重ねたキズナと巡る世界   作:唯の厨二好き

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第41話 九重誘拐

 

 

 

 冥界のとある領地。そこを治める悪魔の屋敷の書斎で、領主フルコニス・ビフロンスは深い深い溜息を吐いた。その表情には、嫉妬と苛立ちがありありと浮かんでいた。

 

「チッ、今年のパーティーは若手四王(ルーキーズ・フォー)も出るか。プロフィールを見る限り確かに近年希に見る豊作だ。特に、グレモリーの末姫は、赤龍帝に聖魔剣、デュランダル使いと豪勢なものだな……それに比べて家の息子は……」

 

 フルコニスの言うパーティーとは、毎年一回、この時期に行われる魔王主催の交流会のようなものだ。それほど堅苦しくない社交の場なのだが、それでも欲望に忠実な悪魔の集まり。自慢話に花が咲けば、嫉妬や苛立ちの一つや二つは覚えるものだ。

 

 特に、ビフロンスはソロモン七十二柱にも数えられる悪魔だが、大戦以降は一気にその力を弱め、長い間、跡取りにも恵まれなかった。そして、漸く出来た唯一の息子は平々凡々。特に、同世代では、ルーキーズ・フォーという能力・眷属共に破格の若手が集まっており、自尊心の高いフルコニスにとっては、何とも心穏やかではいられなかった。

 

「せめて、強力でなくとも有用な眷属がいれば……」

 

 フルコニスの息子ブーメルス自身に能力が無くとも、有用な人材が眷属にいれば体裁は保てる。ずっと以前から人材を集めろと命じてはいるのだが、フルコニスの高い自尊心が似たのかブーメルスも大概な性格で能力も魅力もなく、大した眷属は集まっていなかった。数少ない眷属達とすら、他の若手悪魔の眷属と比較して文句ばかりいうので、関係は非常に冷えている。

 

 そんなわけで、フルコニスは、自分のために(・・・・・・)ブーメルスの眷属を部下に命じて探させていた。それこそ相手の素性に考慮しないレベルで。欲しい人材は、戦闘に優れた者ではない。どんな人材も赤龍帝や聖魔剣と比べると霞んでしまう。なので、もっと一点特化の特殊技能を持つ者が望ましいのだ。

 

 その時、フルコニスが目を通していた人材の報告書の一枚が、彼の注意を引いた。

 

「ほぅ、こいつは……だが、妖怪のテリトリーに入ってしまうか……いや、しかし……」

 

 フルコニスは、しばし悩んだあと、実に悪魔らしく欲望に忠実に従うことにした。何を奪い、誰が泣こうが、フルコニスにとってはどうでもいいことだ。大切なのは、自分が満たされるかどうかなのだから……

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「へぇ、それじゃあ、九重は今、立山にいるわけですか」

「うむ、三勢力会議の事もあるのでな。既に会談の打診も受けておる。時代が動き始めているのじゃろう。妖怪側も可能な限り意思疎通はしておくべきじゃ」

「しかし、それで京都からの使者というのは……九重には少々早すぎませんか?」

 

 伊織が、少し心配そうな表情で、九重が向かったという立山――富山県の立山連峰に位置する山の方角に視線を向けた。

 

 伊織達は、現在、京都の異界に来ている。そこで八坂と会合し、九重が立山にいる妖怪達に八坂の名代として会談に向かったという話を聞いたのだ。事前に伊織にその話がなかったのは、どうやら九重が、初めて任されたお役目なので成功してから伊織に報告してドヤ顔したかったかららしい。

 

 それをあっさりばらすのだから、流石、九尾の狐。娘のささやかなサプライズを守るよりも、伊織に心配させて少しでも意識させようという魂胆らしい。九重には、是非とも母親に似ず、清い心を持ったまま成長して欲しいものだ。

 

「ふふ、心配か? 何なら追いかけてもいいのじゃよ? お迎えに行ってくれてもいいのじゃよ? うん?」

「八坂殿……はぁ、いえ、大丈夫ですよ。九重なら。見た目よりずっと根性はあるし、頭も回る子です。出会ってから四年、あの子がどれだけ頑張っているかよく知っていますから。心配ではありますが、信じて帰りを待ちますよ」

「なるほど。時代は変わった。出て行く夫を妻が待つのは古い。役目を背負って旅立つ妻の帰りを夫が待つ……うむ、ありじゃ」

「なにが、“ありじゃ”だ。この女狐め。いい加減、伊織にちょっかいを掛けるのを止めろと言っているだろうが」

「ふふん? なんじゃ、吸血鬼? 我が娘に嫉妬か? 九重の愛らしさに、遂に危機感が芽生えたのか? 仕方ないのぉ~」

「ケケケ、止メトケ御主人。狐ニ口喧嘩ジャ勝チ目ガネェヨ。イツモ通リアシラワレテ泣キヲ見ルゼ?」

「泣いたことなどないわ! 適当な事いうな!」

 

 八坂の物言いとチャチャゼロのからかいに不機嫌そうなエヴァと呆れたような表情の伊織。ミクとテトは苦笑いだ。蓮は、伊織の背にもたれながら携帯ゲームに夢中になっている。

 

「まぁ、冗談はこのくらいにして。向こうには、九重の友人もおるから大丈夫じゃよ」

「そうですか。しかし、九重も遂に次期頭領らしい仕事に付き始めましたか……早いもんですね……」

「……のぉ、伊織よ。その孫を思う爺のような眼差しはどうにかならんか? 時々、主にその眼差しを向けられて九重が物凄く微妙な表情をしているところを見ると、我が娘の事ながら何とも不憫なのじゃが……」

「はは……そんな目をしていましたか……」

 

 どこかジトっとした眼を向けて来る八坂に、伊織は苦笑いしながら視線を逸らす。最近は、八坂の屋敷で和やかに過ごす時間も増えてきた。居心地がいいので、ついつい休息なんかに訪れてしまうのだ。それが八坂の狙い通りだったりもするのだが。

 

 伊織も高校二年。卒業と同時にホームを出る予定なので、その際は京都に引っ張りこもうと画策しているようだ。

 

 ちなみに、八坂の行動は、己の夫に他の女を充てがうというミク達からすれば面白くない事のはずなのだが、彼女達は意外に仲が良かったりする。エヴァに至っては喧嘩友達のようだ。九重についても、純粋さ真っ直ぐさを彼女達も気に入ってしまっているようで、九重の拙いアプローチを微笑ましげに見ている。

 

 そんなこんなで、しばらく伊織達がズズズとお茶を飲みながら和んでいると、にわかに外が騒がしくなった。伊織の耳に、八坂への面談を望む者の必死な声が聞こえてくる。そして、聞こえたもう一つの言葉に、伊織の表情が険しくなった。

 

 すなわち、

 

――九重がさらわれた

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 屋敷の客間に通されたのは、九重と同じくらいの女の子と偉丈夫だった。男の方は、隠しているようだが怪我をしているようで、厳しい表情を全く崩さない。女の子の方は、青ざめた表情のまま項垂れている。

 

 女の子は、名を栴檀(せんだん)といい、(くだん)という種の妖怪だ。男の方は岩稜といい狒々の妖怪らしい。

 

「それで? 九重がさらわれたとはどういうことじゃ?」

 

 焦燥に塗れた表情で九重の危急を伝えに来た二人を客間に通し、八坂が最初に発した言葉がそれだった。声音も表情も落ち着いている。妖怪の頭領は、この程度のことで取り乱したりはしない、それを示している。

 

 しかし、それなりにプライベートな付き合いをしてきた伊織達には、八坂の瞳の奥に凍えるような冷たさがあるのを見て取った。

 

「はい、八坂様。実は……」

 

 硬い声音で、栴檀が事情を説明する。

 

 曰く、こういう事らしい。

 

 九重は、事前に連絡を受けていた通りに、立山の妖怪が住む異界にたどり着いた。そこで、八坂の名代を立派に勤め上げていたらしい。

 

 しかし、九重が立山に入って三日目。役目も終えて、友人である栴檀と交友を深めていたおり、突如、異変が起きた。栴檀の屋敷が、正体不明の集団に襲撃を受けたのだ。

 

 栴檀は件の妖怪。予言の先天的能力を持つ妖怪だ。未だ不安定な力ではあるものの、その力が発動して襲撃直前に危機を伝えなければ、栴檀の家の者は為すすべもなく、それどころか異界の妖怪達は襲撃に気が付くことなく、栴檀を連れ去られていたかもしれない。

 

 辛うじて最初の襲撃をかわすことの出来た栴檀だったが、事態が切迫していることに変わりはない。わけも分からず襲撃を受け、しかも長く(いくさ)をしていなかった護衛達は、襲撃者の内の一人が強力だった事もあって、その魔の手の進撃を許してしまった。

 

 予言あるいは未来視という特殊な力を持つ栴檀ではあるが戦闘力は皆無。性格も温厚で、深窓の令嬢という表現がぴったり当てはまりそうな雰囲気の十にも満たない女の子だ。ひどく怯えて動けなくなってしまった。

 

 もはや捕まるのは時間の問題。そこで一計を案じたのが傍らにいた九重だった。九尾の狐の十八番、変化の術と幻術で、自分は栴檀に化け、栴檀は別人に変化させたのだ。ひどく怯える栴檀を守ろうと、身代わりになる決意をしたのである。

 

 伊織にふさわしくなりたい、また早く母のようになりたいと、普段から頑張って鍛え続けたおかげか、卓越した術は見破られず目論見は成功した。襲撃者は、屋敷の奥に隠れていた二人を見つけ、栴檀に化けた九重を連れて行ってしまったのだ。

 

「わたくしは、おそろしくて何もできなくて……九重ちゃんは、大丈夫だと笑ってくれさえしたというのに……わたくしは……」

 

 嗚咽を漏らす栴檀。小さな体を更に小さくして全身から申し訳なさを醸し出している。隣の岩稜が心配そうに、そして歯噛みしながら栴檀を見つめた。彼女の護衛として守りきれなかったことに忸怩たる思いがあるのだろう。

 

「あの馬鹿娘が……」

 

 事情を聞き終わり、複雑な表情を見せて悪態を吐く八坂。妖怪の頭領としては、次期頭領としての自覚が足りないと怒るべきところではあるが、母親としては友の為に体を張れる娘が誇らしくもあったのだ。

 

 と、そこへ、ずっと黙っていた伊織から声が掛かる。

 

「八坂殿、よろしいですか?」

「む? どうしたのじゃ?」

「その襲撃者ですが……十中八九、悪魔です」

「なんじゃと? どうしてわかる」

 

 伊織の断言に、八坂のみならず栴檀と岩稜も驚いたように目を見開いた。

 

「九重にはイヤリングを預けてありますから……反応が冥界にあります」

「ああ、そう言えばそうじゃったな。ふむ、そうか、悪魔が……」

 

 栴檀達は首を傾げているが、八坂は納得したように頷いた。

 

 四年前、九重に貸したイヤリングは、未だ九重の手元にあった。返してもらおうとした事もあったのだが、同型のイヤリングをミクもテトもエヴァもお揃いで持っていると知って、「すわっ、これは妻の証かっ!」と考えた九重が頑として返そうとしなかったのだ。返してもらおうとすると、抱えたままその場で丸まって「嫌じゃーー!!」と叫びながら動かなくなるのである。

 

 ちなみに、蓮もイヤリングが欲しいとダダをこねて、危うく軽い天変地異が起きそうになったので、彼女にも渡されている。それが蓮のどういう感情から来ているのかは分からないが……

 

 そのイヤリングの反応を、栴檀の話を聞きながら解析した結果、次元を超えた先――冥界にあることを突き止めたというわけだ。

 

 難しい表情をする八坂に伊織が再び声をかけた。

 

「八坂殿。俺達が行きましょう」

「伊織……しかし……」

「今、この時期に、まさか八坂殿が冥界に乗り込むわけにはいかないでしょう。これから和平同盟を結ぼうという勢力相手に殴り込みは、今後の関係に遺恨を残しかねない。それに、詳しい場所は俺達しかわかりませんから、どちらにしろ俺達は行くことになります」

「確かに、の。大義名分はあるが、それでも冥界への侵入も悪魔への襲撃も魔王方に事後承諾となるのは、ちと不味い。出来れば避けたいのが本音じゃ……」

 

 それが八坂の悩ましいところ。母としては、「皆殺しじゃボケェ!!」と今すぐにでも殴り込みに行きたい。襲撃者が、栴檀の誘拐を企てたということは最近流行りの転生でもさせて手駒にすることが目的なのだろうと推測できる。それが娘の身に降りかかる前に助けたいのが本音だ。故に、悠長に悪魔側に面談を申し込んで、それから犯人を調査し、発見次第、九重を返してもらう等と言う悠長な事はしていられない。

 

 しかし、妖怪の頭領としては、娘一人と妖怪全体を天秤に掛けることは出来ない。いくら大義名分があっても、冥界に侵入された挙句、同族を潰されたとあっては、彼等の面子は丸潰れだ。ブライドの高い者が多い悪魔としては、八坂に対するしこりを残す者も多くなるだろう。足並みを揃えていかねばならない今後を考えると、望ましい方法ではない。

 

「九重が変化を解けば、まさか九尾の娘を手元に置こうとは思えんはずじゃが……この時期に、妖怪の頭領の娘を誘拐など、魔王が許すはずもない」

「しかし、それで素直に帰してくれると考えるのは楽観が過ぎるでしょう」

「そうじゃな。どう考えても、今回の一件、はぐれ悪魔か一部の悪魔の暴走じゃろう。機を読めず暴走するような奴等では、隠蔽を測りかねん」

 

 もちろん、その方法とは、臭いものには蓋をする――すなわち、殺してしまえということだ。生かして、襲撃犯が誰かを証言されるのは向こうも好まないはず。それでも、理性的な者なら今後の事を考えて咎めを覚悟で返還するだろうが……そんな曖昧な可能性に期待するわけにはいかない。

 

「ええ。ですから任せて下さい。幸い、俺は人間で、京都守護筆頭。奪われた平和の要を取り返す大義名分がある上、超常の存在達の同盟は関係がない。協会は、裏とは言え、あくまで警察的組織ですからね。他の組織と違って行動方針は明確で決して揺らがない。政治的にも問題は少ないです」

「……そう、じゃな」

「何があっても九重は無傷で連れ帰って見せます」

 

 強い眼差しで八坂を見つめる伊織。八坂は、その瞳の奥に激烈な炎を幻視した。完璧に抑えてはいるが、伊織が内心で憤怒していることが伝わってくる。例え人違いでも、大切な身内も同然の九重を拐かされて怒り心頭なのだろう。傍らのミク達も力強く頷いている。

 

「あ、あの、貴方が東雲伊織様ですか?」

 

 不意に、幼い声がおずおずと伊織を呼んだ。栴檀だ。

 

「ああ、そうだよ。俺の名は……もしかして九重が?」

 

 名乗った覚えはないのに、伊織の名前を言い当てた栴檀に伊織が確認する。栴檀は、この場に来て初めて、ほんの少しだけ笑みを見せた。

 

「はい。九重ちゃんが、何度も何度も話してくれました。伊織様は九重ちゃんの英雄さんなのだと。……連れて行かれる直前にも、伊織様が必ず助けに来てくれるから心配ないと。伊織様なら、九重ちゃんが何処にいても見つけてくれるから、そういう意味でも、連れて行かれるのは自分の方がいいと」

 

 それを聞いて、伊織達は揃って苦笑いを零した。どうやら、九重は、最初からイヤリングの存在を織り込み済みで誘拐されたらしい。本当に、ここ数年で随分と逞しくなったものだ。

 

「八坂殿。どうやら九重は俺を所望のようですよ」

「はぁ、帰ってきたら説教じゃ。全く、誘拐されながら惚気よるとは、我が娘ながら呆れるわ。母の存在を忘れておるのではないか?」

「ある意味、お前の娘らしいな。すっかり強かになりおって」

「ふふ、九重ちゃん、恋する乙女ですもんね」

「四番目の妻を公言するほどだからね」

「九重……頑張ってる」

 

 伊織の軽口に、扇子でペシッと額を叩いて呆れをあらわにする八坂。エヴァ達が、伊織にふさわしくあらんと日々努力する九重を思い浮かべて頬を緩める。

 

 八坂は、扇子を袂にしまうと、伊織達を真っ直ぐ見て頭を下げた。

 

「伊織よ。娘を頼む」

「俺の誓いに掛けて、必ず」

 

 伊織は気負いなく、されど不退転の決意を眼差しに乗せて頷いた。八坂は、伊織に頷き返すとミク達にも同じように頭を下げて九重の事を頼む。栴檀達も同じように頭を下げた。

 

 伊織達は、彼女達の信頼を込めた視線を背に、ベルカの光に包まれながら転移するのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 ビフロンス邸の一角にある部屋。窓のない無機質な雰囲気のその場所に、現在、栴檀に化けた九重が拘束された状態で寝転されていた。

 

 そんな彼女の前には、フルコニスとその眷属、そして息子のブーメルスがいた。フルコニスは満足気な表情で、ブーメルスはニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべている。

 

「ホーガン、向こうにはばれていないだろうな?」

「はい、主。痕跡は残しておりません。既に、適当な“はぐれ”も見繕っておりますので、お披露目しても問題ないでしょう」

 

 ホーガンと呼ばれた男はフルコニスから女王の駒を受け取っているもので、大戦期から彼に仕えている腹心の部下である。この男が、九重誘拐の指揮をとっていたのだ。その実力は、余裕で上級クラス。大戦を生き抜いた猛者である。

 

 悪魔であると悟らせずに襲撃を行い、適当なはぐれ悪魔に罪を擦り付けて、ビフロンス家がたまたま助けたという事にする計画だ。そして、それを恩にきた栴檀がブーメルスの眷属に自らなった、という筋書きである。

 

 もちろん、はぐれ悪魔からばれないように手は打ってあるし、栴檀に対しても意識を縛るつもりではある。いわゆる洗脳のようなものだ。取り敢えず、パーティーではボロが出ないようにお披露目だけしたら、何も話させずに控えさせ、その後改めてじっくり時間を掛けて意識を誘導していくつもりである。

 

 悪魔が犯人だという確証がない以上、この時期に妖怪側も強引な捜索は出来ないはずで、栴檀の話が伝わる頃には、既に栴檀自らブーメルスの眷属を望むという具合だ。十歳にも満たない戦闘力皆無の妖怪が、知らぬ場所で一人、不安と恐怖に苛まれる中で、甘言と誘惑の他、魔法を併用した意識操作を繰り返されれば容易く“堕ちる”とフルコニスは考えていた。

 

「いい仕事だ、ホーガン」

「お褒めに預かり光栄です、主」

「んなことより、さっさと俺の眷属にしちまおうぜ? 反抗できないように枷も付けるんだろ? それは俺にやらせてくれよな。俺の奴隷になるんだし」

 

 フルコニスとホーガンが会話している端で、ブーメルスが卑しい笑みを浮かべながら九重を見る。“奴隷”――ブーメルスにとって眷属とは、つまりそういう存在なのだろう。その手にはネックレスのようなものが持たれており、鎖の部分を持ってくるくると回している。それが、九重の意識を縛るか誘導するための道具なのだろう。

 

「……お前という奴は。お前の為に有能な人材を連れてきてやった父に一言もなしか」

「ふん、本当に有能かどうか怪しいぜ。こんなガキに何が出来るってんだ」

「仕方ないだろう。子供でなければ、短期間での洗脳は難しいのだからな。これでも、和平会議の後で、危ない橋を渡っているのだ。なぜ、そんな事もわからんのだ」

「はいはいはいはい、俺はなんにも出来ない落ちこぼれですよ。こんな出来損ないの為にわざわざ有難うございます、ち・ち・う・え」

 

 フルコニスは、ブーメルスの態度に溜息を吐く。しかし、当のブーメルスは特に気にした様子もなく、倒れている九重に近寄っていった。そして、その小さな体躯を軽く蹴って仰向けにさせると、どこからか取り出したチェスの駒を手で弄び始める。

 

「キハハハ、目を覚まして自分が悪魔になっちまってるって知ったとき、こいつはどんな顔をしやがるんだろうなぁ?」

 

 そんな事を言って歪んだ喜びをあわらにするブーメルスは、手に持つイーヴィル・ピースを意識のない九重に使用した。

 

 途端に部屋を満たす光。それは転生の光。イーヴィル・ピースがずぶずぶと九重の胸に沈んでいき、その妖怪としての体を作り替えていく。己の体を駆け抜ける言い様のない違和感に、九重の闇に沈んでいた意識が浮上を始めた。

 

「ん…うぅ……んぁ…な、なんじゃ……」

 

 九重が、霞みがかった様な判然としない意識を覚ますように頭を振る。そして、広がっていく違和感に、困惑したような呟きを漏らした。

 

 しかし、困惑の度合いなら、ビフロンス家の面々の方が遥かに大きかったに違いない。

 

「な、何だ……これは一体、どうなっている!? ホーガン! 貴様、一体、何を連れて来た!」

「あ、主。私は確かに、資料にあった子供を……」

「……まじかよ……なぁ、ホーガン、件っていやぁ牛の妖怪だろう? ……こいつ、どう見ても狐なんだけど? しかも、尾が九つもありやがる」

 

 そう、彼等が困惑をあらわにする理由は、転生の儀式によって九重の変化の術が解けてしまい、その正体が知れてしまったからだ。これには、軽薄で浅慮なブーメルスも頬を引き攣らせて、思わず父親を見た。

 

 そのフルコニスはというと、まさに苦虫を百匹くらい噛み潰したような表情。理由は、言わずもがな。九重が妖怪の頭領の娘であると理解したからだ。和平会議の後で、他勢力のトップの身内を襲撃――冗談にしては笑えない。

 

 どうすべきかと、若干、混乱する頭を必死に回転させつつも沈黙を続けるフルコニスと、俺のせいじゃないとでも言うように、視線をあらぬ方へ向けるブーメルス。

 

 そんな誘拐犯達が困惑により作り出した時間で、九重もまた状況を把握した。

 

 そして、自分という存在が、既に妖怪ではないという事を察して愕然とする。誘拐犯と対面次第、正体を明かして自分に手を出せば、妖怪勢力と敵対することになるし、それは魔王も望むところではない――というロジックで解放を交渉しようと思っていたのだ。

 

 仮に、交渉が上手く行かなくても、伊織が自分の誘拐を知って助けに来ないわけがないと信じていた。なので、交渉自体を時間稼ぎに使おうとも考えていたのだ。

 

 なので、まさか、意識を取り戻す前に手を出されるのは計算外だった。この辺りが、まだまだ八坂には及ばないところではある。

 

 その敬愛する母親と違う種族になってしまった。妖怪である事に、幼いながらも矜持を持っていた九重にとって、それは途轍もない衝撃だった。打ちのめされたと言ってもいい。いつの間にか背中から生えたコウモリのような翼に、体に感じる違和感に、九重は心を刃物で切り裂かれたような痛みを覚えた。自然と、涙腺が決壊しそうになる。

 

 だが、そこで思い浮かぶのは一対の瞳。“呼べば助けに来る”そんな御伽噺のような約束を交わしてくれて、守り抜いてくれた者、九重の想い人――伊織の不屈を宿した瞳だ。

 

 彼の隣に在りたいと、そう願った自分が、こんなところで折れるわけにはいかない。それでは、伊織の傍に寄り添う素敵な先輩達に並び立つ事など出来ようはずもない。

 

 九重の心に炎が灯る。決壊寸前だった瞳にも力が宿った。

 

「主等……悪い事は言わん。九重を解放し、大人しく罰を受けよ」

「……なんだと?」

 

 いきなり話し始めた九重に、フルコニスの目元がピクリと反応する。

 

「九重が妖怪のままなら、まだ、やりようはあったのじゃ。しかし、こうなってはもはや手遅れ。主等の愚行は隠しだて出来ん。なぜなら、既に九重が拐かされた事も、それが悪魔の仕業である事も母上に伝わっているはずだからじゃ。故に、主等に出来ることがあるとすれば、悪魔と妖怪の関係が致命的になる前に、自ら罪を償うことだけじゃ」

「……」

「主等、見たところ悪魔の貴族であろう? ならば、今の時期に九重を拐かした事がどれほど問題かわかっているはずじゃ。貴族の矜持が少しでも残っているなら、悪魔の未来を少しでも想えるなら、その身を持って贖うのじゃ」

 

 幼い九重から、まさか政治的な話が飛び出るとは思いもしなかったフルコニスは、僅かに目を見開く。確かに、転生させてしまった九重の事や和平会議の行く末を思えば、九重の言う通りにすべきだろう。一介の妖怪なら兎も角、九尾の娘はそれだけ不味いのだ。

 

 そして、その話の信憑性も、九重の聡明さと変化の術で騙されきった事を思えば、偽りであると断定することは出来なかった。

 

「母上には、九重が執り成さそう。既に、悪魔側から会談の打診は来ておる。その席で、九重の事を問題にせぬようにとな」

「……この状況で、言葉にするのが恨み辛みでも泣き言でもなく、それとはな。その年で、よくもまぁ……流石は、九尾の娘といったところか」

「世辞はいい。さぁ、早く九重を解放するのじゃ。さもなければッひぐぅ!?」

「ブーメルスっ!?」

 

 九重が息を詰めたような悲鳴を上げる。それは、話している途中で、ブーメルスがいきなり九重の腹部を蹴りつけたからだ。息子の凶行に、フルコニスも思わず驚愕の声を上げる。しかし、当のブーメルスはフルコニスを無視して、苦痛に顔を歪める九重の髪を無造作に掴み上げた。

 

「小便くせぇガキの分際で、誰に向かって口聞いてぇんだ? あぁ? 九尾の娘だか何だ知らねぇが、偉そうに指図してんじゃねぇよ! ぶっ殺すぞ!」

「ッ……主……状況がわかっておらんのっあぐ!?」

「だからよぉ、口の利き方に気をつけろって言ってんだろうがぁ。貴族の矜持だの悪魔の未来だの、そんなクソくだらねぇ事なんざぁどうでもいいんだよ」

 

 今度は、ブーメルスの平手打ちが飛んだ。ブーメルスが暴挙に出た理由は単純。ただ、自分より遥かに小さく弱い九重が、自分より優れている事を察したから、それだけだ。

 

 その言葉通り、彼にとって貴族の矜持だの悪魔の未来だのはどうでもよかった。そんな事に思いを巡らせるには、彼は擦れすぎていたし、愚か過ぎた。その才覚に伴わない家柄と、許されてきた甘え、そして、どこからともなく聞こえてくる自分への低い評価と、相反する高い評価を得ている若手達の噂。それが、彼をとことん自己中心的な自分に仕上げていた。

 

 もっとも、悪魔の中には、ブーメルスより遥かに才能がなくても努力で周囲の誹謗中傷を叩き潰し、今や若手ナンバーワンと言われるまでになった者もいるので、全く同情には値しないが。

 

「ブーメルス……それぐらいにしておけ」

 

 見かねたフルコニスが制止の声をかける。しかし、ブーメルスは不機嫌そうな表情を向けるだけだ。

 

「おいおい、親父。まさか、こんなクソガキの言う事に黙って従う気じゃねぇだろうな? えぇ? 普段から口にしている由緒ある高貴な悪魔がそんな事でいいのかよ?」

「……調子に乗るな、愚か者。一介の妖怪をさらうのとはわけが違うのだ。和平会議への影響が強すぎる……」

「ですが、主。これがビフロンス家の仕業だと魔王様のどなたかに知られれば家は取り潰し必至……最悪は、命も……」

 

 苦い表情をするフルコニスにホーガンが悲痛な表情を見せる。そんな二人に、ブーメルスが事も無げに言う。

 

「けど、こいつの言っている事が本当かわからねぇじゃねぇか」

「……そう言えば、悪魔の襲撃だということは知られているといったが、ビフロンス家の仕業とは言わなかったな」

 

 フルコニスの完全に冷静さを取り戻した怜悧な眼差しが九重を貫く。九重は、咄嗟に誤魔化そうとするが、フルコニスには、その一瞬の間で十分だったようだ。

 

「なるほど、悪魔の仕業とは分かっていても、我が家とは分かっていないか」

「へっ、なら、さっさと殺しちまおうぜ」

 

 九重が、必死に言葉を発しようとするが、ブーメルスがもう戯言は聞かないと言わんばかりに、九重の髪を捻り上げ、その痛みで黙らせた。

 

「まぁ、待て、ブーメルス。今すぐここで殺すのは不味い。用意した“はぐれ”に、別の場所で殺らせる。……そうだな、時間的にパーティー中がいいだろう。目を逸らすには絶好の機会だ」

「チッ、面倒くせぇ。今すぐ、ぶっ殺してやろうと思ったのによぉ」

「万一があっては困る。理解しろ、ブーメルス。それと、その洗脳用の魔具は念のためつけておけ。我等の目をも欺いたのだ。他にどんな術を持っているかわからん、意識を縛っておく事に越したことはない」

「へいへい、わーたよぉ」

 

 抵抗する九重を乱暴に押さえつけ洗脳用のネックレスを付けようとするブーメルス。その手が、既に九重の首にかかっていたアクセサリーに気が付いて一瞬止まる。そして、邪魔だとでも言うように一気に引きちぎってしまった。

 

「何だこりゃ?」

 

 ブーメルスは訝しげに首を捻る。ネックレスチェーンの先にイヤリングが付いていたからだ。

 

「か、返すのじゃ。それは、九重の……」

「大切な物ってか? キハハ、でもよぉ! これから惨たらしく死ぬ奴にはいらねぇよなぁ」

「だ、ダメじゃ! 返しッ!?」

 

 伊織から貰った大切なイヤリング。九重は、必死に取り返そうと言葉を紡ぐが、その目の前で、ブーメルスはイヤリングを踏みつける。生意気な九重に、更なる絶望を突きつけてやろうという下衆な発想だ。

 

 しかし、このイヤリングは異世界のロストロギア。踏みつけくらいで壊れる程やわな構造はしていない。案の定、ブーメルスの足の下からは無傷のイヤリングが現れた。それにホッとする九重。ついで、激烈な怒りが湧き上がって来た。その感情を余すことなく瞳に込めてブーメルスを睨む。

 

 それが気に食わないブーメルスは、九重を足蹴にすると、イヤリングを自分の懐にいれた。返してやるつもりはないという意思表示だ。そして、問答無用に、洗脳用ネックレスを九重の首にかけた。

 

 途端、九重の意識は霞に覆われて判然としなくなる。瞳は虚ろとなり、抵抗を無くしてしまった。そんな茫洋とした九重を一瞥すると、ブーメルスは「ふんっ」と鼻を鳴らし、そのまま部屋から出て行った。

 

 フルコニスも、深い溜息と、苛立ちの含まれた眼差しで九重を見たあと、ホーガンに後の手配を任せて部屋を出て行った。

 

 そのまま結界の張られた部屋にポツンと取り残された九重。時間が来れば、どこかに連れて行かれて“はぐれ悪魔”によって殺される事になる。

 

 しかし、今は、そんな焦りすら感じられない。それでも、虚ろな瞳の九重は、ポツリと零すように呟いた。

 

「……伊織」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 冥界はグレモリー領。その端の方の広大な森の中に、一瞬、光が奔った。

 

 それはベルカ式転移魔法の光。正三角系の魔法陣が木々に囲まれた小さな空き地に人影が四人現れる。

 

「周囲に敵影なしっと」

「結界のせいで、転移魔法の座標がずれないか心配でしたけど、大丈夫みたいですね」

「だね。まぁ、直接、イヤリングの場所に転移できれば、それが一番よかったんだけど……」

「贅沢言っても仕方あるまい。流石に、会場に直接転移を許すほど甘くはないだろう」

 

 耳を澄ませて気配を探る伊織の言葉に、ミクとテトが肩を竦め、そしてエヴァが苦笑いした。

 

 最初は、イヤリングの元へ直接転移しようとしたのだが、結界が強すぎて難しかったのだ。どうして、そんな強力な結界が、と少し調べた結果、魔王主催のパーティーが開催されていると突き止めた。それなら特別、強力な結界があるのも頷けるので、会場の外れに転移することにしたのだ。

 

「まぁ、そうだろうな。ここまで侵入を許した時点であちらさんは面木丸潰れだろうが」

「……そんなのどうでもいい。九重は取り返す。邪魔者は皆メッコメコにする」

「ケケケ。蓮ガ言ウト冗談ニ聞コエネェナ」

 

 ふんふんっと鼻息荒く、シャドーボクシングする蓮。纏っているのが白ジャージなので、そんな姿が妙に似合う。蓮は九重と仲が良いので、相当頭にきているようだ。しかし、蓮の正体を知られるのは色々と不味いので、伊織は釘を刺しておく事にした。

 

「蓮、メッコメコでもボッコボコでも何でもいいが、正体だけは晒すなよ? 上手くドラゴンの力は隠してくれ。練習通りにな。魔王の主催するパーティーに、九尾の娘を助けるため、カオス・ブリゲードのトップが乗り込んで来るとか……どんな誤解されても仕方ないからな。八坂殿が自制してくれた意味がなくなる」

「……おk。魔法を捨てて、物理で殴る。問題ない。我のレベルは既にカンストしてる」

「……すっかり現代に馴染んじまって」

「こんな龍神様は嫌だ! とか言われそうですね」

「今やニ〇ニ〇世界でも“神”だものね」

「三大勢力やカオス・ブリゲードも、まさかネット世界を席巻する“龍神p”が本物だとは思わないだろう……」

 

 そんな馬鹿な話をしながらも、伊織達は、森の上に顔を覗かせている天を衝くような超高層高級ホテルを目指して走り出した。イヤリングの反応はホテル内から動いていない。九重はそこにいるのだ。今も、伊織達の助けを待っている。

 

 軽口を叩き合いながらも、全員、その瞳には激烈な炎を宿している。そんな伊織達の前に、人影が飛び出してきた。

 

「貴様等! なにもッぐぺ!?」

「止まれぇ! さもなゴパッ!?」

 

 悪魔の警備員達だ。それを会話することもなく瞬殺する伊織達。

 

「さて、これで気付かれたな。みな、正面から叩き潰して、九重を取り返すぞ」

 

 伊織の号令に、彼に寄り添う家族達が一斉に応えた。

 

 冥界の夜に、奪われた大切な者を取り返すため、異世界の英雄達と無限の龍神がその牙を光らせるのだった。

 

 

 

 




いかがでしたか?

幼女になんて事をっ
……前も同じような事があったような。
九重は世界一、ピンチに陥りやすい幼女かもしれません。ヒロイン体質ですね。

さて、前回、原作には時折関わると言いましたが、オリジナル展開が基本はちょっと考えるのがキツイと判明……なので、原作を基本にオリ展を入れる感じにしました。即行で変更してすいません。

あと、神器について、
生まれ月の差で、伊織の父が死んでから一誠に宿ったという感じで一つご納得お願いします。
基本、ノリで書いているので、きちんと設定を考えていなかったり……その辺はご勘弁願えると嬉しいです。
チャチャゼロを筆頭に神器持ってる理由とか説明できねぇ……でも、あった方がロマンはあると思います。

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