四国を護れとも」
「―――そのお役目に、私が選ばれたのですね」
「さようでございます。古き端末を置き、お受け取り下さい」
促されるままに、懐の内より端末を取り出して、三方の上に置いてある端末を手に取る。
つい先日まで、あの子達の為と思いながら組み上げていた物が手元にある事に感慨深さを抱きつつ、しかし内心で酷く焦燥する。
それ
「どうかその力で我々を御守り下さい―――鷲尾須美様」
「お役目を承りました。頭を上げて下さい―――安芸先生」
(―――やっべ、原作崩壊なんてレベルじゃなかったけどやっぱり美森ちゃんが勇者になれてねえ)
厳かなやり取りを交わしながら。私、鷲尾須美―――前世の記憶持ちは内心でそうテンパっていた。
―――……
鷲尾須美は勇者である。
それは現代、つまり神世紀296年から見て二年後の未来である神世紀298年の春から秋にかけて起きた、勇者とバーテックスの戦いを綴った『西暦』時代の小説である。
この場においての『西暦』とは、神世紀に繋がる西暦ではなく、全く別の世界の地球の『西暦』―――即ち天の神の襲来などが特に起きなかった地球の暦であり、私の前世の世界だ。その世界において描かれた物語であり、『わすゆ』と略される鷲尾須美は勇者であるという物語。
そして、私の名前も鷲尾須美。
書籍のタイトルにもなっている主人公の名前。
だが、本来この物語の中に、厳密に言えばだが
鷲尾家に子供は生まれず、しかし勇者にも家格が求められた為に大赦の中では位が低い東郷家にいた美森という少女が、勇者適正を持っていたが為に養子縁組という形で鷲尾家の少女となり、鷲尾須美として戦う物語なのだ。
なおその前提は私という本来生まれる筈のなかった存在で早くも崩れ去ったのだが。
ある日、ふとした時に前世の記憶を思い出して、それを理解した私は当然その時点で愕然とした。
(これどうあがいても原作に行かなくない?)
別に私はシュミレーテッドリアリティ、今生きている『この世界』を虚構の世界であり、物語の世界に入り込んだのだと思い続けている訳ではない……と、信じたい。
夢だと思い続けるにはもう時間が経ちすぎているから。
だが、『この世界』を理解した私は比喩誇張なくそう思ったのは間違いない話で、そして、絶望を覚えたのもその時だった。
―――『鷲尾須美は勇者である』はハッピーエンドに終わらない。
真のエンディング、ハッピーエンドに至るのは神世紀300年から先の物語である『結城友奈は勇者である』―――『ゆゆゆ』の話で漸く大団円となるのだ。
その前の話である『わすゆ』はいわばビターエンド、本当の鷲尾須美は戦った記憶と、足の自由と、友の命を失う。
そして、本来の須美は二年後の『ゆゆゆ』の話で記憶を失ったまま再び戦いに関わり、全てを取り戻した上で誰も犠牲を出さず、天の神を倒すのに一役買う。
その物語の中に誤差の余地はあれど遊びの余地はなく、命がけで紡がれなければ成し得なかった必然の奇跡の物語だ。
(―――綺麗な話で、感動する物語だけれど。私にその役目は無理だ)
だがソレを為しえるのは私じゃない、この世界で今も生きている本来鷲尾須美になるべき少女だから出来た事だ。少なくとも私には出来るとは到底思えない。
というか無理。
あんなヤベー国防芸人になれねえよ、なんだよα波って。
―――とかく、私が別人である本来の『鷲尾須美』にはなれない事は当たり前の話で、だから私は絶望した。
あの物語は、あの話は、いわばこの世界で人間が人間として生きる唯一の道を描いた話であり、最適解の話。
主役は誰一人欠けてはならないし、妥協してはならない物語。
だが、その主役の一人に私がなってしまい、既に本来の物語から解離しているのだ。
それでも、まだ、自意識を持ち始めた当初の私はまだ自分に勇者適正があると思っていなかったからまだ原作通りになるだろうとタカを括っていた。
まあ、そんな予想は小学一年生の時の健康診断に扮した適正検査でまさかの巫女と勇者のダブル適正を叩き出すという300年に一人か二人レベルのヤベー奴だと発覚するまでの間だったけれど。
そんな所まで原作の須美みたいにしなくていいのよってちょっと涙したけど。
ついでに原作須美と違って大赦の中でも上の家系だからか、そのまま小学校一年生にして大赦内で働くことになるとか想定外の上過労で目の下の隅がやばいんだけど。
というか神に見初められるのって無垢な少女だけじゃないの? 転生して何故か記憶引き継いでるしどう考えても私無垢じゃないけど。
そう言った事を思いつつも、それでも働いて、成果を出して、周りから喜ばれても、喜べない自分がいた。
―――何度でもいうが私は本来の『鷲尾須美』のようにはなれない。
ならその場合未来がどうなるのかと言えば、推測出来る未来は二つある。
つまり滅亡か救われるかの二択で、恐らく可能性としては五分五分……もしくは救われる可能性がもう少し低いと考えられる。
そして、救われる未来においても恐らく人が人として生きる未来はないだろう。
『ゆゆゆ』における人類の救済手段として用意された、遠回しな自殺とも呼べる行為である神婚に至り、その未来に辿り着く可能性が高い。
つまり、私がこの世界に生まれた結果、人の住むことが出来る最後の土地である四国の滅亡と、ひいてはそこに生きる400万人の死への引き金が引かれたに等しいと思えるのだ。
―――考えすぎだと人は笑うかもしれない。
だが、世界は人間に優しく出来ている訳ではないのだ。特に、既に70億もの人間が虐殺されているこの世界は。
―――……
「はぁ……」
承諾以外の選択肢のないお役目を承諾して、数日経過した日の日中。
小学校の授業と授業の中休みの間に、須美の口から先の見えない現状に幾度吐いたのか忘れた溜息が零れた。溜息を吐くと幸せが逃げると言うけれど、そうであれば私の幸せは一体何処へ逃げたのだろうなぁと余計な事に思考が逃げていく。
おまけに、お役目関係で連日大赦での増えた作業も相まってか睡眠不足で頭痛と、疲労と、倦怠感が合わさりどうにも気分が優れない。
だが今日も午後から仕事であり、これはまた栄養ドリンクに頼らないといけないなあと考え、更に憂鬱になって再び溜息を零して、椅子に身体を預けて力を抜いた。天井へと顔を向けて、息を吐いて目を閉じる。瞼を通して光源の光が見えるけれど、それを気にせず暫しその姿勢のままでいて、唐突に影が差した。
「気分が優れないの、須美さん?」
聞こえてきた耳に馴染みのある声に目を開いて、尋ねてきたクラスメイトの少女の顔を見る。予想通り、声の主である少女が須美を見て心配そうな表情を見て、少しだけ心がざわついた。
「大丈夫よ、
声を掛けてきた少女の名前は東郷美森。烏の濡羽色のような艶やかな髪と翡翠のような綺麗な瞳と、小学生のはずなのにメガロポリスクラスの御山を持つ女の子。
そして本来、鷲尾須美になるはずだった少女で、遠縁の親戚。
「それを聞いたら、どう考えても大丈夫とは思えないのだけど、本当に大丈夫?」
「辛いけど、お役目に関係する事だからね」
「それは……それなら仕方がないのかしら」
「そうそう、仕方がないことなのよ。神樹様のお役目は最優先だから、今日もこれから徹夜コースでも仕方がない事なのよ」
「身体の方が大丈夫に思えないわ、目が死んでるわよ、須美さん」
「―――うん、大丈夫じゃないね。めっちゃ辛いからちょっと癒してー美森ちゃん」
言葉を口にしながら、席を離れずに横にいる美森に私はしな垂れかかる様に抱き着く。突然の私の行動に、しかし美森は慣れたもので、身体を抱き留めてそのまま頭をポンポンと優しく撫でつけてくれる。
優しい手つきに、ほっと息を吐いて、
「……お母さん」
言葉が思わず漏れて、次の瞬間ピシりとおでこに痛みが奔った。
「あいたぁ……」
「誰がお母さんよ。こんなに大きい娘を持った記憶はありません」
「あはは……ゴメンゴメン」
「全く、もう」
呆れたような口調で、しかし頭を撫で続けてくれる美森の手に身を委ねながら、こんな時間が何時までも続けばいいなあと、心の奥底からそう思う。
(その為には、これから先の戦いを切り抜けないといけないのよね……)
未来はあるのだろうかと、不安が胸中に溢れる。
だけど、この穏やかな日々を、何気ない日常を諦めたくないという気持ちもまた確かに胸にあるのは事実だった。
「……頑張らなきゃ、ね」
登場人物紹介
鷲尾須美:本作主人公。勇者、巫女、研究員の三重過労死枠のヤベー奴(予定)。転生だか成り代わりだかなってるけどそんなの気にするより未来の平和と睡眠時間が欲しい小学四年生。
東郷美森:原作鷲尾須美は勇者であるの主人公、鷲尾須美その人。今作だと須美の遠縁の親戚らしい。原作と同じ勇者適性と巫女適性を両方持っているけれど家格がそこまでじゃないから今作だと勇者にならなかった。ある意味幸せかもしれない小学四年生。なおその結果世界は滅ぶかもしれない。
安芸先生:須美達の学校の先生。大赦の人員。須美の睡眠時間が削れることを伝えた良い人。