ダメ講師グレン、覚醒。そんな噂が学院内に流れると瞬く間に興味を持った他のクラスの生徒達が空いた時間にこぞってグレンの授業に参加するようになり、そして皆その授業の質の高さに驚嘆した。そのお陰で毎日グレンのクラスには生徒が大量に集まるようになり、これまで学院に籍を置いていた講師らには、嬉しくない事である。彼らにとって魔術講師とは魔術師としての位階が高さこそが講師の格であり、威厳であった。それを真っ向からぶち壊したグレンに対してハーレイを含む講師達は面白く思わなかったのだ。
「セリカ君の連れてきた講師、凄いそうじゃないか!」
ご機嫌なリック学院長の声が学院長室に響く。
「最初の十一日はえらく評判が悪くて、どうなる事やらと懸念していたが杞憂に終わったようで何より何より」
「くっ……」
ハーレイが苦虫を噛み潰したような顔でうめく。グレンが真面目に授業し出した日以来、彼の授業を受ける生徒が微妙に減少したからだ。つまりハーレイの授業よりもグレンの授業の方が良いと思った生徒が少なからず居た、という事である。
「ふふふ……何を隠そうグレンとコハクはこの私が一から仕込んだ自慢の弟子だからな」
とセリカはドヤ顔で胸を張りながら宣言した。
「なんと!セリカ君、君は弟子を取っていたのかね!?弟子は取らない主義じゃなかったのかな?」
「アイツらは唯一の例外だ。ま、グレンのデキは悪かったけどな」
「ほう、なんとなんと。でも、なぜ今までそのことを隠していたのかね?」
「ん?決まってるだろ?グレンが講師としてダメダメだったらたとえコハクが超優秀でも師匠の私が恥ずかしいじゃないか」
「根本的に似た者師弟だな!?アンタら!」
「よせよ、ハーレイそんなに褒めても何も出ないさ」
「やかましい!褒めてないわ!この師匠バカめ!」
「いやぁ、グレンは魔術の才能は残念なやつなんだが、これがまた努力家でさー。アイツが子供の頃、お前には向いてないから別の事やれって何度言っても聞かなくてさー。それが一応人並みの魔術師にはなっただろ?だから私は知ってたんだよなー、やればできる子だって。あ、そうそう、そう言えばアイツに魔術を教え始めた頃、こんな事があってな––––」
にへらにへらと。セリカは普段の鉄仮面から信じられないほど緩んだ顔で、弟子自慢を始める。そんな聞きたくもないマル秘情報を聞かされながらハーレイはプルプルと怒りで震えていた。
(おのれ、グレン=レーダス、コハクめ……!)
ハーレイは苛立ちに震えながら先日の出来事を思い出す。
「おい、グレン=レーダス!聞いているのか!グレン=レーダス!」
「はい?グレン=レーダス?誰の事ですかね?ボク分からないなぁ…」
「お・ま・え・だ!お前!お前だろうがグレン=レーダスぅぅ!」
「まぁまぁ、ハー……なんとか先輩。そんなに怒ると血圧が上がりますよー?」
「貴様ぁぁ!ふざけているのか!?」
「ハーレイ先生、こんなヤツに言ってもしょうがないですよ、関わらずにスルーが精神的によろしいかと」
そうコハクは言った。
「お前は自分のクラスの講師に対しての敬意はないのか……」
「え?ありませんよ?」
「グレン=レーダス…お前がふざけた授業をするから転入生にすら敬意されていないぞ?」
「はぁ?コハクなんて生意気なガキに敬意なんてありま……痛え!?」
「生意気なガキじゃないんですけどねー」
「なっ!?貴様なぜだ!?仮にも講師だぞ!?」
「え?悪いヤツを叱る事のどこがいけないんですか?」
「お前なんでそんな強気なの!?まぁいい!グレン=レーダス!」
「いちいち姓名合わせて呼んでて疲れないんですかね?」
「やかましい!話の腰を折るな!いくらセリカ=アルフォネアが神域の第七階梯(セブンデ)に至った魔術師とは言え、このような横暴がいつまでも通ると思うな!」
「ですよねー?最近セリカ調子乗ってますもんねー?あれはいつか絶対天罰下るわー」
「今朝もセリカを起こそうとしたらベットに引きずり込まれそうになって、毎朝起こす身にもなって欲しいですよ……」
「お前らはセリカ=アルフォネアをなんだと思っているんだ!?」
「ガミガミ言う母さん」とグレン
「甘えん坊なお姉さん」とコハク
「マジで!?」
(セリカ=アルフォネアをそう断ずるヤツが講師として私よりも格上だとぉっ!?認めん、認めんぞ!)
「それでさー、アイツが一生懸命頑張って、初めてその魔術を成功させてさー、セリカありがとうって泣きついてきてさー。いやー、可愛い時期もあったなー、今はコハクが可愛いけどなー。とにかく、あの一件で私はアイツを見直したね。お前もそう思うだろ?ん?」
ハーレイの煮え滾る心情も知らずにセリカの誰得弟子自慢は続く、今はコハクの弟子自慢に入って来たようだ。
(おのれ、グレン=レーダス!いつか絶対、この学院から追い出してやるぞ!)
顔を赤くしてハーレイは打倒グレンを密かに誓うのだった。
グレンの授業の参加者は日に日に増えていった。最初はシスティーナ達二年次生二組のクラスと他のクラスから少しの生徒のみだったが、徐々に増えていった。更に学院の講師達の中には今までの自分達の行なっていた授業に疑問を持つようになり、若く熱心な講師はグレンの授業から教え方や魔術理論を学ぼうとする者も出始めた。
だがグレンはそんな事など露知らず、やる気なさげな言動を繰り返しながらも授業を進めていた。
「魔術には『汎用魔術』と『固有魔術』(オリジナル)の二つがあって、今日はお前らが誰でも扱えるからと馬鹿にしがちな汎用魔術の術式を詳しく分析してみたが、固有魔術と比較して汎用魔術がいかに緻密にかつ高精度に完成された術なのか理解できたと思う」
トントンとチョークで黒板を叩きながらグレンは言った。
「そりゃ当然だ。【ショック・ボルト】みたいな初等魔術一つとっても、お前らよりも何百倍も優秀な何百人の魔術師達が何百年もかけて、少しずつ、改善・洗練されてきた代物だからな。そんな偉大なる術式様に対してお前らはやれ古臭いだの、独創性がないだの、もうね、お前らアホかと」
「お前らは『固有魔術』はとてつもなく神聖視しているが、実際『固有魔術』は全然大したことない、魔術師としちゃ三流の俺でも作れるんだよ。じゃ『固有魔術』の何が大変なのかと言えば、お前らの何百倍も優秀な何百人の魔術師達が何百年もかけて作り上げて来た『汎用魔術』に対し、『固有魔術』は自分たった一人で術式を組み上げ、かつそれれら『汎用魔術』の完成度をなんらかの形で超えなくちゃならないという一点に尽きる。じゃねーと『固有魔術』なんて使う意味が無い
そう説明するグレンの言葉を聞き、『固有魔術』こそ至高!と思っていた生徒達は頭を抱えた。
「ほーら、頭が痛くなって来ただろ?今日説明した通り、お前らが散々小馬鹿にして来た『凡用魔術』はとっくに隙もなく作られた完成形だ。並大抵の事じゃ、『固有魔術』なんて汎用魔術の劣化レプリカにしかならんぜ?俺も昔やってみたけど、ロクなもんができんかったから馬鹿馬鹿しくなって辞めたわ。はっはっはっ」
この物言いに対して生徒たちのリアクションは笑う生徒と眉をひそめる半々である。グレンの授業手腕は認めても魔術に対してかけらの敬意も払わないその態度に反感を覚える者も多い
「この領域になってくると、センスとか才能が問われるな。だが、それでも先達が完成させた汎用魔術の式をじっくりと追うのは意味がある。自分の術式構築の力を高める為にもなるし、ネタ被りを避ける意味もある。お前らが将来、自分だけの『固有魔術』を作りたいならなおさらだ。ま、こんな事に時間を費やすくらいなら他に有意義な時間の過ごし方があると思うがな……さて」
そう言うとグレンは懐から懐中時計を取り出し時間を見る
「……時間だな。今日の授業はこれまで〜、あ〜疲れた……」
そう言うとグレンは黒板消しを手に持ち消そうとする
「あっ、先生待って!まだ消さないで下さい。私、まだ板書取ってないんです!」
システィーナが手をあげる。するとグレンは露骨にニヤリと意地悪く笑って、ものすごい勢いで黒板の半分を消した。あちこちから悲鳴が上がる。
「ふはははははーーッ!もう半分消してやったぞ!ザマミロ!?」
「子供ですか貴方は!?」
そんな感じで今日もグレンは授業をした。
生徒たちが下校した後、グレンは屋上で黄昏ていた。
「なんつーか、悪くはねえな……」
そういいながらグレンは笑みを浮かべていた。
「おーおー、夕日に向かって黄昏ちゃって、青春してるね〜」
「いつからいたんだよ?セリカ」
そう言われたセリカはニッコリと笑いこう言った。
「さぁ、いつからだろうな?先生からデキの悪〜い生徒に問題だ。当ててみな」
「アホか、魔力の波動もなけりゃ、世界法則の変動も無かった。だったら、たった今忍び足で来たに決まってる」
「おお、正解だ。全く、こんな簡単な落ちが意外と分からないんだよなぁ…。特に世の中の神秘は全部魔術で説明できると信じきったヤツに限ってね」
「何しに来たんだよ?お前明日から学会の準備で忙しいんだろ?」
「おいおい、母親が息子に会いに来ちゃ悪いか?」
「何が息子だ。俺とお前は元々赤の他人だっつーの」
「まぁ、育ての親だよねー」
そう言いながらセリかの後ろからひょっこり出て来たコハク
「お前、いつから居た?」
「セリかの後ろを付いてっただけだよ」
「おお!?気付かなかったぞ!」
セリカはわざとらしく驚いたリアクションを取った。
「嘘つかないでよ、気づいてたでしょ?」
コハクにそう言われ、セリカはぽりぽりと頬をかき
「あー、流石にバレるか…」
そう言うセリカに対してコハクは胸を張って言った
「セリカの嘘はすぐに分かるし」
「あぁ、やっぱり可愛いなお前は!」
「ふぎゅん!?」
感極まったセリカに抱きしめられ、もがくコハクを尻目にグレンは問いた。
「で、なんで来たんだよ?セリカ」
そう聞かれたセリカはコハクを離すと
「いや、最近のお前はキチンと講師をやっているようだからな。お前が頑張ってくれて嬉しいぞ。目も生き生きしてる、まるで死んで一日経った魚の目をしてる」
と、笑顔で言った。
「心配かけて悪かったな」
「いや、いい私のせいてもあるからな……きっと私も親バカだったんだろうな。私はお前達の事が誇らしくて、それで−––––」
「よしてくれ、何度も言ったがお前は関係ない。浮かれてのぼせて現実を見てなかった俺が馬鹿だっただけだ」
「それでもグレンはまだ魔術嫌いだよねー」
「……なるほどな、お前らは俺に魔術の楽しさを思い出させようとして魔術講師か?」
「まぁ……そうだな」
「あーくそ…そう言う事かよ。じゃあなんだ?最初から魔術楽しい!って思ってりゃ俺は非常勤講師なんぞにねじ込まれずに済んだのか?」
「馬鹿、それとこれとは話は別だ。いい加減自分の食い扶持くらい自分で稼げ」
「あーあ、聞こえなーい」
「この駄目男が……まぁいい、社会復帰が順調でなによりだ。その調子で例の病気も治しておけよ?」
「病院だぁ?俺は健康だっつーの」
「自分は他人と深く関わること資格は無いと思っている。なるべく他人を自分に近づけたくないと思っている。––––それ故にあえて他人の神経を逆なでにするような態度を取ったり、好意を向けてくれる人に対して素っ気ない態度を取る……そんな病気」
「うっ…」
そう言われたグレンは脂汗をかいていた
「お前の場合過去が過去だが……それは本来なら子供の病気なんだぞ?それをこんなに拗らせちゃって…まぁ社会復帰のついでに治して行けよ?」
「うっ、うっさいわ!?大体、好意を向けてくれる人うんぬんは俺のせいじゃねーぞ!?ガキの頃からお前みたいなスタイル群バツの女に見慣れちまったら、そんじゃそこらの女なんか興味持てるかっつーの!?」
「ほぉ?つまりお前は母親に欲情していたのか?」
「うわー…グレン、それは流石に無いよ……」
セリカはニヤニヤとグレンを見る中、コハクは背筋が凍るような目でグレンを見ていた。
「うっさい!?というかお前は何とも思わないのかよ!?」
「思わないけど?」
「え?マジで?」
「じゃ、私は明日からの魔術学会の準備があるからそろそろ行くぞ?」
「……ああ。帝国北部地方にある帝都オルランドまで行くんだろ?」
「セリカ、いってらっしゃい」
「ああ、行って来るよ。……そうだ、私を含めた学院の学会出席者は今夜、学院にある転送法陣を使って帝都まで転移する予定だ。まぁ、お前も明日からの授業、頑張れよ?」
「はぁ?明日から学院は五日間休みだろ?」 俺は非常勤だから参加しないが、明日からお前達教授陣や講師達は揃って件の魔術学会だろ?それに合わせて学院は休校になるんじゃないのか?」
「ああ、それはお前のクラスだけ例外だ。なんだ聞いてなかったのか?お前の前任講師のヒューイがある日、なんの前触れも無く突然失踪してな。お前のクラスだけ授業進行が遅れてるんだ。だからお前のクラスだけその穴埋めする形で休み中に授業が入ってるんだ」
「聞いてねーぞ!?……ん?待てヒューイってヤツは身の上の都合で退職したんじゃなかったのか?」
「それは一般生徒向けの話だ。そもそも正式な手続きで退職したなら、代わりの講師が一ヶ月も用意できないなんて事態が起こる訳ないだろう?」
「どーにもきな臭い話になって来たな……」
「まぁ、近頃はこの辺も何かと物騒だ、お前に心配は要らんと思うが、私の留守中気をつけてくれ」
「ああ…」