IS学園の猫ちゃん 作:只の・A・カカシです
銀の福音の暴走事件から四日後の日曜日。来栖は、格納庫の片隅に設けられたトレーニングスペースで日課のウエイトトレーニングを行なっていた。
たまには気分転換にと朝七時から始めたものの、九時を回る頃には室温が三〇度に達し、外から聞こえてくる蝉の音が暑さを余計に助長する。
流石に我慢が限界に達したので、今はスポットクーラーにあたりながらトレーニングをしていた。
「来栖先生!いらっしゃいますか?」
そんな場所へひょっこりと現れたのは、顔馴染みになっている生徒だった。
「ラウラか。ってか、何で先生呼び?」
前回会った一週間前には敬称なんてなかったのにどういった心境の変化だと、来栖は首を傾げる。
「いえ、目上には敬意を払うべきかと思いまして!」
どの口が言うと思いながらも、彼は持ち上げていたバーベルを床におろし、首にかけていたタオルで汗を拭った。
来栖が向き直るのを待って、彼女は姿勢を正して敬礼を行う。
「先日のお礼を言いに来ました。」
ビシッと決まった姿を見て、そういえば彼女は現在も一応は軍人だったと思い出す。
「お礼と言われたって、俺は何もしてないけど?」
「いえ、ですから――」
更に続けようとしたラウラの口を来栖は押さえ、「それ以上は言うな」と目で伝える。
無線を傍受したことを第三者に知られたら大ごとになると気付き、ラウラは首を縦に二度振った。
それを見て、来栖は手を離す。
「驚いたよ。よくやった。言っちゃ悪いけど、ヴァルキリーになれるクラスのIS乗りじゃないと勝負にならないと思ってた。本当によくやったな。」
「お褒めに預かり光栄です!」
その表情は、親から褒められて喜んでいる子供のように輝いていた。実際に2人の年齢は親子ほど離れているが。
「それにしても、先生はさすがです。一度は銀の福音を、それも戦闘機で追い払ったのですから!」
「よしてくれ。相手が弱ってただけだ。」
羨望のまなざしを向けられ、来栖は少しだけ居心地悪そうにする。
「何を!これは教官にも言っているのだが、実力のある人はもっと堂々とすべきです!」
そこからラウラは、来栖に織斑千冬の凄さを語り始めた。
-*・A・*-
「ここに専用機持ちがいると聞いた。」
それは六月中旬のことだった。銀髪で左目に眼帯をした一人の生徒が格納庫にやって来て、何の前置きもなくそう言い放った。
「専用機?戦闘機の間違いじゃなくて?」
たまたま出入り口の近くで作業をしていた森田がそう聞き返す。
年度始めの方は、このように聞き間違えて尋ねてくる生徒が稀にいる。そういった生徒は何を期待して来たのか、専用機ではなく戦闘機であると説明すると肩を落とし帰っていく。
今回もその類だろうと思っていたため、来栖はコックピットの整備を続けた。
「そんなはずはない!」
しかし、彼女だけは違った。いくら森田が説明しようと納得しないのだ。
見兼ねた来栖は、コックピットから降りる。
「森田。」
呼びかけに振り向いた森田に、来栖は代わるよとハンドサインを送る。
森田は、有難そうに軽く手を上げ彼と交代した。
「その専用機持ちの特徴とかは分かるか?」
「分からん。だが、ここにいると言うのは間違いない!教えてくれたやつが地図まで描いてくれたのだ!」
そう言って彼女は、手描きの地図を取り出し、それを広げて来栖に見せる。
〈・・・ん?これは?〉
そこには、間違いなくこの場所が描かれていた。
けれど、来栖が引っかかりを覚えたのは地図ではなく、書いてある字の方だった。
「一つ聞くけど、これを描いたのはショートカットで、背が一七三cm。学年は二年の生徒か?」
「あぁ、そうだ。なぜ分かった?」
まるで名探偵のように地図の作成者を突き止めたことに彼女は驚愕する。それとは裏腹に、来栖は頭を右手で抑えていた。
「分かったも何も、これを描いたのは――」
「お父さーん!」
まるでタイミングを図ったかのように、スキップしながら格納庫に入って来た生徒が来栖をそう呼んだ。
「俺の娘だから・・・。」
上機嫌にハイタッチを要求してきた娘の頬を、来栖は摘んで引っ張った。
「紛らわしいから俺のことは黙っとけと言ったろ!」
「いふぁい、いふぁい。」
反射的に痛いと言っているだけで、来栖はかなりの親バカであるため、頬が痛くなるほどの力は入れていない。
「俺の娘の「優里香でーす!よろしく。」・・・。」
全くテンションの違う親子を、得体の知れないものを見たような目で見つめる銀髪の生徒。一方の整備士達は、毎度のことなので気にも留めない。
「すまないな、じゃじゃ馬娘で。ところで、名前まだ言ってなかったな。来栖翔霧だ。よろしく。」
「ラウラ・ボーデヴィッヒだ。」
その名前に、来栖は聞き覚えがあった。
「もしかして、ドイツから転校して来た生徒?」
「そうだ。」
明瞭簡潔な話し方に、来栖は懐かしさを覚える。それと同時に、その態度でうまくやっていけるのだろうかという心配が出てくる。
「ところで貴様、先程言っていた専用機持ちとはどいつのことだ?」
「専用機?戦闘機だよ。戦闘機乗り。あれ、ひょっとして戦闘機に乗りたいの!?」
後輩にタメ口を使われたが、優里香はそれを気にしない。それどころか、同士を見つけたと言わんばかりに目を輝かせる。もし、目の輝きが実際にあったなら百万ワットはくだらないだろう。
そこまではしゃぐ優里香に、ラウラは恐怖すら覚えた。
「ねえ、お父さん!今から出るんでしょ?」
現在行なわれている作業が離陸前の点検であることを見て取った彼女は、更にテンションを上げる。
「あぁ。沖に不自然な船がいるらしいから見てきてくれって。まあ、米海軍の空母だろう。昔からこの辺で訓練してるんだよ。」
「・・・。」
父親の苦労を知ってかしらでか、優里香が不気味に黙り込む。
「海軍か・・・。ねえ、ラウラちゃん!乗る?」
何を考えているのかと思えば、優里香は転校してきて間もない生徒に戦闘機に乗らないかと勧めた。
「おい。乗せられるかどうかを、まず俺に聞け。」
そして、それを止めない辺り流石は親子といったところか。
「えー。いつも『いいよ』って言うじゃんか!」
「乗せられないときもある。」
親子の会話とはいえ、戦闘機に搭乗の可否を話しているのに微塵も緊張感が感じられない。
そのずさんさに、ラウラの我慢は限界を迎えた。
「ハッ!この程度のパイロットなど底が知れる!」
「でも、お父さんはISに何回か勝ってるよ!」
ラウラの言ったことは暴言に近かったが、優里香はそれを言うのを待っていたかのように返した。
「おい、撃墜は一回もしてないぞ。」
一拍遅れて、来栖がそれを否定する。
また締まりのない話が続きそうに感じたラウラは、その隙にこっそりと立ち去ろうと考えたのだが、続く森田の言葉にそれをやめることとなる。
「おい、マーベリック。周りの戦闘機が手も足も出せずに堕とされるなか、反撃らしい反撃も受けずミサイルと機関砲を白騎士に浴びせたパイロットが『運で生き残った』なんて言っても説得力ないぞ。」
〈この話、どこかで・・・!〉
すぐにラウラの思考回路は繋がった。
「イーグル・ウィザード。」
ワイワイしていた三人はそれを聞いた途端に黙り、ラウラを見つめる。
「「「・・・何それ?」」」
そして見事にハモる。
「自衛隊にいたパイロットだ。丸腰のF-15で武装したF-16を撃墜した伝説を聞いたことがある。」
それまでとは打って変わって、ラウラは真面目な口調になる。
ところが来栖は、彼女と入れ替わるように表情をやや曇らせた。
「撃墜はしてないんだよな・・・体当たりはしたけど。」
事実を知らせれば余計に呆れられると思ったが、彼女から尊敬される気は毛頭なかった。
「なっ!?航空機で体当たりだと!?」
ところが、伝説の事実を知ると態度が一転した。
「ふむ、俄然興味が湧いた。乗せてもらおう。」
そう言うと、制服のまま戦闘機に向かって歩き始めたので慌てて止める。
「待て、ヘルメットと酸素マスクは着けろ。」
「そうだ。忘れていた。」
最悪の場合、戦闘になるかも知れない場所へ向かうと言うのに、初対面の生徒へ本当に乗るかの確認ではなく装備を着けろと引き止めるのはいかがなのだろう。まあ、先ほどまで来栖達の呑気さに呆れていたラウラを含め、誰一人として指摘しなかったのだから気にするほどのことではないのだろう。
一五分ほどで耐Gスーツに着替え、来栖とラウラは更衣室から格納庫に戻ってきた。
トムキャットは整備士によって格納庫の外へと移動、併せて第二エンジンが始動させられていた。
「優里香!ラウラに乗り方をレクチャーしてあげて。」
「はい!」
元気な返事を聞いてから、来栖は左主脚付近の空気導入路下を通り機体下に潜って事前の打ち合わせ通りの装備が取り付けられているかの最終確認を行う。
今回の装備は記録用に偵察ポッドを、不審船が敵だった場合に備えて左右の主翼下パイロンにASM-2*1を一発ずつ、対空防御にサイドワインダーとアムラームを各二発ずつ、計六発のミサイルで武装している。
正しい武装が取り付けられていることを確認した来栖は機体下から出る。軽く手を叩いて汚れを払い機首の方を見ると、優里香は梯子の傍に立っていた。
「ん?あの子は?」
「もう乗ったよ。」
どことなくつまらなさそうな声で、優里香が答える。
「・・・あの子、日常的に乗ってた可能性があるかも。」
「まじか。」
戦闘機に四苦八苦して乗り込む姿を見てやろうといつも以上に集中して確認を行ったのだが、予想に反した結果になり来栖はポカーンっとしてしまう。
「そうか・・・。まあ、行ってくる。」
来栖は決まり悪そうにコックピットに収まり、ベルトやヘルメットなどの装着を始める。
『梯子格納。退避完了したぞ。』
「了解。」
コックピット外縁に障害物がないことを確認してキャノピーを閉じる。第一エンジンを始動し、滑走開始位置まで移動。主翼のスイッチを自動にセットする。
『よし、立ち上げたぞ。』
「了解。」
「何を立ち上げたのだ?」
通信を聞いていたラウラからそう質問が出る。
「ジェットブラストディフレクターだよ。この格納庫はかなり頑丈に作られてるから、アイドリング程度の排気なら短時間は耐えられる。けど、出力を上げると排気の温度も上がるから建物に当てるとちょっとマズい。特にガラスとか、一応強化ガラスが入ってるけど溶かしちゃう可能性もあるし。」
などと悠長に解説を行っていたものだから。
『おい、来栖!焼けちまうだろ!』
今日のジェットブラストディフレクター立ち上げ担当、
「おっと、すいません。・・・ついでに言うと、このディフレクターもモノがあまりよくなくてね。偶に焼けるんだよ。」
少しだけ苦笑いしつつもスロットルをミリタリーパワーまで開き、パワーが上がるのを待って滑走を開始する。
「ぶつかるぞ!おい!」
発進早々、ラウラが悲鳴を上げる。来栖が崖に向かって突っ込んでいるように見えたからだ。
「ぶつけないのが技術だ。」
翼端が崖スレスレなのは何時ものことなので気にせず離陸滑走を続ける。
後席の生徒はISの専用機を持っているということなので、アフターバーナーを遠慮なく使用する。
「
意地の悪いことに来栖は悲鳴を楽しんでいた。ほどなくVRに達したので機首を上げ離陸。更に機首を引き起こし、ほとんど垂直に上昇をかける。
「随分と派手な離陸だな・・・。」
「楽しんでくれたか?」
来栖は意地の悪い笑みを浮かべてから、現場に向かうため右旋回を行った。
「ほら、やっぱり。」
ほどなく現場海域に到着すると、来栖が予想した通りの結果がそこにあった。
「こちらIS学園。ロナルドレーガンに告ぐ。貴艦は訓練空域を逸脱している。進路を修正せよ。」
引っ切り無しに発着艦訓練を実施しているF/A-18に気を付けつつ、来栖が無線を入れる。
『こちらロナルドレーガン。どうした、ついにIS委員会が切れたか?』
まるで友達と話しているかのような口調。それは来栖がここ数ヶ月、この空母と頻繁に遭遇していたからだ。
「いや違う。学園の警備の関係だ。例の新入生のせいでな。」
『あぁ、成る程ね・・・。すぐに移動するよ。』
「協力感謝する。」
無線が切れてほどなくすると、空母は回頭を始めた。
「随分と緩いのだな。」
禁止領域で訓練をしていたというのに、来栖が文句の一つも言わなかったことにラウラは少しばかり不信感を覚える。
「それを言われちゃ返す言葉がないけど、魔除けになるからよっぽど接近しない限り注意したことはないね。」
それは職務怠慢ではないのか。声には出さなかったが、ラウラのストレスは募っていく。
「帰らないのか?」
空母は移動を開始しているのにもかかわらず空母の周囲を飛び続ける来栖に、ラウラは疑問を抱く。
「ちゃんと移動させた記録を残さないといけないから、もう少し我慢してくれ。」
ラウラは、来栖に駄々をこねる子どもをなだめるような口調で返されて少しだけふて腐れた。
それから数分ほど経ったときだった。
『ヘイ!ACM*2訓練しないか!』
ホーネットが一機近付いてきて、そう持ちかけてきた。
しかし、現在F-14は空母を移動させた記録を取っているため受けることは出来ない。
「よし、受けてやる!」
『お、マジか!よろしく頼む!』
その会話を聞いた瞬間は、無線から流れてきたものだと来栖の脳は判断した。
「おい、勝手に出るな!」
が、その声が後ろから直に聞こえてきたものだと理解するのに時間はさほど要さなかった。
「この程度で怖じ気づくのか?」
「そう言う問題じゃない!あぁ、クソ!」
来栖が毒づく。その訳は・・・。
『おぉ!やるのか!?』
『ミッチェル!お前、勇気あるな!』
『マジか!トムとホーネットの一騎打ち!こいつぁー見物だぜ!』
アメリカ海軍のパイロット達が、完全にテンションを上げ戦闘を煽ってきていたからだ。
流石の来栖も、これを断る勇気はなかった。
「あぁ、もう!どうにでもなれ!」
ヤケクソ気味に吐き捨てると、来栖はスロットルレバーを最大まで押し込んだ。
『大した技量はない。』それが、来栖翔霧という人物に対するラウラの評価だ。
〈訓練を禁止している海域で訓練を行っていた米海軍に対し、魔除けなどと言う名目で見逃していた?舐められているとしか言いようがないではないか!つくづく日本人は平和ボケしている。IS学園があるのだ!向こうから避ける場所にしなくてはならない!〉
彼女は・・・いや来栖含めその多くの者達は知る由もなかった。アメリカ軍、特にロナルドレーガンの乗組員が来栖翔霧のことを『空飛ぶ結界』と言っていることを。この海域で訓練をしているのが、来栖がいるからわざわざ来ているということも。
-*・ラウラ・*-
『ACMしないか。』
その言葉を聞いた瞬間、ストレスの溜まっていた私は「受けてやる」と言った。
当然、来栖は焦っていたが私の知ったことではない。最悪の時は、ISを展開すればいいのだから。
ホーネットのパイロット達は盛り上がっており、来栖は引くに引けなくなって模擬戦を受けた。
直後、強力な加速が私をシートに押しつける。この程度、何の支障もない。何せ私は代表候補生なのだ。
後ろを見る。ホーネットは完璧な位置についており、撃墜判定が出るのは時間の問題。
けれど来栖は、まるで危機感を覚えていないのか機動にキレがない。
一応やる気があるように見せるつもりなのか、来栖はかなり強いGを掛けて垂直上昇に入る。
〈追われているのに上昇・・・。終わったな。〉
見当違いだった。そう結論づけたそのとき、まるで滑るような感覚を私は覚えた。
〈失速した?いや、違う?・・・ん?〉
訳の分からない感覚が5~7秒ほど続く。
気が付けば警報は鳴り止んでいた。
そして、前方には逃げ惑うホーネットの姿があった。
「終わりだ。」
プーッというブザーが鳴ったとき、来栖は短くそう呟く。
私に勝敗を理解させたのは、ホーネットからの無線だった。
『いや、参りました・・・。ありがとうございます!』
訳が分からない。先ほどまで追われていたのになぜ!シュヴァルツェア・レーゲンを用いてもホーネットを相手にこれだけの短時間で決着を着ける自信はない!
「どうやった!?」
私は思わず叫んでいた。
「どうって・・・。後ろに付かれたから垂直上昇して、フラップ下げで水平方向の動きを加えるだろ?そこでエアブレーキを作動させて、オーバーシュートしたから追いかけて撃墜。それだけだよ。」
ある程度戦闘機に精通している私だが、内容が全くと言っていいほど頭に入らなかった。
だが、やっていることが恐ろしく高度なことだけは体感させられた。
〈この男の戦力をもっと評価すべきだ。〉
そう上方修正したが、私はまだ来栖翔霧というパイロットの技量のたった一部を見ただけに過ぎなかった。
-*・A・*-
心ゆくまで織斑千冬について語り倒したラウラは、一息ついて格納庫をぐるりと見回す。
「そう言えば整備士が見当たらないが・・・休みなのか?」
「まあ、日曜だし。俺はトレーニングに来ただけだ。」
来栖しかいないことに納得したラウラは、今度は開け放たれたドアを眺め始めた。
「先生、セキリュティーは大丈夫なのか?」
彼女が心配したのは、全開ではないにしろ戦闘機を出し入れする扉を開けてトレーニングを行っていること。
格納庫の前に走る道路はIS学園の校内道路なのだが、場所が場所だけに関係者の車が通ることは滅多にない。加えて、海も近いのでその気になれば侵入するのは容易い。
万が一にも襲撃を受ければ、来栖一人では対応は難しいと考えいた。
「本気で盗みに来るやつは戸締りしてても入るしな・・・。まあ、仮に来てもエンジンスタートをできるかな?外見は同じだけどアメリカの所有していたものとはまるっきりシステムが異なるからね。エンジンを始動出来ないと思うよ。」
「そのまさかが起きた場合は?」
何事も例外はある。軍でそれを徹底に学んでいたラウラは、それが心配でならなかった。
けれど、来栖もかつては空自にいたのだ。そのくらいのことは考えている。
「あり得ないよ。向かって右のインテーク覗いてごらん。」
首を傾げながらも、ラウラは言われるがまま第一エンジンのエアインテークをのぞき込んでみる、と。
「なッ、エンジンがない!」
そこにあるべきはずのタービンブレードがなく、向こう側の景色が丸見えであった。
「分かったか?」
「なるほど、これは盗みようがない!」
飛べない状態にしてあるのだから無駄な心配だった。ラウラは一本取られたと大笑いする。
彼女はひとしきり笑うと、再びトムキャットの方へ振り返ってエンジンを抜かれたエアインテークを興味深そうにのぞき込む。
「入ってもいいか?」
「いいけど、怪我しないでね。お前が何と言おうと、俺は責任を取らなきゃならないから。」
特に断る理由もなかったため、来栖はあっさりと許可を出した。
「了解した!」
彼女は嬉しそうに返事をすると、スルスルとエアインテークへ入っていく。
〈シュヴァルツェ・ハーゼ。黒ウサギの名を冠する部隊だけあって、穴の中が落ち着くのかな?〉
来栖は少しばかり下らないことを考えつつ、何かあったときに備えてF-14のそばへ移動する。
そこでふと、一週間前にラウラから相談されたことを思い出して尋ねてみた。
「織斑一夏とは上手くやれたか?」
その瞬間、エアインテーク内からゴンッという大きな鈍い音がした。
「・・・大丈夫か?」
「ッツ、気にするな。思いのほか広かったから油断しただけだ。」
悪いことを聞いてしまったとは思わなかったが、想像以上に彼女が動揺したため大体の結果を察する。
〈行動に移せなかったんだろうな。・・・若いねぇ。〉
大胆さと繊細さと、それらが複雑に絡み合う年頃だものねと、来栖は自分の青春時代を思い出して少しばかり苦笑いした。
それからしばらくして、ラウラがバックでエアインテークから出てきた。
「面白いものはあったか?」
「特にはない。・・・だが。」
「だが?」
「これだけ大きければISをも吸い込めそうだ。」
彼女が感じたままのことを口にしただけだったが、その言葉にほんの僅かだけ来栖の眉が動いた。
「昔、噂話でこんなことを聞いた。ISと航空機が空中衝突した、と。」
「・・・。」
身に覚えがある内容だったため、来栖は聞きに徹する。
「聞いたのは、試験飛行をしていたISが随伴していた航空機に近づきすぎて吸い込まれたというものだったのだが・・・本当に起こるのだろうか?意見を聞きたい。」
純粋な瞳を向けられた来栖は、目を瞑り、腕を組んだまま直立してしばらくの間沈黙する。
彼はそれを、少しばかり動揺した心を落ち着かせるためにしていた。
彼の動揺は必然だった。あの空中衝突は、彼にとっては一生忘れることの出来ないショッキングな出来事であったのだから。
「・・・近付きすぎれば起こるだろう。だが、ジェットエンジンに吸い込まれるほどISが近付くことはあり得ないと思う。」
気持ちを落ち着かせた来栖が、いつも通りの優しい口調で彼女の問いに答えた。
「そうか。ところで、先生はこの噂を聞いたことはあるのか?」
「いや、初めて聞いた。」
即答だった。
けれど、彼の言葉は嘘ではない。『噂を聞いたことはあるか』に対しては。
「やはり噂は噂、か。実のないことを聞いて失礼した。」
「いや、いいさ。こういう息抜きも偶には必要だからな。」
ふと、来栖は壁に掛けてあった時計に目をやった。
「おっと、もう昼前だ。ラウラ、飯はどうするんだ?」
来栖は、予定がないのなら学外の飯屋にでも連れて行ってやろうと考えていた。
「ん?なっ!し、しまった!シャルロットと約束をしていたのだった!」
ところが先約が入っているばかりか、彼女はその時間を彼女は失念していた。
「おいおい、急げよ。待たせるのはよくない。」
「はっ!また来ます!」
一度敬礼したのち、彼女は駆け足で格納庫から出て行く。すぐに足音は聞こえなくなった。
「随分と人間らしくなったなぁ。」
その姿を見送った来栖は、初めて会ったときのことを思い出し微笑ましそうに一人呟いた。
「お父さん!お昼持ってきたけど、いる?」
それから少しして、来栖がトレーニング器具を片付けていると娘の優里香が弁当を持って現れた。
「お!ありがとう!早速頂くよ!」
来栖は内心『ラウラに先約があってよかった』と思う。
それもこれも愛する娘と過ごせるからというのは、言うまでもない。
2021/7/18 一部修正しました