目の前の光景に、フェイトは息が詰まった。
カルサア丘陵からアリアスの手前まで、早々に引き揚げて来た時のことだ。
そこここに転がる、並み居る死屍に。
ぽっかりと目を見開いたまま、どこかを見据えている、シーハーツ兵に。
その中で、ぐったりと倒れているディオンに。
フェイトは、ぐぅう、と心臓が締め上げられた。
衝動的に駆け出す。
「――っ、っっディオン!」
膝をつき、動転した頭で、彼を揺する。と。すでに、ディオンの呼吸が弱まっていた。
ディオンを揺すった右手が、ずるっ、とぬめった。それが何であるか、認識するのを拒絶するように頭が白くなる。背筋に悪寒が走る。
すると、ディオンのものと思われる黒々とした血が、命の雫が、まるでフェイトの掌から零れ落ちるように、ぽとり、ぽとりと不気味な音を立てて地面に滴った。
「あ、……あ、あ……っっ!」
右手を、握り締める。力の限り、ぐぐ、と。
こびりついたディオンの血が、まるで悲鳴を上げるかのように、弱々しくぴしゃっ、と飛散した。
視界が、黒く染まる。
「ぼ、くが……」
――ハイダの時もそうだ。
彼等は何の断りも無くやってきて、圧倒的戦力で関係のない人間を次々と虐殺した。
星を、赤く、紅く染め上げて。
そうして父を、ソフィアを奪っていった。二度と会えないかもしれないという絶望に、フェイトを突き落として。
そして今度は、やっと幼馴染と再会したディオンを。
状況は違えど、フェイトとよく似た立場の彼を。
アミーナの、生きる意味を奪った。
――また、一方的に。
「ぼく、が……っ!」
つぶやく。
黒くなった視界の中、速まる動悸に合わせて、憎しみが、怒りが渦を巻く。
このあまりにも理不尽な暴力に。残忍な行為に。
カチン……ッ、
何かが組み合わさる、そんな小さな音を立てて。
フェイトの中にある『枷』は外れていった。
――理性、という名の。
「おい! フェイト! 落ち着け!」
クリフが肩を掴んでくる。
何か言っているようだったが、フェイトにはまったく耳に入ってこなかった。
ただ、空を見上げて。
そこに浮かぶバンデーンを、きつく、強く睨み上げて。
フェイトは、拳を握って吼えた。
「僕が、狙いだろうがぁあああああああ!」
力の限り、彼は天に向かって吼えていた。
――……っっっ、
額が、熱くなった。ずがんっ、と鈍器で殴られたような激痛が、脳に走る。だが渦巻く激情が、殺気立った彼の瞳が、ぎ、とバンデーンを睨んだまま、閉じることは無い。
代わりに、そこで、ふつ、と意識が切れた。正確には、視界が周りから黒くなっていき、身体が深く沈んでいく感覚だ。静かな水面に、身を浸していくような。薄れ行く意識に反して、全身の血流は、ざぁあああ、と音を立てて湧き上がっていくようだった。
まるで津波のような、耳の奥で響くその不思議な音を、フェイトは暗い視界の中で聞いていた。
バンデーンを強く、きつく睨み上げながら――……。
「な、に……!?」
青年が、怒りを天にぶつけて強く、雄々しく吼えた瞬間、それは起こった。
白く、強く――彼の身体が、光を発したのだ。
意志の強そうな、彼の碧眼から焦点が消える。変わりにその瞳の奥にある光が、茫洋と、強く、強く輝き始めた。
フェイトの額に集まる、白い光に呼応するように。
光は、凄まじい勢いで凝縮されると同時、さ、と彼の頭上に小さな紋章陣を描いた。
その、紋章陣から召喚されるように、広がった光が、一人の少女を象った。
顔は良く分からない。だが、翼を持った彼女は、そそ、と光の粒子で構成された自分の両腕を天に掲げると――、
そこに、巨大な紋章陣を一瞬にして練り上げた。
まるで杯を掲げるように。
両腕を上げた少女が、そ、と瞳を閉じると同時。
――パシュッッッ……!
紋章陣から白い光が、矢となって奔った。
天に向かって。
意外にも軽快な、小さな音を立てて。
否。
『矢』、と言うには語弊がある。
何故ならソレは、傍らに立つクリフの視界を覆うほどの、巨大な光の柱だったためだ。
「…………!」
無意識下で、ごくり、と息を飲むクリフ。
と。
天に奔った光の柱が、バンデーン艦を貫くと同時。空一面に、紋章陣が広がった。
―――コ……ゥウウウウウッッッ!
遥か上空で、異音が立つ。
『音』とも取れない、『音』が。
それが耳に触れると同時、バンデーン艦は、光の柱に貫かれ、ぽっかりと穴を開けて――、その穴を広げるように、まるで『空』という絵の具に塗りつぶされていくように消滅していった。すぅ、と音も無く、上空に広がった紋章陣に――あるいは吸い込まれるように。
それは確かな消滅だった。
跡形もなく、完全な消滅。
まるで冗談のような光景を目の当たりにして、クリフは引きつった表情のまま、思わず叫んだ。
「航宙艦を……、消しやがっただと……!?」
視線を、フェイトに戻す。
すると、フェイトの額に浮かんだ光は、羽根となって四方に飛び散り、糸の切れた人形のようにフェイトが、がくん、と身体を揺らして、地面に倒れた。
「おい!」
駆け寄って、フェイトの状態を検める。どうやら気を失っただけらしい。それにため息を吐いて、クリフはやれやれ、と頭を掻いた。
「どうやらこいつは、とんでもねぇ代物らしいな……」
小さく、つぶやいて。
視線を脇に振れば、今しがた本陣に到着したネルが、ロジャーが、ただ驚愕に、異物を見るような目で、フェイトを凝視していた――……。
アリアスに上がった光の柱が、バンデーン艦を消し飛ばした瞬間。カルサア方面にいたアレンは、無言のまま、空を見上げていた。
「……思ったよりやるじゃないか、アイツ。さすがは紋章遺伝学の権威ロキシ・ラインゴッドの研究成果、と言ったところか」
ふと、アレンに声がかけられる。良く知っている声だ。彼と同じ軍服を纏い、『狂眼』を持つ同僚の青年。アルフ・アトロシャスのもの。――今は一応、『敵軍』にいる男。
だが、アレンはアルフを振り返らず、空のバンデーンを睨んでいた。フェイトが放った光の柱によって、不用意な砲撃を控えたバンデーン艦を、じ、と。その、アレンの背から滲み出すような冷たい殺気が、
心地良い殺気を傍に、アルフは、にやりと口端を歪めて、異常に底光る紅瞳で空を見上げた。
そこに浮かぶ、バンデーン艦隊を。
「俺が通信で伝えた通りのタイミングだったろ? ……まあ、
つぶやくアルフに、バンデーン艦を睨み据えたまま、アレンは頷く。ぎりぎりだったが、その一報を受けたおかげで、アレンはフェイト達の下に駆けつける事が出来たのだ。
ヴォックスを助ける形になったのは、あくまで偶然に過ぎない。
アルフに背を向けていたアレンが、ちゃり、と音を立てて兼定を握り直した。まるで己の意思を固めたように。
空に浮かぶ艦隊に、刃を向けるために。
「……ああ。おかげで、フェイト達をアリアスに帰せた。――これで」
空を睨むアレンの動向を、逸早く察したアルフは、ふぅ、とため息とも失笑ともつかない息を吐いた。
「あの高度で、あの質量、さらに航宙艦フィールドだ。――今すぐの反撃は無理だぜ。ともかく今は、この場に居る人間をさっさと退かせて……」
「アルフ。アーリグリフ軍とシーハーツ軍の撤退は、概ね完了したんだったな?」
問いかけ、というよりは、確認だった。アルフがきょとん、と瞬く。
「おい、まさか――……」
その先は、続かない。
兼定の柄を握りこんだアレンが、瞬後、周囲の大気を飲み込むほどの『気』を、その身に、刃に、凝縮し始めている。
ざわ……っっっ、
まるで悲鳴のように、大地が揺れた。
今だ座り込んだままのヴォックスは、あまりの
アルフに――疾風兵達に背を向けたままのアレンから、低く冷たい声が零れた。
「これでようやく、奴等に借りを返せる……」
アレンの蒼瞳が、細められる。抜き身の刃がゆっくりと舞い上げられ、アレンの肩の位置で止まった。
――ドンッ!
鋭く、何かが爆発するような音を立てて、アレンの背に赤い闘気が、朱雀が具現化する。天に向かって発現した朱雀が一つ、大きく啼く。大気が震えた。
一瞬にして、丘陵全域に風の波を湧き起こした朱雀は、ゆっくりとアレンの視線の先――バンデーン艦を、睨む。
その朱雀は、バンデーン艦の三分の一ほどの大きさを誇っていた。
「……おい、アレン。お前、まだ活人剣使ってないんじゃ……!」
つぶやくアルフの声が、途切れた。
朱雀が鳴き、鋼鉄の艦隊に襲いかかっていったのだ。
アルフはただ、茫然と空を見上げることしか出来なかった。
赤く、強烈な炎で空が染まった。
……………………
………………
――聖王都シランド。
大陸の四分の三以上の人口が信仰しているアペリス教の、聖地と崇められる都市に戻って来たクリフ達は、バンデーン艦を消失させるほどの紋章術を放った直後に気絶したフェイトをどうにか運び込んだ。
フェイトが目覚めたのは、気を失ってから三日後。
ちょうど、空を占拠していたバンデーン艦が、姿を晦ませた時のことだ。
「もう、目を覚まさないのかと思ったよ……」
フェイトの身体を労わりながらも、ネルが安堵したようにつぶやく。城の客間に寝かされていたフェイトは、見慣れた室内にネルのみがいるのを確認し、ぼんやりする頭で気絶する前の記憶を辿り始めた。
「バンデーンは……」
つぶやくと、ネルがふるふると首を横に振って、今は安静にしていろ、とだけ言ってきた。彼女に頷くものの、フェイトは起きようと身体に力を込め――激痛に顔を震わせた。
(なんだ……? 体中が、痛い……!)
まるで、全身に鉛を乗せられたような、筋肉痛を更に酷くしたような鈍い痛みが、ずきんっ、と身体中に走っていく。
その痛みのおかげで思い出せたことが一つ、あった。
フェイトが、は、とネルを見上げる。
「……そうだ、ディオン! ディオンは大丈夫なんですか?」
気絶する前に見た、血まみれのディオン。
抱き上げた時の感触が指のなかに蘇って、フェイトは思わず身体を震わせながら、拳を握りこんだ。
視線の合ったネルが、ただ無言で首を横に振る。その彼女の反応に嫌な予感がして、心臓が冷たくしぼりあげられていくような感覚に見舞われながら、フェイトはどうにか言葉を続けた。
「…………ディオンは、どこです?」
問う。すると、感情を抑えているはずの、無表情のはずのネルの顔が、何故だか泣いているように、フェイトには見えた。
……………………
………………
「ディオン……。もう、ダメなんだってさ。体がボロボロで、ほとんど魂を肉体が繋ぎ止める力が残ってないんだって……」
つぶやかれた言葉に、アミーナは血の気を失った。
「……え?」
覚悟しなかったわけではない。
だが期待の方が強く、強く彼女を縛っていた。
――ディオンが、帰ってくると。
白くなった頭の中で、アミーナは寝台に横になった想い人を見る。まるで物言わぬ屍だ。ひゅうひゅうと、時折聞こえるディオンの細い呼吸が、しかし、肺を動かすたび痛むのか、ディオンの眉間に皺を作っている。
胸部に巻かれた包帯は、おびただしい量の血を吸って、赤く濁っていた。
まだほんの一時間も経たない間に、巻き直したものだというのに。
「ディ、オン……」
ぽつ、と。
唇から言葉が洩れると、ついで涙までアミーナの目尻から零れ落ちた。
眠るディオンの手をそっと握る。つかんだ彼の手は、両手で慎重に包み込んでもまだ、手折れそうなほど心もとない。
また、ぽとり、ぽとりと涙が流れた。
(ようやく……)
ぐ、と奥歯を噛み締めて、アミーナは嗚咽を殺してディオンの顔を、じ、と見据える。ディオンの表情は少しも穏やかではない。今でも苦痛と戦っているような、険しさと悲壮感に満ちている。
(ようやく、会えたのにね……。ディオン……)
冷たい指先が、血色の悪い顔が、ただそれだけで『もう手遅れだ』とアミーナに認識させる。
だからこそ、ぞろり、と冷たい感触が、背中を這うのが分かった。
「……っ、っっ!」
それが恐怖から来るものだと、アミーナ自身は知っている。
それでも、アミーナは微笑んだ。
ディオンが死んでしまうという恐怖を微笑みの裏に隠して、ただただ、じ、と。愛しい幼馴染を目に焼き付ける。
「アミ……ナ……」
「ここにいるよ、ディオン」
いつかの、戦争に行く前、シランドの宿屋で交わしたやりとりと、真逆の立場にいるアミーナが、つぶやく。するとディオンは、見えていないのか、アミーナの声がする方を――視線はこちらを向いているのに焦点の定まらない瞳で、小さく微笑んだ。
「……ご、めん。約束まも……れなか……」
微笑にしては、あまりにもくたびれた、しかし、達成感に満ちた表情だった。
ただし彼の眉間の皺が、未練を物語るように深く、深く刻まれている。
ディオンは、つぅ、と涙を流した。
「ディオン……」
彼の目が見えていない。
もしかしたらまだ、彼は夢と現実の狭間をさ迷っているのかもしれなかった。
それが肌を通して伝わってくる。だからアミーナは、ディオンの手を包んだ自分の手に頭を乗せて、そ、と目を閉じた。
抑えているのに、嗚咽が零れる。
自分の震えが、ディオンに届きそうで怖かった。
(諦めないで……!)
生きることを。
だから、この震えを感じさせずに、明るい声で、アミーナはディオンを元気付けなければならない。
――それなのに。
ディオンの手に自分の額をうずめると、アミーナはもう、笑えなかった。
ずっと、恋焦がれてきたディオンの香りが。
ずっと、祈り続けてきた彼女の想いが。
アミーナに笑うことを、許さない。
「……ごめん……っ、ごめん、ね……ディオン……っっ!」
こんなことなら、薬を飲まなければ良かった。
そうすれば、少なくとも彼と共に逝けたのに。
置いていかれる哀しみが、焦りが、恐怖が、アミーナの手に力を込めさせる。ふと頬の辺りに柔らかな感触を覚えて、アミーナは瞼を開けた。
冷たい、ディオンの手だ。
「ネル……さま、そこ、の……箱を……」
視線をアミーナから逸らしたディオンは、どこともつかない方角を指差してつぶやく。
痰が絡んでいるのか、それとも、唇を動かす力がもう無いのか。
まごつくディオンに、しかし、ネルは力強く頷いて、几帳面に整頓された机の、その上に置かれた箱を、そ、と押し開けた。
「……それ、は……!」
つぶやくアミーナの目に、また涙が溜まる。
箱を開けて、慎重な手つきでネルが取り出したのは――ほぼ完成された、パルミラの千本花だ。
奇しくも、アミーナと同じ。
それにディオンは照れくさそうに、しかし、顔面筋が弱っているため、実際には引きつった表情で、言った。
「僕も……アーリグリフにいる、君と……また会えるように、って……。その為に、も……戦争、……終わらせ、よう……と……」
来る日も来る日も。
研究に明け暮れた。
これが、どれほど人間を殺すのかは知れない。だが。自分にできる事はこれしかないのだと、何度も、自分に言い聞かせて。
ディオンは、アミーナに会える事だけを糧に研究を続けていた。
――アミーナが、病魔と闘うためにそうしたように。
「ディオン……」
その想いに、彼の心の機微に気付いたネルが、ぐ、と唇を噛んでディオンを見る。だが、そんなネルには気付かず、ディオンはただ、アミーナの声の方を見て、笑った。
――今度こそ。
「戦争、は……終わらせられなかった、けど……君に、会え、たから……願掛け、は、……成就したんだね……」
ふふ、と。
いつもの優しい表情で、ディオンは顔をほころばせるなり、ごほごほっ、と弱々しく咳き込んだ。白いシーツが、ディオンの口から吐き出た血で汚れる。すでに何度か繰り返した症状だったのか、白いシーツはすぐにでも交換できるよう、ベッドに何重にも敷かれた内の、一枚に過ぎなかった。
「ディオン。私の願掛けも、だよ」
そんな彼の頬を撫でてやりながら、アミーナが静かに、優しく語りかける。すると、ディオンは心底嬉しそうに目を細めて、
「会えて……よかっ、た……」
そう確かに、唇を動かした。
声にもならない、声で。
「……うん」
答えるアミーナも、目を細める。その彼女の気配を敏感に察して、ディオンは静かに笑った。
「あ、みぃ……な……」
途端。
――ずしり、と。
ディオンの手を支えていたアミーナの手に、重みがのしかかる。
「っ、っっ!」
アミーナの顔が引きつる。その彼女の変化を、嫌な気配を、敏感に読み取ったフェイトが、ざ、とディオンに向かって叫んだ。
「おい! ディオンっ! しっかりしろ! ディオン!」
衝動のまま、ディオンのベッドにすがった。瞬間。それを見咎めた女医師が、凄まじい剣幕でフェイトを制す――が、彼女は、ちらりとディオンを見下ろすなり、ぐ、と表情を曇らせて、フェイトの肩から手を離した。
まるで、もうどう扱っても構わない、とでも言わんばかりに。
「……先生?」
その彼女の対応に、問いかけるフェイトの表情が、固まる。
アミーナを見下ろしたが、彼女は、何の反応も返してこなかった。
間。
「う、そだろ……?」
つぶやくフェイトの声に、力が籠もらない。
二、三歩。
ディオンから後ずさるように身を引いたフェイトは、こみ上げてくる感情に、ぎり、と奥歯を噛み締めた。
(僕が……、僕が、もっと……っ!)
もっと早く、ディオンの所に駆けつけていれば。
もっと早く、バンデーンを追い払っていたら。
――もっと早く、この星から去っていれば。
もっと、もっと早く……。
食い縛った歯の根から、零れていくようだった。
嗚咽に混じり、じわりと視界を滲ませる涙が、しかし、自分に泣く権利は無いのだと、目に溜まったまま動かない。
否。涙を零すことをフェイトが許さない。
「ディオン……」
つぶやくアミーナの表情から、力という力が抜けていた。まるで死魚を思わせる、ぼう、とした瞳で。
――信じると。
ただ、幼馴染に会えると信じると。
それなのに、
――それ故に、
視界に映る、パルミラの千本花が口惜しかった。
……束ねた花が千本に達すると、願いがかなうと言われているんだよ。月と雨の女神パルミラがあたしたちの想いを受け取ってくれるのさ。
雨のように流した、涙の分だけの想いをね。
報われない。
ディオンの作ったパルミラの千本花が、こんな結末を生むためにあったのだとしたら。
食い縛った歯の根から、フェイトは嗚咽が零れるのが分かった。
「アルフ、ぬかるな」
「……そんなに念を押さなくても分かったよ、アレン」
突如、開け放たれたディオンの私室に、来訪者の声が聞こえた。
そう言えば姿の見えなかった、アレンの声が。
「――……え?」
フェイトとネルの声が重なり、振り返る。そこに清廉な青白い光に包まれた、赤い軍服の軍人が二人、立っていた。
視界をすべて光で呑み込む、凄まじい紋章術の力を帯びて。アレンの金髪と、アルフの銀髪が、浮かび上がるように風に靡く。
アレンが右手を、アルフが左手を空に向かって掲げ――、
フェアリーヒール
「神の祝福を!」
レ イ ズ デ ッド
鋭く叫ぶと同時、フェイトは眩しさのあまり、わ、と呻いて目を庇った。
圧倒的な質量が、フェイトの肌を撫でていく。思わず声を殺すほど――、しかし、どこまでも暖かく、優しい光の粒子が。
目を閉じているのに、一人の女性の姿を瞼に映し出した。
白い十字架を抱いた、女神の姿だ。
亜麻色の波打つ髪に、透き通るような白い肌。繊細な裸身を包む、白く輝く衣と、女神の胸から腿まで伸びる、大きな十字架。
そのどれもが、白く、眩く、美しい。
女神の眼差しが、彼女の全身から迸る青白い光が。
「パ、ル……ミラ……さま?」
呆然とつぶやくアミーナを、ちらりと見つめて、微笑んだ。
まるでアミーナを労うように。
すぅ――……っ
音という音が消えた世界で、見えるもの全てを浄化する。
そして――……、
「……あ……」
目を、開ける。
すると、いつもの見慣れたシランド城が目に入って、フェイトは思わず左右を見渡した。
アレンを、戸口に立っている彼の姿を見つけて。
「お前、今……もしかして……!」
つぶやくフェイトの声が、徐々に力を帯びる。瞬間。ざ、とアミーナを振り返ったフェイトは、その先に眠っているディオンに向かって、駆け出した。
「アミーナ!」
彼はどうなった、と。
ぐ、と
「………………」
彼女は彫像のように固まったまま、動かなかった。
ディオンの手を、くたびれたその手を掴んだまま。
つぅ――……。
アミーナは、泣いていた。
「……!」
フェイトの表情が固まる。
――ダメだったのか、と。
口に出す代わりに、それでも、認めたくないとディオンの顔を見た。死の恐怖に、身体をすくませながら。
――すると、
「アミー……ナ……?」
事切れた筈の、ベッドに眠っていたディオンの声が、ふ、と耳に入った。
フェイトが、目を見開く。
「ディオン!?」
呼ぶと同時、ベッドにすがりつく。
アミーナの名をつぶやいたディオンの顔色が、嘘のように明るい。
「あんた……!」
その事に、ネルも息を飲んでいる。
するとディオンは、真剣な表情でまじまじと自分を見る、ネルとフェイトを不思議そうに見詰めて――、それから、ざ、と自分自身を見下ろした。
血糊こそついているものの、あらゆる傷が消えた、自分の身体を。
ディオンは驚いたようにアミーナを見上げて、笑った。
「は……っ! はははは、っ! アミーナ!」
衝動のままに、ベッドから起き上がるなり、ぎゅ、とアミーナを抱き寄せる。そのとき初めて、はた、と瞬きを落としたアミーナは、涙を滲ませながら、ぎゅぅ、とディオンの服を握り返した。
「ディオン! ……ディ、オンッッ!」
ディオンの胸に顔をうずめて、嗚咽を殺すようにディオンに擦り寄る。
その彼等を見据えて、フェイトも思わず拳を握り締めた。
「やった……! やった!」
「ディオン!」
ネルからも笑みが零れる。
ベッド脇に控えていた女医者は、ただ無言で、息を呑んだ表情で私室の入り口に視線をやっていた。
――完全に息を引き取った、ディオンを呼び戻した二人を。
ほっとしたように微笑む青年と、まるで無感動な青年を。
思い出したようにフェイトが振り返って、笑う。
「ありがとう! アレン! ――それに……」
そこで、はた、と表情を固めたフェイトは、敵だった筈の青年を認めて、思わず瞳に警戒の色を浮かべた。
「よぉ」
その反応が気に入ったのか、にやりと笑った青年・アルフは、まるで挑むような眼差しをフェイトに向ける。すると、こら、と傍らからアレンにたしなめられて、アルフは興を削がれたように肩をすくめた。
その二人のやりとりに、フェイトの表情から警戒が消える。
代わりに――、ネルと全く同じ表情でアレンを見た。
疑念の顔で。
「アレン……?」
その二人の視線を受けて、少し罰が悪そうにアレンは表情をしかめた。まるで詫びるような表情だ。
アレンはやや視線をフェイト達から逸らすなり、言いにくそうに答えた。
「すまない。ディオンの傷だけは、どうしても俺一人では治せそうになかったんだ……」
それが自分の非力を詫びているのだと、アルフ以外の者が理解することは無い。――アレンと同等の力を持つ者にしか、理解できない。
アレンの懺悔に、薄く笑ったアルフは、まるで己の偉業を誇るように、というより、アレンの傷口を広げるために続けた。
「そ。だから、俺を呼んでその不足分を補った。アレンと俺の合成呪紋なら、不可能なんてザラにないからな」
「……………………」
アルフの講釈の間、アレンは黙り込んでいる。その彼を面白そうに見据えて、アルフは視線を、ディオンたちに向けた。
「しかし、お前も好きだな。こんなことぐらい、いい加減慣れてるだろ?」
さらりと言うアルフに、当然、罪悪感などない。
だが。
「っ!?」
その失言に、フェイトとネル、そして医師が、ぎろりとアルフを睨んだ。息を呑むような緊迫感が室内に走る。だがそれすら興味の対象にないらしく、アルフは、アレンからも身を切るような凄まじい視線を送られていようが、肩をすくめただけだ。
アルフは失笑を零して、早々と部屋を出て行く。
「……すまない」
その彼の非礼を、代わってアレンが詫びる。一礼したアレンは、間を置かず、アルフの後を追うように部屋を出て行った。
「……………………」
残ったフェイト達が、居心地悪そうに視線を迷わせる。すると、涙を拭いて顔を上げたアミーナが、にこり、と微笑みかけてくれた。
「ありがとうございます、フェイトさん」
その彼女の笑顔があまりにも眩しくて、思わず視線を逸らしたフェイトは、アレン達が去っていった方向を一瞥して、言いにくそうに口を開く。
「……あの、アミーナ……。今の、は……」
そのフェイトを、ディオンが止めた。
フェイトが、これから謝罪しようとしているのだと悟って。
アレンには部屋を出て行かれてしまったが、今度は、逃がさないように。
「いいんですよ、そんなこと。……僕だって、呆れるほど多くの人の死を見てきたんだ。だから、あの人の言っていたこと、よく分かるんです」
「……ディオン」
優しく笑うディオンに、フェイトの表情も少しだけ晴れる。その彼の人の良さに、ため息とも、安堵の息ともつかない息を吐いたネルは、心底嬉しそうに笑った。
「そうだね……。ともかく、アンタが無事で、本当に良かったよ」
ネルの言葉に、フェイトも頷く。ディオンはまるで照れたように笑って、ぽりぽりと頭を掻いた。
「それにまさか、命の恩人に向かって文句なんて。とても言えませんよ」
ちらりとアミーナを一瞥して、はは、と笑うディオン。彼を見返すアミーナの眼差しも、こちらの笑みを誘うほど優しい。そんな二人を交互に見やって、こくりと頷いたフェイトは、ネルを一瞥するなり、言った。
「ありがとう。……それじゃネルさん、僕らもそろそろ行きましょう。ディオン、アミーナ。また、後でね」
「はい」
仲良く頷く二人に、フェイトは思わずため息をついた。
まるで、見えないバリアにでも包まれているように。
そこだけ、花が咲いたような神々しい空気に。
「行きましょうか」
――馬に蹴られる前に、と胸中で付け足したフェイトは、悪戯な笑みでネルを見るなり、早々に部屋を後にした。