邂逅のセフィロト THIRD WORLD   作:karmacoma

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第7話 真実

「この四つ目の文章を先に持ってきてはどうでしょう?」

 

「んー、それだと前後の文意が食い違ってしまうから、三つ目のほうが先なんじゃないかな。これなら時系列的にも話が噛み合うし」

 

「そうなると、五つ目はここに挿入する事になりますね」

 

「そうだね、これなら文頭と文末の意味も通るし、いいんじゃないかな」

 

 ルカとノアトゥンは執務室中央にあるソファーに座り、モノリスの碑文を書き写した白い用紙をテーブルの上に並べて、今まで手に入れた断片的な文章の順序を入れ替える作業を行っていた。アインズは執務机の椅子に座り、デミウルゴスから渡された書類に目を通している。

 

「これで全部だな?デミウルゴス」

 

「はい。以上が竜王国への復興支援の内容となります。よろしければサインをいただきたく存じます」

 

「うむ、いいだろう」

 

 アインズはペンでサインすると、書類をデミウルゴスに手渡した。デミウルゴスはそれを恭しく受け取り、執務室を後にする。アインズは席を立ち、解読作業を進める二人の元に歩み寄った。

 

「どうだ二人共、順調か?」

 

「アインズ、ちょうど良かった。手に入れた6つの文章を一通り入れ替えてみたんだけど、読んでみてくれる?」

 

「どれどれ」

 

 アインズは用紙の束を受け取ると、向かいのソファーに腰掛けてそれを読み始めた。

 

────────────────────────────

 

 

 ────君達がこの碑文を読むとき、それが希望になるか絶望に変わるかは私にも分からない。ただ、私に起こった真実だけをありのままここに書き記そうと思う。それは、ユグドラシルに実装されたリフレクティングタイムリープ機能に関してだ。以下これをRTL機能と略す事にする。これを語るには、まずその歴史から綴っていかなければならない。

 

 私は2120年、飛び級で進学した大学に在籍していたが、そこへある日身なりの良いスーツ姿の男が私の前に現れ、私の論文を見て感銘を受け、是非わが社へ入って欲しいという理由で私の元を訪れた。いわゆるヘッドハンティングだった。

 契約書を見せられた私はその内容に驚愕した。私の提唱していた理論を実現するための施設や資金、その他ありとあらゆるバックアップを約束するものだったからだ。その会社の名は株式会社エンバーミング。一部の諸君らにはおなじみの名だろう。彼らは私の提唱するブラックホール理論に強い関心を持っていたようで、それを実証する為の粒子加速器を含む全ての施設を、期間無制限で提供するということだった。

 

 私自身もその時は幼かったために、提示された莫大な契約金も含め、大学へ通いながらの出社という些少な願いを条件として提示し、入社する事になった。そこから私は自らの理論を実証する為に必要な粒子加速器の設計から、ベースプログラムの作成に2年を費やし、その翌年である2123年に、予定されていた粒子加速器の1台目が完成した。そしてすぐに実験は執り行われ、私の理論通り安定したマイクロブラックホールの生成に成功した我々は、粒子加速器1───仮にこう呼称する───にしか接続されていないローカルサーバを設置して、ベースプログラムを走らせた。

 

 合わせて彼らがプロジェクト・ネビュラと呼称していた軍と共同の計画にも参加する事になった。その内容は、ある特定のDMMORPGに接続したプレイヤーの意識と肉体を拉致し、人間の五感をアクティブにした際の長期的な観察と共に、その人間の脳波をリアルタイムに圧縮し、未来から過去へ、過去から未来へと意識を飛ばす為の実験だった。しかしそれこそが私の提唱したブラックホール間に置ける五次元間通信の理論であり、私は他の研究者達の助力を借りてDMMORPG──ユグドラシルサーバ内のAI管理及びRTL機能を制御するためのコアプログラム、メフィウスとユガを完成させた。

 

 そして2125年、私の理論に基づき完成した粒子加速器2を使用して、2123年に完成した粒子加速器1と同様に、極めて長期的に安定したマイクロブラックホールの生成に成功した。その後動作確認のため粒子加速器2に接続されたサーバを介し、強力なパルスレーザーを使用してブラックホール内にデータを転送したところ、2125年に現存する粒子加速器1と、2123年に存在する過去の粒子加速器1より年代を添えてリプライの応答が帰ってきた。私達研究者はその場で飛び跳ね、実験の成功を喜んだ。

 

 つまり簡単に言えば、マイクロブラックホールに接続されたサーバであれば、共通のプログラムを介してどの年代のサーバとも相互通信が取れるということだ。具体的な仕組みはどうなっているのかというと、まずデータを乗せた光速のパルスレーザーをブラックホール内に撃ち込む事により、事象の地平面を超えたレーザーは光速を遥かに超えたスピードで内部に突き進み、瞬時に5次元空間へと到達する。

 

 5次元空間とは、時間・空間が生まれる高次元時空の事である。そしてそこは全てがエネルギー化された世界であり、全てが繋がった世界である。混沌としているようで、何よりも整然とした世界。そこへ強力な指向性(=データ)を持ったエネルギーを撃ち込めば、そのエネルギーは指向性に沿ってあるべき場所へと帰り、あるべき場所へと戻る。それは時間・空間すらも跳躍して未来から過去へ、過去から未来へ、その指向性と関連付けられた時代へと5次元の中を真っ直ぐに飛んでいき、そのエネルギーの望む場所へと辿り着く。

 そして辿り着いた先で僅かな残滓とも言うべき反射を起こし、その先にあるサーバは僅かな反射を拾い上げ、その返答をレーザーに込めて撃ち返す。これを無限に繰り返す事が5次元間通信の概要である。

 これを応用すれば、50年・あるいは100年・1000年離れた時代に設置されたユグドラシルサーバとの通信も可能となる。

 

 私はこれを反射的時間跳躍───リフレクティングタイムリープ機能と名付けた。これで各時代にユグドラシルサーバが一つ作られる毎に、その他の全ての時代がミラーサーバとなり、一つのシステムとして機能するようになる。そしてデータ通信の高速性を維持するため、ホストサーバはその時代の中で最も新しい年代のユグドラシルが自動的に選ばれるようになっており、その時代で最も高速なシステムを積む事を義務化する事により、時代が進むごとに全ての年代のサーバ処理速度が飛躍的に伸びるよう私はメフィウスを設計した。翌年の2126年、全ての準備が整った我々は満を持して、DMMORPG・ユグドラシルを発売した。

 

 私は彼に謝罪しなくてはならない。ユグドラシルをこよなく愛し、サービス終了のサーバダウンが行われる最後の最後まで残ってくれていた彼、鈴木悟に。

 2138年11月9日 午前0:00、私は5人の部下を引き連れてその場にいた。完全環境都市(アーコロジー)内にある、とあるマンションの一室にマスターキーを使って侵入し、ダークウェブサーバに飛ばされ意識のない鈴木悟の肉体をコンソールとデータロガーごと外に運び出した。鈴木悟の肉体を乱暴に運び出す部下を私は叱責し、丁重に扱うよう指示した。そして黒塗りのバンに乗せ、湾岸に建てられたエンバーミング社の地下倉庫へと連れ去り、そこに集った医師たち主導の元全身に電極を貼られ、栄養補給のための点滴を彼の腕に刺した。私はその時初めて、己のしてきた事への罪悪感を感じた。私のしてきた事で、未来ある若者の人生をこの手で握りつぶしてしまったのだ。しかしここまで来てしまった以上、もう後戻りは出来ない。

 

 私は鈴木悟のモニターと並行して、エンバーミング社と軍から要請された(フェロー計画)について研究を進めていた。その計画とは、マイクロブラックホールではなく本物のブラックホールを使用して、RTL機能を実用化するというものだった。確かに本物のブラックホールを使用すれば、データ圧縮率も速度も跳ね上がるだろう。しかしそれを実現する為には、宇宙船と人工衛星の強度、そしてエネルギーがあまりにも足りなかった。基礎理論自体は完成していたが、それを実用化する為には82年という長い歳月を待たなければいけなかった。

 

 話は変わるが、鈴木悟がダークウェブユグドラシル(以下DWYD)に入り2ヶ月が過ぎた頃、奇妙なプログラムが鈴木悟と共に行動している事が分かった。奇妙と言うのは、その共に行動しているキャラクターのIPトレースが行えず、それがプレイヤーなのかAIなのかすらも判別出来なかった事だ。

 自らの手でユグドラシルを作ったにも関わらず、分からないと言うのも妙な話だが、これは事実だ。恐らくは相当に強固な回線を使用して接続していたに違いない。唯一分かるのは名前だけ。 そのキャラクターの名前は、ルカ・ブレイズ。恐らくはプレイヤーだと思われる。何故なら、ユグドラシルの創造主である私が強制ログアウトを実行しても、それを受け付けなかった事だ。考えられるのは一つしかない。私よりも上位の存在───つまり、私達より未来に設置された新たなユグドラシルのホストサーバからやってきた存在だと言うことだ。

 しかしもしそうだとして、過去にいる私にはそれを確かめる術はない。鈴木悟に対し特に問題となるような行動はせず、むしろ協力的に立ち振る舞っているようだったので看過していたが、一年が経とうという頃、彼女は唐突に姿を消してしまった。ひょっとしたら外部からデータクリスタルを持ち込み、現実世界に帰還できたのかも知れないとも思ったが、これも想像の域を出ない。

 

 話を元に戻そう。2210年、以前より世界政府からアナウンスのあった電脳法改正を機に、我々は装いも新たにDMMORPG・ユグドラシルⅡを発売した。この改正で、味覚、聴覚、視覚、感覚、嗅覚の5感全てをアクティブにする事が合法となり、当然ユグドラシルⅡにもこの仕様が盛り込まれた。ここでは主にDWYDに囚われた鈴木悟から得られた貴重なデータの実証実験と、フェロー計画に基づきアップデートしたメフィウスとユガの動作確認を行う場となった。

 

 また同年、老衰により劣化した鈴木悟の情報を保護する為、当時最先端であった電脳化手術を彼の脳に施す事になった。彼の手術が無事成功した事を受けて、申請が降りなかった私への電脳化手術も執り行われる事になった。私の体も老いたが、世間での私への呼び名は(ヴァンパイア)だった。確かに心臓のバイパス手術を受けた事もあるし、体内の血液全交換も一度だけ受けた事があるが、ただ一度だけだ。それが妙な形で広まってしまい、このように残念な渾名を頂くこととなってしまった訳だが、当時極秘の技術だった電脳化処置の隠れ蓑としては、十分役に立ってくれたと言わざるを得まい。

 ユグドラシルⅡでは鈴木悟に行ったような肉体の拉致は行われなかった。何故なら、5感を長期間アクティブにした際の影響に関しては、十分過ぎるほどデータが取れていた為だ。私はあの時のような罪悪感に悩まされないで済むことを、誰にともなく感謝した。

 

 

 そして2220年、遂にフェロー計画が実行に移された。その理由は、タングステンとチタンの結晶を超低温で結合させた超合金(アンオブタニウム)の発見と、ワームホール航行が実用段階に入った事だった───当然軍内部でだけだが。

 

 世界に極秘裏で打ち上げられたワームホール型宇宙船(フェロー)が、ワームホールを使用して640光年離れたオリオン座のベテルギウス・ブラックホールに約3年で到着し、その人工衛星(フェロー1)が2223年にベテルギウス・ブラックホール周回軌道に入った。その後2224年に、アンオブタニウムで作られた有線式の曳航型パラボラアンテナをブラックホールの事象の地平面に接触させた。

 そこから得られた熱と圧力をエネルギーに変換するというアンオブタニウムの特性を活かし、有線で繋がれたパラボラアンテナから衛星本体に膨大な量のエネルギーを供給し、ユグドラシルAIとプレイヤーの脳波を含むデータを乗せた高周波パルスレーザーをブラックホールの中心に照射・光速を超えて内部の5次元到達後、わずかに反射する極限にまで圧縮された時間跳躍の相互データをパラボラアンテナで抽出し、ブラックホールにより光速を超えたデータ速度を失わせることなく、複数の軌道衛星により地球までブースト転送・レイテンシー補正をかけることにより、将来的に増設される全ての時代のユグドラシルサーバで、速度差のない安定したプレイを行う事が可能になった(各個のインターフェース速度による性能差は除外)。

 

 また参考までに、フェローの通信衛星に積まれたCPUは至ってノーマルな最速の量子コンピュータである。何故かと言えばこの時点で本物のブラックホールを時間跳躍圧縮に使用しているため、通信衛星自体のデータ処理量は限りなく少なくて済むためだ。よって通信衛星に搭載されるCPUが最速である必要はない。またプレイヤーやAIの脳波データも、RTL機能で繋がれた最新の年代データが全ての時代に反映されるようになっているので、その点も留意してもらいたい。

 

 話が逸れた事を詫びよう。無事にフェローも軌道に乗り、私達は新たなプロジェクト・ネビュラの始動に着手した。その内容とは、遂に私達の悲願でもある、RTL機能を使用した未来と過去を繋ぐ実験である。マイクロブラックホールを使用したRTL機能の通信実験自体は絶えず行われていたが、フルスペックでのプレイヤーとAIを含む脳波を転送するという実験は行われなかった。いや、行えなかったという方が正しい。何故なら、フェローという通信衛星なくしては、この実験は成立しなかったからだ。長い時を待った。しかしそれが結実する日が目の前に迫っている。私達はユグドラシルⅡのデータに改良を加え、入念な動作チェックを繰り返した。

 

 そして私はセキュリティ面の強化という観点から、ダークウェブのより下層にあるロストウェブに住まう超ウィザード級ハッカー達に協力を仰いだ。彼らはユグドラシルというゲームとその開発者である私が姿を現した事に、驚愕と賞賛を持って迎え入れてくれた。ロストウェブは広大だが、彼らが住まう場所は限定されている。そして彼らはダークウェブを遥かに凌駕する強固なプロテクトを組んでいた。彼らが信じるのは力だ。自分を超える超越的な技術を持った存在にめぐり逢いたいからこそ、彼らは強固な殻に閉じこもる。

 

 私はものの数分で彼らのプロテクトを破壊し、彼らがロストウェブ内に立ち上げたサイトの内部に侵入して私の正体を明かした。それを幾度となく繰り返す内に、彼らは私を信じてくれるようになった。そして私は彼らと直接会い、これから行われるプロジェクトに関する詳細を話した。その壮大な計画に彼らは武者震いを起こし、ロストウェブ内にサーバをを構えるにあたり、全面的に協力する事を約束してくれた。

 彼らと契約書を交わし、これでロストウェブサーバの安全が確保できたと安堵した私は、さらなるテストを繰り返した。やがてプログラムは完成し、ユグドラシルが終了した2138年より丁度100年後の2238年、私達はリバースエンジニアリングという名目の元、ユグドラシルエミュレーターを開発する事を世界に発表した。

 

 そして2242年、既にユグドラシルβ(ベータ)自体の開発は終えていたのだが、世間の目を欺く為に最初は限定的なユグドラシルα(アルファ)という形でリリースした。その4年後にフルスペック版のユグドラシルβ(ベータ)を発表する。優秀なプレイヤーを選別するため、ここからは長い我慢の時間が続いたが、我々は───というより私は、ユグドラシルβ(ベータ)に新たなゾーンを作るなどして、アップデートを重ねていった。予定されているサーバダウンの日は2350年8月4日 午前0:00 。既に私の肉体は朽ち、今は生命維持装置に脳核を接続する事によって生きながらえている。私はその結果を見届ける事なく死ぬだろう。しかし私は己がしてきた研究成果を信じている。必ずや成功に導かれるだろうと。

 

 余談になるが、ユグドラシルではこのRTL機能自体がブラックボックス化されており、メフィウスへの管理者権限アクセスでのみ閲覧・アクセスが可能な為、サーラユガアロリキャもこの機能については何も知らない。つまりコアプログラムであるユガにはその権限がないためだ。但しRTL機能の詳細をサーラユガアロリキャのAIが学習した段階で、RTL機能の入出力データをリアルタイムに閲覧する事はできるようになる。

 

 しかしこのデータはブラックボックス内の機能拡張ユニット【シーレン】により超高度に暗号化されている為、サーラユガアロリキャには何のデータなのかの判別は出来ない。尚このユニットを強引に取り出そうとすればブラックボックス自体が崩壊する為、外部から無理に取り出す事はメフィウスの破壊にも繋がる。但しユガに内蔵された暗号解除プログラム【シャンティ】を手に入れ、それを外部【現実世界】でバックアップし、データクリスタルのフォーマットに変えてサーバ内に持ち込み、サーラユガアロリキャにそれを渡して直接使用させる事によって、サーラユガアロリキャはそのデータを1つだけ外部に出力出来るようになる。

 

 そしてこのデータ受信先として選ばれるのはサーラのAIの自由意志であり、サーラの信用と信頼を勝ち取った者にしかこのデータの受信者とはなれない。この受信者となれるのは信用と信頼の他にセフィロト=イビルエッジを極めている必要がある。これに選ばれた者はサードワールドというプログラムを受け取り、現実世界の端末でもサーラユガアロリキャとコミュニケーションを取れるようになり、尚かつコアプログラムを含むユグドラシルというオープンソースのホストアプリケーションをダウンロードする権限を与えられ、全ての時代のデータの流れを閲覧する事も可能になる。要はサードパーティーとなる事が許される。

 

 尚このホストアプリケーションには自己診断AI【セブン】が常時走っており、アップロードの時点で不要とみなされた追加ソースに関しては自動的に消去・修復され、元のユグドラシルソースに戻される仕組みとなっている。このホストアプリケーションをアップロードすれば基本的にはその時代にユグドラシルサーバを設置できるが、これにもセブンの審査があり、その時代で最速のCPUでユグドラシルが問題なく走り、尚かつその時代における最大容量のメモリとバスクロックを搭載したサーバであることが条件となる。ここまでの全ての審査はセブンが一括して行い、その時代で繋がる全てのネット情報等もセブンが閲覧した上で審査され、その時代に置ける最高速のサーバと認定されれば、晴れてその時代に新規のユグドラシルサーバを運営する権限が与えられる。

 

 そしてこれも余談になるが、メフィウスにより管理されたAIは、イニシャライズされた電脳にダウンロードする事が可能である。また同様に、プレイヤーの意識もイニシャライズ・もしくは本人の物である電脳にダウンロードする事も可能なようにメフィウスをカスタマイズしておいた。この仕様によっていわば、”時代の途中下車”が可能となる。但し、ダウンロード先のロケーションをトレースしたデータクリスタルをサーバの外部からゲーム内に持ち込まなければいけない事を付け加えておこう。この先のさらなる技術の進歩に期待しつつ、私は眠りにつくとしよう。この碑文を見た諸君の健闘を祈る。そして願わくば、新たなるサーバが未来に構築され、ユグドラシルの世界がより広大になる事を望む。

 

───2246年 10月4日 グレン・アルフォンス

ユグドラシルを愛する全てのプレイヤー達へ

 

───────────────────────

 

 

 アインズは全てを読み終わり、ソファーの背もたれに上体を預けた。

 

「なるほどな、これが碑文の全容と言うわけか。つまり、プロジェクト・ネビュラとは時空、年代を超えたユグドラシルサーバ同士を接続する実験の総称であり、この碑文はそのサーバを新たに構築する方法を教えている、という事でいいんだな?」

 

 ルカはそれを聞いて大きく頷いた。

 

「アインズがエンバーミング社に拉致されたのも、私がこの世界に転移させられたのも、全てはその実験の一環だった。そしてフェロー計画に基づきリフレクティングタイムリープ機能を実装した事により、ユグドラシルβ(ベータ)は真の意味で完成を見た」

 

 ノアトゥンは顎に手をやり、テーブルに目を落とす。

 

「そしてグレン・アルフォンスは、何百年という時代を超えてユグドラシルサーバを存続させるため、サードワールドというプログラムを秘密裏に仕込み、いつの日か新たなユグドラシルサーバが設立される日を夢見て、断片的なメッセージをモノリスに残した。そうして今回選ばれたのが、ルカお嬢さんという訳ですね」

 

 アインズは手にした用紙をルカに返すと、一つ大きくため息をついた。

 

「ふー。それで?お前はどうするつもりなんだルカよ」

 

「もちろん、ここまで来たらやるっきゃないでしょ」

 

 ルカは笑顔でアインズに答えた。

 

 「2550年代のサードパーティーになるのか?」

 

「と言う事は、現在運営しているレヴィテック社からサーバの権利を奪い取る形になりますね。果たして我々にそのような事ができるのかどうか...」

 

「今すぐにとは言わないけど、謎を解くためにも、とりあえずはやれるとこまでやってみようよ。まずはフォールスにこの文章を見せてみないとね」

 

「そうだな。サーラ・ユガ・アロリキャが重要なファクターになっているようだし、どの道虚空には行ってみないといけないだろう」

 

 二人の言葉を聞いて、ノアトゥンは首を傾げた。

 

「虚空とは、どのような場所なのですか?」

 

「ガル・ガンチュアの先にあるフィールドだよ。セフィロトに転生する為に必要なNPCがいる場所なの」

 

「そうですか。ではこの文章に従い、そこへ行ってみるとしましょう」

 

「そうだな。ルカ、頼めるか?」

 

 ルカはソファーから席を立ち、人差し指を空いたスペースに向けた。

 

「OK、行ってみよう。転移門(ゲート)

 

 

 ───虚空 17:53 PM

 

 

 暗黒に広がる満天の星空を見上げ、ノアトゥンは吐息を漏らし見惚れていた。

 

「...美しい場所ですね。ここが虚空ですか」

 

「私のお気に入りの場所なの。他の人に教えちゃだめよ?」

 

「ええ、もちろん分かっていますとも」

 

 ルカは先頭に立ち、淡く銀色に輝く環状遺跡の中に足を踏み入れた。アインズとノアトゥンもその後に続く。環状遺跡の中央まで歩くと、高さ1.5メートル程宙に浮いた一面六臂のフォールスが合掌し、静かに佇んでいた。ルカはフォールスの足にそっと手を触れる。

 

「フォールス、来たよ。目を覚まして」

 

 するとフォールスの体がゆっくりと地面に降り立ち、閉じていた目を開いてルカを見た。その少女のように美しい顔は次第に微笑を讃え、六本の腕でルカを抱き寄せる。

 

「ルカ。お待ちしていましたよ」

 

「久しぶりフォールス。元気そうで良かった」

 

 ルカから体を離すと、フォールスは後ろに立つ二人を見た。

 

「アインズ・ウール・ゴウン。あなたもよくぞ参られましたね」

 

「ああ。かれこれ二年ぶりだなフォールスよ」

 

「もう一人は、そう...六大神、ノアトゥン・レズナーですね? ルカが世話になっているようで、感謝致しますよ」

 

「な、何故私の名前を?」

 

 うろたえるノアトゥンを見て、ルカが言葉を継いだ。

 

「ノア、フォールスは下界の様子をモニター出来るんだよ。私達の事を見守ってくれてるんだ」

 

「そんな高度な機能を持ったNPCがいるとは、知りませんでした。改めてよろしくお願いします、サーラ・ユガ・アロリキャ」

 

「フフ、私の事はフォールスとお呼びくだされば結構です。それで?あなた達三人のプレイヤーが揃ってこの虚空へ来たということは、何か私に用があって参ったのではないのですか?」

 

「そう、それなんだけど、前に教えたモノリスの碑文が全部揃ったんだ。フォールスも知りたがってたし、一応伝えておこうかと思ってね」

 

「!! それは真ですか?是非教えてくださいまし!」

 

 ルカはアイテムストレージから白い紙の束を取り出し、フォールスに手渡した。フォールスは目を大きく見開き、用紙に書かれたモノリスの文章を次々と読み進めていく。そして最後の一枚を読み終えた時、突如フォールスの体が眩い光を放ち始めた。

 

「・・・ガガ・・ピーガガ・・創造主・グレン・アルフォンスからのメッセージ受諾完了・・これより・・RTLシステムへの接続を開始・・します」

 

「...フォールス?」

 

 ルカ達三人は固唾を飲みその様子を見守っていたが、フォールスの体から光が失せると脱力し、ルカの肩にもたれこむようにして倒れてきた。ルカはそれを咄嗟に支える。

 

「フォールス!!しっかりして、大丈夫?」

 

「え、ええ軽く目眩がしまして...大丈夫ですルカ、ありがとう」

 

「一体何が起きたの?」

 

「はい、それが...私の体の一部がコアプログラム・メフィウスのRTL機能に接続され、膨大なデータが突如私の中に流れ込むようになりました。データの流れは見えるのですが、今の私にはこのデータが何を意味するのか、皆目検討がつかないのです」

 

 それを聞いてアインズがフォールスの横に寄り添った。

 

「なるほどな。碑文に書かれていた通りという訳か。(このデータはブラックボックス内の機能拡張ユニット【シーレン】により超高度に暗号化されている為、サーラユガアロリキャには何のデータなのかの判別は出来ない。)とな」

 

 ノアトゥンも右手を顎に添え、地面に目を落として回想するように言葉を継ぐ。

 

「しかし碑文にはこうもありました。(ユガに内蔵された暗号解除プログラム【シャンティ】を手に入れ、それを外部【現実世界】でバックアップし、データクリスタルのフォーマットに変えてサーバ内に持ち込み、サーラユガアロリキャにそれを渡して直接使用させる事によって、サーラユガアロリキャはそのデータを1つだけ外部に出力出来るようになる。)と」

 

 ルカはフォールスの肩を支えながら二人を見た。

 

「つまり、どこかで【シャンティ】を見つけないといけないわけだね。手がかりもないし、雲を掴むような話だけど...」

 

「だが探さねばなるまい。グレン・アルフォンスは、お前と、そして俺達にユグドラシルの命運を託したのだ。ならばその期待に答えてやろうではないか」

 

「そうだね、頑張らないとね」

 

 そこでルカは思い出したように顔を上げ、中空に手を伸ばしアイテムストレージから翡翠のネックレスを取り出して、フォールスの前に見せた。フォールスはそれを見て首を傾げる。

 

「ルカ、これは?」

 

「グレン・アルフォンスから、フォールスへのプレゼントだよ」

 

「まあ、グレン様から?...美しい色をした数珠ですね」

 

 ルカは肩から手を離し、フォールスの首にそっと運命の環(サークルズ・オブ・デスティニー)をかけた。するとまたしてもフォールスの体が輝き出し、驚愕の眼差しをルカに向けた。

 

「ル、ルカ!...力が...力が、溢れてきます」

 

「フォールスの専用装備らしいんだけど、どういう効果か分かる?」

 

「ええ、これは...今まで私を縛っていたプロテクトが解除され、外部にアクセスする為の魔法...つまり、伝言(メッセージ)の使用が許可されました。それだけでなく、虚空内に限定されていた移動阻害のプロテクトも解除された模様です」

 

「え...それってつまり、転移門(ゲート)でどこにでも行けちゃうって事?」

 

「はい。一度この目で下界を見て回りたかったのです。その望みを、グレン・アルフォンス様が叶えてくださいました」

 

 フォールスは満面の笑みでルカに答えた。

 

「すごいじゃない!これでフォールスといつでも連絡が取れるし、どこでも一緒に行けるってわけだね」

 

 手を取り合い喜ぶフォールスとルカだったが、アインズが割って入ってきた。

 

「待て待て二人共!フォールス程の力を持った者が下界に降りるとなれば、その影響力は計り知れない。ここは慎重に動くべきだ」

 

「まあそれはそうだけど、私達に取っても有利に働くだろうし、特に問題はないんじゃない?」

 

 ルカも完全に乗り気になっているのを見て、アインズは頭を抱えた。

 

「かと言って、例えばフォールスが突然カルネ村に姿を現してみろ。村人たちが混乱する事受け合いだぞ?」

 

「大丈夫だって、その時は私から説明するから」

 

「お前なぁ...」

 

「ね、アインズお願い!こんな機会滅多にないし、許してあげて?」

 

 ルカが懇願するのを受けて、アインズは頭を掻き大きく溜息をついた。

 

「...だーもう!分かった分かった。但し一つ条件がある」

 

「何?」

 

「フォールスの身柄は、一時ナザリックで預かる事とする。それで良ければ、外出を許そう」

 

「OK、私はそれでいいよ。フォールスは?」

 

「ええ、私もそれで構いません」

 

「決まりだな。それで、今後どう動く?」

 

「そうだね、私達は一度現実世界へ戻って、シャンティの事を調べてみようと思う」

 

「調べるってお前...外部から解析ができるのか?」

 

「その保証はないけど、いざとなれば地球に行って、レヴィテック社に直接乗り込むつもりよ」

 

「待て待て待て!それはいくら何でも危険だろう?」

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ずってね。それに私はプロジェクト・ネビュラの被験体だし、向こうも食いついてくるはず。やってみるまでよ」

 

 ルカの不敵な笑みを見て、アインズは大きく溜息をついた。

 

「はー...分かった。俺も同行しよう」

 

 それを聞いて、ルカは意外そうな顔をアインズに向けた。

 

「アインズ、一緒に来てくれるの?」

 

「当たり前だ。各国との会談も一段落したことだし、お前一人に任せていたら、何を言うか分かったもんじゃないからな」

 

 それを聞いて、ルカは膨れ面になった。

 

「ちぇー。あたしってそんなに信用ない?」

 

「そうじゃない、お前の身の安全を心配しているだけだ」

 

「ありがとうアインズ。じゃあ、お供してもらおうかな。プロジェクト・ネビュラの被験体二人が乗り込むとなれば、向こうも無視できないでしょ」

 

「しかし飽くまで、外部から解析が出来なかった時の最終手段だからな。それを忘れるなよ?」

 

「了解。とりあえずはフォールスを連れて、ナザリックに帰ろうか」

 

「そうだな」

 

 アインズは空間に人差し指を向けて、魔法を詠唱した。

 

転移門(ゲート)

 

 

───ナザリック地下大墳墓 第十階層 玉座の間 18:57 PM

 

 アインズの招集に応じ、階層守護者とプレアデス達全員が玉座の間に集合した。そしてその場についた誰もが、玉座の右隣に立つフォールスの姿を目にして驚嘆の声を上げていた。それを受けてフォールスは壇上から笑顔で見下ろしていたが、玉座に座ったアインズは鷹揚に右手を上げて口を開いた。

 

「皆のもの、集まってもらい感謝する。さて、もう見知っている者も多いとは思うが、ここにいるフォールスを我がナザリックで客人待遇として保護することになった。良いか、アインズ・ウール・ゴウンの名のもとに保護するのだ。これに関し周知を徹底し、皆に伝えよ」

 

『ハッ!!』

 

「フォールスの世話役は、そうだな...ユリ、お前に頼みたい。やってくれるか?」

 

「謹んでお受け致します」

 

「よろしい。それともう一つ、お前たちに伝えることがある。ノアトゥンを除き私とルカ達は調査のため、一時現実世界へと戻る。その間ナザリックの警戒レベルを最大限に引き上げ、守護に励むように。指揮はアルベドとデミウルゴスに一任する。良いな?」

 

『ハッ!』

 

 階層守護者達が頭を下げる中、ルカは玉座の左に並ぶノアトゥンに顔を向けた。

 

「ノア、君はその間どうするの?」

 

「ええ、私も一時ナザリックを離れ独自に調査を続けたいと思います。お嬢さん、くれぐれもお気をつけて」

 

「分かった、よろしくね」

 

 ルカはベルトパックから赤色に輝く帰還用データクリスタルを一つ取り出し、アインズに手渡した。それを受け取り、アインズ・ルカ・ミキ・ライル・イグニス・ユーゴの六人はクリスタルを前に掲げて握りしめると、その場から一瞬にして消え去った。

 

 

───プロキシマb 首都アーガイル 実験用ラボ内 19:15 PM

 

 

 ルカが目を開けると、薄緑色のキャノピーで覆われた保存カプセル内で横になっていた。枕元右側にあるパネルを操作してキャノピーを開き地面に降りると、ルカは大きく背伸びをして体をほぐす。アインズとミキ達五人も起床し、皆は下着の上から黒い制服を着てコンソールルーム内へと入っていった。ルカは端末中央の席に座ると、指示を出していく。

 

「イグニス、ユーゴ、ダイブしていた間のバックアップログをチェック。データの差異や干渉が無いか確認して」

 

『了解!』

 

 ルカ達三人が素早くキーボードを操作している間、アインズはその背後にある横長のソファーに腰を下ろした。その後に続くように、ミキ・ライルもアインズの両隣に腰掛ける。 すると隣から柔らかいシプレベースの香水の香りが漂ってきた。それに気づいてアインズは左に座るミキに顔を向ける。

 

「いい香りだなミキ。ユグドラシルの中にいる時と同じ匂いがする。何という香水なんだ?」

 

「まあ、覚えていてくれて嬉しいですわアインズ様。これはシャドウ・ダンサーという香水です。ルカ様に竜王国の香水を解析していただいたものを、特別に調合して作って頂いたものにございます」

 

「ゲーム内の香りをここまで再現できるとは大したものだ。何かこうしていると、どちらが現実なのか分からなくなってくるな」

 

「フフ、こちらが現実ですよアインズ様。このバイオロイドの体では、魔法は撃てませんことよ?」

 

「確かにな」

 

 ミキの妖しい微笑みを見てアインズも釣られて笑顔になり、自分の右手に目を落として握ったり開いたりした。人間の頃と変わらず違和感のない体を感じ、アインズは目の前のコンソールに座るルカの背中を見た。アインズはそれを見て今自分が地球にいない事を思い出し、軽い郷愁の念に襲われたが、地球に未練などない自分に気づくとすぐにその思いは消え去った。

 

 次にアインズは右隣でどっしりと腰を据えるライルに顔を向けた。

 

「ライル、お前は香水に興味はないのか?」

 

「アインズ様、戦士にそのようなものは不要にございます故」

 

「そうか。こっちの世界にはもう慣れたか?」

 

「この現実世界の体も大分馴染んで参りました。それにルカ様の行く所であれば、いかような世界にも適応するのが配下の務めかと存じますれば」

 

「フッ、なるほど。武人のお前らしいな」

 

「私めの任務には、アインズ様をお守りする事も含まれております。どうぞ大船に乗ったつもりでお過ごしください」

 

「ああ。頼りにしてるぞライル」

 

「畏まりましてございます」

 

 そうこう話している内に、ルカ達のバックアップログ確認作業が完了したようだった。

 

「よし、終わり!イグニス、ユーゴ、そっちは何か異常あった?」

 

「6人の電脳活性、異常ありませんね」

 

「ユグドラシルとのパケット及び、ヘッドマウントインターフェースのVCNセキュリティも異常なし。問題ねえぜルカ姉!」

 

「OK、こっちのユグドラシル検閲データも異常無しだ。ユーゴ、後でまとめて解析するから、ラボのデータバンクに全部保存しておいて」

 

「ラジャ!」

 

「さて、アインズお待たせ」

 

 ルカは座っていたオフィスチェアをクルンと回転させて、背後のソファーに座るアインズ達の方を向いた。人懐っこい笑顔を見せるルカを見て、アインズは何故か落ち着く自分がいる事に気がついた。

 

「解析作業とやらは終わったのか?」

 

「ううん、今やったのは簡単なデータ照合とバックアップだけよ。本格的な解析作業は時間がかかるし、明日からやる事にする」

 

「そうか。で、今日はどうする?」

 

「ここまでずっと働き詰めだったし、少し休まない?私も鋭気を養いたいし」

 

「そうだな、皆ご苦労だった。せっかく現実世界に戻ってきたんだ、久々に本物の酒でも飲みに行くか?」

 

「おーいいね!あ、でも私先にシャワー浴びたいから、その後でもいい?」

 

「なら俺も浴びてくるとするか。皆支度が整ったらラボに集合と言うことでいいな?」

 

「異議なーし!じゃあ一時間後に集合ね」

 

 五人は一旦解散し、各自の部屋に戻って体を洗い流した。そして身支度を整えてラボに集合すると、バーのある商業施設エリアへと向かった。

 

 

───プロキシマb 首都アーガイル 商業施設ブロック2F BARアトモスフィア 21:05 PM

 

 

 木製の赤い扉を開けると、中は奥に細長い作りとなっていた。右側にはマホガニーで組まれたバーカウンターがあり、通路を挟んだ左側には円卓が奥まで並んでいる。店内では仕事を終えた研究員達が、酒を片手に思い思いに談笑していた。ルカ達は中央付近の空いた円卓に腰を下ろし、バーカウンターの中にいるマスターに向かって笑顔で手を振った。するとルカの姿に気づいたマスターが、バーカウンターを出ていそいそと注文を取りに来た。

 

「やあ、いらっしゃいルカさん。お連れの方々もようこそ。最近顔を見せないから心配していたんですよ」

 

「久しぶりマスター。ごめんねー色々と忙しくてさ。なかなか時間が取れないのよ」

 

「いえいえ、こうして来てくれたんですから安心しました。ご注文はお決まりですか?」

 

「えーとね、私はクレメンタインをダブルで。みんなは何にする?」

 

「そうだな、俺はブルームーンをいただこう」

 

「俺はテキーラサンライズを」

 

「キンッキンに冷えたハイボール、濃いめでよろしく!」

 

「私はシルバーストリークを頂けるかしら」

 

「ジョニーウォーカーをボトルでくれ」

 

「畏まりました、すぐにお持ちしますね」

 

 マスターがバーカウンターに引き返し酒を作っている間、ルカは店内を見回して笑顔になっていた。

 

「この店も変わらないよねー。何かホッとするよ」

 

「俺はお前に連れられてたまに来るくらいだったが、言われてみれば確かに落ち着くな。雰囲気も悪くない」

 

 それを聞いていたユーゴが、円卓に身を乗り出して嬉しそうに言った。

 

「へへ、この店はバイオロイドがプロキシマbに入植した当時からやってるんですぜ。歴史も長いって訳でさぁ」

 

「なるほどね。道理で皆に人気があるわけだ」

 

 四方山話をしていると、マスターが銀色のトレイ一杯にグラスとボトルを乗せて円卓に歩み寄り、皆の前に酒を並べていった。

 

「お待たせしました。こちらのスモークサーモンとグリーンオリーブはサービスです、おつまみにどうぞ」

 

「来た来た!ありがとうマスター」

 

 皆がグラスを手に取り掲げると、ルカは左隣に座るアインズに顔を向けた。

 

「それじゃアインズ、音頭よろしく!」

 

「ああ、皆魔導国大使の任ご苦労だった。お前達のおかげで、主だった4ヵ国との友好通商条約も無事締結され、魔導国は大きく前進する事が出来た。今後我らがやるべき事はまだ山積みだが、目下の課題は今目の前にあるモノリスの謎を解明する事だと俺も考えている。今日一日この現実世界で疲れた体を休め、明日からの行動に向けて各自鋭気を養って欲しい。それでは、乾杯!」

 

『カンパーイ!』

 

 円卓中央で割れんばかりにグラスを重ね、皆はグイッと酒を仰いだ。ルカはグラスをテーブルの上に置き、口の中一杯に広がるバーボンの香りを楽しむように深呼吸した。

 

「はー、やっぱり本物のお酒は美味しいね。生き返るようだよ」

 

「全くだ。生身で飲む酒はまた格別だな」

 

「アインズは、こっちに戻っても甘いお酒好きなんだね」

 

「ん?まあな、竜王国産のスターゲイザーで味を占めてしまったからな」

 

「あれも美味しかったよねー。今度データを解析して、ラボで再現してみようかな」

 

「そんな事も出来るのか。今まで詳しく聞かなかったが、お前の所属部署は一体何を研究しているんだ?まさかダークウェブユグドラシルだけでもあるまい?」

 

「もちろんそれだけじゃないよ。私達ラボ班が受け持っているのは簡単に言うと、主に新技術の開発。例えば前に説明したサイボーグ食の改善もその一環だし、それ以外にも新規CPUの開発、バイオロイドの改良・メンテナンスから、プロキシマbを管理するシステムAIの調整・機能拡張まで、担当範囲は多岐に渡るわ。こう見えて結構忙しいのよこれでも」

 

「そ、そうか。済まなかったな、長いことユグドラシルに時間を割かせてしまって」

 

「ううん、気にしないで大丈夫よアインズ。私の拉致事件以降、ブラウディクス・コーポレーションはレヴィテック社を危険対象と認識した。今まで言う機会がなかったから言わなかったけど、ダークウェブサーバやゲーム内を通じて、レヴィテック社の動向を監視するのも私達の任務の一つなの」

 

「...なるほどな。プロジェクトネビュラ・フェロー計画...ここへ来てきな臭い単語が続々と出てきている。ひょっとしてだが、二年前俺の脳核をレヴィテック社から救出したのも、その任務とやらの一環だったのか?」

 

「違うよ、それは私の意思。会社は関係ない」

 

「...そうか。言っておくが疑っているわけじゃないし、その事に関しては本当に感謝している。ただな...こんな冴えない男の脳核を、何故危険を犯してまで助け出してくれたのか、今も時々疑問に感じてな」

 

「そんなことない、アインズは私を助けてくれたじゃない。それに何故と言うなら...」

 

「ん?」

 

「えっと、だからその...み、みんなの前で言わせる気?」

 

 ルカは頬を紅潮させ、上目遣いにアインズを見る。その黒髪から覗く美しい潤んだ瞳を見て、アインズは慌てるように言葉を返した。

 

「う、うむ!まあ何だその...ルカだけでなく、ここにいる皆で助けてくれたんだったな。改めて礼を言わせてくれ。ありがとうミキ、ライル、イグニス、そしてユーゴよ」

 

「礼には及びませんわアインズ様」

 

「左様。我らは当然の事をしたまで」

 

「どういたしまして、アインズさん」

 

「ルカ姉の事、よろしく頼みますよアインズの旦那!」

 

「お、おう!...ゴホン、酒が切れたな、もう一杯頼むか。おーいマスター!」

 

 6人はそのまま深夜一時過ぎまで飲み明かし、リラックスした楽しいひと時を過ごした。やがて宴もたけなわとなり、皆は席を立ってバーの外へと出た。先頭に立っていたルカが、皆の方を振り返る。

 

「ねえ、酔い覚ましにみんなで展望エリア行かない?」

 

 それを聞いたミキ・ライル・イグニス・ユーゴは顔を見合わせ、何故か怪しげな笑みを浮かべてルカに返答した。

 

「いいえルカ様。明日も早いことですし、私達は先に部屋へ戻りますので、お二人で行ってらしてくださいませ」

 

「えー、何で?一緒に行こうよミキ」

 

 するとミキはルカに歩み寄り、耳元で小さく囁いた。

 

「チャンスですわ、ルカ様」

 

「何よチャンスって?」

 

「アインズ様と二人きりの時間、有意義にお過ごしくださいませ」

 

「なっ...いちいちそんな気使わなくても!」

 

「フフ。さあみんな、部屋に戻りましょう。アインズ様、ルカ様をよろしくお願い致します」

 

「ん、んん?...どういう事かよく分からんが、とりあえず分かった」

 

「それでは私達はこれで。明日またお会いしましょう」

 

 ミキ達四人は居住区画方面へと立ち去り、街路には二人のみが残された。ルカは大きくため息をつき、辺りを見回す。深夜とあり、既に閉店している店が殆どだったが、看板のネオンだけは煌々と街路を照らし出しており、まばらだが人通りもぽつぽつと見受けられる。それを見てルカは眉間を指でつまみ、独り言を言うように呟いた。

 

「全く、あの子達ったら...」

 

 その様子を見て、背後にいたアインズは首を傾げた。

 

「ルカ、どうかしたか?」

 

「え?!ううん何でもないよ。その...二人きりになっちゃったね、へへ」

 

「そうだな。折角だし散歩がてら展望エリアとやらに行ってみるか。この時間は開いているのか?」

 

「う、うん大丈夫!もう閉まってるけど、主任以上のIDならセキュリティいつでも解除出来るから」

 

「そうか。ならば行くとしよう」

 

 二人は街路を抜けて、商業施設ブロック西側の高さ5メートルはあるゲート前までたどり着いた。入り口脇にある端末にカードキーをかざすと、(バシュン)という音を立ててエアロックが解除され、鋼鉄製のゲートが上に開く。

 ドーム間を繋ぐ真っ直ぐに伸びた通路の照明が点灯し、視界が確保された。ルカとアインズが入り口を潜ると、背後のゲートが音もなく閉じる。床に敷設されたムービングウォークに乗り、二人は400メートルほど先にある通路の端へと運ばれていった。アインズはその間、窓一つない通路の先を見ながらルカに質問した。

 

「俺は展望エリアに行くのは初めてだが、広いのかそこは?」

 

「商業施設エリアほどじゃないけど、500平方メートルくらいかな。アーガイルに万が一の事態が起きた際の緊急避難区域としても使われるから、結構広いかもね」

 

「なるほどな、それは楽しみだ」

 

 ムービングウォークを降りた先にあるゲート端末にカードキーをかざし、二人は展望エリアの中へと足を踏み入れた。内部は薄暗く、壁面と床に設置された間接照明で辛うじて視界が保たれている。暗闇に目が慣れない中、頭上を見上げたアインズはその光景に絶句した。

 

「こ、これは...」

 

 一面満天の星空と銀河。今自分がドームの中にいるという事も忘れるほど、星々が間近にあった。目の前に広がるのは空ではなく宇宙。頭上を見ても横を見ても、その光景に変わりはない。そのあまりにアンリアルな光景を見て、アインズは軽い目眩に襲われた。一瞬ふらついたアインズの上腕を、ルカが咄嗟に支える。

 

「アインズ!大丈夫?」

 

「あ、ああ済まない。すごい場所だな、平衡感覚が失われそうだ」

 

「室内を明るくしようか?」

 

「いや大丈夫、少し驚いただけだ。目も大分慣れてきた」

 

「じゃあ、窓際にソファーがあるからちょっと休もうか。こっちよ」

 

 ルカはアインズの手を引くと、淡く光る床の照明を頼りに横長のソファーまで案内し、そこに二人で腰掛けた。星の明かりで薄っすらと見える地平線を眺めながら、アインズは失った平衡感覚を取り戻そうと深呼吸し、ソファーに上体を預けた。

 

「ふー、プロキシマbの夜空は想像以上だな。星に手が届きそうだ」

 

「きれいでしょ?地球じゃまずお目にかかれない光景よ」

 

「ああ、確かに」

 

 ルカは握ったままのアインズの右手に指を絡ませると、アインズもそれに応じた。しばしの沈黙の後、窓の外に映る夜空を眺めながら、アインズが口を開いた。

 

「なあ、ルカ」

 

「何?」

 

「俺達は、この星で一生を過ごしていくんだよな?」

 

 それを聞いたルカは左に座るアインズの顔を一瞬見上げ、そして寂しそうに床に目を落とした。

 

「地球に...帰りたくなった?」

 

 ルカは消え入りそうな声でそう言うと、思わず絡めた指に力を込める。すると今度はアインズが右に座るルカを直視し、確信に満ちた声で答えた。

 

「違う、そうじゃない。言っておくが地球に未練など一切ない。俺が言いたいのは、このプロキシマb以外にも居住可能な星は他にあるのかという意味だ」

 

「...アルファ・ケンタウリ星系の探査は続いているけど、今の所ここ以外に、そういった候補地に上がっている惑星は見つかってないよ」

 

「そうか、ならいいんだ。もし他の惑星と往来可能になれば、夢が広がると思っただけだ。何よりここは俺も気に入っているしな、他意はない」

 

 ルカは再度顔を上げてアインズの目を見た。その瞬間、赤く美しい瞳から涙が零れ落ちる。ルカはその顔を見られまいと、アインズから顔を反らして右肩に寄りかかった。しかし感情を抑えきれず、嗚咽を堪えながら涙を流し続けた。ルカの体の震えを感じ、アインズは慌てて声をかける。

 

「お、おいおいルカ、何も泣くことは...」

 

「...やだよ」

 

「え?」

 

「あたしアインズがいなくなるの、やだよ...」

 

「ルカ...」

 

 右腕にしがみつくルカの艷やかな黒髪を、アインズは左手で優しく撫でた。フローラルな香りに包まれ、アインズはゴクリと固唾を飲む。そして意を決し、ルカの左肩を抱き寄せた。

 

「ルカ、こ、こっちを向け」

 

「...うん」

 

 しがみついた手を離し、ルカは抱き寄せられるがまま体を預けた。全てが完璧な、非の打ち所のない絶世の美女。改めてアインズはそう思った。かつて無い緊張に体が強張り、全身から冷汗が流れ落ちる。しかし男としての本能がそれに打ち勝った。アインズはルカの耳元に手を添えて抱き寄せ、そっと唇を重ねた。

 

「っ!!」

 

 ルカの体がビクッと跳ね上がる。しかし温かい唇の感触に体は弛緩し、ルカはアインズの背中に手を回した。至極の境地に達し、二人はまるで貪るようにお互いの舌を絡め合った。窓の外から星々の光が照らす中、それは半刻以上も続き、激しく上気した体を冷ますべく二人は唇を離した。ルカはアインズの左頬を撫でながら、目に涙を浮かべている。

 

「...アインズからキスしてくれたの、これが初めてだね」

 

「お前ばかりに先手を取られていては、男の名折れだからな。それでその...へ、下手では無かった...か?」

 

「ううん、上手だったよ」

 

「そ、そうか。なら良かった」

 

「わ、私もその...お酒臭くなかった?」

 

「そんなことはない。甘い蜜のような味がした」

 

「そっか。...ねえ、アインズ」

 

「ん?」

 

「その...続きは私の部屋で、しよ?」

 

「あー!えーとその...お、俺はその、は、初めてなのだが...い、いいのか?」

 

「ま、前にも言ったでしょ?私も初めて。それにアインズになら、全部あげても...いい」

 

「う、うむそうか、分かった。お前の部屋に行こう」

 

 アインズは今日まで迷っていた。そして怖かった。ある特定の人物と深い関係になれば、それは自分の人生が決定してしまうという固定観念に囚われていたからだ。例え相手が、思い描く完全な理想の女性であるルカであったとしてもだ。

(自分などで良いのだろうか)という劣等感と、長年苦楽を共にしてきたルカだからこそ大切にしたいという二つの気持ちが、現状維持のまま良好な関係を築くという選択肢をアインズに選ばせていた。しかしその殻を悉く破り、自分の気持ちを真摯に伝え続けてきたのもルカだった。そして今日、その思いに答えるべくアインズは自らの力でその防護フィールドを解いた。ルカに手を引かれてソファーから立ち上がったアインズは、(自分も正直であろう)と決意した。

 

───翌朝 アーガイル居住区画 313号室 8:27 AM

 

 フローラルな香りと柔らかいシーツの感触を感じ、アインズはベッドの上で目が覚めた。しかし隣で寝ていたはずのルカの姿がなく、アインズは再び枕に頭を預ける。そして自分が全裸で寝ている事で、昨日起きた夢のような一夜を思い起こしていた。するとリビングの方から、何かが焼けるような香ばしい香りが漂ってきた。

 

 アインズが上体を起こすと、掛け布団の上に純白のガウンが用意されていた。取るもとりあえずアインズはそれを身にまとって起き上がり、寝室からリビングへと足を向けた。簡素だが広く機能的なリビングで、部屋の中央には椅子が四つ並んだ四角いテーブルが置かれている。左手にはシステムキッチンがあり、そこでルカはフライパンを振るっていた。アインズの姿を確認すると、ルカは笑顔で出迎えてきた。

 

「おはようアインズ、よく眠れた?」

 

「ああ、おかげでぐっすりだ」

 

「良かった。朝食もうすぐできるから、そこのテーブルに腰掛けて少し待ってね」

 

「分かった」

 

 言われるがままにアインズは椅子へと腰掛け、テーブルの上に乗せられたテレビのリモコンを壁へと向けてスイッチを入れた。すると壁面にホログラム映像が大きく映し出され、音声と共にニュースが流れ始める。そこにはプロキシマbで開発された最新技術や、地球の政治や軍事の現状を伝えるニュースが軒を連ねていた。それらの情報に見入っていると、ルカがキッチンから皿を運んできた。

 

「はい、お待たせー」

 

「こ、これは...!」

 

 目の前に並んだ料理は、アインズの予想を大きく裏切るものだった。いや、むしろ望んでいたものと言ってもいいだろう。サバの照り焼きに厚焼き玉子、白米に味噌汁、そして納豆。その懐かしい和食の香りに、アインズは目を輝かせた。

 

「驚いた、まさかお前の手料理で和食が出てくるとは」

 

「へへー、アインズもそろそろ醤油の香りが恋しいかなと思ってさ。食べてみて?」

 

「あ、ああ、いただこう」

 

 箸でサバの照り焼きをひとつまみすると、アインズはそれを口に運んだ。ジュワッと広がる芳醇な脂身と肉の柔らかさに、アインズは思わず口の中に白米をかきこんだ。ルカは頬杖をつきながら、その様子を笑顔で見守る。

 

「味はどう?」

 

「美味い!文句なしに完璧だ」

 

「ほんと?良かった、和食久々作ったんだけど、気に入ってもらえたみたいね」

 

「この絶妙な焼き具合と塩加減、店が一軒開けるレベルだぞ」

 

「フフ、ありがとう。私も食べようかな」

 

 そう言うとルカはキッチンから自分の皿を持ってくると、テーブルの上に並べて一緒に食事を摂り始めた。その間アインズは、先ほど付けっぱなしにしたテレビのモニターを見ながら味噌汁をすすっていた。

 

「それにしても、両極端なニュースだな。プロキシマbは平和そのものだと言うのに、地球ではテロだの紛争だのと未だ争い事が絶えない。どうしてこの星のように皆が平和に過ごせないのか」

 

「ああ、それはあれだね、意識の差なのかも知れないね」

 

「意識の差?」

 

「この星の住人は大半が研究者だけど、同時に皆が兵士の訓練も受けてる。つまり、このアーガイルに軍隊はいない。有事の際は、私達バイオロイドが先陣を切って戦わなければいけない。その時最も大事なのは、自分自身の力と仲間だけが頼りになる。そうやってお互いをフォローし合う気持ちが常にあるから、結果争い事は起きないってわけ」

 

「なるほどな、互助精神が平和を保っていると言う訳か。実に興味深い」

 

「アインズにもそのうち戦闘訓練受けてもらうから、そのつもりでね」

 

「ああ、肝に銘じておこう。ご馳走さま、美味かった」

 

「お粗末様でした」

 

 二人は朝食を摂り終わりキッチンに向かうと、横に並んで皿を洗い始めた。ルカが鼻歌混じりに皿を洗っているのを見て、アインズは首を傾げる。

 

「そんな嬉しそうにして、どうした?」

 

「え?何かこうしてると、本物の夫婦みたいだなって思ってさ」

 

「この星のバイオロイドにも、結婚という概念があるのか?」

 

「もちろんあるよ。セックスだって出来るんだから結婚もあっておかしくないでしょ?」

 

「あー、何というかその、まあそうなんだが...はっきり物を言うなお前は」

 

「フフ、今更恥ずかしがる事もないじゃない。バイオロイドだから当然子供はできないけど、婚姻関係を結ぶという制度は立派に存在するわ。私達だけが特別に恋愛感情を抱いている訳じゃない」

 

「そうか。この星に腰を据えると決めたんだし、お前と一緒に居られるというのなら、それもいいのかもしれないな」

 

「ほんと?」

 

「ああ、但し本当の俺を見たら失望するかもしれないぞ?」

 

「やったあ!」

 

 ルカは洗っていた食器をシンクに投げ出すと、アインズの体に勢いよく抱きついた。手にした食器を落とさないよう踏ん張るも、アインズは横に大きくふらつく。

 

「ちょ!おいおい濡れた手で触るんじゃない!せめて皿くらい置かせてくれ!」

 

「ガウンくらい後で洗うから大丈夫。...嬉しい、アインズからそんな事言ってくれるなんて」

 

「分かったらほら、いい加減体を離してくれ。食器が置けない」

 

「ちぇー、分かった」

 

 ルカは嫌々ながらも体を離し、二人で皿を拭き終わると食器棚に収めた。そしてお互い向かい合い、ルカはアインズの首に手を回して抱き寄せ、フレンチキスをした。アインズもルカの腰に手を回し、そのまま二人は熱い抱擁を交わす。やがて唇を離し、ルカはアインズの耳元で囁いた。

 

「大好きよ、アインズ」

 

「ああ、ルカ。俺も大好きだぞ」

 

「どうする、先にシャワー浴びる?」

 

「もうそんな時間か。そうだな、先に浴びさせてもらおう」

 

「分かった。バスタオルと制服用意しておくからね」

 

  アインズがシャワーを浴びている間、ルカはリビングにある端末からメールをチェックしていた。その殆どが社内周知や報告書等の雑多なメールだったが、その中に一件、差出人不明のものが含まれていた。内容を見ると件名も本文も記されておらず、ウィルスも混入されていなかった。

 

 不審に思ったルカは、すぐさまラボのメインフレームに接続してIPトレースを行った。その結果、このメールはアラスカ・ドバイ・中国・ロシア・イギリスに存在するプロクシを経由して、足跡を消しながら送信されている事が分かった。まさにハッカーの手口だが、ブラウディクスの検閲プログラムに引っかからない以上、特に害意のないメールにも思えた。しかしルカは油断せず、何か起きた際反撃するためにそのメールを保存しておく事にした。

 

 全てのメールを確認し終わった頃、シャワーから上がり制服を着たアインズがリビングへとやってきた。

 

「待たせたな、さっぱりしたよ」

 

「ああ、うん。じゃあ私も入ろうかな」

 

「どうした?神妙そうな顔をして」

 

「ううん何でもない。ちょっと気になる事があっただけだから」

 

「そうか、ならいいんだが」

 

 ルカは脱衣所に入り、服と下着を脱いで折り畳むと洗濯かごの中に収めた。化粧台に設置されている曇った鏡を手で拭き取り、そこに映る頬をルカはひと撫でした。赤く大きな瞳、鋭角な美しい輪郭。先程の不審なメールで頭に靄がかかっていたが、それ以上に嬉しい現実が迷いを打ち消す。アインズがプロポーズしてくれた、それだけで十分だった。ルカはその場で小さくガッツポーズすると、バスルームへ入って体を洗い流した。

 

───首都アーガイル 研究棟 ラボ・コンソールルーム内 10:00 AM

 

 ルカとアインズが並んでコンソールルームに入ると、既に四人が揃っていた。それを見て、早速ユーゴが茶々を入れてきた。

 

「よっ、お二人さん!お揃いで出勤とは焼けま...いってー!!」

 

 ユーゴの言葉を遮り、思いっきり足を踏みつけたのはイグニスだった。

 

「おはようございますルカさん、解析の準備は完了してます。いつでも取りかかれますので」

 

「おはようイグニス。それじゃあいっちょ始めようか。VCNセキュリティを最大にして、ダークウェブとロストウェブのユグドラシルサーバに接続して。ロケーションのデータシンクも忘れずにね」

 

「了解!」

 

 ルカもコンソールの前に座り、素早くキーボードを操作していく。お互いに連携を取りながら、サーバを取り囲むプロテクトを次々と突破していき、ダークウェブユグドラシルのサーバへと到達した。

 

「ユーゴ、バックアップログと照合。シャンティで検索をかけて」

 

「さっきからやってるんですが、だめですね。それらしい情報は見当たりませんぜ。それに防壁を突破したと同時に、こちらのサーバへ攻撃を仕掛けてきている奴らが複数名いますね」

 

「それは無視して。どうせロストウェブのハッカー達だろうし、VCNに任せておけばいい。となるとやはり、コアプログラムのあるロストウェブのサーバか」

 

「前にルカ姉がアタックを仕掛けても破れなかったサーバですよね。ルカ姉でも手が出ないんじゃ、俺にもどうしよもありやせんぜ?」

 

「ちょっと乱暴だけど、私の作ったクラッキングプログラムを走らせてみよう。何か分かるかもしれない。イグニス、防壁のモニターとトレースよろしくね」

 

「了解しました」

 

 ルカがプログラムを起動し、目標のIPを入力してパスコードのクラッキングを開始した所、第一のプロテクトが難なく破壊された。それを見てユーゴが飛び跳ねて喜ぶ。

 

「やったじゃないすかルカ姉!こんないい物持ってるなら、最初から使えば良かったのに」

 

「いや、これを使うと内部のデータまで破損してしまう恐れがあったから、今まで使わなかっただけよ。それに足も付きやすいからね」

 

「そうだったんすね。せっかくだからこの調子で、奥まで覗いて見ましょうよ」

 

「そうだね、行けるところまで行ってみようか」

 

 しかし喜びも束の間、何重もの強固なプロテクトを破壊した先には、(No Data)と虚しく表示されただけであった。それを見て、ルカ・ユーゴ・イグニスは唖然とする。

 

「サーバが...無い?ルカ姉、これは?」

 

「つまりは、ローカルサーバって事だね。どこから中継しているかは分からないけど、メフィウスとユガは外部から隔離されたサーバであることは間違いないね」

 

 イグニスとユーゴは、ゴクリと固唾を飲んだ。

 

「つまりは、やはり...」

 

「レヴィテック社に直接乗り込むしかない、と?」

 

「そういう事。レヴィテック社には私から面会の連絡をしておくから、イグニスは地球までの定期便の予約を二名分しておいて。向こうには私とアインズだけで行くから」

 

 それを聞いたミキとライルがソファーから立ち上がり、血相を変えた。

 

「そんな、危険ですルカ様!お二人だけで向かわれるなど」

 

「左様!私共もご同行致します」

 

「大人数で行くと、逆に怪しまれる。それにプロジェクトネビュラの被験体二人が単独で会うとなれば、向こうのガードも多少なりとも緩くなるでしょ?」

 

「しかし...!」

 

「何もただ見ていろとは言わないよ。私達二人にもしも万が一の事態が起きたときの為に、やってもらいたい事があるの」

 

「と、言いますと?」

 

「プロキシマbから地球に向けて、バイオロイドのリモートリンク機能を使って私達の周囲を極秘に監視してほしいの。怪しい動きがあれば逐一お互いに通信を取り合うって方向で、どう?」

 

「そういう事でしたら...ライル、あなたは?」

 

「それならば私も構いませぬ。ルカ様には傷一つつけさせはしません」

 

「決まりだね。アインズもそれでいい?」

 

「ああ。しかしレヴィテック社がそう簡単に頷くとも思えんのだが」

 

「ブラウディクス・コーポレーションは国営企業だよ?そこが公式に面会を申し込めば、いくらレヴィテック社と言えども断れないさ」

 

「面会する所まではいいとして、その後はどうする?まさか目を盗んでハッキングでも仕掛けるつもりじゃあるまいな?」

 

「まさか。まずは敵情視察だよ。その様子を見てどうするか対策を考えるさ」

 

「要するに出たとこ勝負って訳か。あまり気は進まんが、お前が行くというのなら仕方がないな」

 

「レヴィテック社からの回答が来次第すぐに出発するから、準備だけはしておいて。イグニスとユーゴは引き続きユグドラシルサーバの監視をお願いね」

 

『了解!』

 

 そして三日が過ぎた頃、ルカの送ったブラウディクス社正式書類の添付されたメールに一通の返信が来た。レヴィテック社のもので、是非二人に会いたいとの事だった。アインズとルカは準備を整え、地球への定期便に乗り込むこととなった。ワームホール航路を使って地球までの距離は一週間かかる事から、面会日は10日後の午前11時に設定した。定期便はカリフォルニア州シリコンバレーにほど近いサンノゼ空港に無事到着し、目的地であるサンタクララ近郊にあるホテルでチェックインを済ませた。プロキシマbからリモートリンクでバイオロイドの体を操っているミキとライルとも連絡を取り、準備は整った。その間ルカとアインズは、のんびりと周囲の観光を楽しんだのであった。

 

 そして約束の日が来た。二人はフォーマルスーツを着用し、タクシーを捕まえてシリコンバレーにあるレヴィテック本社へと向かった。広大な敷地に建つ巨大なビルを前にアインズはたじろいでいたが、ルカは何の躊躇もなく入り口のゲートを潜る。玄関脇にある受付嬢にルカは話しかけた。

 

「本日11時に面会の予約をしているルカ・ブレイズと言う者です。担当者にお繋ぎ頂きたいのですが」

 

「ルカブレイズ様ですね、お待ちしておりました。係の者がご案内いたしますので、そちらのソファーに腰掛けてお待ちください」

 

「分かりました」

 

 そうして10分が過ぎた頃、玄関奥のロビーから大柄な男が二人こちらに向かって歩いてきた。黒いスーツにサングラス、オールバックと、明らかに堅気ではない風体の男たちだった。黒服はルカ達の前に立つと、深々と一礼した。

 

「ルカ・ブレイズ様、それに鈴木悟様でいらっしゃいますね?担当の者がお待ちですので、こちらへどうぞ」

 

 ルカとアインズは席を立ち、ロビー奥にあるエレベーターに乗り込んだ。男は地上40階のボタンを押し、エレベーターは上昇していく。アインズはバイオロイドの通信機能を使い、ルカに話しかけた。

 

『おいルカ、本当に大丈夫なんだろうな?』

 

『私達に何かあれば、武装したミキとライルが突入する手筈となっている。心配しなくても大丈夫だよ』

 

 40階の扉が開くと、まるで病院を思わせるような真っ白い廊下が奥へと続いていた。その最奥部まで案内されたドアの上部には、(研究棟)の名札がぶら下げられている。中に入ると、デスクが一つと応接用のソファーがあるだけの殺風景な部屋だった。

 

「只今担当の者が参りますので、こちらのソファーに腰掛けてお待ちください」

 

 そう言い残すと、黒服の二人は部屋の外へ出ていってしまった。部屋に取り残されたルカとアインズは、バイオロイドの通信機能を使って会話を交わす。

 

『見たところ怪しい箇所は見当たらないが...』

 

『油断しないほうがいい。私達はプロジェクトネビュラの被験体だと言う事を忘れないで』

 

『了解した』

 

 すると入り口の扉が開き、白衣を着た一人の男が入ってきた。顔は痩せぎすで青白く、背中まで伸びた黒い長髪をヘアゴムで縛りポニーテールに束ねている、何とも冴えない男だった。覇気のない眠たそうな目で、ソファーに座るルカとアインズを一瞥すると、頭をボリボリと掻きながら自分も向かい側のソファーに腰を下ろし、軽く会釈をして声を出した。

 

「えー、どうも。この度はご足労いただきありがとうございます。一応この会社でユグドラシルβ(ベータ)のバックアップサーバ管理をさせてもらっています、ウォン・チェンリーと申します。ブラウディクスさんからの要請という事ですが、どういったご要件で?」

 

 ウォンの無礼極まりない態度を見てアインズは顔を顰めたが、ルカはそれには意も介さず、無表情で返答した。

 

「ブラウディクスコーポレーション第一研究班別室・研究開発主任を務めさせていただいております、ルカ・ブレイズと申します。こちらは私の助手を任せております、鈴木悟です。御社が管理しているユグドラシルについて、二・三お伺いしたいことがございまして、この度アポを取らせていただきました」

 

 それを聞いたウォンはソファーの背もたれにドッと体を預け、あからさまに不機嫌な態度を取った。

 

「...と、言われましてもねえ。ユグドラシルβ(ベータ)はとっくにサービス終了しているんですよ?社外秘とういうものがありますんで、いくら国営であるブラウディクスさんからの頼みとは言え、ろくなお答えも出来ないと思いますがね。一応お話だけは伺いましょうか」

 

 それを聞いてルカはソファーから身を乗り出し、ウォンの目を真っ直ぐに見ながら質問した。

 

「プロジェクト・ネビュラという計画について、ご存知ですね?」

 

 その質問に対しウォンはキョトンとした目をルカに向けた。

 

「プロジェクト・ネビュラ? はて、一体何の事でしょう」

 

「御社が買収した、株式会社エンバーミングがユグドラシルを利用して行った、違法なプレイヤーの拉致監禁及び、軍と共同で行った極秘実験の総称です」

 

 ルカの真剣な眼差しを見ても尚、ウォンの高慢な態度は変わらない。それどころか、口角を釣り上げてゾッとするような含み笑いをし始めた。ルカの隣に座るアインズはそれを見てゴクリと固唾を飲むが、ここはルカに任せて進捗を伺おうと冷静さを装った。

 

「...クックックッ、拉致監禁に極秘実験?知っての通り弊社はハードウェア・及びソフトウェア開発を基軸とする巨大複合企業ですよ?何を馬鹿なことを。拉致監禁?軍と共同での極秘実験? あなた達国営企業であるブラウディクスともあろう方が、どこぞの都市伝説サイトでも真に受けてここへ来たんですか?全くバカバカしい。そんな違法行為に手を染めなくても、我が社は十二分に利益を得ている。お分かりか?そんな与太話に付き合っているほど私は暇じゃないものでね」

 

「どうしても、お話頂けないんですね?」

 

「お話も何も、あんた達イカれてんじゃないのか?大体ユグドラシルβ(ベータ)にそんな仕様はないし、違法行為の実態もない。分かったらほら、さっさとお引き取り願おうか。...ったく、だからこんな面会嫌だったんだ」

 

 ウォンがソファーから腰を上げた時、それを制止するようにルカは一際大きな声でそれを止めた。

 

「一つ言い忘れていましたが、私とここにいる鈴木悟は、御社が極秘理に開発を進めたプロジェクト・ネビュラの被害者です。もっと言えば、ユグドラシルの生みの親であるグレン・アルフォンスの被害者と言ってもいい」

 

「...は?」

 

「悟、例の物を」

 

 ルカに促され、アインズは慌ててジェラルミン製のケースを開き、中から一枚のタブレットPCを取り出してルカに手渡した。

 

「この中に、ブラウディクス・コーポレーションが私の意識拉致に対して政府とレヴィテック社に行った、訴訟内容の全記録が収められています。合わせてサンタクララにある御社のサーバ基地局に弊社が極秘理に潜入し、ここにいる違法に拉致監禁された鈴木悟の脳核を奪取した記録と映像も含まれている。ウォンさん、あなたにはこれを確認する義務がある。あなたがこのまま立ち去れば、我が社はこの全記録を政府と世間に公表し、レヴィテック社の所業を世に訴えることになりますが、それでもよろしいか?あまり弊社を舐めないでいただきたい」

 

(あー、やばいルカがキレ始めた...)

 

 心の中でアインズはヒヤヒヤしていたが、それを聞いて固まったのはウォンだった。青白い肌が更に顔面蒼白になっていく。そして諦めたように首をガックリと項垂れると、頭をボリボリと掻きながらルカに向けて愛想笑いした。

 

「...やれやれ、そんなものがあるなら最初に言ってほしかったですねぇ。話が長くなりそうだ、コーヒーを淹れてきます。ちょっと待っててください」

 

 そう言うとウォンは部屋を出ていった。固まっていたアインズはドッと息を吐き、深呼吸してルカを見た。

 

「ルカ、いくら何でも飛ばし過ぎじゃないか?あのウォンって男がどこまで知っているかも分からないというのに。肝を冷やしたぞ」

 

「いいのよ。こういう交渉は単刀直入に行ったほうがいいし、第一私達がプロジェクト・ネビュラの被験体だって事は向こうも十分承知のはず。まずはこちらから手札を切らないとね」

 

「確かにあの話しぶりからすると、ウォンも何かを知っていそうだったな」

 

「鬼が出るか蛇が出るか、お楽しみってとこだね」

 

 間もなくして扉が開き、ウォンがトレーを抱えて部屋に戻ってきた。香ばしいコーヒーの香りが部屋を包む。コーヒーカップをルカとアインズの前に置くと、ウォンはソファーに腰を下ろした。

 

「お待たせして申し訳ない。まずは一服と行きましょう」

 

「ありがとう、頂きます」

 

 ルカとアインズがコーヒーを一口含むと、芳醇なコクと香りが口内を満たした。

 

「ん...美味しい。ブルマンですね」

 

「給仕係の淹れるコーヒーは不味いものでね。私がいつも飲んでいるのと同じように豆から挽いてきました。お気に召されたようで結構です」

 

 先ほどとは打って変わり、ウォンの態度が豹変している。やはり唐突に核心を突いたのが効いたのだろうとアインズは連想した。ウォン自身もコーヒーを飲んで一息入れると、ソファーから上体を起こして前で腕を組んだ。

 

「さて、それでは始めましょうか。その前に、あなた達が持っているというその全記録とやらが本当なのか、見せていただきたい」

 

「もちろんです。こちらになります」

 

 ルカはテーブル越しにタブレットPCをウォンに手渡した。それを受け取ったウォンは画面をスワイプしながら、次々と読み進めていく。次第に表情が険しくなっていくウォンの顔を見て、アインズはルカに通信を入れた。

 

『おいルカ、ブラウディクスに関する機密事項は含まれていないんだろうな?』

 

『大丈夫、その点はみんな省いて概要だけをまとめてあるよ』

 

『そうか、ならいいんだが...ウォンの様子が芳しくないぞ』

 

『まあ、相手の出方を見よう』

 

 ウォンが読み進めること20分、室内は重苦しい無言の状態が続いた。そして全ての文章と動画の記録を見終わったウォンは、画面をスワイプして最初のページに戻し、タブレットPCを手にしたままルカに向かって顔を上げた。

 

「何と、二年半前にサンタクララの弊社アーカイブセンターを襲撃したのは、あなた達だったんですか」

 

「はい。全てはここにいる鈴木悟を助ける為です」

 

「なるほど、あの厳重なセキュリティを突破するとは、実に見事な手際だ。これに関しては弊社も文句の言いようがありませんね」

 

「と言うことは、プロジェクト・ネビュラについてもご存知なんですね?」

 

「ええ、まあ。しかし何せ私が生まれる前から存続しているプロジェクトですからね。詳細までは知りかねますよ。飽くまで概要だけです」

 

「何故嘘をついたんです?ブラウディクスから正式なアポは取ってあったはずなのに」

 

「いえ何、ルカ・ブレイズと言えば我が社では伝説のようなものですからね。それにサンタクララから脳核を救出された鈴木悟さん...つまり、アインズ・ウール・ゴウンも同様です。あなた達が当人かどうか、管理者として疑わしかった」

 

「これで信じていただけますね?」

 

「まあそうですね、とりあえずは信じましょう。この資料によると訴訟された年は2350年となっていますが、具体的に弊社で意識を拉致されていた期間はどのくらいなのですか?」

 

「約200年間です」

 

「...え?」

 

 ウォンはそれを聞いて絶句した。ルカの赤い瞳を見てそれが真実だと悟ったウォンは、何かにすがるように隣に座るアインズに目を向けた。

 

「鈴木さん、あなたはアインズ・ウール・ゴウンとして、2138年11月9日にエンバーミング社により拉致されたと聞いています。そのあなたが何故、2550年代の現在にここにいるのですか?」

 

 そう聞かれてアインズは隣に座るルカを見たが、ルカは小さく頷いて返した。

 

「このルカが、現実世界帰還用のデータクリスタルを私の元へ届けてくれたことで、肉体に戻ることが出来ました」

 

「...つまり、初代ユグドラシルのサービス終了から412年後の世界で、あなたは現実世界へと帰れたんですね?」

 

「全ては、ここにいるルカのおかげです。まあ私が実際にユグドラシルの中で過ごしたのは、三年と少しですが」

 

 ウォンはそれを聞いて、ゴクリと固唾を飲んだ。

 

「そんな長期間の間、あなた達の肉体をどう維持していたのですか?」

 

 アインズとルカは顔を見合わせ、その質問には代わりにルカが答えた。

 

「私達は二人共、バイオロイドです。無論AIベースではなく、肉体としての脳を電脳化した素体ですが」

 

「...なるほど、それで合点が行きました。しかしタイムラグの件はどう説明するんです?ルカさんの2350年と、鈴木さんの2138年では接点がない。これでは、鈴木さんが2550年の現代に復活出来た理由の説明が出来ない」

 

「それは御社が、2550年代の現代まで保管しておいた鈴木の脳核を私達が奪取し、私自身が彼の脳核を手術したことによってユグドラシル内からの意識ダウンロードが可能となったからです」

 

「いえですから!私が言いたいのは2138年に終了した初代ユグドラシルと、2350年に終了したユグドラシルβ(ベータ)とは何の接点もないと言う事です!それなのに何故、412年も差のある鈴木さんを救出出来たのですか?」

 

 ルカは再度コーヒーを一口飲むと、テーブルの上にカップを置いて上目遣いにウォンを見た。

 

「ウォンさん、あなたはフェロー計画というものをご存知ですか?」

 

「い、いえ。フェロー計画?何ですかそれは?」

 

「掻い摘んで申しますと、過去と未来にあるユグドラシルサーバを一つに繋げる技術のことです。私と鈴木悟は、その技術のおかげで出会う事ができました」

 

「掻い摘まれても困ります!一体どのような技術を使用して、初代ユグドラシルとユグドラシルβ(ベータ)が繋がるというのですか?!」

 

「グレン・アルフォンスが開発した、ブラックホールを使用する事による五次元間通信を利用した技術です。この機能により、恐らくは初代ユグドラシル・ユグドラシルⅡ・ユグドラシルβ(ベータ)が一つの世界として機能するようになる」

 

「ブラックホールですって?...そ、そんな話、私は聞いたことが....」

 

「ウォンさん、あなたも管理者なら分かるでしょう?現在でもあのサンタクララのアーカイブセンターで、ユグドラシルβ(ベータ)のサーバは稼働している。そうですね?」

 

「それは間違いありません。上からの命令でサービス終了したにも関わらず、セキュリティを強固にした上で稼働は止めないよう厳命されています」

 

「...どうやらあなたは何も知らないらしい。これ以上はあなたの命に関わるかもしれない。聞かないほうが身の為です。最後に一つだけ質問したい。よろしいですか?」

 

「な、何でしょう」

 

「(シャンティ)という言葉に、心当たりは?」

 

「シャンティ?...いえ、そういったものは聞いたことがありませんが」

 

「そうですか。今日はお時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。また後日お伺いするかもしれませんので、その時はよろしくお願い致します」

 

 ルカはウォンからタブレットPCを受け取りアインズに手渡すと、ソファーから席を立とうとしたが、それをウォンが引き止めた。

 

「ルカさん、鈴木さん、お待ちください。良ければ名刺をいただけますか?」

 

「電子名刺で良ければ、お渡ししますが」

 

「それで構いません」

 

 ウォンは自前のスマートフォンを懐から取り出すと、ルカ達に向けて差し出した。ルカとアインズはそのスマホに向けて、脳内で名刺データをウォンに転送した。ウォンはそのデータを確認すると、恭しく頭を下げた。

 

「ありがとうございます。アナログで申し訳ないですが、こちらが私の名刺になります。どうぞよろしくお願い致します」

 

 ウォンは白衣の内ポケットから紙の名刺を2枚取り出し、二人に手渡した。ルカとアインズが胸ポケットに名刺をしまうと、三人はソファーから立ち上がり、ウォンが扉の手前まで見送ってくれた。ルカがドアノブに手を伸ばした時、ふとウォンが質問してきた。

 

「ルカさん、その赤い瞳...とても綺麗です。バイオロイド広しと言えども、そのような瞳の色は見た事がない。カスタマイズされた義体ですね。差し支えなければ、型番を教えていただけませんか?」

 

「え?...ええ、別に構いませんが。クロムウェルバイオタイズシステム製 タイプ220型です。基礎設計は私が行い、クロムウェル社に製造を委託しました」

 

「ク、クロムウェルバイオタイズですって?!それにタイプ220型? 地球の軍用でも採用されていない、生体量子コンピュータ搭載の最新型じゃないですか!それをあなたが開発したと?」

 

「はい。何か問題でも?」

 

「いえ、こいつは驚いた。むしろ光栄と言わざるを得ない。今日はあなた達に会えて良かった。またの機会がありましたら、是非」

 

「ええ、こちらこそお時間を割いていただき、ありがとうございました」

 

 部屋の外には入ってきた時と同じく、黒服のゴツい二人が待ち構えており、レヴィテック社の入り口まで案内され、外に出た。大通り沿いに走るタクシーを捕まえ、高級ホテル・パッションへと戻ったルカとアインズは二人並んでドッとベッドに腰掛け、ため息をついた。

 

「どうだルカ、何か収穫は得られたか?」

 

「そうだねー、サーバ管理者であるウォンさんは、飽くまでレヴィテック社にとって様子見だったのかも知れないね。私達がどこまで知っているかを確認させるために」

 

「それは俺も感じていたが、まだファーストコンタクトだからな。それも仕方あるまい。今後の出方次第によっては...」

 

「うん、もっと上位の人間が出てくるかもね。しばらくは地球にいないとだめかもなあ。ミキとライルにも連絡しておかなくちゃ」

 

「しかし今時紙の名刺とは、アナログにも程があるな。あいつの役職、何ていうんだ?」

 

「知らなーい。見てみよっか」

 

 ルカは胸ポケットから名刺を取り出し、名刺の名前を見た。(レヴィテック社・新規開拓事業サーバ管理責任者 ウォン・チェンリー)という肩書と共に、メールアドレスと電話番号も書いてある。ルカはそれを見てアインズの目の前に掲げた。

 

「なるほどな。サンタクララの一件を知っていたのはこのためか」

 

「そうみたいねー。やたら顔色悪かったし、ポニーテールのサーバ管理者かぁ。ズボラそうで好みじゃないなあ」

 

「お前なあ、未来の旦那相手に選り好みを口にするのか?」

 

「冗談に決まってるでしょ?あたしが好きなのはアインズだけ」

 

「じゃあ、ほっぺにチューしろ」

 

「ほっぺじゃイヤ。こっち向いて」

 

 二人はキスをし、アインズがルカをそのままベッドに押し倒した。二人はスーツ姿のまま熱い抱擁を交わしていたが、ふとアインズはルカの左手に握られた名刺に目が行った。それを見てルカの口から顔を離す。

 

「おい、ルカ」

 

「なーに?スーツ脱ぐの面倒くさいの?」

 

「そうじゃない。その名刺、裏に何か書いてないか?」

 

「え?」

 

 アインズとルカは起き上がり、ベッドの縁に座り直して名刺の裏面を見た。そこには手書きでこう記されてあった。

 

”本日午前1時 クラブライズで。 ウォン・チェンリー”

 

 それを見たアインズとルカは顔を見合わせた。

 

「やっば、全然気が付かなかった。どういうつもりだろ?」

 

「分からん。が、しかし何らかの情報提供があると見て間違いないんじゃないか?」

 

「ちぇー、今日は二人でディナーでもと思ってたのに」

 

「我慢しろルカ。クラブライズの場所は分かるか?」

 

 不慣れなアインズの代わりに、ルカは瞬時に脳内のニューロンナノネットワークで検索をかけ、周辺地理をスキャンした。

 

「一件あった。空港のほうだね、サンノゼの近く」

 

「そうか、用心していこう。罠の可能性は?」

 

「個人が経営してるクラブだよ。ジャンルはハウスメイン。治安もいいし、問題ないんじゃないかな」

 

「念の為、ミキとライルも同行させよう。手配を頼む」

 

「分かった、レンタカー借りるね」

 

「私服を持ってきて正解だったな。四人で向かうとしよう」

 

 二人はホテル内のレストランで軽食を取り、ミキの運転で迎えに来たSUVに乗って一路サンノゼを目指した。深夜0時40分に到着し、駐車場に停めて4人は車を降りた。どこから調達したのか、ミキはコルトガバメントを、ライルはデザートイーグルを脇下のホルダーに収めている。アインズはプリントシャツの上から黒のカーディガンを羽織り、ルカは黒のタートルネックにブラックジーンズだ。

 

 駐車場の先を右に曲がり、サンノゼのメインストリートに入るとクラブライズの場所は一目瞭然だった。ラフな格好をした若者が十数人入り口でたむろし、重低音のサウンドが外まで響いてきている。入り口には何故か防弾チョッキを着た筋肉質なガードマン二人が、まんじりともせず仁王立ちしていた。入り口に着いたルカは、その身長195センチはあろうかという屈強なガードマンに笑顔で声をかけた。

 

「Good evening. I came to meet Won Chan Lee, will you let him go through?(こんばんは。ウォン・チェンリーに会いに来たんだけど、通してもらってもいい?)」

 

「What your name? (名前は?)」

 

「Luka Blaze(ルカ・ブレイズよ)

 

「Allright.Hold on (分かった、少し待て)」

 

 ガードマンは肩口に付けられたトランシーバーに確認を取る。受信用のイヤホンを耳で押さえながら、仏頂面のままルカを見下ろした。

 

「Do 4 people enter it? (4人で入場するんだな?)」

 

「Thats right. (そうよ)」

 

「Allright,come in.A dragoman waits in a bottom (よし入れ。下で案内役が待ってる)」

 

「Got it,thanks (分かった、どうもありがとう)」

 

 そしてルカ達4人はクラブへと通じる地下の階段を下っていった。降りれば降りるほど、ハウス特有の重低音サウンドが大きくなっていく。そして最下層の踊り場へつくと、左側に受付カウンターがあった。中にはブロンドの女性が訝しげな目でこちらを見ていたが、その時正面にある分厚い防音ドアが開き、中から黒服のスーツ姿の男が出てきた。ブラウンの髪をオールバックに整えた、どう贔屓目に見ても堅気には見えない男だ。その男は軽く会釈すると、ルカ達に声をかけてきた。

 

「ようこそクラブライズへ。奥でお客様がお待ちです。VIPルームへご案内差し上げます」

 

「Hey,You are good at Japanese.(日本語上手ですね)」

 

「恐れ入ります。ルカ様にはそのように対応するよう申し使っておりますので」

 

「そうなんだ、ありがとう」

 

「こちらになります」

 

 一歩中へ入ると、喧騒と雄叫びが木霊する混沌とした世界だった。バーカウンターで酒を飲み大はしゃぎする者、ダンスフロアで踊り狂う者も含め、300人規模の客がごった返す大箱だった。黒服の案内役を先頭にその客たちをかき分けて進み、やがてダンスフロア脇に設置されたチェーン付きの通路に通された。その通路の前にもゴツいガードマンが5人ほどおり、一般客の立ち入りを厳しく制限しているようだった。

 

 チェーン付きの通路を抜けてDJブースの下手を通ると、左手にまたしても分厚い防音ドアが目に入った。そこを抜けると20メートルほどの細長い廊下があり、最奥部に一つの白いドアが見えた。黒服の後を付いていき扉の前まで来たが、そこで黒服はルカ達4人の方を振り返った。

 

「こちらがVIPルームとなりますが、ここから先はルカ・ブレイズ様と鈴木悟様のみの入室が許可されております。お付きの方は扉の前でお待ちください」

 

「何で?別にいいじゃない4人で入っても。彼らは私達の仲間よ」

 

「ウォン様立ってのお願いでございます。どうかお聞き入れくださいませ」

 

「...はー。仕方がない、ミキ、ライル、ごめんね。外での見張りをお願い」

 

「了解しました」

 

「かしこまりましてございます、ルカ様」

 

 それを聞いた黒服は、首に下げたIDカードを扉脇の端末にかざすと、ロックが解除された。

 

「それではルカ様、鈴木様、中へどうぞ。ドリンク・お食事等何でもご用意させますので、御用の際は室内のインターホンをご使用くださいませ」

 

「分かった、ありがと」

 

 鋼鉄製の白いドアを開けると、VIPルームの中は20平方メートル程で意外にも広かった。壁は真っ赤に染まり、部屋中央には広いテーブルとベロアを使用したリッチなソファーが四角く取り囲んでいる。そして天井の四隅には小型のスピーカーが設置されており、今現在DJがプレイしている曲が程よい音量で聴こえてきていた。フロアの重低音はVIPルームには全く届かず、完全防音と言っていい仕様だ。右側壁面には、現在のフロアで踊る客たちの映像も映し出されている。

 

 その部屋中央のソファーに座り、悠々と酒を飲む長髪の男が目に入った。紺色のジャンバーを羽織り、下には穴の空いたジーンズという何ともラフな格好だ。髪に隠れて表情が伺いしれないが、ルカとアインズの姿を見ると、シャンパングラスを片手に立ち上がり、その男は深々とお辞儀をした。

 

「やあ、お待ちしていましたよ。今朝は色々と大変失礼をしました。どうぞこちらにおかけください」

 

 ルカとアインズは目を疑った。服装もそうだが、表情が見えないこの男がウォン・チェンリーだとはとても思えなかったからである。ルカはそれをそのまま口にした。

 

「あなた...本当にウォンさん?」

 

「もちろんですとも。あ、髪を下げてるから分かりにくいですかな? それじゃこうしたらどうです?」

 

 男はジーンズのポケットからヘアゴムを取り出し、髪をかきあげて後ろで縛った。その青白い顔は紛れもなく、ウォン・チェンリーその人であった。ルカとアインズは顔を見合わせ、大きくため息をついた。

 

「ウォンさん、こんなところに呼び出して、一体何の用なの?」

 

「まあまあ、つもる話もありますし、まずは一杯どうです?ここのお酒は美味しいんですよ。ささ、どうぞおかけになってください。あ、お腹空いてたら食事も用意できますから、何なりと仰ってくださいね」

 

「はーあ、何かよく分からないけど、とりあえず話だけでも聞こうかアインズ?」

 

「そうだな。罠でもなさそうだし、遠慮なくいただくか」

 

 ルカとアインズが向かいのソファーに腰掛けると、ウォンは氷の詰まったスチール製のバケツからシャンパンボトルを取り出し、用意してあったグラスに注いで二人の前に静かに置いた。

 

「それでは、まずは一献。今日お二人に会えた良き日を祝して、乾杯!」

 

「はいはい、かんぱーい」

 

「乾杯」

 

 ウォンはシャンパンを一気に飲み干したが、ルカとアインズは口をつける程度にしてグラスをテーブルに置いた。

 

「ウォンさんそれで? 何であたし達をこんなクラブに招待してくれたんですか?」

 

「ああ、そうですねまずはそれから話さないと。いやー何せ、社内では会話やデータ通信の全てが検閲されますからね。あなた達が名刺の裏を見てくれて良かった。このクラブのVIPルームは、通信回線どころか軍用のKU回線すらも一切遮断されますからね。だからあなた達をここにお呼びしたわけです」

 

「なるほど。それにしても随分と物々しい警備ですねこの部屋は。外にいるガードマンの連中も、とても堅気には見えなかったんですが、そういうコネをお持ちなんですか?」

 

「このクラブは私の古い友人が経営しているものでね。まあ平たく言えばマフィアな訳ですが、別にマフィアが経営しているクラブなんて珍しくもないでしょう?それにここは治安もいい。こう言った密談には最適の場所ってわけですよ」

 

「そこまでしたからには、昼間に話した話題とは別のものを聞かせていただけるんでしょうね?」

 

「...フフ、まだ気づかないようですね」

 

「気づくって、何を?」

 

 ウォンは飲み干したグラスにシャンパンを再度注いだ。

 

「まずはフェロー計画でしたね。ええ、もちろん知っています。そもそもフェロー計画そのものが、プロジェクト・ネビュラの一部であることも承知していますよ」

 

「では何故、あの場で知らない振りをしたんです?」

 

「言ったでしょう、レヴィテック社の社内は全て盗聴されていると。それに被験者であるあなた達二人が居なくなった今、プロジェクト・ネビュラよりもフェロー計画の方が重要視されている。軍にとっても、政府に取ってもね。だからあのようなアナログな方法を取らざるを得なかった。但し、プロジェクト・ネビュラ自体がなくなったわけではない」

 

「と、言うと?」

 

「あなた達二人がそのシャンパングラスを飲み干したら、お教えしましょう」

 

 そう促され、ルカとアインズはテーブルに置かれたシャンパングラスを手に取り、躊躇なく一気に飲み干した。するとウォンはシャンパンボトルを手に取り、二人のグラスに注ぎ足した。

 

「これでいいの?言っとくけどあたし、お酒強いから」

 

「結構。ではお答えしましょう。プロジェクト・ネビュラにより拉致監禁された者は、何もあなた達だけじゃない。他にも複数人いるということです」

 

「...何だと?」

 

 アインズは目を見開き、殺気を放ちながらウォンを見た。自分と同じ境遇の者がいる。そしてその者たちは、現実世界への帰還を望んでいるかもしれない。それを考えただけでアインズの腸は煮えくり返った。自分にはルカがいた。だから助かった。しかし他の者達は...。

 

 アインズの思いを汲み取ったのか、ルカは隣に座るアインズの右手を握りしめた。バイオロイド化したアインズがこの場で腕を一振りするだけで、ウォンの首は容易く吹き飛ぶだろう。しかし隣にはルカがいる。アインズに取ってそれは、(今は我慢して)というように受け取れた。アインズはルカを見つめ、大きく深呼吸してそれに耐えた。代わりにルカが言葉を継ぎ足す。

 

「複数人と言うけど、具体的なキャラネームとかは分からないの?」

 

「さあ、そこまでは。ただ、拉致されたのはあなた達だけではないという事実しか、今はお答えできません」

 

「ではそれは追々として、フェロー計画が重要視されている理由は?」

 

「世界政府と軍と契約した権利を、手放したくない為だと推測されます」

 

「つまり、あなたもフェロー計画に基づく五次元間通信については知っていると言うことでよろしいんですね?その開発に当たる権利を、レヴィテック社は手放したくないと、そう仰っしゃりたいのですね?」

 

「ユグドラシル開発のメリットは究極、そこにあります。過去から未来へと受け継がれる莫大な資産と利益を、弊社が逃すはずはありませんから。しかしそこへ、それを脅かす者達が現れた」

 

「資産と利益を脅かす者?それは一体?」

 

「...あなたですよ、ルカ・ブレイズ。そしてアインズ・ウール・ゴウン。あなた達二人が、レヴィテック社にとって最悪の存在となりつつあるのです」

 

 重い沈黙が流れた。扉の外にいるミキとライルには電波遮断のため、連絡がつかない。かと言ってアインズとの電脳通信もこの場では不可能だ。最悪、私がウォンを殺してこの場を立ち去るしかない。ルカはそう考えた。

 

「...一介のサーバ管理者であるあなたが、何故そこまで知っているんですか?」

 

「フフ、感じますよ。その凄まじい殺気。私を殺しますか?それでも結構。しかし、あなたはそれを一生後悔する事になる」

 

「どういう意味だ?...マジでこの場で今殺すぞお前」

 

「...クロムウェルバイオタイズ社製タイプ220型。確かにあなたと鈴木さんなら、私だけに留まらずここにいるガードと300人の客も全員皆殺しに出来るでしょうね。証拠も一切残さずに」

 

「だったらどうする?喧嘩売ってきたのはテメェだ。死ぬか?今」

 

「...ここまで話したのに、まだ気づかないんですか?“ルカお嬢さん“、それにアインズ殿。私ですよ」

 

 今にもテーブル越しに飛び掛かろうとしていたルカに迷いが生じた。聞き覚えのある口調、そしておっとりした態度。一度発した殺気が収まらないまま、ルカはウォンに質問した。

 

「...まさか、ノア?」

 

「そうです、ノアトゥン・レズナーですよ。ようやく気づいて頂けたようですね、飛んだオフ会になってしまいましたが」

 

 それを聞いたルカは腰が砕け、広いベロアのソファーに倒れ込んだ。ルカの殺気を感じていたアインズも緊張の糸が切れ、背もたれに上体を預けて眉間を指で摘んだ。その様子を見てノアトゥンはケタケタと笑う。

 

「驚かせてしまい申し訳ない。リアルのあなた達が本気かどうか、試させてもらいました。さあ、お嬢さん、アインズ殿、改めて乾杯しましょう」

 

 それを聞いてソファーから跳ね上がるように飛び起きたのは、ルカだった。

 

「っっっざっけんなよノア!!本当に殺す所だったぞ!!」

 

「分かっています。あなたの仲間を思う大切な気持ち、身に染みました。嬉しく思いますよ」

 

 アインズも上体を起こして、深くため息をつくとノアトゥンを睨みつけた。

 

「まさか今までの話に嘘はないだろうな?ノアトゥン」

 

「当然です。あなた達がいつまで経っても切り札を出さないから、遠回しにお伝えするしか手がなかったのです」

 

「何よ、その切り札って?」

 

「お嬢さん、分かっているでしょう? サードワールドですよ。あのプログラムが他社の手に渡ることを、レヴィテック社は最も恐れている。自らの権限も資産も失いかねない要因ですからね。そしてお嬢さんは、そのプログラムを手に入れる一歩手前の所まで辿り着いた」

 

「あー、はいはい。それでようやく話が繋がったよ。別に私は権利も財産にも興味ないからね?ただユグドラシルを極めたいだけ」

 

「もちろんです。それが分かっているからこそあなた達に同行したのです。これでやっと本題に入れます」

 

「本題? ちょっと待って、私何か疲れちゃった。テンション上げないと。ドライマティーニ頼んでくれる?」

 

「俺もだ。何でもいいからシェリー酒を頼む」

 

「フフ、すぐに持ってこさせるよう手配します」

 

 そう言うとテーブルの上に置かれたインターホンを手に取り、ノアが注文した。

 

「私だ。ドライマティーニとモスカテルを大至急持ってきてくれ。あとツマミもいくつか頼む。ああ、それは任せる。以上だ」

 

 ノアがインターホンを切ったあともルカとアインズはぐったりしていたが、5分もしない内に先程の黒服がドアをノックして、VIPルームに入ってきた。

 

「お待たせしましたウォン様、ドリンクと自家製チーズ・ジャーキーに、サーモンのソテーをお持ちしました」

 

「ありがとう。マティーニはお嬢さんに、モスカテルは旦那さんに頼む。ツマミは適当に並べてくれ」

 

「畏まりました、ウォン様」

 

 黒服は慣れた手付きでテーブルに並べ、一礼して部屋を出ていった。ルカとアインズはグラスを手に取り、ノアを一瞥した。

 

「旦那さんって...私達まだ結婚してないんだけど?」

 

「まだ、でしょう?これから結婚するんです。その前祝いも兼ねて、パーッとやりましょう」

 

「何でそんな事が分かるの?」

 

「それはお二人の空気を見れば分かりますよ。さあお嬢さん、アインズ殿、今度こそ本当の乾杯と行きましょう」

 

「まさかノアだったなんてねー、何かショック」

 

「お前、酒好きなんだな」

 

「ええ、大好きですよ。それではお二人の前途を祝して、カンパーイ!」

 

 テーブルの中央でグラスをぶつけると、ルカとアインズはグラス半分ほどを飲み干した。

 

「かー!効くねーこのクラブのお酒!」

 

「このシェリー酒、甘いが相当に度数が強いぞ」

 

「ちょっと飲ませてアインズ」

 

「お前のドライマティーニも飲ませてみろ」

 

 ノアトゥンはテイスティングする二人の様子を見て、微笑ましい表情を浮かべていた。そうして酒も進み、二人はようやく聞く体制に入った。

 

「はー、何だか落ち着いた。アインズは?」

 

「うむ、俺も疲れが取れた」

 

「結構です。それではお二人共、今回お呼びした本題に入ってもよろしいですか?」

 

「いいよー。明日には忘れちゃってるかもだけど」

 

「俺もだぞノア、覚えきれる自信がない」

 

「大丈夫です。お二人共仮にもクロムウェルバイオタイズ社製のバイオロイド。どんなに酔っても記憶には刻まれるはずですから」

 

「それは重要事項なんだよね?」

 

「ええ、見方によっては。これからお話するのは、あなた方お二人にも以前少しお話した、六大神にまつわる話です」

 

「と言うと、600年前の話だよね?」

 

「そうです。しかしそれを説明する前に、ユグドラシルというサーバがどのように構築されているか、あなた達二人だけにお話する必要があります」

 

「...フン、ここへ来てようやく本題らしくなってきたな。聞かせてもらおうか」

 

「ええ。アインズ殿やお嬢さんの転移にも深く関係する話ですので、重々承知の上お聞きいただきたい」

 

 ノアトゥンはシャンパンを一口飲むと、グラスをテーブルに置き前かがみに手を組んだ。

 

「まずユグドラシルのサーバ構成に関してですが、大きく分けて7層のサーバから成り立っています。その内訳は、600年前・500年前・400年前・300年前・200年前・100年前・そして現代です。一番サーバ容量が大きく高速なのが、プレイする上でメインとなる現代のサーバとなります。ここまではよろしいですか?」

 

 アインズはそれを聞いても理解出来ず、眉間に皺を寄せ首を傾げたが、ルカはドライマティーニを一口飲み、冷静に状況を分析していた。

 

「つまり、現代を除く6つのサーバは、互いにミラーサーバとして機能しているって事?」

 

「その通りです、察しが早くて助かる。この仕様は初代ユグドラシル・ユグドラシルⅡ・ユグドラシルβ(ベータ)全てのバージョンで共通化されています」

 

 頭を抱えていたアインズは、シェリー酒を飲み干すとテーブルの上にグラスを叩きつけた。

 

「...待て待てノア!意味が分からん。もっと分かりやすく噛み砕いて説明してくれ」

 

「アインズ殿、分かりました。例えば六大神である私は、ユグドラシル内で600年前から存在した事になっている。しかし私は、西暦2223年7月29日にユグドラシル

Ⅱの世界から転移してきた。つまり、単純にユグドラシル内での600年前の原初であるサーバに転移したのです。そしてその歴史は、残る6つのサーバに全て反映され、現代のサーバに伝承として残っているわけです」

 

「それならば、2138年にサービスが終了した初代ユグドラシルの歴史に、2223年の未来であるユグドラシルⅡから転移したお前を含む六大神の名前が残っているのは、何故なんだ?」

 

「それこそが、ユグドラシルに隠された機能である、リフレクティングタイムリープを使用した五次元間通信なのです。例えば600年前のユグドラシルサーバで、私がAという人物を殺したとします。するとその情報はリフレクティングタイムリープ機能により、ユグドラシルが存在する2138年・2223年・2350年と全ての年代で共有化され、Aという人物は死んだことになる。

 そしてその歴史は全ての時代の500年前・400年前・300年前・200年前・100年前・現代と、上位にある6つのサーバ全てに反映され、全ての年代でAという人物が死んだという歴史が残る。古い年代のサーバから順に、螺旋構造で新しい年代のサーバへと歴史が書き換えられていく、そういう仕様なんです。簡単に言うと、下から上へ登っているわけですね。これがミラーサーバです」

 

「なるほど、そこまで言われて理解出来た。要はその技術を確立させようとしているのが、レヴィテック社なんだな?」

 

「確立ではなく、全世界で独占しようと企んでいるはずです。現在プロジェクト・ネビュラ及びフェロー計画を統括管理しているのは、レヴィテック社内でもその存在すら知られていない、クリッチュガウ委員会という12名から成る役員たちです」

 

「クリッチュガウ委員会?!アインズ、それってまさか...」

 

「ああ、テスクォバイア地下遺跡で倒したリッチ・クイーンが最後に言い残した言葉だ。...まさかお前、そのクリッチュガウ委員会とやらの手先なのか?」

 

「そうです。モノリスに接近した際、例外なく強大なモンスター及び世界級(ワールド)エネミーが出現したのを覚えているでしょう?あれはお嬢さんとアインズ殿がモノリスと接触するのを防ぐ・もしくは排除する為に、クリッチュガウ委員会がカスタマイズして開発した、規格外に強力なレイドボス達です。彼らはそのモンスターの事を、ゲートキーパーと呼称していました。

 そして彼らはモノリスの事を、オーソライザーとも呼んでいる。彼らはオーソライザーの消去を試みましたが、ブラックボックスであるメフィウスが生成しているため、プロテクトに阻まれて破壊は不可能だった。そこで私は彼らの密命を受け、各地の調査を行いながら、危険分子であるルカお嬢さんとの接触を図った。ユグドラシルから現実世界へと帰還した者たちを彼らはアノマリーと呼称し、その存在自体を消したがっている。...大変申し上げにくいのですが、隙あらばあなた達二人を殺せと、私にも命令が下っていました」

 

「何故それをしなかった?俺たちを殺せるタイミングはいくらでもあったはずだ。カルネ村は元より、アーグランド評議国でも、スレイン法国でも」

 

「もしあなた達の肉体が地球にあれば、何の躊躇もなくレヴィテック社から暗殺部隊が送り込まれ、二人はあっけなく死亡していたでしょう。しかしルカお嬢さんとアインズ殿の身柄は、国営企業であるブラウディクス・コーポレーションの名の元に厳重に保護されていた。そしてお二人が地球におらず、遠く離れたアルファケンタウリ星系にいるとなれば尚更です。

 当然ながらテラフォーミングは弊社の管轄外だ。おまけにあなた達がユグドラシルβ(ベータ)接続の際に使用している強固なVCN回線のおかげで、ネット経由での攻撃も不可能と来ている。過去に起きたブラウディクスとの訴訟のせいで、あなた達二人のアカウントをブロックする事は世界政府から正式に禁止されている。となれば、ゲーム内であなた達二人の息の根を止めるしかないと、クリッチュガウ委員会は考えたわけです」

 

「...お前がそこまで知っているとは驚きだが、質問をはぐらかすな。俺が聞きたいのはそんな事じゃない。お前が今話した内容は、全部そのクリッチュガウ委員会とかいう会社の都合だろう?そんな事を聞きたいんじゃない。何故俺達を殺さなかったのか、お前自身の意思を俺は聞きたいんだ。さっさと答えろ」

 

「ええ。その理由は、突如世界各地に現れたモノリスです。あれはクリッチュガウ委員会に取っても予想外の出来事でした。何せコアプログラムであるメフィウスが自動生成しているんです。クリッチュガウ委員会ではメフィウスの事を、聖櫃と呼称しています。そしてそのプログラムには、開発者であるグレン・アルフォンスしかアクセスできないよう、巧妙に何重ものプロテクトがかけられていました。

 私は急遽彼らの命により、現状を把握するためユグドラシル内にダイブし、各地の調査を行いました。すると今まで私の知らなかった事実が、次々と明白になっていったのです。フェロー計画の事を知ったのもその時が初めてでした。...私は利用されている。そんな疑念を持ち始めた時に出会ったのが、殺せと命じられていたアノマリーであるあなた達二人だった。行く先々でお二人の後をつけ、時には同行しましたが、まるで導かれるようにルカお嬢さんとアインズ殿はモノリスへと辿り着き、核心に迫っていった。あなた達二人と接触を続けるうちに、私はクリッチュガウ委員会の薄汚い欲望からこのユグドラシルを開放してくれるのではないかと、希望を持ったからです」 

 

「そのクリッチュガウ委員会だが、どこからか常にユグドラシルを監視しているのか?」

 

「以前にも少しお伝えしましたが、彼らは奈落の底(タルタロス)と呼ばれる、ロストウェブ内にある隔離されたフィールドから我々とユグドラシル内の状況を監視しています。彼らの手先である私の行動も、彼らによって逐一検閲されている。だからゲーム内では詳細をお伝え出来ず、こうしてリアルで直接接触する必要があったのです。お嬢さん、私の送った空メールはご覧になりましたか?」

 

 それを聞いて、ルカは驚いたような顔で大きく目を見開き、ノアを見た。

 

「...あのメール送ったの、君だったの?」

 

「ええ。あれはダークウェブにある匿名メールサービスのアカウントです。いざとなればあのメールアドレスを使用して、私からお嬢さんへ連絡を入れる予定でした」

 

「よく私のメールアドレスが分かったね? そもそも社内でも私の存在は機密事項になっているし、プロキシマbのVCNセキュリティは鉄壁だから、ハッキングでユーザーアカウントを除き見る事も不可能なはずよ?」

 

「ええ、あの防壁には私も手を焼きましたよ。しかしそれはプロキシマbのみでの話。穴は地球にありました」

 

「つまり、ブラウディクス本社にハッキングを仕掛けたって事?危ないから止めといた方がいいよ」

 

「当然足のつくような真似はしませんでしたが、社内メールアカウント一覧を見ても、お嬢さんらしきメールアドレスはどこにもなかった。つまりネットから切り離された、ブラウディクス社のローカルサーバに隠されていると分かったのです。そこでこのクラブオーナーであるマフィアの伝手を借りて、ブラウディクス社の上級社員と接触しました。彼に金を握らせ、ブラウディクス本社内部からローカルサーバにアクセスしてもらい、ルカお嬢さんのメールアドレスをゲットしたという訳です」

 

 淡々と話すノアトゥンの説明を聞き終わり、ルカは唖然とする。

 

「げ...思わぬ盲点。あとで本社に機密保持が甘いと警告しておかなきゃ」

 

「ハハ、国営企業と言えども所詮人は人。口の軽い人間も中にはいるという事ですよ」

 

「そこまでして私達と会いたかった理由って何?さっき話してくれた、クリッチュガウ委員会やユグドラシルサーバの秘密以外で、他に何かあったの?」

 

「...ええ。私がクリッチュガウ委員会を裏切るということは、言い換えれば古巣のレヴィテック社からブラウディクス・コーポレーションへ寝返ると言う事。これからお話するのは、その要因となったある事件があったからです。あなた達にユグドラシルを託したいからという理由に嘘偽りはありませんが、それは飽くまで綺麗事、付け足しに過ぎません。どうかそのつもりで、聞いていただきたい」

 

 ノアトゥンの顔に影が落ち、真剣な眼差しだけをただ二人に向けていた。ルカとアインズはそれを察し、手にしたグラスをテーブルの上においてソファーに座り直し、聞く体勢に入った。

 

「それは、ユグドラシル内での話?」

 

「厳密に言えば、ゲーム内とリアル双方での話です」

 

「...気になっていたんだがノア、お前は西暦2223年7月29日の、ユグドラシルⅡサービス終了と同時に転移したと言ったな? ゲーム内で流れる時間は現実世界と同一、そして今は西暦2552年だから、少なくとも329年は生きている事になる。つまりはお前も...」

 

「はい、アインズ殿。お察しの通り、私も電脳化されたバイオロイドです。最も、あなた達のような高性能かつ戦闘用の素体と比べたら、極々チープなものですが」

 

「なるほどな。別段驚きもしないが、これでようやく線がつながった。話を続けてくれ」

 

「付け加えておくと、クリッチュガウ委員会の要請により、半ば強制的に電脳化・バイオロイド移植の措置が取られましたので、どうかそのおつもりで。お伝えした通り、私は西暦2223年にダークウェブユグドラシル内へ転移した訳ですが、その時の私の職務はサーバ管理者ではなく、もっと別の事を生業としていました」

 

「というと?」

 

「つまり六大神とは、ユグドラシル内を管理する為に派遣された、GMの総称だったのです。私はその一人、火神・ノアトゥンレズナーとして、当時職務を遂行していた」

 

「!! ...お前がユグドラシルの、ゲームマスターだと?」

 

「...それ本当?ノア」

 

「...ええ、本当ですよアインズ殿、ルカお嬢さん」

 

 重い沈黙が流れた。それに耐えかねたのかノアは立ち上がると、テーブル脇にあるパワーアンプのボリュームを下げて、室内に流れるBGMの音量をゼロにした。そして再びソファーに腰掛ける。耳鳴りがするほどの静寂の中、アインズはゴクリと固唾を飲み、質問を返した。

 

「具体的には、何をしていたのだ?」

 

「ゲームバランス全体の調整です。主にモンスターの配置やAI動作プロトコル・バグ修正、デフォルトとして配置されている地形や都市の管理、武技・魔法の追加とその威力調整等を行っていました」

 

「ユグドラシルⅡのサービスが終了してから329年経つわけだが、今でもお前はGM権限を持っているのか?」

 

「いいえアインズ殿。一部は残されていますが、今のユグドラシルは基本的に、クリッチュガウ委員会の直轄管理下に置かれています。私が現在持っている権限は、プロジェクト・ネビュラ内で自由にログイン・ログアウト出来る事と、隔離されたタルタロスに転移門(ゲート)で飛べること、過去に六大神として使用したキャラデータをそのまま使用できるアカウント権限、それだけです。ユグドラシルその物のデータ改編等の権利は、全て剥奪されました」

 

「なるほどな。つまりお前は現在クリッチュガウ委員会の諜報員...スパイという訳だな?」

 

「その通りです」

 

「原初である600年前のサーバでゲームバランスの調整を行えば、その上位にある6つのサーバ全てに位階魔法等の影響を与える。だからノアを含む六大神のGM達は、最も古い600年前のサーバに転移させられた。これで合ってるよね?」

 

「ええ、お嬢さん。その認識で合っていますよ」

 

「その六大神はユグドラシル内での500年前、八欲王によって全員殺されたとお前も言っていたな。つまり2223年から数えれば、100年後の2323年に死んだことになる。これに関してはどう説明する?」

 

「順を追って説明します。2223年ダークウェブサーバに転移させられた当初、我々GMも自らの意思でログアウト出来ない仕様となっていました。この事実を知ったのは転移した後の事です。事実上の会社による軟禁ですね。しかしあの転移の直前、たった一人だけログインしていないGMがいました。それが六大神最後の生き残りとされている、死の神・スルシャーナだったのです。これを念頭に置いておいてください」

 

「つまりそれは言い換えれば、お前達六大神のGMもプロジェクト・ネビュラの被験体となったわけか」

 

「そういう事になります。死の神スルシャーナを除く我々土神・水神・火神・風神・光神はその事実に憤慨しながらも、GMとしてある程度の安定した成果を残せば、会社側もログアウトのプロテクトを解いてくれるだろうと信じて、日々ゲームバランスの調整に勤しみました。しかしバックアップ要員としてその様子を外部からモニター・トレースしていたスルシャーナは、会社側の陰謀に気付き、強制ログアウトを実行しようとしました。しかしその行いを会社側に察知され、本人も強制的にユグドラシル内へと転移させられた後、我々の元に現れました。それを聞いて不安に駆られながらも、仕方なく我々は日々GMとしての職務を全うしてきたのです」

 

「2223年に転移する前、つまりユグドラシルⅡが発売された2210年からも、六大神はGMとして活動していたんでしょ?その時点で、事前にプロジェクト・ネビュラの事については知らされていなかったの?」

 

「当然何も知らされていませんでした。そういう意味では、サービス終了と同時に強制転移させられたあなた達と、さほど状況は変わらなかったという事ですね」

 

「...なるほどな。お前達六人も俺達二人と状況が同じなのは大体分かった。それで、お前達が生きた600年前から500年前の100年間に、一体何が起こったんだ?」

 

「前述した通り、各地へのモンスター配置や魔法の強弱等を調整し、よりプレイヤーが楽しみやすい環境を作ろうと苦心していました。我々六大神は、ユグドラシルⅡ発売当初から長年チームを組んでいたと言う事もあり、信頼と結束が固かった。気心の知れた仲間だったんです。だから争い事も起きなかったし、お互いの意見を尊重できた。そうしてフィールドやダンジョンの調整も洗練し、バグも殆ど除去され完成してきたある日、ユグドラシル内で異常が発生しました」

 

「どんな異常だ?」

 

 そこでノアトゥンはテーブルに置かれたシャンパングラスを手に取り、一気に飲み干してまた注ぎ足した。

 

「我々六大神がジェネレート出来ないような、規格外に強いモンスターが世界各地に突如発生し始めたのです。それこそ、プレイヤーが多数いても倒せないような強力なモンスター達でした。それ以外にも、我々が設置した初心者ゾーンのレベルも底上げされ、とても初心者では太刀打ちできないようなモンスターがポップ(出現)し始めたのです。予期しない出来事を受けて、我々六大神はGM権限を行使し、その駆除に乗り出しました。しかしいくら消去しようともそれらが止まることはなかった。AIプロトコルのバグかと思い再度精査し直しましたが、どこにも異常は見当たらなかった」

 

「クリッチュガウ委員会が設定したという疑惑は?」

 

「いいえ、それもありません。第一我々はログアウト出来ませんでしたが、GMコールにより上層部に報告義務があった。それにより問い合わせたところ、クリッチュガウ委員会でもそのような事は一切行っておらず、想定外の事態だということが判明しました。その時出現したのが、今で言う竜王や世界級(ワールド)エネミーだったのです。それどころか、当時繁栄を極めていた人間種(ヒューマン)の住む城や街・集落に対し、彼らは徒党を組んで攻撃し始めた。セーフゾーンとして設定してあるにも関わらず、です」

 

「600年前、人間種(ヒューマン)の人口が激減したという史実は、本当なのね?」

 

「ええ。それを見て我々は結論付けた。これはユグドラシルのコアプログラムであるメフィウスが自動生成しているのだとね。しかし当時六大神はメフィウスやユガといったAI制御プログラムがあるという事実を知らされていなかった。そして我々GMにもコアプログラムへのアクセス権はない。このままでは人間種そのものが絶滅し、ゲームバランスが崩壊してしまうと考えた六大神は、急遽スレイン法国を建国し、そこに人間種を匿えるようGM権限の強力なセーフゾーンを設定しました。

 その上で六大神を各地に派遣し、ただのNPCに無駄だと分かりつつも、亜人を率いていた竜王達との対話を試みた。すると驚いたことに彼らは人語を解し、まるで自我があるかのように返答を返してきたのです。そこで交渉が始まり、食料やアイテム等の対価を与える代わりに、人間種を攻撃しないでほしいという条件を提示しました。彼らはそれを飲み、一方的な攻撃はしないと約束してくれました。話してみれば、彼らは非常に友好的だった。そこから六大神と竜王達との交易が始まったのです」

 

「それで一応の平和は保たれたと言う事ね。人間種(ヒューマン)の人口は回復したの?」

 

「ええ、ある一定以上は。ただスレイン法国も人口過密になってきた事を受けて、人間種(ヒューマン)は外に出て新たな街を続々と建設していき、再び繁栄の一歩を踏み出した。それがさらに大きくなり、現在のエ・ランテルやリ・エスティーぜ王国、バハルス帝国等を建国する礎となり、我々六大神の想像を遥かに超えて進化を遂げていきました」

 

世界級(ワールド)エネミーへの対処はどうなったんだ?」

 

「いえ、彼らはGM権限でも消去を受け付けませんでした。複数箇所に点在していましたが、基本的にその場から動く事もなく、全て街や国からかなりの距離があったという事もあり、とりあえずは様子を見ようと言うことで放置しました」

 

「その後はどうなったの?」

 

「モンスター達も、主にトブの大森林・アゼルリシア山脈・カッツェ平野・アベリオン丘陵へと大きく棲み分けがなされ、予め設定された冒険者組合から輩出された冒険者の活躍もあり、街道沿いに巣食うモンスター達の駆除も定期的になされる事により、各国の貿易も盛んになっていきました。プレイヤー達にとっても、レベル上げをしたければモンスターの生息地に乗り込めばいいだけの事。それを見て安心した我々六大神はギルドを結成し、スレイン法国を拠点にGMとして竜王達と連携を取りながら、各国を監視していました」

 

「その時には、ツアーもいたの?」

 

「ええ、お嬢さん。ツァインドルクス=ヴァイシオンは竜王(ドラゴンロード)の中でも筆頭格で、高い理性と知識を豊富に持っていましたからね。我々六大神とも仲が良かった。彼等にしか使用できない始原の魔法(ワイルドマジック)の存在を知ったのも、その時です」

 

「何故竜王達は当初、人間種(ヒューマン)を襲ったんだろうな?」

 

「ご存知かとは思いますが、人間種(ヒューマン)は数多ある種族の中でも、非常にバランスの取れた優秀な種族です。ステータスと職業を特化すれば、いくらでも強力なキャラクターに成長する可能性を秘めている。それこそ竜王にも対抗できるほどのね。その人間種(ヒューマン)が大陸全土に溢れており、突如現れた竜王達に徒党を組めば、あっという間に狩り尽くされてしまうと彼らは危惧したのでしょう。それを恐れての先制攻撃だったかと思われます」

 

「私も昔人間種(ヒューマン)の神聖職でプレイしてた時期があったからね。それはよく分かるよ」

 

「これでゲームとしての体裁は整った訳だ。その後はどうなった?」

 

「ユグドラシルの冒険者やプレイヤーにさらなる楽しみを与える為、規格外に強い武器や防具・アクセサリー...つまり、世界級(ワールド)アイテムを生成し、厳しい条件を乗り越えられた者にのみそれらが手に入るよう新たに設定しました。元々世界級(ワールド)アイテムはデフォルトで各地に散らばっていたのですが、数が少なすぎるということで六大神が新たに設計し、追加したものとなります。例えば私が着ている絶死断魔裝もそのうちの一つです」

 

「と言う事は、新たに生成されたアイテムもRTL機能によって各時代に共通化されるという事か。道理で俺が見たことがあるわけだ」

 

「基本全ての要素がRTL機能によって、2138年・2223年・2350年と、全ての時代で共有化されると見ていいでしょう」

 

「話を聞いてる限り、六大神同士の歪み合いもなかったみたいだし、平和そうじゃない」

 

「その間約50年です。私達六大神はその間、ログアウトできる日をずっと夢見ながら、お互いを励まし合い生き続けた。しかしGMコールでその事を上層部に聞いても、何も答えてはくれない。来る日も来る日もゲームバランスの調整と監視の日々。そして100年が経とうという頃、突如何の前触れもなしに、国の南に謎の国家が出現したのです」

 

「スレイン法国から南?それってもしかして...」

 

「そう。八欲王の空中都市・エリュエンティウです」

 

 アインズはそれを聞いてモスカテルを一口飲み、テーブルに体を近づけて前のめりになった。

 

「突然と言ったが、建国の素振りもなしにか?街の建設にはある程度時間がかかる。普通なら気づくはずだが」

 

「そうです、全くの前振りなしにです。まるでその場にジェネレートされたかのように、一瞬にしてそこに国家が現れた。GM権限で閲覧できる大陸全体のマップが異常を感知し、アラートを出したことで六大神達は初めて気が付いたのです」

 

「当然、警戒のための偵察は出したんだろうな?」

 

「もちろんです。その結果、驚くべき事が分かりました。出現したばかりだというのに、エリュエンティウ城門前には既に約5万の兵が待機しており、北に向かって進軍中との報告を受けました。そしてそれを指揮しているのは、騎乗した七人の男性と一人の女性と言う事も。我々はそれを明らかな敵対行動と見なし、街を守るべくすぐさま同数の兵を招集し、スレイン法国の南へ向けて進軍を開始しました。そして軍同士が鉢合わせ、遂に戦端が開かれた。こちらの犠牲を極力抑えるために、まずは我々六大神が前線に立ち、超位魔法を使用して敵の兵士をほぼ全滅させた後に、我が軍の突撃命令を出しました」

 

「...その騎乗した八人が、八欲王で間違いないんだな?」

 

「そうです。彼らは超位魔法を使われる事を分かっていたかのように後方で待機し、自軍が全滅した後も悠々とこちらへ近づいてきました。そして思いもよらぬ事が起きた。突撃してきたスレイン法国軍を見て、彼ら八人の周りに立体魔法陣が浮かび上がった」

 

「...同じ超位魔法、プレイヤーという事だね」

 

「ええ、一瞬でした。凄まじい大爆発が起こり、5万いた我が軍は見るも無残に吹き飛ばされ、影も形も残らなかった。それを見た我々六大神は覚悟を決め、お互いに連携を取りながらその八人を各個撃破するために突撃しました」

 

SK(集中攻撃)は基本だからな。それに6対8か、プレイヤースキルにも寄るが、勝てる見込みは十分ある」

 

「アインズ殿、こう見えても私達六大神はアップデートされた武技や魔法をテストする為、毎日のようにPvPを重ねてきました。GvG(Group vs Group)という観点に置いても、人一倍の技量は備えているつもりです。そして、GMのみが使える特殊な魔法も存在しました」

 

「ほう、どのような魔法だ?」

 

(ムエルト)という貫通属性の即死攻撃です。これを使えば、どのようなNPCもプレイヤーも一瞬でキルできるという魔法ですが、何故か彼らには一切通用しなかった」

 

「その魔法、今でも使用できるのか?」

 

「いえ、今はもう使えません。ともかくそれを受けて八欲王達は馬から降りて抜刀し、同じくこちらへ突進してきた。私達は懸命に応戦しましたが、その内の後方に控えていた一人が、手に分厚い一冊の本を手にし、何かを書き込んでいる事に気が付きました。そして書き終えるたびに、我々が聞いたこともないような補助魔法を八欲王達にかけていた。その度に驚異的な攻撃力とスピード・防御力に跳ね上がり、最早手の施しようがないほどにまでパワーアップしていった」

 

「本だと?そのような武器は聞いたことがないが、世界級(ワールド)アイテムの類か?」

 

「その時点では謎でした。そこで六大神はターゲットを変更し、その本を持つプレイヤーに徹底的な集中砲火を浴びせ、手にした本を奪うことに成功したのです。幸いまだ被害も出ておらず、皆懸命に持ちこたえていましたので、私は一旦街へ退却するよう指示を出し、上位転移(グレーターテレポーテーション)を使用して一時撤退しました。そしてGMのみが入室を許可される地下の管理エリアに立て籠もり、六大神全員でその本の内容及びアナライズ等の調査を行ったのです」

 

 ノアの実力は知っている。他の六大神達のプレイヤースキルもノアと同等かそれ以上だろう。そのGMたる彼らが大苦戦する相手。話を聞きながらルカは脳の中でその状況を自然とシミュレートし、脳内で共に戦っていた。そして喉がカラカラに乾いていたルカは、テーブルに置かれたマティーニを一気に飲み干し、喉を潤した。それを見たノアは新たなシャンパングラスを出し、その中に注いでルカに差し出す。

 

「それで、その本の事について何か分かったの?」

 

「その本には三重の封印が施されていたのですが、戦闘中に奪ったこともあり、本の封印は解けていましたので、我々でもその中身を見る事ができた。そこには、この世にある全ての魔法が書き記されてあり、それと付随してユグドラシル本来のものではない、規格外に強力な魔法までもが付け足されていた」

 

「三重の封印?それに分厚い魔導書だと?それはまさか...」

 

「...そうです、アインズ殿も一度目にした事があるでしょう? 無銘なる呪文書(ネームレススペルブック)ですよ。当時我々GMでさえも知らないそのようなアイテムを持っているプレイヤーに対し、彼らはチーターであると結論付けました。この事を上層部にGMコールで通報し、すぐさま八人のプレイヤーアカウントを凍結するよう通告しましたが、GM権限を全て駆使してこちらで対処しろという命令が下されたのみでした。 仕方なく我々六大神はその対策に向けて話し合った。敵から奪った無銘なる呪文書(ネームレススペルブック)を逆用し、更に強力な魔法を新たに上書きして反撃しようという案も出ましたが、もしGMである六大神がそこに新たな呪文を書き込めば、その歴史は500年前から現代のサーバにまで全て反映されてしまう。我々GMにはユグドラシルというゲームバランスを保つという責務がある以上、その案は却下となりました。もしそれをすれば、ユグドラシルというサーバそのものが崩壊しかねないからです」

 

「なるほどな。もしそこに、(大陸全土の全生命体を滅ぼす)呪文なんて書けば、それは有効になるんだろうか?」

 

「さあ、そこまでは我々も試していないので、何とも言えません。しかしその可能性すらあるほど、位階魔法の法則を捻じ曲げる汚いチートアイテムであったことは間違いありません。あの書物が今現在も残っているという事が、私は不思議でなりません。本来であれば真っ先に削除対象となるべきアイテムですから」

 

「その書物は破壊できなかったの?」

 

上位道具破壊(グレーターブレイクアイテム)を使用しても、GM権限でのデリートを試みても全く破壊不可能でした。我々が頭を悩ませていた、その時です。地上で何かの大爆発が起きました。慌てて外に出てみると、スレイン法国の街に彼ら八欲王が侵入し、超位魔法を使用して無差別に破壊行為を繰り返していました。六大神はそれに応戦するため、致し方なくGM権限である無敵化を使用して彼らに立ち向かいました。

 しかし戦闘が始まると、驚いたことにGM権限の無敵化を貫通して、彼らの攻撃が通るのです。我々は混乱しつつも、連携を取りつつ懸命に応戦しましたが、彼らのHPは規格外に高く、防御力も非常に固かった。全く歯が立たなかったんです。長期戦の末、一人、また一人と死亡し、遂には私とスルシャーナのみが残された。私達二人は転移(テレポーテーション)転移門(ゲート)を併用して、咄嗟に街から脱出しました。しかし追い付かれるのも時間の問題です。スルシャーナは懐から一つの赤いデータクリスタルを取り出すと、私にこう言いました。(絶対に助けるから、私を信じて持ちこたえて)と。そして彼女はデータクリスタルを使用すると、その場から一瞬にして姿を消しました...」

 

「帰還用のデータクリスタルを使用したのか。それにしても彼女? 死の神スルシャーナとは、女性だったのか?」

 

「...そうです、私のフィアンセでした。トブの大森林へと逃げ込んだ私は、北へ向かって距離を取るべく必死に逃げましたが、すぐに追いつかれました。恐らく発見探知(ディテクトロケート)を使用したのでしょう。私は彼女の言葉を信じ、時間を稼ぐため、徹底して移動阻害(スネア)系の魔法を多用し距離を取ったあと、超位魔法まで使用して何とか逃げ切ろうと図りましたが、無駄に終わった。そして遂にHPが死ぬ間際になった時、私は自分に対し咄嗟に仮死化の魔法をかけ、死を装った。手練のプレイヤーであればそこで油断せずにとどめを刺す所ですが、彼ら八人は私の死体を見て満足し、その場を立ち去っていった。その事から、彼ら八欲王はユグドラシルプレイヤー歴が浅いと悟ったのです。そして意識が遠のき目が覚めると、私は何かの保存カプセルの中で横たわっていた」

 

「それで歴史ではお前が死んだことになっているということか。しかしギリギリの所で、現実世界に帰還できたわけだな」

 

「はい。スルシャーナ...メリッサがただ一つ持っていた帰還用データクリスタルを使用し、端末を使用して私を強制ログアウトさせてくれたのです。私達は再開を喜び、熱く抱擁を交わしました。そしてその時点で、私もメリッサも電脳化しており、体もバイオロイドに移植されていると分かりました。それが100年後、つまり2323年の事です」

 

 悲しそうに目を落とすノアを見て、ルカはシャンパンボトルを手に取りノアのグラスに注ぎ足した。そのグラスを手に取り、ノアは酒をグイっと仰ぐ。

 

「...何故帰還用データクリスタルが一つしかなかったの?」

 

「前述した通り、メリッサ(スルシャーナ)はバックアップ要員として待機していた。そしてログアウトできない仕様となっている事に気付き、強制ログアウトを実行する直前に帰還用データクリスタルを作成したのですが、一つ作り終えた所で拘束され、強制的にログインさせられた。それでゲーム内に持ち込めたのが、一つだけだったのです。会社の監視がある以上、自分だけがログアウトして六大神を救出しようとしてもまた拘束されるのは目に見えていた。だからその存在を皆に隠していたのです。いざとなれば私だけでも助けようと思っていたと...後になって聞きました」

 

「辛いことを聞くようだが、当然ただでは済まなかったのだろう?」

 

「...ええ、私とメリッサはその後間もなく拘束され、二人で尋問されました。私達はありのまま起こった事を話しましたが、受けた裁定は2つ。まず私はユグドラシルⅡのGMから別部署に異動となる事。そしてメリッサは強制ログアウトさせた罰として、再度ユグドラシル内にログインし、規定外に強い装備と権限を与えた上で八欲王を殲滅してこいとの命令でした」

 

「そんな...無茶な、単騎で?!死にに行くようなものじゃない!GMの無敵化も通用しない相手に...」

 

 ルカの悲痛な叫びを聞いて、アインズの顔が見る見る険しくなっていく。

 

「...私は激怒し、その場で厳重に抗議しました。それなら異動ではなく、私も一緒に再度ログインして戦うと。しかし全く取り合ってもらえず、(これは決定事項だ)と言い残し、担当者は立ち去りました。その後我々の存在が機密事項に当たるとして、私達二人は離れ離れとなり、警戒厳重な社内の個室に閉じ込められました。もはや牢獄ですね」

 

「ひどい...ブラウディクスは意識を失った私を、どちらかと言えば手厚く保護してくれたわ」

 

「飛んだブラック企業だな。その後はどうなったんだ?」

 

「私は今いる、新規開拓事業サーバ管理責任者としての役職に就き、気づかぬ内にアップデートされていたユグドラシルβ(ベータ)のサーバ管理を主に請け負っていました。法外な業務手当のおまけつきでね。仕事場も変わり、あなた達も知っているサンタクララのアーカイブセンターに配属替えとなりました」

 

「今日ノアが本社に来たのも、あのアーカイブセンターから呼び出されてきたの?」

 

「ええ、上からの命令でね。あなた達が本物かどうか、そしてどこまで知っているかを探ってこいと言われてきました」

 

「上というと、クリッチュガウ委員会にか?」

 

「そうです。彼らと初めて話したのは、アーカイブセンターに異動してから間もなくでした。GM当時のアカウントを使用し、ユグドラシルβ(ベータ)にダイブ後、指定の場所に転移門(ゲート)で移動しろという指令でしたので、私はそこ...つまり、奈落の底(タルタロス)にその時初めて移動しました」

 

「具体的にどんな場所なんだ?」

 

「そうですね...真っ暗な空間の中に巨大な墓石が12個並んでおり、その墓石は赤くぼんやりと輝いている。そしてその周囲には、ユグドラシル各地を映すモニターが複数並んでいる、そんな殺風景な場所です」

 

「そこで何を言われたの?」

 

「まず初めに、彼らの手先となり忠誠を誓うことを約束されました。誓わなければレヴィテック社に眠る肉体ごと消去すると脅され、やむ無く了承した。クリッチュガウ委員会の名を知ったのもその時が初めてです。そしてその後、彼らの口からプロジェクト・ネビュラの一部に関する詳細が伝えられました。主に人体実験として拉致されているプレイヤーに関してです。その監視と、コアプログラムがオートジェネレートするダンジョンやモンスターの調査、駆除を依頼されました。約27年間です。現代のサーバに活動拠点が移り、八欲王が滅びたのを知ったのもその時です」

 

「長いな...。お前の彼女、メリッサについては何も聞かなかったのか?

 

「...史実通り、スルシャーナは死んだと伝えられました。それだけでなく、ユグドラシル内で殺された六大神も皆、現実世界の肉体ごと死んだと。その時初めて、プロジェクト・ネビュラの恐ろしさを知ったと同時に、怒りが湧いてきました。そして八欲王の情報に関して、彼らは一切何も与えてはくれなかった。ただのチーターだ、もう滅んだから気にするな、とね」

 

「よくそんな奴等の言いなりになっていたな。俺なら我慢出来んぞ」

 

「...いつか必ず復讐してやると、心に誓っていたからです。仲間と恋人の無念を晴らすと、それだけを糧に今までこの体で生きてきた。あなた達に出会えたのは、幸運以外の何者でもない。私はそう考えています」

 

「それが私達と一緒にいる、本当の理由?」

 

「そうです、お嬢さん。あなた達二人には大変申し訳なく思いますが、笑ってくれて構いませんよ」

 

「おい、俺の目を見ろ。誰が笑ってるって?」

 

 アインズは目を見開き、怒りに打ち震えたような表情でノアトゥンを睨みつけた。

 

「アインズ殿...その、申し訳ありません」

 

「...フン、事情は大体分かった。それで?その後はどうなったのだ?」

 

「ええ、それから27年が経った2350年に入り、クリッチュガウ委員会から新たな指令が私に下されました。200年前のサーバで異常が起きているので、それを極秘理に調査し、解決してくるよう指示を受けました」

 

「200年前と言うと、例の魔神が大陸を滅ぼしかけたというあの事件か」

 

「私が転移したのと、十三英雄が現れたのも同時期だよね」

 

「はい。その時お嬢さんの事は何も知らされていないので気付きませんでしたが、独自に調査した結果、その魔神達は私達六大神がギルドを結成した当初に創造された、配下のNPCである事が判明したのです。私は彼らとの対話を試みましたが、土神・水神・風神・光神・死神と五人の主人を失ったNPCは、完全に暴走状態にあり手が付けられませんでした。そこで私はふと思い出し、私が創造した配下である火蜥蜴(サラマンダー)の行方を探しました。私が死んでいない今、彼も正気を保っているはずだと。しかし調査の結果、一時的に竜王族に匿われていたらしいのですが、結局は八欲王に殺されてしまったとの事でした」

 

「なるほど、それでか。エリュエンティウでユーシスが言っていたな、お前が極秘理に魔神討伐の協力を申し出たと。何故十三英雄に加わらなかった?」

 

「それは十三英雄のリーダーが、2138年から転移したプレイヤーだったからです。彼も監視対象だった上に、被験者と直接の接触はクリッチュガウ委員会により禁止されていた。そういう訳で、十三英雄が魔神と戦闘する際には陰ながら火力支援を行っていたと、そういう訳です」

 

「ならば、何故俺達二人の被験体には接触したんだ?」

 

「あなた達は現実世界に自力で帰還したアノマリーだ。言ってみれば特例です。今やクリッチュガウ委員会に取って最も危険なのが、あなた達お二人ですからね」

 

「200年前のサーバに転移したって言ったけど、ノアは全ての年代のサーバに自由に移動できるの?」

 

「いえ、当然クリッチュガウ委員会の許可により転移門(ゲート)が開けられ、各年代に送り込まれます」

 

「200年前のサーバには何年いたの?」

 

「当時からずっとですよ。もちろん被験体であるお嬢さんやアインズ殿と違い、自由にログイン・ログアウトしてはいましたがね」

 

「それなら、私の悪い噂も少しは聞かなかった?何だかんだで結構派手に動いてたんだけど」

 

「もちろん聞いていましたよ。高難度な闇の仕事のみを請け負う伝説のマスターアサシン...非常に興味深かったですが、あくまで目立たぬよう監視のみに留まっていました。他にもやる事が山積みだったものでね」

 

「なるほどねー。まあ別にいいけど」

 

「お前が言いたいことは分かった。要はクリッチュガウ委員会に復讐したいんだな?それはプロジェクト・ネビュラや仲間の死だけが原因なのか?」

 

「いいえアインズ殿、無論それだけではありません。今まで謎だった八欲王に関する事がまだ残っています」

 

「どういう事だ?」

 

「...2323年代にサーバ管理やメンテナンスを行っていた訳ですが、そこで偶然、破棄されたと思われる機密資料の破片を目にしました。私はそのデータをバックアップし、復元を試みた」

 

「内容は見れたの?」

 

「ええ、その内容はこうです。プロジェクト・ネビュラ及びフェロー計画の進捗に伴い、現在サーバ内で安定的かつ穏便に管理している六人のGM達を抹殺する為、社内・社外を含め選抜された優秀なプレイヤー8人を拠点ごと送り込み、新たなGMとして着任させる。尚メフィウスが自動生成したモブを掃討する任務も与える為、その後の管理が混乱すると予想されるが、パケット増大の過負荷に対するサンプルとしてこれを容認し、実験を次の段階へと進める。尚前任者である六人のGM達の遺体処理は、機密保持のため通例通り機関に任せるものとする、という内容でした」

 

 ルカとアインズは固唾を飲んだ。

 

「何それ...」

 

「...お前は、エリュエンティウでユーシスにこう言っていたな。(八欲王とは、私達六大神を殺す為...ただその為だけに生み出されたプレイヤーであり、それが彼らの目的の全てだった)と。あの時詳細を言えなかった内容とは、つまりその機密文書の事なのか?」

 

「そうです。そしてもう一つ、新たな事実が分かった。2323年に強制ログアウトを実行して私を助けてくれたメリッサは、その後再度強制的にユグドラシル内へ戻された後、スルシャーナとして竜王達と交渉し、亜人を含む全種族を率いて八欲王達に最後の戦いを挑んだと...」

 

「!!」

 

「...やはり、単騎では無理だったか。...賢い選択だ」

 

 一人の女性の覚悟と命、重みを感じて、ルカとアインズは言葉を失った。死の神・スルシャーナはアンデッド...つまりその種族は、アインズと同じ死の支配者(オーバーロード)だったと思われる。アインズにはその戦場が容易に想像できた。そしてその重責、痛みも。

 

「...これが私に今言える全てです。動機が不純なのは重々承知の上です。ですがアインズ殿、ルカお嬢さん。どうか、助けてはくれませんか。私は悔しい。このままでは死んでも死にきれない。仲間の敵を討つその日までは、例え泥を啜ってでも生きてやる。そう誓ってこの300年生きてきました。ルカお嬢さんがサードワールドを手に入れる為なら、どんな手段も厭わない。あなたの為に命を賭けます。最後は私自身の手で蹴りをつけると約束します。決してご迷惑はおかけしません。ですからどうか、どうか...」

 

 ノアトゥンは号泣し、テーブルに両手を添えて頭を下げた。端正な顔立ちが崩れて大粒の涙がボタボタと落ち、テーブルの上に水溜りを作っていく。その様子を見て、ルカとアインズは顔を見合わせ、頷いた。一人の男の無念、そしてノアは死を覚悟して、真実のみを二人に伝えた。これに答えずして、何が義であろうか。二人の思惑は一致した。

 

「...死ぬかもしれないよ、ノア。思いも果たせずに」

 

「ルカの言う通りだ。これを話し実行に移すなら、お前の命も危うくなる。その覚悟はあるのか?」

 

「あなた達の命は、この私が死を賭してお守りします。結果的に私はどうなろうと、クリッチュガウ委員会が亡き者になればそれで構わない!」

 

「...分かった、そこまで言うなら引き受けるよ。ほら、君に涙は似合わない。これで顔を拭いて」

 

 ルカは胸ポケットから白いハンカチを取り出すと、ノアに差し出した。

 

「...ありがとう、ありがとう、ルカお嬢さん、アインズ殿。感謝します」

 

 ノアは顔を上げてハンカチを受け取ると、そそくさと涙を拭い、ルカにハンカチを返した。目が真っ赤に充血している。

 

「よし。じゃあ早速明日から作戦に移るか。ノア、今後行動を起こすとなれば、君自身の肉体が危うくなるから、一緒に来てもらうよ」

 

「行くって、どこにです?」

 

「決まってるじゃない、プロキシマbよ。ちなみにノアのバイオロイド素体の型番は?」

 

「え? えーと、ファルケン社製 タイプ50Eですが」

 

「なら大丈夫だね。プロキシマbの放射線にも耐えられる」

 

「わ、私なんかが行ってもよろしいのでしょうか?それに急にレヴィテック社を離れるとなれば、怪しまれるかと思うのですが」

 

「そんな事より身の安全が第一でしょ?手続きはあとでブラウディクスに事後承諾させるから」

 

「...分かりました。言うとおりにします。それとお嬢さん」

 

「何?」

 

「言い忘れていましたが、お渡しするものがあります」

 

 ノアはジャンバーの内ポケットから、一枚のマイクロチップを取り出して、テーブルの上に置いた。

 

「何これ?」

 

「お待ちかねの、シャンティが収められています」

 

「...え、うそ?!...どうやって手に入れたの?」

 

「私はサーバ管理者ですよ? メフィウスへのアクセスは不可能ですが、ブラックボックス外であるユガへのアクセスは認められています。そこから抜き出してコピーしてきたものです。これをデータクリスタルにコンバートして、フォールスに渡してあげてください」

 

「...呆れた、最初からこのつもりだったの?」

 

「アインズ殿とお嬢さんがYESと言ってくれれば、渡すつもりでいました」

 

「..こいつ、本当に信用していいのかルカ?」

 

「もうここまで来たら、ウソもクソもないでしょ。万が一偽物だったら、即刻プロキシマbから地球へ強制送還するからね。いい?」

 

「分かってますよお嬢さん。怪しまずともそれは本物のシャンティですから、ご安心ください」

 

「はーあ。だってよアインズ」

 

「まあこれで、サードワールドを手に入れる目前まで来た訳か。先が思いやられるな」

 

「そうですね、ここからが本番です。気を引き締めて行きましょう」

 

「お前が言うな」

 

「じゃあ悪いけどノア、今日は私達と同じホテルに泊まってくれる?このまま家に戻ると危険な可能性があるから。明日は朝イチで出発するよ」

 

「分かりました。念の為クラブオーナーに頼んで、ホテルの周囲を警戒させます」

 

「こういう時便利ねー、マフィアって」

 

「よし、そうと決まったら行くぞ。流石に俺も眠い」

 

「長いこと時間を取らせてしまい、申し訳ありませんアインズ殿」

 

「ユグドラシルに戻ったら、目一杯働いてもらうからな。覚悟しておけ」

 

「フフ、承知しました」

 

 そして三人は席を立ち、外にいるミキとライルを連れてSUVに乗り込み、ホテルパッションへと戻った。

 

 

 

 

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