アリアスからペターニへ向かう街道で、幾度目かの野宿をすることになった。エリクールを周回する三つの月が西へと向かう深夜帯だ。
ネルは獣が寄ってこないよう、黙々と火の番をしていた。
「……………………」
てっきりもう来ないと思っていた、明日を待つための夜。
ペターニまでの道程を、ネル達はもうほとんど踏破している。明日には目的地に辿り着くだろう。
くすぶる炎を見つめながら、ため息をつく。
――まっすぐな眼差しを向ける、フェイトの顔を思い出しながら。
「……少し、いいか?」
そこで。
ネルは顔を上げた。視線を横に流すと、声の主らしき青年が立っていた。闇に溶ける黒の上下に、対照的な深紅のコート。それがまず、ネルの目を惹く。
「……ああ」
ネルの頷く声が、やや生返事になった。
少しして焚火の前に現れたアレンは、ネルの対面に腰掛けた。
「貴方に聞きたいことがある」
そう前置きする彼は、足音も気配すらも感じさせない。昼間の方が視認できる分、存在感があった。
「……何?」
「何故、助けに行ったんだ?」
意外にもそこだけ強い光を宿した蒼瞳。その瞳を、じっと見返して、彼女は首を傾げた。
――質問の意味が分からない。
「何のことだい?」
「あの二人の部下のことだ。貴方は何故、あの二人を助けに行ったんだ?」
思わぬところを突かれた気がして、ネルは彼を仰ぎ見た。
冬の湖面のように澄んだ蒼の瞳には、ぱちぱちと燃える焚火が映っている。その炎は揺れていたが、彼の瞳は、少しも揺るぎはしない。
彼は続けた。
「貴方はたった一人の人間と、国民全体の命なら、考えるまでもないと言った。……なら、あの二人の部下は、貴方が命を落としてでも救わなければならないほど、国を左右する大人物なのか?」
「……それは……」
「カルサアで、彼女達を治療したときに聞いた。貴方が『クリムゾンブレイド』と呼ばれる女王直属部隊の指揮官で、実質、
言葉を切ったアレンは、ネルを見据える。対する彼女は顔をしかめて唇を引き結んだ。視線が下がる。
「……………………」
彼が何を言いたいのか、理解できたからだ。
「フェイトに言っていたな? 俺達を助けたのは、俺達なら貴方々の国を救うことが出来ると考えたからだと。だが、損得勘定の話をすれば、貴方が二人を助けに行ったのも、誤りじゃないのか?」
俯くネルを、別段、責めている口調ではない。
だがその指摘は、深く彼女の胸を抉った。返す言葉も見つからぬほど、深く。
「それでも――!」
それでも何か言わねば、フェイトの行為を許すことになってしまう。
もしかしたら、シーハーツを再び敗北の危機に追いやってしまうかもしれなかった、彼の行為を。
「それとこれとは規模が違うんだよ……! アンタ達の知識は、直接国の勝敗に左右する! だけど私は……!」
「現状不利なところに、国の一翼を担う
「……っ、っ!」
拳を、握り締めた。
クレアなら、彼女がいれば何とかなると、そう確信していた自分をばっさりと切り捨てられた。
そんな甘い考えでは、フェイト達が聖都に着く前にシーハーツは落ちると。
彼の瞳が、彼の蒼が、言外に語っていた。
淡々と、相手を見定めるように。
彼は続けた。
「ゼルファー指揮官。俺も、ある機関に属する軍人だ。だから、軍人としての務めを果たすつもりでいる」
切り出した彼に、ネルは顔を上げた。湧き立ってくる感情をこらえきれず、それでも無理やり抑えつけながら、アレンを睨む。
首を傾げるネルは、見ようによっては今にも泣きそうな表情をしていた。彼は視線を外して、眼前の焚火に目を落とした。
「俺は
「!」
表情をしかめるネルを、アレンは睨み据えた。まるで目の前にいる彼女こそが、仇敵と言わんばかりに。
彼を包む空気が、底冷えする。
だが不思議と、その焦点はネル自身を向いてはいない。例えるなら、ネルのいる空間を、睨んでいるようだ。
――彼女の後ろにある、何かに向けて。
それを憎むように。
許さぬように。
「……………………」
ネルは思わず固唾を飲み込んだ。得も知れぬ緊張感が、肌に突き刺さる。
しんと静まり返った空気は、凪いだように動かない。
アレンが目を伏せた。すると、固まった空気が離散する。停止した時間が動き出して夜気がネルの頬を撫でた。
少しの、間。
緊張で喉を鳴らす彼女の、呆けた眼差しをとらえて、アレンは言った。
「少し眠って、気持ちを整理するといい。今ここで、俺に反論するよりは意義のある時間を過ごせる筈だ」
「何をっ!」
「貴方の、クリムゾンブレイドではない『貴方自身の』考えを聞かせてくれ。その方が俺も動きやすいし、きっとフェイトも喜ぶ。……積極的ではないだろうが、クリフも断らないだろう」
どこか温かみのある声だった。
反して、月明かりに照らされたアレンの表情は固い。感情を押し殺したような
ただ分かった風な口をきく彼に向かって、ネルは虚勢を張った。
「私の考えだって? そんなの――!」
「自分を殺しきれないんだろう? だから部下を見殺しに出来ず、危険を承知であの二人を助けに行った。……誰よりも、仲間を失う哀しみを知っているから」
「っ!」
ちり、とネルは胸の奥が焼かれた気がした。苛立ちが湧き起こる。唇を噛んだ彼女は、彼が何か言う前に乱暴に立ち上がった。
「勝手なこと言うんじゃないよ! 私は、私の意志で行動してる! 最初から自分を殺してなんか……!」
「戦争は」
ふと。底光りする蒼の瞳と目が合った。訳も分からず、他を圧倒する、その瞳と。
息が詰まる。
「……っ」
間。
ネルの強張った表情を見上げて、彼は静かに言った。
「戦争は何も、兵器でするものじゃない」
「……え?」
ゆるりとアレンの瞳が焚火を映す。ネルはきょとんと目を瞬かせた。先ほどまでの緊張が、その空気が、いつの間にか和らいでいる。
脱力した。
ため息が出る。
(遊ばれてるんじゃないだろうね……?)
舌打ち混じりにつぶやくネルに、彼はようやく微笑った。
「それから――、あまり親友を泣かせるな」
「え……?」
それは
「今日はもう遅い。火の番は俺がやろう」
話はそうして打ち切られた。アレンを怪訝に覗き込んでも、彼は何事もなかったかのようにネルを見返すだけで、先ほど見えた複雑な眼差しは、もう影もない。
ネルは鼻白んだ気分で、二、三度、瞬きを繰り返す。
「……………………」
思考が空転した。――今の、複雑な彼の眼差しが、あまりに似ている気がしたのだ。
ネーベル・ゼルファー、父の面影に。
アレンがあらためて、こちらを見上げて言った。
「休むといい。……いろいろ言って、すまなかった」
そうやって簡単に謝ってくるのが、どうにも気に入らない。まるでネルとは違う、余裕を見せつけられているようだ。
だから彼女は鼻白んだ表情から目を覚ますなり、アレンを睨んだ。
「……別に。アンタの言いたいことは大体分かったよ。でも、私は国を守りたい。そのためなら、何も厭うつもりはない! ……そう、覚えておきな」
言い放つ。不機嫌に口調が速くなったが、後の祭りだ。彼女は逃げるように野宿用の布団にもぐりこんだ。
目を瞑る、ほんの数瞬前。
確か火の番をするのは自分だったと思い出しながら。
苦虫を噛み潰したような気分で、ネルは硬く目をつむった。
(クリムゾンブレイドであることが、私の証さ……!)
心の中で叫んで。
戦場は、私情など挟む余地なく無情であると知っているからこそ。
彼女はきつく唇を噛み締めた。