連邦軍人とフェイトくんの旅。   作:ばんどう

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phase11 スフィア社
71.無音の剣


 エリクールからジェミティ市へと戻った一行は、スフィア社が存在するというロストシティへ向かう事にした。

 相変わらず眩いほど派手な装飾の街を駆け、南に行く。すると、ネオン文字で『ステーション』と書かれた看板の下に、ひょろ長い係員が立っていた。彼にロストシティへの転送を頼むと、係員はフェイト達の名前を聞いて奥に引っ込んだ。戻って来たのは、五分ほど経ってからだ。人の良さそうな係員は、困ったように眉をひそめた。

 

「申し訳ないけど、君達にはロストシティへのアクセス権が無いようだね。ロストシティにはセキュリティの都合上、アクセス権がない方の転送はできないことになっているんだよ。すまないね。何か用があるのかい?」

 

「いえ、すみませんでした」

 

 詮索される前に、フェイトは一礼して話題を切った。係員が同情するように、ごめんね、と言ってステーション奥に引っ込んで行くのを尻目に、フェイトは溜息を吐きたい心地で、顎に手をやった。

 

「……まいったな」

 

「どうする?」

 

 クリフが片眉を上げ、大仰に両手を広げる。フェイトは顎に据えた手を離し、首を捻った。

 

「どうするって言ったって……」

 

 腰に手を当てる。困ったときの彼の癖だ。

 マリアが上目使いで、窺うように声を潜めた。

 

「係員を排除して強行突破する? アクセス権を書き換えるのは恐らく可能だと思うわ」

 

「う~ん……」

 

 差し出される強硬案に、フェイトは言葉を濁らせた。横目で係員が引っ込んだステーション奥を見やる。友好的で――見るからに善良そうな男性を、問答無用に黙らせるのはどうかと思うのだが。

 

「あ、いたいた。君達!」

 

 今まさに叩き潰そうかと悩んでいる相手が駆け寄ってきて、フェイトは目を丸めた。まだ何もしていないのに焦って作り笑う。腰から手を離し、フェイトは係員を見た。

 

「な、なんですか?」

 

 平静を装って尋ねると、係員の男性は人懐こそうな笑みを浮かべた。

 

「今、ロストシティから連絡があってね。君達にアクセス権が与えられたよ」

 

「え!?」

 

 フェイトは目を見開く。

 係員の男性は続けた。

 

「スフィア社のBという人からの連絡だったんだけど、知り合いかい?」

 

「Bさん……ですか?」

 

 無論、心当たりは無い。FD空間に初めて来たのが数日前だ。こちらの住人と何らかのコンタクトを取れる筈もない。

 要領を得ないフェイトに、係員も不思議そうに瞬いて、首を傾げた。

 

「そう言ってたよ。フラッドの知り合いだと言えば分かる、だってさ。よく分かんないんだけどね」

 

 彼もそれ以上どう説明すればいいのか分からず、苦笑する。クリフが首を捻った。顎に手をやる。

 

「フラッド?」

 

 聞いた名だ。努めて思い出そうとしていると、隣からソフィアが相の手を入れた。

 

「ほら、レコダ会ったあの少年ですよ」

 

 ああ、とクリフは頷いた。FD空間に初めて来たとき出合った十歳くらいの少年だ。頭を掻きながら、クリフは言葉を濁した。

 

「あ、ああ。そうか……」

 

「フラッドの知り合い? どういうことだろう?」

 

 フラッドにもらったのは、エターナルスフィアに行く為のディスクだけだ。彼が何らかの報告を、その『B』という人物にした、という事なのか。

 マリアも深刻な面持ちで俯いた。

 

「そういえば関係者がスフィア社にいるって言ってたわね。ブレアとかなんとか……。きっとその人なんじゃないの?」

 

「そうかもな」

 

 警戒する方向で考え始めるマリアに対し、クリフは楽天的だった。マリアが呆れたように溜息を吐く。それを見ていて、ソフィアは控えめに、自分の髪をいらいながら言った。

 

「でも、信用できる人なんじゃありませんか?」

 

 ソフィアから見たフラッドは、好奇心旺盛なものの、元気で可愛らしい普通の少年だ。悪意や敵意、裏がある人間のようには思えない。――そう主張したかったのだが、自分の慣れ親しんだ空気とは全く異なる緊張感を前に、彼女の言葉は尻すぼみになっていった。自分の髪をいらうのは、緊張している時の彼女の癖だ。窺うようにマリアを見上げると、若き才女は、残念そうに首を横に振った。

 

「それはどうかしら? それ自体が罠という可能性もあるわ」

 

「ま、罠と考えるのが妥当だろうな」

 

 クリフが頷く。相変わらず物言い軽いのだが、事の重みを語るように表情自体は真剣そのものだ。クリフを視界の端に、マリアは慎重に考えをめぐらせる。右手を肘に、左手を顎に据えて、彼女は一同を見た。確認を取るように、首肯を交えながら。

 

「ええ。彼等はエターナルスフィアを管理しているのだから、こっちへ来た私達の動きをつかんでいてもおかしくないし」

 

「おい」

 

 その会話を、アルフが制した。一同の視線が集まる。アルフは冷めた表情でマリア達を見返すと、静かに言い放った。

 

「行く気がねえなら、ここで戻りな。俺は立ち止まる気はねえ。――それに付き合う気もな」

 

 いつもは茫洋とした紅瞳が、狂気に底光る。刀の鍔に手をかけた彼は、既に臨戦態勢を整えていた。言い終えるなり肩で風を切って、ステーションの大型転送装置へ歩いて行く。アレンが無言で続き、アルベルが楽しそうににやりと嗤った。

 フェイト達は顔を見合わせる。思わず、肩をすくめた。

 

「……フェイト」

 

 大型転送装置に向かおうとした所で、ソフィアの声がかかる。振り返ると、不安そうにソフィアが服の袖を()まんで来た。きょとんとフェイトが瞬くのも束の間。彼は穏やかに微笑むと、まるで子供みたいだ、と胸中で呟きながら、彼女(ソフィア)の頭に、ぽん、と手を置いた。

 

「大丈夫。お前は僕が守ってやるから。――行こ?」

 

 柔らかい声で促すと、ソフィアはキュッと唇を閉じて、小さく頷いた。

 マリアがクリフを横目見る。

 

「そうね。現状、他にロストシティに行く手段が無い以上、たとえ罠だとしても行くしかないでしょうから」

 

「ああ。ありがたく招待を受けさせてもらおうぜ」

 

「異論は無いよ」

 

 同意するクリフとネルに、マリアが頷く。フェイトは大型転送装置を一瞥した後、マリアに笑いかけた。仲間と歩調を合わせるために、マリアは節目で皆と意見交換をする。それぞれが心の準備を終え、万全の状態で戦いに臨むように。

 フェイトの気遣いに気付いたのか、マリアも先に言った三人を苦笑混じりに見やると、困ったように息を吐いて、行きましょ、と笑い返してきた。フェイトは無言で頷く。ソフィアが怯えていたので、彼女の手を引いてステーション奥の転送室まで移動した。

 

「スフィア社かぁ……。エターナルスフィアの開発元だよね。僕もやってるんだけどさ。面白いよね、あれ」

 

 転送室の外から、係員が気さくに声をかけてくる。フェイトが顔を上げると、係員はデータ入力している最中だった。

 

「知ってるんですか?」

 

 世間話に付き合ってみる。係員は得意げに頷いた。

 

「そりゃ勿論。この転送装置なら、スフィア社にすぐ着くよ」

 

「スフィア社に直接行けるんですか?」

 

「そうさ。ロストシティは情報技術開発を中心に行っている先進企業ばかりが集まった都市だからね。スパイ行為を防止するために、基本的に目的の場所以外には行けないようになっているんだよ」

 

「そうなんですか」

 

 意外にもあっさりとした道程だ。フェイトは思わず視線を下げた。クリフが額を叩く。

 

「こりゃまた、罠が仕掛けやすい造りな訳だ」

 

「ええ。ゲートを塞いでしまえば簡単に退路を断つことができるものね」

 

「危険なんじゃ……」

 

 マリアの言葉に、ソフィアが顔色を失ってフェイトを見上げて来た。

 

「大丈夫さ、ソフィア」

 

 すかさずフォローすると、ソフィアは不安そうに眉根を寄せたまま、小さく頷く。

 

「……うん」

 

 その様を、ネルは不思議そうに見やる。フェイト達とアレン、アルフ。彼らの温度差が異常だったからだ。いつも通り励まし合うフェイト達に対し、連邦の二人組は先ほどから一言も喋らない。いつもならアレンがソフィアを思いやって、雑談でも絡んでくる筈なのに。

 この二人が目に見えて無言になったのは、この『じぇみてぃ市』に着いてからだ。

 ネルは眉をひそめていたが、いくら考えても、原因らしきものは分からなかった。

 ただ――、

 押し殺した二人の怒りが、ぴりぴりと肌を通して伝わってくる。

 ネルは神妙な面持ちで、青と黒の縞模様のマフラーに唇を埋めた。

 

 

 

 

 ジェミティ市の職員が言った通り、転送先はスフィア社内のようだった。オフィスと言うよりは研究施設のような室内で、天井、壁、床が一体となった球体空間に、無数の電子機器が埋め込まれている。この球体空間に、薄茶色の床が浮かんでいた。床と言うより、薄っぺらい『板』に見える。その巨大な板によって球体空間にはフロアが作り出され、そのフロアを球体空間の中央にあるドーナツ状の光の輪(リング)が支えている。巨大な室内だった。二十畳はありそうだ。

 フェイト達は目の前にあるカウンターを見る。受付と思われる(デスク)とコンピュータが一体になったカウンター。後ろに、別の部屋に続く扉もあった。

 その扉に向かって、ふぅ、と息を吐きながら歩き出そうとしたのも束の間。

 

「チッ! やっぱり罠かよ!」

 

 クリフは忌々しげに舌打ちしながら、拳を構えた。立ち塞がる者がいたのだ。

 防護マスクを被った保安員と、長身素面の男だった。短い黒髪が無造作に跳ね、見るからにインドアそうな白い肌に、吊った切れ長の目。眼鏡の奥にある瞳は黒で、男は白い手袋を嵌めていた。その細い指で彼は、つ、と鼻の頭に乗った眼鏡を押し上げる。

 男が纏っているのは、コートのような黒い長衣。

 スフィア社員の制服だ。

 男はフェイト達を見て、嫌味な笑みを浮かべた。

 

「ようこそスフィア社へ、特異体の諸君。私はスフィア社オーナー直属の保安部を統括しているアザゼルだ。どのような手段を用いて、ステーションのセキュリティを突破したのかはわからないが、歓迎するよ。(もっと)も、虚構の存在であるお前たちが現実の世界に出てきている時点で、私には既に理解不能なのだがね」

 

 見た目を裏切らない、鼻から抜けるような色気のある声だった。クリフが、ケッと悪態を吐く。

 

「どのような手段もクソもあるか。そっちが呼んどいて」

 

 吐き捨てたクリフは、拳を構えた。アザゼルが、眼鏡の奥にある瞳を丸める。粘質的な声に相応しく、どこか芝居がかった動きをする男だ。

 

「呼んだ? 一体何のことかね?」

 

「ステーションの件はお前たちの差し金じゃねえのか?」

 

 クリフは間合いを測りながら、距離を詰める機会を窺う。表面上はあくまで平静無害に。銃を構える保安員は五人。アレンは眼球だけを動かして、フェイトとソフィア――それから、ネルとアルベルの位置を確認した。

 アザゼルが神妙に顎に手をやって、首を振る。眉間にしわを寄せた彼の様子からすると、本当に『B』という人物に心当たりは無いようだ。アザゼルは難しい表情のまま、半ば呆れたような溜息を吐いた。

 

「何を言ってるのか分からんが……、少なくとも私は関知していないよ。後で調べてみるとしよう。思わぬ鼠が引っかかるかも知れないな。――しかしその前に、お前たちのもてなしをしなくては」

 

 そう言って、にやりと口端をつり上げたアザゼルは、大仰に両手を広げる。マリアが後ろ手で銃のグリップを握りながら、鼻を鳴らした。

 

「もてなしね。さぞや手厚くもてなしてくれるのでしょうね?」

 

「ああ、当然だとも。(もっと)も、もてなしの方向性に関しては、お前たちの態度如何だが」

 

 アザゼルが謡うように言うと、フェイトの後ろで失笑が上がった。背中から静かな――猛烈な殺気が突き刺さってくる。見るまでも無く、アレンかアルフ、もしくは両方の殺気(モノ)だろう。

 フェイトは息を吐いた。

 

「どういう意味だ?」

 

「面倒なので、手短に言う。大人しく投降したまえ。私達に協力すれば、お前達は消去しないでおいてやろう」

 

「協力……ですか?」

 

 緊張の面持ちでソフィアが問う。心配そうな彼女を見て、アザゼルは穏やかに頷いた。

 

「お前達は非常に興味深い存在だからな。研究セクションから是非研究材料にしたいとの要望があるのだよ」

 

「モルモットになれというわけね」

 

「ご名答」

 

 マリアに向けて、アザゼルは満足そうに笑む。穏やかに声の調子(トーン)を抑えても、この男の人を見下すような態度は変わらない。フェイトはそんなアザゼルと――後ろに控えた保安員の動きを観察しながら、尋ねた。

 

「僕達が研究材料になれば、銀河に放ったエクスキューショナーを止めてくれるのか?」

 

「いや、それは無理な話だ。銀河は既に汚染されている。お前たち特異体の存在によってな。あの区画は完全に消去する。消さないでやるのはお前たちだけだ。尤も帰る場所は――」

 

 アザゼルの言葉は、最後まで続かなかった。

 

 ……斬、

 

 アルフが刀を一閃する。エリクールで鍛え、造った(それ)の切れ味は凄まじく、保安員の防弾ベストをいとも簡単に両断した。ライフル銃を構え、居並ぶ保安員達が一撃で吹き飛ばされる。

 剣技、衝裂破。

 無造作に払われた横薙ぎの一閃を、猛烈な『気』と『剣風』が追う。アルフの接近に気付けなかった保安員達が、驚く間もなく倒れていく。あくまで静かに、唐突に起きた衝裂破。フェイトでさえ目を見開く。いつ『気』が放たれたのか、はっきりとは分からない。

 

(――え?)

 

 思わずアルフを見やった。フェイトが彼に斬られたのは、一度だけ。

 アイレの丘で剣を交えた――あの一戦だけだ。その時の彼の技は、強力だったが静か(・・)では無かった。今のように幽霊の如く、忍び寄るような戦い方では無い。

 アレンを見やると、アレンは口端をつり上げたまま、頬から冷や汗を垂らしていた。

 

「ハッ!」

 

 開戦に、アルベルが楽しそうに笑う。アザゼルの顔つきが変わった。目を見開いた彼は、忌々しげに舌打った。

 

「っ、データ如きが! ……仕方ない。研究セクションには後で私から謝っておくとしよう。まあ、所詮は壊れた存在だ。消されるのがごく自然な流れだとは思うがね」

 

 言う間に、アザゼルは制服のポケットから銃を取り出す。それを一閃すると、赤いレーザーが剣のように伸びた。

 瞬間。

 

 ……キン、

 

 小さな鍔鳴り音を立てて、アルフが刀を納めた。何が起きたのか、アザゼルには分からない。刀を抜いていたアルベルが、ハッと目を見開いた。アルベルが双破斬を放とうとした、その瞬間。

 

 ……パッ!

 

 眩い光が散ると、光は銀の斬線となって一閃、煌めいた。まるで花が咲いたように紅い血が飛ぶ。

 

「!」

 

 動体視力の良いアルベルには、アルフが抜刀術でアザゼルの胸を斬り払ったのが見えた。――ただ、問題は――コマ送りのようにゆっくりと、剣を振るアルフを見守って(・・・・)いた(・・)事だ。

 見えていたのに、アルフの剣線を美しいとも、速いとも鋭いとも感じず、ただ茫然と、無為に視ていた。

 鞘走りの音も、敵を斬る気迫すら感じさせず、彼はアザゼルを斬っていたのだ。ただ静かに。

 数秒後、

 

「――ガッ、ッッ!」

 

 アザゼルの胸板から血が噴き出る。自身を見下ろしたアザゼルは、驚きに目を見開いて口を開閉させた。だが言葉にならず、がくんっ、と膝が折れ、手をつく事すらままならず床に倒れる。

 

「く、……くそっ……!?」

 

 アザゼルは首を傾げながらも、唇を噛んだ。ワケの分からない内に、体が言う事を聞かなくなっている。斬られた(・・・・)事にも(・・・)気付かない(・・・・・)彼は、疑問と苛立ちを募せながら、痛感を忘れて床を這う。

 空気抵抗を極限まで減らした一閃――『無音の剣』。

 殺気や闘気、剣気の全てを無にし、敵に悟られぬ間に斬り殺す、アルフが用いる究極の殺人剣。

 いくらアレンが剣の達人であろうと、アルフほど気配を消すことは出来ない。まして、空を切る刃の音すら消すことなど。

 アルフの剣はまるで幽霊のように無音で、素早く――ただ敵を斬る。相手の急所に刃物を届かせる――それのみに特化した一閃。

 鮮烈な狂気を持つ男には不釣り合いなほど、威力も派手さもない、確実な(・・・)斬撃だ。『殺す』と決めた、彼の剣は。

 

「バグの、分際で……生意気な……! この……まま……で、いられると……思うなよ!」

 

 斬られたアザゼルには、立ち上がる体力さえ残っていなかった。それを脳が認識出来ず、アザゼルは匍匐前進で奥にあるデスクに向かう。

 ――が。

 

 チャキ、

 

 紅瞳が、殺気を(たた)えてアザゼルを睨む。狂人の口に浮かぶのは冷たい微笑。なまじ顔が整っているだけに、その笑みは抜き身の刃物のようだった。アザゼルの首にそっと刃を当てて、彼は声を落とす。

 

「覚悟するのはお前の方だぜ。FD人(・・・)

 

 一切の容赦を知らない狂人は、床に転がったアザゼルを蹴り飛ばした。

 

「がっ!?」

 

 くぐもった鈍い音と同時、アザゼルがくの字に身体を折る。荒事ばかりを処理する特務隊員(アルフ)は、アザゼルが剣も兼ねた電子銃以外、何も武装していない事を見抜いていた。『敵』が抵抗しないよう、彼はアザゼルの肩を強かに踏みつけ、刀をアザゼルの首筋に当てたまま、視線を寄越さずフェイトに言った。

 いつもの、抑揚のない静かな声で。

 

「しばらく向こうに行ってな。ここから先は、アンタらに見せられねえ」

 

「……わかった!」

 

 しばらく口を開閉していたフェイトだが、表情を引き締めて頷いた。ソフィアが顔色を失う。

 

「……あ、あの……?」

 

 狂人がいくら『いつも通り』を演出しても、並々ならぬ気配が部屋に立ち込めている。ソフィアは震えていた。こちらを向いた殺気では無いのに、身体が(すく)み上がって動けない。アレンがソフィアの肩を叩き、首を振った。

 

「こっちだ。行こう」

 

「ちょっと待て、アレン」

 

 フェイトは言うと、アルフに駆け寄り――

 

 スパーンッ!

 

 アルフの銀髪を思い切り(はた)き倒した。

 

「なっ、っっ!!?」

 

 クリフやネル、アルベルやアレンですら、フェイトの奇行に目を瞠る。フェイトは、平時なら頭を押さえて茫洋な目で抗議してくる狂人が微動だにしない事に、内心冷汗をかいたが、いまさら元には戻れない。気にせず突き進む。

 

「ソフィアを怖がらせるなよ、アルフ」

 

「……フェイト」

 

 つぶやいた狂人は、やはりフェイトを振り返らない。彼はフェイトに背を向けたまま、いつもより少し低い声で言った。

 努めて――いつも通りの調子(トーン)で。

 

「確かに、俺はアレンより冷静だと言ってたが……、キレて(・・・)ないわけじゃない。早く行け」

 

「……そりゃそうか」

 

 フェイトは一つ頷くと、小走りにクリフ達の下へ戻った。クリフが目を白黒させながら問う。

 

「テ、テメッ! 何やってんだよっ!? 命が惜しくねえのかっっ!?」

 

「いや。……戻るかと思ったんだけど。ダメだったみたいだ」

 

「見りゃ分かんだろうがっっ!」

 

 ーーいや、ここらで止めとかないとアイツ、やばいんじゃないかって……

 

 胸中に湧いた言葉を、フェイトは口にする勇気が持てなかった。

 アレンもそうだが、アルフもFD空間に来てから、明らかに雰囲気が変わっている。不吉なほうに。

 フェイトは敢えて爽やかに笑った。

 

「イケる気がしたんだけどね!」

 

「アホぉおおお!」

 

「空気ぐらい読みやがれ、阿呆」

 

 絶叫するクリフと、眉間に皺を刻むアルベルを尻目に、マリアが神妙な面持ちでアルフを睨む。

 

「――君、何をする気なの?」

 

 色々な意味を乗せて問うと、彼はフッと失笑した。

 

「俺は、いつまでもこんなトコに居る気はねえんだ、トレイター代表。アンタ達には感謝してる。アンタらの協力が無ければ、FD空間に来られなかったからな。けど、ここからは俺達の仕事だ。アンタらには悪いが、任せてもらう。――アレン」

 

 連れて行け、とでも言うように、アルフは強制的に会話を打ち切った。アレンが静かに頷き、フェイト達に、行こう、と促す。

 ソフィアが怯えきった顔でアレンを見る。狂気に満たされたアルフは恐ろしく、ソフィアは直視する事さえ出来なかった。もう戦えない人間に、それでも情け容赦なく刃を向ける男が、怖くて――。止めて、と言いたかったが、アルフの放つ猛烈な殺意から、一刻も早く逃げたかったのが本音だ。アザゼルに同情しながらも、ソフィアは震える足で部屋の外に向かう。アレンの誘導で。

 クリフが深々と溜息を吐いた。

 

「所詮、お前らも連邦軍人ってわけか」

 

「……否定しない」

 

 スフィア社の別室に進みながら、アレンはわずかに目を伏せて、そう言った。

 

 

 

 

「さて」

 

 一行が部屋を出たのを確認するや、アルフはアザゼルを見下ろした。刃を首筋に当てながら、敵が抵抗できないよう関節を見事に()めている。

 呻くアザゼルを見下しながら、彼は紅瞳を細めて言い放った。

 

「エクスキューショナーを今すぐ停止しろ。……まあ、出来ないってんなら、それでも構わないが」

 

「……?」

 

 忌々しげに歯噛みながら、アザゼルは顔を上げた。クス、という嗤い声が、狂人から洩れ聞こえたのだ。

 瞬間。

 

「っ、っっ!」

 

 見上げたアザゼルの、表情(カオ)が凍る。氷塊を押しつけられたように、あるいは背中に電流が通ったように、ビクリと全身が硬直して動かなくなった。

 狂人は艶めかしい微笑を浮かべていた。虫でも見るような眼で、アザゼルを見下して。

 アザゼルの口から、呼吸とも、悲鳴とも取れない『音』が洩れる。

 狂人は言った。

 

「その時はエクスキューショナーを停止出来る人間に会うまで、スフィア社(このビル)の人間を片っ端から殺していく。……その一人目が、お前になる――それだけのことだ」

 

 つい、と視線を逸らそうとしたアザゼルの顎を、アルフは刀の切っ先で持ち上げる。アザゼルが凍りついた。ガタガタと、自分の意志に関係なく体が震え始める。猛烈に、強烈に。

 狂人は微笑う。あくまで穏やかに、少しも嗤わぬ、その紅瞳を向けて。

 

「……ぁ、ぁぁっっ、……だっ、誰がっ、……! おまえのっ、ような……っ!」

 

 ぐりゅっ、

 

 アルフは刀を、アザゼルの掌に突き刺した。ただ刺すのではなく、相手の痛覚を刺激するよう、刺してから抉る(・・)

 

「ぎゃぁあああっっ!?」

 

「言ったろ? 時間がねえんだ。答えはYesかNo、それだけでいい。……それとも、一本ずつ指を落とされていくのが好みかい?」

 

 狂人の笑みは、いつの間か消えていた。

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