息を切らし、肺が焼け付く苦痛を誤魔化す為に頬の内側を強く噛み締める。太腿と脹脛の筋肉が悲鳴を上げている。
「それで、今は必死こいて逃げてるだけなんですが、結局どうするつもりなんですかねぇ!?」
「建物とか壁とか、とにかく遮蔽物の多い場所まで誘い込む! この辺じゃ勝ち目がねえ!」
「とは言っても、このままじゃすぐに追いつかれるかしら!」
スバルたちの走る速さと、あちらの走る速さは兎と亀ほどの違いがある。もたついていたら、今この瞬間にも追いつかれてしまう。
「そうだな、オットーはしっかり掴まってろ。頼んだぜ、ベア子!」
「わかったかしら。ムラク、なのよ!」
対象にかかる重力の影響に干渉する魔法──要するに、軽くする魔法だ。脚に力を込め、膝を軽く曲げて地面を蹴る。その勢いのまますっ飛んでいき、その速さは先程までとは比べ物にならない。
何やらオットーが騒いでいるが、そちらに気を回す余裕はない。あまりに大きい一歩を幾度も重ね、距離を確実に稼いでいく。これだけ離れていれば、すぐに追いつかれはしないだろう。
「ナツキさん、あ、あれ!」
「アレじゃわかんねえよ! 具体的に……うぉ!?」
オットーが指で前を指し示す。その意味するところにスバルも同時に気付き、足で地面を削りながら勢いを殺す。
指し示された先には──
「さすがに、立て続けに問題起こりすぎだろ……!」
遠くに、薄緑色の水晶を確認した。そして、そこに囚われているのは特徴的な桃色の髪をしたメイド少女──ラムだ。
「……今の戦力じゃ足りねえ、よな。アレも一緒に相手するとなると」
「アレって?」
「何の事なのよ?」
スバルの言葉に、二人が一瞬だけ無理解を示す。
もう一度水晶に意識を向け、そこに
「どういうことなのよ……」
見ると、水晶の根元に小さな白い毛玉のようなものが大量に蠢いている。三大魔獣の一、食欲の権化──『多兎』、転じて『大兎』。
「おかしいかしら。アレは、確かに……」
彼女は自身の記憶を確かめるように眉を寄せる。過去の記憶と現在の現実とが矛盾している。噛み合っていない。彼女の表情は険しくなっていく。
「てい」
「あぎゃーなのよ!?」
考え込むあまりに、下向きがちになるベアトリス。彼女の可愛らしく広い額に、スバルがデコピンを喰らわせる。
「あんまり眉間にシワ寄せんなよ。せっかくの可愛い顔が……いや、その顔もめちゃくちゃ可愛いな?」
「ベティーはスバルのベティーなのよ。いつでも可愛いのは当然かしら。……じゃなくて、何を真顔でふざけたことを言ってるのよ!?」
ぷんすかと可愛く怒りを露わにするベアトリスの、その頭にスバルが右手を置く。
「あんまし悩みすぎんなよ。殲滅出来てなかったとか、
「そもそも悩んでなんかないかしら。それに、スバル一人に任せておけないのよ。むしろスバルの方こそ、ベティーにどーんと任せるかしら」
スバルの手を頭から振り払う。行き場をなくしたその右手を、ベアトリスの左手がしっかと繋ぎ止めた。それだけで、負ける気がしない。胸の奥から込み上げる頼もしさを互いに感じながら、目の前の障害を見据える。
その様子はどう見ても異常だ。水晶を齧っては防衛機能によって大半が死に、その度に分裂、増殖、共喰いを繰り返し、また水晶を齧り始める。
水晶も抵抗しているが、修復も攻撃も間に合っていない。水晶が食い尽くされ、中にいるラムにその牙が届くのも時間の問題だ。
「どうするつもりかしら」
「まずは、レムを正気に戻す! そのために……」
そこで一度、言葉を切る。スバルの無茶に二人を付き合わせることへの、一瞬の躊躇いがそうさせた。しかし、ベアトリスは何も言うことはないと強く手を握り、オットーは、不安そうながらも決意を帯びた眼を向けている。それを見て、呼吸と共に覚悟を握り固める。
「──無茶を承知で、アレを利用する!」
*
藤丸が判断に使える時間は数瞬。あの異様な速さに追い付けるサーヴァントを。戦闘時のみの不完全な力としての『影』であっても、あの剣士と渡り合う必要がある。
「来てくれ……!」
呼び出すのは、何より速さが自慢の二騎。ギリシャ神話にて最速とうたわれる不死の英雄と、同じくギリシャ神話にてアルゴノーツの一員として知られる、純潔にして俊足の狩人。
「アキレウス! アタランテ!」
威風堂々たる影が二体、藤丸の前に召喚される。共にギリシャ神話にて速さを誇る英雄。あの雷速にも対応できるだろう。白兵戦を苦手とするアタランテも、今回は
本来なら、というか同行しているのなら獣化のリスクなどを考慮するが、単に『力』として使い潰すのなら、ステータスが上昇するのでこちらの方が都合がいい。
ただし、影であっても大英雄であるアキレウスと、アタランテ・メタモローゼを召喚するとなると魔力消費が激しく、二騎が限界だった。とは言え、相手は一人、一般的な人間サイズ。あまり多すぎても、連携が困難になるので結果的にはよし、だ。
相手は積極的にクー・フーリンを狙ってくる。こちらの決め手となる攻撃が、彼の宝具のみであることを理解しているのだろう。
いくら影を呼び出しても、それはサーヴァント本体よりも劣ってしまう。アキレウス本人に言わせれば、影のアキレウスは踵を射抜かれた状態よりなお遅いらしい。
「頼んだ!」
影に指示を飛ばす。ただ、その速さに藤丸の指示が追いつけるはずも無いので内容は最小限。謎の剣士の集中を散らすこと、それだけ。あとは二人の判断に任せる。
二つの影が剣士へ飛びかかっていく。目にも留まらぬ速さ、と言うほどではないにしても超スピードで。
「……ッ」
槍と爪の攻撃を受け止め、いなす。そこに出来た一瞬の隙に氷の礫が飛び込み、脇腹を抉る。
「私がいること、忘れないでよね!」
エミリアが謎の剣士をキッと睨み付け、魔力を解放。青白い輝きを放つ氷の粒子が周囲に広がり、ある種の結界となって空間の支配権を握る。
剣士は一瞬だけ動きを止め、こちらの戦力を確認するように視線を向けた。
そこで、ようやく藤丸の目も相手の姿を捉えた。揺らめく影のようでわかりにくいが、和装で草履を履いているらしいことがわかった。
本来ならそれは真名のヒントであり、日本のサーヴァントだとわかるのだが──今回は異世界案件。あちら側の人間だとすれば、真名などわかるはずもない。
「……」
剣士は変わらず無言のまま、その草履を脱ぎ捨てた。その行為の意味を──
「え?」
考える暇もなく、それは結果として眼前に示されていた。
氷の盾に阻まれた二振りの刀がきちきちと音を立てている。本当に一瞬、一刹那。草履を脱いだと理解するよりもおそらく早かった。
「アイスブランドアーツ・アイシクルライン」
ギリギリのところで藤丸の命を守った氷の盾は、エミリアの魔法によるものだ。空間に広がる氷の粒子は、彼女の意志によって如何様にもその形を変える。
次の瞬間には大気のひび割れるような音とともに、氷の武器が無数に現れる。エミリアの魔力と、スバルの発想によって生まれた絶対破壊領域、氷結結界アイシクルライン。
「うー、やあ!」
エミリアは氷の大戦鎚を手に取ると、それを思い切り振り下ろす。そのような大振りは当たるはずもないが、その一撃は地面を砕く。
草履を脱いでスピードが大幅に上がったことからもわかるように、速く動くには踏み込みが重要だ。当のエミリアにその思惑があったかどうかは別として、アレの動きを制限する手段としては悪くない。
「てや! うりゃりゃ!」
気の抜ける掛け声とともに、それとは逆に苛烈なまでの攻撃。武器が砕けるのを前提とした、氷の物量で押し切る戦法。
「こりゃ、オレも負けてらんねぇなぁ!」
その美しく苛烈な戦法が、攻めあぐねていたクー・フーリンの魂に火をつける。
執拗に宝具解放の妨害をしてくる相手の、その剣を弾く。そしてその少しの隙を、二つの影がこじ開ける。
更に、その瞬間──
──空間が、揺らいだ。
まるでこの空間を構成する根底が弱まったように、この空間という存在の基底そのものが罅割れるがごとく。
「
それだけの時間があれば宝具の真名解放には充分。しかし、この時点ではまだ因果を逆転させる呪いは発動していない。
発動前に効果範囲外に出てしまえば、心臓を貫かれるには至らない。そしてそれは、彼のスピードであれば造作もないことだった──が。
「……ッ!」
剣士は蹲ったまま動かなかった。おそらく、彼はこの空間に根ざしたもの。先程起きた揺らぎの影響を強く受けたのだろう。
呪いは既に発動した。
槍の穂先は剣士の心臓に狙いを定めた。
「
*
ウェアウルフの如き影のシノビが、あちこちから襲いかかって来る。更にあらゆる方向からクナイが飛んでくるので、その対処にも追われる。
「チィ、『カマラの籠城戦』じゃァねえかよォ!」
襲い来る影を拳で抉り飛ばしながら、上下の歯をガチガチと鳴らす。いくら影を倒してもキリがない。
「攻めにくい、という意味で良いのかな? 確かに、敵がどこにいるかもわからず、その上で本体を見つけなければならない」
弓に矢を番え、引き絞りつつエミヤがそう言う。その矢は
「フッ!」
引き放つ。剣であり矢でもあるそれは、一直線に目標を射貫く。さらに軌道を変え、続けて幾つもの影を射抜いた。勢いが弱まったところで、内に秘める魔力を、神秘を、爆発力に転化する。
「数を減らしてはいるが、手応えは無いな。本体を倒さねばなるまい」
「ですが、場所がわからないことには……」
飛んできたクナイをマシュが盾で弾くと、それは解けて魔力となり、空気に溶けていった。
「木々に隠れられるのが面倒だ。こちらの領域に引き込むとしよう」
彼の心象、無限に剣の突き刺さった荒野。そこへ相手を引き込むことが出来れば、隠れられる場所は大きく制限される。
「
紡がれる呪文は、彼の奥義たる固有結界を発動させるための自己暗示。自らを剣とし、剣を自らとする意味を持つ呪言。
心象で世界を塗りつぶす絶技、魔術の最奥──しかしそれは、不発に終わる。
「……っ、ぐ!?」
固有結界と言うものは、世界の法則を捻じ曲げ、塗りつぶし、侵蝕する異物。そうであるが故に、世界そのものからの修正力を受ける。
しかし、それでも本来は数分程度ならば維持できるもの。今のように、発動さえ阻害されるような力ではない。
この空間とエミヤの固有結界が干渉しあった結果か、彼の固有結界は不発に終わったが──その代わりに、空間が大きく揺らいだ。
景色全体が歪み、ひび割れてねじ切れるような感覚があって、一瞬の後には元に戻っていた。
「何が起こりッやがったァ……?」
「今の感覚……まさか、この空間は……」
アーチャーが、何か思い当たるようなことがあるように思考を巡らす。だが、それを考える前に目の前の状況を確認──こちらにとって、大いに有利な状況だった。
この空間と強く結びついていたのか、影のシノビが軒並み消滅していく。そして、動いてはいないが消滅もしない影が一つ、少し遠くに見えた。
「意図していた形とは違うが……好都合!」
その影に狙いを定め、引き放つ。
*
分断された三つの内、二つが壁を乗り越えた。
残る壁は、一つ。
更新めちゃくちゃ遅くなってごめーーーーん! ごめんねーー!
いや、マジすみませんでした。書くモチベが上がらなくて……