アリアスの台地を奪い返したことで、物資も兵の士気も増したアリアスは、ちょっとした活気を取り戻し始めていた。
「それじゃ、私達もそろそろ行くよ」
その少しではあるが、笑顔の増えた村を嬉しそうに眺めて、ネルは後ろを振り返る。
南西の門。カルサアに続くアイレの丘――カルサア丘陵への最前線基地として、シーハーツ兵が最も多く通る門を前にしてのことだ。
顔を合わせたクレアは、相変わらず心配そうな表情を浮かべていた。
「ええ……。十分、気をつけて」
「あんたもね」
言いながら、クレアに向けて微笑む。
これからネル達が向かうのは、二日前アレンが先に向かったカルサアより手前の、アーリグリフとの国境だ。
情報戦、と。
アレンが言い切った作戦に、フェイト達は起爆剤として敵地を乗り込むのである。
クレアに見送られながら南西の門から村を出たフェイトは、カルサア丘陵に着く手前で、ぽつりとつぶやいた。
「さて。アレンの作戦、巧く行くかな……」
ボイドと名乗る鍛冶師と出逢った後日。
アレンは改めて、自身が言った『情報戦』の中身を明かした。
――三日前。
「ネルが指揮する封魔師団『闇』は、アーリグリフ方面の情報収集が主な任務だったな」
「ああ」
「なら、その人員すべてを使って噂を流してくれ」
「――噂?」
突拍子も無いことを言い始めたアレンを、ネルは不思議そうに見返した。上座に座ったクレアがいつも通り、両指を組みながら聞いている。
その二人の反応を探るように見比べて、アレンは続けた。
「『アーリグリフが戦況不利である』という噂だ。それをカルサア市民、いや、出来ればアーリグリフ王都まで広めてほしい」
「分かった。……それで? 他に、私達は何をすればいいんだい?」
「他には特に何もない。噂を広めるだけでいいんだ。それだけやってもらえれば十分、俺の手が届く」
「封魔師団すべてを使って、噂を広めるだけだって?」
思わず不信に目を細めるネルに、アレンは頷いた。上座のクレアが、じっとこちらを睨み据えた。
「その程度で戦力を削げるほど、アーリグリフは甘くありませんよ」
クレアの傍らに座ったネルも、クレアに賛同するように、合点の行かない表情でアレンを見る。腕を組んで座ったネルと、両肘をついて指を組んでいるクレア。両者ともにアレンの真意をはかりかねているのだ。
それは傍聴していたフェイトにも、クリフにも言えることだった。
「問題ない。今回俺が噂を流してほしい真意は、戦力を削ぐためではなく、相手の戦意を削ぐためだ」
「どういう意味だい?」
「俺は――……、アーリグリフとの和平の道を拓く」
「!?」
誰もがアレンを振り返った。一様に、彼の顔色を確認するように。
中でも反応が顕著だったのは、クレアとネルだ。目を見開くネルの傍らで、クレアも柄にもなく、がたん、と音を立てて、血の気を失った顔で椅子から立ち上がった。
「何を言っているの!? もう、そんな段階ではないのよ!?」
思わず早口になった。
慌てているのは、アレンの勘違いがここまで深刻だとは思わなかったからだろう。あるいはカルサア修練場での人質奪還、アリアスの台地奪還に一役買った彼を、どこかで信頼したのかもしれない。
フェイトが複雑な視線をアレンに送る。だがアレンは、ただ真っ直ぐにクレアを見据えていた。いつも通り冷静な面持ちで。
「だからこそ
アレンはそこで、とん、と組んだ指をテーブルに置いた。
「だからこの穴を埋めるために、俺はクリムゾンセイバーの名を使う。アーリグリフにはまだ通っていない名でも、
「……!」
ふと、ネルが目を見開いた。何かに気付いたのだろう。放心した様子で口元に手を当てた彼女は、探るようにアレンを見る。その彼女に一瞥だけを送って、クレアを見据えたアレンは、静かに言った。
「……既に、この件は女王陛下の許可を頂いている」
そう。
シランドで、城の見回りをしていたネルがアレンを見つけた場所は――白露の庭園だった。女王陛下の私室に、謁見の間に最も近い場所だ。
「……!」
謁見していたのだ。
ネルやラッセル、アドレーに、果てはフェイトとクリフを置いてまで、女王ロメリアと二度目の謁見を。
会議室を包む空気が、急変する。沈み込むような緊張が張り詰めた。
当然だ。女王の勅命とあらば、アレンの発言は、その根本から意味を変える。その彼等の、寝首をかかれたような反応を確かめるように、アレンはネルに、否、フェイトやクリフ、ロジャーにも向けて話を続けた。
「ネル達には、アリアスの戦力増強を図って貰いたい。ラッセル執政官は敵の疲弊を待つ長期戦を企てているようだが、持久戦をしかければこの村の負担が増える。無理はしなくていいが、出来るだけがんばって欲しい」
そう言って、アレンは話を括った。
あの時の会議室の一件を思い出して、クリフはやれやれと肩をすくめた。
「こっちのチームリーダーは一応、クリムゾンセイバーってことで
「……分かってる」
つぶやいて、フェイトは顔を俯かせる。
作戦自体の心配ではない。それも含まれているが、フェイトの横顔を見据てクリフは息を吐いた。常識で考えて無謀なアレンの作戦に、フェイトの葛藤は当然に思えたのだ。
(僕は……、どうしたらいい――?)
フェイトはブロードソードを握りしめる。
(あいつはまったく加減も知らない悪魔だ……。けど、あいつがやってることに対して、僕は――何らかの形で答えなくていいのか?)
考え込むフェイトを横目見ながら、クリフはフッと笑った。ばんっ、とフェイトの背を叩いてやる。
「アレンのこたぁ、心配しても仕方ねぇ。それにああ見えてちゃっかりしてやがるからな。早々ヘマもしねぇだろ。……どうしてもってんなら、たまにクォッドスキャナで通信でも入れてやればいいしな」
「……ああ」
フェイトは思考を止めると、小さく肩をすくめた。クリフが、よし、と頷く。後ろを振り返れば、ネル、ロジャーの他に、今回、補強要員として抜擢されたタイネーブ、ファリンの姿も見受けられた。
「話は済んだかい?」
「ええ」
様子を窺うような顔で、ネルが問うてくる。
これから戦争の、最前線に入るのだ。最早アーリグリフ軍の一般兵は敵ではないといえ、おしゃべりはここまでだ。
フェイトは息を吐いて、それから一同を見渡した。
「それじゃ、行きましょう」
……………………
………………
アーリグリフ本土防衛軍、風雷。
穏やかなカルサアの町並みに、溶け込むようにして配備されている兵達を見据えて、アレンは己を守る唯一の武器、剛刀『兼定』を右手で握り締めた。鞘を右手で持つと言う事は、刀をすぐ抜けないと言う事だ。非戦闘の意志を表す連邦の
「カルサア領主、……いや、風雷団長ウォルター伯爵にお取次ぎ願いたい」
「……何?」
カルサアに入る門前で、二人の番兵は怪訝な表情でアレンを振り返る。その彼等に、アレンは懐から書状を取り出した。
シーハーツ王家の紋が入った、ロメリアからの書状だ。
「なっ!」
思わず目を見開く二人の番兵。怯むような、驚いた彼等の反応を受けて、アレンは構わず続けた。
「私はシーハート二十七世の使者として来ている。至急、お取次ぎを」
「す、少し待て!」
番兵が慌てて町の奥に消えて行った。恐らく新米兵だろう。落ち着きの無い彼の背を見送って、アレンは静かに眼を閉じる。
カルサアは完全な無防備というわけでなく、町の外に配備された風雷兵に、アレンの動向は監視されている。敵意と疑惑を入り混ぜたような、複雑な視線を一身に受けていると、他の兵に旨を報せた番兵が、早々にアレンの許へ戻ってきた。
ぞろぞろと。
番兵の上官らしき兵を先頭に、町から二十人ほど風雷兵を引き連れて。
町の外の人数と合わせれば、大体五十人ぐらいの数に膨れ上がるだろう。――真剣に戦闘を始めれば、更にその数倍に兵の数が増えるだろうか。
(……さすがだな)
不審人物の、いや、確実に『敵』と断定できるアレン一人を相手に、この兵の召集力は戦況の、ひいては風雷という部隊の余裕を窺わせる。
全体の兵数をアレンが知っているわけではないが、シーハーツ軍が押される理由は、個々人の戦闘力だけでなく、こういった統率力にも起因するのだろう。
「シーハーツの使者、というのはお前か?」
問いかけてきたのは、壮年の風雷兵だった。いかにも貫禄を感じさせるこの男は、上から下まで、アレンを検めるように睨み据えて、視線をアレンの目の高さでぴたりと止めた。
「はい」
壮年の風雷兵は、訝しがるような眼差しのまま、続けた。
「このような時期に使者とは。……貴殿は、すでにシーハーツのスパイが一度捕まった事件をご存知かな?」
「そのことも含めて、話させて頂く所存です」
「失礼だが、名は?」
「アレン・ガード。と、申します」
「アレン?」
聞いたことのないシーハーツ兵の名前に、壮年の兵は首を傾げる。瞳はそれ以上に深い、疑惑の色を宿した。
「近頃のシーハーツは、無名に使者を?」
「現状を思えば、我等シーハーツの使者が殺される可能性は考えないわけではありません。ですが……女王陛下の意思をお伝えするには、私が最も適任と思い、志願させて頂きました」
言いながら、アレンは壮年の兵を観察した。恐らく、アーリグリフにいるであろう彼女――アレンの知り合いが、アレンの名を口にした確率は大いに高い。
だが。
アレンはそこで微かに視線を落とす。
「……………………」
対峙した風雷兵が、無言のままアレンを見据えて――すらりと腰の剣を引き抜いた。
「……退け。町中で民に血を見せたくはない」
穏やかな口調だが、瞳だけは異様に冷えている。このままアレンが首を横に振れば、警告はしているものの風雷兵は剣を振り下ろすだろう。確信したアレンは、彼の言葉に応じなかった。
「返答次第では?」
「否。お前のような不穏分子を閣下にお会いさせるわけにはいかん。選択の余地など、
「その要請には遺憾ながらお応えできない。こちらも、任務ですので」
威圧を込めて怒鳴る兵を、アレンは静かに睨み返した。歳の割りに堂々とした態度だ。それに一瞬、息を呑んだ兵は、すぐに表情を引き締めると、瞳に怒りの色をたぎらせて、言い放った。
「愚かな。ならば、死ぬがよい!」
引き抜かれた剣が、天に向かって掲げられる。
「者ども! こやつの首を斬って、シーハーツに送り返せ!」
「ぉおおおお!」
途端、アレンを囲んでいた風雷兵が一斉に動き始めた。
剣を、槍を掲げる彼等をざっと見渡す。最初の予想通り、敵兵は五十。時間経過でこれより数は増えるだろうが、問題ない。
『兼定』を、今だ右手で掴んだまま。アレンは拳を握りこんだ……。