ソフィアのコネクションが宙に広がったとき、ファイアーウォールの広間が、通路が、山岳遺跡が、闘技場が――すべての空間がまるで殻から抜け出たようにパラパラと音を立てて剥がれていった。
パネル・ディスプレイに覆われたトンネルが割れてその向こうに広がる――宇宙。
岩壁に閉じ込められた洞窟、黒い岩盤が細かく砕けていき、その先に見える――宇宙。
修練場の上空、抜けるような青空が突如崩れ、褐色の煉瓦さえも消え果てた先に広がる――宇宙。
場所は違えどすべての空間が一つに繋がり、漆黒の暗闇が全方位を包む。みなが立っているのは透明な床板の上。金色の紋章陣が床下を走り、仄明るい光を発している、不思議な空間。
――完全な静謐に包まれた、スフィア社オーナーが待つ最後の砦。
螺旋の塔。
◇
イミテイティブ・ブレアがうろたえて周りを見渡した。
「馬鹿なっ!? 一体どうやって、こんなことが――っ」
彼女が驚いている間に、マリアは肩で息を切らしながら、呼吸を整える。負傷した右腕。左手で庇いながら宇宙を見上げた。
なにもない、だだっ広い宇宙。
雲のように流れていく星々を。
「この力は……、間違いない。ソフィア……! まさか、力を使いこなしてるの!?」
延々と続くように思われた廊下をひた走るフェイトが、足を止めた。
紺碧の空間。
旅行するときにいつも見かけた沈黙のそら。
薄透明色の通路は金色の門を潜るように作られており、その門を塞ぐように紫色のクリスタルが浮かんでいた。
「こいつは……!」
額に熱を感じて手を当てた。心臓が脈打つ。淡い発光。全身から紋章力が湧き立ってくる。
「そうか。無事なんだな、ソフィア!」
行く手を阻むクリスタル結晶を壊して、フェイトは塔の最上階を目指していく。
アルベルは小さく鼻を鳴らす。
大型転送装置が運んだ先が――この螺旋の塔だった。気が遠くなるほど広いフィールドを見渡して、
「相変わらず、どこが前だか分かりづれえ構造してやがる」
素朴な悪態をつきながら、上の階へと進んでいく。
ソロンとディルナからは、ため息が零れた。
「こりゃひどいバグだなぁ……」
「お仕事が増えちゃっただけよ? 愚痴っちゃダメダメ」
「はいはい」
対するネルたちは目を疑った。
無限に続く漆黒の空間。馴染みないその世界が、修練場の景色を壊した先に広がっていたのだ。
「これは、どういうことだい……?」
「よく分かんねえけど、綺麗なトコじゃんよ~……」
呆気にとられる二人の会話を背にして、アルフは刀を握り直した。
狂眼は、いかなるときも敵を見逃さない。活人剣による身体能力強化、相手の行動を完全読み切るアルフの洞察力により、戦いは優勢に傾いていた。だがディルナ・ハミルトンの参戦によりその様相は一変。
FD人たちによる終わりなき苛烈な攻撃が始まる。
それはまるで悪い夢のようで。
◇
「マッジカルスター!」
少女の明るい声が弾むと、星形の光線がアルフに躍りかかった。まるでステップを踏むような円運動。見た目に反して容赦なく地面を抉り取り、黒い土煙を上げる。寸前で二、三、銀弧が閃いた。星が斬り捨てられたのだ。分割した星がそれぞれ爆破し、煙の中に沈むアルフ。ネルの眼が強張る。アルフの左手――土煙の縁で、ソロン・ソリュートが蒼焔の剣を振り上げている。間合い二メートルとない。確実に当たる。
「ギャンブルソードっ!」
冗談みたいにいい加減な打ち込みが、四メートル四方すべてを呑みこむ大爆発を起こした。焔が突風を巻いて吹き荒れる。ネルの叫びが爆発音で掻き消され、眩い光が漆黒の空間を照らし、すぐ闇に吸い込まれていく。
煙の中、血まみれのアルフが現れる。
ソロンが薄く笑って斬り立てた。中空に咲くいくつもの火花。アルフの剣は衰えない。単純な斬り合いでソロンの強力な攻撃を、局所的に押し返している。だが、それもディルナ・ハミルトンの援護があれば大きく変わる。焔の獣とでも形容したくなる強烈なファイアボルト。それはソロンの死角から必ず放たれ、カウンターを取ろうとしたアルフを一撃で後ろに引きずり倒す。そこを苛烈に攻めるソロン。彼の笑顔はいよいよ嗜虐的な色を帯び始めていた。劣勢に落ちる剣士をこれでもかと攻め立て、いつ相手が音を上げるのか嬉しそうに待ち構えている。
亀のように身を縮め、斬撃の檻に押し込まれたアルフは防戦一方だ。首、頬、肩、二の腕――かすり傷が増えていく。
「このままじゃやべえ……っ!」
ロジャーに言われるまでもなく、ネルも承知していた。だがアルフはなにか待っている。静謐な紅瞳。一発もらえば即死という状況で、彼はまだ冷静なままだ。
加勢すべきか、否か。
悩む内にディルナがまたファイアボルトを詠唱し始めた。
(まずいっ!)
背中を怖気が駆ける。
「ロジャー!」
「任せるじゃんよっ!」
嬉しそうな返答を聞くまえに、ネルは背中の大刀を水平に押し投げた。黒鷹旋。疾風を巻いた大刀が手裏剣のように水平回転しながら三本のファイアボルトに当たり、軌道をわずかにずらした。ディルナの驚く顔。ネルは身を屈め、猫のように疾駆。一方でロジャーもトライファンネルを展開し、ソロンの動きを制限しつつヒートウィップで相手の剣を絡め取った。
接近に成功したネル。調教された鷹のごとく大刀が手元に戻ってくる。それを取るや、勢いよく斬りつけた。施術防壁。刃が跳ね返され、驚きで飛びずさると同時に星形の光線がネルを襲った。小刀で咄嗟に防御。意味をなさずネルの痩身がきりもみ回転しながら後ろに吹き飛ぶ。
一方、ロジャーも顔を歪めていた。ヒートウィップで封印したソロンの剣。だがソロンは不気味に嗤って、なんと力任せにウィップを引き返してきたのだ。凶悪に改造されたソロンの馬鹿力でロジャーの体が宙を舞う。長い悲鳴を上げていられたのもつかの間、完全に引き寄せたロジャーの腹にソロンの強烈な拳が決まった。くぐもった声、嘔吐するロジャー。鞠のように少年が薄透明の床に投げ出される。
一対一では話にならない。
(馬鹿な……っ!)
呻きながらも、ならば、とネルの瞳が燃え上がった。鋭い彼女の怒号とともに、ロジャーが雄叫びを上げながら立ち上がってディルナに肉薄する。攻撃対象をディルナに限定。各個撃破に躍り出たのだ。
「風陣!」
「トライファンネルっ!」
息の完全にあった二人の動きに、ディルナとソロンが瞠目した。きちんと会話を交わしたわけではないのに、一糸乱れぬネルとロジャー。それはまるで集団戦闘に慣れ切っているようだ。たとえば毎日、自分より格上の人間に複数で攻めかかっていたような。
「ディルナっ!」
嫌な予感を覚えてソロンが加勢しようと駆けだしたそのとき、蒼焔の剣がソロンよりも速く後ろから斬りかかった男に反応した。剣戟音。腕に沈みこんでくる重い斬撃を受けて、ソロンの端正な顔が歪む。頭上に血まみれのアルフ。ぎらついた紅瞳はずっと静かなままだ。ソロンは初めてあからさまに舌打ちした。
「まったく! しつこいなぁっ! 君も!」
力を込め、攻め返すがいくら剣を操ってもアルフを退けられない。相手の腕力はこちらより遥かに弱い。彼の動きはこちらより明らかに遅い。なのに、この弱い男を相手にソロンはいつまでも手間取っている。
(なんだ、こいつ――っ!)
殺ったと思った瞬間がいくらでもあった。そのどれもが思い違い。まるで沼だ。この男は底なしの沼。ここで斃せるはずなのに、ソロンはまだその沼の底に足をつけられないでいる。
どれだけ速く、どれだけ強い一撃を放とうと、アルフは先に掴んだ相手の行動パターンから絶妙なタイミングで攻撃の芯を外していく。首の血管を斬られそうになった彼は即対応を修正し、頬に、肩に、腕に――徐々に致命傷から離れた部位で、相手の攻撃を受け始める。それはコンマ数ミリの緻密な作業。相手の心でも見通せなければ、判断誤って斬り殺される。ソロン・ソリュートのような、もう人の域を超えた身体能力を持つ相手には。
爆発音が左手で上がり、ソロンは鋭くふり返った。
「ディルナ!」
迷わず打ち込んでくるアルフ。蒼焔の剣が止め、ソロンが苛立った眼でアルフを睨みあげた。
「うるさいなっ! わからないのか。君がいくら攻めたところで、自分には傷一つつけられないんだよっ!」
何度同じ舞いを踊らせるつもりか――ソロンは正直、この戦いに飽きていた。同じ動き、同じ攻め、同じ防御。それらが少しずつ変わっていることも、彼は気付かない。いや、気付いたとしても彼の考えは変わらないだろう。
鍛えすぎたステータスと装備。単調で楽な戦い方に慣れきってしまったソロンは、勝負の駆け引きを久しく忘れている。
自分自身の力に溺れているのだ。
――それは、ディルナ・ハミルトンも同じだった。
爆発の中から現れたディルナは、当然のように美しい姿を保っている。傷一つない素肌、焦げ目一つない衣服。精彩のない灰色の瞳が涼しげに二人のエリクール人を見つめている。
「いくよ、ロジャー!」
「了解っ! おねいさまっ!」
ロジャーがヘリメットを真上に投げる。印を結ぶネル、雷が彼女の腕をのたうち、ロジャーがヘルメットに向けてビームを放つとネルも雷煌破を真上に打ち上げた。白く野太い光の柱に緑雷がまとう。ヘルメットに当たって広がる巨大な施術陣、雷鳴が鼓膜を揺さぶり、三六〇度、周りにいるものすべてを巻き込む光雷の雨となって降り注いだ。
施術――自然界に作用するこの秘術は、近距離で、かつ同時発動させると、互いに干渉しあい吸収・合併する性質を持っている。普通、この性質は術士たちが狙って発動できるものではないが、ネルはその特殊な訓練を受けていた。そこで学んだのだ。――施術は自然に干渉するもの。突き詰めれば、ロジャーが持つまったく施力を必要としない電子銃にすら干渉し、その力を押し上げると。
その理想形が、アルティネイション。
だが、アルティネイションほどでなくとも、ネルの施術には確かな付加効果があった。
火力不足だったネルとロジャーの攻撃が、ディルナ・ハミルトンの星形光線をあっさりと叩き落とし、彼女が悲鳴とともに光の渦に沈めていったのだ。もはや何発直撃したのかさえ光の雨が強すぎて見えない。重い轟音とともに揺れる床板。漆黒の闇をも照らし出すこの雨は、まるで夜空に零れる流れ星のようだった。
「やったじゃんねっ! おねいさま!」
「ああ。けど……」
慎重にディルナの気配を窺うネルは、己の実力を過信しない。その雰囲気に呑まれて、ロジャーも神妙な面持ちでディルナの方に目を向けた。天高く投げ上げたヘルメットが手元に戻って来、光雷の雨がようやく止む。
「ひっどぉ~い」
不服そうなディルナの声。ロジャーは、ぃっ、と口を歪めた。藍色のとんがり帽子と、ふんわり膨らんだ薄紫色のズボン。細いふくらはぎは黒タイツに覆われ、宙に浮かぶ竹ぼうきに横乗りしている。
彼女は、また無傷のままだった。
ただ自慢の黒髪で結った左右の三つ編みが、少しほつれて頬を膨らませている。
「ど、どうしろってんだい! こんなやつ……!」
「ありえねえじゃんよぉ!」
絶望の滲んだ二人の声を聞いて、ディルナは嬉しそうに破顔した。
「ふっふ~ん。あなたたちもいろいろがんばってくれたみたいだけど、ここでそろそろ終わりにしちゃうわね。あとが控えてることだし」
ニコニコ笑いながら、施術がディルナの指先から広がっていく。――範囲施術、エクスプロージョン。
(ファイアボルトであの威力なのに、そんなもの撃たれたら……!)
ネルの顔が引きつった。
そのとき、
「上等だぜ、お前ら」
疾風のごとく銀髪の青年がディルナ・ハミルトンに肉薄していった。驚き、施術防壁でアルフの突きを止めるディルナ。
「ちょっと、ソロン!」
「ごめんごめん、結構すばしっこくてさ。彼」
「しょうがないわね~。じゃ、押さえててあげる」
ファイアボルトが無詠唱で放たれる。アルフは上体を動かすだけで二発躱し、三発目を払い落とす。ソロン・ソリュートが背後から追撃。背中に眼がついているかのごとく、アルフはふり返りもせずにソロンの打ち込みを刀で止める。苛烈に斬り立てるソロン。ファイアボルトを連射するディルナ。渦中のアルフが、また亀のごとくじっとしながらそれら一つ一つを躱し、流し、弾き、斬って落として追い詰められていく。またしても二対一の構図。押されている。
「――アルフ!」
どう加勢すべきか。ネルは頭をめぐらせた。こちらの攻撃は相手のダメージにならない。出来ることは足止めだが、それはアルフも同じだ。有効打は誰も決めていない。
(どうする、一体どうすれば)
ネルはふと瞬いた。
先ほど、アルフがすれ違いざまに残した言葉。彼は恐ろしく勘がいい。ソロンと戦いながらもネルたちの動きを見て、なにか掴んだと考えられなくもない。だが、目の前の彼は今までと同じく敵の攻撃をしのぐだけだ。なにか仕掛けるようには見えない。少なくともいまは。
(待って。なにも変化がない、アルフの動き。その割に、もらう攻撃の数は明らかに減ってる。アイツ、もしかして)
無駄に動かず、無理に返さず。アルフは相手の攻撃を殺す拍と生かす拍を見事にとらまえていた。ソロンの剣撃を完全にしのぎきり、バックステップで距離を。ソロンが打ち込むのと同時にディルナも施術を放ってくる。その陣形。完璧にパターン化されたその動きを見て、ネルはハッと顔を上げた。点と点が繋がった瞬間。ロジャーを慌てて呼び寄せて、声を忍ばせながらアルフと戦うディルナ・ソロンタッグの戦いを分析する。
ロジャーの大きな瞳が、きらきらと輝いた。
「おねいさまっ、天才じゃん……!」
「早合点するんじゃないよ。すべてはアルフにかかってるんだ。私の読みだって、確実に合ってる証拠はない。――だけど」
「うまく行かなきゃ、オイラたちに勝ち目はねえっ!」
「そういうことさ」
苦虫をかみつぶしたような顔で、ネルはディルナたちを凝視する。完璧なコンビネーション。嵐のような斬撃と施術の弾幕を、アルフは連斬『夢幻鏡面刹』でまた見事にしのいでいる。いや、斬り捨てる拍が微妙に変わった。ネルの背筋に電流が走る。――やはり来た。防御に回っていたアルフが攻撃に転ずる瞬間。アルフの刀『無名』の刃が黄金に輝くと、弾幕のごときディルナの施術を、ソロンの斬撃を、完膚なきまでに叩き落とし、なおかつ手数で押し返し始める。ファイアボルトが真っ二つに割れ、そこから生じた疾風がディルナの首筋に、連続斬の剣をミリ単位で躱すと同時に鋭い突きがソロンの首筋に、それぞれ襲い掛かる。
二人は顔を歪め、恐るべき反応でバックステップした。間合い四メートル。そうして攻撃に転ずる、まさにそのとき
――二人が、ネル、ロジャー、アルフと対峙するように、一直線上に並んだ。
「いまだっ!」
ネルの怒号、ロジャーとアルフも同時に吼える。手斧を振り上げるロジャー。中空に飛びあがり、緑雷の繭に閉じこもるネル。全身から迸る黄金の焔を刀に集約させ、背中に巨大な気龍を負うアルフ。
三人が、一斉に最強の技を放った。
「スターフォール!」
「封神醒雷破っ!」
「蒼竜鳳吼破っ!」
宇宙の果てから隕石の雨がディルナとソロンの動きを止め、金色の焔をまとった龍が鳳凰の翼を広げて二人のFD人に食いかかった。そこに混じり合う、緑光の雷。焔と雷が交差すると、金色の龍がさらに大きく膨れ上がる。ディルナたち――というよりも、もはやこのフィールド前方すべてを覆い尽くさんばかりの巨大な力の奔流が押し寄せる。
ディルナとソロンの悲鳴を呑みこんで床板ごと二人を屠る金色の龍。鋭い咆哮。通路の各所に置かれた門が、クリスタルとともにジュッと音を立てて蒸発していく。
龍が、光となって漆黒の闇の中を悠々と駆け上がる。
それはまるで夢かと思うほど幻想的な光景だった。漆黒の世界を雄々しく昇りゆく金色の龍――その鱗が一つ一つ波打つように艶めきを放ち、鼻から伸びたひげが、龍の顔を縁取る髪が、まるで風にそよぐように龍の背に向けて流れていく。
その巨大な龍が宇宙の彼方に消え、ようやく辺りに静寂が戻ってきたとき、ネルとロジャーは、あまりの惨状に固唾を呑みこんだ。
「こ、こんな……ことが……」
「床まで、消えちまってるじゃんよ……」
虚空のそらに負けぬ存在感の金龍が通ったあとは、床板が綺麗に消し飛んでいた。より見やすくなった広大な宇宙の闇。ここに落ちるとどうなるのか、二人には想像もつかない。
「アルフ兄ちゃん」
「気を抜くな。終わってない」
「――なんだって?」
信じられず、ネルがまわりを見渡すと、金龍が消し飛ばした床板からさらに遠く――対岸となった床の上に、うずくまるソロンとディルナを見つけた。
二十メートルほど先の対岸だ。
二人の身体にはバチバチと紫色の雷がのたうっていた。まるで錆びた機工兵のようにぎこちない態勢で痙攣。全身血まみれで、ソロン自慢の鎧は見る影もなく壊れ果て、もはや二人が立つことすら難しいように見える。
「さすがに、勝負はついたみたいだね」
ロジャーが明るく頷く隣で、アルフが静かに、もう一度、蒼竜鳳吼破を放たんと構えた。
「ちょっ、どうする気だいっ!」
「待って、アルフくん! 精神を投影したままの彼らを斃したりなんかしたら、実社会で二人にどんな影響が出るか――」
「本当にヤバけりゃ逃げるよ。そういう奴らだ」
「えっ?」
目を丸くするブレアを置いて、アルフが技を放つ。再び現れた金龍が鋭く吼えながら空間を駆り、対岸に襲い掛かる。白く、爆ぜた。まばゆさに目を細めながらネルが彼方を見たとき、二十メートル先で強烈な光の渦が巻き起こり始めていた。
それは、断罪者が現れたときの状況とよく似ていた。
中空に浮かんだ光の渦、光の紋章術は黄金の龍をすり抜け、氷が固まるような甲高い音を立てて発動すると、溶け消えた透明な床を一瞬のうちに再構成していった。渦の中から迫り出してくる、新たなディルナとソロン。
二人の身体は淡く発光し、一つ、強烈な雷の束が降り落ちると、ゆっくりと二十メートルの間隔を詰めてきた。
「いやぁ、まさかここまでやるとはなぁ」
「ずいぶん予定が狂っちゃったわ。で・も、オイタはここまでよっ?」
「本当は戦いの中にこんな無粋なものは持ち込みたくなかったんだけどね。まあ、それも仕方ないか。君たちは自分たちが思っている以上に強かった。それに敬意を表して、全力でバグ修正させてもらうとするよ」
ソロンは新調された胸当てを軽く叩いた。
「これは僕らがエターナルスフィアを作ったときに好き勝手いじくった、趣味全開のお遊びプログラム。いわゆる開発用データだ」
「こうなっちゃうといままでのように優しくないから、覚悟してよねっ」
「……この上、まだ強くなるってのかい」
ウインクしてくるディルナをネルは呆然と見ていた。頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。いままでも、この二人を相手に満足に戦えたとは言えない。かろうじて殺されずに済んでいただけだ。
「ネル、おねいさま……。オ、オオ、オイラの後ろにか、かか、隠れてください……っ!」
「言ってる場合じゃないよ、馬鹿っ」
小さく言い合ったそのとき。まだ十メートルほど距離のあったソロンが、閃光のごときスピードで素早く踏み込んできた。アルフに。
「アルフっ!」
ネルがふり返った。ディルナからはファイアボルトが放たれている。どちらも狙いはアルフ。一番正確に彼らの行動を読み、対処してくる男をまず潰すつもりだ。
(させるものかっ!)
背中の大刀を抜き放ち、投げる。水平回転する大刀『黒鷹旋』。だがファイアボルトの弾速が速すぎて届かない。アルフっ、と小さく叫んだのもつかの間、首を屈めてファイアボルトを躱した青年が、真っ向から斬り下ろしたソロンの斬撃を受け太刀して、背中から刀ごと地面に叩きつけられた。――止められない。ソロンの膂力は完全にアルフを押し、もはや剣戟を止めることすら許されないレベルに達していた。
背中を打って短く息吐くアルフを見下ろし、ソロンが無表情にギャンブルソードを打ち込んだ。それと同時に発動する、エクスプロージョン。剣術と施術が融合し、二つの大爆発が一つのドームを形成した。圧倒的な熱量。理不尽に吹き荒れる風。ネルは頭を庇って、その場に留まることで精いっぱいだった。
ようやく爆発が止み、ぼろ布と化した特務服を着たアルフが見える。頭から血を流して床に転がったまま、ぴたりと動かない。
「アル――」
ロジャーが目に涙を溜めて呼びかける前、ネルの怒号がロジャーを遮った。前を見ろ、との指示。ぐっと唇を引き結んでロジャーが前を向く。そこにディルナ・ハミルトン。笑顔を浮かべて「マジカルスター!」と軽快に詠唱してくる。ネルの前にはソロンが貼りついていた。アルフですら止められない剣撃、さきほどより強烈なディルナ・ハミルトンの施術を命からがら二人は躱して、ともかく距離を取ろうとバックステップする。
だが、どこへ逃げても敵は追ってくる。足が速い。舌打ちし、応戦するネルとロジャー。
「影払いっ!」
「エクスアームっ!」
比較的隙の少ない技でまず牽制。直撃するが相手はのけぞりもしない。そこから蹴打、手斧、股閃刀、トライファンネル――と徐々に牽制の距離を引き伸ばす。が、ダメ。ソロンが一足飛びに踏み込んでくると間合いはゼロになる。でたらめに振るわれる蒼焔の剣。空間ごと切り裂くような凄まじい剣風に、ネルの身体に赤い線が刻まれていく。二、三合、ぎりぎりで躱し四合目、唐竹を大刀で受けてしまい、後ろに吹き飛ばされる。
「がっ!」
血の滲んだ息を呑んだのもつかの間、ネルが吹き飛んだ先にソロンがいた。先回りで背中を蹴りつけてくる。躱せず、直撃。強かな衝撃に息が詰まる。前のめりに転んだネルの、短刀を握る手が緩んだ。
さらに踏みつけ。横に転び、鋭く立ち上がって斬りつける。床板に血が滴った。剣舞『鏡面刹』。案の定、ソロンが応戦してきた。嬉しそうな顔。刃を合わせればアルフのように叩き潰される。そこでネルは腕だけで切り上げた斬線につられ、横薙いだソロンの懐に踏み込んだ。地面すれすれ。アルフとの立会いを見て分かったこと、ソロン・ソリュートは真下からの攻撃に弱い。
中空に咲く火花。蒼焔の剣で止められた。絶句するネル。ソロンがにこりと笑って剣の柄でネルの側頭部を穿った。
一方、ロジャーもトライファンネルをディルナのファイアボルトにことごとく叩き落とされていた。星形の光線がこちらの攻撃に構わず突き抜けてき、元気な奇声を上げながらロジャーがそれをかいくぐる。すると足許でエクスプロージョンの小さな焔が沸き起こり、一瞬でドーム状に膨れ上がってロジャーを呑みこんだ。
赤く照る透明な床板。
スターフォールで押し返そうと手斧を振り上げる間もなく、ロジャーの小さな体が爆焔に巻かれ、ぼろぼろになって床板に転がった。白目を剥いた少年。全身からは煙が吹き荒れ、ぶかぶかの手袋に収まった手斧が投げ出された。
「さ・て・と。ソロン!」
ディルナは言い、視線を左に向ける。
「了解っ!」
大上段に構えるソロン。ネル、ロジャー、アルフ。三人の倒れた位置が近接している。この上で、彼らはとどめを刺そうと言うのだ。
蒼焔の剣が唸りを上げて燃え盛る。ギャンブルソード。ディルナは宇宙の闇に付き従う範囲施術、レイ。
「ぐ、ぁっ……!」
ネルは脳震盪を起こし、立ち上がれない。食いしばった歯の根。意識が残っているのはソロンの手加減のためだ。それも、いま二人の攻撃を喰らえば終わる。
(くっ……! ここまで、か……!)
ふらつく視界の中、彼女は胸をかきむしりたい衝動に駆られた。
「よくがんばったね」
「ホント、ここまで疲れる仕事とは思わなかったわ。あなたたちもお疲れさま」
「さあ、フィナーレだ。意識があるのがそこの彼女だけというのが、少し寂しいところだけどね」
「待って! ソロン、ディルナ!」
「ブレア。君の話なら、あとでゆっくり聞いてあげるからさ」
「今度はもう少し、話し合いができそうな子を選んできてねっ」
施術陣がこれ見よがしに完成し、ソロンがいよいよギャンブルソードを振り下ろす。ネルは固く、目を瞑った。爆発音。強烈な光が瞼を焼き、新たな風の気配が、彼女の髪を揺さぶる。
(――なんだ?)
それは、荒々しいのにどこか温かな風だった。
ゆっくりと瞼を開ける。眼前に、金色の光があった。
そらの果てまで届きそうな、巨大な光の柱。それは柱ではなく、龍だ。沈黙と暗闇が広がるこの空間で、一際異彩を放つ金色の龍。ネルは呻きながらも、なんとか首をめぐらせた。振り下ろされたギャンブルソード。降り注ぐ光の雨、レイ。どちらも青年の頭上から放たれ、それらに立ち向かう金色の龍が、猛々しい吼え声を上げながら、地上から天空に向かって伸び上がらんと大口を開けている。
「小、賢、しいな……っ! 君は!」
ソロンは己の剣を止める龍に向け、苦々しげに言い放った。ディルナの表情も引き締まる。ステータスでは、自分たちより圧倒的に弱い青年剣士。それを突き崩せない現実を、二人はまだ受け入れない。
甲高い施術発動音が聞こえ、ソロンとディルナのステータスがさらに膨れ上がった。レベルにすればどれだけのものなのか、それはブレアにももう分からない。単純に攻撃数値を上げ、龍を押しつぶさんと出力を上げてくる。
金龍が呻き声を発してわずかに押された。
「ハ、ハハッ! こうじゃなくっちゃ! なぁっ! ディルナ!」
「決めちゃいましょうっ! ソロンっ!」
頷き合う二人のFD人が、全力を込めて――ついに金龍を叩き割った。甲高い龍の悲鳴。爆発が極限まで膨れ上がり、ネルの身体が鋭い声とともに後ろに引きずられていった。――ブレア。ロジャーとネルの二人を連れて、安全圏まで逃れてくれたのだ。
爆発は例によって透明の床板までも飴細工のように舐め溶かし、浮世離れした戦場に巨大な虚無の穴を作りだした。
「あ、あぁ……っ」
ブレアに助けられながら立ち歩いて、ネルは息を呑んだ。アルフのいた場所。床板に空いた巨大な風穴。ディルナとソロンはさきほどのように対岸ではなく、こちら側に素早く乗り移っていた。
「ふぅ……ッ、ホントに最後まで気がおけない相手だったな」
「ちょっとくらいは、認めてあげてもいいかもねっ」
「そうだね」
笑い合いながら、ゆっくりと歩み寄ってくるソロンとディルナ。
ロジャーが、ここでようやく目を覚ました。
「ネル……おねいさま……」
ロジャーを背中に隠し、ネルは短刀を握りしめる。脳震盪はだいぶ治まった。だが、勝てる気がしない。死ぬ未来しか思い浮かばない。震えが全身を駆け巡り、奥歯がかちかちと音を立てた。
(認められない……認めたくない……っ!)
悔しさで顔がゆがんだ。遊んで戦っているディルナとソロン。真剣さの欠片もない、この不気味な二人に打ち倒されることが、この上なく屈辱的だった。アルフの無念を思うと身体の芯が震える。短刀を握って策を考えるも――今度こそ、完全に手詰まりだったのだ。
「さて、楽しい時間もこれで終わりだ!」
「感動のフィナーレと行きましょうっ!」
笑顔で告げる二人の背に、ふと紅い影が現れた。剣を上段から振り下ろすソロンと、施術を放つディルナ。その背後に立つ、血まみれのアルフ・アトロシャス。彼はすでに抜刀して――早くも遅くもない、一閃を放っていた。それは不思議な剣線で、音も気配もなくソロンとディルナの首筋に吸い込まれ――
二人の頸動脈を、断ち切った。
「え……っ?」
不思議そうなディルナの声。レイを放とうとした指先が、突然ふにゃりと折れ曲がった。糸の切れた人形のごとく膝から床に倒れていく。勢いよく飛沫く血。じわじわと丸く広がっていく血溜りが、次第に光粒子に変わって――爪先から順に砂のごとく霧散していく。
ソロン・ソリュートの場合は、自慢の剣を攻撃に回した最中の出来事だった――彼を守る絶対防御の鎧と兜の隙間、首筋の頸動脈を断たれた瞬間に、変わらず前に飛び出そうとする腕と後ろに斃れる頭が引っ張り合って、腹から地面に斃れたのだ。あとはこちらも同じ。血溜りが広がっていき、それが光の粒子と化して爪先から順番に霧散する。
三つ目、鈍い物音が立った。目を向けると、刀を地面に突き刺し、アルフがくずおれたのだ。
「アルフっ!」
「兄ちゃんっ!」
「アルフくんっ!」
三人が駆け寄ると、アルフは肩で息を切らしながらも、焦点の合わない瞳をこちらに向けてきた。傷が深い。
ネルがヒーリングをかけるも、彼の顔色は紙のように白くなっていた。
「お前ら……。生きてたのか」
「ごめんっ、ごめんよ、アルフ兄ちゃんっ! オイラが、オイラがちゃんと戦えなかったから……! 兄ちゃんばっかりに、無理させちまって……っ」
目に涙を湛えてしゃくり上げるロジャーを、アルフは不思議そうに見下ろした。視線がやや戻っている。それでもまだ呼吸は荒く、ゆっくりと胸を動かしながら、彼はぽんぽんとロジャーの頭を叩いた。
「アンタ、大丈夫なのかい」
ロジャーの傍らから、ネルも心配そうに窺い見る。アルフは肩をすくめて
「だいぶ疲れた」
冗談か本気か分からない弱音をぽつりと零した。