新鋭艦ルノワールが、エリクール二号星に航路を定めて二時間余りが過ぎた。
ナツメは左舷下部デッキのプレイルームに入るなり、凛とした双眸を背中に向ける。彼女の後ろをついてくるのは、アーリグリフ・シーハーツ両国の畏敬を集めた『歪み』の異名を持つ軍団長である。
無造作に伸びた黒髪の先が、褪せた金色になっているのが特徴的だ。
アルベル・ノックスは整った白皙に浮かぶ赤い瞳をスライドして閉まるドアに向けた後、こちらに向け直した。
「ここでいいのか?」
「……はい」
端的なアルベルの質問に、ナツメは神妙な面持ちで頷くと、顔をあげた。
十六畳あまりの広い部屋。
物は置いておらず、間接照明の心もとない光で部屋の中が照らされている。薄暗いプレイルームは正八角形をしており、分厚い鉄板のような代物が、いかにも頑強そうな壁を造っている。
その中で、ナツメはパチンと指を鳴らした。
天井高く造られたプレイルームは、音をよく拾って反響する。途端、間接照明が消え、代わりに光の青い線が部屋全体を縦横に走った。
黒い闇に青い光の格子柄が浮かび上がる。まるで立体キューブを敷き詰めて完成させた部屋のようだ。
アルベルは目を細める。青い光の格子線は、金属にあたると光を放つようで、鉄爪や刀、ナツメのジャケット金具などが、闇の中で浮かびあがり、アルベルの目に飛び込んでくる。
不思議な世界だった。当然のことながら、アルベルはこれがどういう原理でできたものか理解できない。それに興味もないが、この場で軽快な話をする気さくさは、今のナツメにはなかった。彼女はかすかにうつむき、思い詰めたような表情で黙っている。
アルベルも口を開かない。
やがて、ナツメが意を決したようにぐっと拳を握りしめた。床から発せられる格子光に照らされた彼女の顔が、青白い。
「団長、お願いがあります」
「――なんだ」
あらたまった彼女を見返し、アルベルは問う。
視線の合ったナツメをみていると、破裂寸前まで膨らんだ風船のようで――手負いの獣のような儚さと危うさを感じさせた。
アルベルは何気なく、彼女の両肩に宿った二匹の竜を見る。右肩の赤い竜、左肩の青い竜はどちらも存在感があり、凶悪な顔つきをしているのに、今は眠りについたように気配がない。呼吸すらも消す巧みさがある。
恐らく、強い。
根拠はないが、そう感じる。『竜』に対して特別な思い入れを抱きやすい、アーリグリフの人間として。
アルベルは視線をナツメに戻した。彼女は肩幅に足を開き、腰を落して刀の柄に手をかける。
「私と、手合わせしてください」
ナツメの表情が、戦士の
アルベルは刀を抜きながら、鋭い視線を返した。
「加減はせんぞ。阿呆」
「お願いします」
瞬間。
ピンと張り詰めた静寂を破るように、
「なにやってるんだい? アンタ」
ソフィアは声をかけられて、思わず調理の手を止めた。聞いたことのある声だが、耳慣れてはいない。誰だろうと首を傾げながら振り返ると、調理室の入口に赤い髪の女性が立っていた。
ソフィアは瞬いて、慌ててぺこりと頭を下げる。
「ど、どうも」
しどろもどろなあいさつをしてしまったのは、その女性とあまり話したことがなかったためだ。長身の彼女は両腕を組んで、すらりとした白い脚を軽く交差させて立っている。その姿はさながら女優かモデルのように決まっていて、ソフィアは人知れず、息をのんでいた。
足音すらもかき消して、シーハーツが誇る隠密、ネルはソフィアを見ながら微かに笑った。
この少女を見ていると、ネルがいつも思い出すのは、アミーナだ。
フェイトが見間違えてしまうのも仕方ない、とネルは思った。それほどまでに、ソフィアはアミーナと似ている。
ソフィアは腰まで流れる栗色の髪を、今はピンク色の三角巾でまとめていた。三角巾は、ピンク地にデフォルメされたネコがプリントされたものだ。杖にぶらさげたアクセサリーといい、この少女はつくづくネコが好きだとネルは思う。
諜報員として、人の細かな嗜好にも目をつける癖があるネルは、情報を無意識に取りこみ、分析する力を持っている。数少ないコミュニケーションの中でも、彼女はある程度ソフィアという少女を理解していた。
ただ、この時のネルの関心事はソフィアのネコグッズではない。ネルの視線は、ソフィアの手元――ミキサーにそそがれている。シーハーツでは見ることのない、珍妙な道具だ。それでソフィアはいったい何をしようというのか。
「それは?」
興味本位で尋ねると、ソフィアの表情が柔らかくなった。自分の得意分野に話題が移って安心したようだ。彼女は電動ミキサーを軽く指差して、言った。
「ミキサーです。野菜や果物を撹拌する機械なんですよ。ここの厨房、だれも使ってないみたいだし、気分転換にお菓子でも作ろうかなって思って」
「なるほど。――ちなみに、アンタは何を作ってるだい?」
「白桃のデザートスープです。レシピは知ってるんですけど、今まで一度も成功したことがなくて」
「デザートスープ?」
耳慣れない料理名にネルは首を傾げた。
ソフィアは、ええ、と頷いて小さな拳をぎゅっと握る。ぴん、と眉をつり上げたことからも、彼女なりに気合を入れたようだ。おっとりしたソフィアは、時折ネルの予想しない所でマスコットのように可愛らしい仕草をする。
ここまでほんわかとした平和な空気を持つ少女は、戦乱のシーハーツでは珍しい。
ネルは思わず笑っていた。
ソフィアが得意げになって言う。
「桃を煮た後、ミキサーで撹拌して、ヨーグルトと牛乳で味を調えるんです。さっぱりしていて美味しいですよ」
「桃を煮る? どんな味になるのか想像がつかないね」
「ちょっと待ってください。もう少しで出来上がりますから」
ソフィアはミキサーの電源を入れて調理を再開した。
「マリエッタ。周辺に何か異常はない?」
「はい。レーダーには反応ありません」
マリアが問いかけて一秒もしない間に、マリエッタはオペレータ席から現状を報告した。艦長席に腰かけたマリアは、肘かけに腕を置いて頬杖をつく。
先程のように、敵がいつ宇宙空間で狙って襲ってくるかも分からない。
このルノワール一隻でエクスキューショナーの対処するのは荷が重すぎる話だが、マリアは初動から敵に先手を取られたくはなかったのだ。
観測に回っているミラージュが、くすりと小さく笑う。
「エリクール到着まで、あと四時間ほどです。一度、部屋でお休みになってはいかがですか?」
「……」
マリアは答えなかった。ただ、ミラージュと視線が合い、こちらの緊張が手に取るように読まれているように感じられる。
マリアは出来るだけ無表情を取り繕っていたが、ミラージュの労わるような――少しからかうような眼差しが、彼女に肩肘を張らせることをやめさせてしまう。長い溜息を吐いた。
「そうね、そうさせてもらうわ」
「ええ」
折れたマリアを見て、ミラージュは満足そうに微笑んだ。
フェイトは額に手をやった。何をどうしてこうなったのか、彼は今でも理解できない。
中指で眉間をとんとんと叩きながら、彼は若きクォークの一員、リーベルに言った。
「もう一度だけ、最初から言ってもらってもいいかな?」
「だから! 俺はこの艦でやらなきゃならないことがあるから、リーダーのことはアンタに任せるって言ってんだ! けど、それはあくまで、今回だけの話だからな!」
「あぁ~……いや。うん……。マリア……、マリアね」
何度もリーベルに確認を取りながら、フェイトは困ったように頭を掻いた。
話の内容は簡単だ。
エクスキューショナーとの戦いにおいて、敵はどうやら高文明の代物を優先的に攻撃している。
故に、エリクール二号星にフェイト達を送り届けた後、彼らの足となるルノワールは惑星から離れ、別の場所に退避するというのだ。エリクールに必要以上のエクスキューショナーを呼びよせないために、リーベルはエリクールには降下しない。
オーナーが待ち構える場所に、マリアと共に行けないことを彼は心底悔いているのだ。
「けど――それをなんだって僕に言うのさ?」
要領を得ずにフェイトが首を傾げていると、リーベルは苛立ったように地団駄を踏んだ。
「お前が、リーダーが悩みを打ち明けたり、心を開いたりできる相手だからだよ! リーダーは強い人だ! だから、なんでもすぐに自分の内に溜めこんじまう。そんな人が唯一、お前を頼った! ――バンデーンからお前を取り返す時だって、自分の体のことについてだって!」
「……確かに。マリアは僕よりずっと、遺伝子操作されたことが
「そうだ! だから――」
勢い込むリーベルを、フェイトは手の平で止めた。まあちょっと待てよ、と彼をなだめながら、両腕を組む。
「だから僕に心を開いてるってのは、ちょっと安直過ぎないか? 確かに僕とマリアは境遇が似てる。それで理解し合えることだってもちろんあるさ。だけど――アイツが本当に必要としてるのは、そういう共感とかじゃないだろう?」
問うと、リーベルは不機嫌そうに眉間に皺を刻んだ。
フェイトの脳裡に、マリアの横顔が浮かぶ。寂しそうで、今にも泣きそうな悲しい顔が。
その時一度だけ、マリアの昔の頃を話してもらった。
マリアがどのようにして能力に目覚め、クォークのリーダーとなったのか――、そういう話だ。
それはフェイトにしてみれば『壮絶』の一言に尽きる出来事だった。
今まで両親と思っていた二人とは血の繋がりがなく、自分は遺伝子操作を受けた生体兵器だった――。
そんな事実をたった一人で受け止めて、自分の運命をどうにかしようと足掻いている。
それがマリアだ。
仲間と接する時は、いつも強気で自信に満ちた顔を前面に押しだして、決して涙を人には見せようとしない。
その彼女が欲しているのは、恐らく、『支え』だろうとフェイトは考える。
自分も、一番つらい時に思い浮かべたのは、いつも通りの表情で再会したいと思う少女であったから。
「なあ、リーベル。お前、そこまでマリアのこと想ってるならさ。もうちょっと踏み込んでやれよ。
アイツが辛い想いを我慢するのって、負けず嫌いな性格がほとんどの要因だけど、意地張ってるだけで強いわけじゃないんだよ。
僕とマリアは境遇が近いからさ、お前に比べれば深い話も簡単に出来るよ。でも、マリアが本当に欲しがってるのは、自分の特殊な生い立ちを理解してくれる奴なんかじゃない。アイツが傍にいて欲しいって思うのは、アイツをちょっとだけ支えてくれる――アイツが『傍で支えてもらってる』って実感できるような相手だと、僕は思う」
リーベルは顔を強張らせて眼を見開いた。口が面白いくらい歪な真四角になっている。普段ならそのリーベルの表情を見て、思わず笑ってしまうフェイトだったが、リーベルの目が真剣であることに気づいて、その場は笑わずに置いた。
リーベルが無言のまま、拳を握る。わずかに俯いた彼は、怒りの視線をフェイトに向けて来た。
その目が言っている。
『それが出来れば――』
と。
フェイトは、小さく溜息を吐いた。
「お前さ。マリアが傷ついた時、傍に来るなってオーラを感じて敬遠したタイプだろ?
確かにそれも一つの優しさなんだけど、アイツはこう――天の邪鬼みたいなところがあるからさ。根もしっかりしてる分、時間をかければ一人でも乗り越えられる。それは全然悪いことじゃなくて、でも――お前が傷ついたマリアに近寄らなかったのは、アイツに嫌われたくないって想いの方が強かったから、だろ?」
「!」
リーベルは一瞬目を見開くと、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
フェイトは息を吐く。恋するが故の臆病さには、フェイトにも理解できるところがある。
だが、そのリーベルの臆病を、マリアは気づかないだろう。
自分の辛さや弱さを抱え込むマリアは、その分、周りを見ていない。周りの人間の些細な変動を感じ取る余裕がないのだ。だから、リーベルの好意にも気づかない。
「まあ、そういうわけだからさ。リーベル。僕にいちゃもん付けてないで、無事に戻って来られた暁には、マリアのこと――しっかり頼んだよ?」
何をどうしろ、とは言わない。
それはリーベル自身が考えることであり、フェイトが出した結論では意味がないからだ。
ただ、傷ついた表情のリーベルを見ていると、思う。
『マリアは、本当に幸せだと』
(クリフ、ミラージュさん、マリエッタ、それからこのリーベルとクォークの皆……。アイツが自分の幸せに気づくのは、一体いつになることやら)
ずっと平穏な日常を送って来たフェイトだからこそ、わかる。
戦乱のゲート大陸では、多くの血と、暴力と、憎悪があった。
フェイトはまだ、何も奪われていない。家族は全員無事で、ソフィアも自分と同様に、この艦に乗っている。
元の生活を取り戻すために、彼はまだ、人を殺めてもいない。
――だから、わかる。
「僕は、失いたくない。……失わずに済む方法を教えてくれた奴を、僕を支えてくれた奴等を、僕は絶対見失わない」
それがどれだけ大切なことか。
自分に誓うように、フェイトは口にした。
リーベルが不思議そうな表情でこちらを見据えている。それにも構わず、フェイトは自分の拳を見つめた。
「だから、待ってろ」
プレイルームの反対側――左舷下部には、搭乗員用の小さな酒場が設けられている。
アルフはカウンターの一席に腰かけながら、誰もいない酒場でウイスキーを片手にしていた。普段はストレートで飲むが、今は気分を変えて氷を入れている。グラスを軽く傾けると、コロコロと氷が水面を走り、ウイスキーに少しずつ溶ける。
アルフはそれをなんとはなしに見据えながら、溜息を吐いた。
少しして、後ろから声がかかる。
「こんなところで一人酒とは、辛気くせえな」
アルフはわずかに顔を上げたが、振り返らない。旧い酒場をイメージした部屋は板張りで、アルフの後ろにいる男が一歩踏み出すたびに小気味よく軋んだ。
二メートル近い身長の男――クリフ・フィッターは断りもなくアルフの隣の席に腰を下ろすと、カウンターに立てかけた酒の中からアルフと同じウイスキーを選んだ。
「そう言うアンタも、一人酒を好んできた口だろ?」
そうアルフが返すと、クリフは口端だけをつり上げて小さく笑った。
「まあな。ところでお前、何杯目だ?」
「三杯目。アンタが来るちょっと前だよ、俺がここに来たのは」
「へぇ。結構イケるみたいだな。いっちょ飲み比べでもするか?」
「やめとくよ。レプリケーターの作った酒じゃ、味気ねえ」
素気なく言ってアルフはグラスの氷をカラリと回す。クリフはわずかに肩を揺らしながら、違いねえ、とつぶやいた。
「それで、どういう風の吹きまわしだ?」
隣のアルフに問いかけても、彼は岩のようにじっと動かなかった。
連邦の狂人なぞと世間で称されているが、茫洋とした紅の視線は手許のグラスで止まり、凪いだ海のように静かだ。
とても二月ほど前、自分を殺そうとした男と思えない。
この男の二面性が不思議だった。
アルフの握っているグラスが、氷を躍らせてカラリと音を立てる。それをみて、彼は薄笑った。
「いくら飲んでも止める奴がいないんでね。いい機会だろ?」
「…………」
なんと答えればいいのかわからなかった。
ただ、その『止める奴』というのが、アクアエリーの軍人なのか、それともアレンなのか。
どちらにせよ、明るい話題でない気がした。
クリフが溜息を吐く。
アルフの状況を考えれば仕方のないことであるが、気が滅入るのはよくない。
そう思ったのだ。
「お前の上官もいってたけどよ。もうちょっと、アイツを信じてやったらどうだ?」
敢えて名は言わなかった。
アルフの視線は遠い。
まるで、もう二度とアレンが帰って来ないかのように昔を懐かしんでいる。
それをクリフがとがめると、アルフはわずかに視線を上げた。
「――どうしてくれんだ?」
「ん?」
「
意外なことをいう、と思った。
冷酷無比。
肝のすわったアルフ・アトロシャスという人間は、己が勝利のためなら命すら問わない。そんな男だ。
それがたったひとりの同僚――今はエクスキューショナーの一味となった男を斬るのに、心を痛めているのか。
(……人間らしいとこもあるじゃねえか)
別段、アルフをロボットだと思ったことはないが、クリフは頬をゆるめた。
だが。
「勘違いするなよ」
アルフはこちらを一瞥し、嗤った。
クリフの思考を切断するように。
クリフは眉をひそめた。
「俺は別に、アレンを斬るのがいやなんじゃない」
「どういうことだ? そんな風に最初からアレンを殺す気で行くのもアレじゃねえか。もし戻れるのに誤って斬っちまったら、どうすんだよ?」
「斬るさ。正気でも」
断固として、言った。
クリフは眼を
どうして――と問うまえに、アルフはグラスのウイスキーを一気に呷る。
彼は言った。
「正気であっても、アイツは連邦の敵だ。立場上、そうなっちまった。だから斬るさ」
「お前が、そんなに使命感に燃える奴だとは思わなかったぜ……」
「そうしないと、最後の機会すらない」
「あ?」
「さっき。ムーンベースでフラン大尉が言ってただろ? 『何があっても連れて帰ってこい』って。あれを言葉通り実行すると、大尉が死ぬ」
「どういう意味だ?」
「簡単だ。確認の有無はともかく、現連邦の最高指導者、エイダ・アトロシャスはアレンをエクスキューショナーとみなし、S級犯罪者に指定した。
S級犯罪指定ってのは、知ってのとおり連邦法の中でも最高に重い罪状でね。情状酌量の余地なし。死をもって罪を贖うしかないとされている、極悪非道な組織に対して付けられる称号だ。
簡単に言えば、連邦が最優先に『殲滅』させたいと思ってる相手ってこと。
普通は個人に付けられるものじゃなく、団体や組織、惑星勢力などに付けられる。アールディオン然り、バンデーン然り、ね。
これを覆すのはなかなか骨の折れる仕事なんだ。しかも、それが現最高指導者の言葉となれば、たとえ狂言であれど、並大抵のことじゃ処刑を免れない」
「…………」
「そして――今回の騒動の中核人物は、FD人。俺たちじゃどうあっても全容解明するのが不可能な相手だ。
エイダ・アトロシャスは、あれでも名のある政治家だからな。事前にラインゴッド博士の研究内容を知っていても不思議じゃない。だから、真実をうやむやにした上で、自分の地位を盤石にするため声明を出したんだろう。
『残された人類に希望を与える』――という名目でね。
この戦いが終わった後、大尉が生き残っていれば、あの人は恐らく軍法会議でこう言う。
『アレン・ガードに指令を出したのは自分だ。すべて自分一人で決めた。部下は命令に従っただけで、国家を転覆させようという気はまったくない。すべての原因は、私一人にある』ってね」
「そんな話……。お前の推察が確かなら、お前の――」
義父、というのは憚られた。
だからクリフはここで一旦口を閉ざし、言いかえる。
「エイダ・アトロシャスが握り潰すんじゃねえのかよ?」
アルフは気にした風もなく頷いた。
「そうさ。でも、軍法会議をすることは決して無意味じゃない。たとえ国家権力に握りつぶされても、俺たちは特務だ。情報を公に晒し、時間を稼ぐぐらいは出来る。――やろうと思えばね。
だから大尉は、その間に証拠を揃えてアレンを解放しろと、言ってんのさ」
「だから、斬るのか。正気でも」
アレン・ガードが、そう言った経緯で生き残ることをよしとはしないだろう、ということはクリフにも分かった。
その意味を込めて問うと、アルフは小さく笑って遠くを見た。
ウイスキーを注ぎ足し、首を横に振る。
「いま話したのは、アレンの事情だよ。俺の場合は――ちょっと違う」
「違う?」
「俺は、どっちでもいいんだ。アレンの意地や、大尉の意思。あってもなくても、どっちでもいいと思ってる。
あの二人がどうしても『やる』ってんなら乗ってやるのはやぶさかじゃないが。それでも『そうしなきゃならない』なんて俺は思わない。
俺は、俺のためにしか戦わない」
「けど、お前さっき――」
失う、と言った。
失ったらどうしてくれるんだ、と。
それは一体なんだったのか。クリフが問うと、アルフは静かに目を伏せて、
「俺が失うと思ったのは、真剣勝負の場。
アレンほどの剣士。そうそう出合えるものじゃない。それを失ったら、勿体ないだろ?」
「そういう意味かよ……」
呆れたようにクリフが言うと、アルフは真剣な表情で首を振った。
「俺にとっちゃ一番なんだ。一期一会。本当の斬り合いをやれば、必ずどちらか死ぬ。それがいい。やり直しなんかいらない。持てるすべて、至高の斬撃。必殺の剣閃。俺が見たいのはそういうもの。
アレンと常日頃、剣を交えてそうならないのは、お互いある程度のところで抑えてるからだ。その意識が無くなったとき、俺は初めてアイツの底に触れられる」
そこでアルフの瞳が、静かに底冷えた。
「見てみたいのさ。連邦の鬼才と言われた、奴の本当の実力を。――そして、この世界を消し飛ばそうなんていう、FD人たちの力を」
ブレアはいった。
この世界は、『パラレルワールド』だと。
それぞれが独立したAIを持つがゆえに、もう一つ、世界ができたようになっているのだと。
引金は、間違いなくロキシ・ラインゴッド博士の研究。
彼らのおかげで、仮想はただの仮想でなく、現実になりうるもの――真の『パラレルワールド』の性格を得た。
ならば、殺せる。
FD人ですら、この手で。
神にも等しい者との真剣勝負。逃す手はない。
狂った紅瞳は、ただ前を向いている。
クリフは顔を歪めた。後頭部を掻く。
「なら、なんでナツメを連れて来たがらなかった?」
問いかけてみると、アルフは不思議そうにクリフを振り返った。
珍しく要を得ていないようなので、クリフはもう少しだけ、質問内容を付けたしてやった。
「お前が言ったんだろうが。『俺はどっちでもいい』って。――なら、なんでナツメを連れて来たがらなかったんだ?」
「……ああ。なるほど」
アルフは手もとのグラスに視線を落す。
わずかに、グラスを握る手が震えているように見えた。
「アイツをあやすのは、昔から苦手なんだよ。結局、なにをどうやるのが一番かなんて、アレンみたく俺は考える気もねえんだろう。――ただ、なにをどうやってもナツメの望む結果じゃなくなることだけは、確かだ。だから、連れて来たくなかった」
「……お前」
「大尉にとっちゃ他人事だしな。俺に嘘吐いてでもナツメをなだめすかせろって言いたいんだろうけど、そんなもん願い下げだ。知ったことじゃねえ。――そんなことしたら、剣が鈍る」
クリフの眉がぴくりと震えた。違和感がある。このアルフの言には、アルフの内なる声がある気がした。
「なにも、ナツメには言わねえのか?」
問いただすように聞くと、アルフは自嘲気味に嗤った。
頷く代わりに、沈黙を返して来る。
クリフは目を瞠った。
「そうは言ってもお前」
アレンを斬るつもりなら、ナツメをこのまま捨てておけまい。
そういうと、彼は視線を下げた。
「悪いとは思ってるよ。――でも、アイツとの勝負だけは譲れない」
彼は一瞬、紅瞳をぎらりと光らせた。
狂人の眼。
人斬りの血をたぎらせた男は、そこでクリフを見た。
「俺は普通の生き方なんか知らねえからよ。――もし。アンタが生き残ったら、ナツメを頼む」
オフィーリア・ベクトラは、自ら前線に赴いた。
それゆえ、この大戦で生き残るかはわからない。もしかすれば世界全体が消滅するかも知れない。
それでも、生き残る可能性がある。ならばせめて、ナツメを知る者が彼女の傍にいるようにと、アルフは思ったのだ。
自分はもう、帰る気はないから。
だからそれきり、アルフは口を閉ざしてしまった。
二人とも無言のまま、ただ杯を重ねる。
と。
「そろそろ、お開きにした方がよろしいんじゃありませんか?」
酒場に、ミラージュがやってきた。
クリフはいろいろと頭に浮かんでは消える思考の数々を一たん停止すると、アルフをあおいだ。
「だとよ。どうする?」
「エリクールが近いのか?」
アルフは鋭い視線をミラージュに向けた。
「ええ。あと一時間ほどで到着です」
それに一つ頷くと、アルフは席を立った。
アルフとクリフの前には、それぞれ三本の空瓶が立っている。どちらも同じスピードで飲み進めていた。
彼は最後にクリフを振りかえると、いった。
「アンタとの酒、悪くなかったぜ」
かつかつと軍靴を鳴らして、それきり振り返らない。
スライドするドアが、音もなく閉まる。
クリフは溜息を吐いた。
「ずっと彼と飲んでいらしたんですか?」
「まあな」
答えると、ミラージュは意外そうに眉をあげた。
「苦手な相手だったのでは?」
「どうも、アイツも酒好きみたいでよ。一緒に飲んでみたら、結構気の良い奴だったぜ」
なんとなく、アルフの決意は口にしてはいけないような気がした。
だからクリフはこう言い、くっくと笑う素振りをみせた。
ミラージュがカウンターに並んだ酒瓶とクリフを交互に見て、
「……そうですか」
呆れまじりにつぶやく。
クリフは視線を中空にやる。
――アイツ、一度も言わなかったが。と、クリフは思った。
(一度も言わなかったが、もし自分の上官とアレンが生き残れる道があったとしたら――どうするんだ?)
本当に、ただ決着をつけたいだけの男が、ナツメと対面できなくなるのだろうか?
たとえ自らの行動が引き金となって、上官かアレン、どちらか失うことになろうと、アルフ以外の誰がやってもそうなるのだ。
その引き金を、アルフの
(だから……なのか?)
アルフのあの固い決意は。
クリフは顎に手をやると、低く唸った。
アルフと、ナツメと、アレン。
彼らをこのままにしておくのは、どうも主義に反する気がする。
そう、このとき強く思ったのだった。
「ぐ、ぅ……!」
ナツメは小さく呻き、刀を杖代わりに片膝をついた。
「参りました」
数秒躊躇したように唇を噛んでいた彼女は、蚊が囁くように小さく言った。
アルベルはそれを見下しながら、刀を納める。初めて会った時は、両者の実力は伯仲していたが――侯爵竜クロセルを相手に洞窟にこもり、クリムゾンヘイトを得て、フェイト達と行動を共にしたアルベルは、もはやナツメの剣術レベルを大きく上回っていた。
数合打ちこんだが、どれも勝負にならぬ間に切り返されてしまったのだ。――ナツメの予想通りに。
「ぅ……っ!」
食いしばった歯の根から、わずかに音が洩れる。
ナツメの頬から涙が滑り落ちた。
「泣いてやがるのか?」
遠慮がちにアルベルが問うと、ナツメは項垂れたまま答えた。
「悔しい、です……」
消え入りそうな声だった。
アルベルはわずかに目を細めて、ナツメを見据える。彼女は力尽きたようにゆっくりと、床に両膝をついた。
「……フェイトさんたちがFD空間の話をした時、惑星ストリームでエクスキューショナーの群れに遭ったって言ってました。けど、フェイトさんは、その話でエクスキューショナーを恐れたり、不安を感じてそうになかった……。だから、薄々気づいてはいたんです」
そう言いながら、ナツメは右手で顔を覆う。
――開き切ってしまった、自分とフェイト達との実力差を恥じるように。
自分の表情を悟られないように。
ナツメは左手を握りしめた。項垂れたまま、叫ぶ。
「わたしは――……私は、こんな大変な時に皆さんの役に立てない! エクスキューショナーを蹴散らすような力もなくて、それでもジッとしていたくないから皆さんについて来た!
アルフさんの荷物になるってくらい、私にだって分かります。――だけど、居ても立ってもいられなくて……こんな自分が、悔しいんです!」
言う間にも、ナツメの涙は頬から顎を伝い、プレイルームの床に滴っていく。
アルベルは黙って、ナツメの言葉を聞いた。
「私は、アレンさんとアルフさんに支えられて、ここまで来られたのに。
なのに、二人に恩を返すことさえできない……。
どうして……! ずっと、いっぱい修行して来たのに……っ! どうして私は――こんなに弱いんだろうって……!」
その後は言葉にさえならず、彼女は唇を噛み締めて泣きだした。
己の弱さを――無力を悔いて、
それでも立ち止まることのない選択をして、
事の重大さを、アルフ・アトロシャスの表情から読み取って。
それでも――
「……いや、だ……!」
ナツメは言った。
「アレン、さんにもっ……アルフ、さんにもっ…… 死んで欲しく、ないんです……! もう誰も……いなくならないで……っ!」
殺して欲しくない。
――どちらにも。
この想いは、願いは届かないのか。
ナツメはアルフの背中を見て、そんなことを考えた。
このルノワールに乗ってから、アルフとは視線が合わない。むしろ、顔を合わすことすら出来ずにいる。
ずっと、ナツメの前では優しい兄であった彼が。
――優しい嘘すら、口にしない。
今までのようには。
アルベルは無言のまま、クリムゾンヘイトに手をかけた。
フェイトやアレン、アルフと対等に渡り合うために手に入れた刀。
持主の心が弱ければ――、力に溺れる者ならばその所有者をも殺すという曰くつきの魔剣だ。
これを手にするとき、彼は魔剣に言った。
『俺は――憎む!』
魔剣の問いは、彼の思い出したくない過去を無遠慮に突きつけて来た。
アルベルが通ってきた道。
血塗られた――自分自身をも忌まわしいと思って止まない
(俺は――ただ、)
ただがむしゃらに力を求めた。
それで過去の自分を塗り潰せるように、二度と過ちを犯さぬように。
体を動かせば、剣を振り続ければ――
鍛えるのをやめれば、強さは足音を立てて崩れていくのだ。それ故に、アルベルは努力を惜しまない。必要な精神力を、彼は身につけていった。
本来は『疾風』となるべき自分が、焔の継承に失敗して竜の怒りを買い、その代償を父に負わせてしまった。
――人間が、文字通り消炭になる瞬間。
その光景を、まざまざと見せつけられたから、アルベルは病的に剣術の腕を磨いた。
『俺は俺自身を憎む! 戦いで不覚を取った未熟な自分を!
他人を認めようともせぬ、身勝手な自分を!
己より弱きものを見下そうとする、傲慢な自分を!
王の信頼を疑う、猜疑に満ちた自分を!
皆と協調する事の出来ぬ、反抗的な自分を!
俺よりも優れた者を妬もうとする、嫉妬にかられた自分を!
そして……。弱かったが故に父に命を落とさせた、力無き自分をな!』
過去の鎖を断ち切るには、魔剣に答えを返すには、身を斬るような痛みが心に走った。
本当は――気づいていたのだ。アレン・ガードに言われるまでもなく。
『考えるのを放棄したのは、国民だけか?』
アルベルは顔を上げる。
もしも弱さを認めることが強さだとするならば、――こうして己の無力を噛み締めて泣き崩れるナツメは、強き者に値しないのだろうか、と己に問いかけながら。
それでも――現実は違うとアルベルは知っている。
いくら心が強かろうと、身体的な強さでついて来られない少女の辛さを、冷酷な現実を、アルベルはその身で理解している。故に彼は、己の問いにこう答えた。
(こいつは凡百の兵なんかじゃねえ。だが――)
『貴方がクソ虫と称する奴等にも、誇りや意地がある』
(ああ、つまり……そういうことだ)
例えエクスキューショナーを無造作に払いのける力がなくとも、
例えアレンやアルフを引き止める力がその身になくとも、
ナツメの願いは――まだ叶わないわけではない。
そう、アルベルは思った。
もう二度と、家族を失いたくないという少女の想いは、あまりに当然で――それ故に強い願いであると分かるから。
「おい、阿呆」
呼ぶと、ナツメはごしごしと目許を右手のグローブで拭った。それでも涙は止まらず、彼女は顔を上げずに、はい、と力なく返事をする。
ナツメは最後の気力で、泣き顔をアルベルに見せない。
アルベルはその彼女に言った。
「テメエに力が足りねえなら、俺が貸してやる。――だから、決して立ち止まるんじゃねえ」
「!」
ナツメの顔が上がる。溢れんばかりの涙を溜めた少女は、しばらく硬直していたが――、ふと、新たな涙を溢れさせた。
「ごめっ……、あり、が……っ! 団、長……っ! ありが、とっ……ござ、……ます……っ」
言葉はやはり、涙で続かない。それでもナツメは、何度も『ありがとう』を口にした。
そのナツメを見てアルベルは思う。
――これは昔の自分ではない。
だが、
昔の自分が感情を素直に表わせたなら――、きっと同じような表情をしていただろうと。
(今度は、……
アルベルはクリムゾンヘイトを握りしめる。
それは彼が誰にも明かさない覚悟であり、彼が誰にも明かさない――己との戦いだった。
◆
「ようやく、覚悟は決まったかしら?」
IMITIATIVEと名乗る女は、顎に手を添えながら悪戯な笑みをアレンに向けた。
アレンは二メートル強の剛刀、兼定を背中に負い、自分の身長の倍はありそうな巨槍を握って前を見据えている。
彼の視線の先には、蒼く光る惑星があった。
エリクール二号星。
フェイト達が今、向かっている未開惑星だ。
「ああ」
IMITIATIVEに小さく頷き返しながら、彼は歩き出す。人類ではあり得ない、宇宙空間を素面で歩く自分に怖気を感じながら。
その彼を満足そうに見やって、IMITIATIVEは首を傾げる。
「それにしても、人類の文明を消滅させることが私達の目的なのよ? それなのに、どうしてあんな辺鄙な
「……さあな」
途端、IMITIATIVEの蒼瞳が恐ろしく冷えた。アレンはそれを無表情に見返す。
この女は恐らく、
だが、そんなことはアレンの知ったことではなかった。
「俺がエリクールに行きたい理由は、正直なところ、よく分からないんだ。けれど、……なぜかこの惑星に惹かれる」
まるで、こちらに『来い』と言われているように。
IMITIATIVEは要領を得ない表情で眉をしかめながら、肩をすくめてみせた。
「まあ、銀河の汚染を処理する気があるのなら構わないけれど。――それにしても、いつまでそんな役に立たない物を持っているつもりなのかしら?」
そう言って彼女が視線を向けたのは、アレンが背負っている剛刀だ。
ストリームで見つけて以来、彼はこれを肌身離さず持っている。――その鞘から、
「無論、抜けるようになるまでだ」
答えながら、彼は目を細める。
兼定を抜けない理由は――なんとなく、自分でも分かっていた。それでもその理由を克服するには、今の自分は弱過ぎる。
アレンは薄く目を閉じた。
エクスキューショナーは、
自分を犯罪者に仕立てた政治家と――
不祥事を功績とするために躍起になる上層部と、
現状をなんとかしようと必死な前線と、
そして――……
この世界のどこかにいる、彼のオリジナルが――。
アレンはゆっくりと目を開け、顔を上げると、IMITIATIVEに言った。
「行こう。エリクールへ」
◆
「出来たぁ!」
ソフィアは嬉しさのあまり、声を弾ませた。
白桃のデザートスープを作り始めて早数時間。
何度か失敗を重ね、見かねたネルに手伝ってもらいながら、ようやくここまでこぎつけることが出来た。
透明なグラスに乗った、瑞々しい白桃のデザートスープ。
桃の甘い香りが嗅覚を刺激し、淡い色合いの白桃が、牛乳とヨーグルト、砂糖、レモンで調えたスープの中にちょこんと乗っている。
なんとも見た目だけで食欲をそそる逸品である。
「今度こそ、成功みたいだね」
ネルも満足したように頷いている。
料理という共通の目的を達成した二人は、いつしか口数も増え、良好な関係を築いている。
「はい! ネルさん、長い間手伝ってくれてありがとうございます」
「いいよ。私も結構楽しんだしね」
「それじゃあ、出来あがったものを皆やクォークの人達にもおすそ分けしましょう」
「そうだね。これならきっと、皆喜ぶよ」
「はい!」
ニコニコとデザートスープを抱えてルノワールを回るソフィアの周りには、次々に笑顔が咲いた。
戦いとは無縁な少女は、この場に置いてもっとも力足らずな少女である。
だがそれ故に、ささくれがちな皆の心に、ほんの少しの水を与えることも出来るのだ。
彼女が作った――デザートスープのように。