ウォルターの勧めでアーリグリフ軍に志願したナツメは、数日後に風雷兵の
入団試験は、城で行われた。内容は新卒兵で一番の出世頭になると期待されている中流貴族の息子との模擬戦だ。ここで成績がよければ即漆黒入り。悪ければ即退場の流れとなる。
ナツメの真価がようやく発揮される――かに思われた。
が。
彼女は腰の二振りの得物――二刀流を使う者は普通大小を帯刀するが、なぜか彼女は刀と剣という作りのまったくことなる武器を二振り、差していた――そのいずれにも手をかけなかった。
対戦相手にあてがわれた兵士、ウィリー・スタンツは五歳のときから徹底した英才教育で剣を磨いてきた優良株だ。彼の名を知る者は少なくない。特に、貴族の中では。
その好評が影響してか、それとも相手が女であるからか。入団試験が始まった当初は誰もが、細身の少女の敗北を信じて疑わなかった。
「やあっ!」
鋭い踏み込みと同時。流れるようなウィリーの振り下ろしを、ナツメは半歩、右足をさげて避ける。ついで追いすがるような横薙ぎを身体をしならせるだけでかわし、ぐ、と前に踏み込んだ。ウィリーの顔と数センチの距離。突如迫ったナツメに、懐に潜り込まれたウィリーが、う、と息を呑む。
瞬間。
ウィリー・スタンツの額に、痛烈なデコピンが炸裂した。
ぺんっ!
軽快な音を立てて、ウィリーの白い額に屈辱の赤い痕が刻まれる。
最初、何が起こったのか、みなには理解できなかった。
ただ――。
「私の勝ち、ですね」
に、と朗らかに笑むナツメと目が合って――じわり、と広がったデコピンの感触に、ウィリーは呆然と額に手をやり、目を見開いた。
「なにをっ!」
言って、油断した彼女に剣を突き立てる。
いや、立てようとした。
が――。
動かない。
「……?」
不思議に思って剣尖を見る。そこには、ウィリーの刃先を、二本の指でしっかりと挟んだナツメの姿があった。
「っっっ!」
恥ずかしくなって、慌てて剣を納めようと引く。が。微動だにしない。
あれほど、細い指をしているのに。
あれほど、か細い腕なのに。
それを認めた瞬間、ウィリーは力なく、剣から手を離した。だらんと垂れた両腕が、彼の頭まで押さえ込んだように下を向く。
試合は、あっけなく終わった。
(やはりダメか……)
うぅむ、と唸るウォルターの隣で、アーリグリフ国王アルゼイが柄にもなく、ぽかんと口を開けていた。
ウォルターが推薦する人物であるから当然と言えば当然かもしれないが、まさか新兵No.1の『漆黒』として入団した彼が、こうもあっさりと敗れるとは。
そのとき、
ウォルターの背後で、鍔鳴り音がした。
「……フン」
聞き知った声に、ウォルターは思わず、ほくそ笑みそうになるのをこらえて、重々しく問いかける。
「……やる気か? 小僧」
問うと同時、視線だけをこちらに送って、アルベルが席を立っていく。
その背を見送って、ウォルターはおもむろに口端をつりあげた。
「ほっほっ。やっと面白くなってきおったわい」
思わず洩れ出た言葉を、隣にいるアルゼイは苦笑混じりに聞いていた。
――あの他に興味を示さないアルベルに、今日だけは絶対にここにいろと厳命した、この老人は侮れないとつくづく思い知りながら。
(よし! これで入団できる! これでようやく! アレンさんに近づけるぞ……!)
嬉々として拳をにぎりしめる少女に、アルベルは大股で歩み寄る。
きっかり2メートル。
一足で刀の間合いになる地点にアルベルが立った瞬間、ナツメが、は、と振り返った。同時、アルベルの殺気に反応した彼女の瞳が光を宿す。
「ほぅ……。どうやら、ただのクソ虫ではないようだな……」
その底冷えするような彼女の瞳を見つめて、アルベルは酷薄な笑み、無造作に
「……ほぇ? あの……」
試合は終わっていた。と、途中で気付いて、ナツメが我に返り、視線を迷わせる。瞬間。容赦ない刀の一閃が、つ、とナツメの頬を裂いた。
驚いたように、じ、とナツメがアルベルを見る。
「余所見してんじゃねぇ。阿呆」
言い終わるや。アルベルが地を蹴る。無造作に襲う横薙ぎの一閃を、ナツメは今度こそ見逃さなかった。
ガキィッ!
咄嗟に鞘で受け止めて、彼女は歯を食いしばる。
受け流す――。
そう考えたときには、続けざまの一閃が、真横に迫っていた。
ぎきぃっ!
「くっ!」
(速い――!)
舌打ちと共に零れた感想に、ナツメは一度だけくれた迎撃のチャンスを不意にした事を後悔した。
ともかく、距離を取らねば――。
「逃がすかよっ!」
追いすがるような、しかし、ウィリーの太刀筋とは比べ物にならないほど精錬された一撃一撃が、縦横無尽に襲いかかってくる。今度は刀を抜いている時間が――ない。
ナツメの眼に、再び鋭利な光が宿った。
一定タイミングで襲い来る横薙ぎを、――その中の一撃を、ナツメは思い切り弾き飛ばす。と同時。上体を沈めて、
両者に空いた間は、最初と同じ、2メートル。
だが明らかに、その場を包む空気が変わっていた。
ナツメの手が、やっと刀にかけられる。
「ようやくその気になったか!」
壮絶な笑みを浮かべるアルベルを、ナツメは正面から見返した。
と。
踏み込んだのは、アルベル。
ナツメはまだ、動かない。
(なに――っ!?)
首をかしげるウォルターを余所に、蛇行しながら猛スピードで迫るアルベルの一閃が、ナツメを捕らえた。
と同時。
ぎぃぃ……ぃぃいんっっ!
甲高い金切り音と共に、ウォルターは絶句した。
空に真一文字の斬線を描かれる。アルベルと交差した、ナツメの軌跡をなぞるように。ナツメは、刀を振り切っていた。
「何が……、起こったんだ……?」
傍らでアルゼイ国王が首をかしげている。事態が把握できないのも無理はなかった。ていない。ウォルターですら、自分の目を疑ったほどなのだ。
あまりにも鮮やかに、アルベルの一閃を切り崩したあの少女の抜刀術。
完全に待ちに徹した、あの奇襲攻撃法は、アーリグリフには存在しない武術だったのだ。
「……っ!」
居合いという概念を知らないウォルターは、美しい、と思った。
素直に、心の底から。
(こんな……っ! 剣術にこんな型があったとは……!)
その感嘆の間にも、ナツメの攻撃は続いている。
居合いで払われた初撃の所為で、アルベルの身体が一瞬、外に開ききる。その隙を、容赦ない上段振り下ろしが襲う。舌打ちし、アルベルは咄嗟に身を翻した。だが不安定に傾いだアルベルの胸に、横薙ぎの一閃が追いすがる。
胆の冷える思いで、アルベルが手甲で弾く。――ぎりぎり、間に合った。
そのとき眼前の少女が、もう一振りの愛剣、シャープエッジに手をかけた。
「クロスラッシュ!」
アルベルが予想するよりも断然速く、剣が抜き放たれ、上段から切り下ろされる。
「甘いっ!」
それを刀で弾いた。
瞬間。
ナツメの横薙ぎが、アルベルの胴めがけて襲い掛かる。
踏み込む速度が、尋常ではない。
「ッッ!」
ギキィイイイインッ!
火花が散るほど凄惨なナツメの横薙ぎ。
対峙したアルベルは、絶句しながら、どうにかして横殴りに剣を流した。
すれ違う様に交差した両者は、体位を入れ替えて、再び互いをにらみ合う。
距離は、約四メートル。
アルベルが動かない限り、一瞬にして埋められない間合いだ。
普通なら、そうだった。
が。
雪が舞う。
剣と刀を携えた少女を、まるで霞ませるように。
アルベルは、静かに刀を握り直した。ちゃり、と鍔の鳴る音を聞きながら、開いた間合いを、詰めるタイミングを推し量る。
瞬間。
フッ……
雪に霞んだ少女の姿が、完全に消えた。
「何っ!?」
思わず目を見張る。瞬間。
ガキィイイイイッ!
半ば勘で振るった刃が、偶然、ナツメの剣戟を防いだ。
「ッ!」
背に汗がにじむのを感じながら、次いで、袈裟状に切りつけてくるナツメの一撃を、今度こそ刀で受け止め、アルベルの体勢が崩れきったところを狙うかのような、下段からの切り上げに、つんのめりながら紙一重でかわす。
アルベルの鼻先をナツメの刀が通り抜ける。さらりとした彼の髪が数本、宙を舞った。
と。
不意に背を向けたナツメに、アルベルが勝機を見る。その時。
ぞく……っ。
いきなり背を這った悪寒に、アルベルは、握り直した刀を振り下ろすことを咄嗟に躊躇した。
同時。
「ケイオスソード!」
ぐぉっ!
異様な、青白く光る刀身が、ナツメによって振り上げられた。それは今までの太刀筋とは比べ物にならないほどの剣速を誇り、風を巻いて地面から巻き起こる。
途端。
地面が、薄く割れた。綺麗な断面を描いて、ざっくりと。
そのあまりの破壊力に、ウォルターは固唾を飲み込んだが――、
「こ、降参……です……」
今にも死にそうな声でナツメがつぶやいている。ウォルターは、は、と我に返った。
寸での所で攻撃をかわしたアルベルが、ナツメの喉元に鉄爪を突き立てていたのだ。
「こ、小僧……!」
大地に達するほどの剣線が自分のすぐ傍らをすり抜けたのだ。極度の緊張に捕らわれていたアルベルの頬には、冷たい汗が一筋、つぅ、と流れている。
が。それも一瞬のこと。
アルベルは左腕を下ろすと、一つ息をこぼして、颯爽と刀を納めた。
「……ふん」
もう身を翻している。その彼の後ろ姿に、ウォルターは自分の拳が打ち震えるのを感じた。
(これは……!)
この戦乱の中、彼がウォルターの認識している以上に、強くなっているのは感じていたが、まさかこれほどの相手にこうも鮮やかな戦いを見せてくれるとは――。
実際、終わってみればナツメは、アルベルの髪数本を切ることしか出来なかったのだ。
少なくとも、ウォルターにはそう見えた。もしも今のが真剣勝負だったなら、ナツメは――。
そこまで考えて、ウォルターは、は、と目の前の二人に視線を戻した。
「お強いですね! それも物凄くっ! 私! アレンさん達以外に全部攻撃をかわされたの初めてですっ!」
目をキラキラさせながら、ナツメが早口にまくしたてる。アルベルはもう興味を失ったのか、去っていく歩幅を緩めない。
ナツメは構わなかった。変わらぬ調子で、追いかけながら話を続ける。
「どんな鍛錬をなされているのですか!? 私、自分以外の女性の方に力負けしたのも初めてでっ!」
「……あ?」
空耳のように聞こえた彼女の言葉に、アルベルは思わず眉をしかめた。
「ウォルター様も言ってくだされば良かったのにぃ~♪ ルムにも飛竜にも乗ってないってことは、漆黒ですよね!?」
はしゃいでいるナツメを尻目に、城の訓練場にはかつてないほどの緊張感が走っていた。
そんなことにも気づいていないナツメは、ウォルターに向かって叫んだ。
「漆黒には私以外女性がいないだなんて! ここに立派な方がいらっしゃるじゃないですか! 年上美人さんが!」
びし、とアルベルを示して、ナツメは何やら夢見ている。その彼女の言動に、誰もが思わず凍りついた。中には、ひっ、と悲鳴を上げる者もいる。
静寂。
最初に動いたのは、言われた当人だった。
「……なんだと?」
壮絶に険しく歪んだアルベルの瞳が、殺気をたたえて振り返る。
「え? あれ? いや、でも服装が……」
ようやく、不穏な空気を察したナツメが、合点の行かない様子で、きょろきょろ、と周囲を見渡す。と同時に、ざ、と鉄爪を構えたアルベルが、無造作にそれを振り下ろした。
「いい度胸だ、この阿呆!」
「え? うわぁっっ!」
紙一重で、かわした。だがアルベルの猛威は、その程度では終わらない。すでに、二、三の手が、ナツメに伸びている。
「え? え? えっ! あの……っ!?」
かわす度、徐々に速度を増していくアルベルの鉄爪。
ついに、ナツメが身体を百八十度反転させて逃げ出した。移動しながらも、攻撃の手を休めないアルベル。涙目になったナツメが、空しく叫ぶ。
「た、たぁ~すけてぇ~っっ!」
その二人のやりとりを、しばらく呆然と見守っていたウォルターは、ふと、我に返った。途端、笑いの衝動がこみ上げてくる。
「ぷ……っ! ほっほっほっほっ! ナツメ! それは違うぞ。そ奴はアーリグリフ三軍の一つ、重騎士団『漆黒』の団長、アルベル・ノックスじゃ! ほれ、いろいろと屋敷で教えてやったろう? 昔、ルムをぶちまけたクソ生意気な小僧じゃよ」
「っ! じじい!」
思わず、アルベルの足が止まる。と同時に、ぽん、と彼の後ろで、手を叩くナツメの気配が上がった。
「あぁ~!
反射的に、ナツメを睨む。彼女は必死な顔で口元を押さえて首を振ってきたが――、すぐに視線を逸らされた。
「……っ!」
その反応が気に入らず、再度攻撃に移ろうとした瞬間。中空を見つめていたナツメの目が、か、と見開かれた。
「……って!? えぇええええええっっ!? ウォルター様っ!? この方がぁあああ!?」
ぎょぎょ、とウォルターとアルベルを見比べるナツメ。
出鼻をくじかれて、アルベルは体裁悪く舌打ちする。するとその腕を、がし、とナツメがわしづかんできた。
ぎょ、として、彼女を見る。
「触るな! クソ虫が!」
振り払おうとしたアルベルにもめげず、ナツメは愕然とした表情をウォルターに向ける。
見かけ、好々爺のウォルターは、彼女に、こくり、と頷き返していた。
途端。絶句したナツメが、ば、と絶望に打ちひしがれたような顔でこちらを振り仰ぐ。彼女が、ば、とアルベルから離れた。膝を突いて、頭を地面にこすり付ける勢いで土下座する。
「すみませんでしたぁっ!」
「!?」
さすがのアルベルも、突然のことに反応できない。ともかく喜怒哀楽が激しい少女だ。地面にはいつくばった彼女は、平身低頭のまま、声を張り上げていた。
「まさか女の人と間違うなんて! あまりの失態に返す言葉もございませんっ! それも、ウォルター様のご子息同然の方に――!」
「……誰が!」
低く反論したが、届いていない様子である。
「しかもよりにもよって! これからお世話になる漆黒の団長――すなわち上司様に向かって、なんたる非礼の数々! たとえどんな贖罪をなそうとも、許されることではありません!」
ナツメは自分の腰から得物を引き抜くと、その場に正座してアルベルを見上げた。
「かくなる上はこのナツメ! 腹を切ってお詫びを――!」
言って、刀を抜く。
刃を己に向けたナツメが、躊躇無く腕を振り下ろした。
その寸前、
「待てっ!」
場の空気を震わす、アルゼイの叱責が、ナツメの手を止めた。
「……ふぇ?」
不思議そうに、少女がこちらを見てくる。
アルゼイは反射的に、勿体ないと思った。いまのふぬけた顔をしている少女ではなく、先ほどの、鋭利な光を瞳に宿す彼女を失うことが。
と――……。
「……クソ虫が!」
誰よりも早く、ナツメのギャップから立ち直ったアルベルが、低く吐き捨てるなり踵を返す。それを呆然と見送って、アルゼイは自分も呆気にとられていたことに気付いた。
「アルベル……!」
アルゼイの制止を振り切り、アルベルは訓練場を抜ける際、王の隣で、にやりと笑う老人を、苦々しげに睨みつけた。
また面倒を、押し付けやがって……!
そう吐き捨てんばかりに表情を歪めて。アルベル・ノックスはその場から離れていった。
「……っ!」
ナツメが、は、とアルベルの背を見つめる。
何か驚いたように、じ、と。
来賓席に座り直したアルゼイは、満足そうに笑った。
「なかなか面白いことになりそうだな。ウォルター」
「左様にございますな」
頷く老人は、予想通り動く若者達に、ほっほ、と人の良い笑みを浮かべてみせていた。