「う、ん……」
体のあちこちから鈍痛を感じつつ、瞼を開く。藤丸は、雪の上に倒れているのだと理解した。
「いや、違う……砂だ」
地面に手をついて立ち上がろうとして、初めの理解が間違っていたと気付く。雪のように思えたそれは、真っ白な砂だった。
さらに周りを見渡して見れば、この場所は異常な程に色彩が欠けているのだとわかった。白と黒と、そのグラデーションのみで世界が成り立っている。
「起きたのね、フジマル。大丈夫?」
狼狽えていたところに、後ろから声を掛けられる。聞くだけで心地よくなるような、銀鈴の声音──エミリアの声だ。
「体がちょっと痛いけど、まあ大丈夫」
「そうなの? ん、だったら治癒魔法かけてあげるから大人しくしてて」
言われた通りに大人しくしていると、エミリアが手をかざす。仄かな光に優しく暖められ、鈍痛が引いていく。
「……どう?」
「ありがとう、もう平気だよ」
「ん、そう。どういたしまして」
満足気に笑みを浮かべる。その笑顔に危うく落ちかけたが、記憶の中に無数にあるマシュの笑顔がそれを打ち消す。
エミリアが可愛くて美少女なのは間違いないが、藤丸の好みはマシュだ。『好みのタイプは?』と聞かれれば、ノータイムで『マシュ』と答える。
「……そうだ、マシュは!? エミリアさん、他のみんなはどうなったか分かる!?」
「はぐれちゃったみたい。今一緒にいるのは三人だけよ」
「三人って、あと一人は……あ」
見ると、少しばかり離れた所に赤い槍を持った青タイツの男──ランサー、クー・フーリンがいた。
「おう、目が覚めたようで何よりだ」
「おはよう。俺が寝てる間に何か変わったことはなかった?」
「あー、特に大したことはなかったんだが……」
何か引っ掛かることがあるようだが、妙に言葉を詰まらせる。それでも、ほとんど間を開けずに話し始める。
「いや、な? 上から落ちてきたんだが、先にマスターと嬢ちゃんが落ちてきてたみたいでよ、気を失ってたんだ」
「うん」
「まず嬢ちゃんを起こしたんだ。で、その時にちょっとばかし『触った』んだが……」
「うん?」
含みのある物言いに、藤丸の思考が一つの回答を導き出す。その言葉に込められた含意は、間違いなくそういうことだろう。
「マシュだけじゃ飽き足らず、エミリアさんにまでそういうことしたの?」
藤丸の声には、静かな怒りが込められている。忘れることもない、特異点Fでの出来事。『なよっとしてるようでいい体してる』とかなんとか抜かしやがったセクハラオヤジのことを、忘れはしない。
それでも、頼りになる仲間として信頼を置いてきたのだが、事ここに及んでそんなことをするとは。
あの時のはキャスターの方だったから一応別だろうか。だが、どちらもクー・フーリンであることに変わりはない。
いや、驚きはない。彼にそういう面があるということはわかっている。だから、彼に何か制裁があるとするなら──
「スカサハに伝えておくね。ついでに女性スタッフや他の女性サーヴァントのみんなにも」
「おいおい、んな事されちゃあ飯もゆっくり食ってられねえじゃねえか」
「エミリアさんも、嫌なことされたんなら拒絶していいと思うよ?」
クー・フーリンの言葉に耳も貸さず、セクハラ被害、その当事者であるところのエミリアに話を振る。
「──? 体を触られただけでしょう? スバルもフジマルも、みんなも言うけど、そんなに気にするようなこと?」
「え?」
絶句する。
こんなに可愛い綺麗な顔をして、それが気にならなくなるほどの男性経験を──いや、違う。逆だ。
彼女の仕草の端々から幼さのようなものを感じていたが、それは間違っていなかった。彼女は、外見年齢不相応な程に無垢な心を持っている。
未熟、という訳ではない。幼い、という訳でもない。未来の王となる候補者としての『威』は確かにある。しかし、それとはまた別のところで彼女は幼さ、無垢さを残している。
それを理解して、藤丸は一度深呼吸をする。
「まあ、こういうこった。ほんとに大したことじゃねえが、少しばかり驚かされたもんでな」
「『セタンタが幼い子の無垢な心に付け込んで酷いことをした』って言っておくね。この特異点での事が終わったら、とりあえず『
「幼名呼びは勘弁して欲しいのと、宝具まで使われたらシャレにならねえんだが!?」
「へいへい。それで? これからどうす──」
クー・フーリンはやれやれと言った様子で話を変えようとしたが、その瞬間彼の全身から闘気が溢れ出し、表情は鬼のように強ばる。
「──誰だ!」
「…………」
どこからか現れた影。影は声に応えず、ただ両手に握られた刀を構える。
瞬間、大気の震えと共に影がその場から消える。
──否。消えたのではない。
消えたと錯覚するほどの速さ。おそらく音より速く、光の速さに匹敵する雷速で、二刀遣いが槍使いに踊りかかる。
藤丸には全く見えなかった。
魔術礼装による補助で、運動能力や動体視力は上がっているはずだが──彼の速さは、人間の知覚レベルを軽く上回っている。
「チッ、今の速さもそうだが……真っ先にオレを狙うとは。それに、その剣も何やら曰くありげだ」
狙った理由は言うまでもない。この中でクー・フーリンは、一撃必殺の手段を持っている。それを、本能で嗅ぎ取ったのだろう。
「────」
二本の剣と一本の槍が火花を散らし、モノクロの世界を彩る。謎の剣士は、クー・フーリン相手に互角以上の戦いをしてみせる。
「えいや!」
槍使いとの戦いに集中し切っているその背中を、ハーフエルフの爪先が蹴り抜く。
意識外からの攻撃に謎の剣士は体勢を崩し、その間隙を縫って突きが肩を貫く。
「しぃっ──!」
必殺の一撃、とまでは行かない。宝具の真名開放が出来る程の隙を作ることは出来なかった。
「…………」
「あ! ごめん、邪魔しちゃいけなかった? 隙だらけだったから、つい……」
影が無言で向けてくる殺意に、エミリアが的外れな態度と言葉で返す。
「文句を言いてえって訳じゃねえだろうよ。単に敵として認められたってだけだ。しかし、そんなに攻撃的な嬢ちゃんだとは思わなかったな」
「そうなの? 私、結構ビシバシやるわよ?」
「ビシバシって最近あんまり聞かないね……」
妙に気が抜けてしまうが、敵はまだ健在。攻撃を二つ当てただけだ。
「やり合ってわかったが、ありゃ不完全だ」
「そうね。なんだか、本気を出せてないみたい」
直接やり合った二人には、相手の不完全さを肌で理解したようだ。
影のような容姿は本来のものではなく、恐らくは召喚の不完全さによるものだろう。その在り方は、おそらくシャドウサーヴァントに近しい。
本来ならなければならない、剣を振るうための『自我』が存在しない。技術をなぞり、肉体の性能を使っているのみ。また、その性能も出力が足りていない。
「それでも、相手が強くて、倒さなきゃいけないのは変わらない。話が通じるなら別だけど、そんな様子もない」
互いに睨み合う。この二人ならば、あの剣士相手に互角以上に戦えるのは間違いない。だが、クー・フーリンが宝具を開放さる隙を作らなければ、決め手には欠ける。
「だからそれが、俺がいる意味だ」
最大限、隙を作るために戦力を投入する。カルデアのマスターである彼を通して、サーヴァントの『影』を召喚する。
「来てくれ……!」
*
──その一方で。
「……はっ!?」
「おや、起きたかねマシュ君」
目が覚めて、真っ先に目に入ってきたのは白髪と褐色の肌をして、黒いインナーを着たアーチャーだ。その声とその温かさに、安堵する。
「は、はい。しかしエミヤ先輩、これは……?」
マシュの体の下にはふかふかの布団があり、頭の下には程よく柔らかい枕。そしてふわふわの毛布が上から掛けられていた。
「なに、気絶して眠っていた君を起こすのもそのままにしておくのも忍びなくてね。少しばかり投影しただけさ」
布団から出て立ち上がったマシュを確認して、エミヤは寝具一式を消す。それらは、魔力として解けていった。
「師匠、目が覚めッてよかったぜ。『勇み足ジャグダムの逆恨み』みてェなのは御免ッだからなァ」
「ガーフ君も……心配をおかけしました。ですが、もう大丈夫です。マシュ・キリエライト、行けます!」
目覚めたばかりだが、いつまでも寝惚けている訳には行かない。両手で頬を思い切りひっぱたき、意識の完全な覚醒を促す。マスターの──先輩のお役に立ちたいから。
そこで、重大な見落としに気付く。
「あ、あれ!? マスターはどこに!? 」
「どうやら、落ちた時にはぐれてしまったようでね。その上、この妙な世界……特異点であるのは間違いないように思えるが、しかし……」
エミヤの呟きを耳にして、辺りを見回す。白と黒の色のみで成立している、歪な世界。しかし、マシュは妙な感覚を覚えた。
──色彩が欠けているのはそう。しかし、与えられなかったのではなく、初めから無かったのではなく。何かの拍子に落っことしてしまったような。
「まずはマスターを探しましょう。きっと、この辺りのどこかにいるはずです」
そう口にして意志を固める。エミヤとガーフィールの二人も、それに頷いて同意。
歩みを進めるマシュ──
──そして、その首を狙う影がある。
「──伏せろ!」
そう言い放ち、即座に投影した白い刀身の短剣を投げ付ける。
目前にまで迫る短剣を、マシュは紙一重でかわす。それが襲撃者の得物──クナイを弾き飛ばしたのを確認して、霊体化させていた盾を現出させる。
どこから現れたのかわからない『影』。マシュの影に潜んでいたのではないかと思わせるほど。
「気配遮断……アサシンのサーヴァントか!?」
一撃目、不意打ちを防がれ、『影』は距離をとる。
その『影』が瞬く間に増えた。『影』の影──分身が多く現れるが、間違いなく本体は一つだけ。
モノクロの世界は、息をつく暇もなく戦場へとその様相を変化させる。盾使いの少年少女、そして双剣使いの弓兵は、影のシノビと相対する。
──三つに分断された彼らは、それぞれの越えるべき壁を睨みつけていた。
更新しました、1時です。(昨日ぶり2回目)