「凄い……!」
クレアは左翼部隊指揮官として戦況を把握している。始めは『膠着』や『劣勢』の信号弾をあげる部隊がちらほら見受けられたというのに、岩塊を成し、大陸史上、最速の援軍要請を行えるシーハーツ軍は徐々に『制圧』の青い信号弾を出し始めるようになっていた。
あのアーリグリフを相手に、持久戦ではなく、シーハーツ軍が勝ち始めているのだ。
(こんなに――、こんなにも巧く行くものなの!? あのアーリグリフ軍を相手に……!)
想像以上の戦果に、クレアの心が震える。アレンに伝授された『集団合成魔法』アースグレイブは、アーリグリフ軍三軍を分断し、攻撃を防ぐ盾の働きばかりでなく、敵を足止めする障害物ともなる。
戦況は現在、シーハーツ有利に運んでいるが、さすがのアーリグリフ軍でもあった。不意を突かれて一時陣形を乱したものの、総崩れさせるにはまだまだ時間がかかるらしく、フェイト達が帰還する『道』はまだ作られていないのだ。
とはいえ、クレア率いる左翼部隊とネル率いる先陣部隊の連携は巧く行っている。このまま先陣部隊が中央突破するのは、時間の問題となるだろう。
問題は――、ファリン率いる右翼部隊だ。
(風雷の本隊とぶつかっているはずなのに、あちらだけ際立った行動が見られない……。敵将はあのウォルター伯。侮るわけには行かない相手だけど……)
制圧の信号弾はもちろん、救援要請の信号弾さえ特に上がってこないのだ。それに連射性を上げた施術兵器で対抗しているといえど、まだまだ疾風の足を止め切れてはいない。
やはり攻撃力に難があるのだ。
先ほどから施術兵器を砲撃手たちが休むことなく撃ち続けている。にもかかわらず、疾風は、まるで砲弾を恐れずに向かってくるのだ。
(疾風は地形を気にせず、後方にいる施術士を狙ってくる危険な相手。そうそう遊ばせるわけには――……)
とりあえず地上部隊は抑えた。
次は、空だ。
クレアがそう考えていたときに、それは起こった。
「なっ!?」
自分の目が信じられない、というのは、この事だろう。
クレアは目の前で起こった事態に、大きく目を見開いた……。
――シーハーツ軍、本陣。
ディオン率いる施術兵器部隊の下に現われたアレンは、群れ成す疾風を見上げて、に、と小さく微笑った。
「あ、アレン様!」
呼ばれて、視線をそちらに向ける。施術師が施術兵器を自棄気味に乱射しながら、決死の形相で叫んできた。
「アレン様、いけません! やはり竜の雷への耐性が強く、このままでは疾風に突破されてしまいます!」
早口になっているのは、焦りからだ。その彼に、アレンはそうか、とだけつぶやいて右腕を掲げた。
「皆、ディープフリーズの準備を頼む。ディオン、君は俺の合図とともに全施術兵器を空に向かって放て」
「え? あ、はい!」
ディオンが目を白黒させながらも全軍に言い渡し施術兵器の照準を空に定める。それを視界の端で確認して、アレンは話している間に溜めた紋章力を、疾風に向かって放った。
「今だ!」
ディオンに、そう合図を送って
「ディープミスト!」
アレンが詠唱するのと同時、空がかげった。
暗雲が、今にも雨を降らさんばかりの黒々とした雲間が、見る間に空に広がっていく。
ごろごろと喉を鳴らす空は、やがて疾風を残らず飲み込み、巨大な竜の陰影を深い霧の中へと沈みこませていく。
その、瞬間。
「撃てぇ!」
ディオンの号令で全施術兵器が空に向かって放たれた。
殺傷力はそれほどでもない。電磁スタンボムを改良して作った今の施術兵器に、攻撃力など付加的なものだ。
それが――、空で弾けた。
バチィイイインンッッッ!
けたたましい破裂音を立てて、雷が、一瞬にして空一面を覆う。
施術兵器の雷が、ディープミストの水蒸気によって四方に拡散したのだ。それまで散々乱射して空に溜まっていた、施術兵器の余波ごと爆発した。
当然、雷耐性の強い竜は無事でも、騎乗している兵が無事ですまなかった。
「ぐわぁああああああっっ!」
「ぎやぁああああっっ、っっ!」
悲鳴を上げる疾風兵が、ぼろぼろと空から落ちていく。
「鎧が仇になったな」
つぶやくアレンの言葉を立証するように。
四肢が痙攣した疾風兵達が、落ちる。――否。一部の疾風兵は堕ちかけたところを、竜が何とか支えている。恐らく竜との信頼関係が深い上級兵、と言ったところか。
アレンは後ろに控えていた、ディープフリーズの詠唱を終えた施術士達を見るなり、こくりと頷いた。
ついで。
開いたアレンの掌に、再び紋章力が宿る。今度はさほど力を溜めない。
「グラヴィテーション!」
溜めずとも、十分だったのだ。
ずんッ!
放ったのは、アレンにしてみればほんの微弱な紋章術。
だがそれは、帯電しきった空に、一瞬にして巨大な重力場を広げた。
――ぉおおおおおおおお……っっ!――
竜が、野太い咆哮を上げて地面に落ちていく。
悲鳴を上げるように、大口を開け、忌々しげに空を仰ぎながら。
今度こそ、例外なく――堕ちる。
ずしぃいんんっっ!
地響きを起こさんばかりの、重々しい音が立っていった。
そこを、
「ブリザード・ディープフリーズ!」
シーハーツ軍最大の施術士部隊が迎え撃つ。
疾風兵を囲むように陣取っていた彼女達の集団施術が、疾風兵を竜ごと一網打尽にしていった。
カシィイ……イインッッ!
大地の全てを凍て尽かさんばかりの勢いで集団合成魔法は、見事に成功した。
シーハーツ施術士部隊を守る盾を、倒した疾風兵で作りながら。
「……なっ……!」
空を覆っていた疾風兵が一瞬で消えると同時、シーハーツ軍の士気が一気に高まった。
クレアの目の前で。
――おぉおおっっ!――
まるで地鳴りだった。
地上戦を繰り広げていた兵達が、一斉に歓声を上げたのだ。
「ば、ばかな……っっ!」
一方。
アーリグリフ軍には、目の前の信じられない事態に対する動揺と、アーリグリフ随一の精鋭部隊、疾風がやられた、という衝撃が、一瞬にして広がっていた。
「こんな、馬鹿な!? 兵力では……、戦力では、完全に我々が
指揮官の声が悲痛に響く。
無理もない。
数で圧倒的有利を誇ってい地上部隊が、いまだシーハーツ軍の先鋒部隊に分断されたまま、戦況不利に持ち込まれている。
このタイミングでの疾風の壊滅は、より一層アーリグリフ軍への絶望感を深めていた。
「阿呆! 敵を目前に、よそ見してんじゃねぇ!」
アルベルの一喝が走る。
「っ、っっ!」
途端、息を飲み込んだ兵達が、口を閉ざす。
表情は優れない。
その彼等に、ふん、と鼻を鳴らして、アルベルは施術士部隊を守るようにして、前線にやってきたミラージュをぎろりと睨んだ。
皆が皆、一様に呆けたように空を見上げる中で、唯一こちらから目を離さない、彼女を。
「どうやら骨のあるのがいるようじゃねぇか……」
「あなたが指揮官ですね?」
油断なく、アルベルは一息で刀を抜くア。ミラージュはいたって平静だ。疑問というより確認といった声色で問いかけてきて、ミラージュは両拳に当てたガントレットを、す、と構えてくる。
瞬間。
「ならばどうする!」
下段から切り上げるアルベルの斬線が、風を巻いてミラージュに走った。大振りな上、スピードもどうということはない剣だ。
当然、ミラージュはこれを難なく避けた。
――ところを、
斬っ!
刀を両手で握った、アルベルの振り下ろしが襲う。
「……!」
それを横に半身切ってかわすと、彼女は、地面を蹴って左ジャブを放った。全身で叩きつけるように斬り付けてきたアルベルには、どうしてもかわせない角度での、高速ジャブだ。
びゅっ、
ミラージュの拳が風を切る。
が。
アルベルは膝を折って、頭の位置を下にずらすなり、そのバネでミラージュのジャブを紙一重で避けた。ややミラージュが瞠目する。
(凄まじい反射神経ですね……)
つぶやきながらも、更に左ジャブ。風を裂く音が、今にもアルベルの肉を断たんと走るが、紙一重、当たらない。
アルベルの左腕が、ざ、と音を立てた。
「危ない――っ!」
クレアの声で、視線をさっとアルベルの腕に落とす。すると鈍色に光る鉄爪が、禍々しい赤い闘気を孕み始めていた。ふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らすアルベルが、しかし、にやりと嗤う。
「死ね、阿呆」
更に闘気を増す鉄爪。それを尻目に、ミラージュはクスリと笑った。
「発動は、私の方が早いようですよ」
拳を握るミラージュの両腕に黄金の闘気が宿る。
腰溜めに構えた彼女は、瞬後、それをアルベルに向けて放った。
「カーレントナックル!」
ミラージュの気功を宿した拳が、ごぅ、と風を切ってアルベルを襲う。その凄まじい練気に、表情を引き締めたアルベルは、鉄爪を、カシャ、と打ち鳴らすなり、ミラージュに向かって吼えた。
「上等だ! ――剛魔掌!」
赤黒い闘気を孕んだアルベルの鉄爪が、ミラージュより一瞬遅れて放たれる。
「っ、っっ!」
クレアは激突する両者の技の威力に、呆然と目を見開いた。
……………………
………………
「ブレードリアクター!」
ざざざんっ!
アレンの修行の所為か、それともフェイト自身の才能か。
間隙ない三連撃、振り上げ、振り下ろし、突きのコンボで容赦なくヴォックスを切り立てる。
「ちぃいっっ!」
舌打ったヴォックスが、体勢を崩しながらも剣を振る。
甲高い金属音が立った。
いつもなら、これで大概の敵を倒して来たが、さすがは疾風団長だ。フェイトの三連撃を、見事に捌くなり、ヴォックスは最後、剣を大きく振り下ろして、フェイトを後方へ下がらせる。
「させるか!」
が。
相手が上空に飛べば、自分が不利になることを察しているフェイトは、後退するなり、ざ、と右手を掲げ、炸裂弾を相手に向かって放った。
「ショットガンボルト!」
「くっ!」
唸るヴォックスが、基本に忠実な
炸裂弾の火の向こうから、ヴォックスが笑った。ついで竜を操る手綱を、ぐ、と引くと、彼の飛竜、テンペストが野太い咆哮を上げてヴォックスを守るように、身体を大きく仰け反らせた。
「く、そっ!」
同時。
巨大な飛竜が翼をはためかせた。すさまじい突風が吹き荒れる。その突風に視界を奪われたが最後、ヴォックスは――すでに手の届かぬ、空の上だった。
「魂を砕くこの一撃を!」
上空に上がったヴォックスが、剣を二閃する。振り上げと振り下ろし。それがヴォックスの気と、風を巻いて地面を走る。
カマイタチのような、上空から放たれる空破斬だった。
フェイトはサイドステップでかわし、やや焦った表情で敵を見上げた。
「ったく、やりにくい相手だな。おい……」
その彼に同調してか、辟易した様子のクリフが、ふぅ、とため息を吐く。それに頷き返して、フェイトは油断なく、剣を握り締めた。
(こっちの技が当たらない……。相手が空を飛んでるだけでも厄介なのに、あのヴォックスの
数瞬の、思考。
奴をどうにか落とせば、勝てる。
対峙する、飛竜に乗るヴォックスが、ふん、と鼻を鳴らした。左手に手綱を、右手に剣を、それぞれ握り直して。
「意外とやりおるわ! しかしこうでなくては面白くない!」
高々に言い放って、ヴォックスは己の闘気を、剣に込めた。
そんなヴォックスの剣線はもう覚えていた。
恐らく――次の一手、ヴォックスは上、下に剣を振る剣風攻撃、疾風斬りで仕掛けてくる。
アレンから習った気の流れが、そう報せている。
フェイトはクリフを横目見た。
「――クリフ。次に奴が攻撃してきたら、僕が止める。お前はその隙にヴォックスを」
「いいのか? ……お前には、対空用の技なんかなかった筈だが」
確認してくるクリフに、フェイトは、に、と笑って答える。片目だけ細めたクリフは、にやりと口端を歪めるなり、ヴォックスを睨み上げた。
「ま、そうだな。そろそろコイツの相手にも飽きてきた頃だ」
がんっ、とガントレットを弾き合わせ、存外に言い放つクリフ。
瞬間。
恭しく、剣を自分の胸の前に立てたヴォックスが、か、と目を見開いた。
「行くぞ!」
――その、瞬間。
異音が、聞こえた。
地鳴りと似た音だが、この場合は空から。
シュォオオオオ――……ッッ
風の音にも似た、しかし、明らかにソレとは違う、何かの音が。
「……ん? 何だ?」
空を見上げる、ヴォックスの親衛隊の声と共に、それは降ってきた。
白く。
空を白く染める、それが。
「……ん?」
その背後のあまりの明るさに、ヴォックスが振り返った瞬間。
それは、もう目の前に迫っていた。
視界すべてを白く染め上げて。
「な、なんだと!?」
空を埋め尽くす、白い光。
遥か上空から放たれた、それが、ヴォックスを、丘全体を呑み込んだ――。
そう思った。
だが、実際は、
ヴォックスの目の前で、光が左右に裂けていった。
何の脈絡もなく、すぅ、と静かに。
「――っ!?」
ヴォックスの頬を、ふわり、と風が撫でる。呆けて、口をだらしなく開けた、彼の頬を。
そして――……、
ヴォックスがふと、瞬きを落とす。それが夢から覚めるときの、一つの合図だった。だが、前を見据える瞳は依然、非現実的な出来事に呆然としたままだ。
「……っ、っっ!?」
それを認識した瞬間。ヴォックスの全身から、大量の冷や汗が噴き出した。
白い光が左右に分かれた理由が、たった一振りの剣線だった。
ヴォックスの左手後方――、アリアス方面からやって来たと思われる、己の身の丈よりも長い刀を抜き放った青年が。
その一撃で、大地を、迫り来る光の矢を断ち切っていた。曇り一つない、蒼く輝く
――瞬後。
左右に分かれた光が、地面に触れる。と、白い光は赤い紅蓮の炎と化して、大地を深く、深く刳り貫いた。
ズドァアアア……アアッッ!
爆発が、見る間に広がっていく。
「うわっ!」
そのあまりの爆風に、フェイトは両腕で頭を押さえ、咄嗟に地面に伏せた。
伏せようとしたところで――、
「アイツ、何でこんな所にいやがる……!」
クリフの息を呑むような声に、フェイトは、え、とそちらを振り返った。
爆発の中心点――ヴォックスがいた方向を。
そこに見えた、
「アレンっっ!?」
叫ぶや向かおうとして、クリフに身体を引き倒された。瞬後。フェイトが立っていた場所を、地面から吹き上げた炎が、まるで名残惜しげに舐めていく。
そのあまりに容赦ない爆発に、ぐ、と歯の根を食い縛る。
ごぅ、と吹き荒れる熱風が、咄嗟に気功の障壁を張っていなければ、一瞬にしてフェイトを焼き尽くすところだった。
――……そして、
光が、晴れた。
「く、そ……っ!」
想像以上に凄まじい質量を持った熱風を受けて、フェイトは一瞬、眩暈を覚えた。
地面を叩いて、意識を覚醒させるよう首を左右に振る。平衡感覚が戻ってきた。ため息を吐いて、フェイトは今度こそ起き上がった。
傍らの、べこりとへこんだクレーターを見る。
しゅぅうう、と煙を上げる、黒い焦土と化したその場所を。
「……………………」
自然、固唾を呑む。と。カシンッ、という音を立てて、アレンが兼定を納刀した。
「貴様、何故……!」
その彼の後ろにはヴォックスと飛竜、テンペストが倒れている。
爆風の衝撃波は食らったものの、熱風自体にはやられなかったのか。倒れているヴォックスやテンペストに目立った外傷は見られない。それがアレンの仕業だと分かっているからこそ、ヴォックスは息を呑んで彼を睨み上げていた。
「どうやら、時間切れらしい」
「――え?」
対峙したアレンは、ヴォックスの問いを全く無視した。独白とも取れる、小さなつぶやき。何か把握しているらしい彼の言葉はあまりに唐突で、フェイトには理解できなかった。
「こいつは……」
ふと、クリフがつぶやいて、フェイトも空を仰い。艦影が見えた。
まるで空を覆わんばかりの、大型航宙艦の群れだ。
「バン、デーン……?」
つぶやくと同時、先の白い光の正体が一瞬で理解できた。
あれは、航宙艦の砲撃だった、と。
――そして。
目の前には航宙艦が放ったと思われる砲撃で焦げた、大地があった。奇跡的に死傷者こそまだ出ていないものの、一様に倒れ伏した兵達で、地上は覆い尽くされている。
本陣に至るまでに通ってきた、戦闘を繰り広げていた兵士達は戦いの手を止めて空を見上げていた。
まるで死神か何かのように、静々と空に浮かんでいる航宙艦の群れを。
――俺の計算だと、バンデーンがもうすぐ来る。
確かに、そう聞いていた。
もしかすればクリフ達の、クォークの艦が来るよりも早いかもしれないと。
この、事態が。
「と、突撃ぃいいい!」
状況を把握しきれないまま、砲撃を向けられた疾風兵が、慌てて号令を出している。
その声もどこか遠く、フェイトは呆然と聞き届けて――。
いつかアレンが言っていた言葉を思い出した。
「本当に、バンデーンが……僕を?」
つぶやくと同時、ばしっ、と背中に激痛が走った。
「痛っ!」
呻くと、彼の背を容赦なく引っ叩いたクリフが、すでにバイクに跨って、エンジンを噴かせていた。
「オイ! ここから逃げるぞ!」
早口に怒鳴るクリフに、フェイトの思考が回り始める。表情を引き締めたフェイトは、後部座席に乗らんと駆け出して――、ふと足を止めた。
「待ってくれ! バイクじゃアレンが……!」
言って、アレンを振り返る。こちらに一瞥をくれたアレンが、静かに首を横に振った。
「問題ない。俺もここに用がある。――先に行け」
「用……?」
フェイトは首を傾げる。クリフが一喝するように声を荒げた。
「いいから急げ! 奴等の目的はお前なんだ! ……行くぞ!」
「あ、ああ!」
疑問が解消されたわけではなかったが、促されるままに後部座席に乗る。クリフは迷わずアクセルを全開にして、カルサア丘陵を駆け抜けた。
「……なんだい!? あれは!」
戦場の中心地に立ったネルは、空を暗く翳らせる艦影に、そのあまりの大きさに息を呑んだ。
「あれは、バンデーン……!」
対峙していた、今しがた最後の一撃を繰り出さんと『気』を高めていた少女がぽつりとつぶやく。
ネルと同じ双刀、しかし、こちらは剣と刀を携えた、小柄な少女だ。
「バンデーン……?」
その少女のつぶやきを、ほぼ無意識の内に反芻する。
聞いたこともない言葉だ。
それが一体何を意味しているのかも、ネルには全く分からなかった。
「アンタ、一体何を――!」
知っているんだ、と言葉を続けようとしたその瞬間。
視界が白くなると同時、それは地上に降ってきた。
――遥か上空から放たれた、艦隊の砲撃が。
音という音を飲み込み、二つの名を持つ大地を等しく黒く染め上げる。
「くぅううう!」
そのあまりの爆風に、ネルは低く呻いた。
視界の端では、対峙していた漆黒の女兵士が、踵を返して部下に指令を出している。
「皆さん! 急いで撤退の準備を! ここは一度退却し、体勢を立て直します!」
「お、おぅ……!」
頷く漆黒兵達に、こく、と頷き返して、彼女もまたアーリグリフ本陣へと走り出す。そのナツメの背に、ネルは慌てて問いかけた。
「待ちな! あれは一体――!」
「ネルお姉さま! オイラ達も早く下がろうぜっ! でないと、皆が!」
ナツメにつかみかからんばかりの勢いで唾を吐く。が、ネルと共に戦っていたロジャーが、戦場を見渡して叫んできた。その彼の背には、先ほどの砲撃の余波に当てられ、気を失ったタイネーブが担がれている。
外傷はない。ネルは、は、と息を呑んで周りを見渡した。
――あの艦影から放たれる白い光に、人が無造作に吹き飛ばされていく。地獄のような光景だった。
「ちぃっ!」
忌々しげに舌打ちし、ネルは部隊に向かって叫んだ。
「撤退だ! 一度本陣に戻って状況を確認するよ!」
「はっ!」
言う間にも、空から降り注ぐ砲撃が、大地を、シーハーツ軍を、そしてアーリグリフ軍を等しく吹き飛ばす。
何の慈悲も、一切の躊躇もなく。
「ぐぁああああ!」
発射される砲撃を、見てから躱す事など、恐らく出来るのはクリフぐらいのものだろう。
本陣まで戻る、とネルは言ったが、それは運よく生き残った者についての話だ。
「行くよ、アンタ達! 遅れるんじゃないよ!」
あまりに危険すぎる道のりに、ネルは冷たい汗が全身を這うのを感じながら、それでも己を奮い立たせるために短刀を握り締めた。
……………………
………………
空を行き交う艦隊が、まるで鳥の群れのように姿を現した頃。
アーリグリフ軍の漆黒、シーハーツ軍の左翼部隊が撤退したというのに、彼等はまだ、そこに立っていた。
じゃり……、
互いの縄張りを牽制しあうように。
すり足気味にゆっくりと体位を変える、アルベルとミラージュ。
周囲にすでに人は居ない。それでも両者が退かないのは、『
「さすがに、やりますね」
ちゃり、と愛刀の鍔を鳴らすアルベルに、ミラージュは小さく微笑んだ。全身の至る所、致命傷ではないが、刀傷が、ミラージュの白い肌にいくつもの赤い線を引いている。
ふぅ、ふぅ、と控えめに呼吸を整えるものの、彼女の頬からは、大量の脂汗が浮かんでいた。乱れた呼吸の所為で、肩が上下する。
しかし、眼光だけは、彼女の浮かべる微笑だけは、戦う前から少しも変化しない。いつも彼女が浮かべる、優しさに満ちた笑みではなく。上品だが挑戦的な、相手を確実に仕留めんと狙う下手人の目だ。
一切の、容赦や慈悲という感情を捨てた戦士の瞳。
その彼女の青い瞳を見据えて、アルベルはにやりと口端を吊り上げた。
「そろそろ死ね。阿呆」
義手の鉄爪で牽制するように身体を前に突き出し、右手に握った刀を水平に寝かせる。
瞬間。
ヒュンッ!
(左――っ!)
無造作に振られた、アルベルの切り上げを、ミラージュはバックステップでかわす。が。か、と目を見開いた彼女は、その斬線が、風を巻いてさらに自分を追って来たことに驚いた。
「くっ!」
咄嗟に右手で防御体勢を、同時、身体を最大限に屈めて敵との間合いを詰める。ガントレットの甲で衝撃波をはじいた、その瞬間。
アルベルが、頭上に居た。
「ぉおりゃっ!」
「!」
飛び込んできたアルベルが、素早く刀を振り下ろす。前傾姿勢を取っていたことが裏目に出る。勢いを殺せない。相手の懐に入る前に、アルベルの刀は、確実にミラージュを殺す。
それを確信した瞬間。
ギキィイインッッ!
「……!」
右拳を天に突き立て、ぎりぎりでアルベルの刃を受け止めたミラージュから、表情が消えた。それまで極度の緊張と戦闘による疲労で掻いていた汗が、すぅ、と引いていく。
体力的にも、限界を迎えているミラージュは、しかし、乱れた息を、突如、正常に行い始めた。
さきほどまで浮かべていたあの微笑さえ、消えた。
瞬間。
ずっ……、
背中に妙な感覚を得たアルベルは、舌打ちと同時、相手を蹴散らさんと力任せに刀を薙ぐ。
が。
――動かない。
(な、んだと……っ!?)
アルベルの中にある本能が、正体不明の警鐘を鳴らしている。
ぴたりとミラージュの拳が張り付いた愛刀は、不思議なことに、アルベルがいかな方向に力を加えても、びくともしない。
だが、力自体は拮抗しているのか、ミラージュのガントレットと、アルベルの刀は、カチカチと鍔迫り合いのような音を立てて微かに震えていた。
と。
すぅ、とこちらを見上げたミラージュの冷たい瞳と、目が合った。
ギキィインンッッ!
咄嗟に、身を守るように、鉄爪を顔の横に持っていく。と、同時。そこに雷の如きミラージュの蹴りが、ずどんっ、とアルベルの身体をずらすほどの衝撃で迫っていた。
(ぐ、っ!)
歯を噛む。
よろめきかけたが、
「フェスティブアベンジャー」
別人のように冷えたミラージュの声が、そ、と耳に入った瞬間。ぶわ、と彼女の内にある『
赤く、目の乾く鮮やかな炎が、アルベルの視界に入る。
と。
「――ちぃっ!」
前傾姿勢のミラージュが、下段からアルベルを
常人ならば、その蹴りの威力と、蹴りが孕んでいるミラージュ自身の『
とはいえ、
ずどどどどどどぉおんっっ!
鮮やかなミラージュの連続攻撃に、アルベルの反撃の機会が完全に潰される。
否。
繰り出される蹴打の数々をぎりぎりで受け流しながら、アルベルは鉄爪に力を込め続けていた。
紅く、黒く。
人にしてはあまりにも闇を孕んだその『力』を、気取らせないように、徐々に、徐々に。
そして――……、
「破ァッ!」
ミラージュの呼気と同時、アルベルの腹の前に持っていった義手に、突きのような鋭い蹴りが決まった。
ずどぁああああっっ!
その、あまりの鈍痛に、えづきかける。
「――ッ、ッッ!」
が。
アルベルには、笑みが浮かんでいた。
それがミラージュの見せる、最大の隙。反撃の機会だった。
「調子に乗るな、この阿呆!」
炎のように苛烈に、鮮やかに。
アルベルの赤い瞳がミラージュを睨み据える。ジャキッ、という無機質な音で開いた鉄爪が、迷わず彼女の喉元に向かって走った。
「剛魔掌!」
相手の身体を薙ぎ倒さんばかりの勢いで、鉄爪が左、右に走る。それは相手に踏み込むための、己の距離を作るためのきっかけに過ぎない。
いわば、
何故ならばミラージュは――、彼女は既に、アルベルの眼下に潜り込んで、左手で地面を、勢いを付けるために右足を、だんっ、と踏みしめている。
(――来るッ!)
アルベルが確信した瞬間。蹴りの突きを放ったミラージュの身体が、ぐるん、と反転した。軌道が九十度、今度は地面すれすれの位置から、アルベルを蹴り上げるように。
同時。
ざんっ、
唐突にバックステップしたアルベルに、ミラージュが目を見開いた。
(読まれた――!?)
そんな、と彼女の内にある驚きを表すかのような表情だった。
にやりと笑ったアルベルが、本命の刀を握り締めた。
「双破斬っ!」
空振りに終わったミラージュの蹴り上げの後を追うように、下から走った斬線が、ざんっ、と容赦なく空を切る。
ミラージュの肉を、骨を断つまで数センチ。
そこで、
シュォ――……ッ!
アルベルの脇を過ぎる、バンデーン艦の砲撃に、彼は咄嗟に身をひねった。
瞬後。
ズド……ァアアアッッ!
砲撃が地面に触れると同時、炎が膨れ上がった。ち、と舌打ちして刀を一閃する。炎への牽制、ではない。縦に伸び切った体を戻すための、いわばバランスを取るための一閃だ。同時。アルベルは全力で地面を蹴って、低く、頭を下げた。
フェスティブアベンジャーの蹴打で上空に飛んだミラージュが、少し離れた場所に着地する。
と。
爆散した炎の、舐めた後が大地を黒々と焼いた。
咄嗟に張った気の障壁が無ければ、アルベルとて無事では済まなかっただろう。その、あまりにも暴力的な炎の威力を目の当たりにして、ぐ、と奥歯を噛んだアルベルは、忌々しげに顔を歪めて、ゆっくりと立ち上がった。
――空にデカい影が見えたら、すぐに退却命令を出しな。……でないと、犬死する。
開戦前、アルフがつぶやいた言葉を思い出す。ち、と小さく舌打ったアルベルはそれきり、刀を鞘に戻した。
「……ふん、どうやら今はそれどころじゃないらしいな」
「……………………」
そのアルベルの様子を、まるで観察するように見据えているミラージュ。まだ、構えは解いていない。その所作は、これまでのミラージュの任務達成率を物語るように隙が無い。
アルベルはその彼女に一瞥くれただけで、興味をなくしたように踵を返した。
――その、瞬間。
アリアス方面に一条の白い矢が、空を覆いつくすほどの光を放って上空へと奔っていった。