重ねたキズナと巡る世界   作:唯の厨二好き

32 / 73
第31話 ヒーロー参上

 異界から飛び出した伊織達。彼等の目にまず映ったのは、夕日に照らされ燦然と輝く金閣寺だった。赤とオレンジの光が、まるで金閣寺を燃え上がらせているようだ。一瞬、その美しい光景に目を奪われたものの、直ぐに【円】を発動して周囲を探る。

 

 金閣寺の周辺は、未だ多くの観光客で賑わっていた。【円】に反応する気配も自然と多くなる。伊織は更に耳を澄ませて、ミク達は【サーチャー】をバラ撒いて探索を続けた。

 

「……こっちか」

 

 時間にして十秒ほど。伊織達は魔力のうねりを感知する。場所は、どうやら京都駅の付近らしい。ミクが転移魔法を発動し、周囲の観光客に悟られることなく、その場から姿を消した。

 

 伊織達が転移した場所は京都駅の特徴的な屋根の上だ。その中央付近の鉄骨の上で黒いフード被った男が両手で印を組みながら何やらブツブツと呟いていた。

 

「そこまでだ、はぐれ術師」

「!?」

 

 伊織達の転移に気がついていなかったようで、そのフードの男はギョッとしたように振り返った。

 

「……」

 

 はぐれ術師は何も言葉を発しない。観察するように、突如現れた伊織達をフードの奥からジッと見つめている。暗がりの奥から覗く瞳は炯々とした光を放っており、どこか狂気を感じさせるものだった。

 

「はぐれ術師、俺は協会から派遣された退魔師だ。あんたを捕縛するか討伐しなきゃならない。だが、出来れば捕縛の方が俺としては望ましいんだ。だから、なぜ鬼の襲撃に手を貸しているのか……話してくれないか? 場合によっては力になることも出来る」

 

 伊織は、はぐれ術師に語りかける。それは、問答無用を良しとしない、“騎士”としての伊織の在り方だ。一世紀以上、掲げ続けた在り方を転生したくらいで今更変えようとは微塵も思っていない。救いを求められれば手を差し伸べるし、基本は不殺の方針だ。伊織が、“殺し”を許容するのは、化け物に“堕ちた”者。

 

 なので、もしはぐれ術師が、やむを得ない事情から行動を起こしていると言うのなら、伊織としては、その問題解決のため力を貸すつもりさえあった。

 

 しかし、そんな伊織の思いは、嘲笑と共に返された。

 

「ひ、ひっ、ひゃぁひゃひゃひゃっ!! 力になる? お前のようなガキ如きが、私という至高の存在に何ができるというのだ!? 協会の術師など、愚物ばかりではないかぁ!!」

 

 フードをはだけさせ高笑いする男。どうやら、協会の退魔師達に思うところがあるらしい。この世の全てを見下すような、不快な笑い声が響く。

 

「……協会に思うところがあるのか?」

「思うところだってぇ? 何もない。何もないとも。私の崇高な理念を理解できない愚かな者共のことなど、とうの昔に見限っている!」

「崇高な理念? 何があったんだ? それが今回の事件と関係しているのか?」

 

 男のヒステリックに、エヴァ辺りは既に殺っちまう気満々のようだが、それを抑えながら、伊織は冷静に動機を探る。内心、こいつダメっぽいなぁとは思っていたが、無知なまま力を振るうのは伊織の信条に反するのだ。自分でも面倒な性格だとは思うが、こればかりは仕方ない。

 

「ほぉ、私の理念が気になるか? ひひっ、良かろう。そう遠くない内に、私は全ての術者の頂点に立つのだ。そうなれば、協会などと言うゴミ溜めは掃除する予定だからな。冥土の土産に教えてやろう」

 

 犯人は、得てして自ら悪行を語りたがるもの。崖ではないが屋根の上というのも絶好のシュチュエーションだ。

 

「私は元は協会の退魔師だった。そこで、とある研究をしていたのだよ」

「研究?」

「魂魄を操る研究だよ」

「……」

 

 はぐれ術者曰く、退魔師の端くれだった彼は、妖怪の使役について研究をしていた。それは彼自身が、戦闘面でそれほど優秀な退魔師ではなかったために、式として妖怪を使役し実力不足を補おうとした事に由来する。

 

 戦闘面で平凡だった彼は、しかし、研究者としては優秀だった。結果、生み出されたのは魂魄に楔を打ち込み対象を操るという術。名づけて“魂操法”。彼は、狂喜した。これで強力な妖怪を従えれば、退魔師として十全に能力を発揮できると。

 

 しかし、魂操法は自らが所属する協会によって禁術指定され破棄される事が決定されてしまった。理由は言わずもがな。約定を結ぶ妖怪達への無用の危機感を植え付けてしまうからだ。

 

 妖怪を従える方法は古来より無数に存在している。だが、魂操法は、妖怪の意思を一切無視し、術にはまれば正真正銘奴隷と化してしまうものだ。妖怪達の尊厳を著しく踏みにじるものであり、協会と妖怪側の不干渉・不可侵の約定に亀裂を入れかねないものだったのだ。また、魂操法の効力が妖怪に限らないという点も問題だった。

 

 彼は、この決定に納得できなかった。彼は、元来プライドが高く、また妖怪に対して過激な思想を持っていた。戦闘者として下に見られ続けた屈辱は忘れ難かったし、妖怪など全て滅んでしまえばいいと本気で思っていたので、協会側の示した理由は理解不能だった。なぜ、害獣に過ぎない奴等に配慮しなければならないのか? 害獣に害獣を殺し合わせるなんて極めて効率のよい優れた方法ではないか、と。

 

 彼は、悩んだ末、とある結論にたどり着いた。実績さえあれば、魂操法の有用性を協会も認めるだろう、と。故に、強行に出た。協会との約定の内にある妖怪、とある善の妖怪を罠にはめて隷属させたのだ。

 

 その結果は言わずもがな。妖怪側は激怒し、協会側は彼を罰する事で謝罪を示そうとした。誰も自分を認めない。協会は仇敵であるはずの妖怪と訳のわからない約定など結んでいる。彼の積もり積もった不満は爆発した。密かに隷属させていた妖怪を操り、同僚の退魔師や妖怪を多数殺害して逃亡したのだ。

 

「わかるかね? 協会がどれほど愚かか。退魔師の使命は、妖怪の殲滅だというのに迎合などした挙句、私という誰より尽力した功労者をあっさり切り捨てる。どうだ? 開いた口も塞がらないだろう?」

 

 確かに、伊織は開いた口が塞がらなかった。

 

 結局のところ、目の前の得意気な顔をしている男は、自分の優秀さを周囲に認めさせてプライドを満たしたかっただけなのだ。妖怪退治とは、自らのステータスをアップさせるための道具に過ぎないだろう。でなければ、平和を保てている妖怪側と協会側の約定をここまで無視できるわけがない。それを無視できるのは、自分のことしか考えていない証拠である。

 

「……まさかと思うが、あの鬼の群れは……」

「もちろん、私が隷属させているのだよ。ククク、中々に壮観であろう?」

「九重をさらおうとしたのは、隷属するためか?」

「ああ。本当なら八坂がいいのだがな、流石に魂操法と言えど、あれほどの大妖を隷属させるのは難しい。莫大な時間がかかるからな。それならまだ幼く、抵抗の少ない九尾の娘を調教した方が効率が良い。潜在能力はお墨付きだ。娘を落とせば、親も抵抗を弱めて手に入るかもしれんしなぁ。そうなれば……ふふふ、まずは協会を潰し、妖怪を殲滅し、私こそが新たな秩序の番人となろう!! どうだ、小僧? その年なら未だそれほど協会の悪しき思想に毒されてはいないだろう。私に仕えさせてやってもいいぞ?」

 

 どうやら九尾の親子を隷属させつつ、他の妖怪は滅ぼしたいようだ。日本三大妖怪の一角を手中に出来れば、確かに最高峰の術者と名乗っても過言ではないだろう。その後、まともに生きられるとは思えないが。

 

 と、その時、我慢の限界だったのかエヴァが鬱陶しげに言葉を発した。

 

「伊織……もういいだろう。こいつはダメだ。典型的な“悪”だ。いや、悪のなりそこないだな。己の理想の為に他者を犠牲にしても、そこに覚悟がない。自分以外の何も見えていない愚者だ。構うだけ無駄だぞ」

「……何だと、小娘」

 

 見た目、十四歳くらいの少女に心底バカを見る眼差しを向けられて、得意気だったはぐれ術師の顔を盛大に歪んだ。それはもう内面を表すように醜い表情に。それに対し、エヴァは鼻を鳴らして嘲笑を向ける。

 

「ふん、そもそも強力と言っても唯の鬼が八坂に勝てるわけなかろう。柔能く剛を制すを体現したような妖怪だぞ? いい様に翻弄されて、本来の力を発揮できないまま下されるのが関の山だ」

 

 エヴァの言葉に、しかし、はぐれ術師はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「唯の鬼でなければ?」

「なに?」

「ククク、私が、そんな事も分からずに打って出たと思うのか? 今、九尾と襲っているのは唯の鬼ではない。九尾の狐と同格と謳われた大妖だ!」

 

 伊織達がハッとした表情になる。まさか、という思いが胸中を過る。

 

「気が付いたか? そうだ。今、お前達の脳裏を過ぎっているその大妖だ。大江山の大鬼。三大妖怪の一角。――酒呑童子だ」

「あのでかい気配は、そういうことか」

 

 伊織が、舌打ちしそうな表情になる。ミク達も、はぐれ術師が既に三大妖怪の一角を手中に収めている事に驚きを隠せないようだ。エヴァは、ここにはいない酒呑童子に対し、最強の鬼の癖に何をやっているんだと天を仰いでいた。

 

「解せんな。お前のような踏み台臭漂う三下ごときに酒呑童子を従えられるとは思えん」

「……小娘ぇ。よかろう。所詮は、貴様等も協会の下らぬ教えに染まりきった愚物にも分かるように、力の差というものを教えてやろう!」

 

 はぐれ術師が一瞬の隙を付いて印を組む。

 

「させるか」

 

 それを見て、伊織が一瞬で距離を詰め、殺すつもりで拳を放った。伊織の中で、既にはぐれ術師に対する処遇は決まっている。すなわち、“お前を人とは認めない”だ。放っておけば、自らの自尊心を満たすためにどれだけの犠牲が出るか分からない。改心の可能性とこの先の未来で犠牲になるかもしれない人々の命、その二つを天秤に掛けて後者を選ぶ!

 

 念能力の一つ【硬】を行使した拳は、それだけで戦車砲にも劣らない。空気を破裂させながら反応すら許さず放たれた伊織の拳は、あっさりとはぐれ術師の腹部を貫いた。

 

ドパンッ!!

 

 そんな衝撃音と共に、はぐれ術師の体が浮き上がった。きっと、内蔵があらかた粉砕されていることだろう。

 

 しかし、

 

「ふふふ、私を排除するため協会が退魔師を送り込んでくる事は予想済みだった。分かっていて何の対策も取らないわけがないだろう?」

 

 即死してもおかしくない衝撃を受けながら、崩れ落ちたはぐれ術師の体から声が発せられた。その直後、はぐれ術師の輪郭が崩れていき、痩せぎすの男だった容貌が鬼のそれに変わる。

 

「チッ、式に意識だけ飛ばしていたのか」

「ご名答、鬼の体を一撃で戦闘不能にしたのは驚いたが、殺すには未だ足りない! さぁ、術の完成だ!」

「ミク!」

「はい、マスター!」

 

 横たわりながら、はぐれ術師が鬼の体を操って術の行使を続行する。伊織は、咄嗟にミクの名を呼んだ。それだけで、ミクは伊織の意図を正確に理解し、刀型アームドデバイス:無月を振るった。

 

――京都神鳴流 斬魔剣 弐之太刀

 

 それは神鳴流の奥義が一つ。斬りたいものだけを斬る退魔の剣。鞘走りの澄んだ音を響かせながら、曲線を描く斬撃が飛ぶ。目標に到達した斬撃は、そのままはぐれ術師の意識のみを切り裂いた。

 

「ッ!!!? なにぃ!!」

 

 はぐれ術師の驚愕の声が響き渡った。【凝】をした伊織達の目には、薄い靄のようなものが斬り飛ばされて鬼の体から出て行くのが見えた。しかし、術を止めるには、僅かに遅かったらしい。

 

 はぐれ術師の意識体と思われる靄が霧散すると同時に、京都の地が鳴動した。それは、地震のような物理的なものではない。常人には感じられない力場の乱れ。荒れだした霊脈が呪的な波動を発しているのだ。

 

「これは……」

「どうやら、霊脈を弄ったようだな。どこかに強制的に流しているようだ。あの程度の奴に出来ることとは思えんが……酒呑童子の力でも借りたか」

「それを言えば、酒呑童子を隷属させた方法も気になるところだよね。魂操法が、どの程度のものか分からないけど、対処法を見つけておかないと八坂さんも九重ちゃんも危ないよ」

 

 苦虫を噛み潰したような表情の伊織に、エヴァとテトが声を掛ける。二人共、はぐれ術師を逃がした事を苦々しく思っているようだ。先程から、繰り返し【広域探査魔法 ワイドエリアサーチ】を行使して本体の居場所を探っている。

 

 しかし、おそらくはぐれ術師が捕まることはないだろう。隷属させた鬼に意識を飛ばし、術まで行使できるというなら、わざわざ危険な前線にでる必要などないのだ。今も、遠く離れた安全圏にいるに違いない。

 

 こうなれば、倒れている鬼を治療して、何とか隷属から解放し居場所を吐かせるかと伊織達が眼を剣呑に細めたとき……その声は届いた。

 

――伊織ぃ! 伊織ぃ! 助けてたもう! 母上が! 母上がぁ!

 

「っ……九重か!」

 

 そう、それは九重の助けを求める悲痛な叫び声だった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 時間は少し戻る。

 

 伊織達が、はぐれ術師を発見し、その動機を探っているとき、異界の中の妖怪戦争は激化の一途を辿っていた。

 

 凄まじいまでの膂力と耐久力を発揮する鬼の群れに、各妖怪達は、複数で取り囲んで相対することでどうにか互角の戦いを演じていた。しかし、四方から群れを率いてきた五体の鬼が格別強力で、京妖怪達は苦戦を余儀なくされ、ちょっとした油断一つで均衡は崩れかねない事態だった。

 

 特に、御大将である八坂が一体の鬼に掛かりきりである事が、士気的にも京妖怪達をジリジリと追い詰めていた。

 

 そんな異界の一角で爆炎が噴き上がる。周囲一帯を纏めて紅蓮に染め上げたそれは、九尾の放つ強力無比な狐火だ。空気すら焼き焦がしそうな熱量が相対する敵を焼滅させんと急迫する。並みの妖怪なら、壁と称しても過言ではない大規模破壊を前に、膝を屈して絶望するしかないだろう。

 

 しかし、今ここにいる敵は妖怪最強の一角。そう簡単にはいかなかった。

 

「がぁああああああ!!!」

 

 雄叫び一発。裂帛の気合と共に真っ直ぐ突き出された巌の如き拳が、大気そのものを叩き衝撃波を発生させる。直線上の地面を抉り飛ばし、迫る火炎に激突した衝撃波はそのまま壁を突き崩すように九尾狐八坂への道を切り開いた。

 

ドンッ!!

 

 そんな音と共に、踏み込み一つで大地を陥没させる。そして、砲弾の如く突き進み、今度はその拳を八坂の鼻面へと叩き込んだ。が、次の瞬間、あわやミンチになるかと思われた八坂の姿はグニャリと空間ごと歪み霧散し、同時に絶妙なタイミングで火柱が噴き上がった。

 

「……これも効かんか。鬼とは真、呆れるほど頑丈よな」

 

 手に持った扇子をパチリッと鳴らしながら閉じる八坂。呆れ顔の彼女の視線の先で、轟々と噴き上がっていた火柱がパンッ! という破裂音と共に弾け飛んだ。

 

「てめぇこそ、相変わらずうぜぇ戦い方だ。戦いの粋は、殴り合いだろうが。ちょろちょろしてんじゃねぇよ」

「脳みそまで筋肉で出来ておる主等鬼と一緒にするでない。そもそも、人に使われておる分際で、粋もなにもなかろう? 気がつかないとでも思ったか。魂に枷なんぞ付けられおって。情けなさここに極まれりじゃ――崩月よ」

 

 八坂の痛烈な言葉に、酒呑童子――崩月は、バツの悪そうな表情になった。

 

「それを言われるとなぁ。何も反論できねぇや。だがよぉ、まさか封印解かれて寝ぼけてる直後に赤龍帝が相手とは思わねぇだろ? 何とか相討ちにはもっていったものの、力ぁ失って眠ってるところを、あの野郎に十年以上掛けて侵食されたんだ。ちっとは同情してくれてもいいんじゃねぇか?」

「はん、本当に同情なんぞしたら激怒するくせに何を言うておる。大体、そんな楽しそうな顔をして語っても説得力が皆無じゃよ」

「ハハッ、わかるか? 野郎は気に食わねぇが、お前と殺れるって点に関しては感謝だぜ。よぉ、八坂ぁ。俺を差し置いて妖怪の大将を名乗るたァふてぇじゃねぇか。いっちょその称号、俺に奪わせろや!」

 

 鬼らしい獰猛な笑みを浮かべて、そうのたまう崩月に八坂は「これだから、鬼は嫌なんじゃ」と心底面倒そうな表情になった。しかし、次の瞬間には、その黄金の瞳を縦に割り、身の内に眠る莫大な妖力を一気に開放した。

 

「大言を吐くでないよ。人の家畜に成り下がった分際で頭が高いというもの。この八坂の娘を狙った事も万死に値する。今宵、酒呑童子の伝説に終止符を打ってくれようぞ」

「ハハハハハハハッ!! そうこなきゃなぁ!!」

 

 崩月が八坂の言葉に呼応して凄絶な笑みを浮かべる。そして、周囲に荒れ狂う八坂の妖力を、自らの妖力で難なく押し返した。直後、八坂の姿が二重三重にブレたかと思うと、周囲一帯に数え切れない程の分身が現れ、その九つの尾が鋼鉄より尚強靭な槍となって一斉に降り注いた。

 

「しゃらくせぇ!!」

 

 それに対して、崩月がしたことは実にシンプル。ただ、その莫大な膂力に任せて地面を殴りつけ、割れた岩盤を振り回しただけ。それだけで、大半の尾槍が弾かれ、砕けた岩盤が散弾となって八坂の分身体を次々と貫き破壊した。

 

 更に、視認すら難しい程の拳速を以て四方八方に衝撃波を飛ばしていく。八坂の千を軽く超える尾槍のラッシュは、分身体ごと衝撃波に巻き込まれて粉砕されていった。

 

 十秒か、一分か。一瞬とも永遠とも思える激烈な攻防は地形すら変えていく。これが異界ではなく現実世界ならば、一体どれほどの被害が出ていたか。八坂の分身体がほとんど吹き飛ばされ、攻防が一息ついた頃、その場所は崩月を中心に、まるで爆撃にでもあったかのような有様になっていた。

 

「おらぁ! 腑抜けてんじぇねぇぞ、八坂ぁ! これでよく妖怪の大将を名乗れたッ!?ガァ!!」

 

 崩月が、己の無傷を殊更晒しながら八坂を嗤った瞬間、その言葉が言い終わる前に赤い閃光が彼の右胸を貫いた。咄嗟に身を捻らなければ心臓を穿たれたかもしれない。強靭な鬼の防御力を貫いたその一撃を放ったのは、当然、八坂である。

 

「どうじゃ? 極限まで圧縮された狐火の味は。中々、甘美じゃろ?」

「クックック、さっきの分かれ身は、ただの時間稼ぎか。飽きもせず、小賢しい策ばかりポンポンと……」

「こんなもの策の内にも入らんわ。見抜けんかったのは、お前さんが阿呆なだけじゃ。ほれ、次ゆくぞ?」

 

 そう言うやいなや、崩月の周囲にポッポッポッと狐火があがる。咄嗟に、崩月が拳で払おうとしたが、いつの間にか片手で刀印を組んだ八坂が、その指で五芒を描いた。途端、崩月の拳を避けるように形を崩した狐火は、その姿を管狐のように変化させ、そのまま宙に五芒星を描いて崩月を捕らえる檻となった。

 

「はっ、こんなもんっ!」

 

 崩月の筋肉が眼に見えて隆起する。それに合わせて、管狐の五芒結界がピキピキッと嫌な音を立て始めた。数秒もすれば砕け散りそうだ。

 

「じゃが、時間稼ぎには十分」

 

 その呟きに反応して崩月が視線を結界から意識を八坂に転じると、ちょうど彼女の九尾が、まるで砲台のように先端を己へと向けていた。その先端には、遠目にも分かる凄まじい熱量が集まっている。

 

「や、やべぇ!」

 

 咄嗟に崩月が腕をクロスさせるのと、九つの赤き閃光が着弾するのは同時だった。八坂の放ったレーザーの如き熱線は、数条が貫通し、崩月の背中から抜けて彼方へと消えていく。心臓と頭部だけは両腕の犠牲と咄嗟に集中して高めた妖力によって無事だったようだ。

 

「へっ、思ったより大したことねぇなぁ!」

 

 管狐の結界を砕きながら、崩月が不敵な笑みを浮かべる。ダメージはあるが致命傷には程遠いようだ。体に数箇所穴が空いたくらいでは、どうということもないらしい。しかし、あまり有効打とならなかったにもかかわらず、八坂は動揺した様子もなく更に印を組む。

 

 直後、閃光が貫いた崩月の傷から青白い狐火が噴き上がった。

 

「ッ!?」

「鬼の膂力は外から抑えられるようなものではない。ならば、内から(・・・)狙うのは当然じゃろ?」

 

 八坂の刀印が九字を切る。崩月の身の内から噴き上がった蒼炎はそのまま彼の肉体に絡みつき体の内外を貫通して拘束する鉄壁の檻となった。

 

「ぐぉおおおおおお!!」

「無駄じゃよ。ここを誰の土地と心得る。外の世界ならいざ知らず、地の利はこの八坂のもの。貴様なら破ることは不可能ではないが、少なくとも次手には間に合わんよ」

 

 雄叫びを上げながら蒼炎の拘束を解こうと妖力を高める崩月だったが、先程の管狐の五芒結界と異なりビクともしない。どうやら、異界を巡る霊脈が拘束の効果を高めているようだ。八坂自身の言う通り、ここは力場を管理する八坂の本拠地。地の力は全て八坂の味方だった。

 

 八坂は、更に印を組み九尾から妖力を噴き上がらせながら天を仰ぎ見た。そして、スっと息を吸うと、甲高い澄んだ鳴き声を響かせた。

 

クォーーーン!!

 

 すると、月が見えていた異界の空が何処からともなく湧き出た分厚い雲に覆われ始め、数秒もすると、チラホラと白い光を降らし始めた。それは、一見すれば舞い降りる雪のようで、どこか幻想的な美しい光景ではあったが、少しでも力ある者なら戦慄の表情を浮かべるに違いない。

 

 なぜなら、その雪のように見える白い光の全てが、途轍もない力を秘めた狐火であるからだ。淡い白炎は、ふらりふらりと降り注ぎ、未だ拘束を解けない崩月へと付着すると溶け込むように消えていった。

 

 次の瞬間、

 

「――ッ!?」

 

 崩月から声にならない絶叫が上がった。

 

「どうじゃ? 雪焔の味は。魂を直接溶かされる痛みは想像を絶するじゃろ? 此度の(いくさ)で無念にも散っていった者達へのせめてもの手向けじゃ。せいぜい苦痛に喘ぐが良い」

 

 八坂が冷めた眼差しを向ける。分身体の攻撃から今この瞬間まで、全てが八坂の思い通りだった。これが外の世界であれば、ここまでスムーズには行かなかっただろう。最後に行使した【雪焔】も、本来なら、ここまで素早く発動できる程簡単な術ではない。この異界では、全てが八坂の有利に働くという、それだけのことだった。

 

 そのことは崩月とて分かっていたはずであり、本来の彼ならば、いくら脳筋とはいえ、おびき出す程度の知恵は働かせるだろう。それにもかかわらず、バカ正直に正面から乗り込んできたのは、彼を操るはぐれ術師が愚鈍であるからだろうと、八坂は僅かばかりの同情を抱きながら白炎に溶かされていく酒呑童子の最後を見つめた。

 

 既に勝負はあった。今の状況を見れば、百人中百人がそう判断するだろう。だが、酒呑童子を隷属させた男は、確かに愚か者ではあったが、馬鹿ではなかった。伊織達との邂逅で少し遅れはしたが、予定していた秘策は確かに発動したのだ。

 

ゴゴゴゴゴゴゴッ!!!

 

「ッ! これは! まさか、霊脈がっ!」

 

 突如発生した、世界を震わせる鳴動。力場のバランサーたる八坂は直ぐにその原因が、霊脈の異常であると察した。そして、乱された“力”が流れ込む先を察知して焦燥をあらわにする。

 

 咄嗟に、印を組んで周囲の力場を調整しようとしたが――時既に遅かった。

 

「グルゥァアアアアアア!!!」

 

 天すら吹き飛ばしそうな咆哮が轟く。いや、実際に、【雪焔】を降らせていた曇天が、崩月より噴き上がった桁外れの妖力と、それが乗った咆哮によって吹き飛ばされてしまった。八坂の術によって形作られた暗雲は、円を描くように吹き散らされ、ちぎれた斑雲の隙間から月が顔を覗かせる。

 

 降り注ぐ月明かりが影を作り出した。八坂を覆う巨大な影だ。彼女が、ハッとした時には既に壁のような拳が眼前まで迫っていた。

 

ゴバッァアアア!!!

 

「くぅううう!!」

 

 凄まじい衝撃音と共に直撃した鬼の拳。咄嗟に、扇子と尻尾を重ねて防御したものの、元来、頑強さには期待できない身。八坂の体は容易く吹き飛ばされた。半身だけ消し飛ばなかったのは、むしろ僥倖だろう。

 

「ガハッ! ゲホッ!! グゥウ……」

 

 地面と水平に吹き飛ばされ、木々を幾本もへし折りつつ、地面を削って漸く停止した八坂は、蹲ったまま盛大に血を吐き出し苦悶の声を上げた。

 

 そこへ、大気を爆ぜさせ更に追討ちがかかる。

 

「ガァアアア!!!」

 

 鬼の咆哮により衝撃波が発生し、咄嗟に回避しようとした八坂の動きを僅かに鈍らせる。尾の力で土砂を噴き上げ目眩まししつつ大量の狐火もバラ撒いて、その隙に幻術で身を隠そうとした八坂だったが、爆発的に妖力を増した崩月の前では文字通り小細工でしかなかった。鈍った動きは、やはり致命的。

 

 崩月の拳は、八坂の左腕を根元から粉砕した。

 

「ぐぅうう!!」

 

 もし、尻尾を使って無理やり体の位置をずらさなければ、そのまま上半身が消し飛んでいたかもしれない。八坂は、左腕を犠牲にしながらも、それにより出来た刹那の隙を逃さず純粋な妖力の塊を発した。それにより、更に出来た時間を利用して空へと飛び上がる。

 

 足裏に豪風と共に通り過ぎた拳を感じながら、己の身を化生へと転化する。妖狐の姿は、人型に比べて細かい技巧に向かないが、大規模な破壊行為には最適だ。もう、異界への影響や、周囲にいるかもしれない配下の妖怪達を考慮している場合ではない。眼前の敵を討つ事に全力を注がなければ、全てを失ってしまう。

 

 大地を放射状に砕きながら、崩月が八坂を追って夜天に飛び出してくる。同時に、八坂の九尾が爆発的に輝き、太陽と見紛うほどの火炎球を作り出した。それだけで、異界が耐えられないとうでも言うように軋み悲鳴を上げる。

 

「クォオオオオオン!!」

「グルァアアアア!!」

 

 互いに全力。日本三大妖怪の二角が、それぞれ絶叫を上げながら異界の夜天で激突した。

 

 異界全体に衝撃が駆け抜ける。放射状に広がったそれは、眼下の森を吹き飛ばし、その向こう側にある江戸時代風の家屋を纏めて薙ぎ倒した。上空には、莫大な熱量の炎が、まるで津波のように広がり荒れ狂っている。

 

 その戦慄すべき光景を、屋敷の一角に敷かれた結界の中から見ていた九重は、敬愛する母親の悲鳴を聞いた気がして、その幼い顔を悲痛に歪めた。紅葉のような小さくふっくらした両手は祈るように胸の前で組まれている。

 

「母上……」

 

 その幼声に惹かれたわけではないのだろうが、直後、上空の爆炎の中から何かがボバッ! と音を立てて飛び出し、屋敷目掛けて落下してきた。白煙を上げながら力なく、減速する素振りもみせずに落ちてきたのは、間違いなく……八坂だった。

 

「母上ぇーー!!」

「い、いけません! 姫様!」

「結界に止どまり下さい!」

 

 気が付いた九重が、思わず飛び出そうとしたのを護衛達が焦ったように押し留める。そうこうしているうちにも、八坂は体勢を立て直すこともなく、そのまま落下し屋敷の一角を押し潰した。ズズンッと地響きが鳴る。

 

 呆然とする九重。護衛達も言葉もなく佇むばかり。しかし、その僅かな停滞は、上空から隕石の如く落下して来る巨大な妖力の塊により終わりを告げた。その妖力が、八坂が落下した場所に向かっていると察した瞬間、九重が護衛の隙をついて一気に飛び出したのだ。ご丁寧に、母親直伝の幻術を使って時間稼ぎまでして。

 

「姫様ぁ!」

「行ってはいけません!」

 

 護衛達の絶叫を背後に、九重は一心不乱に母親の元へ駆けた。

 

 九重が八坂の元へ辿り着いたとき、既に、崩月は現場に到着していた。体中に穴を空け、体表を炭化させながらも平然と仁王立ちし、力なく横たわる八坂を不敵な笑みと共に見つめている。

 

 八坂もまた、体は動かずとも意識はあるようでギロリとその黄金の瞳を崩月へと向けていた。そうやって睨み合っている間にも、崩月の傷はみるみる回復――いや、もはや再生といっていい速度で修復されており、勝敗の行方は誰が見ても明らかだった。

 

 母親が殺される。そう感じた瞬間、九重は叫びながら止まっていた足を動かしていた。

 

「母上ぇー!!」

「っ……九重、来てはならん! 逃げよ!」

「いやです! 母上を置いてなど!」

 

 妖狐状態の八坂の首筋に縋り付き、母親の痛々しい姿にポロポロと涙を零す九重。そんな母娘の姿を、面白げに見つめる崩月が口を開いた。

 

「そいつが、野郎の欲しがってるてめぇの娘か。確かに、潜在能力は高そうだ」

「……娘には手を出させんぞ」

「そんな事いえる立場かよ。敗者にゃ口を開く権利もねぇ。てめぇの娘は野郎の玩具になるしかねぇんだよ」

「貴様……」

 

 八坂が、大量に吐血し、全身から血を噴き出しながらも必死に立ち上がろうとする。娘を奴隷にさせるわけにはいかない。妖怪の統領としてではなく、ただの母親として力を振り絞る。しかし、既に精神論だけで何となるような傷でない。どれだけ気力を振り絞っても、壊れた肉体は物理的に動きを止める。

 

 再び血溜まりに沈む母親を見て、九重がキッ! 崩月を睨みつけた。何の迫力もない眼光だが、八坂すら打倒した伝説の鬼の妖力を前にして睨むことが出来るのはそれだけで十分将来を期待させる胆力だ。

 

 と、その時、九重を追って護衛達が駆けつけた。一瞬、期待する九重だったが、崩月は、一瞥することもなく妖力の塊を飛ばすだけで彼等を蹴散らしてしまった。文字通り瞬殺。屋敷の残骸に埋もれた彼等を見て、蒼白だった九重の頬に赤みが指す。

 

 その九重は、ガクガクと足を震わせながらも立ち上がり、一歩一歩、崩月の前へと進み出た。

 

 思わず、崩月から「ほぉ」と感嘆の声が漏れ出す。何をするつもりなのかと興味深げな眼差しを送る。八坂は八坂で、必死に九重を止めようと苦しげな叫び声を上げた。

 

 そんな中、九重は震える声音で言葉を発した。

 

「く、九重を連れて行くのが、も、目的なんじゃろ! なら、どこにでも、つ、連れていくがいい! だ、だから、これ以上、母上にも、みなにも手は出すでない!」

 

 それは、これ以上大切な人達を失わないために九重が必死に紡いだ言葉。

 

 しかし、その幼い言葉は、崩月の興を一瞬で醒めさせた。九重の言葉が、余りに甘かったからだ。その言葉は、八坂の戦いを無にする言葉。今尚、必死に戦っている妖怪達の思いを切り捨てる言葉。自己犠牲と言えば聞こえはいいが、九重を、身命を賭すほど大切に思っている者達への冒涜の言葉だ。少なくとも崩月にとっては。

 

 戦いに粋を求め、戦いに殉じ、死力を尽くした者に敬意を払う鬼としては、何とも面白くない言葉だった。

 

「興醒めだわ。てめぇの娘ってぇからどんなもんかと思ったが、なっちゃいねぇな。まぁ、まだガキんちょだから仕方ねぇと言えば仕方ねぇか。……だが、せっかくの戦に水を差したんだ。ちっとばっかしキツイお仕置きが必要だなぁ」

 

 今や、傷のほとんどが治ってしまった崩月は、ドスドスと足を音を立てながら九重に歩み寄ると、怯える九重の華奢な胴体を鷲掴みにして持ち上げた。

 

「な、何をするんじゃ! 離せ、下郎ッあぐぅ!」

「崩月! ……貴様」

 

 ジタバタと暴れる九重の額を軽く指先で弾く崩月。はぐれ術師の命令で殺すことは出来ないが、多少傷つけるくらいは可能だ。それでも、幼い九重には十分な威力で、額が僅かに切れ血が滴り落ちた。それに八坂が激高するが、相変わらず体は動かない。

 

 崩月は、九重を掲げたまま八坂の眼前まで歩み寄った。

 

「俺はなぁ、野郎から、出来るだけてめぇを殺さないよう命令を受けてる。手加減して返り討ちにあったら元も子もねぇから、あくまで出来れば、だがな。だからよぉ、本当ならな、てめぇを生かしておこうと思っていたんだが……気が変わった。甘ったれたガキに、戦の何たるかを教えてやらぁ」

「何を……する気じゃ……」

 

 睨む八坂を見下ろしながら、崩月の口元が凶悪に歪む。

 

「おい、ガキ。目ぇ見開いて、よぉ~く見とけ。……てめぇの母親が弾け飛ぶ瞬間をな」

「え?」

 

 九重は、一瞬何を言われたのか分からないと言った様子で、額の痛みも忘れてポカンとする。しかし、凶悪な殺意を撒き散らす崩月を見て、その意味を悟ると蒼白になった。

 

「や、止めるのじゃ! お願いじゃ! 母上だけは! どうか! お願いじゃ!」

 

 必死に懇願する九重。だが、当然ながら崩月はまるで取り合わない。自分の死期を悟った八坂が、瞳に穏やかさを宿して九重を見た。その瞳は、何より雄弁に、強く生きろと、九重を愛していると訴えていた。

 

 九重が現実を否定するようにイヤイヤと首を振る。崩月が、九重を掴んでいるのとは反対の腕を、まるで見せつけるようにゆっくりと振りかぶっていった。その光景が、何故かやけにゆっくり見えた九重は、心の内を絶望に染め上げる――前に、チャリっと音を鳴らす手の中の感触に気がついた。

 

 それはイヤリングだ。今日一日で、自分でも驚くほど仲良くなった人間の友達。九重はすごいと、きっと立派な統領になれると褒めてくれた人。憧れるほどに素晴らしい音楽を聴かせてくれて、演奏を教えてもらう約束をした少年。

 

 そして、

 

――俺の名を呼べ 必ず助けに来てやる

 

 九重は、必死に願った。無意識にか、ずっと握り込んだままだったイヤリングを更にギュッと握り締め、初めて出来た人間の友達の名を呼んだ。そして、叫んだ。母上を助けて! と。

 

 直後に起きた一瞬とも言える一連の事態を、九重はきっと一生忘れることはないだろう。

 

 助けを求めれば、必ず駆けつけて手を差し伸べてくれる。まるで夢物語のような、そんなご都合主義。されど、どうしようもなく心震えるその瞬間。この時、九重は知ったのだ。ヒーローはいるのだと。

 

 崩月の腕が天頂まで振りかぶられ、死の影が八坂を覆う。

 

 だが、崩月の殺意が最高潮となったその瞬間、少し離れた場所に魔法陣が輝いた。それは古代ベルカの輝き。

 

 当然、感知した崩月だったが、殺意の弦は既に弾かれている。後は、拳という名の矢が眼前の敵を打ち砕くのみ。今更、誰が何をしようと止められるものではない。

 

 が、その時、崩月の眼前にキラリと光る何かが過り、同時に凄まじい悪寒が背筋を襲う。

 

ズシンッ!

 

 局所的な地震が発生したのかと思うほどの震脚。崩月の横目に、人間の少年が映る。己の脇腹の位置にいつの間にか踏み込み拳を振りかぶっていた。刹那、交差する視線。その瞳を見た瞬間、崩月の背筋が再び粟立った。凪いだ水面のように静かでありながら、その最奥に轟々と燃え盛る憤怒の炎。

 

 直後、少年――伊織の拳が放たれた。

 

――念能力 オリジナル 嵐

――覇王流 覇王断空拳

 

 伊織の右拳の先に凄絶なオーラが乱回転して凝縮される。それは、拳大に圧縮された台風だ。同時に、併用されるのは伊織の武術の根本。足元から練り上げた力を余すことなく込めた一撃は、人の身で放つ純粋な拳撃でありながら崩月のそれと同じく衝撃波すら発生させる。

 

 その一撃が、崩月の脇腹に容赦なく突き刺さった。

 

ドォゴオオ!!

 

 伊織の足元が放射状に砕け散る。突き刺さった拳を中心に、崩月の体からミシッメキッと不吉な異音が鳴った。衝撃で、その巨体が僅かに浮く。だが、伊織の攻撃はまだ終わっていない。

 

 突き刺さった拳が霞みがかった様にボヤけた。それは、常軌を逸した高速振動のため。

 

――陸奥圓明流 奥義 無空波

 

 振動によって生じた衝撃が余すことなく伝播され、崩月の内臓を撹拌する。崩月の口から意図せず血が噴き出した。

 

 伊織は、それでもお構いなしに最後の一手、いや二手を放つ。愛機セレスの篭手に一瞬で膨大な魔力が集まって濃紺色に輝き、逆の左手には光り輝く透明の剣が出現した。

 

――直射型砲撃魔法 ディバインバスターゼロ距離Ver

――西洋魔法 断罪の剣

 

 魔導の輝きが奔流となって崩月を吹き飛ばす――と同時に振るわれた【断罪の剣】が九重を捕らえる左腕を肘からすっぱり切り落とした。

 

 ただでさえ浮き上がっていた体では踏ん張ることも出来ず、崩月は、左腕を置いて、屋敷の一部と地面を抉り飛ばしながら垣根を粉微塵に粉砕し、大きめの一枚岩を盛大にかち割って砂埃の向こう側へと消えていった。

 

 崩月の斬り取られた左腕の五指を器用に斬り裂いて、宙に投げ出された九重をお姫様抱っこでキャッチする伊織。そんな伊織を、九重は何が起こったのか分からないといった様子で呆然と見つめている。

 

 伊織は、九重の傷ついた額を【治癒魔法 フィジカルヒール】で即座に癒した。額に当てられる温かな光と引いていく痛みに、漸く九重の認識が現実へと追いつく。

 

「……伊織?」

「ああ、俺だよ」

 

 眼をパチクリさせる腕の中の九重に、伊織は苦笑いしながら現実を突きつける。

 

「助けに来たぞ、九重」

「っ……」

 

 言葉はない。九重は、ただくしゃりとその表情を歪め、伊織の胸にしがみついた。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

おのれ崩月……九尾っ娘になんてことを……
しかし、きっとこれからも九重は色々苦労するはめになりそうです。

次回は、明日の18時更新予定です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。