小一時間――……。
黙々とページをめくるアレンを尻目に、クリフは早くも飽きた自分を紛らわす為、目頭を揉んでいた。彼の手元には、一枚の紙片がある。
アレンが五秒で描いた、メトークスのスケッチ画だ。たった五秒で書いた割には特徴をはっきり掴んでいるからか。植物図鑑と比べても見劣りしていない。
故に、スケッチと図鑑を見比べる作業に少しも難しいところはないのだが――……。
クリフは、ため息をついた。
「んとに、あんのかよ? メトークスなんて草……」
愚痴る。もう十数回使いまわした台詞だ。だから、アレンが視線を上げることはない。おおよそ、検証しているというよりは、単に|捲(めく)っているだけとしか思えない速度で、図鑑を読み進めている。
ぱらららららら…………っ
クリフにしてみれば神業の速度(スピード)で、しかし、読んだ内容を、アレンは全て覚えているらしかった。
気分転換に、クリフが問う。
「そういや、お前がさっき読んでた『シランドの四季』って何が書いてあんだ?」
「p48の五行目から城周辺に関する植物分布図を|基本(コンセプト)に、p197までこの近辺に生息する草花の特徴が記してある。だが、メトークスに関する情報は無いな」
おおよそ、本の著者よりも正確に暗記しているのではないか、と思われるような解答だ。試しに、クリフが確認してみると、ページ数どころか、書かれている内容の一言一句すらも、アレンは復唱してみせた。その驚異の記憶力に瞠目しながら、しかし、歳若い彼の、豊富な知識について、ある種納得がいく。
天才、という奴だろう。
ほぅ、とため息をつきながら、クリフは気を取り直して本と向き合う。正直、好きな作業ではないが、一度引き受けたからには、ないがしろにするわけにもいかない。
自然、ため息が嵩んだ。
………………
さらに、一時間。
本を顔の上に置いて、すやすやと寝息を立て始めたクリフに苦笑しながら、アレンは黙々と本を読み進めていく。思った以上に資料が無い。
アミーナの部屋に置いてあった医学書をもとに考えれば、もう少し実践的な書物があると思ったが、さすが宗教国家はアペリスになぞらえて本を出版することが多い。病になった時の祈祷法や、ならないための儀式。唯一の薬物知識たる蔵書は、打撲、打ち身、裂傷など外傷に対するものが多く、体内の異常――病は、ヒーリングで基礎代謝を上げて治すのが通説だった。
(……少し、方策を変える必要があるか……)
ふむ、と唸りながらも、手は止めない。
すでに百冊以上本を読んでいるが、――正直、参考の域を越えるものは何一つ無い。
フェイト達も、そろそろ話を詰め終わる頃だ。
手元の本を閉じる。クリフに向き直った。
「クリフ」
「お? 見つかったのか?」
呼びかけると、間も置かずにクリフが身を起こした。もともと眠りの浅い男だが、寝起きも良いらしい。アレンは苦笑とも溜め息ともつかない息を吐いた。
「いや。大体の目星はついたが、確信までは……」
クリフはしかつめらしく腕を組むと、ふむ、と唸った。
「やっぱ薬草学みてぇな専門書じゃねぇと解らねぇか?」
「恐らくな。後、考えられるのは伝承として人々に語り継がれている可能性だが……」
「おいおい、んなもん調べてたら一日じゃ全然足りないだろうが!」
頭を掻くクリフに、アレンは首を横に振った。
「いや。そうでもない」
「あぁ?」
アレンの視線が図書館の利用客に向いているのを察して、クリフは顔をしかめた。
大体、メトークスに似た薬草があるのも解らない状況だ。彼の渋面は、当然だろう。
アレンは、そこでクリフを制した。
「心配ない。俺が考えているのは、恐らく、かなり見聞の広い人だ」
「?」
首を傾げるクリフを尻目に、アレンは読み終えた書物を棚に戻す。
図書館を後にした二人は、昨日知り合った施術士の元へと赴いた。
シーハーツ最強の施術士、アドレー・ラーズバード。
城の兵に居場所を聞き出して、二人は城の裏手にある訓練場へと向かった。
「おぉ! おぬしらは!」
兵の訓練をしていたのか、滝のような汗をかいたアドレーが二人を振り返る。その彼に、アレンはぺこりと一礼して、クリフがなるほどな、と短い感想を洩らした。
「どうした!? ワシとまた、手合わせ願おうというのか? アレン殿」
男臭い笑みを浮かべながら、歩み寄るアドレーに、アレンは会釈した。
「名を覚えていただき、光栄です」
「これ! 一度剣を交え、互いを認め合った者に他人行儀になるでない!」
「……いえ。しかし……」
言葉を濁すアレン。元が軍人なだけに、身分と年齢、両方の意味で目上の人物と対等な口調で話す事に抵抗があるようだ。
「気にするなというに!」
しかつめらしく眉を寄せるアドレーに、アレンは困ったような微笑を返す。
と。
不意にクリフを向いたアドレーが、ぱ、と表情を輝かせた。
「む? ……おう! 主も一緒か! 確か、ネルの傍らに居った男じゃな!」
人懐っこそうな笑みを浮かべるアドレーに、クリフは礼儀はいらない、という男に遠慮なく従った。
「初めまして、ってわけじゃねぇが……。
「うむ! お主も、初めて見た時から気にかけておった! アレン殿達の保護者という事は、かなりの実力者とお見受けするが」
「ま、そこはここで公開することじゃねぇだろ。……それより」
「む?」
語調を落としたクリフに、アドレーが不思議そうに首を傾げる。と。傍らから、アレンが改めて言った。
「貴方に、幾つかお尋ねしたいことがあります」
アドレーに言われたからか、気休め程度に言葉を崩したアレンは、そう言い置くと、図書館でクリフに見せていた、メトークスのスケッチ画をポケットから取り出した。
「この花について、何かご存知ないでしょうか?」
「むむ?」
スケッチ画を渡されて、アドレーは顎に手を当てる。その様子から、彼に心当たりがあるのかどうかは今一つかめないが、対峙したアレンは、ある種の確信を得たように、ぐ、と身体を乗り出した。
じ、とスケッチ画を見据えるアドレーに、静かに問う。
「……ご存知、ですね?」
(ホントかよ……)
何やら断定的なアレンの語調に、クリフが肩をすくめる。と、スケッチ画から顔を上げたアドレーが、渋い表情のまま答えた。
「詳しいことは知らんがのぅ……。確か、サンマイトの辺りで見かけた花に似ておる気がするわい」
「マジかよ!?」
――ビンゴだ。
思わず絶句するクリフをそのままに、アレンが表情を険しくする。
「ということは、サンマイト共和国の人間ならば解るかも知れないと?」
さらに詳しい情報を聞き出そうとするアレン。その彼を横目で見て、クリフは彼が尋問術にも優れている事を思い出した。
(読心術っつぅより、こりゃ超能力じゃねぇか?)
などと首を傾げながら胸中でつぶやく。
だがアレンは、そのクリフの心境までは読めなかったのか、視線を、アドレーから離さない。
「いや……。というより」
うぅむ、と手を顎に当てて唸るアドレーは、自身の記憶を探るように、視線を空に漂わせた。
「ルイドという占い師を訪ねてはどうじゃ? サンマイトの亜人の中でも、深い知識を持つ人物じゃと聞いておる」
「ルイド……、国境を越えることになりますね。解りました。ありがとうございます」
思案顔を作りながら言うアレンに、こく、と頷いて、クリフはアドレーを見る。
「ちなみに、そのルイドって占い師の居所は?」
クリフが問うと、アドレーはにやりと口端を吊り上げた。
「何なら、わしが案内してやるぞぃ!」
「!」
アドレーの申し出にクリフとアレンが目を見開く。願っても無いが、旅に同行するとなれば、少なくとも他の二人にも断わる必要がある。任務外の私用をネルに強要するのは酷な話であり、フェイトもアミーナが助かる『かもしれない』と聞けば、メトークスを発見できなかった時の落胆が大きいだろう。
自然、同じ考えに至った二人は、互いを探り合うように顔を見合わせた。
「……………………」
しばしの、間。
二人は同時に目を伏せた。クリフが、アドレーに向き直る。
「……いや、それには及ばねぇよ。アンタも今の戦況で持ち場を離れんのは得策じゃねぇだろ?」
「何を言うか! ラッセルに左遷されておるような老兵じゃぞ? 問題なくおぬしらの力になれるわい!」
がん、とおおよそ、老兵らしくない大胸筋を叩くアドレー。その彼に、アレンが瞬きを落とした。
「本当ですか?」
意見が合致したと思ったが、アレンが目を輝かせた。
「お、おい! アレン!」
慌ててたしなめるようにクリフが呼ぶものの、アレンが返してきたのは自信に満ちた含み笑いだった。
何か確信したように、に、と。
蒼の瞳が、クリフを見据える。
「……………………」
こういうときのアレンは、大抵何か企んでいる。
クリフがため息混じりに肩を落とした。
「……ったく」
アレンは嬉しそうに、少しだけすまなさそうにクリフを一瞥して、アドレーに向き直った。
「では、アドレーさん。貴方に頼みたいことがあります――……」
続く言葉に、クリフとアドレーが、意外そうに目を丸くした。
……………………
………………
「これで、……よしっと!」
施術兵器開発室の机に向かって、約三時間。比較的スムーズに作業が進んだとはいえ、ああでもない、こうでもないと推敲を重ねていったフェイトとディオンは、ようやく、紙面から顔を上げた。
「お疲れ様です。フェイトさん」
「ディオンこそ。……クリフ達はまだ戻ってないか」
「ええ。お呼びしてきましょうか」
とりあえず、休憩がてらディオンが持ってきてくれたコーヒーに口をつける。こく、と半口ほど喉に通すと、フェイトは、今にも部屋を出て行こうとするディオンを引き止めた。
「いや、いいよ。多分、適当に頃合を見て来るはずだから」
「はぁ……」
頷きながら、こちらに戻ってくるディオン。その彼を視界の端に、フェイトは、手元の資料を何気なく摘み上げた。
「こんなものでいいかな?」
見落としがないかどうか、細部の設計図を、ざ、と見る。そのフェイトに、くす、と微笑って、ディオンはフェイトの机の側で足を止めた。
「問題ないと思いますよ。……まさか、今の素材条件でこれほどのスペックを叩き出すなんて……、さすがですね」
「……まあ、そこは科学者とは違う視点で兵器を考えたから、じゃないかな?」
「確かに。……このサンダーアローが、本当にフェイトさん達が為そうとしている事をお手伝いできたなら、多くの国民が、女王陛下が、お喜びになることでしょう。……それに、
そこで、言葉を切ったディオンは、くい、と眼鏡を押し上げながら、ため息のような、微かな苦笑を零した。
「私達も、出来ればこれで、人殺しの兵器とはお別れしたいものです」
「ディオン……」
その複雑な表情は、何と形容していいのか分からない。
思わず、視線を落としたフェイトは、それから、ふるふると頭を振った。悲嘆は、同情は、もう終わりにすべきだ。
やるべきことが、今はあるから。
ソフィアのこと。ネルのこと。相反すると思っていた二つの想いを、ようやく繋げる方法を見つけたから。
だからフェイトは、微笑った。
精一杯、不敵に。
少しは、その自信を、確信しているからこそ。
「任せてくれよ。……僕らは、その為に来たんだからさ」
そのあまりに晴れやかな表情に、ディオンは呆気にとられたように、きょとん、と目を丸くした――。