「アミーナ。これから、君の肺の治療を行う」
シランドに着くなり、ロジャーの案内で宿屋にやって来たアレンは、彼女の目を見てそう言った。空中庭園で入手したメトークスを、無理を言ってルイドと共に特効薬に精製したあとのことだ。
「……え?」
目の合ったアミーナは、あまりに突然な話に首を傾げた。ちょうどそのときは病態が安定して、ベッドに座っていた。彼女の隣には容態急変に備えて、シランドの女医も控えていた。
「肺の治療って……」
つぶやく女医と顔を見合わせて、アミーナはもう一度、部屋を訪れた青年を見上げた。
「治るん……ですか?」
とても信じられない話だ。心の奥でつぶやきながら、アミーナは夢のようなことを言い出した彼を見詰める。
頷くアレンは、嘘を言っている顔ではなかった。アミーナが瞬く。自分が見たものを、一瞬信じられなかった。
――これは夢ではないか。
心にブレーキをかけるが、対峙した青年は、夢と思わせるには存在感のあり過ぎる。
彼はアミーナのベッド脇に、医師の邪魔にはならないよう、考慮した位置で足を止めて言った。
「ああ。この薬を使えば、君の病気は完治する。だが、この効能は強すぎて、君の身体に多大な負担をかけ、命を落とすこともある」
「な……っ!」
手にした薬を示すアレンに、女医と、アレンの後ろをついてきていたロジャーが目を見開いた。だが、意外にも死ぬ、と言われた当人のアミーナは驚きもせずジッと、アレンと、彼の持つ薬を見据えていた。
長く『死』と向き合ってきただけに、彼女は病気を治すために負う危険を厭わない。覚悟が出来ているのだ。アミーナの緊張した灰色の瞳を、じ、と見据えて、アレンは静かに微笑った。
「そう気張らなくていい。君の身体は元々弱い。メトークスの毒にはとても耐えられないと、ペターニで会った頃に見切りをつけていた」
「兄ちゃん!? 表情の割りに、すげぇ不吉なこと言ってるぞ!? それ、ちっとも気張らなくていい理由じゃないぜ!?」
「……大丈夫だ」
そう言って、アレンがアミーナを見る。
気丈に見返してくるアミーナだが、アレンからすれば、あまりの不安に押し潰されないよう、胸の前で必死に拳を握っている少女に過ぎない。
故に元気付ける意味も込めて、彼は力強く言い放った。
「アミーナ。君の体力の不足分は俺の施術で補う。だから、心配ない」
「アレンさんの……?」
つぶやく彼女に、アレンは頷く。ロジャーが表情を明るくした。
「ホントか!? じゃあ、姉ちゃんの病気、ホントに治るんだな!?」
興奮で早口になる少年を、穏やかに見返す。アミーナのベッド脇に控えた女医が、驚きに目を瞠った。開いた口を、そ、と手で押さえて首を振る。
「そんな……! 彼女の病気は、あの発作は現在の施術ではどうにも……!」
その女医を、ちらりと一瞥して、アレンはアミーナに向き直るなり、説明を続けた。
「だが、今から一晩。俺に命を預けることになる」
「待ちなさい! まさか……、あなた自分の施術で、薬の毒に奪われる彼女の体力を癒し続けるつもりでは……!」
医師の言葉の途中で、アレンは無言で頷いた。途端、か、と顔色を変えた彼女が、激しい剣幕でアレンを睨む。
「……無茶よっ! 貴方の施力が少しでも弱まれば、彼女は毒で死んでしまうんですよ!?」
「ええ、分かっています」
アレンの声はひどく落ち着いている。そのあまりの冷静さに、ロジャーも今ひとつ現実味を持てなかったが、女医師の狼狽ぶりが、その顔色が、メトークスの危険性を強く示していた。
「お止めなさい! よしんばうまく行ったとしても、一晩中施術を発動し続けたりなどしたら、あなたの命が――!」
「っ!?」
ロジャーとアミーナが、驚いてアレンを見る。が、当のアレンは、やはり表情を変えなかった。
「それは集中力が切れた場合の話です。心配要りません」
「馬鹿なことを!」
吐き捨てた彼女は、そこでアレンから視線をそらした。
施術は、術者の集中力によって構成密度が決まる。人の集中力が最大限に高まる時間が、せいぜい十分から十五分、訓練された者で一時間から二時間である。
これからアレンが施術を使い続けねばならない時間は、十四時間以上。
その間、少しも施術を衰えさせず、集中し続けることは不可能だ。そこで時として集中力の代替として使われるモノが、術者の生命力である。
一分あたり、一年。
その速度で減っていく生命力を、よしんば使ったとしても一時間なら六十年分の生命力がこそげ落ちる計算である。
とても、一晩などという長丁場を乗り切れるわけがない。最悪、アミーナともどもーー。
その医師の指摘を最後まで言わせず、アレンはアミーナに向き直った。
「……アレンさん……」
医師とアレンの不穏な空気を、アミーナが強張った表情で見ている。その彼女に、気にするなと微笑ってやると、彼女は力なく頭を垂れた。
医師とアレンの間で、どんなやりとりがあったのか、アミーナには分からない。
だが。
フェイト達がシランドを出たのは、昨日だ。あの時のフェイトの怒りようを見れば、昨日の時点ではまだ、薬は手に入っていなかったのだろう。
つまりアレンやロジャーが、この薬を取ってきてくれたのは、昨日から今日の間。
それは、つまり――、
「……すみません。私、また皆さんにご迷惑をおかけしてしまって……」
「誰かに迷惑をかけてでも、自分の身体がどうなろうとも、会いたい人がいるんだろう? なら、そんな
「…………すみません……」
謝る自分が、しかし、飾りであることに彼女は気付いていた。
胸の前で、強く、強く握った拳。『この病気が治る』とアレンに言われてから、胸の中にあった死への恐怖が、いつの間にか薄れていた。代わりに湧き出した希望が――それでも、希望を持つ度、打ちのめされてきた現実が、アミーナの脳裏をちらついて、決心を鈍らせる。
――だが。
今の彼女には、生きる意味があった。『ディオン』という、生きる意味が。
(この病気が治れば、ディオンと……もっと、長く居られる……!)
その想いが、今は頭を占めている。
ぐ、と強張った表情で見上げてくるアミーナに、アレンは小さく頷いた。
「そうだ。それでいい」
くしゃ、と頭を撫でられて、アミーナは、きょとんと瞬いた。
「……え?」
目を丸める。視線の合ったアレンの表情は、無表情だったが、どこか優しい、穏やかな空気を纏っていた。彼女の頭に乗った手は、硬く、大きく、そして温かい。自然と、ふぅ、と力を抜いて、寄りかかってしまいそうな、そんな深い、深い安堵感に襲われた。
温かくて、懐かしい――……。
それはアミーナが失った、『家族』の温もりだった。
(……お父さん、お母さん……)
久しく、彼女が忘れていた――否、思い出さずにいた感覚だ。
自然と目を閉じるアミーナの脳裏に、優しい両親の笑顔が浮かぶ。
家族を失ったとき、ディオンが生きていると思わなければ、また会えると信じなければ、彼女はあまりの悲しみで、立つことさえ出来なかった。
もう、自分は独りなのだと。
そう考えるだけで、頭が真っ白になったのだ。
両親の顔を思い出すと、ぶるりと身体が震えた。手先が冷える。
「大丈夫だ」
ふと、アレンの声が近くで降った。アミーナが気付いて薄目を開けると、知らぬ間に、彼女は身体をアレンに預けていた。瞬間。びく、と身体を震わせたアミーナだったが、それが『安堵感』を求める彼女の本能だと、アレンも理解しているからこそ、もたれかかる彼女を抱き留めたまま、動かない。
「……ぅ、っ……!」
そのアレンの優しさがじんわりと伝わってきて、アミーナは、ぎゅ、とアレンの胸元を握った。涙が滲むが、声は出さない。
彼女をじっと見下ろして、アレンはアミーナが安心できるよう、彼女の頭と背を撫でた。
戦禍の中、たった一人、生きるために花を売って、病魔と闘って。
懸命に前を向いて生きるアミーナが、完全に家族を失った心の傷を埋めたかと問われれば、そうではない。
傷の痛みに打ちのめされ絶望に涙しても、生きねばならない現実に、気を張っていただけだ。そんな彼女の苦しみを、痛みを、悩みを。すべて包んでくれるような、あまりに優しく、懐かしい温もりは――もう、居ない。
喪失が活力を奪う。
久しぶりに触れた人の温もりに、アミーナは涙した。
「ふっ、……ぅっ……ぁ……っっ!」
零れる嗚咽が、次第に大きくなる。顔をアレンの胸に押し付けると、彼女は人目をはばからずに泣き出した。
アミーナとは思えない、細く、弱く、大きな声で。
『誰か』を頼るにしても、頼るべき『誰か』はもう、この世に存在しない。無償の愛を注ぎ、養ってくれる両親は、もうどこにもいない。
そんな現実に、なす術も無く泣き叫ぶ。
わずか十七歳の少女にとって、一人で生きていくことがどれほど辛い現実であったのか。その上で、理不尽な不治の病に侵された事が、どれほど苦痛であったのか。それはアミーナ以外、誰にも解らない。
ただ――千本花でもってディオンを、幸せだった頃を思い出すことで――縋りつくことで――、生きる糧としていた。
その孤独を、寂しさを、不安を――受け止めてくれる温もりが、彼女はずっと欲しかった。失った家族の温もりを、与えてくれる者が。
それが、今、目の前にある。ならば、それを必死で掴むアミーナの姿は、あまりに当然で――、哀しい光景だ。
「……人を頼っていいんだ。アミーナ」
弱々しくとも、現実は一人であろうとも。懸命に生きようとしたアミーナに、アレンの
アミーナの頭を撫でてくれる手が、どうしようもなく優しく、哀しい。――もう、二度と得られない温もりに、あまりにも似ているからこそ。
ちゃんと果たせなかった両親との決別を、アミーナは疑似体験しているようだった。
(……お父さん、お母さん……!)
見守るロジャーも、女医師も、あまりのアミーナの迫力に、口を挟めないでいる。
彼女の背負ってきた、十七歳の少女が背負うにしてはあまりに重過ぎる長い苦行に、ただ圧倒され、かける言葉が見つからないのだ。
ただ――。
「っく! ひっ、く……っっ!」
泣き咽ぶアミーナの姿が、ロジャーの心臓を、ぐぅう、と締め付けて、見ているだけでも痛々しくなった。
「……姉ちゃん……」
つぶやいて、ロジャーは自分の心臓を掴むように胸元を握る。それで目の前の光景が、ロジャーに降りかかる悲しい気持ちが、晴れることは無かったが、拳を握っていなければ、ロジャーもつられて泣き出してしまいそうだった。
そうして、しばらくの間。
黙って、じ、とアミーナをあやしていたアレンが、ゆっくりと彼女を引き離した。アミーナの瞳を、真正面から覗き込むために。
「アミーナ」
言い置くアレンに、アミーナが涙を拭きながら、顔を上げる。まだ泣いているが、それでも何処か、憑き物が落ちたような、すっきりとした表情だった。
その彼女に、こくりと頷いて、アレンは続けた。
「……俺を、信じてくれ」
そう、力強く。
こちらを見据える蒼の瞳は、どこまでも澄み、深く、温かい。
その彼を、――ただの知り合いに過ぎなかったアレンを、じ、と見つめて、アミーナはゆっくりと、破顔した。
フェイトやロジャーに向けた優しい笑顔でも、ディオンに向ける美しい笑顔でもない――、ただ、帰る家を見つけて顔を綻ばせる、少女の笑顔で。
アミーナは、自然とその言葉を紡いだ。
「……はい。アレンさん」
……………………
………………
翌日。
城の客間で待っていろと言われたロジャーは、目が覚めるなり、いの一番でアミーナのいる宿へ駆けつけた。――と言っても、昨夜は遅くまでアミーナの様子を窺っていたため、起きたのは昼過ぎだ。
アレンの話では、とっくに治療が終わっている時間帯である。
「やべぇ! 寝過ごした~!」
たらたらと冷や汗をかきながら、店の人に怒られる覚悟で宿の階段を三段飛ばしで上がり、荒々しくアミーナの部屋の扉を開けた。
バンッ!
「兄ちゃん! 姉ちゃんは!?」
簡潔なロジャーの問いは、昨日から部屋にいた女医によって、たしなめられた。しっ、と口許に人差し指を当てる彼女を見上げ、恐らくずっと、アレンとアミーナの付き添っていた彼女に、ロジャーは照れ笑いのような、ごまかし笑いを浮かべる。後ろ手で、ぽりぽりと頭を掻いた。
横目でアミーナを窺うと、ベッド脇の椅子に座ったアレンが、今だ術を終了させていないのか、アミーナに対峙したまま、ぴくりとも動かなかった。
「……先生?」
その、あまりにも集中しているアレンに気後れして、やべ、と口走りながら、ロジャーは女医師に様子を尋ねる。すると、彼女は微苦笑のようなものを浮かべて、首を横に振った。
「今、ようやく眠ったところなんです。……患者の基礎体力を上げるヒーリングだけでも、一晩中使うなんて不可能だと言うのに、彼は
「それじゃ……!」
「ええ。もう、心配ありません」
頷く女医に、ロジャーの表情が一気に晴れた。
光が差したように、見る見る内に明るくなる。
「やったじゃん! 兄ちゃん、お手柄じゃん……!」
騒ぐな、と怒られたので、ぎゅ、と拳を握り締めて、溢れる感動を抑える。それも長くは持たず、ロジャーはあまりの嬉しさにアミーナのベッド脇に走り寄った。すると意外にも、眠っている、と言われた相手は、アレンの方だった。
器用に座ったまま、目を閉じているアレンを、きょとん、と見上げて、ロジャーはハッと隣を振り仰いだ。
アレンの影で見えなかったが、ベッドに腰掛けたアミーナが、元気そうな顔色で嬉しそうにロジャーを見ていたのだ。
「姉ちゃん……! もう起きても大丈夫なのか!?」
ロジャーは声を抑えながら、それでも興奮気味に問いかける。すると、アミーナがにっこりと笑って頷いた。
「ええ! 今、とっても身体が楽なの……! ホントに、嘘みたいに……!」
じわり、と涙が浮かんでいるのは、それだけ感極まっているのだろう。
「ありがとうございます、アレンさん……!」
アレンに向けて、深々と一礼するアミーナにつられて、ロジャーも視線を向ける。余程疲れたのか、すやすやと眠るアレンの寝顔が見られた。
(そういやアレン兄ちゃんの寝顔、初めてじゃん……!)
フェイト達と旅を始めて、何かと床を共にする機会は多い。だが、ロジャーは最年少という事もあって寝る時間は誰よりも早かった。だから、当然といえば当然なのだが、フェイトやクリフでさえ、アレンはいつ寝ているんだ、と口にしていたくらいだから、彼が寝ている姿、というのは本当に希少なのだろう。
いつもは凛々しく形作られた目元が閉じられただけだというのに、大人びた雰囲気が消え、アレンの顔が『少年』らしくロジャーには見えた。
「……兄ちゃんって、ホントにフェイト兄ちゃんと同い年だったんだなぁ……」
顎に手をやって、ロジャーがしみじみと頷く。
アレンやフェイトが聞いていれば、一体どんな反応が返ってくるか分からない発言だったが、幸いなことに、その双方には聞かれていない。
代わりに、隣にいたアミーナがくすりと微笑った。
「ロジャー君、先生。ともかく、アレンさんをベッドに」
そう言い置いて、アミーナがベッドを立つと同時、アレンの瞼が開いた。
何の脈絡もなく、す、と。
「……ロジャー?」
覚醒と共に、少年らしさを失ったアレンが、ロジャーを見つけて首を傾げる。それも一瞬のことだ。彼は、ああ、と納得とも、生返事とも取れない言葉を残すと、こくりと頷いた。
「すまない。少し眠っていた」
「いえ! こちらこそ、起こしてしまったみたいで……。あの、もう少しお休みになられた方が」
席を立つアレンを、アミーナが押しとめる。アレンは首を軽く横に振って、その申し出を断った。
「いや。仮眠なら今取った」
「仮眠……?」
首を傾げるロジャーに、控えていた女医も驚いたように目を瞠る。
「何を言っているんですか! あなたは治療が終わって、まだ5分も……!」
そこで言葉を遮られた女医は、施術師だけにアレンの疲労を誰よりも理解しているのだろう。だがそれ故に、その心配はアレンに当てはまらなかった。
「仕事上、慣れているもので」
やや苦笑したアレンは、ロジャーに、行こう、と断って部屋を出る。その背を女医師が眺めていると、ベッドから立ち上がったアミーナが慌てて声をかけた。
「待ってください!」
「んぁ?」
首を傾げながら、ロジャーが振り返る。それに倣って、アレンもぴたりと足を止めた。
走り寄ってきたアミーナが――、久しぶりに走れた彼女が、息を弾ませながら、ぎゅ、と胸元を握ってアレンを見上げる。
肩肘を張った、少し前までの彼女とは少し違う。生気に満ちた、眩しい眼差しだ。
「あの! 本当に、ありがとうございました!」
深々と、アミーナが頭を下げる。その彼女を見下ろして、ふ、と微笑ったアレンは、ああ、と返して、それから改めて踵を返した。
「それから! あの……!」
それで話は終わったと思った彼に、更にアミーナが言ってくる。不思議そうにアレンが振り返ると、淡く、頬を朱に染めたアミーナが、ややアレンから視線を逸らして、続けた。
「あの、私がアレンさんに寄りかかって、泣いちゃったこと……。ディオンには内緒にしておいてください」
胸の前で指を組んで、アミーナがもじもじとつぶやく。
冷静になって見れば、年頃の異性に泣き付いた自分が恥ずかしくなったのである。
その彼女を、じ、と見返して――アレンは、首を傾げた状態から、は、と思い出したように目を見開いた。
「そうか、ディオン……! それであの時……」
ダグラスの森で彼女を担ぎ上げた時、
「……ディオンって、誰だ?」
「ロジャーはまだ会っていないのか。ディオンは、シランドで施術兵器開発をしている技術者なんだ。真面目で温和な人で、開発部のエレナ博士の助手として――」
そこで言葉を切ったアレンは、何か思い当たったように、アミーナを振り返った。
「ディオンと、知り合い……! なら!」
ぐ、と表情を引き締めるアレンに、アミーナが不思議そうに瞬きを落としている。その彼女を見据えて、アレンは続けた。
「なら、君に協力してもらいたいことがある」
「えっと……はい。私に出来ることでしたら、なんでも」
首を傾げながらも、頷くアミーナに、今度はアレンが破顔した――……。