連邦軍人とフェイトくんの旅。   作:ばんどう

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phase1 カルサア修練場
1.クレア・ラーズバード


 灰色の空を飛竜の巨大な影が、猛然と横切った。

 

 頭上わずかと錯覚させるほど、竜の羽ばたきは激しく肌を突き刺し、フェイトは息を殺して岩陰に身を潜めるほかなかった。曇天からちらつく白雪。吐く息も白く、身を切るような寒さが指先を痺れさせる。

 

「やっぱり出てきたね……疾風め。奴らがいかにアンタたちを重要視しているか分かるってもんさ」

 

「あれが疾風か」

 

 隣でクリフがつぶやいた。金髪碧眼、二メートル近いクラウストロ人の男は視力もいいのか、去っていく飛竜をフェイトが確認するまえに腰を上げている。ぱっと見は地球人となんら変わらない。分厚い筋肉に包まれた体躯は重量級ボクサーといった趣で、顔立ちがシャープなためにスマートな印象を受ける。たくましい首許の黒い三本の横線の刺青。これが彼がクラウストロ人であることを示す証だ。その身体能力は地球人のフェイトをはるかに凌駕し、近接した電子銃の弾まで(かわ)す肉体である。

 クリフの言葉を受けて、ネルが小さくうなずいた。

 

「そうさ。アーリグリフの誇る3軍の一つ、『疾風』。エアードラゴンを駆る竜騎士団だよ。厄介な奴らさ」

 

 ネルは、この未開惑星「エリクール」の現地人だ。一七〇センチはある長身の女で、クリフとは対照的に細身だった。この極寒の大地にそぐわぬ薄着で、太腿がわずかに隠れる程度の、丈も袖も短い和服をまとっている。首には黒と藍のボーダー柄のマフラーを巻いていた。申し訳程度の防寒具でも、彼女の切れ長の目は凛と前をみつめている。

 ――たったいま、味方を囮にしたところだというのに。

 

「行くよ、奴らをタイネーブたちがひきつけてくれている間に、カルサアを抜けてシーハーツ領に入る」

 

 フェイトは思わず声を荒げていた。

 

「ちょっと、待ってください。僕はまだ協力するなんて言ってないですよ。それにタイネーブさんたちを放っておいていいんですか!? あんな竜騎士たちに追いかけられたら逃げ切れるかどうか――」

 

「ああ、捕まる可能性は非常に高いだろうね。でも、仕方がないことさ」

 

「えっ?」

 

「それが彼女たちの任務。彼女たちも覚悟の上だよ」

 

「!」

 

「もし私だって仲間の足手まといになるようなことがあれば、遠慮なく切り捨てていかれるだろうさ。私たちの仕事ってのはそういうものなんだよ」

「任務……任務って! あなたは!」

 

 鋭く吼えたところで、自分の意識が浮上するのを感じた。急速に、雪の感触が遠くなっていく。

 温かく、柔らかい羽毛の感触が体を包んでいる。ぱちぱちと薪が燃える音。

 フェイトは瞼を開ける前、漠然と思った。

 

(――夢か)

 

 遭難した先の雪国アーリグリフで敵国(シーハーツ)のスパイと断じられ、拷問にかけられた。そのあまりの仕打ちから逃れるために、本物のスパイ、シーハーツという国の軍人ネルについてきた。アーリグリフとシーハーツは戦争中で、シーハーツが勝利するためには、フェイトの持つ高度な機械知識が必要となるという。兵器など作る気はなかったが、ともかく生きるためにがむしゃらにネルの手引にしたがった。

 その途中で、彼女の部下たるタイネーブが、アーリグリフの執拗な追撃を一身に引き受けるために放った言葉がフェイトの脳裏をよぎった。

 

 ――フェイトさん、ネル様をお願いします。

 

 

 さらに意識が浮上する。

 窓から射す朝日が、フェイトを瞼を震わせた。

 

 久しぶりに得た、安全な寝床。

 フェイトはようやく深い眠りから覚醒していった。

 

 

 ◆

 

 

 鈍い痛みに目が覚めたのは、空が白み始めた明け方のことだった。

 射し込む日差しを避けるように身じろいで、『彼』はぼんやりとした頭をふった。

 

「っ……!」

 

 刹那、鈍痛に呼吸を奪われる。

 それでも意を決して目を開けると、高い天井があった。木張りの天井だ。それなりに年季が入っていて、ところどころに染みもある。

 

(どこだ? ここは……)

 

 眼球を左に走らせると、石壁に風景画がかかっていた。下から見上げているのでよく分からないが、見覚えのない景色だ。さらにその下、枕元にサイドボードの書棚があり、本が数冊並んでいる。背表紙は読めない。――見慣れない文字だ。右手の窓を見る。寝台から天井まで伸びた細長い格子窓に、厚手の豪奢なカーテンがかかり、開かれているが、ガラスが曇っているせいで外は見えない。

 『彼』は寝台に手をつき、身を起こした。

 

 ぎきっ、ぴきき……っっ

 

 腕に力を加えただけで、少なくとも十を超える関節が悲鳴を上げる。その痛みを無視して座ると、さきほどから聞こえていたパチパチという音の正体を見つけた。足許に暖炉がある。薪をくべて間がないのか火の勢いが強い。

 個室にしては広い部屋だった。部屋の奥に木戸があって、その左側に白桐の衣装ケース、右側に天井まで届く大きな本棚がある。テーブルやソファ、胸像といった調度類は手作りなのか、繊細な形をしていて木製が多い。

 ――どれも、親しみのない様式である。

 

 そのとき、『彼』は正面の木戸を見据えた。

 

 一拍して、顔を覗かせたのは若い女だった。二十前後。細い肩を袖のない和服から覗かせ、寒くもないのに黒と藍色のボーダー柄のマフラーを巻いている。くっきりとした目鼻立ち、栗色の瞳が『彼』を見て丸められた。

 

「気がつかれたんですね! ……よかった」

 

 彼女が相好を崩した。ベッド脇まで近づいてくると、細い腕に紋章が刻まれているのが見えた。昔、エクスペルで見たものだ。伝統芸術として残っているだけで、「紋章術師」という特殊な職でないかぎりは、滅多に見ることはない。

 彼女が深く、一礼してきた。

 

「はじめまして。私はクレア・ラーズバード。このシーハーツで、光牙師団『光』の隊長を勤めている者です」

 

「……え?」

 

 一言も理解できずに首を傾げた。一方で、自分の状態を確かめる。拳を握ったり開いたりすると痛むが、動かせないレベルではない。

 ――この治療の御蔭だろう。

 『彼』の胸から腹にかけて真新しい包帯が巻かれていた。気絶する前に負った脇腹の銃痕をすべて隠してくれている。手当てとしては応急に近いが適切だ。

 

 部屋に入ってきた女性――クレアは、『彼』にひとつ頷くと『彼』の背中にある片上げ下げ窓を開けた。弱い風が入ってきて頬を撫でる。それは早朝の爽やかな風に違いないが、同時に嗅ぎ慣れた死の匂いも運んできた。

 

 ――錆びた鉄の臭いと、焦臭さ。

 

 かすかに目を細めてクレアを見ると、窓の向こうに、くたびれた教会と崩れた家屋を見つけた。災害に遭ったというより人の手によって取り壊されたと分かる代物。不穏な窓の景色を観察しながら、『彼』はクレアの次の言葉を待つ。

 クレアは外に視線を貼り付けたまま、言った。

 

「ここはアリアスという河岸の村です。あなたはこの先のパルミラ平原で気絶していたところを、私たちによって保護されたのです」

 

「……本当に、保護と受け取ってよろしいのですか?」

 

 慎重に問うと、クレアは寂しそうに微笑った。

 

「ある程度、この窓からお察しいただけたようですね」

 

 サイドボードの下に、引き出しがあった。クレアはそこからが『彼』が着ていた黒のインナーと赤いコートを取り出してくる。

 銀河連邦軍特殊部隊の制服だ。

 それを大事そうに抱えた彼女は、細かい刺繍が施された『彼』のかけ布団のうえにそっと置いた。

 

「貴方の服はぼろぼろでしたので、部下が似せて作ったんです。動けるようでしたら、是非これをお召しになって一階(した)へ。現状をご説明いたします。ちょうど、あなたに会ってもらいたい人たちが居るの」

 

 合点のいかない表情を浮かべながらも、『彼』は小さくうなずいた。

 

 

 ◇

 

 

「お……?」

 

 拍子抜けたクリフの声にフェイトはふり返った。

 昨日、ようやくシーハーツ領内の村、アリアスに辿り着いたフェイトたちは、この村を取り仕切るクレアの助言で、二階で休ませてもらっていた。

 いま、彼らがいるのは一階の居間だ。シーハーツ軍前線部隊が会議室として使っている細長い大きな室で、二十人程度なら一堂に会せる。

 

 そこに、包帯まみれの青年が、クレアに伴われて入ってきた。

 年齢も身長も、フェイトに近い青年である。

 適度に引き締まった体躯で、背中にプレートでも入れているか、ピンと背筋を伸ばしている。着ているのは、膝丈まである紅いコート。デザインが見慣れた銀河連邦軍の制服に似ている気がしたが、いままで一度も彼のような紅服は報道で見たことがない。

 シーハーツにも連邦と似た感性の文化があるのか、と思いながら『彼』の顔を見る。淡い金髪と濃い蒼色の瞳、平凡な顔立ちだが視線が強い青年だ。

 『彼』を連れてきたクレアが、「おはようございます」と頭を下げてきた。

 

「昨晩はよく眠れましたか?」

 

「ああ、おかげさまでな」

 

「それはよかった」

 

 クリフがクレアに答えている間に、フェイトは首をめぐらせて戸口を見やった。もうあらかた集まったという体なのに、ネルがまだ来ない。

 

「それでは交渉に入りましょう」

 

「ええ」

 

 彼女抜きで話を進めるのかと眉を寄せながらも、クレアにうなずいた。ただ『交渉』と言っても、この国の人間は一方的に兵器開発に協力しろ、と言ってくるだけで気が滅入る。

 クレアが好きなところへ座るよう(うなが)してきて、フェイトは居間のテーブルを見た。大きめの木製テーブル。そこにかかった白いテーブルクロスには刺繍が入っており、木彫りの上等そうな椅子がテーブルを等間隔に囲っている。

 上座に向かうクレアの背を見つめて、フェイトはためらいながらも尋ねた。

 

「あの、ネルさんは?」

 

「え……ああ」

 

 クレアが一瞬、言葉を濁した。なんだ、とフェイトが眉をひそめる間もなく、穏やかな微笑を返してくる。

 

「彼女は別の任務につきました。あなた方のことは私が引き継ぎますから、安心してください」

 

「それは、いいんですが……」

 

「さあ」

 

 微妙なクレアの反応に戸惑っている間に、早く座るよう促されて、フェイトは俯きながらも手近な椅子に座った。

 居間の窓際、室の奥にいるクレアと直角をなす席。その隣にクリフが座り、入口近くに『彼』が座った。

 テーブルを囲んだみなが、探り合うように視線を交わす。その中でフェイトは一人、唇を引き結んで膝に置いた拳を見下ろした。

 

 ――もし私だって仲間の足手まといになるようなことがあれば、遠慮なく切り捨てていかれるだろうさ。私たちの仕事ってのはそういうものなんだよ。

 

 アーリグリフの追手がついぞ迫ったとき、ネルが放った言葉が脳裏をよぎる。

 

(一体、どうしたっていうんだ……)

 

 いまは戦時中。必要とあれば、彼女は部下を見殺しにしてでもフェイトをシーハーツの王都まで連れていく。そう豪語した彼女がなぜ突然、居なくなってしまったのか。ネルの真意が読めなくて考え込んでいると、クレアが話を進めてきた。

 

「見ての通り、我がシーハーツが、あなた方グリーテンの技術者に兵器開発の助力を要請している、という話はもう彼女から聞きましたね?」

 

「ええ」

 

 固い声で答えたからか、クレアは顔の前で指を組んだまま、わずかに苦笑した。

 グリーテン、というのはこの惑星で一番機械文明が発達した国らしい。どの国とも国交を持たず、どのような人種が住んでいるのかさえ、クレアたちもあまり把握できていないと言う。

 星の外からやってきたフェイトたちは、便宜上、その国の人間ということになっていた。

 

「まあ、彼女がどういう話をしたかは分かりません」

 

 クレアはそう断わって、首をふった。

 まるでこれまでのネルの強硬な態度を間近で見ていたかのような少し呆れの入った、柔らかな声だ。「ですが」と続けた彼女はネルとは違って、親しみやすい微笑みすら浮かべている。

 

「あなた方はすでにアーリグリフ領内を離れ、シーハーツ領内にいる。ですから、もし兵器開発の助力を断ったとしてもあなた方の身の安全は保障します。――ただ、我らが王都であるシランドまでは身柄を確保させていただく必要はありますので、回答もその時点で結構です」

 

「随分と歩み寄ってくれたもんだな。アイツとはエライ違いだ」

 

 クリフも同じことを思ったのか皮肉混じりに言うと、クレアは顔の前に組んだ指を解いた。少し考え込むように俯き、間を置く。

 

「正直な話」

 

 彼女の声の調子がわずかに落ちた。くっきりとした丸い栗色の瞳が険しく細められる。

 

「私もできれば手を貸してもらいたいとは思っています。でも実際、あなた方には直接関係のない戦争ですから。誰が死のうが国が滅ぼうが、あなた方には関係ないのですから、心を痛める必要もありませんし、そこまで無理強いもできません」

 

「イヤな言い方しやがるな」

 

「でも本当のことでしょう?」

 

 肩をすくめるクリフを見据えて、彼女は静かに言い放った。こちらを突き放すように俯き、胸の前に置いた指を組み直す。

 

「そう考えれば少なくとも、アーリグリフの手にあなた方が落ちなかっただけでも良しとしなければ」

 

 なかば独白に近いつぶやきである。

 それを見て、フェイトは眉間に皺を刻んだ。

 

(――結局、同じだ)

 

 心の中でつぶやく。

 このクレアという女性は、ネルのようにシーハーツの都合を一方的に押し付けてはこない。ゆえにある程度好感が持てるが、『戦争』を理由に他人の命を奪うことをためらわないところが同じだ。まるで機械のように人を推し量って「任務だ」「立場だ」と主張している。

 

(なら、ネルさんがここにいないのも「任務」のせいなのか……?)

 

 クレアはそう言っていたが、どうにも腑に落ちない。

 ネルは毅然とした女性で、態度にこそ難があったがフェイトたちをこのシーハーツ領アリアスの村まで逃がすのに全力を賭していたのは間違いない。少なくともいきなり友好的な態度を取ってきたクレアよりは、行動規範が読みやすい相手だ。

 こうと決めたら退かない。

 そんな強過ぎる意志を彼女からは感じていた。その彼女が「フェイトたちを王都まで連れていく」という前言を翻してまで向かった「別件」とは、どんなものか。

 思考している間に、話を進めていたクレアが、沈黙していた『彼』に話題を振った。

 

「そこに座っている男性も、実はパルミラ平原で発見されたグリーデンの方のようなのです。詳しい話はまだお伺いしていませんが……。よろしければ、貴方のお話も聞かせてもらえませんか?」

 

「え……?」

 

 そのときになって初めて、フェイトは『彼』をあらためてみた。

 入り口近くに座った、歳近い青年。たしかに、シーハーツの人間ではなさそうだ。連邦軍服に似ている紅いコートが、さらに彼を「この星の人間ではない」と教えるようでもある。

 ――フェイトやクリフと、同じように。

 『彼』は軽く目を伏せると、一拍置いてから言った。

 

「名は、アレン・ガード。ある仕事の途中でトラブルに遭い、パルミラ平原というところに墜落した」

 

「あなたも、お二人と同じ乗り物に乗っていたようですが……?」

 

 クレアが遠慮がちに問いかける傍らで、フェイトは息を呑んだ。

 

(――墜落した? 僕らと同じように、こいつも?)

 

 小型船の航行中に制御を失ったというのか。

 詳しい話を聞きたいが、シーハーツの人間(クレアたち)が居る手前、適わない。

 このときフェイトは気付かなかったが、隣に座るクリフの表情が険しくなっていた。なにか思い立ったように唐突に。

 クリフは普段からは想像もつかないような鋭い眼光をアレンに向け、その猜疑心を悟られないよう巧妙に隠しながら、アレンの動向を探っていた。その微細な変化を視界の端で捉えながら、アレンはクレアに言った。

 

「貴方の言う通り、俺もグリーデンの人間だ。だがあの乗り物は借り物のため、簡単な操縦以外は心得ていない」

 

「技術者ではない、と?」

 

 アレンが頷く。途端にクレアの顔がやや曇った。

 

「それでも、私たち以上の知識を持っている可能性が否定できないわけではありません。よろしければ、力を貸していただきたいのですが……」

 

「その前に少し、彼らと話をさせてもらえないだろうか? 同郷ということもあって、向こうの様子を彼らの口から直接確認したい」

 

「気が合うな。俺も、ちょうどそう思っていたところだ」

 

 クリフが横柄に腕を組んだ。――このままでは場が解散する。咄嗟に判断したフェイトは、クリフを手で制した。

 

「ん? ……どうした?」

 

 ふり返るクリフを始め、一同の視線が集まってくる。

 このあと、アレンという男の素性を聞くのはおそらく簡単だ。事情がフェイトたちに近く、遭難したなら嫌でも協力し合うことになる。

 だがネルは――彼女の方はいま聞かねば、永遠にうやむやにされてしまうような気がした。

 

「……やっぱり、納得できない……」

 

 フェイトは思案顔を浮かべたまま、じ、とクレアを見据えた。一瞬だけ、クレアが眉を寄せる。

 フェイトは聞いておかねばならないのだ。これから戦争に関われという国の人たちが、一体なにを目指しているのか。

 ネルは、ただ冷たいだけの人間なのかを。

 

「……クレアさん。あの人の次の任務って、何なんです?」

 

 半ば睨むようにして、クレアに詰問した。

 

「どうしてそのようなことをお聞きになるのです? 彼女はもうあなた方とは関係ありませんよ」

 

「あの人は僕たちを王都まで送り届けるのが任務と言ってたじゃないですか! それなのに途中で――」

 

 そのとき、クレアの視線が刺すように鋭くなった。咄嗟にフェイトは息を呑む。

 ネルを悪く言おうとした瞬間に、クレアの険がきつくなったのである。

 

「彼女は――」

 

「タイネーブたちを助けに行ったんだろ?」

 

「……え?」

 

 フェイトが目を見開く。予想しない展開が、予想せぬ人物から述べられたのだ。まるで世間話でもするように、暢気な声で。

 フェイトがふり返った先に、クリフがいた。空転した頭が、何度もクリフの言葉を反芻するが、いつまで経ってもクリフの言った意味を正しく理解できない。

 クレアの傍らにいる女性兵士すら、事情を知らなかったのか息を呑んでいる。

 

「なぜそう思うのです?」

 

 顔色を失う彼らに構わず、クレアは静かにクリフに問いかけた。

 

「昨日、アイツが部屋に入ってきたんだよ。単にお辞儀だけして、な。あの状況で追っ手を振り切れる可能性はゼロに近い。――大方、カルサアでこいつが立ち聞きした話ってのも、どうせその件に関しての報告なんだろ?」

 

 クリフが肩をすくめた。その視線の先をフェイトも追う。沈痛に瞼を伏せたクレアの顔。どんな言葉を述べられるより、話の信憑性がそこにあった。

 

「そんな……」

 

(一人で?)

 

 思わず息を呑んだ。

 クレアは目を閉じ、顔の前で指を組んだ体勢のまま、先ほどよりも低い声で言った。

 

「ええ。確かに……彼女はタイネーブたちを助けに行きました」

 

「お前! 分かってたんなら、なぜ止めなかったんだよ!」

 

「ヤツに任務があるように、オレはお前をリーダーの元に連れて行くのが任務だ。それを放棄するわけにはいかんだろうが」

 

「それにしたって!」

 

 フェイトが机を叩いて首をふる。頭に血が上っていく。「命を粗末にするな」という、ただそれだけの主張が、なぜこうも通らないのかフェイトには分からない。それもネルだけでなく、フェイトと行動をともにするクリフにまで、通じないのである。

 背中を悪寒が走っていった。自分が、自分だけがこの場に取り残されているようで、どうしようもない孤独に、視界が暗くなる。

 クレアがふいに息を吐いた。

 

「分かりました。説明します」

 

 まるで観念したかのような溜息だ。

 フェイトは顔を上げてクレアを見た。唇を引き結んで彼女に向き直ると、クレアの脇にいた女性兵士もクレアに注目した。

 

「あなた方がカルサアについた頃、アーリグリフで告知があったんです。『二人の娘は人質だ。無事に帰して欲しければ、逃亡した二人の身柄を引き渡せ』……とね。あなた方を引き渡すわけにはいかない。だから一人で助けに戻ったんです」

 

 クレアは不自然なほど感情の乗らない顔で目を伏せた。まるで疲れているような、己を嘲笑うような、感情を押し殺した複雑な表情だ。

 その顔をあげて、唐突に話題を切る。

 

「とにかく、そういうことです。彼女のことは気にしないでください。それでは、すぐにでもシランドへ向いましょう。ここも安全圏とはいえ、確実ではありませんからね」

 

「取引場所はどこです?」

 

 クレアがフェイトをふり返る。怒りの滲んだフェイトの碧眼が、じっとクレアを見返していた。

 

「それを聞いてどうするのですか?」

 

「僕もそこへ行く。行ってあの人に文句を言ってやるんだ!」

 

 フェイトは吐き捨てるように言った。そうでなければ、納得できない。こんな別れ方など、絶対に許さない。

 

(死んでしまったら、もう二度と会えないのに――!)

 

 たったそれだけのことが、誰も分からない。

 ここにいるクレアも、クリフも、出て行ったネルさえも。

 「建前」があれば目を瞑っていいのだと、諦めている。自己犠牲に酔って逃げているだけだ。――少なくとも、フェイトはそう感じた。

 腹に溜まってくる怒りを噛み締めながら、フェイトは荒々しく席を立つ。クリフがニッと笑った。

 

「そう来なくっちゃな。そのセリフを待ってたんだ」

 

「それは出来ません。あなた方お二人とアレンさんには、私とともにシランドへ向かってもらいます」

 

 色めき立つ二人を、クレアは絶妙のタイミングで押しとめた。無表情だが険の籠もった彼女の眼差しは、ネルを見送った時点で覚悟していたようだ。

 だがフェイトも動じない。無言でクレアを睨み返す。

 ――負けたくなかった。

 ここにいる人間の考え方には。

 意固地になった自分を自覚することなく顔を歪めたとき、ふいにアレンが、言った。

 

「救出なら俺も参加しよう。互いの事情を確認するくらいなら、道すがらでも出来る」

 

 予期せぬ第三者の発言に、クレアが眼を見開いた。

 一同の注目がアレンに集まる。『彼』は「それに」と付け足した。

 

「急がなければ失うことになる。――大切な人なんだろう?」

 

「…………っ」

 

 クレアの表情が一瞬、はっきりと歪んだ。――深い悲しみと、後悔。無表情の裏に隠された想いを垣間見て、フェイトは眼を丸めた。

 俯いたクレアが、押し黙ってしまう。

 クレアの肩がわずかに震えているように見えた。だからなのか、クリフが頭を掻きながら鷹揚に言った。

 

「心配いらねえよ。アイツからなにを聞いたかは知らねえが、オレたちをナメてくれるなよ。それにこうなったコイツは多分あの女よりタチが悪いぜ。筋金入りの頑固者だ」

 

 フェイトは片眉をつり上げる。自分をだしに取るような発言は気に食わないが、顔を上げたクレアの表情が、縋るようなものだったために力強く頷くしかなかった。

 震える唇を隠すようにクレアは俯き、顔の前で組んだ指にを下ろした。

 

「……分かり、ました」

 

 ぽつ、とクレアがつぶやいた。

 彼女は溜息のような小さな吐息を一つ零すと、意を決して眉をつり上げ一同を見渡した。

 凛とした眼差しがフェイトを見る。

 

「取引場所はカルサア南東部にある建造物です。元々、修練場として建設された建物ですが、現在は処刑場として使われています。またアーリグリフ三軍の一部隊、重騎士団『漆黒』の拠点でもあります」

 

「どう行けばいい?」

 

 クリフに答えるかわり、クレアは視線で傍らの女性兵士に地図を持ってくるよう指示した。女性兵士の顔がぱっと綻んでいく。彼女は早々に書棚から地図を引っ張りだすと、長机に広げた。

 この瞬間から、クレアからは迷いが完全に消え失せた。こつ、と広げた地図の一点を指差して、彼女はクリフ、フェイト、アレンを順に見る。

 

「一旦カルサアまで戻って、カルサア南門から道なりにまっすぐ進めば着くはずです。以前抜けてきた山道を行くより、アリアス南門から荒野を抜けてカルサアへ入ったほうが早く着けると思います」

 

「わかった」

 

 地図上を滑る指先を追いながら、フェイトが頷いた。顔を上げたアレンが、

 

「では、先導は任せる」

 

 と言ってくるので、頷き返す。

 

「よし、行くぞ」

 

 決めればすぐにでも駆け出しさねば、とかく時間がない。

 ネルが発ったのは昨日。

 タイネーブやファリンが捕まったのは一昨日だ。

 アレン、クリフを連れて部屋を出る寸前で、顔を俯かせていたクレアが、ふいに行く手を遮った。

 

「クレアさん?」

 

 意図が分からず首を傾げると、クレアは数瞬思い悩むように押し黙って、それから順にフェイト、クリフ、アレンを見た。

 

「十分、気をつけてください」

 

 改まった言い方である。

 クレアは己の緊張を悟らせまいとどうにか声を抑えていたが、表情は硬いままだ。

 フェイトの視線を受けて自分の状態に気づいたのか、彼女は顔を隠すように深々と一礼する。

 

「彼女たちのこと……お願いします」

 

 九十度腰を折った彼女を見下ろして、フェイトは小さく苦笑した。「建前」を通すのも、なかなか大変なようだ。

 

「ああ、任せとけ」

 

 クリフが、クレアの思考を断ち切るように拳を鳴らした。フェイトは腰に手を当て、クレアを安心させるように笑った。

 

「必ず、みんなを連れて帰ってきます。一発ぐらいは殴らせてもらうかも知れませんけど、それくらい勘弁してください」

 

 フェイトが肩をすくめてみせると、ゆっくりと顔を上げてくるクレアと目が合った。彼女が笑う。まるで光にとけるような、白く透明な笑みだった。

 

 ――ネルが帰ってくるかもしれないという、ほのかな期待がこめられていた。

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