「ソフィアー、みんなぁ! どこだぁあーっ!」
フェイトは一人、暗い廊下を走っていた。
いや、これは橋なのかもしれない。
天井は高く、薄暗い空間の中、フェイトの靴音だけが空々しく響いている。細い通路の脇には柵があり、その向こうに、両手を胸の前で重ねた聖女の像が何十体と立っていた。初めて見れば、そのあまりに精巧な造りから、巨人と見間違えたかもしれない。
左右対称に置かれた巨大な石像は、細い通路を見下ろすように俯き、何百対も連なった像たちが、フェイトをもてなすように次々と現れる。
いくら走っても、その光景は変わらなかった。
(ここって……)
駆けながら、フェイトは思った。
似ていた。シランド城の地下にある、封印洞に続く隠し通路に。
違いは、隠し通路ならば果てに封印洞が続いているが、こちらはなにが待ちうけているのか、皆目見当がつかないところか。
「くっそぉー! ソフィア! みんなぁ~! アルベェ~ル!」
一緒にゲートをくぐったはずのアルベルすら居なくなっていることに、フェイトは寂しさとやるせなさを感じた。
◆
三秒だった。
「ぬ、ぬぅ……!」
ナツメは低く呻き、顎先にしたたった汗を拭う。
わずか三秒の間に、彼女はスイッチを押しに向かった、クリフとアルベルとはぐれた。
後ろをふり返ると、二人が消えていたのだ。原因は恐らく、『扉』である。クリフがスイッチのある部屋を開け、そこをくぐった途端に、二人が消えたのだ。
ファイアウォールに来るまえと、まったく同じ現象と考えてよさそうである。
周りを見渡し、ナツメは息を呑んだ。――ここには、宇宙が広がっていた。
アクアエリーからいつも見た、紺碧の空間。無数の星々がきらめきを放ち、空に浮かぶ雲のようにゆっくりと流れていく。
ナツメはその空間の中央で、透明な薄い床の上に立っていた。
――現実ではない。
直感的に思った。ムーンベースのような強化ガラスがナツメの周囲を覆っているわけではなく、ファイアウォールに似た、紋章陣のようなものが彫られた薄い床が、淡い光を放っている。
見た目は宇宙空間だが、呼吸も難なくできた。
さらに風がない。
「ん?」
ナツメは眉を寄せた。得物に手をかける。
獣の息遣いが、どこからか聞こえてきた。
ゆっくり呼吸して、気配を殺す。
「ギャフ!」
「フギャ!」
そのとき、ナツメの肩に憑いた双頭竜が、前方を指して短く啼いた。顔を上げると、そこに
「え……、これって」
さきほどまで存在しなかった、巨大なクリスタル結晶が、ナツメの行く手を遮るように通路上に浮かんでいた。
クリスタルの向こうに、金色の門のようなものがある。
近寄ろうとして、すぐさま右手に打ち込んだ。硬い骨の感触。腕に伝わる震えを追って、獣の生暖かい息が、頬にかかった。
「ぉおっ!」
本能的に腕に力を込め、剣を振り切った。獣が鋭く後ろに飛びずさる。
ナツメもまた、バックステップで距離を取った。
「こいつは……!」
そこで思わず息を呑んだ。
獣が三体、ナツメと同じ床の上にいた。それぞれ、種族が異なっている。
噛みついてきた一体は四つ足。雌ライオンのような顔と手足をしており、肌は鱗で覆われ、ブラストドラゴンのような鋭い羽、尻尾を持っている。
『デスゲイズ』という悪魔の一種だった。
もう一体は、サンマイト草原でも見かけるハルピュイアの上位種『キマイラホーク』。女の頭と胸、胴を持ち、四肢は鷲よりも大型の肉食鳥で構成されている飛翔族だ。
最後は、人に似ていた。異常に発達した筋肉から太い血管が見え、鉛のように黒い肌から浮き立った血管が、ドクドクと脈打っている。丸太のように隆々とした腕は左右二本ずつ生えており、背中には蝙蝠の羽が、顔は竜に似ているが、耳の付け根から牛の角が生えており、一目で魔族だと察せられた。『ルクトギアス』という上位悪魔である。
その三体は、まるでクリスタル結晶を護るようにナツメの前に立ちはだかっていた。
(――強い)
対峙し、ぴりぴりと首筋を刺す殺気を受けて、ナツメは一人ごちた。
エクスキューショナーすら満足に倒せない幼い剣士には、荷が重い相手である。
(ここは、どうにか逃げないと――)
敵の攻撃をやり過ごし、この場を離れる決断をする。
だが、
「ギャフ!」
「フギャギャ!」
もっと上を見ろ、と催促するような双頭竜の声。それに従い、ナツメは警戒しながらも視線をクリスタル結晶に向けた。
凍りつく。
「な……っ!」
結晶の中に、人がいた。
ナツメやクリフたちが捜していた人物――
栗色の髪を腰まで伸ばした、おっとりした女の子。
ソフィア・エスティードが。
「ソフィアさんっ!」
彼女が、この三体の魔獣に捕らわれているのだ。――確信した瞬間、ナツメの胸の奥で、闘志が燃え滾った。
「押し通るっ!」
ナツメの双剣が輝くと同時、散った紋章力が木の葉となって宙を舞った。
途端、
クリスタル結晶にもっとも近いルクトギアス――魔人の側面をナツメは薙いでいる。
(硬い!)
まるで鉄塊だ。歯を食いしばったナツメは、抜刀を腕で止められ、後ろに飛びずさった。
同時。
首をひねった一寸先を、鳥人キマイラホークが起こした疾風が走って行く。真空の鎌鼬。この場に岩でもあれば、一瞬で叩き切られている。
ダンッ!
背後で物々しい音が立った。鋭くふり返る。ルムより巨大なデスゲイズの鋭い牙が、ナツメに襲いかかった。
「ちょ、ちょっ……ちょっ!」
どうにか刀と剣で受け流すも、質量が違いすぎる。
ナツメは背中から倒され、跳ね起きんとした瞬間。
ルクトギアスの
(て、手数が足りない~~っ!)
組織だった三体の魔物。
ナツメは頬を引きつらせながら、心の中で絶叫した。
◇
アルベルは眉間に皺を寄せ、周囲を振り仰いだ。さきほどまで口論していたクリフも、後ろをついてきたナツメもいない。
「どこに行きやがった、あの阿呆ども」
アルベルはスイッチのある部屋に入っただけだ。他の二人とはぐれるような構造でないことは承知しているが、フェイトという前例を見たため、二人が消えた現象を納得できないわけではなかった。
――正面衝突してくるだろ、あいつの性格なら。
アルフの言葉を思い出し、アルベルは口端をつり上げた。
場所は、ファイアウォールで間違いない。ただ、この部屋は以前通った部屋でなく、奥に大型転送装置を配した、ひらけた場所だった。
そのときである。
転送装置のプラットホーム上に、光が像を結び始めた。
「フン、予想通りってわけか!」
転送されてきたのは、飛行タイプの警備マシン。これまで相手にしてきたものより、大型の筒を身体の中心に据えている。「バンデーン」という異星人に似た顔をしたマシンだった。
筒の威力はマリアの銃、シーハーツ軍の施術兵器、艦船の主砲を通してアルベルはよく知っている。
警備マシンの名は、『ガウ』といった。本体斜め上部、左右にローターが二枚ついていて、回転速度を物語るようにモーターが鋭く唸っている。直感から、アルベルはこのマシンが、昆虫のように俊敏な動きをすると察した。
勝負をつけるなら、早い方がいい。あの砲身を遊ばせず、一閃、機体を叩き切るのが一番いい。
ガウは、転送動作が終わるか終らないかのうちに重機関銃を連射した。同時、アルベルも跳躍し、切り上げる。
ガウは想像通り太刀を躱した。自在に滑空する姿は、甲虫を思わせる。そして宙高く停まり、連射してくる。
「チィッ!」
舌打ち、アルベルは横に転がった。左手に気を込める。
「魔障壁!」
躱し切れないのは、バンデーンとの戦いで経験している。義手に込めた気を壁とし、それで弾丸をやり過ごした。
さらに一閃。
剣先から衝撃波が生まれ、ガウのローターを掠める。高度が下がった。
「ぉお、りゃっ!」
下段から切り上げ、双破斬で叩き落す。
分厚い鋼鉄の塊は、轟音を立てて床に激突した。斬ったアルベルの腕まで痺れる。
装甲が硬く、クリムゾンヘイトでなければ刃毀れしている。
さらに刃に気を込めた。
FD製のものは刃筋を通すだけでは両断できない。
大上段に構え、アルベルは赤黒い闘気が宿った義手で柄を握りこみ、
「吼竜破!」
打ち込んだ。
剣術に気功を重ね合わせて放つ、一撃必殺の龍。本来は地脈を利用し、最大で十二体の黒龍を創り出す技を、アルベルはたった一体の龍に凝縮する。
黒龍は斬撃から放たれるや、小山のような鋼鉄の塊、ガウに容赦なく食らいついた。天井高く飛翔して派手に爆発する。
光、熱、風。
アルベルは顔を叩いてくるそれらを鬱陶しげに眼を細めて受け流し、頭上を仰ぐ。ガウを爆散させる際、黒龍がのたうって飛び散った気が、ファイアウォールの床や壁に小さな穴をいくつも空けた。
「チッ!」
それを見て、忌々しげに顔をしかめた。
ガウの破片がぱらぱらと降る。
(せいぜい、六匹ってとこか……)
一人ごちた。
元々彼が使う「吼竜破」は多頭龍。制御が難しく、気功術の中でも超上級者向けの高威力の技だ。だが、それにはアレンやアルフのような一撃必殺の威力はない。
あの二人やフェイトと戦うようになって、アルベルは気をもっと圧縮し、強力に、一撃で敵を屠る技が必要だと実感し始めているのである。
「単純に重ね合わせるだけじゃねえってことか……」
ぶつぶつとつぶやきながら、アルベルは転送装置のプラットホームに乗り込み、次の間へと進んだ。
◇
「ったく。どこをどうやったらはぐれんだよ。あいつら」
クリフは深い溜息を吐いた。もともと、目を離すとすぐ迷子になるナツメと、集団行動が嫌いなアルベルだ。
それなりに注意を払って進むべきだろう、と胆に銘じていたのだが、まさか部屋一つまたいだだけで二人が消えるとは、夢にも思っていなかったのである。
「つーか、ここはどこだ?」
クリフが記憶している部屋とは違っていた。そこは天井高く、パネル、ディスプレイで覆われた機械部品の中に間違いない――つまり、ファイアウォールなのだが、例のスイッチが見当たらない。
さらに、クリフが見てきたどの部屋よりも広く、ひらけていた。
こつ、
靴音が背後で聞こえ、クリフがふり返った。扉がある。少なくとも数秒前までは
クリフの目に飛び込んできたのは延々と続く巨大な螺旋階段。そこから、悠然と降りてくる人物だ。
淡い金髪と、濃い蒼の瞳。
なじみ深い仲間の顔。
「て、てめえ!」
「まさかお前がここに来るとはな」
アレンは抑揚を感じさせない声で語った。
対峙してみると、まるで死人のようである。あれほど輝いていた瞳は闇に包まれ、影ながら存在感のあった貫録が、冷たい気配に呑まれている。
「へっ。しばらく見ねえ間に、腐った魚みたいな目ぇするようになったじゃねえか。それとも、それがお前の真の姿だってのか? エクスキューショナー」
「なにが言いたい」
「この年になって別に言うようなことでもねえんだがよ。……お前、仲間殺されてブチ切れてたんじゃなかったのかよ! ヴィスコムたちはな! テメエを生かすために戦ったんだぞ! それをテメエは、その怒りはどこに行きやがった!」
「それも所詮はプログラムが仕込んだこと」
「なに?」
「いま、お前が感じている不快な感情も、すべては0と1の集合体によって創られているに過ぎない」
クリフは息を詰めた。視線を交わしても、まるで同じ場所に居る気がしない。壊れたプレイヤーを再生して聞いているような、落ち着き払ったアレンの声。
それは、ともすればすべて諦めた者の声にも聞こえた。
「だから無駄だっていいてえか! そこまで腐ってやがったのか! テメエの性根は!」
「顔なじみのよしみだ。すぐに楽にしてやろう」
アレンは表情を微塵も動かさず、手のひらを開いた。途端、白い光が集まり、身長の倍はある巨槍が一閃、光を割って現れる。それを彼が握ると、大きな羽音を立てて、彼の背に黒い巨人の手が広がった。まるで翼のような巨大な手。
わずかに宙に浮かび、クリフを見下ろすその冷めた眼を睨み返して、
「上等だ。テメエがきちっと目を覚ますまで」
クリフは思い切りガントレットを打ち鳴らした。
「徹底的にぼこぼこにしてやらぁ! 覚悟しろ! アレン!」
言葉と同時、クリフは踏み込んだ。
「先手必勝だ!」
両腕に蓄えられたありったけの気功を、全体重を込めた遠心力で振り回す、カーレントナックル。
空寒い風切音。
その獰猛な拳は、たとえ執行者だろうが断罪者だろうが容赦なく薙ぎ倒す。
だが、
「なにっ!?」
クリフが触ったのは、影だった。
視界の端に見えたのは、アレンの背中についたあの巨大な触手。
彼は代弁者のように羽を広げ、それを一閃することで文字通り、クリフの背に転移したのだ。
「これが俺たちと、お前たちとの違いだ」
アレンが手のひらを開くと、白い光が走った。
咄嗟に息を詰めて、頭を両腕で防御する。途端、巨大な猛牛が正面から衝突してきたような衝撃が、クリフの全身をわずかに浮かせた。
呻き、全身から煙を上げながらも、クリフは口端をつり上げる。
「へっ! きかねえな」
きりきりと焼け付く両腕の痛みが、かつてのアルフとの戦いを思い出させた。
クリフの胸の中を、苛立ちが駆け抜ける。
唇を強く噛みしめたクリフは、アレンを睨みあげた。
「その背中の刀、振り回してる方がよっぽど強ぇぜ! アレン!」
両腕を開き、全身に闘志を燃え上がらせて、突進する。自分自身を焔の塊に変え、弾丸のごとく疾駆するバーストタックル。
アレンはそれを、槍を一閃して止めた。
「誇りがあったんじゃねえのか!」
クリフの苛立ちが、さらに膨れ上がる。
「銀河連邦の軍人として、テメエは民間人を護るんじゃなかったのか!?」
下肢に力を込め、アレンの槍を吹き飛ばさんと、さらに気功を集める。
アレンの澄まし顔が気に入らなかった。
揺るがない瞳が、死人のような顔が、クリフの苛立ちを増長させる。
「それが軍人じゃねえのかよ! アレン! なのになんだ! いまのテメエはっ!? 鏡で自分の姿、見てみろ! 創造主だか何だか知らねえが、そんな奴の操り人形にされて、その状態でテメエは、自分が正しいって言えるのか!? 答えろ、アレン・ガード!」
途端、
クリフの身体が
目を見開き、状況を把握したときには、すでに後方へ吹き飛ばされている。ファイアウォールの壁に叩きつけられたクリフは、息を吐き出し、意識を手放しかけたが、強く奥歯を噛んで立ち上がる。
全身が、たったいまの一撃で枯れ枝が折れるような音を立て、膝がガクガクと嗤い始めた。
クリフは腿を叩き、殺気立った目をアレンに向ける。
悠然と見下ろすアレンが、言った。
「いまのエネルギー波に耐えるとは。思った以上に強くなっているようだな。だが、結果は変わらない。どうあがこうと、お前の運命は、ここで決まる」
「まぁだ、目が覚めねえようだな」
クリフはこれ見よがしに拳を打ち鳴らし、両拳に気を高めると、
「行くぜ!」
クラウストロが誇る、爆発的な身体能力を発散させ、駆った。