庭園の一幕から数刻。今夜ばかりはシランドに滞在することになった、夜更けまでの時間。アレンは誰もいなくなった白露の庭園にいた。
「……まったく。アンタ達のおかげで寿命が縮んだよ」
背に、声をかけられた。振り返れば、ネルが心底呆れたような溜息を吐いている。アレンは思わず苦笑した。
「見回りはもういいのか? ゼルファー指揮官」
手摺から離れる。階段上からゆっくりと近づいてくるネルが、肩をすくめた。
「警戒すべき場所を今、見回っている最中だよ。……とはいえ、我々の長旅を案じてくださった陛下から、今日は休むよう言われてるんだけどね」
「そうか」
頷きながら、視線を都に落とす。白煉瓦で出来た家々と溢れる緑が、計算された一つの庭のように広がっている。
どこに行っても、この街では水音が絶えない。それは、城の深奥に祀られている
野に続く橋を遠目に見ながら、アレンは目を伏せた。
――静寂。
流れるせせらぎの音が、二人の間に落ちる。
ネルが傍らに立つ。何もしゃべらなかった。
しばらく。
「アンタ、もう容態はいいのかい?」
意を決したようにネルが尋ねてきた。振り返ると、気丈そうな翡翠の瞳が不信の色を浮かべて、じ、とこちらを見据えている。
「ああ」
その瞳を見返して、アレンは頷いた。途端ネルの不信が、さらに深まった。
「馬鹿を言うんじゃないよ! アンタの傷は……、アレはどう見ても瀕死の重傷だった! 私たちがどれほど施術を施しても、一向に治らないほどに……!」
そこで言葉を切ったネルは、数秒視線をさまよわせてから、アレンを睨みつけた。
「修練場じゃまだ辛そうだったじゃないか! それが何故、……そう、ペターニあたりから平気そうになってるんだい!?」
「……心配してくれたのか?」
「そんなんじゃないよ。……ただ、アンタを本当に、グリーテンの技術者と見ていいのかどうかを聞いてる」
ネルは少しばかり、気を抜いていたのだ。
先の、アドレーとの施術勝負を見てそう思った。
思い詰めたような彼女を前に、アレンはいつも通り淡々としていた。
「技術者、とは言っていないはずだが」
「それでもその回復力は異常さ。……アンタ、何者なんだい? アンタからは、あの二人に無い、得体の知れないモノを感じる」
微かに、緊張を孕んだネルの声。無意識からか、浮いた左手が短刀をいまにも抜き放ちそうだ。それを視界の端に、アレンは微かに含み笑った。
「剣があればいかな傷とて癒せるさ。……それが俺の気功術『活人剣』」
アレンは手摺から、身を離した。
「それで納得出来ないなら、仕方ない。俺を斬ってみるか?」
ネルは、う、と息を呑んだ。左手が短刀にかかる。パルミラ平原でやった組み手では、後にフェイト達と組んだ三対一でも戦いになっていない。
まだ、アレンはその気ではない。闘気を宿した彼は、こんな生ぬるい男ではない。
打ち込むなら、今。
相手が油断している、今しかない。
ネルは、ぎゅ、と唇を引き結んだ。
そして――……。
ず……っ
「!?」
思わず、我が目を疑った。アレンが手にしたブロードソードで、己の左腕を軽く切ったのだ。
「……っ、何を!」
思わず怯むネルに、アレンは慌てた風もなく言った。
「傷は浅いが、原理は同じだ。見ていてくれ」
「……え?」
呆けるネルを置いて、彼はブロードソードの柄を握り締め、そ、と刃に左手を添えた。まるで刃を鏡のように、刃に、己の瞳を映す。
そして。
「……覇っ!」
鋭い気合と同時、か、と目を見開いた。瞬間。ブロードソードが、ネルにもはっきりと視認出来るほど、眩く光る。昼に撃った、エナジーアローとは逆の、青白い神聖な光。
それが、アレンを一瞬、包み込んだ。
すぅ――……
ただでさえ、セフィラから流れる聖水で清らかな空気が、澄む。
それを肌で感じながら、ネルは呆然と、何度も瞬きを繰り返した。
「……い、まのは……?」
問うと、アレンは先ほど自分が傷つけた左腕を掲げた。まるで手品か何かのように、傷跡の無くなった皮膚を、ネルに見せるように。
施術が発生した感覚は、まったくなかった。アレンは言う。
「これが内気功術『活人剣』。あらゆる傷を治すことが出来るが、自分以外には使えない」
「……………………」
「修練場では休むどころじゃなかったからな。これを使うほどの、精神力が無かったんだ」
否。
それだけではない。
重傷の中、修練場まで足を向けて、戦った後。唯一休めたカルサアの町で、アレンは底をついた精神力でファリンとタイネーブにヒーリングを始めとした紋章術を施していた。そしてそこから先は、先を急ぐといってペターニまで休みらしい休みを取っていない。
当然といえば、当然の成り行きだ。
呆然としているネルに説明を終えて、アレンは窺うように彼女を見る。
「…………そうかい」
ネルの反応は淡泊だった。
肯定と取るには、あまりにも短い一言。
「……納得、してもらえたのか?」
少し不安そうに、アレンの声も潜まる。
と。
「ああ……。納得した。納得したよ」
ふぅ、と息を吐いて、ネルは短刀から手を離す。緊張の糸を解いた彼女は、どこか嬉しそうでもあった。
「……悪かったね。陛下も言っていた通り、アペリスの予言では混沌の先に新たな災禍が訪れるとある。アンタがもし、人でないモノだったら……。そう勘ぐったんだよ」
あまりにも、人にしてはあまりにも強大で純粋な闇の矢を呼び込んだから。
その言葉を呑み込んで、横目にアレンを窺うと、彼は気にしていない様子だった。
「言われて見れば、たしかに。説明しなかった俺にも非があるな」
「……………………」
「それじゃあ、俺はそろそろ部屋に戻る。――あまり無理はするな」
旅だけでも心労が重なるというのに、今後も見回りがあるというネルを案じて言うなり、アレンは庭園を出ていく。その背に向かって、ネルは叫んだ。
「アレン!」
名を呼ぶと、彼が足を止める。振り返った彼に、彼女は言い放った。
「非公式とはいえ、アンタも私の仲間なんだ! ……ネルで、いいよ」
「了解」
それだけ言って、アレンが去っていく。その背を、何とはなしに見送って、ネルは微かに、ため息をついた。
「ホント、変な奴だね……」
謁見の間の真下に、アペリス教の聖地、カナンに続く礼拝堂がある。
長い歴史を感じさせる荘厳な雰囲気のなかで、フェイトは目の前にいる金髪長身の男を見据えた。
三十六歳という話だが、見た目も中身もそうは見えない、この男を。
「それで、ミラージュさんは何て?」
「そっけねぇモンだぜ。『わたしはイーグルに搭載されている緊急用の亜空間通信機の持ち出しを行いました。ですからクリフには、それを稼動させるだけの動力の確保とターゲットの保護を頼みますね』だってよ。しかも文句を言おうにも地下にでも潜ってるのか、こっちからの通信は全く繋がらなねぇときたモンだ。まったく……」
「ってことは……! これでアレンが持ち出した部品と合わせれば、動力を確保できるんじゃ……!」
フェイトの口調が速まる。クリフも、否定はしなかった。
「ああ。その件については
「それで……。分かった事って?」
「マジな話、あんま大した情報じゃねえぜ。分かった事といえば、銀河連邦とバンデーンの艦隊がウヨウヨしててクォークの本隊がやってくるのはまだ先になりそうだって事くらいだな」
「バンデーンと連邦との戦争には、まだ決着がついていないのか!?」
「ああ。数の力で全体的に連邦が押してはいるが局地的に見ると、まだバンデーンの方が優勢な個所がいくつもある。アールディオンの横槍さえ入んなきゃ連邦が勝つのは動かねぇんだろうが、完全決着には時間がかかりそうだ」
アレンは、このことをまだ知らないだろうが。
クリフが胸中で付け足す。フェイトは神妙な面持ちで小さく頷いていた。
「そうか……。父さん、あとソフィアについての情報は?」
「そっちの方はサッパリだ。残念だが、特に無事だって情報は入って来てねぇよ。だが、ま……。その、アレだ。あんま気を落とすなよな。まだ無事じゃねぇって決まったワケじゃないんだからよ」
「分かってるよ。ありがとう」
歯切れ悪いクリフに返す笑みが、自嘲気味になったのを感じながらフェイトは思考する。
――笑顔でソフィアと会う。
その意志を、ペターニで迷ってしまった。こうやって、『ソフィア』の名を口にすれば、やはり兵器開発への躊躇が心に湧いてくるというのに。
(今回は……、アレンに頼っちゃったからな……)
フェイトは顔がゆがみそうになるのをなんとかこらえて、気を取り直した。
「それじゃ、そろそろ部屋に戻ろうか」
「……だな」
頷くクリフに連れ添って、フェイトは礼拝堂を出る。
――するとちょうど、廊下を歩くアレンの背を見つけて、フェイトは右手を振り上げた。