日中のアリアスは天候に恵まれ、澄み切った青空と照りつける陽射が心地良い。
村の中心にある領主の館には、シーハーツ軍が駐屯している。屋内のため、武具を身につけている者は少ないが、シーハーツ軍最高司令官クリムゾンブレイドの前とあって、場の空気はいま凛としていた。
皆、一様にある男を見ている。最高司令官、クリムゾンブレイドのクレアを含めて。
「本日付でアリアス配属となった、アレン・ガードです。女王陛下の仮の刃という名目でクリムゾンセイバーの名を拝領しましたが、ここではラーズバード指揮官に従うつもりです。――これから、よろしく頼みます」
几帳面に一礼した青年は、会議室に集まった兵士を、一人ひとり見渡した。
金髪碧眼。
どこにでも居そうな青年だが、一つだけ、他の若者と違う点がある。
瞳だ。
色は珍しくない。濃い蒼色の瞳。だが、彼の眼差しはスッと前を向いていて、底知れない自信や誇りに満ちている。
(あれが、噂の……)
(しかしアリアスの台地を取り返したのは、ネル様では……)
(カルサアの件もあるぞ……)
会議室がにわかに活気付く。シーハーツ軍人としてその場に集まったクレアも、また、値踏みするような視線を向ける一人だった。
………………
…………
「どうにも、腑に落ちない点があるんです」
改めて二階の客間を通されたアレンは、荷物を棚に置いた後、後ろを振り返った。
部屋の戸口に、女総司令官クレアが立っている。
ちょうど自分が初めて、この部屋で目覚めた時と同じ距離間だった。
アレンが首を傾げた。
「腑に落ちないこととは?」
初めて会った時より数段警戒の混じった視線がアレンを貫き、小振りな彼女はこくりと首を縦に動かした。その際、肩から落ちた黒と青の縞模様のマフラーを手で払いながら言ってくる。
「アレンさん……でしたね? 貴方は、アリアスの台地を取り返す時――もしや我が軍にスパイが潜伏していたと気付いたのですか?」
アレンは答えず、わずかに目を細めた。クレアを観察する。
ぶらりと落ちたクレアの右手が、静かに握りしめられた。彼女は言った。
「貴方はあの時、台地の状況を聞くや否や、その日のうちに作戦を決行しました。でも――状況的に言えば台地奪還は急務じゃない。確かに、早い段階で奪還できればアリアスの村人達に希望を与えます。けれど、村の防衛線に直接かかわらない以上、タイネーブが言っていたように一日置いてから決行してもなんら不都合はなかったはずなんです」
「……だから、あのとき私が報告と同時に動いたのは、貴方が知らなかった情報を――アーリグリフに情報を横流すスパイがいたことを私が知っていたと?」
「ええ」
「いい判断です」
アレンは小さく笑った。クレアの眼差しは変わらない。相手の一挙手一投足を逃さない――そんな厳しい視線をアレンに送ってくる。
彼女は続けた。
「それでは、貴方はスパイがいることを知った上でそれを放置した、という認識で間違いないですか?」
「誰がスパイだ――とまで分かりませんでしたから、手の出しようがなかったんです。それに
「まさか、シランドにもスパイが!?」
息を飲むクレアを、アレンは手で制した。
「残念ながら、そちらは見事に雲隠れしました。スパイが居たらしい場所の特定は済んでいます。封魔師団の報告書を見れば向こうの状況も何となく見えて来る……。私がカルサアに行った時期を覚えていますか?」
ここでアレンは、無意識の内に自分のことを『私』と称していた。これは軍人としての彼の癖で、彼は
これまでネルに協力しているだけに過ぎなかった彼が、シーハーツ軍人として思考している証だ。
クレアは思考しながら、答えた。
「ほんの二、三日前ですね」
「ええ」
アレンは頷いて、戸口のクレアに近づいた。その彼女の脇を抜けて、通路を視線で指す。
「とりあえず、場所を移しませんか? 大した話ではありませんが、念のために」
彼がアーリグリフのスパイを懸念しているのだと悟り、クレアは小さく頷いた。
話す場所として二人が選んだのは、パルミラ平原ではなくアイレの丘だった。
ここなら、いつアーリグリフ軍が攻め込んで来ても、すぐに対応できる。
アレンはアリアスの村近郊を流れる川が、大海に向けて広がっていく様を見ながら、話を続けた。
「さて。カルサアでの成果は、一昨日ネルが居る時に話しましたね」
クレアを振り返る。
彼女はすぐさま頷き、同じく大海を見据えながら答えた。
「アーリグリフに技術協力をする話でしたね。寒冷地でも栽培できる食糧があると、ウォルター伯爵を説得されたとか」
「ええ。シランドで調べ物をした時に、アーリグリフのこれまでの動きを資料室で一通り見せてもらいました。――その結果、かの国が侵略戦争を続ける理由は、主に食糧不足から来ている可能性が高いのです」
「……そんな問題……、それだけの理由で我が国を攻めたてに?」
クレアの声に失笑が籠もる。
今回の戦争の発端は、現アーリグリフ王がアペリス教徒に暗殺を企てられた、という証拠不十分な見解から始まった。そのために多くの罪のないアペリス教徒達が不当に処刑台にかけられ、アーリグリフの勝手な都合でシーハーツの軍人達も命を落とすことになったのだ。
「自国の民が飢えるのを見たくないなら、正式にシーハーツに援助を求めればいいだけのことでしょう? 剣と炎で、相手を蹂躙する必要なんてない。それが……あの人達には分からないの?」
「飢えている子どもに食料を分け与えれば、その子はその日だけ生き残ることが出来る……。けれど、その次の日も、またその次の日も食料を与え続けられなければ、その子はまともな一生を送ることはできない」
「……どういうことですか?」
クレアは胸がざわつくのを感じながら、アレンを見た。胸元に手をやる。その手を握りしめた。
アレンは言う。
「援助と言うのは、その先に相手が自立できる見通しがなければならないんです。食糧援助は効果こそ高いものの、いわゆるその場凌ぎの政策に過ぎない。その国を本当に思うなら、一時的な救済措置でなく、その国が自立するためのノウハウが必要になってくるんです。……けれど、アーリグリフは知っての通り、一年の半分以上が雪におおわれ、シーハーツのような凍らない土地を見つけることが難しい。――そんな環境で、食糧を栽培するというのは並大抵の技術ではないし、かといって一方的に食糧を貰い受けるだけの国になり果てれば、アーリグリフはいつしかシーハーツが内政干渉をして来ても、生き残るために従わざるを得なくなる」
「我が国の属国となると?まるでこちらが援助をすれば、内政干渉するのが当然のように仰られるんですね」
「ええ。利害なき国交はあり得ませんので。シーハーツとアーリグリフが友好な関係にあった頃は、アーリグリフに鉄がありました。優秀な鋼が、銅が、山を少し掘れば見つかった。その時代に、資源に頼らない生活を模索すればよかったものを、アーリグリフの人間にそこまで知恵の回る者は影響力のある場に残念ながら現れなかったようです。そのため、現国王が食糧枯渇に躍起になって、この戦争を起こさざるを得なくなった――。それが今回の戦争です」
「……その話を聞いていると、
「何か思うことが?」
クレアは自国に非はないと言いながらも、表情を陰らせていた。
アレンには、その真意はわからない。
クレアが顔を上げる。
「教えと……違い過ぎているのです。戦争というのは」
「アペリスの?」
「……ええ。シーハーツの国民は、そのほとんどがアペリス教徒として育ちます。毎朝聖書を読み、食事の前に、私達が生きるために今日犠牲となった尊い命に祈りを捧げる。……相手を傷付けず、盗まず、殺さず。訓令にはそうあるのに、私達は時に、それを自ら冒さねばならない。自分達が生き残るために」
そこまで言って、クレアは自嘲気味に笑った。
「変ですよね……。アーリグリフのことは自業自得と考えるのに、口では『人を愛し、慈しむべし。いかなる存在も、その魂の価値は等価である』なんて。
私は部下を――分の悪い戦いにも向かわせます。それを嫌だと思っているのに、自分ではどうにも出来ないから、仕方がないと諦める。……なのに、いくら諦めても――心のどこかでネルのように変わらない、純粋な姿が羨ましい。変われない自分が疎ましくて、自分が変わってしまったら、味方にどれほどの被害が出るのか、冷静に計算する自分が浅ましくて、どうしようも……!」
クレアの声は徐々に熱を帯びていき――、震える。
彼女は少しうつむくと、唇をかみしめて、喉の奥から絞り出すように言った。
「たまにたまらなく、自分が怖くなるんです。……アレンさん。もし貴方がアーリグリフに技術提供をすれば……、すべて丸く収まりますか?」
「すぐにとは、いきません。両国の溝はあまりに深い。アーリグリフが過剰な力を得た以上、シーハーツ側もそれなりの力を見せなければ、対等の交渉は出来ないだろうと考えています」
「……そうやって、あなたはすぐに結論を出せてしまうんですね」
抑揚のない彼女の声を聞いて、アレンは目を細めた。
クレアは――歯痒いのだ。
才能に溢れながら、周りの人間に絶賛されながらも、彼女は本当になりたい姿とはかけ離れた現実に対する嫌悪。
それは数か月前までは、耐えられた。
けれどこうして――ネルに影響を与えた男と正面から向き合って、自分にはない相手の知識の広さが、憎いと思った。
彼らはクレア達が死ぬ気でやってきたことの、さらに上を行って見せる。
それが憎い。
カルサア修練場から、同胞を助ける手立てなどクレアは生み出せない。
台地の現状を聞いて、その日の内に二軍編成のアーリグリフ軍を相手に、勝利する術などクレアにはない。
この状況で――戦争以外の方法を模索する余裕など、クレアにはない。
ネルを明るい笑顔にしてやることも、クレアには出来なかった。
――なのに。
拳を握りしめた。
嬉しいことばかり起こっているのに、なぜこんなにも気持ちが晴れないのか――自分の心が汚れているのか、彼女にも理解できない。
アーリグリフから現れた助っ人が、アレンの仲間であると聞いて――心のどこかで、なぜ自分は喜んでしまったのか、彼女は理解したくない。
顔を上げてアレンの顔を見ると――悲しそうな表情をしていた。
クレアを憐れんでいるというより、遠い昔を思い出しているような、そんな目だ。
クレアは不思議そうに瞬いた。
アレンが言う。――彼が結論を見出す理由を。
「間違いを……たくさん冒して来たからですよ」
「――間違いを?」
「ええ……。私は――私も、ずっと胸を張れるような道を進んではきませんでした。時には斬りたくない相手も、斬ってはならない人も手にかけた。……幼い頃は、そんな自分が、どれだけ相手の心を、命を蹂躙するかも分からずに過ごしていました。しかし時に、相手の気持ちが断片的に理解できてしまうことがある。それでも私は――人を斬る以外に選択肢があることに気が付かず、馬鹿の一つ覚えのように同じことを繰り返していた……。何度も、何人も――手にかけた。剣術の鬼才だとか、次代を担う才子だとかいくら言われても、私は自分がどうしようもない愚か者だとわかっていました。そのうえで生きることを捨てられず、自分にはこうするしか道はないんだと言い聞かせて生きていました。――あの人に、出会うまで」
「あの人?」
「私の上官です。その人は、剣を振るしか能のなかった私に、こう教えてくれたんです。
『軍人は、民間人を守るためにある』と。
私はそれまで父に『情けを捨てて人を斬れ』と教えられてきました。けれど、父の考えに共感できず、私は戦う宿命から逃げられないのなら――せめて相手の意を汲み、情けを持って斬れる人間になろうと努めていました……。
同じ『斬る』でも、それが彼らのせめてもの救いになれば、と。
けれど上官は違った。彼は『民間人を守るために剣を振れ』と教えてくれたんです。ずっと――相手を殺すことしか考えてこなかった私に」
「…………」
「もちろん、民間人を守るためでも、人を斬ることがまったくなくなるわけではありません。それでも――あの日から私の視野は格段に広がった。相手を必ず殺さずともよくなった……! それがどうにも嬉しくて、あの人が笑ってくれて――皆が私を認めてくれた。
私の判断を、拙いながらもどうにか死者を出さずに事件を解決できたあの日、皆が褒めてくれた……。その感動が今でも忘れられなくて――、相手と和解出来る喜びが、人を斬ることよりもどんなに大切で、尊いのか――。それを知ってしまったから、私は色んなことを模索しないと気が済まなくなってしまったんです」
「それが、……貴方が我々とは異なる結論を導く理由……?」
「それだけでありません。私の育ったところは、ここよりもずっと、戦争を繰り返してきました。その度に作られてきた多くの記録を見、見識を広げる機会があったんです。――だから、私は運が良いのでしょう。
多くを学べる環境にあり、正しい方へ導いてくれる人がいた。
上官に出会えなければ、私は今のようには生きられない」
そう言って嬉しそうに、誇らしげに微笑むアレンを見て、クレアは視線を落とした。
溜息が零れる。
「……何か?」
アレンが不思議そうに首を傾げる。クレアはなんでもない、と答えた。
(……ズルイわね、これは……)
そう思った。
アレンの表情を見て。
これでは――アレンを疑う人間が、汚く見えてしまう。
自信満々に笑うネルを思い出す。
そういえば誇らしげな表情が少し似ていた。
クレアは長い溜息を吐くと、アレンを振り返った。
「貴方の作戦……、巧く行くといいですね」
「……ええ。まずは、シーハーツ軍の力をアーリグリフに見せつけねばなりませんから」
『戦争』の話をする時、アレンの表情からは柔らかいものが消える。
それは『守るべき』と定めたもののために、あらゆる事象を完全に割り切って考えるからこそ出来る厳しい表情だ。
彼は――誰かを『守る』行為に、妥協しない。それにこの上ない誇りを持っている。
(そういうところが、――そのまっすぐさが、ネルに気に入られたのかもしれないわね)
『クリムゾンセイバー』。
もう少し彼等のことを、信頼してもいいのかもしれないと、心の中でつぶやきながら。
大海から視線を外す。アレンを見上げて、クレアは言った。
「アレンさん。貴方に
「え……?」
アレンが意図をはかりかねて、首を傾げた。ネルの時はそう認識した、と以前、彼が言ったのをクレアは覚えていたのだ。
クレアは小さく笑むと、続けた。
「ならば私のことは、クレアと呼んでください。プライベートでの、ネルとのことはまだ認められませんけど」
「いえラーズバード指揮官、貴方は誤解されています。プライベートもなにも、私とネルは」
「クレアです。よろしくお願いしますね。アレンさん」
笑顔のまま、有無を言わせず迫られて、アレンは目を見開き数秒、押し黙った。
話の流れを理解できずに困惑している彼に、クレアはそこだけ笑っていない瞳をうっすらと開いて、口許に笑みを貼り付けたまま言った。
「それとも――特別な感情がないと、やはり異性を名前で呼ぶのは難しいですか?」
「ぃぇ、……そんなことは……」
「なんですって?」
「こっ、……こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。クレアさん」
「はい。『クリムゾンブレイド』として、今後とも貴方の活躍に期待しています。アレンさん」
満面の笑顔で告げるクレアに、アレンはこくこくと頷いていた。
自分の命の恩人は、少し厄介な相手なのかもしれない、と胸中でひとりごちながら。