重ねたキズナと巡る世界   作:唯の厨二好き

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ハーメルン民の皆様、お久しぶりです。
長らく更新できず、すみませんでした。
オリ小説関係とか、仕事とか、いろいろ詰まって手がつけられませんでした。
やはり、1日って37時間くらい必要だと思うんですよね。

次の更新も目処が立っていない上に、今回の話も長いだけであんまり中身がない気がしますが、ゴールデンウィーク最終日の暇つぶしの一つになればいいなぁと思います。


一応、前回までのあらすじ。
・リリなの世界よ、私は帰ってきた!
・八神さん家が行方不明。じゃあ、お家貰っちゃおう。
・むっ、複数転生者の気配。チェシャ、クイーンやっておしまい!
・どうもイオリさん、私、高町スグハです。仲間になりましょう、いいですよ。
 ↑ 今ここ。


第69話 テンプレ転生者

 “準備中”の札がかけられた喫茶店の店内で、一人の青年が同じ場所を行ったり来たりしていた。手にはモップが持たれていることから、彼が閉店後の掃除をしているのは分かるのだが、全く同じ場所を往復しているだけで、彼の心が彼方に飛んでいるのは明白だ。

 

「恭也。いつまで同じ場所を掃除している気だ? 少しは落ち着きなさい」

「あ、ああ。悪い、父さん。……というか、そういう父さんも、その磨きすぎて光りまくってるグラス、いつまで磨く気なんだ?」

「……おっと」

 

 床の一か所だけやたらとピカピカにしていた青年は、この喫茶店――翠屋を経営する高町家の長男である高町恭也だ。そして、恭也のように一見して分かるほどの落ち着きの無さは見せていないものの、やはりいつもの泰然とした雰囲気が薄れているのは、翠屋のマスターにして高町家の大黒柱――高町士郎だ。

 

 父と息子は、互いに顔を見合わせると、他人から見ればそっくりな苦笑いを浮かべ合った。

 

「スグハ……大丈夫かな」

「すまない、不安にさせたか。でも、大丈夫さ、美由希。スグハは、私や静馬すら凌駕する、正真正銘、御神最強の剣士だ」

 

 高町家の長女――高町美由希が、父士郎や兄恭也の様子に、もともと抱えていた不安感を煽られたようで、ポツリと零した。それに対し、士郎は「娘を不安にさせるなんて、私もまだまだ修行が足りないな」と苦笑いしつつ、力強い言葉で返す。

 

 だが、美由希の表情は晴れない。その理由は、苦虫を噛み潰したような表情の恭也が言葉にした。

 

「だが、父さん。スグハやなのはの話によれば、スグハですら危ない状況で、転生者複数を歯牙にもかけないような使い魔? みたいなものを従えている奴なんだぞ? 正体も分からないし、そんな奴のところへ、スグハ一人を行かせるなんて……やっぱり、俺達もついていくべきだ。今からでも遅くはない。相手の住所は分かっているわけだし、向かうべきだ」

 

 強く訴える恭也に、士郎は磨いていたグラスを食器棚に戻しながら静かに首を振る。

 

「スグハが、一人で行くと言ったんだ。それに、私達の存在が、会談の行方を悪い方向へ流してしまうかもしれない。スグハにとって、イレギュラーなことはするべきじゃない」

「だがっ、相手は転生者だぞ! 信用なんてっ」

 

 冷静に、諌めるように言う士郎へ、恭也は咆えた。その表情には、転生者に対する大きな不信感がありありと浮かんでいた。今までの経緯が、転生者であるというだけで碌でもない連中だという印象を、どうしても与えてしまうのだ。

 

 たとえ、今、スグハが会いに行っている相手が、おそらく先の戦いで助けてくれた相手だろうと分かっていても。

 

「恭也、少し落ち着きなさい。お兄ちゃんでしょ? なのはの前で取り乱さないの」

 

 そんなことを言いながら、厨房より現れたのは高町家の母――高町桃子だった。その手には、キラキラと輝く銀色のトレイに乗せられた、湯気を立てるカフェオレと、一口サイズのサンドイッチが乗っている。

 

 高町家の面々が、閉店からしばらく経ったこの時間に、もうとっくに掃除なども終わっていながらも未だ留まっているのは、スグハの向かった相手の家が、自宅より翠屋の方が近かったからだ。

 

 桃子は、スグハの会談が長時間に及ぶ可能性があることと、すきっ腹は精神的によくないと、軽食を用意してくれたらしい。もちろん、きちんとした夕食は、高町家の大切な次女が帰って来てからだ。

 

 恭也は、笑顔なのに何故かやたらと迫力のある桃子の忠告に思わず「うっ」と言葉に詰まる。そして、チラチラと、視線を高町家の末姫へと向けた。

 

 そこには、カウンターに座ったまま、ジッと店の電話を見つめているなのはの姿があった。スグハが出て行ってから、ほとんど動いていない。

 

 待っているのだ。静かに、湧き上がる衝動を押し殺して。大切で、大好きな姉の「待っていて、必ず戻るから」という言葉を信じて、その言いつけを守って、待っているのだ。

 

 そんななのはの隣に、温かいカフェオレを置きながら座った桃子は、優しい手つきで愛娘の栗毛を撫でる。なのはが、本当は今直ぐにでもスグハを追いかけたいと思っていることを看破しているが故に、小さな身で、グッと我慢しているなのはを褒める気持ちを込める。

 

 恭也はそんな妹の姿を見て、恥じ入るように顔を俯かせた。そして、頭をガリガリと掻くと、小さく「なのは、すまん」と口にする。

 

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。なのはだって、本当はお姉ちゃんと一緒に行きたかったもん」

「なのは……」

 

 ますますバツの悪そうな顔になる恭也。士郎に「妹に気を遣われてどうするんだ」と苦笑しながら言われ、桃子の微笑ましそうな眼差しを頂戴すれば、恭也はもう何も言えない。

 

 なのはは、兄のむすっとした様子にくすくすと笑い声を上げつつ、しかし、その視線は直ぐに、吸い寄せられるように電話へと向いた。それが、なのはの張りつめた心情を、これ以上ないほど示していた。

 

 スグハが会いに行った相手は、自分達を助けてくれた人。

 

 だから、頭では、きっと大丈夫だと思っている。自分達を助けたあと、名乗り出もせず、それどころか次の日から家族旅行に出てしまうような人達だ。今まで、度々いた下心が透けて見える転生者達とは違うように思う。

 

 だが、実際に会ったわけではない以上、あくまで推測に過ぎない。実際は、あの原作遵守派のように、スグハを“イレギュラー”と称して排除を考えているかもしれない。

 

 あの日、助けてくれた黒猫達の存在が自分達の近くにあることを、スグハは感知していた。おそらく守ってくれていたのだろうと思う。

 

 だが、お礼をしたいと、スグハの術で場所を特定し、なのはも一緒になって追いかけてみても、自分達を避けているように消えてしまう。

 

 単に、自分の正体を知られたくなくて高町家と接触しないよう指示を受けているのか、それとも、なにか良からぬことをたくらんでいて正体を隠しているのか……

 

 なのはには判断がつかなかった。前者であると思うし、そう信じたいところだが……

 

 分からないということが、今宵の会談への不安を掻き立てる。

 

 と、そのとき、まるで、なのはの様子を見かねたように、とある存在が突如、虚空より現れた。

 

「なぁ~お」

「ふにゃ!?」

 

 突然感じた頭の上の重みと、聞き覚えのある鳴き声、そして、なのはの小さな肩に垂れている、これ以上ないほど特徴的な三本のカギシッポ。

 

 なのはが、猫語に答えるように猫っぽい驚愕の声を上げている間に、今度は、ぷにぷにの肉球が彼女の額をぽふぽふと叩く。いつかのように「心配すんなぁ~」という緩い励ましの声が聞こえてきそうだ。

 

「ね、猫さん!? 会いに来てくれたの!?」

「にゃ~ん」

 

 黒猫――チェシャの出現に、なのはのテンションが上がる。

 

 今まで自分達を避けていたチェシャの方から会いに来てくれるとは思わず、それがまるで吉兆のように感じて、なのはは先程までの強張った表情をだらしなく崩し、ふにゃりと笑った。

 

 もっとも、突然、虚空からにじみ出るようにして現れ、高町家の末姫の頭に乗っかるという非常識振り(しかも、猫なのに表情が明らかにニヤニヤしており、しっぽが三本もある)を見せた化け猫っぽい存在に、シスコンは盛大に取り乱した。

 

「貴様っ、なのはから離れろ!」

 

 一瞬で小太刀を抜き、なのはに手を出したら許しはしないと、強烈な殺気を叩きつける。

 

「お、お兄ちゃん! この子は大丈夫だよ!」

 

 なのはが慌てたように制止の声を張り上げた。ニヤニヤと笑うチェシャを頭に乗せたままわたわたと両手を振る。美由希と桃子が、そんななのはとチェシャを見て、「可愛い!」とテンションを上げる。

 

 チェシャは、なのはの言葉を受けても臨戦態勢を崩さない恭也に、悪戯猫そのままにニィイイイと笑った。そして、次の瞬間、

 

「うおっ!? こ、このっ! 頭に乗るなっ、この化け猫ぉ!」

 

 チェシャが、なのはの頭からふわりと消えて、恭也の頭の上に出現した。突然の急接近に、恭也が慌てて頭上へ手を伸ばすが、そんな恭也をおちょくるようにひょいひょい避けるチェシャは、更にカギシッポで恭也の頬をぐりぐりする。

 

「あー! お兄ちゃん! なのはのネコさん、取らないで!」

「ち、違うぞ、なのは! こいつが勝手に!」

 

 なのはがぴょんぴょんと飛びながら、恭也の頭に手を伸ばす。恭也がわたわたする。カギシッポがぐりぐり、ベシベシする。

 

 ぴょんぴょん! わたわた! ぐりぐりべしべし!

 

「え、えっと、なんだろう? この状況」

「あの子が、なのはやスグハが言っていた恩ネコさんね。ふふ、なんだか楽しい子ね。私にも悪い子には見えないわね」

「本当に空間を操れるんだな。能力的には脅威と言えば脅威なんだが……遊ばれている恭也と、“私のネコさん”なんて言っているなのはを見ると……なんだか和むなぁ」

 

 困惑する美由希に、桃子が頬に手を添えてのほほんと笑う。士郎は、人を見る目に関しては自分より優れている妻が悪い子ではないと評価したことで、もともと恩人ならぬ恩ネコでもあることから薄かった警戒心が、更に和らいで頬を緩める。

 

「父さんも母さんも、和んでないで助けてくれ!」

「ネコさ~ん! なのはのところに帰って来て~!」

 

 先程ほどまでの張りつめた空気はどこへやら。恭也の醜態と、ツインテールをぴょこぴょこ動かしてネコじゃらし代わりにしつつ必死に気を引こうとするなのはの可愛らしい様子に、高町家の空気はふわりと和らいだ。

 

 それで、目的は果たしたということなのか、ドヤ顔しながら恭也をカギシッポで弄んでいたチェシャは、ふわりと虚空に身を躍らせてなのはの頭上に帰還した。

 

 重さを感じさせずにぽふっと頭に乗って来たチェシャに、なのははぱぁと顔を輝かせる。……恭也は、ハァハァしながら四つん這いになっていた。

 

「あのね、あのね、ネコさん。この前は助けてくれてありがとう! それでね、私、ネコさんに聞きたいことがあって――」

「んなぁ~」

 

 頭の上から降ろし、両手でチェシャを抱えながら、なのはが興奮したように早口でまくしたてる。チェシャは、「取り敢えず、落ち着け~」というように、肉球でなのはの鼻先をぽふぽふした。

 

 なんとなく、チェシャの言っていることが分かったなのは、士郎達が見守る中、一つ深呼吸し改めて尋ねた。

 

「あのね、私のお姉ちゃんが、たぶん、ネコさんの飼い主さんのところに行ってると思うの。ネコさんの飼い主さんだし、大丈夫だと思うんだけど……」

 

 スグハが会いに行った相手は、間違いなくチェシャの飼い主だ。そして、そうであるならば、お姉ちゃんとチェシャの飼い主さんは、きちんとお話が出来ているだろうか。

 

 それが、なのはの聞きたいこと。

 

 チェシャは、「分かってるさ~」というように、にゃんにゃんと頷き、そのままスゥと姿を消していく。なのはが「あっ」と声を上げて焦ったような表情になるが、直ぐに「にゃ」と鳴き声が聞こえて視線を向ける。

 

「電話?」

 

 呟きながらなのはがトコトコと歩み寄った先は、店の電話の上に座るチェシャのところだった。

 

 直後、トゥルルルルと電話のコール音が鳴り響く。ハッとしたなのはは、慌てて受話器を取り上げた。

 

『もしもし、スグハだけど』

「お姉ちゃん!」

 

 案の定、電話の相手はスグハだった。喜色に彩られたなのはの声に、士郎達もわっと電話の前へ駆け寄る。気になって仕方がないといった様子で、恭也が電話機のスピーカーボタンを押した。

 

「スグハ! 無事か!? こっちは化け猫のせいで大変なことになってる! お前は大丈夫なのか!?」

『大変なこと? 兄さん、化け猫ってチェシャのことよね?』

 

 急く恭也がいろいろと誤解を招きそうな発言をするが、スグハは、チェシャが翠屋に出現していることを知っているようで、特に慌てた様子はない。

 

「もうっ、お兄ちゃん、変なこと言わないで! お姉ちゃん、ネコさんの名前、チェシャちゃんっていうの? お話は大丈夫だった? 今、どこにいるの? もう帰れる?」

『落ち着きなさい、なのは。順番に話すから』

 

 電話の向こうで、妹のあたふた振りにくすりと笑う音が響いた。その雰囲気で、会談が上手くいったこと、スグハの身に悪いことは起きていないことが伝わって、高町家の面々はホッと安堵の息を吐く。

 

 スグハは、『ネコさんの名前は、チェシャで間違いないわよ。主の許可が出たから姿を見せてくれたのよ』と教えつつ、会談の行方を語った。

 

『今、まだ相手の家にいるわ。話し合いは上手くいった。チェシャの主は、一応、私と同い年の男の子よ。まぁ、中身はとんでもないけど、ね。北條伊織くんというの。取り合えず、信用も信頼も出来る相手と判断したわ』

 

 その言葉に、なのはと美由希、そして桃子は未だ僅かに入っていた肩の力を抜いた。だが、恭也と士郎は、何故か逆にグッと力が入ったようだ。

 

 それは、スグハの声音に、ただ信頼できる相手――肩を並べるに足る相手、というよりも、もっと目上の者に対するような敬意が伺えたからだ。

 

 スグハが、元を辿れば平行世界の御神の人間であったことは既に高町家にとって周知の事実であり、自分達より遥かに長く生きた人間であることも分かっている。

 

 だが、それでも、スグハ自身がそう願った通りに、士郎にとって愛すべき娘であることに変わりはなく、恭也にとっては可愛くて頼りになる妹であることにも変わりはない。

 

 そして、その隔絶した強さで家族を守り、他の転生者からのアプローチ(・・・・・)も軽くあしらい、浮いた話(・・・・)など微塵もなかったスグハであるから、それの心配(・・・・・)も全くしていなかった。

 

 いなかったのだが……

 

『これから家に帰るけど、彼の家から歩いて帰るから、少しかかるわ』

「へ? お姉ちゃん、【姿あらわし】しないの?」

 

 士郎の目がスッと細くなった。恭也の眉間に皺が刻まれる。そんな中、なのはが、いつものように空間転移で帰って来ないのかと当然の疑問を投げる。

 

『ええ。もう少し彼と話してみたくて。送ってくれるらしいから、少し話しながら帰るわ。先に夕食を取っていて――』

「今すぐに帰って来なさい、スグハ」

「ああ、早く【姿あらわし】をするんだ、スグハ」

 

 スグハの言葉を、士郎と恭也が遮る。曰く、先方に迷惑だろう。曰く、もう遅いから危ない。曰く、夕食は皆で取るべきだ、などなど。

 

 もっとも、二人の眉間の皺が、それらの言葉が建前に過ぎないことをこれ以上ないほど明確に示していた。

 

 愛娘が、同い年の男と、もっと話したいから、夜道を一緒に帰る……

 

 そんなこと、父として、兄として、断じて許せない! というわけだ。

 

 二人の心情を察した桃子が「あらあら」と頬に手を当てて微笑む。そして、「スグハったら、短い時間で随分と仲良くなったのねぇ」なんて言うものだから、士郎と恭也の眉間はマリアナ海溝になった。

 

 美由希の、「そんなっ、スグハに春が!? 妹に先を越された!?」と叫んで、二人の精神に追い打ちをかける。

 

『なにを考えているのか、何となく察したけど、そういうのじゃないからね。同じ武人として、守る者として、通じるものがあるの。それに、彼の経験談はとても興味深いから……。とにかく、徒歩で帰るから心配しないで』

 

 電話の向こうから呆れたような声音が届く。「だがっ」「しかしっ」と男二人が言い募る二人に、スグハは、更にストレートパンチで返した。

 

『お父さんも、兄さんも、そんなに気になるなら、自分の目で確かめればいいじゃない。私を送るついでに、顔見せと挨拶もしたいって言ってくれてるから、そのときにね。会って話せば、悪い人ではないと分かるはずよ』

 

 単純に、今後、手を取り合う者として挨拶をしておきたい、というだけの話なのだが……

 

 今まで、スグハがそこまで信頼を向ける異性の話をしたことなどなかったので、親馬鹿とシスコンの脳内では、こんな風に意訳された。

 

“お父さんとお兄ちゃんに、紹介したい人がいるの! とってもいい人よ! お願い、会ってあげて!”

 

 まるで、初めて家に彼氏を連れて来るかのような言葉。士郎と恭也の精神にビキリと嫌な音が響く。

 

 そこへ、電話の向こうからダメ押しのやり取り。

 

『え? 日も暮れてるし、挨拶は後日でもいいって? そんなの悪いわ、伊織さ――伊織くん。近くまで送ってもらうだけなんて……いいえ。気を遣わないで。私が、家族に会って欲しいのよ。顔を知っているのと、そうでないのでは、全然違うものでしょう?』

 

 士郎&恭也的意訳

 

 “遠慮なんてしないで。私が、家族に紹介したいのよ。第一印象が大事なの。お父さんと兄さんに、伊織くん♡とのことを認めてもらいたいの!”

 

 親馬鹿、シスコン、ここに極まれり。

 

『そういうわけだから。お父さん、兄さん、後で彼を紹介――』

「あ~、お姉ちゃんだよ、スグハ。あのね、お父さんも恭ちゃんも、もういないよ。神速で出て行ったから。たぶん、そっちに向かってるよ。あ、ついでになのはも二人を追いかけて行ったよ」

『……』

 

 言葉はない。しかし、カランカランと音を立てる店の扉を横目に、美由希は、電話の向こうでしっかりものの妹が深い溜息を吐いてることが手に取るように分かるのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 街頭と月明かりだけが頼りの暗い夜道を、この時間帯に出歩くには一般的に相応しくない二人が歩いていた。帰宅中のスグハと、それを送っている伊織だ。

 

「う~ん。やっぱり、俺は引き返そうか。士郎さん達を随分と心配させたみたいだし。違う意味でな」

 

 頬をポリポリと掻きながら、「それとも、ミク達を今からでも誰か呼ぼうか?」と口にする伊織に、スグハは苦笑いしながら首を振る。

 

「いいえ、大丈夫よ。私が異性といるだけでいちいち過剰反応していたら、今後のためにもならないわ。路上で、ということになってしまうけど、伊織くんさえ良ければ、挨拶してもらえれば嬉しいわ」

「まぁ、スグハさんがいいなら、俺は構わないが……。ちょっと不注意だったな」

 

 伊織は苦笑いしつつ、スグハの隣りを歩く。そんな伊織に、「気にする必要はないのに。お父さんも恭也兄さんも、反応しすぎなのよ」と困ったように言う。

 

「そう言ってやるなよ。父親ってのは、いくつになろうが、どれだけしっかりしていようが、娘のことが心配で心配でたまらないものさ。まして、異性関係となれば、取り乱す方が自然な反応だろう」

「……経験は語る、っていうやつかしら?」

「ああ。俺も、初めて娘を授かったときは、もう、周りの全てが娘に悪影響を与えるものみたいに見えてな、よくエヴァに叱られたもんさ。あいつは、どちらかというとスパルタ派だからさ。それで、よく口論したりしたよ」

「へぇ。なんだか、想像し難いわね……」

 

 遠い昔を思い出すように、視線を虚空に彷徨わせる伊織を横目に、スグハはくすりと笑みを浮かべる。

 

「まぁ、年を重ねて、孫が出来て、転生して……また子供が出来て、沢山の孫を見てきて、ようやく少しは泰然と出来るようになったってところか。それでも、心配は尽きない。親ってのはそういうものなんだろう。どれだけ心身を鍛えても、こればっかりはどうしようもないのかもしれない。スグハさんはどうだ?」

「そうね……。私は、娘には恵まれなかったから、その辺は想像しかできないわね。しかも、うちの息子ときたら、それはもう名を馳せるくらいの悪戯小僧でね。【徹】を打ち込んで止めるか、【石化呪文】をぶち込むかでもしないと反省のはの字も見せない子だったのよ。一体何度、ホグワーツの先生方から相談という名の悲鳴が届けられたか……」

 

 遠い目をして、遥か過去に思いを馳せるスグハ。どうやら、彼女の前世での息子は、相当な悪ガキだったらしい。ハリー・ポッターは、そこまで悪戯小僧というイメージがないし、スグハも武人気質であるからちょっと想像しづらいところがある。

 

 もっとも、伊織がふと思い出したところでは、確かハリーの父親であるジェームズは、相当な悪ガキだったと語られていたはずであるから、祖父の血が色濃く遺伝したのかもしれない。

 

 何はともあれ、夜道を、互いの子供について語り合いながら歩く八歳児の男女の姿は……果てしなくシュールだった。

 

 それからしばらく、前世での互いの家族の話や、譲れない戦いの話、伊織に至っては各神話の神々の話などをしていると、時間はあっという間に流れていった。もともと、二人共、守護を掲げる武人であるからして、やはり相当気が合うようだった。

 

 最初は、伊織のことを“くん”呼びすることに抵抗感があり、ぎこちなさを感じさせたスグハも話している内に打ち解けたようで、自然と敬語の抜けた話し方になっている。

 

 前世のことで、ここまで語り合えた人は今までいなかったし、それが自分と同じ武人となれば、やはり会話は弾むようだ。

 

 と、そのとき、不意に会話を切って、伊織が虚空に視線を向けた。「どうしたの?」と小首を傾げるスグハに、伊織は少し眉を顰めながら口にする。

 

「気配を捉えた。おそらく、士郎さん達だろう。だが、直ぐ近くに魔力反応もある。これは……転移魔法の反応だ。誰かが、士郎さん達の直ぐ傍に転移したらしい」

「っ、なのは!」

 

 腕を組んで虚空を睨む伊織がそう告げた瞬間、スグハは一瞬で渦に呑まれた。【姿くらまし】で転移したらしい。

 

「……敵意はないようだ、と言おうとしたんだが……まぁ、彼女にはそんな言葉、関係ないか」

 

 伊織は苦笑いを零しつつ、周囲一帯に広域探査をかけ、横やりや漁夫の利を狙う輩がいないか確認しながら現場に向かうのだった。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 夜の住宅街を二人の男が疾走する。常人ではあり得ないレベルの健脚をもって、風が唸るような速度で走るその姿は、人によればただの影にしか見えなかったかもしれない。

 

 そんな逸般人な二人の後を、ステテテテテテテッーー!! と可愛らしくも凄まじい足音を立ててぴったりと追走している、ある意味、二人よりも逸般人な栗毛ツインテの女の子がいた。

 

「もうぅ、お父さんもお兄ちゃんも、いきなりどうしたの! 私だって、お姉ちゃんのところに行くの我慢してたのに、ずるいよ!」

「なのは、そういう話ではないんだ! いいから家に戻っていなさい!」

「意味わかんないよぉ! ちゃんと説明してよ、お父さん!」

「なのは、聞き分けろ! 俺と父さんは、スグハに言い寄る野郎とOHANASHIしてくるだけだ!」

「そのセリフは、お兄ちゃんが使っちゃダメな気がするよ!」

 

 結局のところ、親馬鹿とシスコンが、娘が初めて認めた上に、親密(?)にしている小僧が気に食わなくて暴走しているだけなのだが……

 

 原作を遥かに超える技量を有していても、そこはまだ八歳の女の子であるなのはには、二人の焦りやもやもやっとした感情は理解の外だった。ただ、「チェシャちゃんの飼い主さんと仲良くなれて良かったなぁ」とか、「どんな男の子なのかなぁ」とか、思っているだけで、二人で話していることがイコール恋愛感情には結びつかない。

 

 未だ、初恋も知らないなのはには無理からぬことではある。

 

「ふ~ん、いいもん。よく分からないけど、お父さんとお兄ちゃんがお姉ちゃんの言いつけを破るんだったら、なのはも言うこと聞かないもん。ぜぇ~ったい、お家に戻ったりしないから!」

「なのは!」

 

 士郎と恭也が肩越しに振り返りながらメッと叱るが、なのははツンとそっぽを向いて「言うこと聞きません態勢」を取る。こうなると、意外に頑固ななのはは梃子でも動かない。

 

 原作では、良い子でいなければという強迫観念に捉われていたなのはであるが、スグハの存在が甘えることを許容していたためか、割とわがままを見せるようだ。

 

 そんななのはの様子に、士郎と恭也は何とも言えない表情で顔を見合わせた。

 

 時々わがままで、時々甘えん坊で、時々すごく頑固な末娘。

 

 同じ年頃の子達ではまず経験しない殺伐とした経験を味わっておきながら、こうして普通の女の子のように困らせてくれるところが、困ると同時に割と嬉しくもあるのだ。

 

 ある意味、ほのぼのとしたやり取りを、オリンピック選手も真っ青な高速移動しながら交し合う廃スペック一族高町家。

 

 彼等を一般家庭と称したら、きっと多くのご家族が苦笑いを浮かべるに違いない。

 

 三人がそうやって言葉を交わしつつも、まったく息を乱さないという超人な一面を晒していると、不意に、なのはが何かに反応した。チャームポイントであるツインテールがピコンッと動いたのだ。……原理は不明だが。

 

「お父さん! お兄ちゃん! なにか来る!」

「恭也、備えろ」

「ッ」

 

 士郎が一瞬で立ち止まり、喫茶店のオーナーではなく、剣士としての顔を覗かせる。一拍遅れて、恭也も同じように身構えた。なのはは、二人の少し後ろで立ち止まり、ジッと正面を向いている。

 

 直後、なのは達の視線の先で、銀色の光があふれだした。光の源は、地面に浮き上がった幾何学模様――転移魔法陣だ。

 

「うわぁ、この魔力の色って……」

 

 なのはが心底嫌そうに顔をしかめた直後、あふれる銀色の魔力の中から人が現れた。

 

「やぁ、なのは。奇遇だな。こんな夜更けに出会うなんて、俺達はやっぱり運命の赤い糸で結ばれているみたいだな」

 

 そんな、使い古されたどころか、とっくにごみ収集車に持っていかれた感のあるセリフを恥ずかしげもなく吐きながら、舞台俳優のような大袈裟な動きでなのはに声をかけたのは、銀髪にオッドアイの少年だった。

 

 そう、銀髪にオッドアイなのだ。銀髪にオッドアイなのだ! 特に重要ではないけど二回言った。

 

「……天条院くん。悪いが、私達は急いでいてね、そこを通してくれるかい?」

 

 ピンポイントで転移してきたくせに、何が奇遇だボケェ!! という心の声を、大人の精神力で華麗に押さえつけた士郎が、穏やかな口調で訴える。なのはは答える気もないのか、嫌そうな顔を隠しもせずに、恭也の後ろに身を隠している。

 

 だが、そんななのはの態度や、穏やかだが有無を言わせない雰囲気の士郎、そして、今この瞬間も険しい表情を向けている恭也など、まるで気にしていない様子の彼――転生者、天条院王騎はへらへらと笑いながら口を開く。

 

「まぁまぁ、そう焦らないでくださいよ、お義父さん。あんまり娘さんを束縛しちゃうと、嫌われますよ?」

「……君に、“お義父さん”などと呼ばれる筋合いはないと、いつも言っていると思うが?」

「はぁ。テンプレな言葉ですけど、なのはの気持ちも考えてあげてください。恋人を邪険にされちゃあ、なのはも傷つきますよ」

 

 勝手な“お義父さん”呼びに、士郎のこめかみがぴくぴくと反応する。それでも怒りを抑えて冷静に返した士郎だったが、まるで自分がなのはのことをまるで考えていないかのような言葉を吐かれて、いよいよ血管が浮き出始めた。

 

 恭也の後ろに隠れているなのはが、嫌悪感の余り「勝手に恋人にしないで! 気持ち悪い!」と叫ばなければ、殺気の一つでも叩きつけていたかもしれない。

 

 もっとも、そんななのはの心からの叫びを聞いても、テンプレよろしく「お義父さんとお義兄さんの前だからって照れてるのか? なのはは可愛いなぁ」などとにこやかに言うのだから、テンプレ転生者ここに極まれりというべきだろう。

 

 埒が明かないと、士郎は恭也となのはに視線で合図を送り、王騎をスルーして先へ進もうとした。が、やっぱりそのままとはいかないようで、

 

「こんな時間に三人で疾走なんて、なにかあったんでしょ? 可愛いなのはのためですからね、俺が力を貸してあげますよ」

 

 そんなことを言って、なのはの隣に並び出す。

 

 なのはが再び、恭也を中心に反対側に回って身を隠した。そんなあからさまな態度にも、「なのはは恥ずかしがり屋さんだな」なんて言いながら苦笑いするのだから、筋金入りである。

 

 なのはが、嫌悪感丸出しの表情でそっと恭也の影から顔を覗かせ、シッシッと手で追い払う真似をするが、そんななのはへ「やっぱり、俺が気になるのか?」などと言いながらニッコリとほほ笑む。

 

 毎度のことであるが、途端、なのはは、まるで何日も徹夜した後のように頭の重くなるような感覚を覚え、もはや条件反射となっている魔力放出を行う。そうすれば、スッと晴れていく頭の中の霧。

 

「いつも、やめてって言ってるでしょ! 魅了の魔法を使うなんて最低だよ!」

 

 スグハから、王騎に限らず、多くの転生者が魅了の魔法を持っていることを聞いているなのはは、こんなときでも隙あらば魔法をかけようとする王騎に怒声を上げた。それで、士郎と恭也も、なのはが魔法をかけられそうになったと察し、足を止めて王騎に身構える。

 

「魅了の魔法だなんて……俺もいつも言っているけど、そんなの使ってないって言ってるだろう。俺に魅力を感じているのは、なのはの本心だよ。なのはって意外にツンデレなのな」

 

 くすくすと笑いながら、全部分かっているよと言いたげな王騎は、士郎達の表情がどんどん険しくなっていくのも気に留めず、なのはへと手を伸ばした。撫でる気なのだろう。その行為も、魅了の魔法が発動するトリガーであることを知っているなのは、思わず後退りする。

 

 抵抗できないわけではないが、単純に触れられるのが嫌なのだ。

 

 当然、士郎と恭也が立ちふさがるが、その前に、王騎となのはの間の空間がぐにゃりと歪んだ。

 

「お姉ちゃん!」

「おっと」

 

 【姿あらわし】により空間から現れたスグハに、なのはは喜色満面の声を上げる。

 

 一方で、いきなり小太刀の切っ先を突きつけられた王騎は、軽い一言と共にバックステップで距離を取った。

 

「おいおいスグハ、相変わらず過激だな。そんなに嫉妬するなって。俺はお前のことも――」

「相変わらず、一人の世界で(・・・・・・)生きてるわね。そろそろ、虚しさを覚えたらどうかしら?」

「……そんなに怒るなよ。可愛い奴だな。心配しなくても、俺は二人とも平等に愛してるからさ。なんならこの後、姉妹揃って可愛がってやるよ」

 

 スグハの言葉に、一瞬、ピクリと目元を引き攣らせて反応した王騎だが、直ぐに自分本位全開の言動を取り戻した。

 

 まさに柳に風。暖簾に腕押し。何を言おうと、どれだけ辛辣に返そうと、全ては自分に対する愛情の裏返し、自分に惚れているなのは達の可愛いわがままだと思い込む。会話そのものが成立しない、原作遵守派とは違う意味での厄介者。

 

 スグハ達が、ハーレム願望系オリ主派転生者と呼んでいる者(以前、他の転生者がそう呼んでいたため)の特徴だ。

 

 自分こそオリジナル主人公。自分こそ、原作キャラに愛されて止まないハーレムの主。世界は全て自分を中心に回っていて、都合の悪いものは全てなかったことにする。そういう人種だ。

 

 一応、ハーレム願望の主なので、原作遵守派と異なり、ニコポやナデポのようなテンプレの魅了系統魔法以外で、直接危害を加えて来るようなことは、まだない。その点では、まだマシといえるが、言動のかみ合わなさと女子以外に対するぞんざいな扱いは許容できる範囲を超えている。

 

 なにより、余りの言動の痛さに、なのはは今にも元気なマーライオンになりそうだ。王騎のニッコリ笑顔自体と、その魅了魔法(俗にいうニコポ)も合わさって、胃に来たらしい。口元を押さえてプルプルしている。

 

 そんな娘の様子に、当然、父親が黙っていられるわけもなく、

 

「父親を前に、よくそんなセリフが吐けるね。……以前から、なのは達には近寄るなと忠告していたはずだが?」

 

 士郎が、額に青筋を浮かべながら、王騎に静かな怒りの声をかける。だが、王騎は、そんな士郎の怒りにもやれやれと肩を竦めるだけ。

 

「ふぅ。お義父さん。俺も以前から言ってるでしょう? 過保護もほどほどにしろと。なのは達が俺に惚れているってこと、まずはそれを認めて欲しいもんです。そして、娘の幸せとはなにか、それをちゃんと考えてもらえませんかね?」

「「……」」

 

 上から目線の的外れな忠告。まるで、自分が家族の幸せを考えていないかのように無神経な言葉。士郎の手が背中に回る。そこに何が仕込まれているのかは自明の理だ。

 

「お? なんだ、やるのか? やめとけよ。あんたじゃ俺には勝てない。現実ってやつを教えてやるのもいいが、流石に、なのは達の前で無様を晒させるのは良心が痛むからな」

 

 そういった王騎の背後の空間が波紋を打つように揺らいだ。そこから、凄まじいプレッシャーを放つ幾本もの剣が鋒を覗かせる。同時に、王騎からも絶大なプレッシャーが噴き上がった。もしここに魔力測定器があったのなら、余裕でSSSランクを叩き出したことだろう。

 

「ぐっ」

 

 物理的な圧力すら伴っていそうな莫大な魔力に、士郎の表情が歪む。距離的に、御神流の奥義【神速】を使えば、仕留められないことはないだろうが……

 

「おっと、御神流の神速は忘れてないぜ。殺さないように加減するのは難しいんだ。下手なことはしてくれるなよ。どうせ、俺には誰も勝てないんだからな」

 

 更に士郎達へ魔力を叩きつける王騎。いよいよ、士郎の表情が苦しそうに歪む。スグハが、吹き荒れる魔力の中、瞳に殺意を宿し始めた。

 

「今すぐ、止めなさい」

「な、何だよ」

 

 今まで、王騎は直接的に手を出してきたりはしなかった。魅了の魔法を使っても、女子を傷つけるようなことはなかったのだ。

 

 もちろん、その言動の鬱陶しさと、なのは達に近づく男への極めて危険で好戦的な言動は、スグハ達に嫌悪感と警戒心を与えるものではあったが……殺意をもって排除しようと思うほどではなかった。

 

 原作遵守派の、スグハを排除しようとする行動にすら、そこに警告的な意味が強く、本気で命を奪おうとまでしていないという段階では、スグハも殺意を抱くほどではなかったくらいなのだ。

 

 だが、今、スグハは確かに、いつも通りと言えばいつも通りな王騎の言動に、自然と殺意を抱いた。

 

 それは、すなわち、スグハの余裕の無さのあらわれだ。

 

 迫る原作開始の日。動き出す傍観者達に、一線を越え始めた転生者派閥。数日前に死にかけた己の失態……

 

 スグハは感じていた。劇的な変化はなくとも、自分達は確実に追い詰められつつあると。

 

 たとえ、個人の戦力としては並の転生者相手でも圧倒できる自信があっても、数の暴力や混迷する情勢、なりふりを構わなくなった転生者達の攻勢は、そう遠くない未来に、スグハへチェックメイトをかけるだろう。

 

 だからこそ、いとも簡単に大切な家族へ自分本位な言動を向ける相手に、これほどあっさりと殺しを許容するようになってしまった。

 

 そんな様子に、士郎や恭也も気がついたようで、思わず視線を王騎からスグハへと逸らしてしまう。なのはも、普段、王騎や彼と似たような言動をする下心満載の相手に対する態度とはどこか異なると、不穏な気配を感じとって不安そうな表情になった。

 

 スグハの視線はそれない。家族からの、己の心情を察したような視線を感じていても、これ以上後顧の憂いを残すわけにはいかないと。

実際に害意あるかどうかに関係なく、その片鱗を見せただけでも、もう容赦をするわけにはいかないと。

 

 その手に握る小太刀にグッと力を籠めて……

 

『スグハさん』

「っ」

 

 たった一言。穏やかで、どこかそよ風を思わせる優しい声音が頭の中に響いた瞬間、スグハはハッと我を取り戻した。煮え立った精神が、膨れ上がった殺意の波が、スッと凪の状態へと変化する。

 

(いけない。思考が短絡的になりつつある。律する心を忘れたら、それこそ、一気に瓦解してしまうわ……)

 

 スグハは心の中で己を戒めると、一つ、大きく深呼吸をした。百数十年を生きてなお律しきれない己に心の中で苦笑いを浮かべつつ、今日、意を決して会談を申し込んだ理由を思い出す。

 

(私達は追い詰められている。だからこそ、正体不明の助力者を、相手が隠れたがっていると分かっていて探し出した。情報ゼロの状態で、それでも転生者の家という虎穴に踏み込んだ。私達の未来のために、どうしても手を取り合える仲間が必要だったから……。自覚している以上に、焦っていたみたいね。会談成功の直後に、この有様なんて)

 

 スグハは、今なお溢れている王騎の魔力を受けながら、突きつけた小太刀を納刀した。

 

 それを見て、スグハの殺気に腰が引けていた王騎は、「過激な愛情表現だな」と少々引き攣った表情でのたまいつつ、再び笑顔を向けようとした。

 

 だが、その前に、スグハが虚空へと話しかけだしたことで、表情は訝しむものへと変わる。

 

「ありがとう、伊織くん。恥ずかしいところを見せたわね。でも、助けてくれるって言ったくせに、未だに傍観しているのはどうなのかしら?」

『……彼はハーレム願望のある転生者だろう? 男の俺が出て行っても、余計、状況を引っ掻き回すだけだ。彼は、言動はともかく、未だ君達を本気で傷つける様子も見られない』

「確かに、彼はただ自己中心的なだけで、原作遵守派や悪意ある転生者に比べれば、まだマシではあるけれど……どうせ、顔見せする予定だったのだし、挨拶がてら助けてくれてもいいんじゃないかしら?」

『出来る限り姿は見せず、中立的な立場で立ち回りたいところなんだが……』

「周囲に、他に転生者はいる? 私には感知できないのだけど」

『取り敢えず、物理的にも、術的にも、今のところ監視の目はないな』

「なら、一つ、貴方の在り方を見せてもらえない? 私は信頼できる人だと思っているけれど、父と兄が心から貴方を信頼するには、やっぱり、直接見た方が確実だと思うわ」

『……う~ん。まぁ、力になると、さっき言ったばかりだしな。それに……彼のことも気になる。分かったよ、この件、俺が預からせてもらおう』

「ふふ、よろしくね」

 

 伊織の念話は、リリなの世界の魔導による念話とは術理が異なる。どちらかと言えば、仙術の類だ。故に、リンカーコアを持つなのはや王騎でも、二人の会話を聞くことは出来なかった。

 

 そのため、一見すると、スグハが何もない虚空に話しかけているという微妙な状況である。場合によってはエア友達という悲しい現実を思い浮かべるところだ。もちろん、訝しむだけで、スグハの呼びかけた“伊織”という名前などから、高町家の面々は、スグハが誰と話しているか分かってはいるが。

 

「おいおい、スグハ。いったいなにをしてるんだ? 俺は――」

「初めまして。北條伊織という。最近、この町に引っ越して来た者だ。取り敢えず、話がしたいから、この魔力を引っ込めてくれないか?」

「ッ、な、なんだてめぇっ」

 

 王騎が、ちょっぴり可哀想な者を見るような目を向けながらスグハに話しかけようとして、自分と高町家の間にスッと割って入った人影に思わず狼狽した声を上げた。

 

 それも仕方のないことだ。なにせ、転移してきたわけでも、超速度で飛び込んできたわけでもないのだ。普通に、散歩するような自然さで、いきなり視界の中に入って来たのである。視界に入って、声をかけられるまで、ここまで接近されていることにまるで気がつかなかったのだ。

 

 それは、王騎よりも遥かに気配に敏感な御神の剣士三人をして同じだったようだ。呼び出したスグハですら、いきなり目の前に現れたように感じる伊織へ目を見開いている。と、同時に、あることに気がついた。

 

「圧力が、なくなった?」

 

 そう、王騎から噴き出る魔力のプレッシャーが、嘘のようになくなったのだ。だが、それは王騎が収めたわけでないことは、今なお、波紋を打つ彼の背後の空間や、彼自身が纏う銀色の魔力光から明らかだ。

 

 王騎との間に立っている伊織が、何かをしているのは明白だった。

 

 と、そのとき、誰もが絶句している中で、小さな影が宙を舞った。その影――チェシャは空中でくるくると華麗に舞うと、そのまま伊織の頭の上にぽふっと着地する。

 

 伊織が頭の上に手を伸ばしてチェシャの首筋を指先で撫でてやると、文字通り、猫撫で声で気持ちよさそうにすりすりとすり寄った。途端、なのはがハッと我に返ったような表情になり、そのまま伊織のもとへ駆け寄っていく。

 

「チェシャちゃん!」

 

 余程、チェシャが離れてしまったことが我慢ならないのか、なのはは今にも泣きそうな表情でチェシャへ手を伸ばす。

 

「……チェシャ。お前、随分と気に入られたな。ほら、行ってやれ」

「なぁ~お」

 

 苦笑いする伊織に、チェシャは「まったく、やれやれだぜ」と言いたげにカギシッポをふりふりすると、そのまま宙返りでなのはの頭へと帰還した。

 

 大好きなチェシャが帰って来てくれて少し落ち着いたらしいなのはは、そこでチェシャを胸元に抱き直すと、おずおずとした様子で伊織に話しかける。

 

「あ、あの、君が、チェシャちゃんの飼い主さん?」

「ああ、そうだよ。初めまして、高町なのはちゃん」

 

 なのはは、チェシャを抱き締めたままジッと伊織の瞳を見つめた。そして、波ひとつ立たない、静かで穏やかな瞳に何かを納得したのか、にっこりと微笑んだ。それは、なのは本来の魅力が詰まったとても自然で、魅力的な微笑みで……

 

「初めまして、高町なのはです! あのね、北條く――」

「なのはから離れろ! このモブ野郎!」

 

 挨拶と、何かを言おうとしたなのはの言葉を遮って、王騎が飛びかかって来た。その手に握られているのは目もくらむような黄金の聖剣。尋常ならざる気配を持つ、最上位級の宝具の一つ。

 

 それを、大上段から伊織へ振り下ろす。一応、まだ分別はあるのか、剣の腹を向けてはいるが……普通は、そんな鈍器で殴られれば痛いでは済まない。

 

 伊織を挟んで王騎の暴挙を目にしたなのはが、「あっ」と声を上げる。

 

 もっとも、そんな子供の(・・・)の一撃が、この千年近くを生きる歴戦の猛者に通るわけもなく、

 

「なっ」

「……もしかして、エクスカリバーか? いきなり、とんでもないものを出してくるんだな」

 

 事も無げに白刃取りされた。それも、片手の人差指と親指の二本で、振り下ろされた剣を横から掴みとるという離れ業で。

 

「は、離しやがれ!」

 

 押しても引いてもビクともしない白刃取りに、王騎が咆えた。全身からSSSランクの魔力を吹き出し、至近距離から伊織へと叩きつける。

 

 しかし、どうしたことか、どれだけ魔力を放出しても心地よいとすら感じる微風が吹くだけで周囲には何の影響も及ぼさない。

 

「てめぇ、いったい何してやがる。なんかの能力か?」

「そういうわけじゃない。ただ、俺の魔力を合流させて自然に還しているだけだ。それより、一度、落ち着いて話をしないか? まずは、君の名前を教えて欲しい」

「うるせぇ! いきなり現れやがって好き勝手言ってんじゃねぇぞ! てめぇ、なのはとスグハに何をしやがった!?」

 

 どうやら、スグハが呼び出したらしいこと、なのはが笑いかけたことで、伊織がなのは達に洗脳紛いのことをして取り入ったと思っているようだ。なんというブーメラン。

 

 その瞳には、自分のものを奪おうとする伊織に対する憤怒と、なのは達に対する狂気じみた妄執が見え隠れしている。

 

 伊織は、王騎の瞳を至近距離からジッと見つめた。王騎は、その視線すら気に食わないようで、否、むしろその視線こそ気に食わないというように、背後の空間を波打たせる。

 

 ズズズッと波紋を広げて切っ先を覗かせる数多の剣。白刃取りされてエクスカリバーを動かせないなら、別の宝具を射出して吹き飛ばそうというのだろう。

 

 しかし、

 

「落ち着いて」

「――ぁ」

 

 トンッと、実に軽く、伊織の指先が王騎の額を突いた。途端、王騎はよろめきながら後退り、背後の空間――数多の宝具を内包する【王の財宝】も閉じてしまう。

 

――闘戦勝仏直伝仙術 【点断】

 

 指先から針の如く練り上げたオーラを、人体の必要箇所に打ち込むことで、身体能力や意識を阻害したり、相手のオーラや魔力といったエネルギーを一時的に断つ術だ。

 

 今回は、一瞬だけ意識を断つことで、王騎の【王の財宝】の機能を停止させたのである。ついでに、王騎から噴き出していた魔力もなくなった。

 

「な、なにが――って、てめぇ、俺のエクスカリバーをどうする気だ! 返しやがれ!」

「かまわないが……名前くらい、教えてくれないか? きちんと、君の口から」

 

 興奮の度合いを強める王騎に内心で苦笑いしながら、手慣れた様子で一回転させたエクスカリバーの柄を掴み、そのまま差し出す伊織。王騎は警戒しながらもひったくるように取り返した。そして、更に、目を剣呑に細める。

 

「……てめぇ、もう終わりだよ。俺を本気で怒らせたな。妙な能力を持っているようだが、俺が本気で宝具を使えば塵も残らない。舐めた口をきいたこと、後悔しながら死ねよ」

「勇ましい言葉だが、やっぱり、目も合わせてくれないんだな」

 

 再び、王騎が【王の財宝】を発動した。伊織は、次々と切っ先を覗かせる宝具になど見向きもせず、困ったように眉を下げる。

 

 名乗ってくれないこともそうだが、王騎は、あれだけの啖呵を切っておきながら、ただの一度も伊織と目を合わせていないのだ。睨み付けていても、その視線はどこか微妙にずれている。

 

 それが、どういう理由から来るものなのか……

 

 数多くの子供達を、父として、あるいは祖父として見て来た伊織には、何となく察することが出来た。故に、伊織はただの一度も、王騎から視線を逸らさない。

 

「くたばれ、モブ野郎!」

 

 王騎が指揮棒のようにエクスカリバーを伊織へ突きつけた。直後、一本の力を持つ剣が伊織へと射出される。伊織は、小さく「クイーン、頼む」と呟いて、こっそりと背後にいる高町家のもとへ魔獣クイーンオブハートを送り込む。

 

 自分の肩に、ひょっこり現れた美貌の騎士少女に、スグハが思わずギョッとする中、飛び出した宝具の剣は、伊織の肩に直撃――

 

 する寸前で、やはり指二本だけで白刃取りされてしまう。

 

「チッ。やっぱり加速系の能力でも持っているようだな。だが、いつまでも凌げるほど、俺の能力は甘くないぞ!」

「……」

 

 どうやら王騎は、伊織が加速系の能力を転生特典にもらった転生者だと考えたようだ。さきほどの自分ですら(・・・・・)認識できない速度の(・・・・・・・・・)デコピンや、射出される宝具を軽く受け止めたのは、伊織の認識能力や身体能力が加速したから、と推測したというわけだ。

 

 故に、王騎は手数で攻めることにしたようだ。そんな王騎に、伊織は静かな眼差しを注ぐ。王騎は、一瞬たじろぐものの、直ぐに雄叫びを上げて宝具を連続射出した。

 

 先の射出より、更に速くなった剣の群れが、伊織目掛けて殺到する。

 

 流石に、これはまずいと思ったのか、スグハが助力しようと小太刀を抜きかける。

 

 だが、

 

「……凄まじいわね」

「これはこれは……絶技、というのもおこがましいな」

「す、すごいの」

「……」

 

 ほんの数メートル先。そこで繰り広げられた絶技に、誰もが魅せられた。

 

 それも無理はない。なにせ、常人ならば視認するのも難しい速度で飛来する剣の群れが、伊織を中心にして放射状に規則正しく並び立っていくのだから。

 

 やっていることは単純。ただ、飛んでくる剣に手を添えて、そっと軌道を逸らし、脇の地面へ流しているだけだ。勢いそのままに軌道だけを逸らされた宝具達は、まるで伊織にこそ抜いてもらうのを待っているかのように、彼に柄の方を傾けて地面に突き刺さっていく。

 

 そして、それをなしているのは、ただ一本の腕だけなのだ。

 

「なっ、くそっ。調子に乗んじゃねぇ!」

 

 己の自慢の宝具が軽くいなされることに、あっさりと激昂した王騎は更に射出の速度を上げる。

 

 速さは、イコール破壊力だ。真名の解放がされていない宝具とはいえ、弾丸に等しき速度で射出されれば、それだけで致命傷級の威力である。

 

 流石に、これをそのまま地面へ流すと、いくら念の為にクイーンを防御に回したとはいえ、余波だけで危険だ。

 

「なら、上だな」

 

 小さく呟かれた伊織の言葉。直後、飛来する剣群は、軌道を先とは違う方向へと捻じ曲げた。

 

 すなわち、誰もいない上空へと。

 

 撫でるような片手の動きだけで、ライフル弾もかくやという凶悪な速度で襲い来る剣群の威力を、回転力に変えて上方へと導いていく。

 

 高速回転する剣群はラウンドシールドのように円を描きながら上空へと打ち上げられ、やがて、回転力はそのままに地上へと落ちて地面へと次々に突き刺さっていった。ただし、今度は、伊織と王騎の間に、防波堤となるように。

 

 それどころか、まるで狙い澄ましたかのように、飛来する剣群を落下の勢いと回転力で地面へと叩き落としていく。まさか、一直線に飛んでくる剣をいなして回転させ上空に打ち上げるだけに止まらず、落下位置と飛来する剣の軌道およびタイミングまで図っているなど、誰が思おうか。

 

 だが、事実として、王騎の放つ宝具の剣は、ただの一本も伊織に届くことはなく、その全てが規則正しく周囲の地面へ突き立てられていくのだ。その数は、直ぐに百を超えた。

 

「君、自分が今、何をしているか……分かっているか?」

「あぁ!? なに余裕こいて――」

 

 片手間に飛来する宝具をさばきながら、伊織が静かな声音で語りかけた。伊織に宝具を当てることに夢中になっている王騎は怒声をもって返そうとするが、チラリと見てしまった伊織の瞳に、思わず言葉を詰まらせる。

 

 呑み込まれるかと思った。怒りが宿っているわけでも、苛立ちや憎しみがあるわけでも、迷惑や焦燥があるわけでもない。ただ、ぴたりと見つめているだけの静かな瞳。だが、まるで素っ裸のまま、広大な大地に一人、放り出されたかのような気持ちになった。

 

 慌てて視線を逸らした王騎に、伊織は少しだけ悲しそうな表情をしつつ、言葉を重ねる。

 

「君の放つこの一撃一撃は、容易に人を殺せるものだ。その剣の先には、俺だけでなく、君が求める人達がいる。理解しているか? 君は今、誰よりも君自身を追い詰めているということを」

「な、なにを……なにを訳の分かんねぇことをごちゃごちゃ言ってやがる!」

 

 王騎は今度こそ怒声を上げつつ、虚空へ手を掲げた。途端、ジャラジャラジャラと音を立てて、伊織の周囲の虚空から幾本もの鎖が飛び出してくる。

 

――宝具 【天の鎖】

 

 神性を持つ相手には絶対的な拘束力を誇る神造の縛鎖だ。

 

 もちろん、ただの人間にはそれなりに頑丈な鎖、というレベルでしかないが、高速射出される宝具の嵐の中で、絡みつかれて一瞬でも動きを鈍らせることは致命的であり、なかなか悪くない手である。

 

 当然、伊織は放置せず、宝具をいなしている手とは反対の手で、軽く虚空を薙いだ。一瞬、腕先がぶれたように見えた刹那、四方八方から伸びて来ていた【天の鎖】が一瞬で細切れになった。

 

「え?」

 

 思わず呆ける王騎。自分の見間違いか、あるいは制御を誤ったのかと、現実逃避の入った思い込みで再度、【天の鎖】を召喚する。

 

 が、やはり、伊織が片手をかかげ、軽く薙ぐだけで、【天の鎖】はあっさりと細切れにされてしまった。

 

――西洋魔法・神鳴流混合奥義 【断罪の百花繚乱撃】

 

 その名の通り、あらゆる物質を気体に相転移させる西洋魔法【断罪の剣】で行う、円運動と手首の返しで周囲一帯を薙ぎ払う神鳴流奥義【百花繚乱】だ。ミクほど冴えた技を放てるわけではないが、八百年の長き生は、伊織達が互いの得意分野を習得し合うには十分な時間だった。

 

 宝具の掃射が通じない。【天の鎖】が届かない。それどころか、始まってからただの一歩、相手を動かすことすら出来ない。その事実に、再び王騎が呆ける中、伊織が語りかける。

 

「求める相手と言いながら、その相手の心を無視する。なのはちゃん達とすら目を合わせようとしない。彼女達の大切な人に、躊躇いなく暴力を突きつける。君は、それで君の求めるものが手に入ると、本気で考えているのか? ……本当は、全部分かっているんじゃないのか?」

「っ。な、なに言ってやがる……」

 

 攻撃を受けたわけでもない。にもかかわらず、真っ直ぐに自分を見つめて来る伊織を前に、王騎は狼狽えながら後退った。

 

「どうしたんだ? 君に、本当に絶対の自信と確信があるのなら、なにを引き下がることがある。ぽっと出の俺の言葉など、軽く論破すればいいだろう? なぜ、そんなに怯えるんだ?」

「うるせぇ! 誰がビビってるだと、あぁ!? マジで殺されてぇか!」

 

 伊織が、一歩を踏み出した。同時に、王騎が一歩下がる。言葉とは裏腹に、王騎は明らかに動揺していた。伊織の言葉に、というよりも、今なお自分を捕えて離さないその眼差しに。

 

 苦し紛れに射出した剣は、今度は逸らされることもなく二本の指で挟み取られ、そのまま手首の返しだけで投げ返されると、【王の財宝】へと投げ込まれた。

 

「俺は君の敵なんだろう? なら、きちんと俺の目を見てくれ。敵から視線を逸らして、どうして攻撃など当てられる」

「……う、うるせぇ!」

 

 また一歩、伊織が進む。王騎は一歩引き下がる。

 

「下がるな。前を見るんだ」

「黙れっ」

 

 王騎の瞳の奥に、危険な揺らめきが宿り始める。ただの一度とて、伊織から攻撃されたわけではないのに、その瞳にちらつくものは、明らかに追い詰められつつある者の揺らめきだった。

 

 また伊織は進み、王騎は下がる。そうして、トンッと、背中に感じた堅い感触に、王騎はハッとする。いつの間にか道路の端にまで下がっていたらしい。

 

「もう下がれないぞ」

「だま、れ」

 

 呼吸が乱れる。王騎自身、自分がどうしてこれほどまでに動揺しているのか、理解できなかった。ただ、伊織の発する言葉の一つ一つが、やたらと不愉快で、どうしようもないほど心の底に封じ込めた嫌なものを刺激して……

 

 もう下がれない。背中には壁。伊織はまた一歩、歩み寄って来る。

 

「来るな」

「よく聞こえないな。そんな小さな呟きでは」

「黙れ」

「もう一度言うぞ。俺の目を見て話してくれ」

「黙れっ」

「告げる名前もなく、視線も合わせず、小さな声で、世界が変わるとでも?」

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇっ」

 

 王騎が、癇癪を起したように「黙れ」を連発する。そして、激情に突き動かされるように手を伸ばした。すると、呼応するようにエクスカリバーが飛来し、王騎の手に収まった。王騎は、そのまま大上段からエクスカリバーを伊織目掛けて振り下ろす。

 

「黙れぇえええええっ」

 

 なんの捻りもないただの振り下ろし。

 

「こんな言葉だけで追い詰められるほど、瀬戸際だったか……」

 

 伊織は軽く人差し指を曲げた。途端、王騎はその場で一回転し、更には遥か道路の先へと吹き飛ばされていく。

 

 が、地面に激突する寸前で、再びくるりと一回転し、足から着地することに成功した。もっとも、その愕然とした表情が、王騎の技ではないことを雄弁に物語っている。

 

 王騎は自分の足に巻き付く極細の糸に気がつくと、それが伊織の仕業だと気がつき、顔を真っ赤にして激昂した様子を見せた。距離を取ったことで、少しだけ心の余裕を取り戻したようで、それが馬鹿にしやがってという憤怒へと転換される。

 

 エクスカリバーに、強烈な光が集束し始めた。

 

 放つ気だ。真名解放の力を。伊織の傍には、なのは達もいるというのに、もはや、不愉快な存在を消すことしか頭にはないらしい。

 

 背後で、スグハ達が何かを言いかける気配に気がついた伊織だったが、その視線は真っ直ぐ王騎に注がれたまま、「クイーン、チェシャ。高町家の皆さんを頼んだぞ」と言って歩き出してしまった。

 

 なのはの胸元で、チェシャが「うにゃ!」と力強くカギシッポを揺らし、スグハの肩で、クイーンが「ラジャー!」というように惚れ惚れするような見事な敬礼を決める。

 

 それを気配で感じ取った伊織は小さく口元に笑みを浮かべつつ、次の瞬間、全身に淡い光を纏った。

 

 直後、スグハ達は瞠目することになる。

 

「子供の姿では、少々説得力に欠けるか。……仕方ない」

 

 そう言った伊織の姿は、次の瞬間、二十歳を超えたくらいの、精悍な顔つきの青年のものになっていた。

 

 




いかがでしたか?

原作遵守派の次は、テンプレ転生者。
長く生きた者として可能な限り説得をしたいという伊織の言葉は、有言実行となるのか。
そういう話ですね。

やっぱり二次は頭空っぽにして楽しく書けるから好きです。
必然、中身がうすっぺらい感じになっちゃうこともありますが、そこはご容赦いただければと。
こう、ふわっとした感じで楽しんでもらえれば嬉しいです。

次の更新は、いつ頃になるか分かりませんが、ひょっこり更新したときは、またお暇な時間にでも読んでいただけたら幸いです。


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