「……アレン?」
ルシファーの中に見え隠れする面影に、マリアがぽつりとつぶやいた。隣のアルベルも呆けた顔を振った。
「なんの冗談だ……」
あれはただのFD人。
これまでと同じ、ただの腑抜けた世界の住人のはずだ。
――それなのに、あの決意に満ちた眼光はアレンにさえまったく引けを取らない。
アレンを通してエターナルスフィアを見てきた創造主のことを、誰も知らない。
一瞬の剣戟。力負けしたアルフが弾かれるのと同時、アルフの全身に宿る金色の焔が、刀身に収束していった。
「蒼龍鳳吼破っ!」
振り下ろす。巨大な赤い炎の鳥と、壮大な蒼龍がルシファーに向かって押し合いながら獰猛に駆けていく。吼えあう二つの神獣が、やがて一つに混じり合って、蒼焔をまとわせた勇壮な鳳凰が襲い掛かっていく。
ルシファーも右手を掲げた。頭上に輝く、金色の光球。それを鳳凰に向かって投げると、両者が中央で激突して、アルベルたちの網膜を焼き切らんばかりの強烈な閃光を放ち合った。
轟音と突風。
その中で、アルフがじりじりと押されていく。攻撃力でルシファーが上。――撃ち返せない。
「アルフっ!」
アルベルとマリアの声が重なる。
そのときだ。
アルフの刀が、全身に宿った金色の焔が、滾った。
「――夢幻蒼龍破」
ゆるりと、鳳凰が姿を変える。周りにまとっていた蒼焔が金色に変わり、それがどんどんと大きくなって龍をかたどっていく。
それと同時に、まるで太陽のごとく強烈に、黄金に輝くアルフの刀身、無名。
空気が、明らかに変質した。
「なっ!?」
ブレアが凍りついたような顔で息を呑む。
マリアもまた、その壮絶な煌めきの焔を過去に――たった一度だけ目にしたことがあった。
「これは、エリクールでアレンが放ったのと同じ――!」
クラス3.2のレーザーをクロセルの上で打ち返した、人智を超えた剣士と刀の粋を極めた、至高の一撃。
その金龍は、かの戦闘艦ですら丸呑みできるほどの巨大さを誇って勇猛に吼え、ルシファーの光をあっさりと食い破った。
視界が、光に埋もれて見えなくなる。マリアは両腕で頭を庇うが、もし目の前にアルベルがいてくれなければ、フィールド全体を覆うような力の奔流に身体を投げ出されていただろうと思った。
遠くでは、ネルとロジャーを保護するブレアが――龍が晴れたあと、開発ルームのほとんどの床がごっそりと舐め溶かされているのを見て、顔色を白くさせていた。
「馬鹿なっ!? エターナルスフィアで、こんなことあるはずがないわっ! こんなもの――完全にシステムの規格を超えてる……っ」
「遺伝子操作を受けたわけでも、特殊な紋章術を使ったわけでもないのに……――アルフ、キミっ!?」
「天才だ……」
「……アルベル?」
マリアが驚いた顔でふり返る。他者を貶めることしか知らなかったアルベルが、他者を褒め称えたことに違和感があるのだろう。事実、アルベル自身も普段ならばこんなことは絶対に口にしない。だが、目の前の戦いが、圧倒的不利を跳ね返さんとする銀髪の青年軍人の戦いぶりが、アルベルをして称賛せしめたのだ。
心が奮い立ってくる。真の絶望を前に、怖れず、立ち向かう狂人の姿を見ていると。
「言いたかねえが、あいつは紛うことなき天才だ。剣術とかそういうんじゃねえ。勝負においての天才だ」
「兄さんっ!」
ブレアの悲鳴のような声が響いた。凶悪な吼え声を上げて通り過ぎていった強大な金の龍。それはエターナルスフィアすべてを管理するパイプオルガンのような装置よりも壮大で、勇壮としていた。
だが、ルシファーにはテレポートがある。代弁者たちも使えるムービングバグ。それでどうにか、アルフの神気から逃れていた。
そして、
ばさっ……!
ルシファーの背から、巨大な翼が広がっていった。黒い、巨人の手のような大きな羽が、一対。羽音を立ててまるでイソギンチャクのように蠢いている。
ルシファーが顔を上げる。意志に満ちた蒼瞳、口許は忌々しげに歪み――その頬に冷汗が浮かんでいた。
「いまの攻撃は、私であれど防ぐ手段がなかった……。まさか、これほどのバグが存在していたとはな」
金龍の衝撃が収まったいま、絶好の機会を逃したアルフは不服そうに舌打ちしていた。
脇構えで、ルシファーと対峙する。
「貴様は最優先で殺してやるぞ」
ルシファーが槍の穂先を向けながら言った。
瞬間。
ルシファーが消える。ムービングバグ。強烈な轟音と火花が散った。マリアにはたった一つの、一瞬の剣戟にしか見えなかったが、その実両者、五撃は交わし合っている。
飛び違う二人。
ルシファーは無傷。対して――アルフが、眼を見開いた。
頬に走った一筋の紅い線。槍から放たれた衝撃波につけられた傷だ。だが問題は傷の深さではない。そこがゆっくりと輝き出して、ぽろぽろと光の粒になって霧散していくのだ。
「……こいつは、考えてなかったな」
「さらばだ、アルフ。――我が片割れよ」
ルシファーが背を向けたまま、つぶやいた。握る槍には、フェイトと同じような消滅の力が宿っている。金色の穂先でのたうつ、赤黒い雷が。
そして――……、
頬から始まったアルフの消失は、首、肩、胸とくだっていき――まるで風に流される砂のように音もなく形が崩れていく。
「アルフっ!?」
「――アルフさん!」
アルベルとマリアが色めき立つのと、巨大な扉からナツメが駆け込んできたのは――同時だった。
半分欠けた顔で、アルフが少し、残念そうに微笑った。
「最悪」
ナツメを見ずに、彼はアルベルをふり返る。
「……アル……ベ……、生き……ろ……」
完全に消え去る、青年の身体。
耳をつんざくナツメの悲鳴が開発ルームに響き渡る。
アルベルは眼を見開いて、喉から声を絞り出していた。
「ぁ、……ぁ……っ!」
あまりにも、似ていたのだ。
ナツメが泣き叫ぶ姿と、完全に消え去る寸前でアルフが見せた険しくも優しい表情が――飛竜の焔で消し炭にされた父と、それを前にした自分に。
握りしめたクリムゾンヘイト。
力なき少女に変わって、あのころの自分とは違うのだと証明するために、剣を振るうと一度は心に決めたアルベル。
だが――。
アルベルは唇から血が出るのも構わず、怨嗟の怒声を吐き捨てた。
「貴様だけは……、貴様だけは絶対に許さんぞ! このクソ虫がぁああっ!」
クリムゾンヘイトが、駆けた。
◇
――アルフが消え去る少し前のこと。
誰よりも真っ先に螺旋の塔に辿り着いたソフィアたちは、その足を止めていた。
彼女たちの前には、金の門を塞ぐ紫色のクリスタルがある。そこにソフィアは右手を掲げて、コネクションの力を顕現させる。そうすると、傍にいたナツメの耳にも声が聞こえてきた。
馴染みこそないが聞いたことのある落ち着いた声。紋章遺伝学の銀河的権威――ロキシ・ラインゴッドの声である。
――よかった。ようやく繋がったようだね。
「ロキシおじさん? 一体どうして……ううん、どうやって私たちに話しかけてるんですか?」
――それを話せば長くなってしまうのだが。
私たちはいま、モーゼル古代遺跡というところにいてね。これから出来れば、ソフィアちゃんたちを追いかけられればと思っているのだ。
「えっ!? 危ないですよ、おじさん! こっちにはエリクールよりも凶暴な魔物がうろうろしていますし……」
――そうは言っても、フェイトに頼まれた改良型アンインストーラーがようやく完成してね。ソフィアちゃん、君の力でゲートを開いてくれないか。
「で、でも」
戸惑ったソフィアがナツメに視線を投げてくる。ナツメもどう答えればいいのか分からず、むむむ、と唸りながら考えをめぐらせていると――、新たに女性の声がソフィアたちの会話に入り込んできた。
――ご心配には及びませんよ、ソフィアさん。微力ながら、私が博士たちの護衛を務めますから。
「えっと……この声はミラージュさんだっ!」
ぽん、と手を打ってナツメが、困惑気味のソフィアに助言すると、通信の向こうでミラージュが、ふふ、と笑った。
「それでも、あの……『たち』ってどういうことなんですか?」
――それは合流したときのお楽しみです。
ナツメからミラージュの実力に関するお墨付きをもらって、ソフィアは合点がいかない顔でぱちぱちと瞬きながらも、コネクションを実現させた。
あとを追ってくる博士たちに先を急ぐことを告げて、ソフィアとナツメは螺旋の塔を上っていく。
その先に、絶望的な戦いが待ち受けていることも知らずに。
◇
「イセリアル・ブラスト!」
「朱雀吼竜破っ!」
壮絶な光と音が、螺旋の塔の闇を切り裂く――。
アルフが消失したころ、奇しくもフェイトとアレンも、己の最強の技を繰り出し合っていた。
少し前までアレンの練気は、フェイトのディストラクションに押されていたのだが――
「その、程度かぁああっ!」
「ぐぁああああっ!?」
ここ一番、互いに全力をぶつけ合うときになって、彼の練気が急激に研ぎ澄まされていく。
(強ぇ……!)
これが、剣士。
己の力の限界――その先に、さらなる力を蓄えた猛者たちの領域。
「くっそがぁあああ!」
フェイトが鋭く吐き捨てながら、スタンスを広げてディストラクションを一極集中させることに心血を注ぐ。それは戦いが始まってからずっと行っていることだ。だがアレンはフェイトがどれだけディストラクションを凝縮し高めようと、さらにその上を求めてくる。
まるで底が見えない。
これで破れると思えば――さらなる力を己と兼定の
底が、見えない。
「皆の想い、背負ってその程度とは片腹痛いっ! お前の信念など――その程度の覚悟で、ルシファーが倒せるかっ!」
「舐、めんなぁあああ!」
遮二無二アレンに食らいついていく。いや、追いつくなどという生半可な意志ではどうにもならない。どうあっても、絶対に相手を叩き伏せるのだという確固たる信念でなければ、アレンを倒せそうにはない。
フェイトの背についた白い翼が、また一段と大きく膨らむ。
負けない。
諦めない。
ずっと――いままで何度も経験させられてきた戦いだからこそ、フェイトは正面からアレンに応えることができる。
「僕だって腹を決めたんだっ! ここまで言って、僕が勝たなきゃ話も出来ないってんなら、勝ってやるさっ! ――けどよ! これが終わって僕が勝ったらお前、絶対帰ってこい! この大馬鹿野郎ぉおお!」
「勝ってから言えっ!」
「ほざけぇええっ!」
フェイトはヴェインスレイに己の持つ力、そのすべてを叩き込んだ。額が痛いほど熱い。手が、全身が震えている。限界だ、限界だと伝えてくる身体。それでもまだ――極限まで力を出し切る。
アレンの龍は、それでもいささかも衰えない。
豪快に透明な床板を掻きながら、フェイトは肚の底から唸って踏ん張った。
「お前に勝つっ! 勝ってその寝ぼけた頭、叩き起こしてやるっ! ――これが、これが僕の意地だぁああ!」
イセリアル・ブラストがついに、アレンの金龍を消し去った。それと同時にフェイトのイセリアル・ブラストも金龍の牙に食われて消えている。
相殺。
強大な質量と熱を失ったフィールドが、竜巻を起こして荒れていく。
その中、
「はぁあああっ!」
まるで鬼神のごときアレンの一閃が襲い掛かってきた。黄金に輝く刃は、この世のすべてを例外なく断ち切る。エターナルスフィアの理の中では、その刃を止めることなど絶対に不可能。
「うぉおおおっ!」
フェイトの額に浮かんだ破壊の紋章陣が壮絶に輝き、宇宙をも照らす巨大な光となった。
生半可なディストラクションではその紋章ごと叩き切られる。それが兼定とアレンの斬撃だ。いままでどう足掻いても破れなかった袈裟がけ。刀と剣術の粋が組み合わさったことで起きる奇跡の一閃だ。
それに対し、フェイトは技も策もない。ただ純粋に――己の意地を賭けてがむしゃらに剣を振ることしかフェイトの頭にはなかった。
「ぉおおおおおっ!」
アレンの咆哮。兼定の煌めき――。
いま、蒼白と黄金の刃が真っ向から重なり合い、すさまじい轟音が、衝撃波が同心円状に広がっていった。
目も開けていられないような突風。
もぎ取られそうな両腕で、さらに剣を握りこむ。
――そして、
ついにフェイトのディストラクションが、アレンの袈裟がけを叩き割った。
驚愕に眼を見開くアレン。
さらに、
「ヴァーティカル・エアレイドぉおっ!」
剣風と剣圧による二段剣撃が、がら空きになったアレンの胸に直撃した。息の塊を吐いて、床にバウンドするアレン。
ヴァーティカル・エアレイドから着地したフェイトは、全身を走るあまりの激痛に膝からくずおれた。
「フェイトっ! ――アレン!」
クリフが脇腹を抱えて、フェイトとその向こうにいる――アレンに呼びかける。
フェイトが唸りながら、身を起こした。兼定を杖に、片膝をつくアレンが居た。
「見事だ、フェイト……」
つぶやいて、アレンがようやく微笑んだ。
「言ったろ? 僕がその寝ぼけた面、叩きのめしてやるってさ」
肩で息を切らしながら、フェイトもニッと笑って剣に支えられながらどうにか立ち上がった。ふらふらとした足取りで、アレンに近づいていく。
アレンは自嘲するようにうつむいたまま、口端を広げた。
「そう、だったな……。本当は……お前に、お前やクリフに、こんな姿になってもまだ、一緒に帰ろうと言われて嬉しかったんだ……。ありがとう」
「……アレン?」
なにやら不穏な気配を感じとって、フェイトは首を傾げた。クリフの表情も強張る。
アレンの白い頬に、透明の液体が伝っている。
彼はしばらくして、正気に戻ったあとのことを語った。
――自分がエクスキューショナーだと分かったときに感じた絶望を。
やっと連邦軍人として――誇りを持って剣を振るえる人間になれたと思ったのだという。民間人のために。ヴィスコムたちと出会って、彼らに教えてもらった通り、気高く――前を向いて生きていけると。
なのに自分は、ルシファーの手足に過ぎなかった。それがどうしても許せなくて、アレンはあのストリームで兼定を抜こうとした。
だが、兼定は抜けない。
どれほどアレンが力を求めようとも。
「何故だ……、兼定……! 俺は……俺はっ! 民間人を……っ、オフィーリアの艦隊を、
アレンはストリームの土を握りしめた。視界を滲ませる液体が、頬を滑り落ちていく。生まれてこの方、刀を握らぬ日など一日とてない。
なにも分からぬまま、母に会うためだけに剣を振って。
なにもつかめぬまま、ただ父に言われた通り任務を遂行して。
――そんな自分が、ようやく一人の人間として受け入れられた場所。
アクアエリー。
それさえも彼は――
「殺してくれ……。俺が、俺でいられるうちに――兼定っ!」
涙混じりの嘆願は、しかし兼定に届かない。貝のように堅く閉じた剛刀は、アレンの言葉に答えなかった。
イミテイティブ・ブレアが、不快そうに眉を寄せている。だがそれにも気づかず、アレンは顔を上げてタイムゲートに向かった。
マリアのアルティネイションがいまも働いているのなら、自分はFD空間に行けるはずだ。いま一度。
抜けないのなら――拳で良い。
身体が自分の思い通りに動かないのなら、死んだって構わない。いまこの状況で、仲間や、守るべき者たちを傷つけるくらいなら。
アレンはせめて一太刀。創造主にダメージを負わせられるのなら、と歩いた。
だが、そうしただけで――反抗の意志を見せただけで脆くも崩れ去って行く自分の身体を、アレンは見ることしかできなかった。
あの時、もしイミテイティブ・ブレアが止めなければ、アレンは消えていたのだ。兼定があのときすぐに抜けていれば、フェイトたちに刃を向ける決心すらつかなかったかもしれない。
己の心の弱さに、気付くこともなしに。
――語り終えたアレンは、白い光に包まれていく。そして足先から徐々に、光の粒子となって消えていく。
「……おい、ウソだろっ!? アレンっ! ……アレンっっ!」
フェイトは自分の見たものが信じられず、思わずアレンの肩を揺すった。だが、次の瞬間にはアレンの肩も砂のように消え、まるで氷が解けていくように、胸、首、頭……と次々に姿を失って行く。
アレンはどこまでも続く、宇宙の紺碧を見つめていた。
「アルフにも、辛い役をやらせてしまったな……。あいつは滅多に本音を言わないが、俺の意志を一番汲んでくれる奴なんだ。――だから、俺の代わりに謝っておいてくれ」
アレンはフェイトを見ると、穏やかに微笑んだ。いつも見せる微笑みだ。彼の肩が完全に消失し、ただの空洞となった。フェイトが目を見開く。
「……アレン……?」
「フェイト……、俺は勝手に消えてるんだ……。お前に斬られたからじゃない。お前の力になりたかったから――そう望んだから、消えるんだ。だから……決して、負けたわけじゃ……ない、ぞ……」
最後は冗談ごとのように、クスクスと笑いながら言った。欠けた口で。
「フェイト……。おまえなら……みん……を、……まも……」
すべてが光の粒子となって消えて行く。
何もなくなった虚空を見つめて、フェイトは息を飲んだ。
「っ!?」
あるのは、螺旋の塔の金色の丸枠と、白い硬化ガラスだけ。
紺碧の――宇宙を模した星の大海だけだ。
「う……ぅぅ……っ!」
フェイトは拳を握り込んだ。感情のままに、硬貨ガラスの床を殴る。一度だけでなく二度、三度――気が済むまで、殴り続けた。
一緒に帰るハズだった。
元の生活――いや、ハイダでバンデーンに襲われたあの頃よりも騒がしくて楽しい、日常を送るために、皆で帰るハズだった。
なのに、
助けられなかった。
「うぉおおおあああ……っっ!」
フェイトは一際力強く床を殴り付けると、仮想空間の宇宙に向かって鋭く吼えた。
怒りと悲しみを、闇にぶつけるように。