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CiRCLEのスタジオ内。定期的に行うようになった織主さんとの合同練習中、自然と彼の姿を追いかけてしまう私の視線は少しの違和感を感じていた。
演奏中は問題なく、表面上もいつも通りに見える彼の態度であったが、どこか悩んでいるように見える。気のせいかもしれないと声をかけることを躊躇っていたが、モヤモヤとした気持ちが募ってしまう。
「あの……、気のせいだったらいいのだけれど……体調が悪いんですか? もしそうなら無理せずに休んだ方がいいですよ」
我慢できなくなってしまった私は彼に声をかける。今までだったら演奏優先で人のことなど気にかけてこなかった自分も変わったものだと心の中で独りごつ。
「えっ……。そんな風に見えたか。……いや、大丈夫だよ。次はどうする?」
声をかけられた彼は一瞬驚いた素振りを見せたものの、直ぐに取り繕うとギターを構え次の準備を始めてしまう。
「そう……」
本人に大丈夫と言われてしまえば深くは追及できない。だが、その様子は明らかに何か隠し事をしているものだった。何も言ってくれないことが……つらい。
内心の動揺を彼に悟られないように演奏に打ち込む。いつもなら心を躍らせるような音楽も今の私には響くこと無く唯の空気の振動として鼓膜を振るわせるだけであった。
「ふーん。それでアタシに相談してくれたんだ」
場所は変わってここは羽沢珈琲店。私は今井さんを呼び出し先日の彼の様子について相談をしていた。
珈琲の香りが心を落ち着かせてくれる。にやにやしながらホットコーヒーを飲んであちっ、と慌てている今井さんに冷たい視線を送る。
「……何がそんなに面白いんですか?」
「いや~、紗夜もすっかり恋する乙女だな~って思ってさ」
「な、な、な」
突然の言葉に声が詰まる。頭の中に浮かんだ織主さんの顔を振り払うかのようにコーヒーを口につけるも――あつっ、と今井さんの二の舞になる始末。
店員として働いているつぐみさんが持ってきてくれた水で口内の熱と顔の火照りを冷ます。
「熱いですから気をつけて飲んで下さいね。何の話をしていたんですか?」
「うん、ちょっとね。紗夜が新しいお菓子のレパートリーを増やしたいっていってたからどれに挑戦しようかなってね」
「うわ~! お二人が作るお菓子はとっても美味しいのでもしよかったらまた食べさせてくださいね!」
そういうとぱたぱたと違うお客さんのもとに向かっていくつぐみさん。改めて満面の笑みの今井さんに向き直る。……相談する相手を間違えたかも知れない。
「お菓子持ってったら織主先輩も元気出るんじゃない?」
「……子供じゃないんですから。それに私の作ったお菓子なんて貰っても迷惑でしょう」
私の言葉にガックリと項垂れる今井さん。おかしなことをいったのであろうか? 私が作ったものよりも今井さんや……日菜が作ったものの方が美味しいだろうし、彼も喜ぶであろう。その場面を思い浮かべると私の胸がズキリと痛む。
「……紗夜ってさ、自己評価が低すぎると思う」
さっきまでとは違う、真剣な表情をした今井さんの言葉に伏せていた顔を上げる。
「また、日菜と比べたりしてたでしょ? 紗夜と日菜は違うんだよ」
私の目を真っ直ぐと見据えながら言葉は続く。
「紗夜の努力はみんなが知ってる。一緒に練習してるんだから織主先輩だって知ってる。みんな紗夜のこと凄いって思ってるのに紗夜本人だけが自分を認めてない」
そう、私はいつも比べてしまう。でも仕方が無いじゃないか。努力して努力して、その先に掴んだ成果を努力もなしにそれ以上の成果を軽々と出す。そんな天才がこの世にはいるのだ。
「勝ち負けが重要なこともあると思う。でも今回のことは違うでしょ? 紗夜が先輩を元気づけたいと思ってるのに他の人と比べるなんてことはできないよ。二人を見てて先輩が紗夜のお菓子を喜ばない訳ない。今のままじゃ、紗夜は逃げてるだけだよ」
今井さんの言葉は自分でも驚くほど素直に受け入れることが出来た。私のことを真摯に思ってくれていると分かるからこそ彼女の言葉が心に染み渡る。
「先輩のこと……好きなんでしょ?」
静かな店内で問いかけられた一つの問い。ゆったりとした時間が流れる中で私の頭の中では急速に過去の記憶が駆け巡る。
――思い浮かぶのは一緒に演奏してくれる彼の笑顔。
きっかけは一つの動画だった。彼の歌に魅せられ気づけば彼とともにライブもした。日菜と一緒だったが夏祭りやプール、思い出が少しずつ重なっていき、彼への思いは大きくなっていた。
――一緒にいて楽しい。そんな彼ともっと共にいたいという思いが溢れてくる。
「……好き、です」
言葉にするとたったの二文字。ただ、その二文字を認めて向き合うのにはとても大きな勇気を必要とした。
私の言葉に真剣な表情をふっと消した今井さんは満足げな表情浮かべた。
「うんうん! そうと決まれば何を作るかだね! 先輩の悩みを吹き飛ばすようなとびっきりのやつを作らないと!」
明るい調子でスマホを操りレシピを探す今井さん。
……彼女に相談してよかった。
「今井さん……ありがとうございます」
私の言葉にはにかんだような笑顔をみせてくれる彼女はとても魅力的だった。
「それにしても悩みってなんだろうね~。前のポピパとのライブは大盛況だったんだよね?」
「悩みがあるって確定してる訳じゃないんですけど、そうですね。その話は私も聞きました。そのときの曲もこの前一緒に演奏してすごく楽しかったですし」
「……この二人もう付き合ってるんじゃないの? すいませーん! ブラックコーヒー一杯お願いしまーす!」
なぜか急に砕けた態度になった今井さんの注文によって運ばれてくるブラックコーヒー。そういえばと、コーヒーを運んできてくれたつぐみさんが話を切り出す。
「前CiRCLEに織主先輩をスカウトにきた人がいたって聞きました? なんでもパスパレと合同で作った動画の反響が凄かったらしくて企業の人の目にとまったみたいなんですよ」
つぐみさんの言葉に私と今井さんは目を合わせるのであった。
とんでもないことになった。
この前パスパレのみんなと作り上げた動画が凄い勢いで伸びた。俺自身、あの動画の完成度は高かったと思うし多くの人に見て貰えたことは嬉しかったのだが、いきなり企業の人から声をかけられるなんてことは予想も出来なかった。
企業の人から、大学を出たら作詞作曲、その他諸々をうちでやってみないかというお誘いを頂いてしまって俺は悩んでいた。
将来音楽関係の仕事に就きたいと思っていたので、この話は渡りに船といわんばかりであるが、企業に腰を落ち着けるとなるとこれまでのように自由に動き回ることは出来ないであろう。
しかし、これからバンドのメンバーを集めて一から知名度を上げてデビューを目指すというのもリスクがある話だ。
企業の人は返事はじっくりと考えてからでいいと言われ、ここ最近の俺はどこか上の空と行った感じで日々を過ごしていた。……紗夜にも練習中に心配されたし、はやくハッキリと決めないとなぁ。
頭の中でもう何度目かという問答を繰り返しつつも、今日も答えは出そうにない。気分転換にカラオケでも行こうかと思い始めたときスマホが震える。
『よかったら今日会えませんか? スタジオで待ってます』
紗夜からのメッセージだった。練習のお誘いだろうか? 一人でいても考えが纏まらないので俺は紗夜に手早く了承のメッセージを送るとスタジオへ向かうのであった。
……なんだろう。今日の紗夜はいつもと違う気がする。
服もいつもはジーンズとか動きやすそうな格好なのに、今日は白のノースリーブにブラウンのプリーツスカートと、紗夜の蒼い髪がよく映える女の子らしい出で立ちで、会ってから俺の心臓はずっとドキドキしていた。
しかも、練習をするのかと思いきや話があるといわれ待っているのだが、話し始める気配が一向にない。かれこれ五分が経過しようとしているがドキドキしている俺には一瞬の時間であった。
「えと、そのですね……」
漸く話す決心がついたのであろう。覚悟を決めた紗夜が顔を上げる。その顔は紅く染まり、潤んだ瞳は俺の鼓動をさらに加速させる。
「……織主さんが企業にスカウトされたという話を聞きました。すごく喜ばしいことだと思います。でも……就職したらこれまでのように練習やライブをするのは難しいですよね。だから……この気持ちを伝えたくて」
「あなたが好き」
言葉は続く。
「一緒に演奏したときの音が好き。楽しげに演奏するあなたが好き。――私を見てくれるあなたが好き」
愛おしさが胸の内から溢れる。
初めて会ったときから惹かれていた。俺が勝手に諦めていた。自分はただの大学生。かたや相手は人気バンドのメンバー。釣り合うわけがないと思っていた。
でも、気づけば彼女を追っていた。
彼女の横に立ちたくて。動画を投稿しているだけじゃ駄目だと頼んでライブをしてみた。そして、彼女との差を改めて感じた。
俺がやった規模の何倍もの大きさの会場で彼女たちはライブをしているのかと思うと近くで練習していても彼女が遠い存在のようにみえる。
そんなとき、企業からのスカウトがあった。この話を受ければ将来はある程度約束されるだろう。
――しかし、彼女の隣に立つことはもうない。
「……我が儘なのは分かってるんです。でも、もしよかったら練習だけでもまた一緒に――」
「紗夜、ごめん」
俺の言葉に絶望の表情を浮かべる紗夜。その目には涙が零れそうになっていて俺は慌てて言葉を紡ぐ。
「ごめん! そういう意味じゃ無くて、紗夜に俺が言うべきだったことを言わせちゃったことだよ」
「それって……」
「俺も紗夜が好きだ」
最後の壁が崩れて紗夜の頬を涙が伝う。こ、言葉をまちがえたか!? 泣いてしまった紗夜を前にあたふたとしていると笑う声が。
「違うんです……。これは嬉しくて」
そういって泣きながら笑う紗夜の顔はこれまで見たどの表情よりも綺麗だった。
嬉しいような恥ずかしいような。
二人とも落ち着いた頃には顔をまともに合わせることも出来ないでいた。背中合わせになって互いの体温を感じながら俺はぽつりと言葉を零す。
「俺、企業には入らないよ」
「え……?」
「何年かかるか分からないけどさ、俺も紗夜の隣に立てるように頑張ってみたいんだ」
俺の心は決まった。自分も胸を張って紗夜の隣に立てるよう努力することにした。今から一からやるとなるといつまでかかるか分からない。けれど、今の俺は折れない自信がある。
「ふふ……。私達に追いつくのは無理ですよ。私達ももっと前に進むんですから」
楽しげに笑う紗夜。……簡単には追いつけそうにないなこれは。
これからは夢の歌の力に頼らず自分の力で頑張らなければ。ただでさえ、この夢のおかげで俺には大きなアドバンテージがあるのだからこれ以上は頼れない。
しかし、この世界で広まらないのはもったいなさすぎる……。動画投稿だけは匿名で続けるか。
「あの、そういえば今井さんといっしょにお菓子を作ってきたんですがよかったら……」
「!? めっちゃ美味しい! お店で売ってるのとかわらないな」
「もう……褒めすぎですよ」
守りたい、この笑顔。
紗夜との出会いを繋いでくれた動画の歌の一つを思い浮かべる。
あの歌のように公約を掲げよう。この幸せが続くように――
次あたりが最終話の予定です