「フェイト」
宿に戻る道すがら。背中に声をかけられ、フェイトは立ち止まった。
振り返れば、道を挟んだ宿の戸口に、長身黒衣の青年が立っている。淡い金髪は項まで流れ、蒼穹にも似た深い眼差しを、とこちらに向けている。
「あ。アレン! やっぱり宿にいたんだね」
表情を崩しながら駆け寄ると、彼は小さく頷いた。アレンは印象に残らない外見をしているのにフェイトより頭一つ分高い、長身だ。
彼は修練場で着ていた赤いコートを脱ぎ、連邦軍の黒い上下服のみの姿だった。伸縮性に優れたズボンと、長袖のシャツ。コートを着ている時よりも、更にシャープな体躯が浮き彫りになる。
アレンが確認するように町に一瞥すると、フェイトに視線を戻した。
「少し付き合ってくれないか? 行きたい場所がある」
「行きたい場所? この町には、まだ来たばかりだろ?」
アレンは答える代わりに、視線を動かした。フェイトもならって後を追う。言葉よりは行動で示すタイプらしい。ほどなくして、フェイト達は先ほど出たばかりの隠れ家に行き着いた。
「ウルフリッヒ氏にこの町の情報は聞いている。問題ない」
フェイトは眉根を寄せた。
「うるふりっひ?」
「……アストールさん、と言った方がわかりやすいか?」
「ああ!」
ぽん、と掌を打つフェイトに、アレンが微笑って頷く。ついてこい、と言われて歩き出したアレンに、フェイトは更に首をかしげた。
「情報を聞いてるなら、どうしてこっちから行く必要があるんだ? それに何だって僕まで?」
「……俺が見ておきたいもの、見ておかなければならないものが、そこにあるからだ。――おそらく、君にも関係している」
アレンの歩調は速かった。フェイトとのわずかな
やや小走りになるフェイトを、アレンは一瞥もくれなかった。内心で苛立ちながら、フェイトはアレンを見上げる。
「僕にも関係してるって、どういうことさ!?」
「行けば分かる」
アレンの歩調を少しでも削がんと声を荒げる。小走りになっているフェイトに気付けば、彼が速度を落とすと思ったからだ。だがアレンは簡潔に答える際、フェイトを一瞥したにも関わらず、歩調を変えなかった。
まるで必死でついてこい、というように音もなく、街路を歩いていく。
(……くそっ! 歩いてるはずなのに、なんであんなに――!)
カルサアの日中は、それなりの人で賑わっている。中には雑踏と呼べる群衆もあるが、アレンの歩調は全く変わらない。
まるで景色に溶け込むように、気を張っていなければ見失うほど自然に。
先行くアレンを必死に追うが、距離が一向に縮まらない。
いや、むしろーー
(見失う……!?)
群集にもまれながらフェイトが確信した瞬間。アレンの脚が止まった。
「……よし!」
思わずつぶやいて、フェイトは一気に距離を詰める。
アレンが立ち止まった先は、何の変哲もない、小さな民家の前だった。
「……どうやら、ついてこられたようだな」
「お前、やっぱり撒くつもりだったのかよ!?」
先ほどの彼の歩き方は、どう贔屓目に見ても人を案内するものではなかった。そんな確信を得られて声を荒げると、アレンは首を振った。
「それはない。俺が今やった歩行は、伏兵が良く使う運足法だ。……君にはまだ相手の気配を読む経験が足りないからな。早いうちに、慣れておく必要がある」
「――ふ、伏兵?」
思いもよらない単語に、フェイトは首を傾げた。アレンが続ける。
「今の君に必要なものだ。相手の位置を素早く察知できれば、対処する幅も広がる」
「それで、あんな歩き方を?」
「クリフがいつも側にいるとは限らない。体得して損はない」
「それはそうかもしれないけど……」
言葉を濁したフェイトは、視線を落とした。
確かに“いざ”に備えることは大切だ。
心積もりや臨戦態勢は、意識してすぐ対処できるものではない。だが、『伏兵』などといういかにも軍事的な言葉は、先週まで平穏な暮らしをしていたフェイトにはあまりピンと来なかった。
困ったように頭を掻くフェイトに、アレンは続けた。
「まずは今の歩き方を自分なりに真似てみろ。そうすれば、理が見えてくる」
「……そう言われても、なぁ………」
生返事を返すフェイトを置いて、アレンは改めて民家のドアをノックした。
少しの間。
扉の向こうで、どうぞ、と答えてきた。
「失礼します」
断ってから、アレンが戸を開ける。視線で促されたフェイトが後に続くと、年季の入った暖炉を家の中央に配した、老夫婦が出迎えてくれた。
「ああ、貴方ですか」
つぶやいた老婆は、ほこほこと湯気の立つポットを手に、頷いた。彼女の頰がアレンを見るなり、にこりとほころぶ。見るからに温和そうな、おっとりとした老婆だ。その彼女に一礼して、アレンは静かに、老爺に向き直った。
「お言葉に甘んじて、遊びに来させて頂きました」
アレンもまた柔和に微笑む。老婆に茶を注いでもらった老爺が、白い頭を振りながら、こくこくと頷いた。
「おお、おお。よくぞ来てくださった。さきほどは妻を助けてもらって……。大したもてなしも出来んが、茶でも飲んでいくといい」
「ありがとうございます」
「さあさ」
老婆に促されながら、アレンがテーブルに着く。その彼に疑問の視線を送るフェイトも、老婆に勧められるまま、アレンの隣に腰を下ろすことになった。
「妻を助けたって……、何かあったのか?」
座るなり、フェイトが声をひそめて問う。アレンは首を振った。
「大したことじゃない」
「そんなことはありませんよ」
老婆はおっとりと笑んだまま、つい、とフェイトに向かって乗り出した。右手でアレンを指差し、彼女は嬉しそうに告げる。
「この子はね。道でぎっくり腰になって、動けなくなった私を、わざわざここまで運んでくれたんですよ。買い物袋もたくさんあって、さぞ重たかったろうに」
まるで孫でも自慢するように。
にこにこ笑いながら事のあらましを説明する彼女に、フェイトはいかにも興味深そうに相槌を打ちながら、横目でアレンを見た。
(……えっと。それでこの夫婦と僕に……、一体どんな関係が?)
老夫婦には聞こえないように耳打ちすると、アレンは目を細めた。だが彼が切り出す前に、相席の老爺が口を開く。しわがれた手を、杖の上で、そ、と重ねて。
「そうじゃのぅ。だからこそ、主らは早くシーハーツに帰るが良い。この町におれば、すぐに見つかってしまうじゃろうて」
「っ!?」
フェイトは慌ててアレンを見た。アレンに動じた様子はない。やんわりと優しげな眼差しを、老夫婦に向けているだけだ。
(お前、自分から正体を明かしたのか!?)
小声で問い詰めると、アレンはこちらを一瞥して、視線を前にやった。対面の老爺に。
視線を感じて、フェイトも前を見る。老爺の深い眼差しが、じっとフェイトを見ていた。
「?」
フェイトは首をかしげた。目の前の老爺が、難しい顔で指を組む。
「アリアスの奥……。ペターニやシランドといった大都市の周辺は、平地が多くあまり防衛には向いておらん。川に遮られたアリアスの周辺が落ちれば、古代王国シーフォートの代から長年続いた聖王国シーハーツの命運も尽きたといっていいじゃろう。残された時間はあまりないのではないかな?」
語るように。謡うように。
静かに紡がれた言葉に、フェイトは目を見開いた。先程まで、嬉しそうに話していた老婆も、表情を暗くしている。
「そうですね……。貴方達は早くアリアスへとお行きなさい。もしアリアスの村が制圧されてしまうようなことにでもなれば、貴方達はこのアーリグリフ王国に閉じ込められることになってしまうのですからね」
老婆はどこか寂しそうだ。アレンは静かに頷いた。
アレンを見る老婆の表情は優しく、昔を懐かしむようで、哀しげだ。
まるで息子か、孫を見るような――。
(……あ!)
フェイトは思わず手を打った。正体をバラしたのではなく、この二人はアレンに肉親を重ねているのだ。アレンを見ると、彼は少しだけ複雑な、寂しげな笑みを浮かべていた。
「お気遣い、ありがとうございます。我々も明日には発つつもりですので、最後にご挨拶をと思いまして」
アレンの言葉に、老婆が目に見えて肩を落とした。老爺は老婆の肩を叩いてやりながら、にっこりと、こちらに向かって笑む。
「そうするがよい。お前さん達の未来に明るい光が差すよう、ワシも祈っていよう」
「はい。御二人も、どうかお元気で」
静かに一礼するアレンに、老爺はこくりと頷いた――……。
……………………
………………
「なぁ、アレン」
老夫婦の家を出て宿に戻る道すがら。今度は二人並んで歩きながら、フェイトは傍らの青年を見上げた。
「もしかして、あのおばあさん、お前のこと――……」
何故か、その先は言葉が繋がらない。
明日には発つとアレンが言った瞬間。寂しそうに肩を落とした老婆の姿に、ぎゅ、と胸をつかまれたような気がした。
たった数分、お茶をもらって話しただけの老婆に、これほど意識を引きずられているのが意外だった。
「最愛の息子を亡くしたらしい。この戦争で」
「…………そっか……」
つぶやくフェイトに、アレンは頷いた。
「……それで。僕とあの老夫婦を会わせて、どんな意味があったんだ?」
「何だと考えられる?」
「え……?」
まさか尋ね返されるとは思わなかったので、やや戸惑った。
(何が考えられるかって……)
思考をめぐらせる。フェイトは困ったように、眉をしかめた。
「戦争は、ああいう可哀想な人々を作ってしまう、とか?」
「それもある」
短く答えられ、フェイトはさらに首を捻った。
「あとは……、ああいう人達のために、自分にもできることを――」
「……フェイト」
解答を模索するフェイトを制して、アレンは足を止めた。フェイトが、首を傾げながら振り返ると、アレンは前方に視線をやったまま、ただ一点を見据えていた。
顔に感情はない。
「どうしたんだよ? いきなり?」
問うと、アレンの視線がこちらを向いた。その瞳がどんな感情を孕んでいるのか、フェイトにはわからない。
アレンは少し、間を置いた。
「最悪の場合、君にも当てはまる状況だ。――あの、老婦人の心中は」
「っ!」
きっぱりと述べられた言葉に、フェイトは目を見開いた。
「それは……」
ハイダから脱出してしばらく。
最早、正確な日数はわからない。
だが。
彼女達に何かあったのだとすれば、どうしようもない時が過ぎている。
(ソフィア……、父さん……!)
きつく歯を食いしばらねば、強く拳を握り締めなければ、不安で押しつぶされそうになる。
「そして
アレンはのどかな町を尊ぶように、慈しむように、ゆっくりと告げた。
まるでいま目の前にある町が、彼が失くしてしまった何かであるように。
アレンは少しだけ、寂しそうに見えた。
「戦いは、必ずあの老婦人とまったく同じ人種を生み出す。たとえ多くの人の命を救う結果に終わっても、戦争でどちらかの国が勝利したとき。多くの人の自由は、消えることになるんだ」
「……どうしてさ?」
「戦争で勝った国は、負けた国に必ず支配力を持つ。敗戦国は、戦勝国の睨みの下で政治を行い、自国の権利や主張の自由を奪われる。……それは、場合によっては死ぬことより辛い」
そこで言葉を切った彼は、微かに目を伏せた。
「
おのずとフェイトは固唾を呑む。この青年は、言葉を発している時よりも、むしろ無言でこちらを見据える時に、得も知れぬ迫力を持っている。――言葉の意味を、より深くさせる力を。
それを何となく肌で感じながら、フェイトはただ頷いた。その真剣な表情を見据え、アレンはふと相好を崩した。
「……俺が言いたかったことは、それだけだ。後は君が考え、決断するといい」
アレンは踵を返す。
まるで何もなかったかのように、平然に。
その背を見据えて、フェイトは口を開いた。
「アレン!」
呼ぶと、アレンが肩越しに振り返る。その彼に、フェイトは拳を握りしめて叫んだ。
分かっているのは、修練場で決めた、自分の意思だけだ。
アレンの意図はまだ、掴みきれない。だが
「僕は……、僕の意志を押し通す! ――そのために……、お前にいろいろ、相談してもいいかな?」
「俺で、力になれるなら」
「ああ!」
答えるアレンに、フェイトはようやく破顔した。