エターナルメロディ・悠久幻想曲SS集 恋と冒険と鉄骨と   作:レトロ騎士

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第四話 『咎人の慟哭』

        ◇

        

 あか。

 アカ。

 赤。

 

 愛しい青年に少女が初めて抱きしめられたのは、美しい湖畔の木陰でも、優しく照明が影を映しだすベッドの上でもなく、地獄のようなマグマが踊るダンジョンの中。

 

 夕焼けの色。

 情熱の色。

 血の色。

 

 青年が愛しい少女を初めて抱きしめた感覚は、小さな双丘の柔らかさでも、甘く艶やかな吐息でもなく、流れ出ていく液体に徐々に強張り震え始めた硬い全身。

 

「……レ……レミット……?」

 

 何が起きたかわからないまま、彼女の背中に手を回して、その手がぬるりと『肌』の上をすべる。

 その背中は、服が焼け焦げ素肌が晒され、灼熱に犯されていた。

 

「だい……じょうぶ?」

 

 レミットが、笑顔で問いかけたが、青年はまだ現状を理解できない。

 だって――それは、青年が少女に言うべきことだからだ。

 あってはならないことだからだ。

 あるはずがないことだから――

 

 けふっと、少女の口から赤い液体が舞う。

 幻想的で美しくすらあるその光景が、現実のものだとようやく理解し始めて、

 

「……あ……うぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 青年は、吼えた。

 

 

        ◇

        

 誰も何も言葉を発しない。

 聞こえてくるのは、静かな空間に、小さな啜り泣き、誰かが落ち着き泣く歩き回る靴音、耐え切れなくなったように壁をドンと叩く音。魔族の青年の、いらだったような舌打ち。

 そこにあるのは、温かみの無い無機質な音だけ。

 全てのパーティのメンバーが、宿屋の待合室で、一人の少女の無事だけを祈っている。

 

 もう、何時間が過ぎただろうか。

 レミットがその生命の淵で戦っているだろうその部屋の中では、回復魔法に長けた者や、医術の知識のあるものが、己の持ちえる全ての技術をもって少女の命を支えているはずだ。

 

 がちゃり、と不意にノブが回る音が響き、全員が一斉にそちらに顔を向ける。

 中から、暗くはあるが、だが確かに安堵が見て取れる顔で、治療メンバーと侍女長アイリスが姿を現した。

 聡く冷静だった者は、その時点で同じように安堵の吐息を漏らした。

 もしも、あの小さな王女が、その胸の鼓動を止めたのであれば、治療メンバーはもっと辛い顔をしているだろうし、なにより主従を越えた愛敬を持っているアイリスが、取り乱さないはずが無いからだ。

 ただ、疲労だけとも思えない、その顔の暗さに、何があったのかと不安に胸がざわめいていた。

 

「レミット…レミットはどうなった?」

 

 それまでうつむいたまままったく動かなかった青年が、時を止めたままの皆を代表するように、問いかける。

 それを、やはり医療メンバーの代表をするように答えたのは、アイリスだった。

 一度、自分を落ち着かせるためか、胸に手を当てて大きく息を吸い、

「……一命は、取り留めました。私と楊雲さんの魔力が尽きてしまったので今日はここまでですが、明日、明後日と今日と同じように回復魔法をかければ、おそらく傷は完全に塞がる筈です」

 先ほどとは違い、今度は全員が安堵に緊張を解く。

「よかった……ほんとうに……」

 本当に、全身の力が抜けたのだろう。青年は膝から崩れ落ちるように床に手を着き、言葉を繰り返す。

 だが、非常な言葉が、すぐにアイリスから発せられる。

「まだ、安心されるのは早いです」

「えっ……」

 声を詰まらせながら青年が顔を上げると、沈痛な思いで顔をゆがめている、侍女の姿。

「えと……火傷の痕が…消えない、とか?」

「いえ、魔法の炎だったので、イフリートが消滅すると同時にそれも消え、火傷は表面上だけで済みました。こちらは、魔法で消せると思います。……ただ、重要な臓器を傷つけなかったのは奇跡だったでしょうが、炎の槍は背中からかなり深く突き刺さってしまったので、そちらの傷痕は……一生消えることはないと思います」

「そう、か……」

 確かに、背中とはいえそれは女性にとって非常にショックなことかもしれない。

 だが、アイリスの表情が、苦しむべきはそのことではない、と伝えている。

「ですが、問題は、そのことではありません」

「……」

 予想していたことだが、それだけであって欲しいとかすかに希望も持っていた。しかし、現実はやはり冷たい事実を突きつけてくる。

「姫様は……熱に侵されました」

「熱に……侵された?」

 言葉の意味がわからず、オウム返す青年。そんな彼に、どう説明したものか、とアイリスが言いよどんでいると、

「そこからは……私が説明します」

「楊雲?」

 長い黒髪を携えて、ゆっくりと青年に近づく少女、楊雲。

 世間では不幸を運ぶと噂され、無理解から忌み嫌われるという、影の民。

 だが、皆は知っている。

 彼女が、誰よりも優しいその心を痛めながら、人から誤解を受けながらも、人を救おうとその力を振るう覚悟を持ったことを。

 そして、その知恵と能力の、大いなる力を。

「レミットさんの傷の治療は、無事に終わりました。しかし、その体に、イフリートの魔力が入ってしまったのです」

「それは……どういう問題があるんだ?」

「魔力の炎は、その言葉どおり魔力によって燃えています。ランタンの油が切れれば火は消えるように、魔力が途切れれば消えるのです。そのおかげでレミットさんの肌を焼いていた炎はすぐに消え、火傷は軽症ですみました。ですが……」

 一瞬止まる、楊雲の言葉に、疲労を隠さないままの学者人、メイヤーが言葉を続ける。

「炎の槍がレミットさんに刺さり、その瞬間に魔力が途切れたことで、魔力の炎はすぐ傍にあった別の魔力を糧にしたのです」

 それは、レミットの体内、血液によって巡る、彼女自身の魔力。

 楊雲が、首を振って口を開いた。

「本当は……こんなことは、まず起こらないんです。人の魔法も確かに魔力を伴いますが、その主体は『すでに発生した』炎、氷そのものであって、魔力は補助に過ぎません。しかし、イフリートは存在自体が魔力そのものであり……なによりレミットさんの魔力が人の身においては桁外れに大きかった」

 仮にも、王家の血を引くレミットである。まだ使いこなすことができていないだけで、潜在的な魔力は、一般人のそれをはるかに超えるとは、アイリスの言だった。

「それでも……そういう『可能性』の要素はいくら大きくても……レミットさんの魔力が侵されたのは、本当に小さすぎる偶然で起きた、不幸でした」

 目を伏せる、楊雲。

 いつになく饒舌に、それだけ必死だということだろうが言葉を連ねた少女。

 だが、説明は終わりではない。肝心のことは、まだ何も楊雲は言っていない。

「説明は、もういい。何故そうなったのかは、どうだっていい。……それで、レミットはどうなる」

 だから、青年はその先をなかなか口に出さない、影の民の少女に、八つ当たりとわかってはいたが苛立たしげに問い詰めた。

 んっ、と、少女は一瞬息を詰まらせ、

「熱の原因は、体全身で起きる微細な魔力の燃焼。そして、燃焼によって燃やすのは、魔力と……そして生命力。人の身であれば、1ヶ月もちません」

 

 

        ◇

        

「んっ……」

 寒い。

 それが、レミットが目を覚ましたときの最初の思いだった。

 額に、何か冷たいものが乗っている。

 どうやら氷水で濡らしたハンカチらしい。

 だが、不思議とその場所のほうが暖かく感じてしまうのは、どういうことだろう。

 そんな疑問を持ったまま、気配を感じて目を動かすと

「レミット……よかった、気がついたか」

「え……ええ?」

 視界に飛び込んできたのは、少女が恋焦がれる、青年の顔。

 いつものように、顔が急激に熱くなって――熱い。

 全身が、熱い。

 少女は、いつにない体の火照りが、決してあの胸が切なくなる大切な感覚とは別のものだと、瞬時に理解した。

 これは――何かがおかしい。

 熱いのに、寒い。

 額は、冷たいのに、暖かい。

「あ、あれ?私、どうして……ってアンタ、大丈夫だった?」

 それは、こっちの台詞なんだが、と、青年は苦笑しながら、「お前のおかげで無事だ」と告げる。

 そんな青年の様子に心底安心したように、少女に美しい笑顔が生まれた。

 いつもなら、青年にとって見惚れてしまうものだろうが、今は、そんな気分にはなれず、作り笑いに似た顔でレミットを見守っていた。

「ね……それで、ここはどこ? それに、私はどうなったの?」

 少女の問いかけは、当然のことだろう。だが、青年はそれに対して、非情な現状を伝えなくてはならない。

「なあ、レミット……落ち着いて、俺の話を聞いてくれ」

「……?」

 

 そして、青年は、ゆっくりと語る。

 あのとき、何が起こったのか。そして、少女の身に何が起きたのか。……そして、このままだとどうなってしまうのか。

 ひととおりのことを話しながら、青年はレミットの顔を見れなくなっていった。

 自分を助けたせいで、命が尽きようとしているという事実。

 事実を告げるたびに、自分の心が切り刻まれるような痛みを感じたが、それから逃げるわけにはいかないと、時折唇をかみながら青年は続けた。

 それが、まるで自分に与えられた罰であると、思いたいがために。

 

「そう……そうなんだ」

 レミットに罵られることを覚悟して、ようやく青年は顔を上げると、

「……え?」

 信じられないほど穏やかで、そして何かを達成したかのような心のそこからすっきりとしたような、そんな顔で笑っている、レミットの姿。

「アンタは、無事、なのよね?」

「ああ、さっき言ったとおりだ」

「うん、よかった。本当に」

 それで、全ては解決したと言うように、レミットは頷く。

「な……んで」

「え?」

「なんで、責めないんだよ!」

 青年は、罰を受けたかった。だから、心の痛みを罰だと思いたかったのだ。

 誰も、青年を責めなかったから。

 彼女のパーティも、アイリスですらも、何一つ青年を責めなかったから。

 感情を抜きにそれを判断するなら、責任はレミットにある。

 たとえ、それが誰かを助けるためであっても、自身の行動の結果を背負えるのは、自分だけなのだから。

 それが、冒険者のルール。どれだけ幼子であろうと、自らを危「険」を「冒す」者と名乗る以上、絶対の契約だ。

 それを、どれだけ諭されても、どれだけ、慰められても。

 青年の心は見えない牙で突き立てられていく。

「責めればいいじゃないか!罵ればいいじゃないか!……俺のせいだって! ずっと気が抜けていた俺が悪いって!」

 自分が救われたいがために、罰を求める。それが、どれだけ浅ましいことか自分でも自覚していたが、青年はそうするしか思いつかなかったのだ。

「なんで……なんで、俺をかばったんだ。お前には、俺なんかより大切な願うべきことがあるはずじゃないか……」

 一瞬だけ、レミットがびくりと体を震わす。

 だが、レミットは、自分以上に震えて、声を詰まらせる青年を見つめる。

 そして――

「そっか……自分が、許せなかったんだね。……大丈夫、貴方の罪は、私が全部背おって、許すから」

 レミットは、ベッドに体を横たえたまま起こした上半身から手を伸ばし、青年の頭を胸に抱く。

 始めは優しく。そして、徐々にこめる力に確かな想いを込める。

 レミットには、青年の気持ちが、完全に理解できる。

 なぜなら、今の青年は、『前』の自分そのものなのだから。

 違うのは、あの時は、青年の姿がもう無かったということだけ。

 だから、わかる。

 何が悔しくて、何が許せなくて、何を求めているのか。

 そして、だからこそ、言って欲しくない言葉がある。

「お願い。二度と『助けなければよかった』なんて言わないで。それだけは、絶対に許さない」

 だって、それは――私を助けた、貴方をも冒涜することになるから。

「……ぁ…うあぁぁ……」

 優しく、青年の髪を梳くように撫でるレミット。そうするたびに、少女の小さい胸の中から聞こえる青年の嗚咽が、大きくなっていく。

「ごめんね……つらかったよね」

 

 異世界に飛ばされた理不尽への不安、冒険の中の痛みや苦しみ、レミットへ想いを告げられない切なさ。そして、呪っていた自分の愚かさ。

 全てが、この愛しい少女に溶かされて――

 

「――うぁぁぁぁ!」

 

 青年は、この異界の地で、初めて、大声で、泣いた。

 

 

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