重ねたキズナと巡る世界   作:唯の厨二好き

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第37話 怒りの矛先

 

 伊織達が、京都で妖怪大戦争を終結させた挙句、いつの間にか京妖怪達から若様扱いされるようになってから二年近くが過ぎた頃。季節は夏真っ盛り。

 

 外ではうんざりする暑さと蝉の大合唱が響き渡り、不快指数を最大にしている。アスファルトは蜃気楼のようにゆらめき、首筋を流れる汗が服に否応なくシミを作った。色の変わっていく自らのTシャツに眉を顰めながら、今更だと頭を振ってえっちらおっちらと歩くのは、東雲瑠璃だ。

 

 食材を山ほど入れたエコバックは、もし言葉を話せるなら「無理っす! もう絶対無理っす!」と泣き言をいうに違いない、と思えるほどパンパンに膨れ上がっていた。

 

 そんな瑠璃の隣には、二回りほど小さいものの、やはり限界に挑戦するような膨らみ方をしているエコバックを両手に持った十歳ほどの女の子がいる。彼女も、伊織に連れられて東雲ホームに引き取られた子供で、名を東雲薫子という。

 

「る、瑠璃姉。そろそろ、【周】が、ががが」

「ほらほら、頑張って。これも鍛錬だよ。……今、【周】が解けたら大惨事だからね? わかってるよね? ここを死線と定めて、頑張って!」

「瑠璃姉ェ~、唯の買い出しがぁ~、どうしてぇ~、死線になるのぉ~」

「うちは特別な子たちばっかりなんだから、普段から鍛錬すべきなんだよ。強くなりたいと思うのは大抵、何かがあったあと。だから、出来るだけ取り返しのつかない“何か”が訪れる前に強くなっておくべきなんだよ」

「そ、それってぇ~、伊織兄ぃのぉ受け売りぃ~?」

「そうだよ~。っていうか、辛いなら、喋らなくていいのに……」

「喋ってぇないとぉ~、心が折れそうぉ~」

 

 ぜぇぜぇと肩で息をしながら必死にオーラを維持する薫子。二人の手にもつエコバックが限界を超えた積載量にも問題なく耐えている理由は彼女達が【周】をしてエコバックを強化しているからだ。

 

 瑠璃の方はまだまだ余裕そうではあるが、まだ覚えたての薫子は既に限界のようで、このまま【周】を解けば、スーパーの店員が大道芸と思い込むことでどうにか自分を納得させたほどの中身が、熱した鉄板の如きアスファルトの上にぶちまけられる事になる。

 

 そうなれば、代わりの袋もないので、スーパーに戻って店員の「ああ、やっぱりダメだったんだな……」という生暖かい視線と共にレジ袋を貰い受けるという黒歴史を刻むか、瑠璃が家から袋を持って来るまで炎上する路上で通行人の奇異の視線を受けながらひたすら待つというトラウマをゲットする事になるだろう。

 

 その為、薫子も必死である。東雲の家の子は、日々、こうして鍛えられていくのだ!

 

「伊織兄ぃはぁ、ぜぇぜぇ……何時くらいになるのぉ?」

「う~ん、桜庭社長のところで新曲のレコーディングらしいから、結構かかるんじゃないかな? 多分、夜遅くにはならないと思うけど……」

「うぅ~、帰ってきたらぁ~、褒めてもらうぅ~、絶対ぃ、なでなでぇ~」

 

 薫子が闘志を燃やした。頑張った分、伊織が帰ってきたら報告して頭を撫でてもらおうというのだ。薫子も、瑠璃に負けず劣らず伊織に懐いている。どちらかといえば、兄というよりお爺ちゃんに甘える孫といった風だが。

 

「そうだね~。夏休みに入ったら、もう少し一緒に過ごせる時間が増えると思ったのに……守護筆頭にトップアイドル並みに人気のあるバンド活動、京都の妖怪達にも若様扱いで直ぐに呼ばれるし、退魔の助っ人で直ぐ飛んでいっちゃうし……中学生の癖に頑張りすぎだよ」

「だよねぇ~、もっとぉ、家族サービスぅするべきだよぉ~ぜぇぜぇ」

 

 唇を尖らせてぶぅ垂れる瑠璃。薫子も激しく同意しているようで、ガクガクと首を縦に降っている。妖怪大戦以降、瑠璃の言う通りの理由で忙しさを増した伊織達は、自然、ホームの兄弟姉妹達と過ごす時間も減っており、特に伊織に懐いている年少組は不満な日々を過ごす事が多い。

 

 茹だるような暑さの中、二人は、伊織達が帰って来たらせいぜい構って貰おうと目を合わせてニンマリと笑うのだった。

 

 

 

 

 ホームの夕暮れ。

 

 依子を手伝う食事当番の子供達の声が台所から聞こえてくる。美味そうな匂いまで漂って来て、まるで屍のように廊下で突っ伏していた薫子が、ゾンビのようにモゾモゾと動きだした。

 

 伊織達から、まだかかりそうだと連絡があったので、他の兄弟姉妹は全員帰宅している事から、もう間もなく夕食となるだろう。今日の献立は、つくねハンバーグだ。甘辛い和風ソースに、トロリと流れ出る中のチーズ。ご丁寧に、半熟の目玉焼きがオンしているのが東雲家の伝統だ。ハンバーグにinするチーズとonする目玉焼きは、カレーに対する福神漬け、あるいはビールに対する枝豆、太陽と月、男と女、陰と陽……と同じく切っても切り離せないものだ。年少組だけは、リクエストで“はなまる”も受け付ける。

 

 いつものように、食堂のテーブルに食事が並び始めると、呼ばなくともわらわらと兄弟姉妹が集まってくる。薫子も這い寄ってくる。今、ホームにいる子は伊織達を抜いて総勢十三名。十五歳の伊織の他に、十六歳の瑠璃と慎吾、十七歳の楓と春人、十八歳の結菜が年長組で、後は十歳の薫子、七海、智樹、八歳の玲奈、七歳の浩介、零一、四歳の双子、美湖と梨湖だ。

 

「伊織達は遅うなるって連絡あったから、先食べてしまおか。みんな、手合わせて……頂きます」

「「「「「いただきま~す」」」」」

 

 依子の掛け声で、声を揃えて頂きますをする。香ばしい香りが胃袋を刺激し、もう我慢できないと一斉に飛びついた。薫子の瞳が飢えた狼の様にぎらついている。それを同じ、小四組である七海と智樹が呆れた様な、でも買い出ししたのだし無理もないかという様な何とも言えない表情で眺めていた。自分達も鍛錬の後に追加で待っている“買い出し”の当番の日は同じようなものだと自覚があるのだ。

 

 薫子が、ホクホクのつくねハンバーグに箸を入れる。鎮座している半熟卵からバッサリ真っ二つだ。すると、とろ~りと輝く黄身が切り口に流れ込み、ほぼ同時に溢れ出した濃厚なチーズと絡み合った。グビリと喉が鳴る。薫子は、身構えた。強敵を相手に持てる武技の全てを出し尽くす心境で(実戦経験は皆無だが)。トロトロのチーズと黄身に包まれたハンバーグを食べた後は、一瞬の隙も晒さず純白の白米をかき込まなければならないのだ!

 

 薫子は、緊張に震える手(オーラを消費し過ぎただけ)を茶碗に添えて、いざ、肉汁で満ちたつくねさんに手をかけた。そして、眼前に持ち上げ、僅かに目を細めると、あ~んと大口開けて、至福の瞬間を掴もうとする! 

 

 まさにその時、

 

「みんな、気をつけて。よくないお客さんや。結菜、真上や。頼むな」

「はい、おばあちゃん――【不抜回天の絶対城壁】」

 

 依子が突然、表情を険しくすると、皆に警戒を――いや、臨戦態勢を求める。そして、スっと何もないはずの天井に視線を向けると、現在の東雲ホームの長女結菜に一言頼んだ。

 

 結菜も“何を”とは問わない。即座に発現させた彼女の神器。幾枚もの輝く盾を展開できる【不抜回天の絶対城壁】を発動する。

 

 ホームを透過して、直接屋根の上に展開された合計十枚の灰色に輝く障壁は、その一枚一枚が城壁と同等の堅さを持ち、結衣の意志が続く限りたとえ破壊されても何度でも復活する。まさに、難攻不落の城塞をもたらす神器だ。

 

 それが展開されたと同時に、上空から光の槍が落ちて来た。一般人には、唯の落雷にしか見えないだろうが、力ある者達が集まる東雲ホームで、それが何かを見間違う者などいない。

 

「――堕天使」

 

 それを呟いたのは誰だったのか。直後にホームを襲った激震がテーブルの上の料理を床に落とし、棚にしまっていた物がドサドサッと散らばる。

 

「いきなりやねぇ~。目的は、子供達か、それともタイミング的に伊織やろかねぇ。取り敢えず、春人」

「あいよ、ばぁちゃん。――【巡り続ける断絶世界】」

 

 直後、ホームを中心に空間が歪められた。春人の神器【巡り続ける断絶世界】は、一定範囲の空間をループさせる結界を張ることが出来る神器だ。北に進み続けても、一定距離を進むと真逆の南側に出てしまうというもの。一応、東雲ホームの特殊性から、襲撃を受ける可能性を考えて(実質、日本退魔協会そのものに喧嘩を売るに等しいので、そんな阿呆は滅多にいない)、周囲の土地は東雲が管理しておりご近所さんが巻き込まれる心配は少ない。

 

 依子が、チラリと子供達を見やる。年長組は流石に落ち着いているが、小学生組や最年少の双子姉妹美湖と梨湖はふるふると震えて不安を隠せないようだ。いくら普段から鍛えているとは言え、実戦経験など皆無。それが、彼等にとって安住の地であるホームに襲撃を――それも堕天使による襲撃を受けたのだ。不安に思わないほうがおかしいだろう。

 

 それでも泣き出さないどころか、泣き言一つ言わずに、眼に力を入れて踏ん張っているのは、彼等がみな何らかの痛い過去を背負っているからであり、そして、そんなものを吹き飛ばすような強い心を育んで来たからだ。あとは、年長組や依子への信頼が大きい。

 

「大丈夫や。心配せんでええ。伊織達も直ぐに来てくれるやろ」

「おばあちゃんの言う通り。たとえ誰が相手でも、絶対守って見せるわ」

「取り敢えず、俺達が出るから、小学生組は家の中にいろ。薫子、七海、智樹……玲奈達を頼んだぞ」

 

 依子が、美湖と梨湖の頭を撫でながら目元を和らげて優しい声音を投げかける。それに楓と春人も相槌を打った。兄と姉の力強い笑みに、幾分、不安は収まったようで、美湖と梨湖は肩から力を抜いた。そんな末姫達を守ろうと他の小学生組が力強く頷く。

 

「わ、わたしのつくねさん……つくねさんがぁ~。許せない、クソ堕天使どもめ。つくねを大事にしないから堕天なんてするんだよぉ!」

 

 約一名。どうやら、違う意味で震えていたらしく、口から飛び出したのは不安の声ではなく堕天使への怨嗟の声だった。もちろん、飢えた野獣のような眼で外にいるであろう堕天使を睨む薫子に、小学生組がドン引きした。七海と智樹は盛大にため息を吐きながら、今にも飛び出していきそうな薫子を羽交い締めにしている。一応、完全に不安は吹き飛んだようだ。

 

 と、その時、部屋の奥の空間がゆらめき、そこから女性型のマネキンのようなものが現れた。その正体は、マーチ・ヘア。伊織の作り出した幻と閃光を操る魔獣だ。ホームの護衛のために幾体かの魔獣を常駐させていたのである。

 

 そのマーチ・ヘアが、守るように小学生組の傍に寄り添い、そのまま【オプティックハイド】で彼等の姿を薄れさせていった。

 

「よし、この子達の事はマーチ・ヘアに任せて、不届き者の成敗に行きましょう!」

「そうだね。伊織の魔獣が戦っているみたいだけど、手伝った方が勝率上がるしね」

「堕天使か……戦うのは始めてだな」

 

 楓や瑠璃が気負いなく表に向かう。春人や慎吾も一緒だ。最後尾から、依子と彼女に寄り添うように結衣が続く。そんな彼女達に、幼い声援が飛んだ。

 

「「おばあちゃん! お兄ちゃん! お姉ちゃん! 頑張ってぇ!」」

「伊織兄が帰って来るまでに片付けちゃえ!」

 

 それに任せろと言うように、年長組は笑顔を浮かべ、依子は優しく微笑んだ。しかし、廊下に出て、年少組の姿が見えなくなると依子の表情が再び厳しいものになる。

 

「みな、気をつけるんやで。勘が騒いどる。今のみんなやったら、下級の堕天使くらいどうということはあらへんし、中級クラスでもどうにかなる。せやけど、絶対に気を抜いたらあかんで」

「……最高の占術師であるばあちゃんが言うんなら、何かやばいのがいるのかもな」

「まぁ、最悪、伊織が帰ってくるまで踏ん張れば大丈夫よ」

「あとは、出来るだけ早く気がついてくれればいいんだが……」

「堕天使も結界みたいなもの張ってたみたいだもんねぇ。やっぱり、伊織に対する人質にでもしようって腹かな? わざわざ留守中に来るくらいだし……」

「弟の弱点になるなんて死んでもゴメンだぜ」

「……死んじゃダメでしょ。伊織に知れたら……堕天使の明日がなくなるわよ」

「そっちの心配かよ」

 

 依子の警告に僅かに固くなった空気を解す年長組。実に頼もしい限りだ。

 

 依子は瞳に真剣さを宿しながら戦闘音の聞こえる外の様子を探った。伊織が置いていった魔獣――ホワイトラビットとナイト、そしてマッドハッターが下級数十体、中級三体の堕天使と死闘を演じているようだった。

 

 依子は、何らかの結界のせいで外部に連絡は取れないものの、伊織なら直ぐに駆けつけるだろうと思いつつ、伊織達の帰ってくる場所を、そして、自分を囲む子供達を守るため、占術の応用で相手の行動を先読みする術の準備を始めた。依子自身に戦闘力はないが、未来視に近い占術は戦略においても十分以上に役に立つのだ。

 

 そして遂に、依子の準備が終わったのを察しながら、年長組が外へ出た。

 

 その瞬間、光の槍が殺到する。一応、生かして捕えるつもりのようで狙っているのは手足であるし、威力も抑えられているようだ。しかし、年長組が驚くことはない。事前に依子から教えられていたからだ。

 

「させません」

 

 結衣が、城壁の名を冠するシールドを操る。依子達の前に移動してきた十枚のシールドが完璧に光の槍を食い止めた。そのシールドの脇から、楓と瑠璃、慎吾、春人が飛び出した。

 

「ふん、下等な人間如きが我ら堕天使に挑むか。身の程を弁えない愚か者どもが」

 

 中級クラスの堕天使が、眉を顰め唾を吐く様に依子達を見下す。漆黒の翼を広げ宙に浮きながら睥睨する姿、全身から滲み出す大きな力、周囲に展開する無数の光の槍――なるほど、確かに超常の存在というに相応し威容だ。

 

「聞け、我らに従うなら命までは取らないでぇっごぉがぁ!!?」

「御託はいらいないってのよ」

 

 悠然と自分達の駒になれと命じてくる堕天使に、宙を足場に跳んで来た楓の拳が突き刺さる。【虚空瞬動】と【覇王断空拳】のコンボを鳩尾に入れられて中級堕天使が奇怪な悲鳴を上げた。

 

 楓は、それを鼻で笑いながら、空中でくるりと縦に回転すると両足での踵落としを叩き込んだ。

 

――陸奥圓明流 斧鉞

 

 【断空拳】の一撃で、体をくの字に折り曲げていた中級堕天使は、後頭部に二重の衝撃を受けて、そのまま地面に落下、砂埃を大量に巻き上げながら衝突した。

 

 堕天使が、人間に落とされた――それも、神器を使うならともかく、唯の格闘戦で。その看過しがたい事実に、他の堕天使達が一瞬、硬直する。その隙を逃さず、ナイトとマッドハッターが群れる下級堕天使に猛攻を仕掛けた。

 

 高振動ブレードと炎熱魔力砲撃が、漆黒の翼を散らしていく。空の上という本来なら圧倒的なアドバンテージを得られるはずのそれは、高速飛行しながら衝撃を撒き散らすホワイトラビットによっていい様に翻弄されてしまう。

 

 苦し紛れに放った光の槍は、春人の神器が空間をピンポイントでループさせて、他の堕天使への牽制となってしまい、隙を晒した瞬間、神鳴流の奥義を繰り出す瑠璃や慎吾によって問答無用に切り裂かれていった。

 

「くそっ、一体どうなってる!? こいつら本当に人間かっ!?」

 

 下級堕天使の一人が、光の槍を放ちながら悪態を吐いた。その叫びは、きっと他の全ての堕天使も同意見だろう。

 

「そうやって、見下してるから足元すくわれるんだよ。お前等みたいに、日常をあっさりぶっ壊してくれる馬鹿に、いつまでも泣き寝入りしてると思うなよっ!!」

 

 慎吾が、神鳴流【斬岩剣】で、下級堕天使の持つ光の槍ごと相手を叩き斬った。斬られた堕天使は信じられないといった様に目を見開いて落ちていく。

 

 と、その時、不意に依子の声が響く。

 

「これはあかん。みんな、戻って。全力で守りぃ」

 

 直後、空に膨大な光が集束し始めた。今までの堕天使の攻撃とは比べ物にならない力の塊は、一拍の後、月と地上を繋ぐ尖塔の如く、依子達とホームを巻き込んで天地に突き立った。

 

 轟音が鼓膜を破らんばかりに響き渡る。

 

 結衣と春人に合わせて、他のみなも全力で防御体制を取った。地響きが鳴り、結界が悲鳴を上げる。依子に寄り添う結衣が歯を食いしばる。神器の力は心の力。意志の強さで、その発揮される力も変わる。結衣は、ただひたすら愛する家族を守りたいという気持ちを注ぎ込んだ。

 

 しかし、力の密度が違いすぎる。中級堕天使でも、本来なら戦術と不意打ちを以て戦わねばならない相手なのに、今、感じているそれは上級クラスと遜色がない。まさか、中級以上が来ていたのかと戦慄する結衣達の頭上で、一枚、また一枚と城壁が破られていく。

 

「お、ばぁちゃん……くぅうう、もうっ……」

「結衣……大丈夫や。みんな覚悟決めや。理不尽に晒されるんは、東雲の宿命や。生き延びることを一番に考えて、諦めたらあかんで」

 

 泣きそうな顔で限界を伝える結衣の背中を、依子が優しく撫でる。そして、依子に言われるまでもなく、その教え通り決然とした表情を見せる瑠璃達も不敵に笑った。理不尽も不条理も、東雲に引き取られる様な子供達は慣れている。

 

 ただ蹲って嵐が過ぎ去るのを待つことしか出来なかった、行き場のない怒りや悲しみを無差別に撒き散らすことしか出来なかった――そんな彼、彼女に居場所と心意気を教えたのは依子だ。そんな文字通り、母にして祖母たる依子の前で無様は晒せない。兄弟姉妹の気持ちは一つだった。

 

パキャァアアン!!

 

「くぅああ!!!?」

 

 直後、結衣のシールドが破られる。城破の衝撃が地を揺らし、閃光が周囲を白に染め上げた。春人が結衣と依子を庇い、楓達も全力の【堅】を行う。下級堕天使の一撃なら、ほぼ無傷で耐え切れるだけの剛性を備えた【堅】ではあるが、流石に上級クラスの衝撃を受けて唯では済まなかった。

 

「つぅうう、ばあちゃん……お前ら……無事か?」

 

 慎吾が、内臓を傷つけたのかケホケホッと血を吐きながら、砂埃が舞う中で呼びかける。【円】の反応では、生命反応は一つとして消えてはない。その事に安堵しつつも、弱った反応に歯噛みする。誰もが、致命傷ではないが楽観もできない程度にはダメージを受けてしまったらしい。咄嗟に、ナイト達が身を呈して盾になってくれなければ、この程度では済まなかっただろう。代償にナイト達は消えてしまったが。

 

「どうだ? これが現実だ。貴様等は非力で下等な人間。我らは崇高なる堕天使。どれだけ足掻こうと、所詮、存在の格が違うのだよ」

 

 明らかに自然でない風が吹き、砂埃が吹き飛ばされていく。膝立ちする慎吾の視界に、気を失っている様子の依子と、彼女に寄り添いながら倒れている結衣と春人の姿があり、少し離れたところで、楓と瑠璃が必死に立ち上がろうとしている光景が飛び込んできた。

 

 彼女達と視線が降って来た上空へと注がれる。そこには、三対六枚の黒い翼を生やした涼しげな顔をした男の堕天使がいた。傍らには中級クラスと思われる堕天使が数体控えている。

 

「お前達は、【魔獣創造】を手に入れるための餌になってもらう。聞けば、【魔獣創造】は随分と家族を大切にしているそうではないか。クックッ、所詮は傷を舐め合う野良犬の集まりに過ぎないだろうに。まぁ、安心せよ。【魔獣創造】さえ手に入れば、お前達の神器も我らが貰ってやろう。喜べ、惨めで、哀れな生の最後に堕天使という至高の存在に、その命を献上できるのだ。幸せの極地であろう?」

 

 もう、どこから突っ込んでいいやら分からない程、イタイ奴だった。だが、その力は本物だ。おそらく、厄介なナイト達がその身を晒さねばならない事も読んだ上で先程の閃光を放ったのだろう。死んでさえいなければ餌にも神器の抜き取りも出来るので、特に容赦もしなかったに違いない。

 

 歯噛みし口の端から血を滴らせながら、憤怒の表情で慎吾が吠える。

 

「てめぇに哀れまれるような人生は送ってねぇよ。はっ、何が至高の存在だよ。所詮、“堕ちた”存在だろうが。力はあるくせに、そんな貧相な発想しかできねぇ時点で、お前の(せい)の方が余程哀れだ」

「……」

 

 慎吾としては動けない代わりの意趣返し程度のつもりだったのが、プライドが高く他者を見下すことで己を保つような輩に、それは禁句だ。案の定、澄まし顔の上級堕天使の顔から表情が抜け落ちた。

 

 そして、次の瞬間には、

 

「がぁああ!!?」

 

 慎吾の腹に光の槍が突き刺さっていた。【堅】をしていなかったわけではないが、先の一撃でオーラが目減りしていたこともあり、上級堕天使のそれなりに本気の一撃は、あっさり慎吾の防御を貫通し、その腹に拳大の穴を開けてしまった。

 

「「慎吾!」」

 

 瑠璃と楓の、悲痛な声が響く。

 

「口の利き方に気を付けたまえよ、人間。存在としての価値が、格が、違うのだよ。私と口を聞けることすら、本来は、地に額をこすりつけて咽び泣き、感謝するところだろうに。身の程を弁えない劣等種が」

 

 光の槍に貫かれながらも未だ意識を失わず気丈に己を睨みつける慎吾に、上級堕天使が不快気に顔しかめた。力の差を見せつけられ、頼みの魔獣達も消えて、それでもその心に陰りはない。真っ直ぐ空を切り裂く瞳に宿るのは、不屈不倒の炎だ。

 

「……気に食わんな。……ふっ、ならば、貴様に本当の絶望というものを教えてやろう」

 

 上級堕天使の顔が嫌らしく歪み。その表情は、まさに邪悪そのもの。“堕ちた”というに相応しい凶相だ。

 

 警戒する慎吾達の前で、上級堕天使が視線で合図を送ると、先の光の一撃で玄関付近が崩壊したホームの奥から幼い怒声と悲鳴が聞こえて来た。

 

「私が、なぜ最初から戦闘に参加していなかったと思う?」

「あんたっ!」

「てめぇ!」

 

 怒りの咆哮を上げる慎吾達。そんな彼等の前に、さきほど楓が叩き落とした中級堕天使を含めた十人ほどの堕天使が年少組を羽交い締めにしてホームの奥から姿を現した。首に腕を回した状態でほとんど宙釣りになっており、苦しげに顔を顰めている。美湖や梨湖は今にも泣き出しそうなのを必死に堪えているようだった。

 

「ククク、その双子、神器所持者ではないだろう? おそらく先天的な能力でもあるのだろうが、我らにとってはゴミに等しい。……わかるか? つまり、不要だ」

「やめろぉ! 俺が気に食わねぇなら俺を殺ればいいだろうぉがぁ!」

「その態度が気に食わんのだ。人間など、我らに媚びへつらっていれば良いものを。これは教育だ。その少女達が苦しんで死ぬところでも見て、改心したまえ」

 

 上級堕天使は、愉悦にニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら、必死に、止めようとする慎吾や楓、瑠璃に見せつけるように合図を送った。美湖と梨湖を捕える堕天使二人が、同じようにニヤつきながら、二人の首に手を掛けようとする。

 

 同じように捕らえられている薫子達が、声にならない叫び声を上げる。

 

 そして、堕天使二人の手が……互の胸を貫いた。

 

「え?」

「は?」

 

 クロスカウンターのように、互いに手刀を相手の心臓に打ち込み合っている堕天使二人。本人達も、なぜ、自分達が互いに互いの心臓を貫いているのかわけが分からないといった様子で間抜けな声を上げた。

 

 誰もが、何が起こったのかわからず呆然とするなか、グリンッと白目を向いて絶命し崩れ落ちる堕天使二人の間を一陣の風が吹き抜けた。次の瞬間には、美湖と梨湖の姿が掻き消え、同時に、行き掛けの駄賃とでも言うように年少組を捕えていた堕天使達の首が飛び、あるいは額に穴を開けて一斉に冥府へと旅立つことになった。

 

「へっ、遅ぇよ。馬鹿弟」

「悪い、慎吾兄さん……間に合ってよかった」

 

 何が起こっているのか察した慎吾が、口元に笑みを浮かべながら、ポツリと呟く。すると、すぐ隣から声が響いた。何かを押し殺したような声音。大事な家族と分かっていながら、間に合ってくれたという喜びが無ければ肝が冷えていたかもしれない、そんな怖気を震うような声音だ。

 

 慎吾は、同じようにすぐ傍らに降り立った金髪碧眼の妹エヴァが、神器を発動するのを横目に、内心で堕天使達の冥福を祈った。彼等は、絶対に怒らせてはならない相手の、絶対に触れてはならないものを、よりよって踏みつけにしたのだ。

 

 人質をとってどうにかなる相手だと、どうしてそんな事が思えたのか。手痛いしっぺ返しでは済まないと分かっていたからこそ、神滅具【魔獣創造】が周知されても、どの組織も様子見をしていたというのに……

 

「エヴァ……」

「心配するな。みな、命に別状はない。あっても死なせたりなど私がさせん」

「そうか。頼んだ。……ミク、テト、チャチャゼロ。皆を頼む。俺に(・・)近づけさせないでくれ」

「任せて、マスター」

「存分に。ボク達の分も頼むね、マスター」

「ケケケ、チョウドイイ機会ダ。見セシメニシナ」

 

 静かな気配。静かな声音。されど、身の内に噴火の如く湧き上がる憤怒の炎が、伊織の瞳の奥から相手を灼く。その意志のみで、未だ、呆然としていた堕天使達を上級堕天使も含めて後退りさせた。

 

 ミク達が、傷ついた家族達を連れて下がる。エヴァの神器【聖母の微笑】が一人残らず完璧に癒し、ミクとテトが多重障壁を張る。堕天使からの攻撃に備えるためではない。伊織の力に巻き込まないためだ。

 

「エヴァ姉……慎吾兄は? 大丈夫だよね?」

「当然だろう? これくらいかすり傷の内だ」

「いや、エヴァ……堕天使の光の槍に貫かれて“かすり傷”はないわよ」

「なら、そう言えるくらい強くなれ」

「遠いなぁ~」

 

 エヴァが慎吾の傷を目に見えて癒していくのを見て安心したのか、軽口が飛び出すようになる。年少組は緊張の糸が切れたのか、その場にへたり込んでしまったが、一様にホッとしたような表情だ。伊織達の強さを誰よりも知っているからだろう。

 

「……よう間に合ってくれたなぁ。ひょっとしたら、エヴァ達の方もお客さんが来てるかもしれへんと思っとったから、もう少し遅れるかと思うたよ」

 

 回復した依子も安堵したように頬を緩めた。依子の言う通り、伊織達が遅れたのは、帰還中に堕天使達の襲撃を受けたからだ。足止めして確実に人質を取ろうとしたのだろう。厄介な結界系の神器を持っている堕天使がおり、少し時間を食ってしまった。

 

「……」

 

 治療を続けるエヴァが少し表情を曇らせる。そんなエヴァの髪を依子は優しく撫でた。ハッとするエヴァに優しくも、少し叱るような眼差しを向ける依子。エヴァが、自分達のせいでホームが襲われた事を気に病んだと察し、東雲ホームにいながらその考えは不当だと諌めたのだ。規模が違うだけで、ホームの子であれば誰の身にも起こること。ホームとは、そんな時一人で背負わせず、家族として味方になるための場所なのだから、と。

 

 エヴァは苦笑いしながら、そうだったと肩を竦めた。自分の方が遥かに長生きなのに、未だに依子には諫められてしまう事に、擽ったさを感じる。

 

 そんなエヴァの代わりに、ミクが答える。

 

「そうですね。マスターの魔獣の反応が消えた時は焦りました」

「ボク達を足止めした堕天使達と同じくらいゲスみたいで良かったよ。慈悲を掛ける理由がないから存分に制裁できるし」

「ケケケ、アソコマデキレテル伊織ハ久シブリダゼ」

 

 そう言って、結界の外で一歩一歩前に進む伊織の背中を見つめるミク達。ホームの子達も上級堕天使を含む幾人もの堕天使を前に、何の躊躇いも焦燥も見せない伊織を見つめる。

 

「……お前が【魔獣創造】の使い手か。足止めに向かった同胞はどうした?」

「……なぜ、襲撃した?」

 

 後退った自分を振り払うように、殊更、威厳を発しながら問う上級堕天使に、伊織は質問で返した。蔑ろにされて眉をピクリと反応させる上級堕天使。何をかを話そうとして、さらに伊織が被せるように尋ねる。

 

「神滅具の使い手に、たかが上級一匹。有象無象なんて集めても意味がない。人質を取る程度でどうになると本気で思ったのか?」

「き、貴様……」

 

 自分を“たかが”“一匹”呼ばわりされて、上級堕天使が怒りに顔を歪める。他の堕天使は、伊織の異様とも言える雰囲気に体を硬直させたまま、緊張からか大量の汗を流していた。

 

 上級堕天使は、僅かな間、怒りに歯ぎしりしていたが、不意に嫌らしい笑みを浮かべた。

 

「なに、たとえ人質が取れなくとも構わなかったさ。どちらにしろ、お前が【魔獣創造】を使いこなせていない事は事前に調べが付いていた。事実、私の最大の一撃で、お前の自慢の魔獣は三体ともあっさりと消え去ったのだ。人質は、あくまで保険なのだよ。……言っている意味がわかるかね?」

「……ああ、よくわかったよ」

 

 伊織の瞳に苛烈さが増す。周囲の空気が下がっていくような気さえする。粟立つ己の肌に、上級堕天使が首を傾げた。自分の体に起きた変化が理解できないのだ。あるいはしたくないだけか。下級堕天使の中には既に、気を失いかけている者がいる。

 

「つまり、俺が、舐められたから……家族が傷ついたわけだ。今なら、どうとでも出来ると思われたわけだ。……なるほど、俺は少し増長していたのかもしれない。他の力があるからと、やらねばならないことが多いからと、後回しにしたツケが来たというわけだ。お前達のような人を踏みにじることに悦楽すら覚えるような化け物につけ込まれたわけだ」

 

 世界を染め上げる伊織の憤怒。それは、家族を傷つけ嗤った敵に対してのみならず、己の甘さに対するものも含んでいる。激烈な怒りは、際限なく膨れ上がっていき、されど理性の手綱が離れることはなく、全て強大なる意志へと変換されていく。

 

 それは守護の意志。敵と断定した者への殲滅の意志。百五十年衰える事なく、それどころか洗練され続けた意志。それが、今、刀匠が焼入れを繰り返すように更に強靭になっていく。

 

 神器の進化が使い手の意志次第である以上、もともと下地はあったのだ。ただ、今まで、それを求めるまでもなかっただけで。それ故に、ただそこにいるだけで心臓を鷲掴みにされるような絶大なプレッシャーを放った伊織はあっさりと――――――――――――至った。

 

――禁手 進撃するアリスの聖滅魔獣(アームズ・オブ・アリス・マーチ)

 

 ARMSにおける最終進化形態そのままの魔獣を創り出し、更に対象へのアンチ概念を付与する事ができる能力。今回は聖属性に対して絶大な効果を発揮する【聖滅】の概念が付与されている。聖なる者へのダメージが飛躍的に増大し、逆に聖なる攻撃に対して強靭な耐性を得る。

 

 【龍滅】【魔滅】果ては【神滅】と概念を付与すれば、文字通り神をも滅する具現となる力。

 

 真の力を発揮する魔獣達の咆哮が、世界を震わせる。

 

 蹂躙が始まった。

 

 

 

 

 




いかがでしたか?

何か、バトル展開ばっかですみません。
でも、書いていると気分がスッキリするんです。
リアルでも無双できたらいいのに……

あと、作中にもありましたが、東雲が称している念は、あくまでこの世界の気を便宜上そう呼んでいるだけです。念能力などはありません。
あったら依子に百式観音させるんですけね。

次回は、明日の18時更新予定です。

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