「まったく……!」
会議室での一件の後。宛がわれた部屋のベッドに腰を下ろしたネルは、不機嫌そうにため息をこぼした。
場所はタイネーブやファリンと同じ部屋だ。
「お疲れ様です、ネル様」
やや苦笑気味の、タイネーブの労いの言葉。それに、ああ、とだけ答えて、ネルはだらりと頭を垂れる。
(まったく。この私をからかうだなんて、やってくれるじゃないか! ちょっとフェイトを見直したばかりだっていうのに……!)
胸中で毒づいて、彼女にしては珍しく、だらしなくベッドに身を預ける。ぎしりと軋みを立てたベッドは、快適な弾力をネルに返してきた。
(しかし……、一体何者なんだ?)
昨夜、ネル達が手合わせた漆黒の女兵士。容貌は今一つかめなかったが、小柄な身長だった。おそらく、ネルほども無いだろう。
無意識に、彼女に切られた胸元に手を当てる。鏡面刹を見事に破られたネルは、動けなかったもののフェイトの奮闘を音と気配で察知していた。意識を失う寸前、彼がブレードリアクターを放ってあの女兵士を退けたことも、かろうじて覚えている。
だから、彼女はフェイトを見直していたのだ。
なのに。
「……薮蛇だ」
「は?」
布団の中に顔をうずめて、ぽつりとつぶやくネルに、タイネーブが振り返った。その彼女に、いや、と言い置いて、ネルはまた、今度は脱線しないよう、あの女兵士のことを思案し始める。
(あの時私が放った鏡面刹は未完ながらも、今までで一番、最高の出来だった。それを、あの兵士は苦も無く受けきり、そして斬り返してきた――)
それも、アレンに良く似た剣技で。
偶然にしては、あまりにも出来すぎていた。
「……………………」
ラッセルにまだ報告はしていない。
そして、クレアにも。
「……あれは」
ふと、窓辺のタイネーブが瞬きを落とした。
部屋の空気が止まる。反射的にベッドから身を起こしたネルは、タイネーブ同様、窓に視線をやった。
「ん? どうしたんだい?」
「あ……、いえ。アレンさんが教会の前にいらっしゃったので、つい……」
大したことではない、と言い置くタイネーブに、ネルは首を傾げる。とはいえ、それ以上つっこむべき内容でも無いと判断して、ネルは、そう、とだけ残して話を終わらせた。
対するタイネーブが、ぺこりと一礼する。そして再び視線を眼下へやると、アレンがロジャーとともに村の女の子と話しているのが見えた。
(……何をやっておられるんだ?)
アレンを見据えて、タイネーブは首を傾げる。長身の彼は、そ、と地面に膝をついて、村の少女やロジャーと同じ目線で何やら二人の話を聞いていた。
「で。だな! アレン兄ちゃん!」
慌しく会議室から引っ張り出されたアレンは、アップルと名乗る少女と自己紹介を果たすと、不思議そうにロジャーを見上げた。
「オイラが思うに、兄ちゃんの施術ならコイツの願いを叶えることなんてお手のもんじゃん! だからさぁ~。ここは一つ、オイラに免じてアップルの母ちゃんの傷、治してやってくれよぉ~!」
「この子の、お母さんの傷?」
言って、アップルに向き直るアレン。屈んでいるため、少女の顔は少し上にある。だが沈鬱な表情で俯いている彼女は、自分より下にあるアレンの顔をちらりと見上げた。窺うように、確認するように。
その彼女に、アレンは静かに微笑った。
「お母さんはどこにいるんだ?」
「……教会……」
ぽつ、と。アレンが柔らかな声で問いかけると、アップルはそれだけつぶやいた。ついで窺うように、ロジャーを見る。するとロジャーは困ったように頬を掻いて、傍らにある建物を指差した。
「オイラもよく知んねぇんだけど、戦争で怪我した奴はここで治してもらうらしいんじゃんか! そんでアップルの母ちゃんも、ず~っとここで世話になってて家に帰れねぇんだって」
「ということは、今まで一人で家の留守を?」
そ、とアップルを見上げるアレンに、彼女は俯いたまま、小さく頷いた。
「そうか」
つぶやくなり、アップルの頭を撫でる。不思議そうな面持ちで彼女が顔を上げると、アレンが静かに、優しく微笑った。
「それは……、辛かったな」
「!」
その彼の、表情に大した動きはない。だがこちらを見詰める蒼の瞳が、優しく澄んでいた。
理由はわからない。
ただ気持ちが、溢れ出した涙が、アップルの目尻から零れた。
「……う、んっ!」
頷きながら、しゃくり上げる。
ふわり、と彼女の身体が宙に浮かんだ。
「……!」
驚いて目を見開く。アレンの顔がすぐ横にあった。きょろきょろと周りを見渡せば、いつもよりも数段高い所から地面が見下ろせた。
彼が抱き上げたのだ。
「お母さんのところまで、案内してくれるか?」
「う、うん……」
優しい声で窺うアレンに、アップルは彼と目を合わせるのが気恥ずかしくなって、視線を逸らした。頬を染めて頷くと、いつの間にか涙も止まっていた。
「お兄ちゃん、あったかい……」
うわごとのようにアップルがつぶやくと、一つ瞬きを落としたアレンが、不思議そうにアップルを見下ろしてきた。
「……そうか?」
「うん」
照れ笑いをするアップルがその胸に頭を預けると、安心のあまり眠ってしまいそうな気さえした。不思議だが、その気持ちがおかしいとは思わなかった。
『嬉しい』。
そう思うのだ。
「えへへ……っ」
思わず表情をほころばせるアップルをようやく認めて、アレンは小さく微笑った。そ、と視線をロジャーに下ろす。
「ロジャー、行こう」
「……お、おう!」
そのアレンに頷きながら、ロジャーはたらたらと流れる冷や汗をぬぐった。先程まで、ロジャーと談笑していた時でさえ暗い影を落としていたアップルが。
(ね、ネルお姉様と引き離す作戦が……! この兄ちゃん、三秒で落としちまったじゃん……!)
ちらりと、アレンの腕に納まっている彼女を見上げる。今は幸せそうに、照れ笑いさえ浮かべている彼女。その彼女を、じ、と見据えて、ロジャーはごくりと固唾を飲み込んだ。
思ったより、事態は深刻だ。
「……こ、こいつはとんだ強敵じゃん!」
ぐぐ、と拳を握り締めてロジャーは唸る。と。教会の扉を開けたアレンが、不思議そうに彼を振り返っていた。
「どうした? 来ないのか?」
「あ、ああ! ちょっと待ってくれよぉ!」
わたわたと彼の後を追う。
教会の扉をくぐると、蝋燭に似た照明に照らされた室内が見えた。木目調の壁と、石造りの床。アレンの知っている教会とはさすがに造りが違っているが、三箇所、部屋を巡るように置かれている月の女神の彫像が、まったく異なる場所だというのに故郷と同じ、荘厳な雰囲気を放っている。
扉と反対側にある神父席を最奥に、入り口までの距離を左右対照に並んだ長椅子が道を作るように置かれており、教会のベッドに納まらなかった負傷兵が横になっていた。比較的軽傷の者を椅子にやっているようだが、そこかしこから聞こえる呻き声が、教会という閉鎖的な空間を不気味なものに変えていた。
「痛ぇ……っ! 痛ぇよ~……っ!」
「……さむ、い……! 火、火を……っ!」
その彼等を尻目に、アレンは目を細める。腕の中のアップルは、この光景に慣れているのか、少し心配そうな表情をしただけで、それ以上の反応を見せない。
代わりに――。
「に、にい……ちゃん……!」
ぎこちなく周囲を見渡すロジャー。その彼の頭を、ヘルメット越しに、ぽん、と叩いて、アレンは負傷者の治療にあたっている白衣の女性に声をかけた。
「貴方が、この教会の責任者の方ですか?」
「……あら? 貴方は?」
女性が振り返る。五十がらみの彼女は、温和そうな面立ちを少し意外そうに歪めて、軽く首を傾げた。
怪我人以外の人間が、ここに訪れることが珍しいのだろう。
アレンは、そ、とアップルを床に下ろすと、女性に一礼した。
「失礼しました。私はアレン・ガードという者です。こちらへは、ある方の見舞いに伺わせて頂きました」
女性はああ、と頷くと、治療にあたっていた兵に向き直り、包帯を手早く巻き直した。
「それはどうもありがとう。床に臥せてられる方には、外の人との会話が一番の薬ですからね」
言って、兵に一礼するなり、こちらを振り返る。すると床まで着いた彼女の長いローブの裾が、くい、と遠慮がちに引かれた。
――アップルだ。
「ママ、大丈夫……?」
「ええ」
心配そうに見上げるアップル。その彼女の頭を優しく撫でてやりながら、女性は視線をアレンに向けた。
「あら。もしかして、ある方ってこの子の?」
「はい」
その問いに、こくりと頷くアレン。すると女性は柔らかく微笑んで、兵士達に一礼するなり、ベッドの脇から腰を上げた。
「そうだったの。私はミレーニア。この教会で、シスターをやっている者よ」
「おいらはロジャー! ロジャー様だ! よろしくな!」
「ええ。よろしくね」
野戦病院と化しているこの教会でも、ロジャーの元気は相変わらずだ。密室ゆえ響く大声を、だが咎めることもなく、ミレーニアはにこやかに応える。
その彼女を一瞥して、アレンは教会を見渡した。
「……シスター。アペリスの教会は、どこもここと同じく窓が無いのですか?」
「まど?」
ロジャーが首を傾げる。改めて教会の壁を見回すと、確かに窓が一つもなかった。
「ん? んん?」
そういえば、と思って更に首を傾げる。するとアップルに笑いかけていたミレーニアが、不思議そうに振り返った。
「ええ、そうよ。アペリス様を信仰する人々は外ではなく、己の内側に向けて教えを授かるの。だから教会も己の内側、という意味を込めてこのような造りになっているのよ」
「……なるほど」
少しアレンの語調が落ちた。何気なくロジャーがアレンを見上げる。すると、気難しく表情を曇らせたアレンが、何か思い悩むように顔を俯けていた。
「にいちゃん……?」
声にもならない声で、ロジャーが遠慮がちに問いかける。が、気付かなかったのか、アレンは視線を寄越さなかった。ミレーニアが、にこりと笑って教会の奥の扉を開いた。
「さあ、どうぞ」
言われて、ロジャーはおずおずと中に入る。
三畳ほどの小さな部屋だった。部屋の中央にベッドが置いてあり、そこに三十半ばの女性が横たわっている。女性は部屋の扉が開いたことに反応して、頭だけをこちらに向けた。
服に隠されて具体的な傷は解らないが、彼女の左腕に痛々しい包帯が巻かれている。
ミレーニアの傍らを歩いていたアップルが、弾かれたように駆け出した。
「ママ~!」
それを受けて、アレンがミレーニアを一瞥する。確認を受けたミレーニアは、ただ静かに、こくりとだけ頷いた。
「アップル……! きょう、も……、来て、くれたのねぇ……!」
ひゅうひゅうと荒い呼吸を繰り返しながら、アップルの母はやんわりと微笑んだ。
血色の悪い肌と落ち窪んだ目で、それでも精一杯笑おうと。気丈にも顔を綻ばせる彼女の目元には、疲労から出来たクマが、微笑というよりは引きつった表情を彼女に浮かべさせていた。
ベッド脇に立ったミレーニアが、そっとアップルの母の髪を払う。そのミレーニアの浮かべている表情は穏やかだったが、同時に、どこか寂しそうでもあった。
それが、彼女に出来る最後の慈愛だとでも言わんばかりに。
「ア、アレン兄ちゃん……。大丈夫、だよな? あの母ちゃん……」
アップルの事を気遣っているらしいロジャーが、そっと声音を落として尋ねてくる。
心なしか、その顔色が教会に入る前よりも悪い。それほど、ロジャーの目から見ても一目で分かるほど、アップルの母の容態は深刻だった。
不安そうに揺れるロジャーの瞳を、じっと見返して、アレンは小さく微笑んだ。アップルの母に歩み寄る。ベッド脇にいるミレーニアとアップル。その二人の、邪魔にならない程度、傍に。
だが、いつでも届く距離に。
「貴女が、アップルのお母さんですね?」
声をかける。すると、力ない視線をこちらに向けてきた彼女に、アレンはそっと自分の手を重ねた。
前かがみになって、彼女の耳元に語りかける。
「私はアレン・ガードと言う者です。先日、旅の仲間と共に、お嬢さんとお友達になりました」
そこで言葉を切る彼に、アップルの母は首だけをめぐらせて、こくこくと何度も頷いた。動きは柔らかだが、力ない。
アレンは続けた。
「お嬢さんは、元気でお利口にしていらっしゃいますよ。我々が感心するほど、お母さんの分までしっかりなさっています」
言って、そっとアップルを一瞥するアレン。その彼に合わせて、視線をアップルにやった母親は、力なくだがほがらかに微笑んだ。
「そ、う……」
他人の口からアップルのことを聞くのが嬉しいのだろう。
だがロジャーにとっては、こうも容易くアップルの母が表情を緩めた事が不思議だった。思わず呆けて、ぽかんと口を開いたまま、アップルの母とアレンを交互に見比べる。
アレンはアップルの母を見つめて、静かに微笑った。
「お母さん。どうぞ、楽になさってください。これから貴女に施術をかけますので」
「施術、師……様……?」
つぶやくアップルの母の傍らで、ミレーニアも少し驚いたようにアレンを見た。母の問いかけにアレンは穏やかな表情のまま頷くと、アップルの母に重ねた手を、そ、と離した。
ちょうどベッド脇に寄り添っているアップルの、目の高さでアレンの右手が止まる。アップルの母の、腹の上に手をかざす格好だ。
瞬間。
すぅ――……っ
空気が、晴れる。
ふわりと。
ゆるやかな微風に、アレンの金髪がなびいた。
アレンが目を閉じる。
「フェアリーライト」
彼の右手に、淡い、蒼白の光が宿る。それは、ふわふわと彼の髪を撫でる風に乗って部屋に広がると、転瞬、アレンの右手を中心に眩い輝きを放ち始めた。
ぱぁあああ……、
『眩しい』。
確かにそう感じるのに、不思議とロジャーの目は痛くない。あの、目がくらむ時特有の痛みが。
「んぁ?」
修行で、幾度となく受けた回復施術だ。――にも関わらず、今日のフェアリーライトは、いつもより温かい気がした。
ベッド脇のミレーニアが、驚いたようにかすれた声で言った。
「これは、何と言う澄んだ慈愛の光なの! まるで聖都の
ぐ、と息を呑むミレーニア。その彼女の声はしかし、ロジャーの耳に途中から入ってこなかった。ぽかん、とだらしなくロジャーの口が開く。だが、それにも気付かず、ロジャーは呆然とした眼差しを、神父室の天井に向けた。
そこから降るように現れた、美しい女性を見上げるように。
女性は、纏った白い衣から、波打つ亜麻色の髪から、優しい蒼白の光を放っていた。
白く細い指で、目を閉じたままのアレンを抱くように、アレンの頬を、つぅ、と女性が撫でていく。まるで竪琴を弾くように優しく。
愛でるような、静かな眼差しで。
女性が、すぅ、と強く光を放った。全身から、己の姿を光の粒子に換えるように。女性の身体が、徐々に透けていく。
ぱぁああああ……っ!
光が強くなる。
「わわっ!」
視界が白い。
思わずロジャーは目を閉じた。だがその間にも蒼白の光は輝きを増し、ロジャーの頬を、身体を、神父室を撫でていく。波紋が、ゆらりと広がった。静寂という空気を、優しく波立たせるように。
光の粒子が、一面に広がっていく。
そして――……。
光が、晴れた。
アレンがゆっくりと目を開ける。かざした右手を下ろすと、じ、とこちらを見据えるアップルの母と 目が合って、彼は小さく微笑した。
「ロジャー、もう目を開けていい」
「ん……、んん?」
恐る恐る、周囲の様子を確認するロジャーにそう言うと、ロジャーは咄嗟に庇った手をどけて、目を開いた。
「アレン兄ちゃん……、どうなったんだ?」
ロジャーはきょろきょろと辺りを見回す。が、別段、アレンが紋章術を使う前と変わった所は無い。あれほど眩い、光の紋章術であったというのに。
「?」
首を傾げるロジャー。
と。
「……ママ!」
アップルが、驚いたように息を呑んだ。
ざ、とロジャーが振り返る。すると、アレンが微笑を浮かべてアップルの母と見合っていた。
「もう、起きてくださって結構ですよ」
「……!」
アレンの言葉を受けて、アップルの母が、ぐ、と目を見開く。
そして決意したようにベッドに手をつくと、ゆっくりとその身を起こして――アップルを振り返った。
さっきまで指先を動かすことすら出来なかった、その腕で。
「あ、ああ……っ!」
震える手で、そ、とアップルに手を伸ばす。すると、アップルが感極まったかのように母親に抱きついた。
「ママ~!」
ぎゅぅ、と。
己の胸の中に飛び込んできた娘を、母親は力強く抱き返す。その目じりから、じわり、じわりと涙が溢れ出した。
「アップル……!」
娘の名を呼んで、母は我が子の頭に自分の頬をこすりつける。強く娘を掻き抱いた母の腕は、臥せっていた間の持て余していた愛情を、一心に注いでいる証だった。
その母娘をじっと見詰めて、アレンはそっと席を立つ。場を濁さぬように、まるで黒子のように、そ、と。視線だけをロジャーにやって、彼は踵を返した。
(もう、行くのか? アレン兄ちゃん……)
まだ礼さえ言ってもらっていないというのに。
不思議そうにこちらを見上げるロジャーに、ふ、と微笑って、アレンは静かに頷いた。
………………
ミレーニアが母娘感動の余韻から覚めると、そこに青年の姿は無かった。
「あの、シスター……。あの方はどこへ? お礼を、差し上げたいのですが……」
その彼女と同じく、改めてベッドから立ち上がったアップルの母が、所在なく周囲を見渡す。
「ちょっと待っていて。……多分、気を使って席を外してくれただけの筈よ」
「そうですか」
ほっと微笑を浮かべるアップルの母。その彼女に、にこやかな笑みを返したミレーニアは、そそ、とアレンを追って神父室を出た。
「……!」
するとそこには、信じられない光景が彼女を待っていた。
「皆さん……っ!」
思わず息を呑む。
神父室から礼拝堂に入ると、整然と並んだ長椅子に、教会の入り口近くに設けた診察台に、横になっていた人々が不思議そうに座っていた。重傷人だった診察台の兵士が、ミレーニアを見つけるなり口を開く。
「シスター! ……これは一体?」
自分の手を握ったり開いたりしながら、見舞いに来てくれていた同僚の兵と顔を見合わせる兵。その彼に、二、三、説明しようとして――ミレーニアは、は、と瞬きを落とした。
「さっき、こちらに金髪の青年と小さな男の子が来なかったかしら? 四、五歳くらいの、亜人の男の子なんだけど……」
問うと、診察台の傍らに腰掛けた見舞いの兵が答えた。
「さっき教会から出て行きましたよ? ……彼等が何か?」
首を傾げる兵の、語調が落ちる。クリムゾンセイバーといえば、今、彼等の間で話題になっている兵士だ。当然、アレンの顔を彼は覚えていた。
だが、そんな経緯などミレーニアは知らない。兵の語調が落ちた理由など、気にかける術もなく、ミレーニアは慌てて教会から飛び出した。
落ち着いた女性と。
そう村の中で認識されている彼女には、珍しい光景だ。
取り残されるようにミレーニアを見送った兵達が、不思議そうに顔を見合わせる。
バンッ
と。
彼女に似合わぬ慌しさで扉を開けて、ミレーニアは左右を見渡した。
村の巡回をしていたシーハーツ兵が、不思議そうに彼女を振り返る。だがそれには構わず、ミレーニアはアレンの姿を捜して――、そうして、あるものにふと、目を奪われた。
教会の前にある墓地に、花が咲いていたのだ。
白く美しい、ユリに似た花が何本も。
荒れ果てていた墓地に。
「……!」
ぐっと息を呑む。すると、ミレーニアにつられて墓地に視線をやった兵が、意外そうに目を見開いた。
「おや、シスター。
素直に感嘆の意を述べる兵。その彼を置いて、呆然と墓地を見据えるミレーニアは、白く咲き乱れた花を、じ、と見詰めた。
「……………………」
そして小さく、ため息を吐く。
脱力。
「……シスター?」
その彼女の様子に、見回りの兵が気遣わしげな声をかける。が。それすらもミレーニアの耳には入らずに、彼女は突如咲いた、墓地の花の前に腰を下ろした。
兵達の治療と介護で豆だらけになった手で、そ、と花に触れる。
名は分からない。だが、香りの良い花だ。
まるで休息を、兵達の治療にいささか疲れていた自分を、労わるような。
「……私も、歳ですものね……」
花を見下ろして、彼女は、ふふ、と微笑んだ。
「は?」
その彼女を、背後から不思議そうに見下ろしていた見回りの兵は、しかし、教会から現れた元気な同僚の姿を見て、大きく目を見開いた。
――三日前まで、重体だった兵だ。
「し、シスター……!」
息を呑むような、見回り兵の声。
だがそれすらも意識の外に、ミレーニアは静かに、空を見上げた。
良く澄んだ、晴れた空だ。
――まるで先程の、青年の瞳のような。
その空を見上げて、ミレーニアは心から、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます……。パルミラ様……」
あの時現れた、蒼白の光の女神に向かって。
ミレーニアはそう、小さくつぶやいた。