「っ、っっ!」
ネルは短刀を握る。恐ろしいまでに、手が震えていた。傷故か。それとも――恐怖ゆえ、か。
カタカタカタカタッ、……
まるで笑い声のように。短刀が、鳴る。
「……っ!」
それを耳にしながら、ネルはそれでも、刀を振るおうと精一杯力を込めた。
ところを――、
「どうやら、マジで殺さないと分からねぇらしいな」
怖気の走る声が、ネルの背後で、そ、とささやいた。明らかに戦闘不能のネルだが、短刀を離さなかったのを見逃していない。
ぞく……っ、
息を呑むタイネーブとファリン。
今や、ほとんど身体が動かないネルには、一体何が起こっているのか理解できない。振り返る力が無い。
ネルの首を斬り落とさんと、無造作にレーザーウェポンが振り下ろされたことなど――。
「ネル様っ!」
「ネル様ぁ~っ!」
叫ぶ、二人の悲痛な声。
同時。
ざんっ!
鮮やかな血が、ネルの視界を覆った。
自分の身体が、引き倒されたと同時に、
「…………っ!」
大きく目を見開いたネルの目の前で、彼女を抱くようにして現れたクリフの背が、ざっくりと裂かれていた。
………………
「……ぐあっ!」
赤黒い塊が、クリフの唇から溢れる。ずしんとした重みがネルにのしかかると、白い背骨がわずかに顕になったクリフの刀傷が、ネルの目を焼いた。
「へぇ……。疾風突きと衝裂破を食らって、まだ動けるのか」
つぶやく、アルフの声が遠い。
「あ、……あ、……ぁっ!」
呆然と開いたネルの唇が、意味の無い音を搾り出す。
ずり、と引きずるような音が、ネルの耳に届いた。
「で、か……ぶつっ!」
それがロジャーが駆け寄ろうとした音であると、ネル自身が理解することは無い。
ただ無感動に、クリフを見下ろすアルフの手元が、ちゃりっ、と金属の擦れる音を立てた。
「それも、これで終わりだ」
わざとらしいほど足音を立てて、アルフはゆっくりとレーザーウェポンを掲げた。
ネルの意識を、奮い立たせるように。
敵はまだそこにいると。
そうネルに、起き上がろうと必死でもがいているロジャーに、報せるように。
――否。
これが絶対的な実力の差だと二人に知らしめたうえで、とどめをさそうというのだ。
アルフのレーザーウェポンが、再び振り下ろされる。仕留め損ねた、ネルに向かって。
(動け、動けぇええっっ!)
そのレーザーウェポンの刃を見据えながら、タイネーブが叫ぶ。必死だった。走馬灯のように一秒が長く感じる時間軸で、この場で唯一無事で、体術に優れた自分が動かなければ。
――しかし
ぴき、ききき……っ
恐怖が全身を氷付けたように動かない。
殺される。
ネルが。
目の前で――。
(……っ!)
そのあまりの異常事態に、タイネーブの
振り下ろされる黒い刃は、やはり慈悲や容赦という言葉を知らない。
だから――、
(うご、けぇええええっっ!)
胸中で叫んだタイネーブが、棍を握り締めると同時、
びゅんっ!
もう、間に合わなくなっていた。
「……!」
アルフが突如、後ろに飛び退らなければ。
ずざっ、
一足飛びで優に二、三メートルの距離を開けたアルフが、地面を踏みながら、険しい表情で刀を握る。
「はぁっ!」
一瞬遅れて入った、タイネーブの棍棒が、空を切った。
完全な空振り。
(――殺されるっ!)
読まれた、と舌打つと同時にタイネーブは覚悟して歯を噛む。
だが驚いたことに、アルフはタイネーブを全く見ていなかった。薄ら笑いを浮かべて一点を見据えたまま、アルフはレーザーウェポンを構える。
「え……?」
それを疑問に思って、タイネーブは首をめぐらせた。
「あ、あぁ……っ!」
ネルの唇から、声が漏れる。呼吸が正常に出来ないのはさっきと同じだ。だが、今度は満面に喜色を、こぼれんばかりの希望の光を込めて。
ネルは、ロジャーは、呼んだ。
――彼の、名を。
「フェイト……っ!」
「フェイト、にいちゃ……っ!」
二人の声に呼応するように、そちらを見据えたタイネーブは、あまりの眩さに目を瞠った。
白い閃光が、タイネーブの視界を埋め尽くしたのだ。
白く、眩く、冒しがたい光が。
全てを飲み込む、フェイトの光が。
ばさっ……
鳥が飛び立つような羽音とともに、視界を覆う光が、徐々に晴れていった。
二、三回。瞬きを繰り返して、ようやく目を慣らしたところで、レーザーウェポンを構える、アルフの姿が目に映った。
あの光の中でも、微動だにしなかったのか。
アルフは光に包まれる一瞬前と、まったく同じ表情でフェイトを睨んでいた。
嫣然とした、死の色香をまとわせて。
「……それが、お前の本性か。フェイト・ラインゴッド」
微笑む彼は、フェイトの
白い翼を背負った、フェイトの姿に。
「……っ!」
天使が、そこにいた。
額から強烈な閃光を迸らせるフェイトは、全身が淡く輝いている。胸元にあるアルフにやられた傷が、その中で異物の存在感を放っているが、彼は痛みの一切を感じていないように思われた。
静かに、静かに。
アルフを見据えるフェイトの碧眼が、ゆっくりと細められる。
と、同時、
「我が手にあるは天帝の剣戟……、裁きをもたらす神器なり!」
フェイトがブロードソードを掲げた。全身を覆う光の粒子が、ブロードソードの刃に集まる。螺旋を描くように、空を舞うように、きぃいいっ、と甲高い、不思議な音を立てて剣に光が集中していく。
「スゴイ……!」
つぶやくタイネーブの目には、その光が奇跡のように見えた。
美しく、気高い光。
すべてを白に染める、フェイトの光。
だが、アルフは違う。
「……へぇ」
アルフは、その光がただ、美しいばかりの代物ではないと察していた。
例えるならばあれは、――核だ。
アルフの目つきが変わった。レーザーウェポンを構え、冷笑を浮かべる彼の瞳が底光る。獲物を、血を求めて光る刃物のように。
瞬間、
どんっ!
フェイトがブロードソードを手に、地を蹴った。白い光を全て飲み込んだ、淡く輝く、ブロードソードを手に。
「ブレードリアクター」
一拍子で、三つの斬線がほぼ同時に迸る。
振り上げ、振り下ろし、突きの斬線が。
が。
衝裂破が、アルフの身を守るように周囲を、彼の間合いに突っ込んできたフェイトを薙ぎ払う。
ざざんっ!
まるで嵐のようだ。アルフの剣速が、先程より明らかに増している。
「!」
そのとき、微かに目を見開いたアルフが距離を取った。
きゅぅんっ!
己の放った衝裂破が、フェイトの斬線に呆気なく葬られたのだ。
斬られた、のではない。――吸い込まれた。アルフの放った、衝裂破の空間ごと。
「……なるほど」
薄く、目を細めるアルフ。瞬間、身をかがめたフェイトが、左手を広げてオーバースローイングに炸裂弾を放った。
「ショットガンボルト!」
ドドドンッ!
炸裂弾が音を立てて、アルフを襲う。アルフが後退したのに追い討ちをかけてきたのだ。アルフは動じない。剣で放たれた技でなければ、どうということはない。
だが――。
ズドンッ!
旋風を巻いて走るアルフの『疾風突き』を、フェイトは難なく弾いた。キンッと小さく、甲高い音を立てて、アルフの剣先をわずかにずらしている。
(反応が、上がってやがる?)
フェイトを睨むアルフの瞳に、観察の色が宿る。試しにアルフはその状態から刀を払い上げた。
ヒュパ――……ッ!
まるで空気そのものを削ぎ落とすような神速の剣を、フェイトはバックステップでかわした。剣先から出るであろう、衝撃波も計算した上で。
先ほどまでなら、確実に反応できずに棒立ちしていたであろう剣線を。
「そうか……! アリアスでの別人のような動きは、この前兆……!」
息を呑むナツメの声に呼応するように、白く輝くフェイトの身体が、ざ、と反転する。その上で、
「ヴァーティカルエアレイド」
白く輝く剣を、フェイトは無造作に切り上げた。空間を丸ごと消し去る剣。フェイトは普段の数倍、否、別人のような実力を発揮してくるのだ。当たれば必殺の、その剣を携えて。
「アルフさん!」
緊張したナツメの声。
「……面白い。久々に、|本気(マジ》でいかせてもらおうか」
うっすらと笑ったアルフは、
「ダメだ! 消される!」
ナツメの声が響いた。
幾重にも重なった消滅の衝撃波が、アルフの斬線をかき消して迫っているのだ。掠っただけで致命傷。まだアルフは食らってはないが、その危険性が空気を通して伝わってくる。
それを、じ、と正面から見据えて、アルフは刃を寝かせた。
途端、
アルフの身体から、青白い煙が立ち上がった。ゆらり、と形を成さぬ煙が直後、竜を象る。
青く、白く、強く輝く、竜の形を。
まるでアルフ自身が、竜の化身であるように。
背に竜を、紅い瞳を、滾らせる。
――ォオオオオオオオオッ!―――
その竜が、人を丸呑みするほどの竜が、吼える。
フェイトを覆いつくさんと、フェイトを食い殺さんと。
アルフの握るレーザーウェポンが異様に輝いた。同時、アルフが地を蹴る。トンッ、と存外、小さな踏み込み音で。
『蒼竜疾風突き』というアルフ特有の大技だった。
ズドォオオオオオオンンッッ!
視界が青く、白く染まる。
「――っ!」
フェイトの名を呼んだはずが、己の声すらタイネーブの耳には届かなかった。
穢れを知らない白く輝く羽毛が、ふわり、と宙を舞う。『エアレイド』の衝撃波が、アルフに襲いかかっていた。
きゅぅんっ!
光がアルフの蒼竜を吸い込んでいく。竜を、空間を。
だが。
その剣でも、竜と疾風と突きが重ね合わさった技を消しきれない。
「……!」
消すよりも、速いのだ。
アルフが気を、闘気を高める方が。
「――――」
時間が、長い。
否、
それはフェイトの時間軸での話だ。
『エアレイド』で起こした振り下ろしの衝撃波を貫かれたフェイトは、現実時間では大きく目を見開いて、ブロードソードを握ったまま、己の腹が貫通されるのを見ていた。回避も、そうする準備もない。
瞬きを落とせばいつの間にか、アルフの竜がフェイトを飲み込んでいた。
(――千切れる……)
思考が鈍くなった所為か、レーザーウェポンの刀身を見詰めながら、フェイトは思った。
それは己の腹のことか、あるいは意識か、――命か。
どれともつかない言葉が、フェイトの脳裏を過ぎった。
「死ぬつもりか? フェイト」
不意に、傍らから声が聞こえた。フェイトは、はた、と瞬く。瞳に、翡翠の双眸に、輝きが戻った。同時。フェイトの背負った白い翼が、消失した。
ふ……っ、
フェイトを覆っていた光とともに。
途端、アルフにやられた腹の痛みが、激烈にフェイトを焼いた。
「……ぁっ!」
思わず顔をしかめる。ついで腹を手で押さえると、――貫通されたはずの腹が、まだ繋がっていた。首を傾げると、視界の隅で炎が巻き上がった。
フェイトの腹を穿った、バーストナックルと似て非なる赤い炎だ。
力強く、フェイトを守る赤い炎だった。
「おぉっ!」
鋭く放たれたその声は、フェイトの知っているものだった。
「あ、……ぁっ……!」
つぶやく、フェイトの視界がじわりと滲む。
――コォオオオオオオオッ!――
甲高い、朱雀の鳴き声がフェイトの耳朶を打った。地面が、揺れる。
コゥ――……ッッッ!
落雷にも似た、真空に身を投げ出されたような、音にもならない音を立てて。
「……っっ、っっっ!」
タイネーブは――、否、ファリンや、途切れ途切れの意識の中、何とか目を開けているネルやロジャーまで、苦痛を忘れて、それに見入った。
蒼竜を飲み込む、朱雀を。
竜の三倍の大きさがある、その鳥を。
「覇ぁっ!」
初めて、アルフの気合が唇を裂く。と同時、蒼竜が打ち負けた。
迫り来る衝撃波を利用して、アルフが後ろに跳ぶ。レーザーウェポンを袈裟状に払った。一分の隙なく両手で柄を握り、刃を、アレンの放った朱雀に対峙させるように、アルフは堅く構えた。
「アルフさんが受け太刀っ!? ……いや、駄目だ!」
アーリグリフ側から少女が叫んだのに呼応するように、防御体勢に入ったアルフを、朱雀が苦もなく吹き飛ばす。
まるで人形のように、呆気無く。
ズドォオオオオオンンッッ!
「……っ!」
弾き飛ばされたアルフが、五メートルは上昇して、堕ちる。吹き抜ける風に身を委ね、地面と激突する直前、体勢を立て直して彼は見事に着地した。アルフは軽く右手をついた体勢で、目の前の男を睨み据えた。