エターナルメロディ・悠久幻想曲SS集 恋と冒険と鉄骨と 作:レトロ騎士
青年とお姫様と月の話 序章
見上げれば月。
大きく、神秘的に輝く、美しい円が、そこにある。
漆黒の空に散りばめられた星々の輝きをかき消すように淡い光を発するその姿は、それが王者たる太陽のそれを映すだけの偽りのものだとしても、やはり美しい。
古来より、月は世界中で信仰の対象となり、不可思議の原因とされたのも、『偽りの光』という独特の神秘性を持つが故なのかもしれない。
そんな月光の怪しい魔力にあてられたのか、今、一人の黒髪の青年が木々に囲まれた小さな丘の上で、ごろんと寝転びながら、ぼうっと空を見つめていた。
汗ばんだ体にはちょうどいい風だ、と、誰に言うでもなく呟く青年のその顔は、お世辞にも凛々しいとは言えない、だらけきったものだった。それでも、どことなく愛嬌のある笑みに、好感を持つ人も少なくはないだろう。
青年――と言い切るには、まだあどけなさが残る彼の頭上を、ささぁ……と草々を分けながら、風が巻いて流れていく。
普段は生暖かく感じる風も、先ほどまでこの丘で剣を振り回し続けて火照った体には、冷たささえ覚える。
それは過去に剣道部に打ち込んでいたときのそれと良く似てはいたが――枕代わりにしている相棒のさらなる冷たさが、それがすでに過去のものであるということを教えてくれた。竹で出来たそれとは違い、触れるだけで伝わるような重量感。特注に日本刀に近い形であつらえたそれは、明らかに生物を殺すために作られたものだ。
それを鍛錬とはいえ手にしている事に改めて自覚する。
自分が、異邦人であるのだと。
たとえ異国の地に居ようとも、故郷に手紙を書いたり、電話で会話できるのなら構わない。
いや、それすら叶わず、たとえ拘束されて動けなくとも、この同じ空の下に故郷が続いているのなら、それだけでも救いになる。
でも、ここは――。
「……笑っちゃうね、ホント」
何の因果か青年が「こちら」にやってきて、二年になる。「帰る」為の旅に出て一年。それが失敗に終わり、かといって再挑戦する気も薄れたため、旅の最中奇妙な縁を築いた、とある少女のお世話になって、さらに一年と少し。
気づいたら、今ではその少女――一国の王女だという彼女の、近衛団の隊長にまでなってしまった。
とはいえ、大きな連合に加盟し平和調停が広い範囲で行われた中の小国であり、また護衛すべき「お姫様」は、何人もいる王位継承位の中で最下位にいるため、王族の誰かに命を狙れるようなこともなく。
結局『第三王女近衛団長』というのもの建前でしかない。なにしろ、近衛団は青年一人しか居ないのだからして。
せいぜいが、お金持ちのお嬢様の世話係、そして申し訳程度のボディガード、といったところか。
もっぱら、「お姫様」の我侭――とはいえ可愛いおねだり程度のそれに応えるのが、今の彼の仕事である。
しかしそれでも、いつ、なにかがあったときの為――彼は、毎日ここでの鍛錬を日課としていた。
鍛錬。それはこの剣と――
「エネジー・アロー!
(魔法!)
突如聞こえてきた男の声に、青年は剣を掴みながら跳ね起きて地を蹴った。「何か」が青年を掠めるように飛来し、地面に激突する。
ぼふん! と、大き目の花火が爆発したかのような音と共に、煙が先ほどまで青年が寝転んでいた地面の上で、燻るように充満していった。
飛来物がやってきた方向に目を向けると、一人の大柄の男が先ほどの不意打ちを悪びれた様子もなく堂々と歩いている。
銀の髪、明らかに尖った耳、頬に痣のように走る刺青が、彼の印象を決定付けさせる。
「ったく、いい加減不意打ちはやめろってんだ、カイル」
毒づいた彼の言葉もどこ吹く風。カイルと呼ばれたその男は小バカするように長い耳に小指を突っ込みながら、
「ふん、寝惚けてはいないようだな」
と、一言だけ答えた。
カイル・イシュバーン。それが、この風変わりな美丈夫の名前である。
故郷に戻る旅の最中、カイルもまた何かと競い合ってきた悪友だった。
「弱い貴様でも避けられるよう、手加減だけはしてやったこのカイル様をありがたく思うんだな」
「ガチバトル78戦で、40勝してるのは俺だろが。なんでそんなに自信満々なんだ、バカイル。だいたい今日は前回の負け分に、俺の魔法鍛錬に付き合ってもらうはずだ
魔法。本来なら漫画やゲームなどのフィクションにしか存在しない、不可思議の現象。だがそれも「ここ」では現実だ。その魔法の力を頼りに、彼は一年もの間、旅をしたのだから。
願いをかなえるという、暁の女神を求め、彼は故郷への帰還を、カイルは魔王の復活を目的に旅に出た。そして旅が終わった今、ライバル(カイルの一方的な片思いではある)として、こうやって何度もお互いの腕試し勝負を繰り返し――いつのまにか、敗者は勝者の鍛錬のサポートをすることが、お互いの暗黙の了解となっていた。
二人とも自分の得手不得手を自覚し、口には出さないが相手の実力を認め合っているからこそ、このルールは賞品としての価値があった。
素直に教えあえばいいのだろうが、それが出来ないあたりがカイルの不器用さであり、青年が彼を憎めないところであった。
剣では青年に、魔法ではカイルに大きな分があるが、総合では互角。何度かの「ケンカ試合」を通じ、確かにこいつには負けたくねえ、という心が燃え出したあたり、認めたくはないが確かにライバルなのかもな、と青年は笑う。
「ふん、余裕の笑みか? だが、それも今のうちだけだろうよ。オレの編み出した究極魔法をマスターしたければ、地獄の特訓に耐え抜いて――」
「そういうのはいいから基本的な魔力制御法とかを頼む」
「んだとテメェ!」
と、カイル怒鳴るが、それでも「しかたねーな」と素直に魔法指導を始めるあたりが、らしいといえばらしい。
カイルの教えに従い、青年が己の魔力を血液の循環のように深めていくと、先ほどまで気づかなかった闇の中の動植物の息吹が感じられる。
闇に支配されている木々の新緑は、夜の中でかろうじてその色合いがわかる程度には、空に怏々にして皇々と座する月に照らされている。
美しいが、たぶん、どこにでもある光景だ。だが、この「どこにでもある」はずの草木ひとつにしても、もしかしたら、彼の故郷には存在しない植物なのかもしれない。
なぜなら――。
ここは、マリエーナ王国。それが属するのは、魔法が理を表し統べる世界。青年にとって、『異国』ではなく、『異世界』と称すべき場所である。
見上げれば異界の月。
恐怖を感じるほどに大きく、怪しい色彩で神秘的に輝く、畏怖さえ覚える美しい円が、そこにある。