エターナルメロディ・悠久幻想曲SS集 恋と冒険と鉄骨と 作:レトロ騎士
◇
夢を見ている。
それは、向こうの世界にいたときの記憶。
レミットに事実を打ち明け、少女の前で声を上げて泣き、照れくさそうにしながら部屋を出ようとして、
「ああ、忘れていた、レミット」
ずっと渡そうとして、渡せなかったそれを、青年はようやく彼女の前に差し出す。
「……? なに、これ?」
「見舞いの品」
「私が目が覚めるまで、アンタはずっとこの部屋にいたんでしょう?いつ買う暇があったの? ……正直に言わないと悲鳴を上げて『襲われた!』って皆に言うわよ?」
「……ゴメンナサイ、嘘つきました。いつも俺たちのパーティを助けてくれるお礼に買っておいたけど、今まで照れくさくて渡せてませんでした!」
流れるような美しい土下座で額を床に押し当てる青年に、ちょっとだけドン引きしながらも、レミットはその小箱を受け取った。
「そっか……じゃ、じゃあ、プレゼント、ってことでいいのかな?」
「おうっ!……だけど、ついで、だからな? 俺のパーティの皆にも感謝のつもりでプレゼントはあげたから、そのついでだ」
ありがとう、とレミットは一言嬉しそうに呟いて、箱を開ける。
出てきたのは、水晶のネックレス。決して高価ではないだろうが、シンプルなつくりの割には細部の見えないところに細かい装飾が作りこまれている。
王女であるレミットは、もっと高価で豪華、質のいい宝石のアクセサリーをいくつも持っていたし、実際につけてもいた。
だが、この水晶を見たとき、なぜかソーブルの湖での、青年との思い出が脳裏によぎり、心に暖かいものが流れ込んでくるようで、少女にとってこの水晶のネックレスは最高の宝物となった。
「うれしい……本当に、嬉しい」
泣きそうなまでに微笑んでいるレミットに、青年はどぎまぎしながら照れている。
「じゃあ、私も、『ついで』に、いつも助けてくれるお礼させてくれる?」
レミットのそんな返答に、青年は「え」と戸惑いながら頷くと、少女は、着ているドレスの胸元をはだけさせて――
「ちょ、ちょっとレミット!? な、何のつもっぶっ?」
「顔赤らめてるんじゃないの!バカ!」
青年の勘違いに気づき、顔を真っ赤にして枕を投げつけてその先を言わせないレミット。
「もう……ほら、手を出して?」
枕をぶつけられた顔をさすりながら、青年が手のひらを出すと、そこに小さなブローチが置かれた。
「え? これ……」
「私が、子供の頃からずっとつけてた、アミュレット。……私が持っている物の中で一番大切……だったもの。王家の刻印入りなんだから、大事にしてよね」
「え、それって……すごいもの、なんじゃないの?」
「宝石だけならたいしたことないわよ? でも王家の刻印が入ってるから、王国内ならいくつかの施設の無条件利用と、属国で場所によっては国賓扱いされたり、いろいろ特権も使えちゃうと思う」
「お、おい、そんな大切なもの受け取れ……」
「受け取って」
有無を言わさぬ、強い言葉。
「受け取って、欲しいの」
「でも、一番大切な物、なんだろ?」
「だった、よ」
えへへ、と、自慢するように、青年が渡したネックレスを首につけながら、
「だって、ついさっき、一番大切な物はコレになったんだもの」
そう、笑った。
◇
これは、夢。
向こうの世界での、青年にとって最後の優しい思い出。
目が覚めたとき、青年は泣くだろう。
なぜ、今のが夢であったのかと。なぜ、今俺は彼女の傍にいないのだ、と。
ならせめて、夢の続きを見させてくれ、と。
だが、その夢の続きが悪夢であることを、青年は知っている。
大切な少女が失われる、悪夢だということを。
それでも、どんな悪夢も覚めてしまえばそれまでだ。
夢だったとわかれば絶望は終わる。
だが、悪夢から覚めてもそれが「夢だったと気付くこと」そのものがさらなる絶望であるなら――もう、青年に救いはない。
◇
あの事故から三日目のことである。ノックもなしにその病室に入り込んできたのは、病室の主の友人であった。
「よう、元気か?」
「……ああ。見てのとおり、怪我だらけだけどな」
「違いない」
青年の冗談に、彼は苦笑する。
もっとも、冗談を言った青年のほうがまったく笑っていないことに対する、諦めにも似た笑いでは在った。
怪我だらけ、とはいうものの、実際のところは大怪我、と言うことのほどではない。
いくつか骨にひびが入っていることと、数箇所の打撲以外、大事に関わることはないらしい。もっとも、脳に大きな影響がないか、精密検査は後日行うそうである。
ただ、面会謝絶ということもなく、こうして通常の面会ができることは、幸いなことだった。
「アイツは?」
「さっきまで見舞いに来てたよ。今日は平日なんだからちゃんと学校に行け、って言ったら、しぶしぶ行った」
「……今日くらいは多めに見とけよ」
「わかってる……けどさ、ボロ、出しそうなんだよ。俺が」
何の、とは聞かない。聞くまでもない。
それについては、昨日散々話したのだから。
「まあ、アイツにそんな話したら、二重の意味でぶっ倒れそうだからな。あの話を言うのは俺だけにしとけ」
「わかってる。……ところで、なんで二重? 異世界云々は、俺の頭を心配するだろうけど、もう一つは?」
「教えてやらねえ」
異世界、という突拍子のない青年の言葉に、彼はもう驚くでもなく、いつものように軽口を返す。
俺も、だいぶ頭がやられてきたのかな、とあの日の青年とのやり取りを思い返しながら、彼は皮肉げに唇を曲げて笑った。
◇
彼の元に、悪友である青年の事故の情報が届いたのは、講義をサボり漫画喫茶で昼寝をしていた金曜の午後のことだった。
厚めの単行本を重ねた枕に頬をよせ、追試を受ける悪夢にうなされていた彼を救った、携帯の着信音
自分と年下の悪友との共通の幼馴染である、彼女からの着信に、まどろみのまま出てみれば、聞こえてきたのは絶叫のような泣き声。
一瞬で脳が活性化して、「どうした」と低い声で問いかける。
文章どころか呂律すら回らないほど狼狽した彼女に、彼は落ち着かせる意味もあって、努めてゆっくりと、声を低くして声をかけ続ける。
何かあったことは、それも極めて悪いことが起きたのは間違いない。
でなければ、普段は少々ヒステリックながらも芯の通った彼女が、ここまで取り乱すはずがないからだ。
それに――
「アイツに、何かあったのか?」
泣き声が悲鳴から嗚咽に変わったのを確認し、彼は悪友である『青年』について問うた。
何一つ情報が得られないこの状況で、彼は『青年』に何かがあったことを、ほぼ確信していた。
彼女がここまで取り乱すような状況は限られている。
だが、もし彼女自身、または彼女の家族や友人に何かあったのなら、物理的に不可能でもない限り、彼女は間違いなく一番に『青年』に連絡を取り、相談するからだ。これは推測ではない。確定されたことだ。
さらに少女から『青年』に連絡が行ったのなら、取り乱したままの彼女ではなく、『青年』から自分へ連絡が来なければおかしい。こちらは推測だが。
なのに、悪友の『青年』ではなく少女から自分に連絡してきたということは、『青年』に何かあった以外に考えられない。
「っえ……えぐっ」
嗚咽は変わらないが、妙な振動音が一緒に聞こえた。おそらく、受話器を持ったまま頷いたのだろう。
「俺が質問する。それにだけ答えてくれ」
変わらぬ嗚咽を、肯定だと認識する。
「お前は、無事なんだな? 安全な場所にいるか?」
うん、とだけの返答
「お前は、今どこにいる?」
「ひくっ……雲野総合病院……」
病院――ということは、病気……いや、事故か。少なくとも無事、ということはないのだろう。
状況をきっちり理解したからこそ、彼女は精神的パニックに陥っているのだから。
病院まで、近いというほどではないが、乗ってきたバイクを飛ばせば20分とかからない。
ならば、彼女を落ち着かせて電話で事情を聞いていくより、実際に会い、現地で情報を得たほうがいい。そう判断して、彼はマナー違反だとわかりつつも、持ち出したコミックを机にそのままにしたまま会計を済ませて、駐車場のバイクへと向かう。
バイクの前で、ぎりぎりまで情報を得ようと今までつないでいた電話を切る前に、一番肝心なことを、彼女に聞く。
現地に着けばすぐにわかることだろうが、それでも、これだけは確認しないと、彼自身も平静ではいられないと思ったから。
「アイツは、生きてるんだな?」
答えは嗚咽で聞き取れないが、頷いているような気配が伝わってきて、彼はひとまずの安堵の息と共に、バイクのエンジンに火を点した。
◇
病院で、彼女からではなく――結局、取り乱して話が聞き取れなかった――医師から直接話を聞いた結果、青年は近所の工事現場で発生した建築機材の落下事故に巻き込まれたらしい、とのことだった。
奇跡的にも大きな怪我はなく、いくつかの骨折と打撲と裂傷だけで、直接的には命に別状はないらしい。
ただ、痛みのショックで気絶したまま意識が戻っておらず、頭を打った可能性だけが心配される、ということだった。
青年には身寄りが無く、遠縁の親族もすぐにはこれないだろうということで、家族同然である二人は特別に泊り込みの付き添いが認められ、二人で見守っていたのだが。
一時は意識不明だった青年は、翌日には一度意識を取り戻し――そして、直後に混乱からか暴れたことによる激痛で、再び意識を失った。
そのさらに翌日に目を覚ましたとき、青年は再び暴れだしたのだが、ちょうど交代で見舞っていた彼が、『彼女』に電話でしていたように低い声で問いかけ続け落ち着かせると、どうにか話をすることができた。
が――正直、彼には青年がおかしくなったとしか、思えなかった。
異世界に行った。
仲間となった少女たちと魔宝と呼ばれる秘法を集める冒険の旅に出た。
そしてついには暁の女神の力で元の世界に戻って『きてしまった』。
だが、大切な少女の命を救えないままでいる。
「だから、俺は早く向こうに戻りたい。……もう一度、あの工事現場に行く」
冗談ではないのだと、長い付き合いの彼は理解する。
だが、それはあくまで青年がそう思い込んでいるからであり、その話が真実だと思うからではない。
それは夢だと、彼は青年に何度も言った。
事故からまだ数日しかたっていないこと。
事故直後に運ばれてからずっと眠っていたこと。
そして、本当に、本当に自分もあの子もお前を心配していて、安静にしていて欲しいこと。
その言葉に、青年は徐々に落ち着いていった。
はじめは、青年が混乱から覚めたと、彼は安堵していたのだが、
「わかった。……誰も、信じてはくれないということが」
と、そう言った青年の言葉に、彼は自分の心が折れる音が聞こえた気がした。
愕然とする彼に気づいたのか、青年はそのまま言葉を続ける。
「……すまん。お前は正しいよ。俺とお前が逆の立場なら俺もきっと信じないだろう。そしてお前が信じていないのは『俺の話』であって、『俺』を信じていないわけじゃないってことも、わかってる」
精神と言うのは、肉体と同じように当たり前に病むものだ。
病んでいるのなら、それはまともには機能できない。
自分の精神、思考が異常であることに、自分自身では気づけない。
その判断は第三者がするしかないということは、青年は昔から理解していることだ。
だから、親友の行動は正しい。そこで無根拠のままの話を信じるのは、信頼でも絆でもない。ただの阿呆だ。
「理屈ではさ、そうなんだろう。俺の話は、俺でもおかしいと思う。数日しか経ってないのに一年旅していたなんて、矛盾していることも理解してる。だから、きっと、ここでは俺は異常で、狂ってるんだろう。でもさ……俺にとって、それは現実だったんだよ。もし、あの世界のことを、あの冒険のことを、『アイツ』のことを現実じゃないと認めちまったら――俺は、狂う」
詰んでるんだよ、と、青年は泣いた。
その姿を見て、悪友で、そして何より親友である彼は、理解してしまった。
青年の、話が、青年にとってどうしようもなく真実なのだと。
青年は、自己が語る話について、何がおかしく、何が矛盾し、それがどれほど「非現実的」なのかを、ちゃんとわかっている。
そしてその上で、それが現実と認識している、と語っているのだ。
ある日突然、世界が変わったようなものだ。
朝起きたら、自分の名前が変わっていたら、どうだろうか。
ずっと山田として生きてきたはずなのに、ある日目が覚めたら、鈴木になっていたら。
家族に聞いても、友人に聞いても戸籍を調べても、テストで自分が書いた名前を見ても、出てくるのは自分が「鈴木」であるという証拠だけ。
自分の持っている思い出と家族や友人の持つ思い出は一致している。「苗字が違う」こと以外、なんら変わりはない。
常識的に、すなわち世界の持つ現実に順じて考えるのなら、自分がおかしくなった、「山田」だと思っていたのは妄想だった、ということだろう。
だが、自分の持つ現実に順ずるなら、「世界」が変わったのだ。
その「世界が変わった」という結論が、どれだけ異常だとわかってはいても。
それで、何が不幸になる、というわけではない。
山田であることが妄想だったのだとしても、山田である世界が鈴木である世界に変わったのだとしても、慣れてしまえばいいだけだ。
妄想であったと結論付ければ、その世界で生きていける。
真実であっても、じゃあ鈴木でいいかと受け入れてしまえばそれだけだ。
でも、それが決して変わってはいけないものだったら?
それを否定することが、決して許されないものだったら?
青年は、「詰んでるんだ」と言った。
もし、経験したことが現実だとするなら、「この世界」の道理で矛盾する以上、それを認めるのは狂人でしかない。
もし、夢や妄想だとするなら、それを受け入れた時点で「少女」を現実の存在として愛する今の精神は、崩壊する。
本当の意味で狂っていたのなら、きっと青年は楽だったのだろう。
理屈を無視し、異なる意見は耳にせず、自分だけの世界を見ていればいい。
止めるものを愚か者と哂って敵視すればいい。
ただ少女に会えないこの世界を呪っていればよかった。
なのに、そうはならなかった。
自分が「狂人」になる以外に選択肢がないなど、狂人でない思考を持つものには絶望でしかない。
だから、彼は泣いたのだ。
親友として、青年にかけるべき言葉が見つからない。
当然だ。どれだけ青年にとっての真実だと理解しても、「自分」にとっては違うのだから。
同情で話を合わせることは、青年を狂人として扱うことに他ならない。
だが、青年の話を否定するのは、青年自身がその論理矛盾を理解している以上、傷口に刃をつきたてるのと変わらない。
彼は悩む。
自分は、いったいどうすればいいのか、と。
親友なら、すべきことは決まっている。とにかく彼が元に戻るまで、必死に支えてやればいい。
いつか妄想が消えると信じて。
でも、それでは、駄目だ。
きっと青年には、「妄想がなくなること」ですら、壊れる要因になる。
その「妄想」は、どれだけ青年を傷つけようと、無くなってはいけないものなのだ。
だが、だからといってその妄想をもたせ続ける支援など、親友がすべきことではない。
そう――「親友」ではだめなのだ。
ならば、どうするべきか。
「親友」として接することが無理ならば――決まっている。
「そりゃあ……やっかいな女に惚れたもんだな」
だから、彼は「悪友」として、にやりと笑った。
なんていうことはない。これは、馬鹿な男の話なのだ。
『世界』や『常識』なんてどうでもよく、『女』のためにどうするかという、男の愚かさそのままの、馬鹿な話。
惚れた女が幼馴染だろうが、同級生だろうが、アイドルだろうが、外国のお嬢様だろうが、異世界のお姫様だろうが、たいしたことではない。
どんなふざけた話だろうと、道化だからこそ応援できるし、そしてからかえる。
「親友」なら止めるだろう与太話に基づいた恋愛も、「悪友」なら面白がって尻を叩けばいい。
同情なんか、これっぽっちもしてやらない。
ただ楽しいからという理由で煽りたて、嘘や妄想だと判明したらふざけんなと怒って殴り、まさかまさかで本当の話で恋がうまくいったら冷やかして、友達として好きだけど恋人はちょっと、とお決まり文句で振られたのなら指差して笑って慰めてやる。
それだけのことではないか。
自棄酒でも自棄喧嘩でも、祝宴でも慰め会の乱痴気騒ぎでも、いくらでも付き合ってやるさ、と。
そんな風に笑い飛ばす彼を、青年は少し呆然と見た後――
「……お前――……ああ、うん。そうだよ。本当に、我ながらとんでもない子に惚れちまったよなぁ」
そういって、泣きながら、笑った。
自嘲気味に。
それでも、確かな笑顔で。
彼は、あの魔族の美丈夫のように――どこまでも悪友だった。
かけがいのない、大切な、大切な悪友だったのだ。
次話は多分明後日投下