静かに眠るアミーナは、医師の施術が効いたのか、穏やかなものだった。
静寂。
誰もが、神妙な面持ちでアミーナを見守る中、彼女の不調を報せに来たおばさんが、ふぅ、とため息をこぼした。
「何はともあれ、無事でよかったよ。あんた達のおかげさ」
言って、フェイト達に視線を向けたおばさんは、ほ、としたように表情を緩める。アミーナを担ぎ込んできた当初に比べれば、よほど落ち着いたようだ。アミーナが気絶する前の症状を知っているだけに、不安も
その彼女を見返して、クリフは頭を振った。
「何、気にすることぁねえよ」
気さくに笑うクリフに、おばさんは、ありがとうよ、と告げて一礼する。
アミーナの不調、というまさかの事態で再び訪れた彼女の家は、最初に入ったときよりも暗い部屋に思えた。今は寝室にフェイトを始め、不調を報せてくれたおばさんと、ネル、クリフが立っている。
少し話を聞いてくる、と言い置いたアレンは、何か複雑な表情で医師追って部屋を出た。
だから、四人だ。こうして、アミーナの容態を見つめている者は。
途中、ネルが、去っていくアレンを不審そうに見据えていたが、敢えて何も言わなかった。アレンから直接聞いたわけではないが、恐らく医術に精通しているのだろう。
医師も驚くほど、適切な彼の応急処置のおかげで、アミーナの容態は著しく快方に向かっている。完全に安心できる、というわけではないが、こうして病態が落ち着いた大体の理由がそれだ。
すやすやと眠るアミーナを見据えて、おばさんは、ふ、と微笑った。何かに耐えるように、悔しげに。ぐ、と拳を握り締めて。
「この子も、不憫な子だよ。早くにお父さん達は亡くすし、自分は病気に……。今までずっと、どんなに辛くとも、たった一人で一生懸命に生きてるっていうのにさ……」
「……おばさん……」
つぶやくなり、きゅ、と唇を引き結ぶおばさんを見上げて、フェイトはやり切れない気持ちで視線を落とした。その先にあるアミーナの寝顔は、穏やかだが、彼の知っている幼馴染の少女に比べれば、ずいぶんと青白い肌をしている。
似ていると言っても、
そ、と頬にかかった髪をはらってやると、
長く、病魔と闘ってきたのだろう。
「……………………」
無言のまま、アミーナの寝顔を見据えて、フェイトは眉をひそめる。すやすやと聞こえる寝息が、心なしか、弱く感じた。
(アミーナ……)
胸中で名を呼んで、じ、と少女を見据える。いたたまれない気持ちは、彼女がただ、ソフィアに似ているからと、そういう理由では、物足りなくなっていた。
そのフェイトの傍らで、ぎゅ、と表情を押し殺したおばさんが、つぶやく。
「それもこれも、戦争が悪いのさ……」
そう。
まるで、この世のすべてを呪うかのような、低い、声音で。
おおよそ、彼女には似つかわしくない、憎悪の声を聞いて、フェイトは、は、と彼女を見上げた。
目が合ったおばさんは、しかし、どこか遠い所を睨んでいるのか、焦点が定まっていない。彼女は、拳を握り締めて叫んだ。
「戦争さえなけりゃ、この子の両親が死ぬことも、アミーナちゃんが病気になることもなかったんだ! そうすれば、この子ももっと平穏に暮らせただろうに! なのに、こんな……! ああ、もう……! 無力な自分が情けないよ!」
彼女は口惜しそうに言葉を切る。それはただ面倒見が良いという理由だけでは収まりがつかないほど、感情的で、そして本能的なものに見えた。
そこまで考えて、フェイトが、は、と顔を上げる。と。彼女は、ぎゅ、と拳をにぎったまま、口惜しそうに続けた。
「……あたしに力があればねぇ……。そうすりゃ、アーリグリフの奴らなんか、一気に蹴散らしてやるのに! なのに、ただ千本花でもってアペリス様に祈るくらいしか出来ないなんて……!」
「おばさん……」
零れた言葉は、しかし、続くことなく大気の中で散った。どう、声をかければいいのか分からなくなったのだ。
フェイトの視線が、下がる。
――力。
それは、彼が最も恐れ、多くの命を奪うもの。
(だけど……)
ちらり、とアミーナを見る。
力さえあれば、きっと、この子を守ることが出来るだろうと。
この子の様な不遇に、もう誰も逢わないだろうと。
――この戦争を、終わらせる程の力があるならば。
まるで決まりごとのような思考の坩堝に、フェイトは拳を握り締める。この選択肢は、少なくとも正解ではない。だが、やらねば終わらない。ならば少なくとも、間違いでもないだろう。
力が無ければ、何も勝ち取る事の出来ない、こんな場所だからこそ。
「……力による解決は、確かに一つの終息をもたらす。だがそれは同時に、新たな負の刃を生む火種と成り得る。貴方が仮に力を奮うなら、それは諸刃だということを肝に銘じておくべきでしょう」
「アレン!」
突如、聞こえた声に振り返ると、戸口にアレンが立っていた。
深い思考に落ちていたためか、それとも本当に気配がなかったのか。きょとん、と瞬きを落とすフェイトに、アレンが静かに微笑する。彼が部屋に入ってくると、後ろ手に閉めたドアが、ぱたん、と音を立てた。
「容態は、落ち着いたようだな」
確認するようにフェイトを見る。こく、と頷き返すフェイトに視線で答えて、アレンは部屋の中央で足をとめた。アミーナの眠るベッドから一メートル。ちょうど、フェイトから三歩ほど下がった所だ。
そこで彼は、半眼でこちらを見据えているネルに視線を向けた。
どこか憮然とした表情の、腕を組んだ体勢の彼女。それはある種、怒りを孕んでいるように見えた。どす黒い、怒りを。
「だが、アーリグリフのやっていることを考えれば、彼女の思いは当然のものだよ。それに、このくだらない戦争を一刻も早く終えるには、強大な力が必要なんだ」
――それが、例え諸刃であろうと、ね。
後に続く言葉を切って、ネルがアレンを見る。その彼女を見返して、アレンは何か言おうとした。
が。
「う……、ん……」
一同の傍らで、眠っていたアミーナが呻く。
は、とそちらに視線を向ける一同は、フェイトを始め、心配そうに彼女を見据えた。ゆっくりと、瞼を上げる彼女の姿がある。
「アミーナ!?」
はじけるような、嬉しそうなフェイトの声。それに、は、と驚いた彼女は、完全に目を開けて、それから不思議そうに、一同を見渡した。
「あ……れ……? どうして皆さんが、ここに? 今朝、シランドへ発ったんじゃ……?」
「それは――」
「この人達は、山で倒れたあんたをここまで運んできてくれたのさ」
重なりかけたおばさんの声に、フェイトが口を噤むと、彼の代わりに、おばさんが事情を説明してくれた。
それを聞いて、は、と目を見開いた彼女が、どこか空転する頭で記憶を探る。
(そうだ……。私……、千本花を採りに行っていて、それで……)
はた、と瞬きを一つ落として、アミーナは左右を見渡す。見知った天井、見知った壁、見知った家具……。
それらがすべて、ここが自分の家だと告げている。
山に花を、採りに行っていたはずなのに――。
おばさんの声が、もう一度、アミーナの頭の中で弾けた。
――倒れたあんたを、ここまで……。
「!」
驚いて、フェイトを見る。すると彼は、ただ黙って、小さく笑った。
布団を握ったアミーナの顔が、すまなさそうにしかめられる。
「……すみません。ご迷惑を、おかけしてしまって……」
布団から起き上がろうとした彼女を、フェイトが慌てて押しとめた。
「いいよ。気にしなくて」
「ああ、大したことじゃねぇからよ」
労うように微笑むフェイトに続いて、クリフも首を縦に振る。彼等を順に見据えて、アミーナは申し訳なく、頭を垂れた。
「……すみません。フェイトさん、皆さん、どうもありがとうございます」
起きることはまだ出来ないので、布団を握って彼女は頭を下げる。恐縮しきったアミーナの様子に、ネルは小さく、微苦笑をもらした。
「アンタはそういうことは気にせず、ゆっくり養生しな。……それよりもアミーナ」
「はい?」
アミーナに、ふ、と微笑って、ネルは懐から一枚の紙片を取り出す。不思議そうに見上げるアミーナを尻目に、ネルは紙片を彼女の枕元に置いた。
「アンタのことは、私の馴染みの医者に頼んである。具合が悪くなったら、すぐにここに行くんだよ」
言われて、きょとん、と瞬いたアミーナは、枕元に置かれた紙片を広げた。
「これは……」
「この街に常駐してる医者の連絡先さ。腕の方は、私が保証するよ」
ネルの言葉に、アミーナの表情が翳った。
「でも、私、そんなお金……」
「それは大丈夫だよ。診療代に関しては、もう話がついているからさ。アンタが支払いを気にする必要はないよ」
「そんな、そんなの悪いです」
布団の中で、アミーナが遠慮がちに首を振る。それを見据えて、ネルは破顔した。組んだ腕を解いて、アミーナに言って聞かせるよう、声音を落とす。
静かに、労わるように。
「人の好意は大人しく受けておくものさ。大丈夫だよ。何か企んでいるわけじゃない。それに彼女は私の馴染みだって言っただろう? ――まあ、どうしてもアンタが診療代を気にするっていうなら、イリスの巫女花の代金とでも思ってくれればいいからさ」
「それは……」
それでも反論しようとしたアミーナを、フェイトが引き止めた。横目に、ネルが頷くのを見る。フェイトはアミーナに向きなおり、言い聞かせた。
「幼馴染に会いたいんだろ? だったら早く病気を治さないと……。ね?」
なだめるように笑うと、アミーナは数瞬、言葉をなくした。
幼馴染、という言葉が刺さったのだろう。
彼女を見るアレンの目が、細められる。
「はい……。ありがとうございます」
しばらく悩んだアミーナが、やがて決意したようにつぶやく。その言葉を耳に、フェイトは嬉しそうに微笑うと、背後から、クリフが窺うように尋ねた。
「フェイト、そろそろ行くか?」
「あ、うん」
頷いたフェイトが、改めてアミーナを見る。
「それじゃアミーナ。君の病気のことも気になるけど、僕はもう行かなきゃいけないんだ」
「……はい」
小さく頷くアミーナに、ふ、と微笑って、フェイトは腰を上げる。と。彼は、ネル、クリフを順に見て、それから、硬い表情で言った。
「……ネルさん。クリフ。ちょっと待っててもらっていいかな? アレンに、話があるんだ」
三人が、それぞれ顔を見合わせる。
首を傾げながらも頷いたのは、クリフだった。
「それは構わねぇが……」
「ありがとう」
破顔したフェイトは、アレンを見るなり神妙に表情を曇らせる。その様を見据えて、アレンは、こく、と頷き返した。
「行こう」
アレンとフェイトが部屋を出る。その際、アレンはネルに向かって言った。
「少し長くなる。……すまないが、先に北門で待っててくれ」
「あ? ああ」
頷くネルに、もう一度謝って、アレンは、す、とクリフを見る。
だがその合図だで、アレンの意図を察したクリフは、去っていく二人の背を見送って、小さく苦笑した――。