「……ここは私に任せてください。皆さんは、急ぎ隊長に報告を」
「お、おい! それじゃ嬢ちゃんが……!」
狼狽した負傷兵の声。その彼の言動が、確かに目の前の相手を女性だと物語る。
彼女は――ナツメは静かに負傷兵を振り返ると、ふ、と微笑って言った。
「私は、目的を果たすまで負けません」
それで話は終わりだ、とフェイト達に向き直るナツメ。抜いているのは彼女の愛剣、シャープエッジ。
仄かな明かり、とはいえ半径五メートル以上を見渡すことの出来る人工照明の中で、鈍色に光るその剣は一種、独特の雰囲気を孕んでいた。ふと見えた、兜を被っていない彼女の相貌は、見渡しが良くなったとはいえ、深い影に覆われてフェイト達には殆ど見えない。
――あるいは、彼女自身がそれを意識しているのかも知れないが。
去っていく五人の兵を見送って、彼女は照らされた口元を、ふっと緩めた。
瞬間。
ふっ……
「消え――っ!?」
目を見開く。息を呑んだのは、ネルとフェイト、ほぼ同時だ。
ナツメの身体が数センチ、ネルの前にある。瞬きの間。それで、間合いを制された。
「くっ!」
だが得物が短い分、短刀が潜り込む方が速い。
否。
「が……っ!」
剣ではない。掌底で、顎をかち上げられた。脳が揺れる。平衡感覚を失う直前、心臓に重い衝撃が走った。どっ、と。鈍い音を立てて、ネルの痩身が吹き飛ばされる。見れば、相手の肘打ちが、容赦ない角度でめり込んでいた。
「ネルさん!」
慌ててフェイトが加勢の斬撃を放つ。が、
蹴りと気を巧みに練りこんだこの技は、通常ならば三連撃の威力を誇る。だが、一撃目の衝撃が鈍い。二、三に繋ぐには、感触が良くない。
はっと息を呑んで相手を見ると、フェイトの剣を払った、左腕で防がれていた。
フェイトの、アキレス腱を。
「――っっぁああ!」
声にもならない悲鳴が、フェイトの口から漏れる。足を抱えようとした。だがそれも、ナツメの衝裂破――横薙ぎに払った剣風に身体を吹き飛ばされて、適わない。
「破っ!」
「……くぁっ!」
彼女の呼気と、フェイトの呻き声が重なる。咄嗟に受身をとったフェイトは、つぶされた右足をかばいながら、ナツメを睨み据えた。
「フェイト……!」
フェイトの加勢に回ろうと短刀を握り締めたネルが、顔をゆがめている彼を一瞥して、ハッと息を呑んだ。
彼の足の状態は分からない。だが、リフレクトストライフの
少なくとも、目の前の敵に勝つためには。
だが。
問題は、その隙がどこにもない、ということだ。そんなネルの逡巡を切り捨てるように、目の前の少女は
「……そろそろ、決めましょうか」
剣を納めて、やや斜に構えるナツメ。軽く膝を折り、前傾姿勢で右手を腰の辺りに置いた彼女は、居合いの姿勢で動きを止めた。
夜気が冷える。
苦々しくナツメを見据える二人の背に、緊張が走った。
じりじりと時間が過ぎる。
というより、体感時間がひどく長く感じるのだ。
距離はきっかり、三メートル。ナツメの脚力をもってすれば、どうということのない距離だ。
居合いの姿勢のまま、微動だにしないナツメ。その彼女が放つ、異様な空気に、フェイトもネルも、攻めの一歩が踏み出せない。
……………………
だがそれでも、ぐ、と剣の柄を握りなおすフェイト。傍らのネルも、覚悟を決めたように短刀を顔の位置に持ち上げた。
瞬間。
「行くぞっ!」
景気づけに叫んだフェイトが、右足の痛みを無視して剣を振り仰いだ。
「ヴァーティカル!」
やや相手とは距離がある。それを逆手にフェイトは剣を振り上げた。地面から沸き起こる剣風がナツメに迫る。同時。か、と目を見開いた彼女はもう一振りの刀――シャープネスに手をかけた。
「朧っ!」
フェイトよりも垂直に、
両者とも、気を孕んだ最高の一撃だ。
が。
ズシュィンッ!
地面から沸き立つフェイトの剣風が、苦も無く切り払われた。瞬間。
「――っ!?」
朧を放ったナツメが、地面から走る無数の剣風を穿つと同時。そこにいる筈のフェイトが、上空に飛んで、さらに剣を振り下ろしていた。
「エアレイド!」
「っ!」
振り下ろされる剣圧が、無数の衝撃波を生む。ぎ、と歯を噛んだ彼女は、迷わず帯剣したシャープエッジを引き抜いた。瞬間。はっ、とナツメが息を呑む。眼前に、ネルの凍牙が迫っていた。
凍牙を払えば、ヴァーティカル・エアレイドの剣圧が。剣圧を払えば、凍牙が確実に当たる。
振りぬき――は、間に合わない。
「ちぃっ」
舌打ちして、シャープエッジで自分を守るように、かざす。だが、腕と足の肉が削がれた。唇を噛み締める。同時、バックステップで距離を取った。
仕返しと言わんばかりに、ざ、とハの字に両剣を開いたナツメが、紋章術を唱える。
「ピアシングソーズ!」
瞬間。右に三本、左に三本の紋章術で構成された氷の刃が、ネルに向かって放たれた。動作は小さい。フェイトが隙をつく間はない。
が。
「ぉおおおっっ!」
構わず、ナツメの懐に飛び込んだフェイトは、剣を上段から振り下ろした。キン、という甲高い音を立てて、難なく
「っ、っっ!」
間一髪、フェイトがどうにか剣を挟みこむ。
ごっ!
左側頭に、衝撃が走った。
(蹴られた――!?)
火花散る視界で考えると同時。次いで、ガンッとシャープエッジの柄頭で眉間を穿たれた。
視界が揺れる。緩急無き縦横の衝撃を受けて、脳が容易く機能しなくなる。
棒立ち。
ぎ、とナツメの黒瞳が底光りした。
「終わりです!」
「させるものか!」
柄を握りこむ彼女の傍らに、ピアシングソーズをどうにか切り払ったネルが、迫る。ナツメの刀を下から払い上げるような、短刀による切り上げ。炎を孕んだその一撃に、わずかに重心をずらされたナツメが、く、と呻く。同時。ネルは上げた短刀を振り下ろした。
どどっ!
二連に続く斬撃を、しかし、ナツメは耐える。同時、応戦しようとナツメが柄を握りこむ、と、ネルの蹴打がナツメの鼻先をかすめた。ぐ、と絶句して距離を取る。否、取ろうとしたところで、ネルのラッシュが火を噴いた。前後左右。嵐のような短刀の乱撃が怒涛の勢いで放たれる。
「鏡面刹!」
鋭く吐くネル。否、乱撃は短刀だけではない。より隙を無くすために、肘うちや掌底まで精密に計算されている。
リズムが取れない。
緩急さえも、考え尽くされていた。
乱撃を、かわし、流し、払う。手数が多い。それら一つ一つに、ネルの渾身の気合が込められていた。
ネルは気付いているのだ。一瞬でも気を抜けば、それをナツメが狙ってくると。
そしてそれは、正確に
(ですが――……)
それには、経験が足りない。
終撃の雷を放つネルに、ナツメが吼えた。
「ぉおっ!」
迫り来る雷撃を、氷を宿した剣で振り払う。突進力を生かした短刀の一撃を加えようとしたネルが、ぐ、と息を呑んだ。が、速度は変えない。
(突っ切る!)
短刀を握りこんで、気を全身に纏った彼女はナツメに切りかかった。
ナツメの刀剣は、既に鞘に納められている。
居合い。
それが意味する結果を、ネルは知らない。
「砕牙ぁあっっ!」
鋭い彼女の呼気がネルの耳朶を打つ。同時、ナツメは抜刀した。雷を切ったおかげで、ナツメの抜刀速度は最高潮に達する。
己を鼓舞するために、ネルが吼えた。
「私の勝ちだ!」
言葉通り、一瞬、ネルのほうが速い。
当然だ。ネルの方はすでに勢いをつけ短刀を抜き払っているのだから。
そう、思った。
ばちぃいいいんんっ!
轟音が、耳朶を打つ。視界が白く染まる。それが居合いの一振りと同時に放たれた、ナツメの雷撃だったと、ネル自身は知らない。まるで
刃から雷光が、真一文字を空に描いた。
相手の意識を完全に停止させる、蒼白の雷光が。
――相手の『牙』を『砕く』刃が。
「……か、っ!」
呻くと同時、鮮血がネルの胸元から零れた。雷に脳髄を焼かれて、ネルが昏倒するように地面に倒れる。
「ネルさん!」
息を呑む、フェイトの声。
それを脇に、ナツメは眼下で血溜まりを作り始めたネルを見下ろした。
(殺った、と思ったんですが……。咄嗟に、急所を外されましたね)
だが別段、とどめを刺すつもりはない。――いや、それどころではなかった、と言うのが本音か。
視線を横に流す。
地面にうずくまっていた青年の、怒りの殺意がぴりぴりと伝わってきた。
「……許さないからな……」
地を這うような、低い声。か、とナツメはシャープエッジを掲げた。
キィンッ!
フェイトの振り下ろしの斬撃。先ほどまでとは踏み込みの
「――くっ!」
呻きながら、どうにかフェイトの剣を払う。同時。その勢いで切り込もうとしたナツメの斬撃を、バックステップでかわされた。
(反応も、上がっている?)
右足を潰したはずだ。なのに動きは、急激に
「はァッ!」
かわすと同時、フェイトの斬撃が上段から落ちた。
(流す――!)
咄嗟に判断したナツメが
思わず、相手の反射神経に舌を巻いた。
急成長というより、別人。そんな印象を与えてくる相手の、得体の知れない何かを感じ取りながら、ナツメはシャープネスを構える。同時。フェイトが追撃に踏み込むより先に、ナツメが刀を振り下ろす。
「っ!」
鼻白むようにたたらを踏んで、フェイトが間一髪のところでかわす。が。髪が数本、宙を舞った。
ナツメの刀に触れたわけではない。
これは――……
(剣風でも斬られる!)
フェイトが確信すると同時、ナツメのシャープエッジが横に一閃した。
「クロスラッシュ!」
「くぅっ!」
フェイトが咄嗟に、剣を立てる。彼女の瞬発力を生かしたその一撃は、ネルが食らった『砕牙』のように雷を孕んでいないものの、凄まじい衝撃を受け手に送ってくる。
握力を、失いかけた。
歯を食いしばる。踏ん張ると、やられた右足が鈍く鋭く痛んだ。
だが、構わない。
「ブレードリアクター!」
受けきると同時、ざん、と敢えて負傷した右足で踏み込んで、剣を振りぬく。振り上げの斬撃は左に流された。次ぐ振り下ろしを、身をひねってかわされ――フェイトは、ぐ、と柄を握り締めた。
「ヴァーティカル……!」
三撃目の突きの代わりに剣を振り上げる。否。振り上げようとした。
だが。
身をひねった彼女は、刀剣を手に、切り上げの一閃を放った。
「ハリケーンスラッシュ!」
「ッ!?」
名の通り、風を巻いた切り上げの斬撃に、ヴァーティカル・エアレイドの出だしが潰される。
思わず、フェイトは怯んだ。
ぞく……っ
背中を走る、得体の知れない予感。思わず表情を引きつらせたフェイトは、少女の持つ刀剣が、赤と青に輝くのを見た。
それはフェイトが使う紋章剣、炎の『ブレイズソード』と氷の『アイシクルエッジ』に他ならなかった。
「双竜破!」
ただし、込められた紋章力は桁が違う。凝縮されつくした二振りの斬撃を、それが交叉する、一瞬の隙をついてフェイトが剣を挟みこむ。
スパ――……ッ
受けようとしたフェイトの剣が、まるで豆腐か何かのように、斬られた。
「なっ!?」
絶句する。同時。慌ててバックステップを――。
視界が、白く光った。
身体が浮く。――痛みは無い。
ただ。
自分が浮いていることに気付いたのは、しばらく後だ。
意識が遠い。
(気を、失う――?)
ぼんやりとした頭の中でそう考える。滞空時間が長いのは、自分の中でだけ、のことだ。
空転する思考の中、ちらりと赤いものが見えた。
地面に倒れた、ネルだ。
血溜まりが、直径一メートルほど広がっていた。
(――ネル……さんっ!)
途端、が、と舌を噛んだ。意識を、脳を覚醒させる。
(……動けぇええっ!)
どっ!
現実時間のフェイトが、鈍い音を立てて崩れ落ちる。
それを認める前に刀剣を払ったナツメは、ぴ、と飛ぶ血を一瞥することなく、二振りの剣と刀を鞘に納めた。その背に、骨が軋むほどの勢いで歯を食いしばったフェイトの力が、斬撃が、迸る。
「ブレードリアクタぁああ……!」
二撃を放つ余力は無い。フェイトは、全ての力を一撃目の振り上げに賭けた。
青白い剣線が、夜闇でも凄まじい光を放って弾ける。
………………
だが、それは。
ナツメには半歩分、届かない。
渾身の斬撃が、顔のすぐ前を通り抜ける。それを、じ、と見据えて――彼女は、力尽きた青年から踵を返した。
完全に、殺したかと思った。
なのに。
「……まだまだ未熟ですね。私も」
つぶやいた彼女は、そ、と自分の左頬に手をやる。浅いが、確かな血の筋が、す、と引かれていた。
最初に作った炎のライトで、手の平に乗った血を眺めて、ナツメは、ふ、と口端を緩める。もみ消すように左手をこすり合わせると、彼女は、任務内容である農作物を積んだ荷台を転がし始めた。
(漆黒が帰ってこない……。見張り部隊は、一体どうなって……?)
アーリグリフが目的こそ達成したものの、大打撃を被る結果になったのは、これから少しのちに発覚した――。