「……クリフ?」
クリフを怪訝そうにフェイトが見やる。クリフが向ける視線の先は、ファリン達がいる位置から少し右手の方だ。
導かれるままに視線をあげると、そこに男が立っていた。
漆黒の長い前髪の奥から、赤い瞳の男がこちらを見据えいた。珍しいグラデーションを描いたその男の黒髪は、ある程度の長さから褪せた金に色を変える。細身だが、服の間から見える肢体は引き締まっており、彼の独特の衣装と鈍色に光る左腕のガントレットから、奇抜だが鋭い刃物のような印象を受けた。
「オレの気配に気付くとは……、ただのクソ虫ではないようだな」
男が秀麗な面持ちを皮肉げにゆがめる。炎のように赤く濡れた瞳が、飢えた獣の光を備えていた。その男を睨み返し、アレンは拳を握り締める。
カシャンという軽い音を立てて、男の左の義手が握りこまれた。瞬間。頭上の男が、に、と笑った。
見上げたネルが、はっと目を見開く。
「その左手のガントレットは……、まさかアルベル・ノックス!?」
息を呑むようなネルの呼気と同時。アレンが地を蹴った。一足飛びで柱の上の男、アルベルの下へ。飛び退いたアルベルが素早く腰に手をやる。同時。アルベルが抜きはなった。
(速いっ――!?)
息を呑むフェイト。アルベルの一閃が、アレンの胴を捉えている。
「アレン!」
クリフの叫声。急を要したとはいえ、アレンは素手だ。刃は――、受けられない。
「っ、っっ!」
金属音にも似た、鈍い音が響いた。思わず目を閉じたフェイトは、クリフの息を呑む音を聞いて、顔を上げた。
コンバットブーツの足底で、アルベルの刃を受け止めるアレンの姿があった。左の上段蹴りか何かで応戦したのだろう。
軍靴でなければ、間違いなく
完全に止まった刃と蹴り。
両者に浮かんだのは、相手を探るような、冷たい笑みだった。
どちらともなく飛び退く。
間合いは二メートル。得物がある分、アルベルに優位な距離だ。
「……ちぃっ」
クリフは思わず舌打った。アレンがどう飛び上がったのか定かでないが、アルベルが立っている柱は優に五メートルほどの高さがある。クラウストロ人のクリフでも、一足では越えられない。
「まずいね……。まさか、ここに来て奴とはち合うハメになるなんて……!」
つぶやくネルに、フェイトは眉をひそめた。
「奴は一体何者なんです?」
加勢は出来ないものの、フェイトも臨戦態勢は取っておく。横目でネルを見ると、彼女は苦々しげに顔をしかめながら、アルベルという男を睨み据えていた。
「カタナを使わせたらアーリグリフでも随一の騎士。通称『歪みのアルベル』。……漆黒騎士団の団長さ」
――シェルビー以上か。
フェイトが納得して目を細めた時。
頭上のアルベルが、ふん、と鼻を鳴らして刀を鞘に納めた。
「……何のつもりだ?」
ぴくりとも眉を動かさず、アレンが問う。するとアルベルは、にっとこちらを振り返って笑った。
「貴様が
明らかに相手を小ばかにした不遜な物言いに、クリフが拳を握り締めた。
「すかしてんじゃねえぞ、テメエ。ぶっ飛ばすぞ、コラ!」
「できもしないことを口にするな。なかなか潜在能力は高そうだが、まだまだ甘い」
「なんだと!?」
クリフが唸る。今にも食ってかからんばかりのクリフを見下ろし、アルベルは踵を返した。
堂々と。
アレンの目の前で。
「フン……、疲れきったお前等など俺の敵じゃないんだよ、阿呆が。俺は結果の見えた勝負はしない主義だ。ヴォックスと違って弱者をいたぶる趣味もない」
「弱者、だとぉ?」
「二度も言わすな、阿呆。さっさと国へ帰れ」
そのとき、クリフの中で、何かが、ぷつ、と音を立てて切れた。
「こっんの野郎ッ!」
クリフの拳がわっと膨らむ。
――登れずとも、マイト・ディスチャージならば!!
傍らからネルが飛び出してきたのはそのときだった。彼女は抱え込むようにクリフの拳を包む。――大人しくしてくれ、そう彼女の背が言っている。
「見逃してくれるというのかい? 随分と余裕見せてくれるじゃないか」
緊張した面持ちのネル。
その彼女の瞳には、微かな焦りと、――恐怖がある。
こちらを見下ろしてくるアルベルが、さして面白くもなさそうに鼻を鳴らした。彼女に向けられたのは、冷笑といっていい嘲笑だ。
刀の柄頭に悠然と腕を預けながら、彼は首を振った。
「勘違いするな。お前たち程度、相手にするのも面倒なだけだ。元々人質などというセコい真似は性に合わん」
アルベルはそこでアレンを見やる。まるで他の者には手出しはさせないと言わんばかりに、この城壁を上ってきた彼を。
――今この場で、アルベルと唯一戦えるであろうこの男を。
(ただし、息が切れてなけりゃ、な)
表情も、挙動も。まったく平静と変わらないアレンは、しかしアルベルに言わせれば瀕死の重傷人だった。下の連中は誰も気付いていないようだが、『気』の流れを見れば、あそこで倒れている隠密の二人よりも傷が深い事が窺い知れる。
アルベルが視線を落とせば、二、三滴、アレンの上着から血が滴り落ちていた。それを見抜けないとでも思ったのか、と視線で挑発するアルベルに、アレンより先に、下に居るフェイトが口を挟んだ。
「現にやってるじゃないか」
「それはそこのクソ虫どもが勝手にやったことだ。俺は知らん。大体、お前等に逃げられたのはそいつのヘマだ。俺が尻拭いをしてやる義理もない」
「お前の部下だろ? 部下の尻拭いは上司の務めじゃないのか?」
「阿呆、そんなこと俺の知ったことか。さっさと行け……、でないとマジで殺すぞ」
アルベルの背を見据え、アレンがやっと拳を納めた。
一足飛びに柱を降りる。
「……アレン……」
フェイトが窺うように見ると、アレンはフェイトを横目で見返して、視線をネル、クリフに向けた。
「行こう。……二人の容態が気になる」
一同はあらためてタイネーブとファリンを見る。元より寝心地のいいはずもない闘技場の床で、いまにも戦闘が始まりそうな緊張感。そんな中で、二人が休めるはずがない。
忌々しげに舌打ちしたクリフは、すでに去ったのか、誰もいなくなった柱の上を見やって、ガン、とガントレットを弾いた。
「チッ! ふざけやがって! 情けをかけたつもりかよ!」
「でも……。正直、助かったよ。今の状態でヤツとやるのは余りにも無謀だからね」
ため息を吐いて、緊張をほぐすネル。
その二人を交互に見やり、フェイトが言った。
「早くクレアさんに無事な姿を見せてあげよう」
「ああ」
アレンに続いて、クリフが渋々ながらも頷く。それをネルは苦笑気味に見やって、闘技場を後にした。
重傷の二人は、クリフとアレンが慎重に担ぐ。
と。
「……フェイト」
駆け出そうとしたフェイトを、アレンが呼び止めた。
「何?」
首をかしげてフェイトが振り返ると、ぽん、と肩を叩かれた。
きょとんと目を瞬かせたフェイトが、不思議そうにアレンを見上げる。
「よく、頑張ったな」
アレンが穏やかに告げてきた。こちらを見る瞳が温かく、数秒、状況を理解して彼の手を振り払うのに時間を要した。
「……子供じゃないんだから! 止してくれよ!」
「すまない」
アレンの手を振り払うと、アレンは気にした風もなく踵を返した。その背は予想よりもはるかに大きく見えて――、フェイトは思わず顔をしかめた。
それでも不思議と嫌な感じはしない。
ただ生まれたのは、高揚感だ。
「……目標、か……」
アレンの背を見据えて、一人ごちる。
アレンには聞こえないように、そっと。
そこで深々とため息をついたフェイトは、改めて闘技場を後にした。
……………………
………………
アレンは、ふと目を剥いた。
闘技場から一階の居住区に下りた小さな広場の隅に、ごろんと無造作に投げられた白い素足が見えたのだ。
表情を変えないまま、皆には気付かれないよう、眼球だけを動かす。そこに全身を膾切りにされた人間が、全物言わぬ肉塊に変わっていた。
遺体は、女。
カルサアの町で見た娘のものだ。
――聖王国シーハーツの女スパイ達の最期の瞬間をチョット見てみたい……。
この湧き上がる好奇心をいったいどうやって満たせばいいのかしら?
彼女の、最期の言葉が脳裏を過ぎる。
「来て、しまったのか……」
小さくつぶやいたアレンは、瞼を伏せた。
――軍人として、権力に仕える者として。
ハイダが襲撃された今、連邦も黙ってはいないだろう。
フェイトには見せられない、戦争の裏側。それは一歩踏み間違えれば、すぐに己にも降りかかってくる事だ。
――この国の人は、最悪だ……。
フェイトの言葉を思い出しながら、アレンは拳を握り締めた。