連邦軍人とフェイトくんの旅。   作:ばんどう

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past phase ナツメの過去

 八年前、宇宙暦七六四年。

 それは突然起きた。

 彼女の都合など構わず、彼女の希望など、紙切れ同然に吹き飛んでいった。

 

 惑星、エクスペル。

 街から程遠い、広大な森に囲まれた村は、銀河連邦加入を果たした今でも、青々とした自然を残していた。

 ナツメ、七歳。

 

「コラッ! ナツメ! 明日は村のお祭りがあるんだから、ちゃんと手伝いなさい!」

 

 後ろから、ぴしゃり、と降った声に、ナツメは肩を震わせた。

 二階にある自分の部屋から、昨日用意した靴を手に、外へ出ようとした時の事だ。

 しまった、と反射的に口を押さえて、彼女は満月のように丸い目を何度も瞬かせる。

 振り返ると、躾に厳しい母親が、両手を腰に据えてこちらを睨んでいた。その母にナツメは、へにゃ、と愛想笑を返すと、母はいつも通り、片眉をぴくりと震わせた。

 

「手・伝・い・な・さ・い!」

 

 強い調子でもう一度念を押される。しかし、ナツメは手に持った靴を放さないまま、びくりと肩を震わせてつぶやいた。

 

「で、でも……、約束したのです。今日はおじいさんが、わたしに剣をおしえてくれるって……」

 

「ナ・ツ・メ!」

 

「うぅ……っ」

 

 呻くと同時、込み上げる涙をどうにか押しとめるナツメ。その少女を、じ、と見下ろして、母は腰に手を据えたまま、いい? と続けた。

 

「あなたには、剣術なんてものは必要ないの。女の子はそんな事をやらずに、立派に家事をこなしていれば、その内素敵なお婿さんが迎えに来てくれて、幸せになれるのよ」

 

 もう何度も言い聞かされた、母の得意文句だ。それを半分聞き流すように手元の靴をいらいながら、ナツメは遠慮がちに口を開いた。

 じ、と母を見上げて。

 

「でも……、剣ジツは『そのうち』じゃなくて、今、しあわせになれます。とってもたのしい。わたし、だい好きです」

 

 言って、得意げににんまりと笑う彼女に、母の声がぴしゃり、と響いた。

 

「いけません! あなた、昨日も痣を作って帰ってきたところでしょう? もうこれ以上、そんな危険なマネをさせるわけにはいきません! 母親として!」

 

「……うぅっ」

 

 眉根を寄せて、ナツメは困ったように首を傾げる。

 確かに昨日の稽古で受けた腕の傷は、まだズキズキと痛むが、それでも祖父に剣を教えてもらい、褒めてもらう度に、ナツメの心はわくわくしている。その稽古での興奮と緊張に比べれば、こんな傷の痛みなど、彼女にはどうということの無いものだった。

 母には、分かってもらえないが。

 だからそれをどう伝えればいいのか、ナツメは悩む。

 痛くない、と言うのはダメだ。以前使って、凄い反発を受けてしまった。

 

(うぅ~……)

 

 考える。何か、この楽しさを知ってもらう方法を。

 と。

 腰に手を当てて、仁王立ちしていた母が、す、と表情から厳しいものを消した。ナツメの目の前に膝をついて座り、絆創膏だらけの娘の頬に、つ、と触れる。

 母の語調が、和らいだ。

 

「……ナツメ、あなたに剣の才能があるかも知れない事は、お爺様から聞いているわ。でもね。母さんは、あなたが怪我をするのが辛いの。お爺様に打ち込まれる度、折れそうになるあなたを見るのが、怖い。……分かって」

 

 祈るように。

 ぎゅ、とナツメを抱きしめて、つぶやく母に、ナツメは何も言うことが出来ない。

 父が生きていた頃はまだ、これほど剣を習うことに反対されていたわけではなかった。

 だが、その父が半年前に他界してからは、ナツメが剣を持つ事を、母は極端に嫌った。娘の剣が上達する度、軍に上がるのでは、と顔を蒼くし始めたのだ。

 と言っても、父は軍人ではなく、商人だった。その父が、アールディオンと連邦の抗争に巻き込まれて、他界したのだ。それから母は『軍』という存在に極端な怯えと、憎悪を抱くようになった。

 幼さゆえにこの頃のナツメに、そんな母の心境は分からなかったが、それでも何となく、母が『軍』を嫌っているのは知っていたため、ナツメ自身も『剣=軍』というイメージを払い切れなかった。

 だが。

 だからといって、母を慮って自分の好奇心を抑えるほど、自制心が育っていたわけではない。故に結論として、ナツメは母にバレない様、こっそりと祖父に剣術の指南を受けようとしたのだ。

 ――上手くはいかなかったが。

 

(しっぱい、です……)

 

 残念そうに肩を落として、ナツメは森で待っている祖父に、心の中で謝る。

 祖父は、母がこうして、ナツメが剣を習うことを嫌っていると知って尚、彼女に剣を教えてくれる唯一の肉親だ。

 母の――父にあたる人物。

 その彼の存在が、ナツメの中の罪悪感を希薄にさせる原因でもあった。と言っても、一番の原因はやはりナツメ自身の自制心の欠如、であるが。

 

「ナツメ……。可愛い子。私の一番大事な、大切な子」

 

 つぶやく母に、優しく撫でられる感触に、ナツメはくすぐったさを覚えて、嬉しそうに目を細める。

 母が大好きだ。厳しいが、それでも優しい。ふんわりと笑う、彼女の笑顔が中でも一番、大好きだ。

 そして剣を教えてくれる、祖父も大好きだ。まだまだ剣の腕はついていけないが、ナツメが上手く踏み込む度、手を叩いて褒めてくれる、祖父が大好きだ。

 稽古場の森も、ナツメは大好きだ。

 特に朝陽が差した森は、木漏れ陽がまるで光のカーテンのように綺麗で、しぃん、と静まり返る。その厳粛な雰囲気が、大好きだった。

 

 ―――すべて、失ったが。

 

「お、かあ……さん?」

 

 それは、突然起きた。

 前触れも無く、突然に。

 

 今日の稽古を諦めて、ナツメは大人しく、豊作を願う祭りの水を森まで汲みに行った。バケツ一杯、同い年の子より三倍は大きいバケツを、得意げに提げて帰った時の事だ。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ!」

 

 急いで走ったが、もう夕暮れも過ぎて、夜になろうとしていた。それでもナツメは危なげなく家に戻り、汲んできた水を、母に預けようと息を切らせた。

 そんな時の事だ。

 閑静な村が、炎に覆われていた。

 ごぅごぅ、と。森に燃え移りそうなほど、激しく。

 最初、ナツメはそれを祭火だと思って歓声を洩らした。今年は例年よりも盛大な炎だと。村の広間を使って、いつもより高く木を積んだのだろうかと。

 だが。

 

「おかあ、さんっ!」

 

 明らかに様子が違った。村を徘徊するのは村人ではなく、ライフル銃を構えた男の群れだ。彼等は無作為に、――いや、大声で何か話していたが、火の勢いが強すぎて、ナツメの耳には届かなかった。

 慌てて、母の安否を確かめようと飛び出す。

 瞬間。

 

 どどどどどどっ!

 

 業火の中で、男のライフル銃が怒号を上げた。

 たまたまナツメの目の前を通りかかった中年の女性が、背中を撃たれて崩れ落ちる。

 

「っ!」

 

 ナツメは目を見開いた。村の、パン屋のおばさんだ。

 いつもナツメがパンを買いに行くと、育ち盛りだからと、小さなコッペパンをおまけしてくれる、気さくなおばさんだ。

 その、おばさんの背から――、

 

 どろどろと、血が流れる。

 

 じわり、と広がる血溜まりの中で、ぽっかりと空いた口が、目が、恐怖で引きつっていた。

 

「っ、ぅっっ!」

 

 ぎゅ、と胸元をつかんで、ナツメは声を上げまいと息を呑んだ。バケツを足元に置く。目の前の自宅に駆け出そうとしたが、今出ては殺される。

 

(……ふ、ぅ……っ!)

 

 目から溢れる涙を、ぐ、とこらえた。

 おばさんが、あのいつも笑顔のおばさんが、その死に顔が、瞼の裏に焼きつく。それでも、ナツメは意を決して踵を返した。自分の家に急ぐ。森を迂回すれば、男達に気付かれず家に着けると知っていた。

 自分が、こっそり剣術を習いに行くルートを通れば。

 

「お、かあさんっ!」

 

 ごしごしと涙を拭いながら、それでも溢れる涙に、ナツメは視界を滲ませながら、家に向かう。

 すると、

 

 ごうごうと燃える、自分の家が見えた。

 

 最早一階は火に覆われている。外周を回っただけなのに、自宅の玄関はもう、見る影も無かった。

 

「おかあさんっ!」

 

 涙目になって、駆け出す。

 考える余裕などなかった。

 一目散に、家へ。

 

 ごぅっ!

 

 燃え盛る炎が、そんな少女を正気に戻したのは、灼熱の片鱗を彼女に浴びせたためだ。頭上から降ってきた火の粉に、ナツメは、ひっ、と悲鳴を上げた。思わず手で振り払い、その火の粉の熱さに、息を呑む。

 

「っ、っっ!」

 

 肉を焼かれる痛みが、右腕に走る。痛いとも、痒いとも言えない、壮絶な感触が。

 だが。

 それよりも、

 

「おかあ、さんっっ! おかあさっ、っ! おかあさぁあああんっっっ!」

 

 燃える我が家に、流れる涙の感触に、胸が締め付けられる。

 どうすればいいのか、分からない。

 ただ祭りの準備のために、母が中で料理を作っていた事を、ナツメは知っていた。

 

 だから――。

 

 母を呼び、泣き叫ぶことしか出来なかった。

 

「ナツメ!」

 

 不意に、自分の名を呼ばれて、ナツメは動きを止めた。

 じんわり、と別の涙が込み上げてくる。聞きなれた声。何度も自分を呼んだ、声。

 母の声だった。

 

「おかあさぁああんっっ!」

 

 ナツメと同じく、母も森の中で騒ぎが収まるのを待っていたのだ。娘の姿を見つけて、慌てて駆け寄ってくる彼女に、ナツメも駆け出す。

 否。

 母は、この騒ぎの中、娘を探して村中を走り回っていた。

 故に、

 ナツメは、気付くべきだったのだ。

 母が、自分を見つけて喜んでいるだけの表情ではないと――。

 

「きゃぁああああああ……っっ!」

 

 急に叫んだ母の声に、ナツメは驚いて、びく、と動きを止めた。

 母との距離は、約1メートル。

 そこで、

 

 どんっ!

 

 銃声が響いた。すぐ、近くで。

 母が前のめりに倒れる。

 ナツメを抱いて、前のめりに。

 

 どどどんっ!

 

 ナツメの耳に、また銃声が聞こえる。今度は三つ。

 密着した母の体が三回、銃声に合わせて揺れた。

 

「が、ふっ……っ!」

 

 母が、吐血した。

 

「――え?」

 

 ナツメはつぶやく。

 何が起きたのか、理解できない。ただ母は、ナツメを掻き抱いたまま、地面に倒れた。覆いかぶさるように、前のめりに。

 そして――、

 

 かしゃんっ、

 

 本来なら、叩きつけられるように地面に倒れたナツメを、母の腕がクッションになった。母の腕と、肩の隙間から――母を撃ち殺した、ライフル銃を持った男が、エネルギーの切れたカートリッジを、地面に投げ捨てた。

 そして、

 

 どどどどどどどど……っっ!

 

 補填し終えたライフルを、撃ちまくる。ナツメのよく知る村人を、友人を、家族を。

 ただの一人も、生かさぬように。

 母に抱かれて、ごうごうと燃える炎から。聞こえる銃声と悲鳴が、その一部始終を物語っていた。

 

「きゃぁあ……っ!」

 

「助けてくれぇ!」

 

 遠く聞こえる、見知った人の断末魔。それが目を見開いたまま、凍り付いたように固まった、少女の耳に届く。

 目の前には、自宅を焼く地獄の業火。

 

 連邦軍が、テロ鎮圧に成功したのは、発生から五時間後の事だった。

 

 

 ………………

 

 

 銀河連邦第六深宇宙基地、総合医療センター。

 珍しく、多忙なヴィスコムに声をかけられ、施設に足を運んだアレンは、何故自分が連れて来られたのか、理解できずにいた。

 

「……あの、提督?」

 

 向かったのは、医療センターの奥の病室だった。

 ナースステーションに寄って、慣れた様子で先行くヴィスコムを呼び止めると、廊下の突き当たりを右に曲がったところで、ヴィスコムがようやく振り返ってきた。

 

「君に是非、会ってもらいたい子がいるのだ。アレン」

 

 思わせぶりに言って、ヴィスコムは視線で病室を示す。

 

「?」

 

 話の趣旨が読めないながらも、アレンはヴィスコムの視線に従った。指示された病室の、中を見る。

 

「……?」

 

 病室は四畳ほど。ベッドとサイドテーブルが置いてあるだけの簡素な部屋だった。

 そこに、少女が一人。

 ベッドの上で、小さく丸まっている。眠っているのか、ぴくりとも動かない。

 檻のような、幾重もの隔壁で孤立したこの病室の住人は、まるで生気が無かった。部屋の照明が、部屋を明るく見せている筈なのに、どこか暗い。

 アレンは、ヴィスコムを振り返った。

 

「……提督、彼女は?」

 

 問うと、アレン同様、部屋の少女を見据えたヴィスコムは、少しだけ目を細めて、辛そうに息を吸い込んだ。

 

「アレン。君は三年前起きた、エクスペルでのテロを覚えているかね?」

 

 病室を、じ、と見据えたまま、視線の動かないヴィスコムを見上げて、アレンは表情を改める。ヴィスコムの顔色が暗い。理由ありの少女である事は説明されなくとも分かる。

 問題は、これからヴィスコムが言おうとしている、話の本題だ。

 アレンは事実関係を把握するために、慎重に答えた。

 

「宇宙暦七六四年に起きた事件ですね。確か、アールディオンに内通したゲリラ部隊によって、アーリアという村が占拠された――、もしや彼女はその時の?」

 

 問うアレンに、ヴィスコムが頷く。アレンは驚いたように、目を丸くした。

 

「ですが、あの事件は占拠された村人が全員殺害されるという、近年でも最悪のテロだと」

 

「そう。私も、当時はそう思っていた。……だが。事件発生から三日後、遺体処理を担当した部隊が偶然、瓦礫の中で母親に抱かれている彼女を発見したのだ」

 

 つぶやくヴィスコムに、アレンは病室に視線を落とす。

 その情報が公開されない理由は、何となく察しがついた。

 ベッドの上でうずくまった少女。サイドテーブルには、冷めたスープと、一口もかじられていないパンがある。

 

「……………………」

 

 ぐ、と拳を握るアレンの姿に、ヴィスコムは頷くと、少女、ナツメを見やって、説明を続けた。

 

「察しの通り、彼女は今、完全に心を閉ざしてしまっている。唯一のテロの生存者。彼女から有益な情報が得られればと、連邦上層部がこの施設に彼女を預けたのだが。この三年間。出される食事には一切手をつけず、ベッドの上でずっとああやったままだ。……実際に、私が彼女と知り合ったのは半年前だがね。少なくともその間に、彼女は、眠ることさえなかった」

 

「催眠薬の投与は?」

 

「勿論やっている。だがその度に幾許かの眠りについた彼女は、必ずショック状態に陥るのだ。大量の冷や汗と不整脈で体温が下がり、四肢が痙攣し始める。静脈が落ち込んで注射による鎮静剤投与もままならない。――我々はただ、彼女が自然に落ち着くのを待つしかないのだ。医者も、生命維持装置がなければとっくに死んでいると言っていたよ。……そして、そのショック状態は、部屋を消灯した場合でも起きた。彼女は『闇』に、強い恐怖心を抱いている」

 

 心が、壊れている。

 そうつぶやくヴィスコムに、アレンは少女を見下ろした。病室の、少女を。

 アレンはヴィスコムを見上げ、問いかける。

 

「中に、入ってもよろしいですか?」

 

「ああ、勿論だ。私は実際、この半年間彼女を見てきて、自分の限界を思い知った。彼女に何かしてやりたい気持ちはあるのだが、私のスケジュールでは彼女にずっと会ってやる事が出来なくてね。……出来れば、君が彼女の友達になってくれれば、と思ったのだが」

 

「光栄です、提督」

 

「……ありがとう」

 

 頭を下げるヴィスコムに、アレンは一礼を返して戸を開ける。案の定、ベッド上の少女は動かなかった。

 近くまで行って、注意深く少女を見なければ、彼女が呼吸している事すら忘れてしまいそうなほど。少女は、抜け殻だった。

 

 ナツメ・D・アンカース。

 

 ベッド脇に置かれた名札(ネームプレート)だ。

 焼け焦げた彼女の自宅から見つかった、唯一の彼女の情報だという。

 

「ナツメ、と呼んでもいいか?」

 

 遠慮がちに、ナツメを見るアレンに返事は無い。が、予想していたので、アレンは少女のベッド脇に、一言断ってから腰を下ろした。

 

「初めまして。俺は、アレン・ガードという者だ。提督から紹介を頂いて、ここに来た」

 

 つぶやいて、そ、と少女の顔を窺う。すると少女が、壁を見据えたまま、瞬きもせずに、じ、と固まっているのが見えた。

 死んだような目で、じ、と。

 その黒瞳は、意志の無い、ただの闇だった。

 

「……ナツメ」

 

 思わず、言葉を失うアレン。生気の無い彼女の横顔が、完全栄養剤を投与されているにも関わらず、痩せ細っている。落ち窪んだ眼窩は、睡眠不足の所為だろう。弱った体が、ゆるゆると、少女が死に近づいているのを予感させる。

 

(……母さんなら、こういう時)

 

 つぶやいて、アレンは五歳の時生き別れた、母のことを思い出す。

 優しい、母。

 彼女ならこんな時、どうやって少女を元気付けるだろうかと。

 遠い、遠い記憶を掘り起こして、アレンはそっとナツメの肩に触れた。

 

「……辛かったな。でも……、君を想う人は、いつも君の傍にいる」

 

 小さく、言い聞かせるようにつぶやきながら、アレンはナツメの肩から腕を撫でる。

 ゆっくり、ゆっくり。

 勿論、そんなことで、少女が反応を返すわけはないが、アレンは声を落として、優しく語りかけた。

 

「一人じゃない。……君は、一人じゃないんだ。ナツメ」

 

 触れた少女の、骨ばった感触に、アレンは哀しげに目を伏せる。

 今まで彼女が失ったものが、こうしていると、伝わってくるような気がしたのだ。

 

 ――この三年で彼女が失った、心と、繋がり。

 

 重度の精神分裂症と診断された彼女は、最初の半年で、遠戚の者たちから見放された。

 彼女に剣術を教えていた祖父でさえ、あのテロ事件で命を落としたのだ。

 そして、事件から一年。彼女は遠戚だけではない、医療スタッフにすら見切りをつけられていた。回復の見込みの無い彼女に、カウンセリングでいくら声をかけても反応のない彼女に、医師も、看護師も、手の施しようが無かったのだ。

 それでも、ただ一日一度。食べ物を運んでくる。彼女の生命線である、点滴を打つ。

 実験用のラットを育てるのと、何ら変わりない延命作業を繰り返して。まだ動き回るラットの方が、幾分か可愛らしいとため息をはきながら。

 テロという特殊な境遇で孤児になった彼女を、今は報道に悟らせない為だけに、軍上層部が預けている少女。

 精神科医が彼女の元へ来たのは、二年前が最後だった。

 

「……アレン」

 

 少女をあやすアレンの背を見つめて、ヴィスコムは深く、目を瞑る。

 少女の存在を友人に聞いてから、半年間。ヴィスコムも何度か見舞いには来た。が、多忙である彼にそう休みは無く、月に一度、足を運べれば良い方だったのだ。

 彼女の病室を訪れる度に何度か、カウンセリング紛いのものをしてみたが、効果は無かった。当然だ。専門家でさえ、彼女の心を開く事は出来なかったのだから。

 故に、ヴィスコムは気になるが、どうすることも出来ない少女として、多くの人間がそうしたように見切りをつけた。代わりにヴィスコムは意志を、次に継がせようと判断して。

 そうして白羽の矢が立ったのが、アレンだった。まだ軍に上がっていない、彼にと。

 アレンには、重荷を背負わせてしまうだろうと危惧しながら。それでも、あまりに哀れなこの少女に、救いをと。

 

(……神よ)

 

 宗教などヴィスコムは信じていなかったが、少女に会うたびに何度も祈った。

 彼女の目が、覚めるようにと。

 彼女に夜が、訪れるようにと。

 

(闇は何も、怖ろしいばかりのものではない。それを示してやってくれ、アレン)

 

 まだ十四歳の、しかしヴィスコムの知る、誰よりも聡い少年に願いをかける。彼の優しさが、勇気が。少女に奇跡を起こすことを信じて。

 

 そうして――、半年が過ぎた。

 

 ヴィスコムにナツメを頼まれてから、半年。

 アレンは一日も欠かさず、少女の下へ足を運んだ。自らの願いを込めて、昔、母が教えてくれた、御伽噺を引用して鶴を折り続けた。

 

「これは地球の古代文明にあった、一枚の紙から出来る折鶴なんだ。これが千羽になると、願いが叶うらしい」

 

 いつも通り、ナツメの病室で。

 ベッド脇に腰掛けたアレンは、言う間に鶴を折る。その鶴の羽を広げて、とん、と病室の机の上に置くのが、今のアレンの日課だった。

 

「今日でちょうど半分だな。が、資料と少し違うような? ……まあ、君が元気になるなら、なんでも構わないんだが」

 

 ベッドに丸まって、今日も、じ、と壁を見るナツメの様子は変わらない。今日も一人、あらぬ場所を見据えて、ナツメは微動だにしない。

 その彼女と、一方的な握手を交わして。

 

「君を想う者は、いつも傍に。ナツメ」

 

 今日もアレンは、祈りに似た言葉をかけた。

 一人ではない。

 彼女は闇の中に孤独を見ていると、そう思うから。

 アレンは決して、ナツメの見舞いを欠かさなかった。軍の訓練施設から、一日の課題が終わって、皆が外に遊びに行く中で、アレンは一人、ナツメの元を訪れ続けた。

 

「それじゃあ、また明日」

 

 ほんの五分でも、十分でも。

 必ず会いに来て、アレンは一方的な握手の後、ぽんぽん、と彼女の頭を撫でて、病室を後にする。

 

 その少女に変化が現れたのは、――それから、数日後のことだった。

 

「こんばんは、ナツメ」

 

 いつものように訓練が終わった後、病院に寄ったアレンは、ベッド脇に腰掛けて紙を取り出した。そもそも、千羽鶴は同じ大きさの紙で作るものだが、古代文明の遊びと化した千羽鶴の存在は、そこまで詳細な資料がどこにも残されてはいなかった。

 ゆえにアレンは、今日もてんでバラバラの大きさの鶴を折る。

 千羽になった鶴を繋げる、という発想も無かった。

 

「それにしても、さすがに慣れたな」

 

 初めて挑戦した頃は、二十枚ほど紙を無駄にしたが。

 今では淀み無く、そして折り目正しく作る折鶴に、アレンは満足そうに一つ、頷く。ベッドのナツメは、相変わらず動かない。

 折鶴を今日も一つ、作った後。

 アレンはぽんぽん、と少女の頭を撫でた。

 

「今日は、いつもより遅れてすまなかったな」

 

 訓練の後、急いでここに来たため、今日のアレンは左手に刀を握っていた。

 今朝方、父から譲り受けた刀、シャープネスだ。アレンが十五の誕生日を迎えた証に、と珍しく父が渡した刀。

 人を――相手を殺すために情けを捨てろと言う、父の。

 

「………………」

 

 自然、アレンの視線が下がる。今日一日で一体、何度シャープネスを見たのかは知らない。

 だが、この刀を見る度、アレンは思うのだ。

 これは一体、どれほどの人の命を奪ったものなのか、と。

 考える度に、もらった刀の重みが、ずしり、と腕に、胸に染みる気がした。まるで父の言葉のように。

 

 と。

 

「……けん、じつ……」

 

「!?」

 

 ぽつ、と響いた声に、アレンは思わず目を見開いた。今、ベッドから確かに、ナツメの声が聞こえたのだ。

 一度も声を聞いた事は無いが、恐らく、彼女の。

 驚いて、ば、とアレンが少女を振り返ると、壁を見据える彼女の頬に、つぅ、と一筋。涙がこぼれていた。

 死魚を思わせる、闇ばかりを映した黒瞳に、涙。

 

「ナツメ……?」

 

 初めて、表情を歪めた少女に、アレンは心配そうに彼女を覗き込んだ。

 

「お、じい……さん、も……いない……。おかあ、さん……も」

 

 今にも消え入りそうな、息がこすれているだけにも聞こえる、そんな声。だがアレンは、少女の言葉を聞き逃さなかった。

 

「っ!」

 

 彼女の抱えた、孤独。それが、直に触れた気がしたのだ。瞬間。アレンの頭を過ぎったのは、母の顔。痩せ細った少女の顔と、母の顔が重なる。

 母の儚い笑顔と、――泣いた横顔を。

 アレンは気付けば、ベッドに横たわっている少女を、抱き寄せていた。

 

「大丈夫! ……君を想う人は、いつもっ、傍にっ!」

 

 ちょうど、十年。

 母と別れて、父に情を捨てろと叱られながら剣を振って、今日で十年。

 ぐ、と歯をかみ締めて、アレンは涙をこらえる。何故泣いているのか、自分にも分からない。

 ただ――。

 

「おかあ、さん……」

 

 つぶやくナツメの声が、少しずつ力を帯び始めた。頬に流れた涙が、次第に量を増やしていく。とめど無く、堰を切ったように。

 

「ふ、ゅうううううう……っ!」

 

 ぼとぼとと涙を流すナツメを抱きしめて、アレンはただ、少女の背をさすった。

 

「大丈夫。もう、大丈夫だから」

 

 言い聞かせるように声をかけて、少女をゆっくりあやすと、ナツメは四年ぶりの涙を搾り出すように盛大に泣き始めた。

 

「おかあ、さ……っ! おかあさぁ、っっ!」

 

「今まで、良く耐えたな。……よく頑張った」

 

 頭が白くなるほど、盛大に。

 喉が割れるほどの大声で『傷』を訴えるナツメに、彼女がこの四年間、ずっと身を浸していた暗闇で、唯一聞こえた少年の声が、ナツメの傷を癒すように、哀しく、暖かく、ナツメの胸に響いた。

 

「……おかえり、ナツメ」

 

 つぶやくアレンの声が、ナツメの耳に残った――……。

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