ネル達がシランドを出立するより少し前。
ペターニに向かうため、イリスの野に出たロジャーは、二時間ほど走った所でふと、その足を止めた。
フェイト達に追いつかれぬよう、頑張って走ってきたのであるが――。
足を止めたのは、何も疲れたからではなかった。
「あ! アレン兄ちゃん!」
広い、広いイリスの野。
日の高く上がった昼時に、どうやってロジャーを見つけたのか、ロジャー自身には良く分からなかったが、目的の人物はそこにいた。
実際は、アレンが通信機の信号を頼りに、ロジャーのが通るだろうルートの前で、待機していただけのことだ。
アレンは見たこともない『なにか』に
「すまない。随分走らせてしまったな」
「に、兄ちゃん……!?」
その、黒い物体を見上げて、ロジャーはぽかんと口を開けた。アレンがそれから降りて、ゆっくりとついてロジャーのもとに歩いてくる。
それは鉄製の、正確にはパルミラ平原に転がっているジャンクと化した小型艇のアルミ部分を駆使して、アレンがオーダーし、ペターニの職人達が作り上げた合作品、大型バイクだ。
総排気量は600cc。
ガソリン代わりに、炎晶石を資源にしたエンジンモーターが積んである。施術兵器よりも格段にエネルギー効率は高く、炎晶石より生まれる爆発力を倍加させ、最高時速三百キロの風速に耐えるために空気抵抗の少ない、円滑かつシャープなデザインが取り入れられている。
飾り気は一切無いが、動力性能と車体の取り回しやすさのみに重点を置いた流麗なフォルムは、アレンの服の色に同調するように、赤と黒の鮮やかなコントラストをロジャーに見せ付けてきた。
そして、今やアレンの相棒とも言える剛刀『兼定』は、バイクの側面に取り付けてあるホルスターに納められていた。
シートの高さは約八十センチ。
ちょうど、ロジャーの背丈と同じ高さだ。
それを見上げて、ロジャーは一目で自分を惹きつけたそのバイクに奇声を上げた。
「スゲェ! 何だコレ!? カッコイイじゃん!」
言いながら、嬉しそうにぐるぐるとバイクの周りを走る。アレンがひょい、とロジャーを抱え上げて、シートの上に乗せた。
それから自身も、ロジャーを覆うようにバイクに跨る。
ハンドルを握る彼の姿は、手馴れたものだった。
「これはバイクと言う乗り物なんだ。アドレーさんに頼んでグリーテンについて調べていたら、出てきてな。随分
二、三回、右ハンドルを捻ってエンジンを吹かす。それで回転数を上げるやアレンはバイク立てを蹴るなり、クラッチを入れた。
「安定性は良いが、速いぞ。しっかり掴まっておけ」
確かめるようにロジャーを自分と前面のボディに挟んだアレンは、一つ、地面を蹴ってバイクを走らせた。
……スォオオオ……
沈み込むような、しかし、力強い音を立ててエンジンが唸ると、バイクが走り出す。
「え? ……えぇえええ!?」
その予想もしない高速に、ロジャーは大きく目を見開いた。
思わず、シート前のカバーにしがみつく。
だが。
「すげぇえええ!」
同時に、異様な高揚感にロジャーは瞳を輝かせた。
風が強い。それは分かる。
だが、空気抵抗を考えているだけあって、前面のフロントガラスがほとんどの風を防いでいる。
最初の力強いエンジン音も、走り出してしまえば落ち着いたものだ。
ぐんぐんとスピードを増すバイクに合わせて、カチッカチッ、とアレンがバイクのギアを上げていく。だが、そんな原理が分からないロジャーには、ただ、そのカチッという音が聞こえるたびにエンジン音が小さく――そして、速くなっていくことに、ひたすらに感動していた。
(こんな
しかし、そうやって景色を楽しんでいられたのも、ロジャーの目の前にあるメーターが八十キロ毎時を指していた頃だけだ。
ぐぉぅううん……っっ!
さらに唸りを上げるバイクのエンジンが、百、百二十、百四十……と、速度を増していく。
だだっ広い、イリスの野だ。
アレンでなくとも、バイクの上限――時速三百キロを出すことは可能だった。
「ぎ……!」
つぶやくロジャーが、風に押されて息を飲み込む。
ロジャーは、体感したことの無いスピードに表情を引きつらせながら叫んだ。
「ぎゃぁぁあああああ……!」
身体を取り残されるような不安感に駆られたのは、最初の五分ぐらいの間のことだ。
スピード感に慣れてしまえば、それまでだった。
アレンと、メリルの作ったバイクの安定性。
ロジャーは五日かけて踏破する、シランドからサーフェリオの間を、たった二時間足らずで走り抜いていた。
……………………
………………
「着いたぞ、ロジャー」
あの高速の中。いつの間にか眠ってしまったロジャーは、アレンに身体を揺さぶられて、うとうとと目を開けた。
「んぁ?」
シートとハンドルの間にある、身体を密着させるためのスチームカバーから身を起こす。んん、とつぶやきながら伸びをすると、本当に、そこは彼の故郷だった。
水没都市、サーフェリオ。
そう呼ばれている、ロジャーの父が村長を務める穏やかな村だ。
「おぉ!」
感動していると、アレンがバイクを停車させて、そ、とロジャーを降ろしてくれた。
最初に、二、三回、久しぶりに着いた大地に体が驚いたのか、思わずたたらを踏んだ。すぐに感覚を取り戻したロジャーは、驚いたように何度も何度も辺りを見回して、それから嬉しそうにアレンを見上げた。
「すげぇな、兄ちゃん! こいつ!」
未開惑星人の、それも機械とはまったく縁のないロジャーは、バイクを見て笑った。その純粋な彼の反応に、アレンも静かに微笑い返して、それから視線をサーフェリオへと向ける。
さすがに水没都市と言われるだけあって、村の正面玄関たる石畳の階段を下りれば、木柱で村を支える水上民家が軒を連ねていた。
村の下を流れる水はシランドに比べて穏やかだ。もしかしたら、シランドよりも海に近い下流に位置するのかも知れない。だが、水は澄んでいた。
「……凄いな……」
村の様子を見渡して、アレンが率直な感想を述べる。すると、ぴょんっ、と高くジャンプしたロジャーが、まるで自分の自慢をするように、へへんっ、と鼻の下を掻いた。
「あったりめぇじゃん! オイラ達の村だぜ!」
アレンは表情を緩ませる。
銀河連邦で色々な
「そうだな」
だからつぶやくその一言にも、感嘆が混じった。
村を行き交う人間は、ネルから聞いた通り、亜人――つまりは人と同じ外見的特徴を備えているものの、動植物を祖先に持ち、身体の一部が人ならざる者たちばかりだ。
ロジャーで例えるなら、狸の耳としっぽを持っている。周囲に目を向ければ、人魚までいた。
「んじゃ! 早速ルイドのばあちゃんトコに行こうぜ!!」
こっちだ、と促されながら、アレンも村の中核に降りていく。
テケテケと尻尾を揺らしながら走るロジャーは慌しく、足を踏み外して水流に落ちてしまわないだろうか、とアレンが心配したが、ロジャーは慣れているのか、そんな危なっかしい場面は彼が足を止めるまで一度もなかった。
それに人知れず安堵の息を吐くと、ロジャーが足を止めた地点まで歩み寄って、小さいとも大きいともつかない一軒家を見上げた。
「ここが?」
「おぅよ!」
ロジャーが元気に頷き返してくる。アレンはわずかに緊張しながら家の扉をノックした。
……………………
無反応。
「?」
首を傾げながら、ロジャーを見下ろす。するとロジャーは、んん、と、アレンと同じく首を傾げて、扉の向こうに在るであろう、ルイドの部屋を見詰めた。
「っかしいな~、留守かぁ? ……お~い! ルイドのばあちゃ~ん! メルト~!」
言うなり、扉を開ける。
低身長のため、ジャンプしてドアノブを回したが、やはりそこも慣れた動作でロジャーに危なげなところはなかった。
(本当にしっかりしているな……)
その仕草を何とはなしに見詰めて、アレンは小さく苦笑する。
見た目、四、五歳のロジャーがこんなにもハキハキと動くのに対し、あの少女の、なんと頼りないことか――。
「……………………」
アレンはふと、アイレの丘で出会った少女の、あの寂しそうな顔を思い出して、自然、表情を曇らせた。
「なんだい! うるさいね! メルトの奴なら、外に遊びに行ったよ!」
部屋の奥から聞こえた老女の声に、アレンは顔を上げる。
年の頃は、六十前後といったところか。黒いローブを身にまとい、日に焼けた褐色の肌に、白髪が目立つ長い髪が垂れている。
腰が曲がっているためか、それとも亜人だからか。
部屋の奥から現れた老女は、アレンの腰にも満たない、ロジャーよりは幾分か背の高い、百二十センチぐらいの小柄な女性だった。皺塗れの手には、樫の木で出来た杖が握られている。
年老いてはいるが、利発そうな亜麻色の瞳は、睨むようにロジャーとアレンを向き、アレンはその一目で、彼女の知識量を垣間見た。
「なんだい? アンタは?」
鑑定にかかるアレンの視線を受けてか、ルイドは不満そうに顔をしかめると、眉間に深い皺を刻んだ。
アレンが一礼する。
「失礼しました。自分は、アレン・ガードと申します。この度、薬草学についてお詳しいとのお噂を耳にしまして、ルイド女史の知識を拝謁願えまいかと足を運んで参りました」
「ふんっ。無学じゃないとでも言いたげだね……。で? 人を尋ねるのに、まさか手ぶらできたんじゃないだろうね?」
アレンの手には兼定以外、何も握られていないのを目ざとく見つけたルイドは不満げに片眉を吊り上げる。その彼女に、アレンの傍らに立つロジャーが、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「んなこと言ってる場合じゃねぇんだって! ばあちゃん! ……オイラ達、『めとーくす』って花を捜してて! それがないと、アミーナ姉ちゃんが危ないんだよぉ~!」
地団駄のつもりなのだろう。
全身で自分の焦りを表現するロジャーに、ルイドは皺塗れの顔をひそめた。
「メトークス? ……ダグラスの森の最奥にある、あの神秘の薬草のことかい?」
薬草名が、アレンの知るエクスペルと同じ名前になったのは、クォッドスキャナーの翻訳機能の所為か。
アレンは、誤訳、という可能性も考えて、自分がスケッチしたメトークスの絵をルイドに手渡した。
「失礼。そのメトークスという薬草は、これと同じものですか?」
手渡されたルイドは、やはり手土産を寄越してこないアレンを、不満そうに見上げて、それからやる気のない眼差しを手元の紙片に送った。
彼女は、ああ、と小さく頷いた。
瞬間。
アレンとロジャーが、ば、と互いの顔を見合わせる。ロジャーは喜びのあまり、飛び上がった。
「ひゃっほ~い!」
アレンの表情にも、喜色が広がる。
その二人を心底鬱陶しそうに眺めて、ルイドはぽきぽきと首の骨を鳴らしながら、意地の悪い笑みを浮かべた。
「でも喜ぶのは早いよ。メトークスはダグラスの森の向こう、『サーフェリオの空中庭園』と呼ばれる未踏の遺跡の最奥にあるんだ。私も若い頃、多くのギルド仲間を連れて遺跡に足を運んだが、メトークスを見たのは一度きりだよ。あまりに危険すぎて採取なんて出来やしないね」
それも三十年近く昔の話だ。
今も生えている、という保障は何処にもない。
だが。
ロジャーとアレンは顔を見合わせるなり、頷いて――
「いえ、ありがとうございます。……それで、僭越ながらこれを」
そう言って、アレンはコートのポケットから、赤いリボンでラッピングされた白い紙袋を取り出した。片手に乗るサイズの、可愛らしい紙袋だ。
受け取ったルイドは、その場で紙袋を開ける。
すると中には、アーモンドの香ばしい香りがする、手製のクッキーが入っていた。
「ロジャーから、アーモンドがお好きだと聞きましたので」
殺伐としたアリアスの村で、兵士たちの英気を養うためにアレンは保存に向いたクッキーなどの嗜好品を手ずから振る舞っていた。料理の腕こそ鍛えているものの、ラッピングセンスは皆無だった彼に、贈り物だからと手を加えてくれたのは、よくキッチンに立ったせいで仲良くなった下手に家庭的で貧乏くじな女兵士だ。
ルイドへの手土産となれば、ペターニでそれなりの品を用意するのが筋だったが、『絶対これで行けます!』と彼女に念押されて持ってきてしまったことに、アレンは詫びるように一礼して、
「では」
と断わってから、ルイドの家を出て行く。
その彼に、ふんっ、と悪態をついたルイドは、これっぽっちしかないのかい、とぼやきながらクッキーを一つ頬張って――
「……っ、っっ!?」
そのあまりの美味さに、大きく目を見開いた。
甘すぎず、しかし淡白ではなく。サクッとクッキーを口に入れるなり、アーモンドの香りが口の中に広がり、薄い生地だというのに、中からしっとりとした食感がルイドの舌を楽しませる。
二、三回、噛むたびに上品な甘さを醸し出すクッキーの味は、アーモンドとバニラの絶妙なハーモニーを口の中で奏で、ルイドがこれまで一度も口にした事のない完成度で仕上がっていた。
「う、まい……!」
貪るように紙袋をつつきだす。
じぃん、と広がる幸福感は、ここ数年ルイド自身が忘れかけていた温かい感情だ。
その様をにんまりとロジャーは見据えて、満足そうに踵を返した。
「おぉい! 待ってくれよぉ! アレン兄ちゃ~ん!」
いつもより大きな声で呼びかける。その声で立ち止まる、アレンに向かって。
ルイドの家の外では、村の橋脚近くに、ロジャーと同じ年頃の少年が立っていた。
黒い猫耳に、ぐるぐる眼鏡。白の半そでインナーと褐色の半ズボンの上から、黒のフード付マントを羽織るという、ちょっと変わった服装の少年だ。
肌は白い。
あまり外に出ないのか、活発的なイメージとはかけ離れている彼は、いかにも陰気な含み笑いを浮かべたあと、鼻の上にある分厚い眼鏡を、くい、と押し上げた。
「フフフ……、これは面白い話を聞かせてもらいました。あの占い師ルイドでさえも、採取不能だった神秘の薬草、メトークス……。そして、それが生息していると言われる空中庭園……。早速ウチの熱血小僧に教えてやるとしましょうかねぇ」
くっくっく、と喉を鳴らして、少年、レザードは笑った。
ロジャーに気付かれぬためとはいえ、すぐ目の前にある水流に飲まれぬよう、蛙を祖先に持つシャドウグリム族の背に乗った彼は盛大に高笑う。
「ハハハハハ……!」
少年、レザードは、どうやって村に戻るのか。
高さ三メートル以上にある、自分の村の床板を見上げながら、レザードはひたすら笑っていた。行きのように村の西側の崖を使って登るのは、無理そうだなと頭のどこかで分かっていながら。
「ハーッハッハッハッハッハッハッ……!」
彼は、サーフェリオの水流でひたすら笑い続けていた……。